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  • 1
  •  
  • 2007/07/21(土) 16:18:34
昔の相撲に関する古写真、古フィルムを集めましょう。

初代梅ヶ谷
ttp://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=2406
ttp://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=3345

両国大相撲 横綱小錦一人土俵入り等
ttp://www.infcam.net/video/list.php?item=MF05


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  • 208
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  • 2008/03/08(土) 17:45:28
小常陸の124ってのは眉唾っぽいなー、当時でも相当に低い159センチで
これまた当時の平均より20キロ以上太ってたってのはねえ。
俺は実際は100キロくらいだったと思うけど、まあそれでも太刀山は凄いな。

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  • 209
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  • 2008/03/10(月) 01:03:41
片手で400キロって現実的にありえるのか?

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  • 210
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  • 2008/03/11(火) 14:47:37
サンデー毎日によると大正11年の陸軍記念日の相撲のフィルムが見つかったらしい。
大ノ里と信夫山の決勝の写真が載ってた。

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  • 211
  •  
  • 2008/03/11(火) 14:51:50
http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1195626948/

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  • 212
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  • 2008/03/12(水) 03:43:08
>>210
栃木山の取組映像とか発見されなかったのかな

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  • 213
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  • 2008/03/18(火) 04:23:24
 

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  • 214
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  • 2008/03/18(火) 05:52:50
>>207>>208
そういうのは嘘だろ。麻原の空中浮遊と同じレベルの話。
>>209
それ太刀山が400キロの砲弾を片手で持って振ったという話だろ。
人間の構造上無理だ。握力が500キロあると言われるゴリラでも無理。
まず砲弾は400キロでつかめるところが無いので握力が1トンあろうが
2トンあろうが太刀山の手が普通の人間の3倍あろうが掴めない。
しかも400キロを片手で持ち上げるのは不可能だ。
両腕でバーベルを床から引き上げるデッドリフトの世界記録ですら
400キロ少し。実際は10分の一の重さの40キロの砲弾を片手で
持ち上げるのも無理だっただろうね。
昔の力士の話は嘘が多いよ。太刀山の話も400キロの砲弾を押して
転がしたとかいう話が大きくなり片手で持ち上げたになってしまった
んだろうね。


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  • 215
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  • 2008/03/18(火) 07:58:40
>>212
大正後期は無声映画全盛期で
やたらとチャンバラ映画が撮られていた時代だったが、
この期間の大相撲の取組映像がまだ見つかっていないとは意外だ。

その30年近く前の横綱小錦の土俵入り映像ですら
現存しているというのに。

>>1で栃木山が場所入りしている映像があるにもかかわらず
肝心の取組の方の映像がまだ発見されていないとはね。

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  • 216
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  • 2008/03/19(水) 03:47:58
>>214
千代の富士の優勝回数も連勝記録もあり得ない。


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  • 217
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  • 2008/03/19(水) 17:41:42
>>216
ありえる。

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  • 218
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  • 2008/03/20(木) 02:50:10
千代の富士のリンチ事件ならありえるな

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  • 219
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  • 2008/03/20(木) 17:18:40
>>215
実際に、本場所の取組を撮影しようという話があったが、
当時の権力者の出羽の海(元横綱常陸山)が反対したらしい。
理由は、「負けた力士の気持ちを考えろ」というものだった。
当時の雑誌に書かれている。

今では考えられないが、当時は撮影される事自体、慣れていなかったから、
感覚が今とは違っていたのかも。

それとは別に、栃木山や常ノ花を撮影したフィルムは、かつて相撲協会にある箱の中に存在していたらしい。
その後、戦災で焼けたのか、今は存在するのかわからないという話を本で読んだ事がある。



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  • 220
  •  
  • 2008/03/21(金) 04:12:35
>>219
?クス
大正以前の映像で残っているのは、
場所入り・土俵入りや花相撲ばかり
というのはそういうことだったのか。

本割の映像が残っているのが双葉山の連勝以降ということは、
大正以来常陸山の戒めを忠実に守っていた相撲協会も
昭和12年に日華事変が勃発したことに伴い
国民の士気高揚のために本割映像公開を求める軍部の圧力についに屈した
ということかもしれないね。

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  • 221
  •  
  • 2008/03/21(金) 19:36:32
>>220
昭和5・6年の取り組み映像は残ってるはず。
1999年の大相撲特集で流れたよ。

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  • 222
  • 219
  • 2008/03/22(土) 01:00:12
>>220
大正7年夏場所、栃木山−朝潮戦の連続写真が当時の雑誌に掲載されています。
栃木山が新横綱の場所で、朝潮に連勝を止められた一番。
説明文を見ると、活動写真にて撮影されたものとある。
少なくとも、この場所の映像は存在していたみたいです。

恐らく常陸山が反対したのは、後の相撲協会映画部のような組織的なものに対してであって、単発的な撮影まではチェックするつもりはなかったのかもしれない。
だから、今後も当時の映像がどこかで発見される可能性はあると思います。

常陸山が反対したために、当時の本場所の映像はごく僅かしか残っていないのは残念な事ではありますが、
常陸山は、負け力士の無様な姿が後世まで残り、何度も再現される事を嫌ったのだと思います。

常陸山自身は滅多に負けない大横綱でしたが、その一方で負けた力士の気持ちもちゃんとわかっていた横綱だったんですね。

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  • 223
  •  
  • 2008/03/22(土) 09:25:00
>>222
当時の雑誌とは何の何月号ですか

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  • 224
  • 219
  • 2008/03/22(土) 16:14:20
栃木山−朝潮の連続写真は、「武侠世界」大正9年1月号にあります。

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  • 225
  •  
  • 2008/03/22(土) 21:24:16
>>224
現物をチェックされたのですか!?

