【3.11あの日】〜東日本大震災〜体験記録Vol.1【絆の足跡】 [machi](★0)
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- ゆきんこ
- 2012/02/08(水) 14:08:13
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@岩手県奥州市
震災から数日経ってからでしょうか(正確な日は失念)、私の住んでいる
岩手県奥州市は高速自動車道を使って被災地の陸前高田や大船渡に行く際の
経由地点かと思われますが、奥州市四丑橋近辺にて何台(十数台?)もの
バキュームカーが沿岸方面に向けてグングン進んでいくのを目撃しました。
聞こえるわけも無いが「今行くから待ってろよー!」と言いながらグングン
走っている感じでした。ナンバーを見ると秋田ナンバーでした。
私は沿岸に住んでいる訳では無いのですが見たときは、心の底から
「ありがとう」と思いました。
あんなにかっこいい車を私は今まで見た事がありません。
昨晩このスレを発見して普段2chに書き込む事は無いのですが
思い切って書き込んでみました。震災時の様子の体験談でなくて
申し訳ありません。
今日高速で盛岡から水沢まで帰ってくる時に、
あの時見たバキュームカーを思い出し、なぜか涙が出てきました。
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まいね
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- 青鹿
- 2012/02/08(水) 21:33:21
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ハワイアンズ観ながら、、の書き込みでした。
>>148
翌朝から動けるよう前夜めざして移動したのかな。
だいじょうぶ、愛国や愛郷心は誰にでもあるはず。
しかし、自分の事で精一杯だったことと、残念ながら有事の際にしか見えてこないものなのかも、、、。
>>151
補給のための損傷自販機荒しはしょうがないと思ったけど、あの夜から個人宅侵入とは許せない。
あらゆる立場の人が逃げに使った、、、想定外。
これから構築するものは、予算もあるだろうから、想定と仕様のギャップを明確にするべきですね。
>>153
そうそう、、、うちらでもわかる程度のものだ。
しかも異口同音だから困ります。
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/02/09(木) 00:00:02
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@青森県八戸市
勤務中に長い揺れが続く。何度も何度も。そして停電。沿岸部に近い職場だった為、避難しようと動くものの度々くる地震に足をとられながらも皆で必要な物を持ち、車には、いつまで続くかわからない地震・停電の為、各自、布団や灯りになる物と食料をとにかく詰め込んで避難所に向かう。どの道路も渋滞。避難所も停電。小さなストーブ数台しかなかった為、お互い様だね、と見知らぬ人々と声を掛け合って暖をとりあう。
避難所には食料も毛布も何も支給されないまま2日目に。2日目の深夜に少しずつ支給され始めてきたが遅い対応にイライラし始めてした人が数人。
幸いにも職場には水がこなかったが道路1本向こうは水浸しだったらしい。
あの日、自分はトイレに行きたいと思いながら、この仕事が片付いたらトイレに、って思った矢先の地震。しばらく我慢する状況になってしまうとは思わずいつも通り過ごし、あの地震でトイレに行っておけば良かった、と後悔。
今はトイレは我慢せず、日持ち出来る食料は少しだけ非常食に回し、お風呂も入れるうちに入り、ガソリンも明日でいいか、と思わない様にしてなるべくこまめに詰める様にし、いままでの「後ででいいか」をせず、常にいつまたくるかわからない災害に備える様に心掛けてます。
避難所で見た号外の新聞に驚愕し涙したあの瞬間は忘れられません。そして電気が復旧して付けたテレビから流れる各地の映像。本当に涙が止まりませんでした。
テレビ等の報道では青森県は被災地扱いされてない様に感じますが、津波で被害があり家を無くされた方、ご家族を亡くされた方、いらっしゃいます。大きくは報道されなくても、その地域にいる自分達が後世に伝えていかなくては、と思いました。
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/02/09(木) 19:10:05
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宮城県名取市。仕事中でした。
ユラ…ユラ…から、グラグラ、ガタガタ、ドドドド!!!
