facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

  • 1
  •  
  • 2012/06/23(土) 20:31:32.19
前スレ:上代特殊仮名遣い
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1305988303/

立てた

ここまで見た
  • 372
  •  
  • 2013/09/28(土) 02:00:33.69
>>364
山口説では、音韻論的にu2の成立(u1は本源的な母音とする)についても論じてるんだが
具体的には「au>u2」と「o2u>u2」だな
これなら音韻として他の母音と独立して存在可能だったはず

それに山口説は文献時代以前の日本語にウの甲乙の存在を主張するものであって、上代日本語の時点ではu2はu1に合流したとしてる
4母音から8母音に変わる過渡期に、二重母音発祥のu2が一時的に存在した可能性はそれなりにあると思うけどな

ここまで見た
  • 373
  •  
  • 2013/09/28(土) 02:40:36.97
>>372
その説、ありとあらゆる面で詰んでるよ…

o2u…有坂法則第2原則違反
au+o2u→u2合流…有坂法則第3原則違反
au→u2…調音点からして、常識的に考えて、立つならo3またはe3。さらに森7推定音声と全く不調和。

何もかもが駄目すぎて、拾いようがないように見える。
森復元音声で、aが後舌であると提唱され、これが有坂法則と平仄が取れることまでわかった以上、
この説はほぼ全ての命脈を絶たれてるw

ここまで見た
  • 374
  •  
  • 2013/09/28(土) 06:55:27.20
>>371
エ甲のほうが広舌なのはなんでだっけ。森推定音を素直にプロットすると370になりそうなんだけど
東国方言でエ甲はアと、エ乙はオ乙と混同されやすいから?

ここまで見た
  • 375
  •  
  • 2013/09/28(土) 09:20:01.49
aとo2が同一語根内で並存しないのって一種の母音調和だよね?

ここまで見た
  • 376
  •  
  • 2013/09/28(土) 14:41:51.41
>>373
有坂の法則は同一単語(これも何を言い表してるのか曖昧だけど)の中だけで結合則が決まってるってだけで
複合語の場合にはo2+uもありうるんじゃない?

例えば上一段活用はo2あるいはuで終わる音が語根だったと推定されるけど
この終止形はo2+う(居)あるいはu+う(居)だと思われる

更に、東国方言で思い出したけど、東国では終止形は-u、連体形は-o1の形だったんで
畿内と東国が別れる前は終止形-u1、連体形-u2だったのかもしれない。

ここまで見た
  • 377
  •  
  • 2013/09/28(土) 15:06:00.28
>>373
上代日本語の分析からは山口説は否定できないでしょ
有坂法則は上代日本語時点での規則であって、それ以前の時代に当てはまるかは分からない
例えばかつてo2uとauがあったとしても、それがu2になって更にuに合流したとしたら、上代日本語時点では有坂法則が成り立つことになる
4母音時代には重母音が豊富に存在したと思われるけど、その中にはo2uもあったはず

ここまで見た
  • 378
  •  
  • 2013/09/28(土) 15:07:44.49
上二段?

ここまで見た
  • 379
  •  
  • 2013/09/28(土) 15:10:26.83
イ乙とオ乙が中舌だとして、どうしてイのほうは前舌のほうの母音と合流してオのほうは後舌のほうの母音と合流したんすか?
両方後舌のほうにいったり、合流先が7:3で前後に割れたりしないんすか?

ここまで見た
  • 380
  •  
  • 2013/09/28(土) 15:59:26.01
>>379
確かに上代特殊仮名遣いは合流過程がキモい。
特にオ段は量が多い方の乙音が少ない方の甲音に吸収されていくんだから
何か特別な理由がないとこの説明はできないと思う

2つのエ段音に邪魔されてオ乙が前舌音に移行できなかったのかな??