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  • 226
  •  
  • 2008/03/23(日) 01:30:00
国会図書館でコピーしたの

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  • 227
  •  
  • 2008/03/24(月) 01:39:42
1999年頃の中入りに明治から千代の富士時代の特集があった。
明治大正を見逃したんだけどどんな内容だったか覚えてる人いない?

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  • 228
  •  
  • 2008/03/24(月) 04:03:57
>>227
小錦・大砲・常陸山・梅ケ谷・荒岩の映像

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  • 229
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  • 2008/03/24(月) 06:14:01

栃錦現役時代のカラー映像は?


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  • 230
  •  
  • 2008/03/24(月) 23:42:58
マムシのカラーって見たことないなあ
土俵の鬼はあるけど

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  • 231
  •  
  • 2008/03/29(土) 23:34:56
>>206
負けた方の仕切り方の特徴が荒岩のと同じだから、たぶん名前が逆になってるだけだろうと思う。

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  • 232
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  • 2008/03/30(日) 00:31:25
>>229
映像は見たことがないが、写真ならカラーで残っているのがある。
仕切り姿とか、出羽錦とちゃんこを食べているところとか。

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  • 233
  •  
  • 2008/03/31(月) 14:08:45
カラー写真、カラー映像の最古は誰なんだろう。

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  • 234
  •  
  • 2008/03/31(月) 14:13:12
カラー映像は玉錦・双葉山じゃないか?

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  • 235
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  • 2008/03/31(月) 14:34:10
>>233-234
相撲のカラー映像最古はこれだな。(昭和13年名古屋準場所)
 ↓ ↓ 
http://www.youtube.com/watch?v=3drnYJZFJZQ


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  • 236
  •  
  • 2008/03/31(月) 15:13:16
その映像空襲で消失する前の名古屋城だな
準場所なんてあったんだな
何日やったんだろ

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  • 237
  •  
  • 2008/03/31(月) 15:44:03
>>236
当時の準場所は大阪と名古屋で年2回ずつ計年4回も開催されていた。
昭和13年6月の名古屋準場所は
本場所と同じ13日間で、双葉山はこの場所も全勝優勝。

ちなみに双葉山は、本場所69連勝継続中に準場所で3敗しているが、
昭和12年6月の大阪準場所5日目からは準場所でも負けなくなり、
それ以降昭和14年初場所4日目に安藝ノ海に敗れるまで
本場所・準場所通算で
何と95連勝(!)もしている。

ここまで見た
  • 238
  •  
  • 2008/03/31(月) 16:00:55
その時代は本場所東京の3場所だった?
名古屋で準場所2回もやってたのに
九州の方が先に本場所が出来たんだね

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  • 239
  •  
  • 2008/03/31(月) 16:22:33
>>238
当時の東京本場所は1月と5月の2場所だった。
これに準場所4場所の計年6場所で、
力士の忙しさ自体は今と余り変わらなかった。

おまけに夏巡業が4ヶ月もあり、
家族持ちはほとんど自宅に帰れなかった。

ちなみに東西合併後の昭和2年初場所から
春秋園事件の昭和7年初場所までは、
本場所自体が東京2回・大阪2回の計年4場所もあった。

ここまで見た
  • 240
  •  
  • 2008/03/31(月) 16:56:52
白黒で見る双葉山は既に歴史上の人物に見えるのに、
カラーで見ると途端に親近感を感じるから不思議だ。

ここまで見た
  • 241
  •  
  • 2008/04/01(火) 12:22:26
>>昔の横綱の四股の踏み方は力感があって良いね。
たぶん輪湖の頃が最後でこうゆう四股踏みは絶滅したように感じる。

ここまで見た
  • 242
  •  
  • 2008/04/01(火) 13:06:22
>>241
「荒ぶる神々を土中に封じ込める」という地鎮祭としての性格が
土俵入りに生きていた最後の時代だったね。

ここまで見た
  • 243
  •  
  • 2008/04/01(火) 13:34:27
>>241
正確には男女の川までかね。
(玉錦)双葉山以降は足を高く上げるようになった。

ここまで見た
  • 244
  •  
  • 2008/04/01(火) 16:40:03
栃錦や双葉山は土俵入りの三つ目の四股だけ昔のやり方だったよね。

ここまで見た
  • 245
  •  
  • 2008/04/01(火) 18:29:04
江戸の力士が現代に来たら、「俺たちを描いた錦絵のような体格の連中が
実際にいやがる!」って驚くだろうな。
当時、実際にあんな体型だったのは、体だけでかい看板大関か、谷風や雷電のような
例外の連中だけだったわけだし。

