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  • 2010/10/25(月) 01:59:09
圧倒的な物量で制空権・制海権を握り、砲爆撃を仕掛けてくる連合軍に対し、
有効な対抗策(装備・築城・戦術)を引き続き語れ。
史実での戦史や戦訓のお話しやお勧めの資料紹介もお待ちしております。

※「〜すれば島嶼防衛は要らない」的な戦略的な話はスレ違いなので、ご遠慮下さい。

■前スレ
【内地持久】WW?の島嶼防衛を語る【水際撃滅】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1249029538/

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  • 2010/11/01(月) 14:52:07
あと光を当てて確認するというのは良い手ですね。
島嶼に吊光弾でも落とせば良いでしょう。
艦からその光が見えれば煙幕薄いぞということになるかと。

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  • 19
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  • 2010/11/15(月) 02:37:53
連日の尖閣問題に気をとられてレスが遅くなりました、すみません。

>夜間に反撃してくる可能性は事実上ゼロです。

どういった理由からでしょうか?
煙幕で発砲焔は隠せても、砲音は隠せませんから聴音機で概略方向を特定され、
そこへ照明弾や探照灯を指向されれば、島とそれを射撃中の戦艦との軸線上にいる
煙幕展張艦はすぐに発見され、複数の中口径砲台から猛射を浴びるのは必定です。
常識的に考えて、幾らも経たないうちに追い払われるか撃沈されるかの二択ではないかと思われます。

>敵との距離を調整するんです(不正確に言うならジグザグ之字運動です)
>つまり回避する艦の針路は大筋では変わらないのです。
>之字の幅の余裕を持たせる為に戦艦列から少し距離を置くのです。

魚雷が相手ならともかく、低速で直進中の味方戦艦に同調した申し訳程度の之字運動で
敵の砲撃をかわし続けられるものなら苦労はないと思います。
実戦では全力で回避・逃走していても被弾している例が多々あるのですから。

>夜間の煙幕展開なんて日米は普通に演習で経験しています(回避運動込みで)

ええ、していますが、日米とも実戦で煙幕を活用しているのは避退を行う場面にほぼ限定されていますよね。
レーダー或いは観測機を一方的に行使できる有利な状況であっても「攻撃しながら煙幕」はしていないわけです。
彼らは無能だったのでしょうか?私はそうは思いません、実践にあたってハードルがあったのだと考えます。
例外はスリガオ海峡夜戦で米側が日本艦隊を待ち伏せした時くらいですが、あれは狭い水路を進んでくる敵を
出口側で待ち構えるという少々特異なシチュエーションでしたから、どうでしょうか?

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  • 2010/11/15(月) 02:39:31
>また攻勢局面でやった例はたぶん第二次大戦では無いでしょう。

つまりはそういう事なんでしょうね。
例えば1943年のブーゲンビル島沖海戦では、米艦隊は夜間にレーダーで日本艦隊を探知・射撃していますが、
その中でも煙幕の活用はやはり一時避退などする局面においてのみでした。
ちなみにこの海戦で米側の駆逐隊を指揮していたのは、有名な”31ノット”バーク大佐でしたが、
彼のような有能な指揮官が参加していてすら、夜間において煙幕プラス・レーダー射撃で敵を完封という戦法は
実際には中々実施困難なものであった・・・という事ではないでしょうか。

>>18
んー「言うは易し」の類ではないかと思いますよ。
まず吊光弾の位置と、砲台側観測所(複数)との位置が同一のものでは無いという点。
射撃側が島から十分に離れれば問題ではなくなりますが、さてその「十分」の目安がどの辺に求められるのか?
言うまでも無く主砲射程の問題があり、砲台側の観測所の在り処も不明という条件の下で算盤しなくてはなりません。
それから前述の煙幕展張艦の回避行動に一層ワクを嵌める事にもなりますね。
展張艦と比べて速力・運動性に劣り、かつ射撃中でもある戦艦側が煙幕を追い掛けるのは不合理ですから、
展張艦のほうが戦艦側のオーダーに従って動かなければなりません、敵の集中砲火の下で。

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  • 2010/11/15(月) 12:34:12
過疎スレとはいえ2週間も前のことに長文レススンナw

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  • 2010/11/15(月) 12:45:16
でもまあ、無理して要塞攻略するより適当に無力化・迂回した方が得ってのがよく分かったw
要塞ってのはやっかいな相手なんだな。

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  • 2010/11/15(月) 12:57:07
サイパンとテニアンぐらいの距離なら迂回出来ないから、
要塞作る価値があるんだがな。

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  • 2010/11/15(月) 13:48:19
>>19
複数の中小口径砲が届かない距離で煙幕を張ればよいのです。
20km先を狙うには日本陸軍だと15加以上の重砲でないと届きません。
そして20km先の船体は水平線の向こうになるんで
かなり高さのあるライトからでも見えるのはマスト程度
これを照らし出して狙い当てて撃沈なんて困難を通り越してます。
また仮に煙幕展開担当艦が撃沈されても
代わりはいくらでも居ますから問題ではありません。

また砲撃を回避するのではありません。運動するだけです。
光学照準では目標が定針することを前提としたプロットで射撃をするので
舵を切られるだけで終わるのです(これは自らのも同様になりやすい)

また実戦でやってないのは必要が無かっただけで必要になったらやるでしょう。
常識的には夜間射撃で煙幕まで使うほども無く一方的でしょうが
(先に述べたように夜間の時点で煙幕無くても困らないわけですから)

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  • 2010/11/15(月) 13:59:11
充分な距離とは20〜30kmでしょう。
これは戦艦級火砲が充分強力な垂直貫徹力を発揮でき
そして砲台の小型火砲が届かない条件です。
つまりレーダーで狙える限界に近い距離を航行することになるでしょう。
この距離で煙幕を張れば
砲台の位置をピンポイントに把握して吊光弾を落とすことは求められませんし
航空機も吊光弾もある程度の数を用意することは難しいことでもありません。
また吊光弾担当機を電探誘導してもよいのです(2次元平面上なら可能ですから)
もしくはB29のような地形照合電探を積んだ機体に来てもらっても良いでしょう。
B29なら吊光弾の搭載数も上空待機時間も絶大ですから
非常に有効な観測機になるでしょう。