>>378
上二段だった。失礼。

ここまで見た
  • 381
  •  
  • 2013/09/28(土) 18:59:06.97
>>380
オ乙の発音は元々eだったと思う
でも後からエ甲乙が生まれたんだから、奈良時代には既にoに近い音に変化してたんでしょ

ここまで見た
  • 382
  •  
  • 2013/09/28(土) 21:04:18.37
俺もオ乙はeだった説だわ
前スレにも書いたけど、有坂法則でオ甲←→オ乙の対立が一番強いことから
オ甲は二次的な音じゃなくて昔からある単母音だという推論から

狭舌 イ甲-ウ
中舌 オ乙-オ甲
広舌 ア

この形を再興してみた。これだとどう考えてもオ乙の音価は/e/

ここまで見た
  • 383
  •  
  • 2013/09/28(土) 21:20:02.74
オ乙とオ甲を対立的に見るのは
オ乙同士は結合するけどオ甲同士はほとんど結合しない、というのがなあ

ここまで見た
  • 384
  •  
  • 2013/09/28(土) 23:32:03.42
そこは謎だな。オ甲の出現率が低いのと同様に。

ここまで見た
  • 385
  •  
  • 2013/09/29(日) 13:19:20.11
むしろ、オ甲の成立がイ乙エ甲エ乙よりかなり早かったというのはどうだろう
日本語の本源的な母音はa,i(i1),u,e(o2)の4つなんだけど、日本語が成立してしばらく後にo1が先に出現したという考え
元々4母音であったことはAN祖語の母音と4母音説で推定される音韻が綺麗にa,i,u,eで一致することからも正しいと思われるが、
日本語と同じくAN語から分岐して開音節言語となったポリネシア語族ではoが発生して日本語と同じく5母音になってるんだよ
前スレでも4母音体系から5母音体系への推移はあり得ないって言ってる人がいたけど、ポリネシア語という実例があるんだよね
a,i,u,e→a,i,u,o2,o1→a,i1,i2,u,e1,e2,o1,o2という推移を主張してみる
これなら、>>382-383で上がった問題点を包括的に解消出来るよね

ここまで見た
  • 386
  •  
  • 2013/09/29(日) 14:41:24.67
>>385
俺自身は反対なんだけど、言いたいことはわかる。というか、AN語を比較しながら見てると、その発想になるよね。

aiu古e→ oが発生 → 古eが流浪の旅に出る → 新eが発生 → 古eが居場所がなくなる → どっかに吸収されてa新eiou

フィリピンやマレー系の言語をみてると、大体こんな感じ。確かにトリガーはoの発生に見える。
ここでいう古eの「音価のぶれ」というか、所在なげな流浪っぷりは、普遍的なんだよなあ。
日本語のオ乙もどうやらそうだし、(関係あるかどうかは分からないけど)朝鮮語のeuもそう。
aと伍して母音調和の主幹を担う、超主要母音であるにも関わらず、
正確な文献が残る1世紀間だけでも、
@\ → 7 → O → V (x-sampa表記)
これだけぶれてる。
漢字音からの類推だと、この古音はどうやらeなので、一体どんだけ流浪してるんだよ?という話。

ここまで見た
  • 387
  •  
  • 2013/09/29(日) 15:27:12.37
euじゃなくてeoでは?

ここまで見た
  • 388
  •  
  • 2013/09/29(日) 17:06:07.91
朝鮮語のeu(eo?)が@\だったっていうのはどの文献に出てるの?

ここまで見た
  • 389
  •  
  • 2013/09/29(日) 18:41:41.70
aiue のところにoが出現したらaiueoの5母音で安定するだけで、
だいぶあとに新eが来ても旧eに食われて5母音が維持される方が自然だろう。
なぜe(オ乙)が後舌に寄るのか。
o出現のときにすでにeが後舌化していたなら、
新o(o1)と旧o(o2)が旧のほうに同化されてオの甲乙の別はたもたれないと思う。
eが半端に中舌あたりに来ている段階で新たにoが出現したら、
やっぱり新oの影響で旧o(中舌)がいっせいに後舌化するか、新oと差を作るためにeにもどるかする可能性が高い。

