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  • 2012/02/09(木) 19:10:05
宮城県名取市。仕事中でした。
ユラ…ユラ…から、グラグラ、ガタガタ、ドドドド!!!
あれ?地震?あ、強い、これやばいよ、わーわーわー!!!
バリバリバリバリ!!ガッシャン!!(ガラスが割れる)
天井からはエアコンの吹き出し口の部分がどっかんどっかんと落ちてきた。

という感じだった記憶。(古い、広い建物内にいました)
その後1時間くらい、屋外で様子見。シャツ一枚だったから超寒かった。
そして携帯でTV見てたら、仙台空港に津波がというニュース。
信じられなかった…で、うちは閖上。
海岸線からの距離的に…空港に津波が来ているってことは、うちにも来てるの?!

そのうち帰宅していいことになり、どうしようか迷った。
閖上の現状が全く分からなかったから…
ま、念のため…なんて思いで仙台の実家へ。大渋滞でいつもの10倍以上時間かかった。
実家は内陸だから津波の心配はなかった。
到着してみたら、暗闇の中両親が迎えてくれた。無事で安心した。建物もほとんど被害なし。
真っ暗闇で寒い中、余震も怖いし、茶の間に三人で厚着して毛布かぶって丸まって寝た。

翌日だったか、実家に新聞が届いた。驚いた。
一面にでかでかと閖上方面の写真。
水と火とがれきに覆われていて、見覚えのある老人ホームの一部分が残っているのが分かった。
うちはその老人ホームのすぐそば。湖のようになっていた。
ほんとに、驚いた…。

数日後、閖上に行ってみた。
たどり着くまでに…田んぼに船や車が…建物内に車が…なんていうか、茫然。
途中で進入禁止かけられたけど、歩道橋に上れたから、上ってみた。
しばらく動けなかった。がらくた(がれき)の山だった。

また数日後、行ってみた。徒歩でなら町の中まで入ることができた。
がれきでめちゃくちゃで、泥でどろどろ。
町は町じゃなくなってた。
なんとか自分の住んでたあたりまでたどり着いたけど、
だいたい家の基礎の部分しか残ってないから、「ここがどこかいまいち分からない…」状態。
同じように様子を見に来ていた人に「どのあたりだったの?」と聞かれ、「○丁目です」というと、
「あー、何にもないね…」
密かに、何かが残っていたら…って思って行ってみたんだけど、
なーーんにもなかった。

それからは実家に居候。
水が止まらなかったのは本当に助かった。
電気は1週間くらい止まった。
ガスは1か月くらい止まって、週に一回ペースで温泉に行った。

7月まで実家で世話になって、ようやく引っ越せた。
それは、支援物資を送って下さった方、義援金を募金して下さった方、
行政、個人の方、お友達、両親、色んな方に助けて頂いたおかげ。
本当に、色んな面でたくさん助けて頂いた。
心から感謝致しております。

たくさんの方、助けて頂いて、本当にありがとうございました。

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