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  • 2010/11/15(月) 14:00:48
「史上最大の作戦」の名をノルマンディーから奪えるかも知れんな。

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  • 2010/11/15(月) 14:06:18
本格要塞相手にガチで戦うなら、そうならざるを得ないね


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  • 2010/11/22(月) 02:28:08
>>24
まず砲の射程の問題ですが、これは最大射程26200mの九六式十五糎加農砲が要求を満たします。
次に水平線の向こう側云々という観測問題ですが、観測所を例えば標高100mの高台に設置すれば
水平視界は約36000mとなり、これも解決します。
日本陸軍の使用する八八式海岸射撃具は、もともと標高差を利用して測距を行うシステムですから
高地への観測所設置は大前提であります。
あと「舵を切れば砲撃は当たらない」という御説は一見尤もではありますが、実戦はその理屈を否定しています。
例えばサマール沖海戦など、米護衛空母は煙幕・スコールに加えて、駆逐艦や航空機の援護の下で
全力を挙げて回避し逃走しましたが被弾は避けられず夾叉は数え切れず、撃沈に至った艦までありました。
他の海戦でも概ね同様で、戦意を失って離脱を計る艦が追い撃ちを受け被弾したり撃沈されたケースは多数あり。
もちろん無傷で離脱に成功した事例も多くありますが、それとても全力で逃げていればこそというものでしょう。
艦長の意思で自由に運動できるのならまだしも、背後に控える戦艦側の都合で速度と針路を一定範囲に拘束されている状況下で
相手の砲撃をかわし続けられるとする見解には、ちょっと同意致しかねます。
また「沈められても替わりはいくらでもいる」という考え方はコストパフォーマンス的に問題がありますし、後続艦がフォローに入るにせよ
どうしても間隙が生じるわけで、その間に位置を暴露してしまった戦艦が被弾したり、後続艦までもが続いて被弾したりすれば
作戦の続行が真剣に危ぶまれるところでしょう。

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  • 29
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  • 2010/11/22(月) 02:36:14
>また実戦でやってないのは必要が無かっただけで必要になったらやるでしょう。
>常識的には夜間射撃で煙幕まで使うほども無く一方的でしょうが
>(先に述べたように夜間の時点で煙幕無くても困らないわけですから)

先にブーゲンビル島沖海戦を一例に挙げましたが、その戦闘の内容を吟味なさったうえでの御意見でしょうか?
確かにあのとき米軍はレーダーで機先を制しましたが、そのまま殴り合いに入ってスンナリ勝てるような状況でもありませんでした。
日本艦隊が混乱から立ち直って反撃に転じ、味方が被弾・被雷しはじめたので米艦隊は一旦間合いを外す為に転舵、
その際には煙幕を使用しているわけです、「一方的だったから」とか「必要なかったから」などの説明は的を得ていません。
また逆に、明らかに劣勢な相手であっても、必勝のT字戦法で迎え撃てる際であっても「使える時には使う」。スリガオ夜戦が証明しています。

いま私が気にしているのは視野角の問題なんですね。
例えばサイパン島なんかですと南北23km、東西10km程のサイズでありまして、そうなると島の端にある観測所Aからは
ブラインドできても、別の場所にある観測所Bからは丸見え、などという事態が想像されるわけです。
まあ前提となる戦場が未設定ですので、何kmぐらい離れて、どういう相対位置関係で煙幕を張るのが適切か?などは
明確に答えるのは難しいとは思いますが、何にせよ米側が観測所の数や配置を把握していない条件の下で煙幕作戦を
立案遂行するのは非常に難しいとは思われませんか?
あと少し勘違いなさっていますが、煙幕を使って一番にブラインドすべきなのは砲台そのものよりも、観測所のほうですね。
これが数km単位の間隔で島内に複数点在している事が問題に思えます。
ちなみに照明方法は、照明弾が使えない近距離1万m以内を探照灯が、それ以遠を照明弾がという風に相互補完します。

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  • 2010/11/22(月) 02:38:51
>>25
B29の能力について少々誤解が・・・。
いわゆる当時のレーダー爆撃というのは、反射波が明瞭に異なる海と陸地の境目=海岸線の形状を、事前に偵察で
得ていた写真を繋ぎ合わせて作成した地図(リト・モザイク)で照らし合わせることで現在位置と進むべき針路を算出、
先導機に搭乗した特別に優秀なレーダー手が、ノイズだらけのレーダースコープの中から湖沼や大型の煙突やクレーンといった
ランドマークを基準に予め定められた爆撃中心点の座標を取得、その後ナパーム焼夷弾でマーキングするといったやり方です。
B29の装備する対地レーダーAN/APQ-13には、平べったい砲台の所在を空中から探知するほどの分解能はありません。
(砲台周囲が広く平坦な地形で、かつ砲身を最大仰角で振り上げておれば或いは・・・というくらいでしょうか)
ですから結局のところ、ありったけの照明弾をバラ撒きつつ、OS2Uあたりが低空を目視でせっせと探し回る事になります。

それからB29は偵察機にはなれても、観測機にはならない・・・と言うと多少大袈裟ですが、少なくとも優れては居ません。
観測機に求められる飛行特性とは、まず低空域を低速飛行時に安定している事、あと短距離離着陸性能ですね。
この辺は洋の東西お国に関係なく共通しています。
戦後しばらくして戦場観測任務がレシプロ固定翼機からヘリコプターに移り変わったのはそういうわけで、ホバリング最高!というわけです。
つまり高空を高速で巡航するよう設計され、巨大で小回りが効かず、観測要員のための視界確保も十分とは言い難いB29は
いくら搭載力や滞空時間に優れていようと、観測機としては落第なのです。
対地レーダーも巡航速度で1分間に6km以上も進んでしまうような機体に載っていては、小さな島嶼で使うには帯に短し襷に長しの感があり
扱い難いのではないでしょうか?
ただ照明弾キャリアとして参加するのはアリかと思います。
AN-M46照明弾なら70発以上は載るはずですから、その点においては大量の照明弾を必要とする作戦内容に適していると思います。

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  • 31
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  • 2010/11/22(月) 02:58:39
>これは戦艦級火砲が充分強力な垂直貫徹力を発揮