オ乙を初め前舌と仮定してその音価を移動させるのは、強引な感がいなめない。

ここまで見た
  • 390
  •  
  • 2013/09/29(日) 20:15:40.96
>>385
すると日本語の母音の動きとしては

AN祖語時代 : ieau
五母音時代(1) : uあたりからoが発生、ieaou
母音調和時代 : [i]中性母音 [e]前舌母音 [aou]後舌母音にカテゴリわけ
(ココらへんからeがəになっていく)
-iによる造語時代 : やたらに母音が衝突、ai→e2、ui・əi→i2、ia→e1が生まれる
五母音時代(2) : 母音が整理され、ieaouに戻る

っていう流れなのかな?オ乙の遊離は母音調和の時代に原因がありそうな気がしてきた
ちなみにこの流れの続きは

長音開合時代 : au→ɔ ou→oという2つの母音が生まれ、長音だけ六母音に
五母音時代 : 母音が整理され、みたびieaouに戻る

っていう感じかな?なぜかuがɯになっているけど

ここまで見た
  • 391
  •  
  • 2013/09/29(日) 23:47:53.94
朝鮮語は百済語が元になったもの
新羅語じゃない

http://music.geocities.jp/konatarosu/Hakusonkou/7shou.html

ここまで見た
  • 392
  •  
  • 2013/09/30(月) 05:58:32.27
また前スレでも暴れまわった藤井説か

・オ甲乙は意味の弁別に役立っており異音ではない
・朝鮮語┤は漢字音から見ると古くは/e/だった

ここらへんの反論を何回も見てきただろうに・・・

ここまで見た
  • 393
  •  
  • 2013/09/30(月) 06:10:19.51
>>390
その五母音時代(1)というのは粗くいって西暦何世紀ごろを想定で?
-iによる造語時代の後半の連母音の融合が完全に終わったのが
奈良時代より少し前だからたとえば西暦600としますわ。
で連母音の融合の開始が西暦500年としますわ。で母音調和時代が200年つづいて西暦300年ですわ。
五母音時代1は西暦100年とか紀元前の話になりますがもっと前ですか?

ここまで見た
  • 394
  •  
  • 2013/09/30(月) 07:15:55.20
ㅓ が /e/ に対応するというのには疑問もあるらしい
ㅕ のほうが本当に /e/ に対応する母音で、ㅓ 自体は /ə/ だったとする説もあるとのこと

ㅕ も /jə/ だったが、半母音の影響で前舌化して [je] になっていたため、
漢字音の /e/ の転写に使われたのではないかとのこと

서 저 처 のような音節ではㅓ がエ段に対応するように見えるが、
これらの子音の後では半母音が失われたので、本来は 셔 져 쳐 だったものがエ段に対応するものだそうだ

元々 ㅓ のものを見ると、確かにエ段だけでなくオ段に対応するもののほうが多いので、
単純に漢字音で /e/ に対応するから古形はエ段だと即断はできなさそう

ここまで見た
  • 395
  •  
  • 2013/09/30(月) 13:14:42.57
>>390
村山説を支持する立場からすると、その流れは少しおかしいように感じる
この説では-iはAN祖語の他動詞形成接辞を継承したものということになるんだけど、それだと五母音時代と母音調和時代には機能していなかった-iが突然ある時期に復活したことになってしまう
一応、-iに関してはアルタイ語起源の接辞-riがルーツである可能性もあるけど、-riが起源であるとするとrが語中で消失したと考えなければならなくなる
朝鮮語では三国時代から高麗時代の間に実際に語中の-riが消失してるから日本語でも同じ変化が起きたと考えてもいいけど、それだと今度は-るで終わる動詞が何故あるのかが説明出来ない

>>385の祖語の4母音だった状態から一度5母音になった時代が存在するという説には賛成なんだが、それ以降の推移に関しては今挙げた問題点を解決出来るアイデアが思いつかないから難しいな

ここまで見た
  • 396
  •  
  • 2013/09/30(月) 13:15:31.96
訂正

× 語中の-riが消失
○ iが後続するrが消失

ここまで見た
  • 397
  •  
  • 2013/09/30(月) 20:32:15.30
>>394
wikipediaで朝鮮漢字音をしらべてみたけど┤はオ段に対応するもののほうが多い、なんてことはなかったよ?
どこらへんの情報?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%BC%A2%E5%AD%97%E9%9F%B3