あれ?地震?あ、強い、これやばいよ、わーわーわー!!!
バリバリバリバリ!!ガッシャン!!(ガラスが割れる)
天井からはエアコンの吹き出し口の部分がどっかんどっかんと落ちてきた。
という感じだった記憶。(古い、広い建物内にいました)
その後1時間くらい、屋外で様子見。シャツ一枚だったから超寒かった。
そして携帯でTV見てたら、仙台空港に津波がというニュース。
信じられなかった…で、うちは閖上。
海岸線からの距離的に…空港に津波が来ているってことは、うちにも来てるの?!
そのうち帰宅していいことになり、どうしようか迷った。
閖上の現状が全く分からなかったから…
ま、念のため…なんて思いで仙台の実家へ。大渋滞でいつもの10倍以上時間かかった。
実家は内陸だから津波の心配はなかった。
到着してみたら、暗闇の中両親が迎えてくれた。無事で安心した。建物もほとんど被害なし。
真っ暗闇で寒い中、余震も怖いし、茶の間に三人で厚着して毛布かぶって丸まって寝た。
翌日だったか、実家に新聞が届いた。驚いた。
一面にでかでかと閖上方面の写真。
水と火とがれきに覆われていて、見覚えのある老人ホームの一部分が残っているのが分かった。
うちはその老人ホームのすぐそば。湖のようになっていた。
ほんとに、驚いた…。
数日後、閖上に行ってみた。
たどり着くまでに…田んぼに船や車が…建物内に車が…なんていうか、茫然。
途中で進入禁止かけられたけど、歩道橋に上れたから、上ってみた。
しばらく動けなかった。がらくた(がれき)の山だった。
また数日後、行ってみた。徒歩でなら町の中まで入ることができた。
がれきでめちゃくちゃで、泥でどろどろ。
町は町じゃなくなってた。
なんとか自分の住んでたあたりまでたどり着いたけど、
だいたい家の基礎の部分しか残ってないから、「ここがどこかいまいち分からない…」状態。
同じように様子を見に来ていた人に「どのあたりだったの?」と聞かれ、「○丁目です」というと、
「あー、何にもないね…」
密かに、何かが残っていたら…って思って行ってみたんだけど、
なーーんにもなかった。
それからは実家に居候。
水が止まらなかったのは本当に助かった。
電気は1週間くらい止まった。
ガスは1か月くらい止まって、週に一回ペースで温泉に行った。
7月まで実家で世話になって、ようやく引っ越せた。
それは、支援物資を送って下さった方、義援金を募金して下さった方、
行政、個人の方、お友達、両親、色んな方に助けて頂いたおかげ。
本当に、色んな面でたくさん助けて頂いた。
心から感謝致しております。
たくさんの方、助けて頂いて、本当にありがとうございました。
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- ゆきんこ
- 2012/02/10(金) 14:28:29
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震災直後「がんばれ東北!!」「がんばれ○○!}と言われるのが辛かった。
今は連日テレビやネットで連呼されている「絆」
いい言葉だけど、あまりにも安易に使われるようになってきてちょっと引き気味。
とりあえず絆、きずな、kizuna って言っとけばいいみたいな風潮。
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まいね
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- 青鹿φ
- 2012/02/10(金) 20:08:59
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>>155-157
家族親戚と違い、未だ連絡をとっていない知人友人は多いと思います。
春になれば状況が変わるし、もっと気持ち高まればいいアイデア浮かんでくるかも。
>>160
日頃のリズムが狂うと冷静じゃなくなるし体力も出ない、、
女性軍の生活の知恵に一本とられます。
そういえば自転車に乗る人が増えましたったね。
>>161
12日から開店、、、早い。
まだまだ電池・懐中電灯・ロウソク・が欲しい時で、食材など売ってなかったはず。
皆喜んだでしょう。
誰もクダまかないですよね、ああいう時は。
>>162
生々しい体験記ありがとう。
会社から自宅に帰った人・戻った人の被災が多かった、と聞いています。
庭に水来たのが見えてから脚立で屋根に上がるまでの時間、、、とっさの判断。
後半安心して読めました。
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- ゆきんこ
- 2012/02/10(金) 23:21:28
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自分は「ふるさと」聞くのがいやになりました
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- ゆきんこ
- 2012/02/10(金) 23:22:21
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>>183
自転車の需要は、スゴかったみたいですね
ラジオや懐中電灯も品切れ続出、電池もかなり品薄になっていた
