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  • 2012/02/09(木) 00:00:02
@青森県八戸市
勤務中に長い揺れが続く。何度も何度も。そして停電。沿岸部に近い職場だった為、避難しようと動くものの度々くる地震に足をとられながらも皆で必要な物を持ち、車には、いつまで続くかわからない地震・停電の為、各自、布団や灯りになる物と食料をとにかく詰め込んで避難所に向かう。どの道路も渋滞。避難所も停電。小さなストーブ数台しかなかった為、お互い様だね、と見知らぬ人々と声を掛け合って暖をとりあう。
避難所には食料も毛布も何も支給されないまま2日目に。2日目の深夜に少しずつ支給され始めてきたが遅い対応にイライラし始めてした人が数人。
幸いにも職場には水がこなかったが道路1本向こうは水浸しだったらしい。
あの日、自分はトイレに行きたいと思いながら、この仕事が片付いたらトイレに、って思った矢先の地震。しばらく我慢する状況になってしまうとは思わずいつも通り過ごし、あの地震でトイレに行っておけば良かった、と後悔。
今はトイレは我慢せず、日持ち出来る食料は少しだけ非常食に回し、お風呂も入れるうちに入り、ガソリンも明日でいいか、と思わない様にしてなるべくこまめに詰める様にし、いままでの「後ででいいか」をせず、常にいつまたくるかわからない災害に備える様に心掛けてます。
避難所で見た号外の新聞に驚愕し涙したあの瞬間は忘れられません。そして電気が復旧して付けたテレビから流れる各地の映像。本当に涙が止まりませんでした。
テレビ等の報道では青森県は被災地扱いされてない様に感じますが、津波で被害があり家を無くされた方、ご家族を亡くされた方、いらっしゃいます。大きくは報道されなくても、その地域にいる自分達が後世に伝えていかなくては、と思いました。

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