遠距離で被弾確率が増すのは垂直装甲ではなく、水平装甲のほうですね。
というわけで、アイオワ級の16in Mark7 AP弾のDeck Armor(水平装甲)貫徹力データです。
>30,000 yards (27,432 m) 6.65" (169 mm)
>35,000 yards (32,004 m) 8.48" (215 mm)
>40,000 yards (36,576 m) 11.26" (286 mm)
ttp://www.navweaps.com/Weapons/WNUS_16-50_mk7.htm
長門型戦艦の砲塔天蓋は250mmの厚みがありますから、35000m以遠で撃たなければ期待できないと理解できます。
ですが、そんな遠距離でしかも夜間に針の穴を突くような砲戦を挑むのは非能率の極みで、到底現実的とは思われません。
命中率は勿論ですが、装填角度(+5度)から大仰角への砲身の上げ下ろしの時間に、発砲から着弾までの時間も増えます。
あと図を描くとわかりますが目標から離れるほどに発砲機会は減少し、何度も繰り返しターンしなければなりません。
まさか洋上で停止するわけにもいかないでしょうし、速度を落とせば前方で煙幕を展張している艦まで足並みを落とさねばならず危険なわけです。
また、夜間の艦砲射撃で徹甲弾を使用する事には観測面でも問題があるのです。
日本軍のヘンダーソン砲撃の際の観測班からの報告によると、一式徹甲弾40%、零式通常弾60%、三式焼霰弾100%という観測率でした。 
徹甲弾の成績が一番悪いのは柔らかい地面に対して不発、あるいは炸裂しても炸薬量が少ない上に遅延信管のため爆発は地下で起こり、
夜陰の下では見落としやすかったのであろうと容易に想像できます。
また瞬発信管で炸薬も一式より多い零式弾でも、観測率が60%に留まっているあたりに夜間弾着観測の難しさが現れていると思われます。
米軍側の報告では、同飛行場のスチールマット上に受けた穴は21個であり、(「大部分が砲撃による」と表現しているところから
前日の陸攻隊の爆撃ぶんも含まれている?)つまり三式弾104発を除く814発中、滑走路にヒットしたのは僅か20発前後という事になります。

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  • 32
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  • 2010/11/22(月) 03:16:39
↑これは別に日本軍の電探兵装がどうとかいう問題でもなく、例えば1945年7月の日立艦砲射撃では
米英の戦艦6隻が1200発以上を撃ち込みましたが、大部分は目標を逸れて着弾。
同月の軽艦艇による白浜艦砲射撃では、240発を発射して全弾外れと、米軍も特定目標に対する
夜間艦砲射撃では残念な結果を残しています。
前者は広大な敷地を有する工場、後者はアンテナ塔が目立つ電探施設が目標であり、
ここで語られているような重砲台に比べれば、捕捉も破壊もずっと容易であった筈なのですが。

>>21
いやすみません^^;
我ながらどうかと思っておりますが、どうかお目溢しを・・・。


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  • 33
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  • 2010/11/22(月) 11:04:16
擾乱ならそれで充分では?
日立は射撃受けた側の談話も残ってるが
立派に酷い目に会ってる(一発が宿舎に落ちた)

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  • 34
  • 名無し募集中。。。
  • 2010/11/22(月) 22:24:20
永久要塞攻撃にかかる数多の困難に対して、効果が攪乱じゃ全く割に合わんだろ

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  • 35
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  • 2010/11/23(火) 11:51:21
>>34
前スレから読め
要塞攻撃の助攻の一つとして
戦艦による夜間擾乱射撃という手段に関する話だ。

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  • 36
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  • 2010/11/23(火) 11:53:39
>>30
なんで砲台をB-29のレーダーで見つける必要があるの?
地図があって、海岸線や明瞭な地物がレーダーで見つけられるなら
吊光弾を落とすのに充分でしょ?

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  • 37
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  • 2010/11/23(火) 12:43:55
>>36
その程度の仕事にB-29投入はもったいなさすぎ
レーダーも別に必須じゃなかろ。

潜水艦に積んでるOS2Uで十分

どうしてもレーダー使って地形確かめたいならカタリナ飛行艇でも飛ばせばよかろ

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  • 38
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  • 2010/11/23(火) 12:44:50
×潜水艦
○戦艦


ひっでぇ間違いだなあ
お詫びに四つん這いになります。

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  • 39
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  • 2010/11/28(日) 17:44:59
>>33
工場を狙って外れた砲弾は周辺の住宅地を襲ったわけですから、住人視点では確かにその通りでしょう。
ですが日立市を砲撃した米軍の目的は、市街地や住民への無差別攻撃ではなく、工場群の破壊にあったのですから、
いまの議論に沿った軍事的評価を行うには別の視点から語らなければなりません。
「日立戦災史」その他によると、各目標に対して発射された16in砲弾と、命中数(敷地内に着弾したもの)は以下の通りです。

・多賀地区(約24000mで射撃開始)
 日立製作所山手工場:4/89発
 日立製作所電線工場:0/126発
 日立製作所多賀工場:工場建屋直撃25※/530発
 日立鉱山電錬工場:8/125発
 ※工場敷地内着弾を基準に判定すれば、命中弾数は恐らくこの3倍前後に増えるものと思われる。
・勝田地区
 日立製作所水戸工場:0/144発
 日立兵器会社:75/224発

米戦略爆撃調査団による被害判定では、多賀工場と水戸工場が中程度の損害、その他は軽度の損害としています。
(水戸工場に命中弾は無いが、約600m南東にあって75発を被弾した日立兵器会社への言及が無い事から両者を同一視したものと思われる)
というわけで、発射された16in砲弾1238発中、目標とした工場敷地内に命中したのは約160発前後と推定されます。
1945年7月14-15当日深夜は雨天であったという事から、恐らく米側は弾着観測機を使用できなかったものと思われ、
そういう意味では、この命中率もむべなるかなといったところでしょうか。
前スレでは観測不要という意見も見られましたが、その場合はこの程度の砲撃精度というわけです。
 本来は、ちゃんと観測機と吊光弾が使用された浜松艦砲射撃の事例のほうがより参考になるはずなのですが、
当時の浜松市は艦砲射撃を受ける以前に、公式なものだけで30回以上に及ぶ空襲を受けていたうえ、トラブルを生じたB29の
爆弾投棄地点にも指定されていたため、既に主だった施設や市街地のほぼ全てが損害を受けており、純粋な砲撃効果は
把握が困難で参考にならなかったのが残念でした。