伊藤智ゆきは文庫本がないんで入手する気にならん。。。

ちなみに
・古代朝鮮語ではeに相当する語がないためəとその複合音を当てて代用していた
・上代特殊仮名遣いは古代朝鮮語の話者が条件異音を聞き取った
この両方を主張するのなら、上代特殊仮名遣いのうちエ甲乙とオ乙が混乱している箇所をみつけないとダメだと思う。

ここまで見た
  • 398
  •  
  • 2013/09/30(月) 21:24:41.16
>>395
> この説では-iはAN祖語の他動詞形成接辞を継承したものということになるんだけど、

それ本当に正しいの?
パッと思いつくだけでも 起こす(o2ko2) 起きる(o2ko2 -i)みたいに
むしろ-iがつくのが自動詞のやつが見つかるんだけど

ここまで見た
  • 399
  •  
  • 2013/09/30(月) 23:09:52.04
>>398
AN語族(特にオセアニア諸語)では、祖語起源の-iは言語によってかなり多彩な挙動を示してる
そのことから考えると、日本語で-iが単なる動詞形成接辞に変化してもおかしくない

ここまで見た
  • 400
  •  
  • 2013/09/30(月) 23:20:24.76
>さて、高句麗・百済・新羅の三国の民衆の言語をそれぞれ高句麗語・百済語・新羅語と呼んだ場合、朝鮮語学者は「中世・現代標準朝鮮語は新羅語の後裔」と事も無げに言う。
>しかし、この命題は「朝鮮民族を初めて政治的に統一したのが新羅だった」という歴史的根拠だけに基づくもので、言語学的な根拠は限りなくゼロに近い。
>なぜなら、7世紀以往の高句麗語・百済語・新羅語の異同を論じられるほどの言語資料は残っていないのである。
>ある程度まとまった資料があるのはこの12世紀、高麗朝時代までである。
>ここで注意が必要なのは、高麗朝は京畿道の開京(開城)、李朝も京畿道の漢陽(ソウル)を首都としており、そこは三国時代には百済と高句麗が取り合いをしていた地域、三韓時代には馬韓地方に属する、ということである。
>特に『華夷訳語朝鮮館訳語』『鶏林類事』を著した中国人外交官が首都以外に住んでいたわけがなく、これら李朝・高麗朝時代に編纂された資料は、首都のある京畿道方言≒百済語≒馬韓方言を「標準朝鮮語」と見なして書かれているのである。

ここまで見た
  • 401
  •  
  • 2013/09/30(月) 23:21:13.72
>上述のように、高麗朝の『鶏林類事』以降の資料は、京畿道方言を標準朝鮮語と見なしていることは明らかであり、現代標準朝鮮語がその後裔であることは疑いない。
>そして、この京畿道は三国時代には百済と高句麗の係争の地であり、三韓時代には馬韓地方である。
>そして、後に新羅となる辰韓は三韓時代に既に後「言語法俗與馬韓不同」、すなわち馬韓とは方言差があった。
>では馬韓方言と辰韓方言を話す人間がどちらが多かったかというと、魏志によれば、馬韓は「大國萬餘家、小國數千家、總十萬餘戸」であるのに対し、弁辰(弁韓と辰韓)は「弁、辰合二十四國、大國四五千家、小國六七百家、總四五萬戸」でしかない。
>また、辰韓の人口を、上述のように辰韓とは別の方言を話していたと思われる全羅道(弁韓)を除いて三万戸と仮定すれば、辰韓方言話者は馬韓方言話者の三分の一程度に過ぎない。
>食料の移入・輸入が困難であった前近代農耕民社会の人口は、耕地面積によって規定されるのであり、三韓から三国時代、統一新羅時代、高麗時代、李朝時代と時代とともに人口は増えたとしても、馬韓方言話者と辰韓方言話者の比率は変わらなかったはずである。
>従って、方言人口の面から見れば、朝鮮語を代表する方言は馬韓方言、即ち百済語である。

