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  • 2013/09/25(水) 23:25:06.15
>>355>>357-358
この議論は何なのだ…?

江戸時代の国学ならいざしらず、音素(音韻)と音声という
近代言語学のツールを持っている俺らにとっては、
「野は、ヌ乙なのかノ甲なのか?」という議論は、もはや何の意味もないはずなんだけど。
山口佳紀は、かつての渾然一体とした国文学者というより、ただの古典文学者なので、
言語史とは本来無関係な「用字法に関する、あまり意味のない議論」をしているだけだと思う。
本来、甲乙論というのはここに始まるのだけど、
これだけ議論ツールが揃うと、ただの文学者の訓詁の出番は、この点ではなくなってしまう。

8世紀の畿内語を考える上で、/no1/が/nu/と弁別される音素としてたち得るか?
という議論は、当然あるけどね。355の質問の趣旨自体は、俺は問題なく理解できるんだけど、
357の受け方が変過ぎる。

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