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  • 2010/11/28(日) 17:46:48
>>35
戦前・戦中の米海軍は砲身命数をESR(Equivalent Service Rounds)という指標で現していました。
例えば戦中のアイオワ級50口径16in砲の場合は290ESRとされ、榴弾にあたるHC弾を常装で撃った場合には
砲口初速820mpsで0.43ESRの消耗。
これが同579mps程度にまで減装した場合では0.03ESRにまで抑制される、といった具合でした。
対地艦砲射撃というものは、とにかく手数が必要です。
広範囲かつ長時間の擾乱を行う際には尚更その傾向が強まる事でしょう。
また上陸支援艦隊といえども、敵水上部隊と砲戦を行う可能性があるわけですから、命数ギリギリまで砲身を
使い込むといった行為は言うまでも無く危険であり、余裕を残して交換する必要があります。
史実の米戦艦群が上陸支援の際に目標へ非常に接近して射撃していたのには、命中精度と射撃効率を高める以外にも
イザという時に備えて砲身をなるべく労るという側面があったのでしょう。
消耗した砲身を予備砲身と交換するには、支援任務群の浮きドックが待つ安全な後方泊地まで戻らねばならず、
それに伴って生じる時間的ロスは攻略期間中に無視し得ないものとなるでしょう。
果たして(砲身の負担が大きい)大遠距離からする「夜間擾乱射撃」に、そこ迄の価値が果たしてあるのか疑問ではあります。

ここまで見た
  • 41
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  • 2010/11/29(月) 02:23:11
>>39
つまり目標破壊を企図するには辛いが
擾乱には充分な精度があるということ。
前スレから述べてるように擾乱で艦砲射撃するんだから
これで何にも問題は無い。

ここまで見た
  • 42
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  • 2010/11/29(月) 02:43:50
>>40
擾乱射撃は手数はそんなに要らない。
http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_2_5_4.htm#A5_4_2
>(四)擾乱の為の射撃
>重要なる敵地域 例えば司令部、宿営地、集合地、停車場、補給所等に於ける敵を擾乱し
>案じて其業務、駐止、休息等を為し得しめざるを目的とす
>此射撃は 射距離の要求に応じ
>野砲、十加 若は十五加を使用し
>既述の如く地域に敵の存在することを偵知するか
>或は 推定せる時機に於て 通常急襲的に射撃するものにして
>状況によりては緩徐にして間隔不規なる射撃を以って目的を達成し得ることあり
>又 此射撃の密度は 通常濃密なるを要せざるものとす

そりゃ弾が不規則間隔で落っこちてくるだけで相手は困るわけだから
そんなに激しい手数を投じる必要は無い。
そもそも例示されてる砲の持続射撃速度は
野砲で毎分2発、10加で1発、15加だと2分に1発以下とされてる。
15加1中隊4門に相当する密度なら、8門戦艦なら1門あたり4分に1発で良い。
1門あたり100発撃ったら夜が明ける。朝まで打ち続けるような大作戦なら命数を気にすることもないし
擾乱なら毎晩(である必然も無いが)適当な時間に1隻が30分〜数時間撃つだけで良い
これなら戦艦戦隊で数週間命数が持つ。補修もそんなに問題にはならないし
精度を期待しない以上危険が無いなら命数切れでも構わない
(大戦末期の連合軍戦艦で何例かある話)

ここまで見た
  • 43
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  • 2010/11/30(火) 00:38:39
>>41-42
アンテナやケーブルをどうこうするといったような戦果すら、もはや期待しないという事でしょうか?
しかし本来の意味での「擾乱」、所謂ピストル・ピートのような敵の精神面や日常業務にダメージを与える事を狙うのなら、
それはもうAAFが既にやっている事ですし、そこへまた更に戦艦以下の大艦隊が加勢する事に何程の意味があるのか疑問です。
その程度のことなら、1隻あたり1000〜2000人が乗り組み、数千トンの燃料をガブ飲みする戦艦を何隻も集めて巧緻な作戦を練るよりも、
10人乗りのB24の飛行隊を3つ4つ追加して夜間定期便を増量したほうが、よほど安く簡単に済むのではないでしょうか。

思いますに、「擾乱射撃」が手段ではなく、目的にすり替わってはいませんか?
上陸支援艦隊の任務が「擾乱」だけで終わるはずがありません。
むしろ上陸直前の海岸制圧から上陸後の陸戦フェーズにこそ、艦砲による火力支援が強く期待されているわけです。
また時期にも因りますが、増援や救出に駆けつける敵水上部隊との交戦にも備えなければならないでしょう。
結局のところ擾乱射撃などは、重要度から言っても仕事量から言っても、それら本番の任務に比べれば前戯に過ぎません。
大砲は撃てば撃つほど威力も精度も低下してゆく消耗品です。
なのに精度も威力も必要ではない擾乱射撃に血眼になって、本番前に精度と威力を低下させるというのは、どうにも不合理に思えます。
効果に対するコストパフォーマンスという面でも優れているとは言えません。
擾乱はAAFに任せて不足を感じるなら重爆を増強する、戦艦部隊は敵砲台や敵艦隊との決戦に備えて英気を養い、砲身を温存する・・・。
恐らく砲台制圧の段階でかなりの犠牲を出すと思いますが、それでもベストに近い状態で戦える分まだしもマシではないでしょうか?

ここまで見た
  • 44
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  • 2010/11/30(火) 07:06:59
>>43
アンテナ、ケーブル、その他各所にある通風孔や
連絡路出入り口といったものは勿論壊れて欲しいよ。
でも、それを至短時間に破壊しなければいけないわけではない。
もちろん爆撃機でも間に合うなら構わない。
重防御の要塞に対する妨害行動が
爆撃で無理なら戦艦でやれば良いというだけのこと。
そして沿岸要塞火砲が健在な段階では上陸できんし
戦艦による沿岸射撃や上陸作戦ができるということは
周辺制空制海権は掌中にあるということで
戦艦(それも対地射撃用部隊)を洋上決戦に温存しなければいけない段階ではない。
そしてマトモに打ち合ったら戦艦は要塞に勝てないのだから
本番たる要塞との本格交戦に於いては戦艦は必要ではないというか
戦艦の本番が、この本格交戦に先立つ事前擾乱にあると言っても良い。