ここまで見た
  • 402
  •  
  • 2013/09/30(月) 23:22:40.76
>「新羅は旧百済・高句麗地域の支配の為に、新羅語(辰韓方言)を話す役人や兵士を送り込んだはずであり、そこから新羅語は全域に広がったはず」などと言うかもしれないが、もともと辰韓方言話者は馬韓方言話者の三分の一しかいないのである。
>旧百済・高句麗地域支配の為に送り込まれた者など、さらにその何分の一かであって、その地域の総人口から見れば微々たるもの、その程度のことで地域全体の方言が変わったりはしない。
>京都出身の細川家に200年以上支配された熊本の民衆が京都弁を話していないのを見れば明らかである。
>もし、現在の標準朝鮮語、最も方言人口の多い中部方言が新羅語(辰韓方言)の後裔だと言うのであれば、新羅は統一後に

>?辰韓地域と馬韓地域の住民の総取り替えを行った
>?馬韓(百済)地域の住民を皆殺しにするか、全て域外に追放し、その跡地に新羅の住民を移住させ、その後に現在の方言差が生じた

>と考えるしかないが、新羅がそんなことを行った形跡は全くない。  
>テレビもラジオも義務教育もない前近代社会においては、政治権力が変わったからといって、新政権が異言語・異方言を話す新住民を大量に送り込んだり、土着の住民の皆殺しや強制移住・追放などを行わない限り、
>土着の住民は先祖伝来の言語・方言をそのまま話し続けるのであり、新羅がそんなことを行った形跡がない以上、高麗朝以降の中世・現代標準朝鮮語の祖は百済語・馬韓方言だと考えるしかない。

これに反論するのは不可能だろ
朝鮮語が新羅起源ではなく百済起源なのは明らか

ここまで見た
  • 403
  •  
  • 2013/09/30(月) 23:27:14.99
うーん、o1先行による6→5体系の試論は、どうも今ひとつだなあ。
さすがに、ちょっと無理があるんじゃないかね。

俺は結構素朴に考えている。次のような感じ。議論としては「プレ時代699説」になる。
古いeを暫定的に@で示す。音韻は何も挟まず、音声はxsampaを使い[ ]で挟むことにする。

1 祖語4母音:a[A] i[i] u[u] @[@\]
 素直に、母音三角形としてはY字型を想定する。

1+ 有坂法則の意味
 ウラルアルタイ的母音調和というより、順逆双方の同化現象の中で、@が仲間はずれにされたことではないか。
 Y字型の中で、@だけが中間点にある。つまり、安定頂点音3+中間音1という感覚。

2 中間音が形成されて7母音:a[A] i[i] u[u] @[@\] y[1] e[e] o[o]
 これは、Yの頂点を結ぶ ▽型の各辺の中点3つに、母音連続による中間音が生じた、と単純な内在変化で考える。
 この形は、現存する言語では、標準インドネシア語と同じ。

3 エ甲が加わり原型の8母音(699説):a[A] i[i] u[u] @[@\] y[1] e[e] o[o] ae[{]
 前舌側にもう一つ中間音が加わる。なぜこの形が許されるのか?といえば、
 下顎は円弧型に動くため、母音三角形は、音声上は「左片のほうが長い」から。
 従来の万葉仮名との対応で言えば、
 ア=a[A] イ甲=i[i] ウ=u[u] オ乙=@[@\] イ乙=y[1] エ乙=e[e] オ甲=o[o] エ乙=ae[{]

4 aeの高舌化による、中段に4つ母音が並ぶ8世紀畿内語通説。あとは通説に同じ。

ここまで見た
  • 404
  •  
  • 2013/09/30(月) 23:30:25.97
言語の乗り換えを完全否定キタw
それもしかして藤井が言ってるの?

ここまで見た
  • 405
  •  
  • 2013/09/30(月) 23:39:50.76
403訂正および補足。
2は、標準インドネシア語と同じではないね。インドネシア語には、高舌の中間音がない。

祖語の4母音というのは、3母音+1母音という内在的対立を抱えていたのではないか。
これがAN祖語と同源なのかどうかは、正直分からない。
基本的には@は「仲間はずれ」だった。しかし、接辞として-iが頻発した結果、これとは結びつかざるをえない。
そこで、@iを除いて、Y字自体の内部では、母音連続を持たないことになる。

他方、3母音体系は、母音融合時に、はみでた中間音を発生させやすい数学的性質を持つ。
だから、3母音それぞれの中点、つまり▽の中点について、3つ中間音が発生して、合計7母音になった。
ここは、素朴に幾何学的に考えて、3つの中間音を導けば良い。

メカニズム的にはこんな感じ。いかがだろうか。

ここまで見た
  • 406
  •  
  • 2013/10/01(火) 02:20:39.75
3の段階でのエ乙の発生の由来はなんですか?
これも連母音融合?