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  • 246
  •  
  • 2008/04/02(水) 23:48:44
流れをぶった切って悪いが、双葉山はそれほど筋肉龍でもないのに、
なんであんなに連勝できたのだろうか。足腰もそれほど大きくないのに。。
ふしぎだ 

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  • 247
  •  
  • 2008/04/03(木) 02:25:19
当時にしては重量クラスだったのと、元漁師で腰が強かったのと、
なにより体がゴムみたいに柔らかかった。
前田山の激しい突っ張りも吸収され、相手の投げ技も腰が重いから効かない。
四つになると体重差で寄れるし、腰を活かした上手投げもある。
今で言う白鵬と貴乃花をまぜたような体質と技。

でも腕力は幕内では中クラス程度だったらしい。

ここまで見た
  • 248
  •  
  • 2008/04/03(木) 02:28:10
ちなみに照國には体重負けして、自分の技が通じにくかったため分が悪かった。
稽古場では双葉山は羽黒山を圧倒してたが、怪力の持ち主の羽黒山は照國に強かった。
相性ってやつですな。


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  • 249
  •  
  • 2008/04/03(木) 03:24:16
>>247-248
>でも腕力は幕内では中クラス程度だったらしい。

玉の海梅吉氏によると、
巡業中の車中などでいくら「腕相撲をやろう」と声をかけても
双葉山だけは絶対に応じなかったそうだ。

同じく玉の海氏の回想:
「羽黒との取組はまるで岩と相撲を取っているようだったが、
双葉とのそれはまるで木と相撲を取っているようだった」

すなわち、「岩なら力の懸け方次第で転がすことも可能だが、
木をいくら寄り立てても幹や枝がゆさゆさと揺れるだけで、
根自体は地に深く食い込んでびくともしない」という例え。

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  • 250
  •  
  • 2008/04/03(木) 06:26:35
羽黒は鋳物、双葉はゴムマリっていう表現もある。

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  • 251
  •  
  • 2008/04/03(木) 07:37:28
今になって考えると、双羽黒って、
わざわざ名前負けさせるためにつけられた四股名じゃないかと
つくづく思うねw

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  • 252
  •  
  • 2008/04/03(木) 10:02:26
>>248
いまの朝青龍とやってどうだろうか?

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  • 253
  •  
  • 2008/04/03(木) 19:17:15
当時対戦した力士はこんなことを言っている。
「双葉関は圧倒的に強いとは感じない。自分よりもちょっと強いという感じ。でも勝てない。」
ドルジや千代の富士とはまた違った強さなんだろうな。

双葉関はどうしても相撲道を極めなきゃいけない理由があったんだと思う。
片目が見えないから無駄な動きをすれば隙ができる。だから最小限の動きと技で勝てるような、力にまかせない相撲を追求しなきゃならなかったんだと思う。
水は一度しか付けないとか待ったをしないというのも、双葉本人はただ無駄な動きをしないようにしていただけだと言っているみたいだし。

ここまで見た
  • 254
  •  
  • 2008/04/03(木) 20:03:28
名馬シンザンは、決して派手なぶっちぎりで勝つことはなかった。
ひょい、と差して勝つ。しかし、その「ひょい」で十分なのだ。
無駄な力は使わず余力を残して勝つかのようだったという。
後に登場したシンボリルドルフも、きっちり計ったような勝ち方で
何馬身も千切るようなことはなかった。

双葉山の強さと相通ずるものはないだろうか。

ここまで見た
  • 255
  •  
  • 2008/04/03(木) 21:22:12
>>253-254
剣の達人のみが会得できる「見切り」の境地ですな。
相手の切先を紙一重でかわし、
防御が開いたところにすかさず打ち込むという極意。

当時としては常識外れの「受け立つ立合い」も、
まずは相手の出方をよく見る必要があったからでしょう。

ここまで見た
  • 256
  •  
  • 2008/04/03(木) 21:24:48
>>248
 双葉山は照国に体重負けしたのではなく「低さ負け」していたんだと思う。
 仕切りの写真を見ると照国の仕切りはまさに「平蜘蛛」そのもの。
 それから照国は戦前は羽黒山に対しても分が悪くなかった。
 戦後の食糧難時代に体重が激減して羽黒山に連敗したため負け越している。
 それがなければこの頃は照国時代になっていたと思われる。



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  • 257
  •  
  • 2008/04/04(金) 00:58:26
カラー映像汚いな。
双葉と安芸の海の映像があれしかないのがすごく残念だ。編集前のフィルム残ってないのかな。

昔の四股といえば今弓取りしてる男女の里のそれが近くない?

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  • 258
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  • 2008/04/04(金) 01:04:21
双葉と安芸の海の映像にチラッと映る審判の親方誰?

お絵かきランド
フリックゾンビ
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