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  • 2010/11/30(火) 07:15:59
あとね、上陸作戦に対する火力支援は別に戦艦に頼る必要は全く無い。
駆逐艦だって127mmという陸戦用では相当でかいクラスを積んでるわけで
戦艦以外の艦艇は戦艦よりもずっと多いわけで
実際米軍の島嶼上陸戦でも近接的な支援射撃は駆逐艦等が行ってる。

戦艦による上陸支援射撃は、結局のところ大雑把な破壊擾乱射撃であって
あたった場所を盛大に掘り返して陣地を弱体化させるものであって
これは夜間擾乱の流れ弾でも同様の結果が出てしまう程度のもの
(実際、それで夜間にやってる例も多いです)

砲撃っていろんなやり方があるわけで
ピンポイントで狙ったり、何かを破壊したりとかは
砲の使い方のごく一部でしかないんですよ。

ここまで見た
ここまで見た
  • 47
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  • 2010/12/03(金) 14:37:28
>>46
X島は旧軍の歩兵火器に疎いと苦痛かも。

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  • 48
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  • 2010/12/04(土) 17:27:10
>でも、それを至短時間に破壊しなければいけないわけではない。

攻略スケジュールは殆どの場合、時間制限付です。
以前にも述べましたように、米戦艦による上陸前の支援射撃は硫黄島の場合で上陸3日前から、
硫黄島戦の反省の下に行った沖縄戦の場合で9日間でした。
このように与えられた時間は限られておりますし、弾薬についてもそうです(硫黄島戦で海軍側が海兵隊側の
10日間の要請を3日間に下方修正させた際、挙げた理由の一つに弾薬問題があった)。
くどいようですが大型砲台だけが目標ではないのです。
また以下のような証言もあります。

>砲弾が近くで炸裂し土塊が飛ぶ。
>私は再び壕の中にもぐり込んで、電話当番の報告する刻々の情勢を聞く。
>それによると敵艦隊は島の周囲に約600、まだ逐次増強されつつある模様と察せられる。
>敵上陸の様子はまだない。然しその電話も時折り不通になる。
>砲弾のために架空電線が切断されるのだろうが、その都度、この激しい艦砲射撃の中を電信兵は
>電線を辿って故障の箇所を果敢に修理して廻っている。
>職責とは言え、実に危険なことであり、ご苦労なことである。
>監視兵もさることながら電信兵の勇敢さには驚嘆に値するものがあった。
>私はその電信兵が見えるたびに、その労をねぎらわずにはいられなかった。
森本一善「硫黄島玉砕に祈る」より

密度の薄い「擾乱射撃」を、夜間遠距離という悪条件の下でだらだらと続けても、防御側の修復ペースには
到底追いつかず、精神的なもの以外に効果は無きに等しいでしょう。

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  • 2010/12/04(土) 17:30:24
>戦艦による沿岸射撃や上陸作戦ができるということは
>周辺制空制海権は掌中にあるということで
>戦艦(それも対地射撃用部隊)を洋上決戦に温存しなければいけない段階ではない。

大戦序盤は言うに及ばず、マリアナ、フィリピン、沖縄など、大戦後期の上陸作戦中にも日本艦隊が出撃してきて
現実に米艦隊は対応を迫られているではありませんか。
特にフィリピンでは上陸支援の第7艦隊(のオルデンドルフ艦隊)が、大規模な水上戦闘を行っており
あの栗田ターンが無ければ、更に続けて大規模な(恐らくWW2最大の)水上砲撃戦に遭遇するところでした。
この際に(一時期信じられていたほど深刻ではなかったにせよ)対艦用の徹甲弾が不足したため、
以後は上陸支援の艦隊であろうと大規模水上戦闘に備え、徹甲弾の搭載比率を増すよう対策がとられています。
当然、砲身の消耗についても同様の判断でしょう。
また沖縄戦で出撃してきた第二艦隊を、当初迎撃予定であったデイヨー提督の戦艦部隊の内訳は、
それまで上陸支援任務にあたっていた旧式戦艦6隻でありました。
これがス提督の個人的心情によるものであったことは事実ですが、戦艦を含んだ日本の水上部隊が
戦意をもって接近を企ててきた事もまた事実であって、少なくとも万一に備える必要のある状況でした。

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  • 2010/12/04(土) 17:32:36
>>45
その認識は明白に誤りです。
以下、米海軍歴史センターに残る、硫黄島戦に参加した司令官や艦長達からの報告です。
また少し長いですがお付き合いください。

・水陸両用戦部隊司令官の報告
>敵の防衛の状況は、この戦争で遭遇した最も強固なものであったことは最初から明らかであった。
>ブロックハウス、ピルボックス、洞穴は陸からの攻撃に対抗するのみならず、海軍の重砲火にも耐えられるように建設され、場所が設定されていた。
>それどころか、重要な防衛施設と大砲の位置を異常なほど、そして骨惜しみせずに隠蔽したことに関して、敵は賞賛に値する。
>我々の偵察写真は優れていたが、肉眼やカメラのレンズを通して見ることができないものに関しては、何も見せることができなかったのである。

>そのような防衛に対しては、長距離及び中距離の砲撃は単に効果がなく、非常に多くの貴重な爆薬が大量に広大なエリア砲爆に浪費されたのである。
>理由は 2 つある。 第一には、上で言及した隠蔽やカモフラージュの看破は標的の位置が非常に近距離になって初めてわかることであり、
>上で述べた目標偵察の計画が、この目的には大いに効果があったわけでないのである。
>第二に、発見された場合にも、目標は大量の土塁で補強していたため、目標をさらけ出すために極端に重い至近距離からの砲火が必要となり、
>そこで始めて本質的な破壊作業が始まるのであった。
>この点に関してエリア砲撃は非常に限られた効果しかないように思われる。
>エリア砲撃は敵を揺さぶり接近を可能とするために、初期段階では必要ではあるが、制圧砲火に信条的な信頼を置くことは見直す必要がある。

>困難で不愉快な事実であるが、直撃を何度も繰り返さなければならない点は認めなければならない。
>これには至近距離からの砲撃と精密な観測が必要となるのである。
>当然これにより敵沿岸砲の脅威に晒される事となるが、任務のためには敵の砲火を被弾する危険は甘受せざるを得ない。
>硫黄島においては、我々の大型艦艇に対する敵の砲火は意外なくらいに軽度なものであった。
>しかしながら海岸から2000ヤード以内においては、D-3以後しばしば砲撃に遭遇した。