ここまで見た
  • 407
  •  
  • 2013/10/01(火) 02:47:15.35
>>385だけど、俺がオ甲の成立が早かったんじゃないかと考えるのは>>386が挙げてくれたAN語的な目線の他にも理由があったりする
i2,e1,e2は母音融合で生まれたとされてるけど、(定説では)o1はuの低舌化で生まれたとされてるんだよね
二重母音由来であるi2,e1,e2がほぼ同時期に生まれたと考えるのは分かるけど、母音融合が原因じゃないo1までがi2,e1,e2と同時に生まれたと考える根拠は無いと思う

ここまで見た
  • 408
  •  
  • 2013/10/01(火) 05:50:36.61
>>399
-iは被覆/露出形の対立のように名詞化接辞でもあるように見えるんだけど
これも他動詞形成接辞から出てきた?ちょっと強引じゃない?

-iに機能が多すぎて、俺としては-C(任意の子音)iという接辞の子音部分が弱化して同じ-iになったように見える
候補としてはlとかngとsとかかか?

ここまで見た
  • 409
  •  
  • 2013/10/01(火) 05:58:24.07
>>403
有坂法則にオ甲が含まれていて、しかもそれが例外なしの結構強い法則だからこそのオ甲先行切なんですがそれは

ここまで見た
  • 410
  •  
  • 2013/10/01(火) 07:04:16.72
>>400-402
言語学的な根拠もあるよ
地名により復元される形態素の中で後の朝鮮語に明らかに繋がるものが結構ある。

また、吏読では助詞や動詞語尾などが新羅語の漢字表記で書かれるが、
これが中期朝鮮語のものとかなり一致することからも、言語的に新羅語が中期朝鮮語に繋がることは明らか。

ウィキペにある例を示すと

      新羅語     中期朝鮮語
・格語尾
主格   伊・是      -i
属格   衣・矣      -ʌi/-ɯi
      叱         -s
対格   乙         -r, -rʌr / -rɯr, -ʌr / -ɯr
処格   中・良中     -ai/-əi (吏読ではhʌi/ahʌi)
具格   留        -ro, -ʌro/ɯro
共格   果        -wa/-kwa
呼格   良・也      -a/-ja

・副語尾
      隠        -n, nʌn/nɯn, ʌn/ɯn
      置        -to

ここまで見た
  • 411
  •  
  • 2013/10/01(火) 07:08:15.13
・用言語尾
終止形  如        -ta
      古        -ko
連体形  尸        -r
      隠        -n
      期        -ʌn
接続形  古・遣      -ko
      弥        -mjə
      良        -a/-ə
      如可       -taka

接尾辞
尊敬   賜        -si-
謙譲   白        -sʌβ-

新羅語に関しては比較的資料が豊富だから、特に吏読に残りやすい文法的要素(助詞など)はかなり分かっている。
そしてそれが中期朝鮮語と相当一致することから、新羅語が中期朝鮮語に繋がる言語であることは疑いようもない。
その間に数は少ないが高麗語の資料もあり、変化の経過をある程度追うこともできる。

百済語、高句麗語に関しては地名などからの僅かな形態素しか分かっていないが、新羅語とはかなり違っており、
現代朝鮮語には繋がりそうにない。
これらの言語には日本語との類似も指摘されているが、新羅語にはそのようなことはない。

ここまで見た
  • 412
  •  
  • 2013/10/01(火) 12:56:11.31
>>408
例えばオセアニア諸語にはAN祖語から継承した-iが形容詞形成接辞に変化してる言語もある
それくらいに幅広い変化を示してる接辞だから、名詞化接辞に変化することすら不自然ではない