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- ゆきんこ
- 2012/02/11(土) 00:06:37
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162つづき
津波の水は、手を伸ばせば届くところまで来ていた、少し気持ちが落ち着いたと思ったら突然
歯がガチガチ鳴り震えがとまらなくなった、妻が使い捨てカイロを、箱ごと持っていて
それで暖を取ることができた、水の量は20時ころから下がり始めた、外の様子はあまり
わからなかったが、水の流れる音 家の軋む音 時折来る揺れ強い余震 (おーい)と叫ぶ声
サイレンの音 ヘリの音 下がった水位が23時頃また上がり始めた、不安になった妻は、
泣きながら、泳いで隣の家に助けてもらおう言った しかし、もし掴まる物とかがなくて
30mも流されてしまえば、強い流れの中に引きこまれ、命はないだろうと考え妻にはサッシ窓の
あそこまで水がきたら、脱出しようと言っていたが、これ以上水位が上がってくることはなかった
長い一夜となったが朝には、だいぶ水が引き8時にふともも位の水の中をシュラフとすこしだけの
衣類をバッグに詰めて運河の土手にむかって歩いた
運河の土手を歩きながら見た光景はほんとうに、この世のものとは思えない悲惨な光景でした
泥だらけの避難してきた人々があちこちで火を燃やし暖をとっていた、流された車 点いていない信号機
何処を目的に歩いてゆくのか うつろな顔をした人々の流れ 私達はとりあえず自分の会社まで歩いて行くことにした
会社も水がきていたが、自分の車はマフラーに水が入った程度で動いた、とりあえず内陸の方に食料を調達にうごいた
途中、父の会社の従業員に合い親の安否の聞くと事務所の2階に避難して無事とのこと、食い物もってけと
お菓子をコンビニのふくろ一つもらった これはかなり助かった
つづく
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- ゆきんこ
- 2012/02/11(土) 08:57:49
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@南相馬
ちょっとうつ気味だった身内が、津波で近くの畑に流されてきた
介護施設の年寄りを多数泥の中から助け出した。
救急車も来るあてなく困ってた施設の人に好意で車を貸してやった。
その後の原発事故で車が行方不明になってしまった。
東海地方住みなのでスタットレスを履いてなかったため
3月下旬やっと車を発見したときは、新車で買って一年半の愛車が
満身創痍で傷だらけに変わり果てていた。
墓ネタかもしれないので割愛するけど、
災害時の対応って人間性が出るんだなとつくづく感じた。
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まいね
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- 青鹿
- 2012/02/11(土) 19:56:59
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>>164,171
既製品を選ぶより自分で作れ、と解しました。
>>168
自分は無事となると年とった親が心配になり電話、、人の常です。
固定電話は、ACコンセント差し込みタイプが停電しても、
局側の電源が切れるまで使えることを今回知りました。
>>172
あれだけの激震あれば、誰かと話してショックをやわらげたい。
こちらは回線オーバーフローですか。
この前はパケットの容量見積りが想定外だったと通信障害、せめてダウンする前に迂回路を、、、。
>>173
大型車両と大量物資・大人数の移動、ほんと力強かったですね。
私の知る限り2、3騎ながら1台車両で沿岸部応援に向かったグループも多いです。
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- ゆきんこ
- 2012/02/11(土) 21:29:23
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@石巻
あと1ヶ月で、一年か…
私もあとで書き込ませてください。
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まいね
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まいね
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- 青鹿
- 2012/02/12(日) 22:02:35
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前半少し良くも、再び週末に向かって寒くなりそうな週間天気です。
>>177
青森県、縁がないと被害規模を知らない人が多いと思います。
報道側も疎く、どこかの局では岩手沿岸部地図に釜石が入ってなかった頃がありました。
腹が減る、トイレに行けない、寒い、、、はできれば避けたい。
皆さんの話を聞くと、新聞は(号外と)翌朝まで届いたようですね。
遠くの話より、地元で起こった話を優先的に残すべきでは、。
>>179
