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  • 40
  •  
  • 2007/07/29(日) 14:32:48
>>38 なんのことかよく分かりません

>>39 綱の結び方について本を見てみました。江戸時代は簡単に後ろで
左右の2本の端をまとめ普通に結んでいたようです。従って錦絵を見ると
向かって右にわっかが、左に2本の端が見えます(左右逆もある)。
輪は一重ですが、今の雲竜型のように真後ろでなく横になっています。
不知火諾右衛門の土俵入りの錦絵で後ろ向きのものがありそれを見ると
分りやすい。

明治に入り写真があるが、後ろ向きのものは太刀山の写真しか見た事がない。
大砲の写真ではわっかは2つあるかもしれない。いまの不知火型の輪に近いのかもしれない。
(錦絵では江戸時代の結び方)。若嶋の写真では輪が大きく真後ろにあるのが分る。今の
雲竜型の輪に近いかもしれない。しかし錦絵ではやはり従来の江戸時代方の
綱の結び方。

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