-Ciを想定するなら、他言語との比較から導ける候補はアルタイ語の-riくらいだろう
実際、村山は四段動詞の活用語尾のルーツを-riだと推定してる
だがそれだと、>>395で指摘したように何故rが消滅した場合と消滅してない場合とがあるのかが全く分からないんだよな…

ここまで見た
  • 413
  •  
  • 2013/10/01(火) 20:26:36.64
>>412
-riと-iの変化は、上代によく見られたル・ラル=ユ・ラユの交替とか、命令接辞ロ=ヨの交替とかを想定させるな・・・
東国と畿内の差かな・・・?

ここまで見た
  • 414
  •  
  • 2013/10/01(火) 20:58:21.97
>>409
403は、その話の解決試案でもあるよ。ポイントは、
「有坂法則を、ウラルアルタイ的な母音調和ではなく、順逆自在の同化現象と理解する」ところにある。

此処から先は、俺もまだ抽象論の段階だが、ちょっと披露してみることにする。
aiu@のY字型4母音体系と、その頂点を結ぶ▽の中点に中間音が発生したとして、
o1つまり「辺auの中点」だけが特異になる点は、「@とも、iとも、直接関係を持ち得ない」という点にある。

一見大きく@と対立するかに見えるaやu本体(頂点母音)のほうが、
実は、@自体と「Y部分の線分(三角形内部の線分)」で結ばれている。

さらにiは、@と結ばれているのみならず、文法上特異な働きをするためだと思われるが、
有坂法則の上でも「中性化」されて結合無双状態になっている。

ところが、o1は、@とも結ばれていないし、iとも直接結ばれていない。
この点は、原始4母音どれとも違うし、他の中間音2つとも違う。

抽象的に考えて、二次的に発生したo1は、@と一番「縁遠い」ということになる。
有坂法則でo1関連が厳格に現れる理由は、これに尽きるのではないかと思う。
具体例をもう少し挙げないと、説得力は持たないだろうけどね。

ここまで見た
  • 415
  •  
  • 2013/10/01(火) 22:00:53.36
>>393
魏志倭人伝の人名・地名にeがほとんど現れないことから、AD0〜300年あたりまでは母音調和時代〜五母音時代(2)の間じゃないかな
「難升米」みたいな固有名詞も現れるけどコレどう見ても再構形は「nasimai」だろ

ここまで見た
  • 416
  •  
  • 2013/10/01(火) 22:02:01.62
失礼、母音調和時代から〜iによる造語時代だった

ここまで見た
  • 417
  •  
  • 2013/10/01(火) 22:43:27.09
疑問なんだけど魏志倭人伝の時代まで遡った漢字音の再構ってどのくらい正確なの?
もし漢字音を再構するときに倭人語の地名や人名も参考にしてるなら
それは循環論法ってやつになるよね
そのへんの正確性は梵語とかが担保してるのかな?

ここまで見た
  • 418
  •  
  • 2013/10/01(火) 23:03:50.96
中古音に関しては諸方言の漢字音の祖形(?語はそれよりやや古く分岐)と見なせるし、
日本語、朝鮮語、ベトナム語の漢字音も参照できるし、かなり精度は高く、学者の間での差異も比較的少ないはず
ただ、『切韻』のものは6〜7世紀の体系だから、魏志倭人伝の時代とは開きがある

上古音だと学者による差がかなり大きくて、確度が高いとは言いがたい
『詩経』だと紀元前11〜6世紀だから、擬似倭人伝よりも相当前

擬似倭人伝は両者の中間の時代だけど、どういう漢字音だったかは説が分かれるはず
上古音から中古音の間にどのような過程を経て変化したんだろうか?