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  • 2010/12/04(土) 17:33:55
・戦艦ニューヨーク 艦長の報告
>ピルボックス、ブロックハウス、沿岸砲台、高射砲陣地などの構造や配置により、完全に破壊するためには、いずれの場合も直撃か数多くの至近弾が必要となった。
>第16と第17エリアの目標偵察には艦載機が利用され、 第18エリアまでは1750ヤードあり、目標偵察には航空機と艦船が利用された。
>砲撃の最後の日が最も効果があった。 その理由は、目標を偵察したり、一斉射撃を観測できる設備が多くあった事と、 14in/45 口径と5in/51 口径の弾薬を
>目標へ大量に打ち込む事ができたためである。

・戦艦ネバダ艦長の報告
>硫黄島における敵の施設は非常に巧みにカモフラージュされ、かつ非常に堅固に作られていた。
>大きなものは主砲で繰り返し命中させることによってのみ破壊もしくは大破させることができた。
>1500ヤードから2500ヤードの距離では、これらの目標は、艦の観測員、砲撃手、照準手により識別することが可能であった。
>射撃が最も効果的であった理由は、砲弾の弾着と効果をはっきり見て取れたためである。
>ネバダの砲火で敵の施設に損害を与えることができたものの内、大半は近距離からの射撃であった。
>40mm機関砲が色々な標的−洞穴、機関銃座と思わしき箇所、軽砲の砲座、時には少数の敵の戦闘員− に対して使用された。
>40mmの砲火は、ハラッシングとしてのみに有効であると信じられていた。
>ある場合には 6人程度の敵戦闘員が、破壊されたブロックハウスを放棄するのが目撃され、これに対して40mmの砲火で掃討した。

仮にも戦艦が射距離2000m前後という至近距離で砲撃をしていたわけです。
その理由はもはや述べるまでも無いでしょう。
ちなみにこれは別に硫黄島戦において特有の事例ではなく、例えば1944年1月末のクェゼリン環礁の攻略戦では、戦艦ペンシルヴァニアが環礁内にまで侵入し
1800mという近距離から砲撃を浴びせています。
これは同艦がアッツ島などでの戦訓から、中遠距離からの艦砲射撃には見かけほどの効果が無い事を知悉していた為です。

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  • 2010/12/04(土) 20:24:51
>>48
硫黄島なんか何ヶ月も前から爆撃始めてるだろ?

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  • 2010/12/04(土) 20:31:54
>>49
で?それが何か問題になるのか?
レイテでは徹甲弾は沢山あったし
沖縄では一隻の大和に十隻もの戦艦が向かったわけで
しかもそのうちの一隻はカミカゼくらって主砲の一部が死んでる。
つまり全然余裕だったわけでしょ?
日本本土沿岸射撃やノルマンディで迎撃戦艦は出てきましたか?
本土沿岸に射撃できるって事は、もう大型艦出撃なんてできないって事だし
沖縄だって大和が届く前に撃沈されちゃったでしょ。

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  • 2010/12/04(土) 20:40:46
>>51
おお、戦艦の至近距離もやったのね、サンクス。
でも、それは近距離で撃たないと当たらないって報告であって
5インチでは壊せないって報告には思えません。
そして戦艦が至近距離に入るには、要塞砲があったら無理です。

つまり要塞に対する作戦が無事に終了した後の段階であって
それが果たされるまでは別に戦艦が砲身痛めようが構わないわけです。
本格上陸までに交換が終わってれば良いのですから。

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  • 55
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  • 2010/12/05(日) 14:40:41
>>52
第56任務部隊司令官からの報告です。
>長期にわたる硫黄島への爆撃には - これは70日間も行われたが- よく準備され、よく要塞化した敵の
>防衛施設には目に見える効果はなかった。

もとより戦艦と航空機とでは運用事情が全く異なるのですから、双方の作戦期間について比較言及する事に
あまり意味は無いとも思われますが。

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  • 2010/12/05(日) 14:42:56
>>53
それが実際に問題だと認識されているのですね。
TG77.2(オルデンドルフ隊)の作戦後の所見をどうぞ。

>しかしレイテ作戦では、それ(上陸支援艦隊のAP弾の搭載比率)は明らかに不適切であった。
>敵水上艦艇からの危険はそれほど高くなかったにも関らず、実際にスリガオ海峡海戦が戦われた。
>ここではAP弾の不足が戦闘における戦術思考に深刻な影響を与えた。
>すなわち射撃開始前までに敵艦隊をして比較的近距離まで進入されるという事態を招いた。
>これは我が水上部隊をして日本軍の魚雷射程距離内に位置することを余儀なくし、
>さらには日本軍の主要な火砲の射程距離内に位置することを意味していた。
>それ故、将来の作戦において砲撃グループが敵の大規模な水上戦闘部隊による攻撃に
>直面するような場合は、AP弾の供給量を50パーセントまで増加するように規定し、弾薬補給船を
>砲撃グループと同海域に随伴させるか或いは可能な限り速やかに海域に進入できるように
>命令するかの何れかの方法で速やかにHC、AP両方を再補給するよう規定する事を強く勧告する。

徹甲弾の残量が、日本艦隊を迎撃する米艦隊の戦術を拘束し、必要以上のリスクを強いていた事を
指摘している点が注目に値します。
「砲弾は足りていたではないか」とか「完勝だったから問題ないではないか」といった後世視点からの
結果論では、当時現場に立って戦っていた人々を納得させる事はできないでしょう。
沖縄戦における第二艦隊への対応についても同様の事が言えます。
航空攻撃による大和撃沈はあくまで結果を知っているからこそ自信たっぷりに言えるのであります。
もしも攻撃隊の会敵時にスコールが第二艦隊を覆っていたら? 直掩機がついていたら?
エンガノ岬での伊勢や日向のように、神掛かった操艦術でもって雷爆撃をかわされてしまったら?
後世に生きる我々がこれらの可能性を否定する事は簡単です。
ですが、限定的な情報しか持たない当時の米軍指揮官達に断言できようはずもありません。
備えは必要でした。

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  • 2010/12/05(日) 14:47:28
また日本本土沿岸砲撃は上陸を前提としたものではなく、攻撃時間も何れも十数分から1時間前後という、
辻斬り的な内容であり、時期も連合艦隊から稼働戦艦が全て失われた後の1945年7月以降の事です。
降伏まで残り1ヶ月に迫るこれ以上無いほどの末期であり、攻撃対象も重砲の配備が無い市街地でした。
他の島嶼戦とは状況が余りにも違いすぎ、参考にできるのは射撃時の弾着パターンくらいでしょう。

ノルマンディー上陸作戦においては、連合軍の上陸作戦海面にティルピッツが到達するには
航空機の脅威を除外しても、敵味方によって敷かれた濃密な機雷源に加え15in砲や14in砲といった
巨砲が並ぶ所謂ドーバー要塞の火制海面をまともに横切らなければならず、到底不可能でした。
チャンネルダッシュ作戦の時には約280機の戦闘機の掩護があり、電子妨害や機雷掃海といった仕込みが
作戦決行1ヶ月前から行われ、要塞砲の脅威も訓練未了の9.2in砲4門でしかありませんでした。
何よりヒトラーが睨んだとおり、英国側は意表を突かれ、連絡や協調面での不備も曝け出しました。
しかしもはやドイツ戦艦が2匹目の泥鰌を狙える状況でない事は、当時の誰が見ても明らかな事でした。
太平洋の島嶼戦とは程遠い、特殊なケースであったと言えるでしょう。

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  • 2010/12/05(日) 14:49:30
>>54
それが5in砲だけでは全く力不足なのですね。
過去レスからの孫引きで恐縮ですが御覧下さい。

>465 名前:530 :04/02/16 21:55
>大本営陸軍部が艦砲射撃対策の基礎資料を収集するため、昭和19年10〜12月に海軍と協力して
>呉海軍工廠亀ケ首射場等を利用して実施した大口径火砲による射撃実験の結果
>(戦史叢書「本土決戦準備2九州の防衛」
>第1回実験(10/10〜11)
>◎目標
>監視用掩体6、掘開式中掩蔽部2、坑道式中掩蔽部1、一列用交通壕若干
>◎使用砲弾
>50口径12.7cm通常弾4、2号20cm通常弾4、45口径40cm通常弾2・徹甲弾1
>◎結果
>軽掩蓋構造物(通常の木造被覆):12.7cm瞬発通常弾の着弾点から2m以上離れていれば抗堪する
>遮断層を有する中掩蓋:20cm瞬発通常弾の直撃に抗堪、40cm瞬発通常弾の直撃により中破
>(内部の生体の生命には異常なし)
>坑道式構築物の中掩蓋(遮断土層6m):40cm瞬発通常弾の直撃に抗堪する。
>(ただし、入口部の坑道は着弾点から2m以内の場合は大破・脱出不能、5.5m以内の場合は小破)、
>40cm延期信管付徹甲弾の直撃により大破(破壊部分の生体は爆発ガスにより中毒死)

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  • 2010/12/05(日) 14:50:35
>第2回実験(11/3〜11/29陣地構築、12/22射撃)
>◎目標陣地
> 面積0.6ha=正面120m×縦深50m
> 速射砲用掩体(主要部厚さ1.5m)1、人員用掩蔽部(中・重掩蓋で坑道・掘開式)3、
> 機関銃用掩体(軽・中掩蓋で掘開式)2、小銃用立射掩体(掩蓋高0.5m)10、
> 交通壕(主として一列用)134m、通信線(埋設・溝設・地上布設等)約350m
>◎射撃距離
> 8.7km
>◎使用弾(命中したもののみ、演習弾・填砂弾を除く)
> 50口径12.7cm通常弾5、2号20cm通常弾9、45口径40cm通常弾5・徹甲弾4
>◎被弾密度(1ha当たり)
> 12.7cm砲弾8発
> 20cm砲弾15発
> 40cm砲弾15発
> ※サイパン島における推定密度(1ha当たり40cm砲弾7発、15cm砲弾以下68発)と
> ほぼ同等の威力であると考察。

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  • 60
  •  
  • 2010/12/05(日) 15:21:23
>◎被害状況
> 坑道式掩蓋部入口の損傷2箇所、速射砲掩体の損傷1箇所、交通壕の埋設2箇所、
> 掩坑付小銃掩体の破壊1箇所、通信線の切断・埋没10箇所(交通壕以外は根本的破壊を受けず)
> 待機中の兵員にも殆ど損傷なく以後の戦闘行動にも大きな支障は無いと認められる。
> ただし、艦砲射撃中・直後は射撃動作等に多少の影響を受けるおそれがある。
> また、守兵に若干の精神的動揺を与えることがある。
> さらに、被害直後における交通・通信は、補修の難易にもよるが、相当の支障を来すことがある。

>総合判決
>1 堅固に設備された野戦陣地は、比較的濃密な艦砲射撃を受けても施設の破壊は僅少で
>  守兵の損害も少ない。
>2 適正に地形を利用し分散・秘匿された施設は直撃を受ける可能性が少ない。
>3 軽易な施設であっても直撃を受けなければ根本的な被害を被らない。
>4 重掩蓋・中掩蓋を有する構築物は、40cm級以下の瞬発通常弾に抗堪する。
>5 坑道式重掩蓋構築物は、40cm級以下の徹甲弾に抗堪する。

米戦艦艦長達の報告「戦艦主砲の直撃が必要」の意味がおわかりになったでしょうか?
硫黄島戦で米戦艦が中遠距離射撃を行っていたのは、砲撃開始したD-3の僅か1日間に過ぎず、
その理由は掃海部隊と水中障害物爆破処理班の作業が終わるのを待つ必要があった為です。
D-2には早くも擂鉢山に対して「重砲」による6000ヤード以下の近距離射撃が実施され、
以降は両用砲や機関砲まで用いる近距離射撃を上陸完了後に至っても継続しています。
上陸直前の面制圧には5inまたは4.5inのロケット弾を大量に積んだLCIが、
上陸完了後の支援砲火や夜間擾乱は4.2in迫撃砲を積んだLCIといった新兵器群が担当していました。

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  • 2010/12/05(日) 15:32:34
>つまり要塞に対する作戦が無事に終了した後の段階であって
>それが果たされるまでは別に戦艦が砲身痛めようが構わないわけです。
>本格上陸までに交換が終わってれば良いのですから。

すみません、仰る意味がよくわかりません。
擾乱射撃だけでは、何時まで経っても「要塞に対する作戦」は終わらないと思いますが。
何を以って作戦終了と判断して、戦艦を一時後退させるわけでしょうか?

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  • 2010/12/05(日) 23:18:22
>>61
要塞攻撃は空襲を主体とし
空襲困難な夜間に艦砲で擾乱・妨害をしかける。それが前スレでの話し。

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  • 2010/12/11(土) 15:18:52
>>62
空襲で要塞を無力化する事の困難は、以前にコレヒドールや硫黄島の例を引いて幾度も申し上げたと思います。
それだけでは納得できないと仰られるのならば、ノルマンディー上陸に先立って行われたトンガ作戦
(メルヴィル砲台制圧)ではどうだったでしょうか?
爆撃機には目と鼻の先の距離にある英本土には、米英1万機を遥かに超える膨大な作戦機があり、
戦史上空前の航空優勢があったにも関わらず、たった4門の15cm砲々台(実際は10センチ砲)の
空襲破壊に見事に失敗し、海上からの支援もありましたが、結局決着をつけたのは空挺部隊による
直接の突入だったではありませんか。

・・・ですが、自分なりに最近調べるうちに、幾つかの条件を整えれば不可能ではない事の証明、
希少な例外らしきものを一つだけ見つける事ができました。
それは1945年4月18日から19日の2日間、ドイツ北西約70kmの海上に浮かぶHeligoland島に対して行われました。

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  • 2010/12/11(土) 15:20:25
ヘルゴラント島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E5%B3%B6
島の面積は僅か1平方km、隣接するDüne島を入れてもたった1.7平方kmに過ぎません。
この話題ではよく引き合いに出される硫黄島(22平方km)と比較しても桁違いに小さく、タラワの戦いの舞台となった
タラワ環礁ベティオ島に近いサイズです。
当時の島の詳細は余りよくわからないのですが、確かな事としてはUボート3隻を収容可能なブンカーがあった事、
それなりの沿岸砲台(口径及び門数不明)と高射部隊が存在し、当時の島の人口約1900人、Düne島には
戦闘機1個中隊程度を運用できる小規模な飛行場がありました。
 島は1944年に入ってから連合軍の空襲を受けるようになりましたが、1944年8月29日の空襲(B17、B24など45機と
P38、P51からなる護衛戦闘機169機による)を除けば、あとは中隊規模での空中投下機雷の散布が主で、
稀にAAFの珍兵器BQ7(米軍版ミステル)による対ブンカー攻撃(失敗)があった程度でした。

それがドイツ降伏も間近な1945年4月18日、ランカスター617機、ハリファックス332機、モスキート20機の計969機が
2波に亘って襲来し、絨毯爆撃で島の地表にあるもの全てを破壊していきました。(ハリファックス3機喪失
爆撃中の様子
ttp://forum.axishistory.com/download/file.php?id=203195&sid=b2314402d1cf51a2f7df768e5ed94636
爆撃2日前と爆撃後の写真比較(左上端にあるのがUボートブンカー)
ttp://forum.axishistory.com/download/file.php?id=203194&sid=b2314402d1cf51a2f7df768e5ed94636
これによってHeligoland島は英軍が評したとおり「月面クレーターが如き有様」となりましたが、この写真が撮られた
19日の夕方に更に駄目押しの爆撃が行われました。

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  • 2010/12/11(土) 15:23:03
1945年4月19日の17時過ぎ、数々の偉大な戦果に輝くRAFきっての精鋭、第617スコードロン(ダム・バスターズ)の20機と
同第9スコードロン16機の計36機が島に襲来し、僅かに生き残った強固な施設に対してグランドスラム6発とトールボーイ16発を投下。
「沿岸砲台その他」を目標としたこの攻撃により「全ての目標は破壊された」と判定しました。(作戦機に損失無し
人的損害の面においては、これほど徹底した大爆撃が為されたにも関わらずドイツ側の死者は128名(主に迎撃にあたった高射部隊)に止まり、
防空壕やトンネルに避難していた1900人の一般市民にも死者は殆ど無く、相当に要塞化されていたのであろうと推察されます。
しかし地上のライフラインも軍事施設も尽く失われてしまった為、以後は夜陰に乗じて順次ドイツ本土へと疎開・撤退せざるをえず、
事実上Heligoland島は放棄されてしまいました。
小なりとはいえ「空襲に因って砲台含む要塞を短期間に無力化した例」に数えて良いのではないかと思います。
1.7平方kmに対し約1000機の4発重爆及び、数十発の大型特殊爆弾とそれを任すに足る精鋭部隊、とコストは極めて高くつきましたが。
太平洋の島嶼戦で望むには厳し過ぎる条件ではないかと思われます。

以下は蛇足ですが、時期的に見ても島の軍事的価値から見ても、ここまでする意味があったのか疑問だらけの作戦ですね^^;
もしかすると純軍事的な要求から立案されたものではなく、(終戦後では試せない)何かの実験的な意味合いがあったのかもしれません。
尤も、この小島は戦後になればなったで前述した「Ruby」計画の試験地として様々な大型爆弾を米英軍によって投下された挙句、
ついには「Big Bang」計画(WW2後に余剰となった砲弾・爆薬を集めて実施)において、島自体の破壊を試みられるなど悲運が続くわけですが。

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  • 2010/12/13(月) 18:35:30
要約すると
●空襲で要塞を潰す事は不可能というわけではない
●ただしありえないほどの数の重爆撃機と超大型爆弾を専門に扱う精鋭部隊が必要
●そこまでしても地下に避難した人員は殆ど殺せない
こういう事か

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  • 67
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  • 2010/12/13(月) 19:45:20
>>66
要塞というか穴ぼこ相手だと
火砲でも爆撃でも基本的にそうなる。
南北戦争のビックスバーグ包囲戦で
二ヶ月にわたって北軍が砲撃し続けて町は灰燼に帰したけど
市民の死傷者は事実上無かったそうな(士気は酷いことになったが)

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  • 68
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  • 2010/12/13(月) 21:39:54
WW1のソンムでも一週間撃ちまくって耕したのに被害はあんまりなかったんだっけ。

お絵かきランド
フリック回転寿司
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