レコーダーやカメラがなくても情景・心の中を描けるからね。
>>180
このまま読んでいったらとんでもない結末になるのかと、、、
ご家族無事でなにより。
>なーーんにもなかった
そのせいなのか、片づけが他の地区よりも早かったと聞いてます。
>>181
場面は違いますが、「基本的に」「多々」「癒し」が流行ってましたね。
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- ゆきんこ
- 2012/02/13(月) 00:50:45
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他県民の者ですがお邪魔させて頂きます。
地震板の方に書こうと思ったのですがあちらはなんか心ない人が荒らしているようで・・。
くだらないチラ裏なので余計に書きにくいのですが。
私と子供が歌手の趣味が似ていて、大体いつも
Acid Black Cherry(元Janne Da ArcのヴォーカリストでYasuという人のソロプロジェクト)
の曲を聴いているのですが、今日なにげなく車の中でこのグループの「シャングリラ」
という曲を流していました。
この曲はあの日の大災害以降にYasuが書いたものですが、特に大々的に宣伝もしてなくて、
(所属がavaxなのでかの国の売り出しに全力なので国内の歌手はほっとかれてますしね)
押し付けでもなく、被災地のファンの人がたまたま聴いてくれたらいいな・・と思って作ったそうです。
いかにも被災地の為に!みたいなのはウザいとご本人も十分認識してるみたいで。
それを聴いてた時に子供が突然「分かった!」と。 何の事?と聞いてみると、この歌詞の中の
『シャングリラ 輝いて 奇跡の風が吹く島へ』の部分は=奇跡の風が福島へ
『シャングリラ 目を閉じて 願いは空に愛は手に』の部分は=願いは空に岩手に、という事じゃない?と。
それを聞いた途端なんだか分からないけど涙がぶわっと出てきました。
ほんとなんだか理屈ではなくダラダラ涙が出てきました。
他県の名称も盛り込みたかったけど歌詞的に難しかったのかなと思うのですけど。
もし、機会があれば聴いてみて頂けたら・・・と思いました。
長い上に皆さんの苦労も知らない他県民のくせに書きにきてすみません。
気に障った方がいましたらごめんなさい。
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まいね
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まいね
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まいね
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- 萌きゅん89φ
- 2012/02/13(月) 03:10:18
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震災後に励まされた歌については、ほかにも書き込みされてましたし、問題ないんではないかと思います。
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- 萌きゅん89φ
- 2012/02/13(月) 03:17:42
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体験も、励まされた歌も十人十色だからね。
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- ゆきんこ
- 2012/02/13(月) 07:16:38
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@岩手釜石
釜石小学校校歌
いきいき生きる いきいき生きる
ひとりで立って まっすぐ生きる
困ったときは 目をあげて
星を目あてに まっすぐ生きる
息あるうちは いきいき生きる
状況と歌詞がそのまま。
4月の卒業式に立ち会ったけど、子供達の合唱に泣けた。
親と離れて、避難所で夜を明かしたんだものな。
無論親を亡くした子もいた。
子供達、生きていてくれてありがとうと思ったよ。
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/02/13(月) 12:03:25
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>>201
朝、歌詞読んで泣きそうになりました。以前からこの歌詞なんですよね。
海と製鉄で生きるまちの子供にぴったりのまっすぐな歌ですね。
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まいね
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まいね
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まいね
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- 恋するゆきんこちゃん
- 2012/02/13(月) 23:25:58
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186続き
どこにいってもコンビニは人の列 30分程並んで買えた食料はお菓子類のみ、その日はそれをたべて
16時くらいには車のなかで寝た 13日朝もっと遠くにと思い大崎市方面に、停電で作動していない
信号機がほとんどで走行には、かなり注意した 大崎市内も店は、ほとんどあいていない
途中ホームセンターに人の列をみつけ、ここなら生活用品も食料品も買えるかな、と並んだが入口に置いて
ある食料品の販売だけだった 停電で真っ暗で棚は崩れ危険という事だったが、店長さんに訳を言うと
店員にライト持たせて中に入って必要なもの何でもどうぞと言ってくれた さらに支払の時には大変だからと
値引きまでしてくれた 店長さんをはじめ、お店の方々あの時はほんとうにありがとうございました
店から出ると、列の前にいたご婦人が家に寄ってくださいと待っていてくれた
お茶をごちそうになり、衣類や野菜などたくさんいただいた こちらのご家族とは時々連絡を取り合い
親交が続いています この後、山形県は電気が復旧したとの情報があり新庄市に向かった
つづく
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- 恋するゆきんこちゃん
- 2012/02/13(月) 23:28:26
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八戸の新聞社も同じような募集してるね。
人それぞれ311には思うところあるからなぁ。
ttp://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/form/sinsaiepi/sinsaiepi.htm
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まいね
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- 恋するゆきんこちゃん
- 2012/02/14(火) 09:11:00
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>>203
おう、自分も涙がでた。
ありがとう。
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- 恋するゆきんこちゃん
- 2012/02/14(火) 13:35:18
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石巻大川小学校のことを、思うと、言葉にならない。あと5名…教員、子供たちが早く見つかりますように、祈っています。
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- 恋するゆきんこちゃん
- 2012/02/14(火) 13:48:09
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岩手県内陸
異常な縦揺れに立っていられず、普段なら机の下に入るところだが外へ出た。
いつもの横揺れではなく突き上げる揺れに怖くなり、2時間は家に入れなかった。
こんな強く異常な揺れなのに、どうして沿岸部では逃げてくれなかったのか、と暗澹たる気持ちになる。
だが、震源地から離れたところのほうが瓦が落ちたりものが崩れたりと「見える異常」があるので、
案外沿岸のほうは地震だけなら被害は少なかったのか?とも思う。
沿岸の人はあまり異常さを感じなかったのだろうか?
震災前の非難訓練で半数近くが参加してなかったという記事を見ていたから嫌な予感はしていたが
当たって欲しくなかった。逃げて欲しかった。
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まいね
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まいね
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- 恋するゆきんこちゃん
- 2012/02/14(火) 21:22:52
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宮城県岩沼市
地震の時はだだっ広い駐車場にいたので、物が落ちたり倒れたりの室内よりは恐怖感は薄かった。
それどころか、一種の興奮状態になり、知らない人に話し掛けたりした。そして何故かラジオを聴くとかワンセグを見る事に気が廻らなかった。
母と家に帰り、余震の恐怖の中、明るい今のうちにと家内外の片付け、そして買い出しに忙しく動く。
暗くなり、もうする事も無い中ようやく落ち着いてラジオを聴く。
各地の津波被害に初めて触れ、ようやく妙なテンションが醒め、事の重大さに気付くのはこの頃。
そして、この頃既に山元町の叔父と従兄弟は津波で亡くなっていた。
後日、夫と息子の死を知らせに来た叔母を前に母と私もぼろぼろ泣いた。
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まいね
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