ここまで見た
  • 419
  •  
  • 2013/10/02(水) 00:43:22.16
>>410-411
>三国時代にまで遡れる言語資料は、高麗朝時代に編纂された『三国史記』(金富軾 1145年)、『三国遺事』(仏僧「一然」編 13世紀末)などの史書に残る人名・地名などが殆どであり、文法・語彙・発音などのなどがわかる資料は、
>『三国遺事』に14首、『大華厳首座円通両重大師均如伝』(通称『均如伝』 1075)に11首、合計25首残る「郷歌」という歌謡だけなのである。
>「郷歌」というのは次のようなものである。

(中略)

>一見漢文のように見えるが、下線部分は朝鮮式借音仮名で書かれた助詞や活用語尾などである。
>例えば、「隠」は「〜は」に当たる助詞の「은」、「乙」は「〜を」に当たる「을」、「古」は「〜て」に当たる助詞の「고」である(と解されている)。
>そして、名詞や動詞・形容詞の語幹部分、「東京」「明」「月」などは漢字の意味を生かして「訓読み」にしたはずであるが、これらを実際にどう発音したのかはわからない。
>そして、『三国遺事』『均如伝』に収録されている25首の郷歌は全て「新羅」の歌であり、これらの助詞や活用語尾は中世・現代朝鮮語で理解できることから、「中世・現代標準朝鮮語の祖は新羅語」という命題の唯一の言語学的根拠となっている。

>しかし、それは論理の飛躍であり、ここから確実に言えることは「新羅語は朝鮮語の枠内の言語であった」ということだけであり、百済語や高句麗地域の朝鮮語と比較してのことでない以上、それ以上のことは言えない。

ここまで見た
  • 420
  •  
  • 2013/10/02(水) 00:47:46.81
>>410-411
>では、三国時代の百済語や高句麗地域の朝鮮語の資料はというと、『三国史記』の「地理史」に出てくる地名から数十語が知られるのみなのである。
>統一新羅時代の757年に、政令によって朝鮮固有語の地名が漢字二字の漢風に改められたが、その改名は朝鮮語地名を漢字で意訳する形で行われ、「地理志」にはその由来が書かれている。
>例えば、元は固有語で「水の谷」/mul-tan/と呼ばれていた場所が、漢字で「水谷」/수곡/と改められた、と言う風に。
>但し、その元となった朝鮮固有語もまた朝鮮式の借音仮名で書かれており、それをどう発音したかもまた正確にはわからないのである。

>このように、三国時代の新羅語の資料が残っているといっても、たった25首の「郷歌」だけであり、
>まして百済語や高句麗地域の朝鮮語の資料など、『記紀万葉』に膨大な資料がある同時代の日本語に比べれば「無いに等しい」のであり、「中世・現代標準朝鮮語の祖は新羅語」などと言う命題は、資料では確かめようがないのである。
>資料で確かめようの無いことは、歴史や言語社会学的に考察してゆくしたkない。

>上述のように、高麗朝の『鶏林類事』以降の資料は、京畿道方言を標準朝鮮語と見なしていることは明らかであり、現代標準朝鮮語がその後裔であることは疑いない。
>そして、この京畿道は三国時代には百済と高句麗の係争の地であり、三韓時代には馬韓地方である。


高句麗語は中期朝鮮語ともそれなりの類似が見られる
pahei>pahoiやpatan>patahなどだ
このことからも、朝鮮語の新羅語起源説に何の根拠も無いことは明らか

ここまで見た
  • 421
  •  
  • 2013/10/02(水) 00:57:11.57
>>410-411
結論は否定しないけど(統一新羅300年あるし、その後の高麗が中身は新羅の承継だ)

こうやって見ると、イ・ヨンヒや藤村由加の電波本というのは、
本当に、自画像の投影そのものなんだな。
どう読んだら良いのか、根拠が実にあやふやなのは、大和の万葉集ではなく、新羅の郷歌なんだよなあ。
ちょっとした文才と想像力があれば、名古屋弁や茨城弁などの個性的方言を使って、
余裕で「郷歌は読める」んじゃないだろうか。
日本全国各地、いろんな方言で新羅郷歌を読んだら、何かと楽しそうだな。
仏を称える歌のはずが、「茨城のヤンキーが、集団珍走したあとみんなで青姦した」なんて意味になったりしてww

ここまで見た
  • 422
  •  
  • 2013/10/02(水) 01:36:43.60
電波ゆんゆんの長文コピペは藤井某君の自画像だったりしてw

砂時計アラームタイマー
フリックラーニング
ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード