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  • 2007/03/08(木) 12:13:40
他の科目の教師だが、現代文だけは絶対に教える自信がない

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  • 2008/05/01(木) 02:39:58
言語科と文学鑑賞科に分割してはどうか

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  • 2008/06/12(木) 19:45:40
生徒に読ませて特定の価値観を押し付けるだけじゃん

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  • 88
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  • 2008/07/07(月) 14:46:58
現代文の授業は意味ない
俺も高一まではそう思ってたな…
高二の教師は神懸かってたから有意義な授業を受けれたけど

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  • 89
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  • 2008/07/09(水) 00:15:01
現代文って寝てたってテスト何とかなるもんな。ノート書き写しなど
無意味。疲れるだけ

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  • 2008/11/04(火) 15:00:25
現代文は教科書の作品の解説のみ
国語の教師は、頭がちょっとという人が多かった

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  • 91
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  • 2008/11/05(水) 10:31:28
ビデオ君の国語力じゃあね。

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  • 2009/01/26(月) 23:52:52
ビデオって誰だよ

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  • 2009/02/20(金) 08:54:13
現国は教える先生にもよるよ
例えば「こころ」の授業ひとつでもきっちりやってくれる先生はとことんやってくれるんだけど、
友人のクラス担当のもう一人の先生は「退屈だけど頑張って読めよー」とか言ったらしい…

知識を得ようと思わないで(得た方がいいんだろうけど)、頭を使う事を目的にやれば有意義になるんじゃないかって思うんだけどなー…

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  • 94
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  • 2009/05/04(月) 17:27:47
現代文は重要だ

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  • 95
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  • 2009/05/19(火) 02:06:08
>>86
そのとおりだと思うけど、言語運用自体が時代の文芸表現で刻々と変わっていく。
つまり、冗談ではなく、今の女子高生らのワケのわからんメール文法(小文字活用とか顔文字とか)
が、将来そのうち一般的言語運用に入ってくるということだ。

ほんとーに、このスレタイは意義深い!w



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  • 96
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  • 2009/09/02(水) 03:18:23
現代文は難しすぎて教員もよく分からないことがあるよな。
受験で言えば東大の現代文の解答は各予備校でてんでバラバラ。赤本に至っては明らかな誤答。
間違いだらけの教え方も流布してるし、一体これからの現代文教育は……

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  • 97
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  • 2009/09/02(水) 03:31:36
そもそも国語科で文学を教える必要があるのか
文学は芸術というくくりに含めることができるから、国語科で教えるべきでないと思う

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  • 98
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  • 2009/09/02(水) 04:16:38
小説の授業はお通夜状態

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  • 99
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  • 2009/09/02(水) 05:19:08
>>97
私も同意見だ。
美術の鑑賞をさせてその感想に正解をつくって当てさせているのに近い感覚。

現代文が古文と対応した科目であるならば、現在の文法や活用、読解方法、現代文学史に重点を置くべきだと思う。

答が憶測、推測の域をでないからである。
入試などに使うならば、私見や絶対性に欠けるものは好ましくない。やはり文法等にすべきかと思う。

ただ、日本文学を美術として鑑賞する科目は必要だと思う。
最近は説明能力だけを求めた文章や英語的な表現方法が持て囃される傾向にあるが、元来の日本語は察する文化から発達している美しい言語である。
そういった美術的側面の文学鑑賞能力育成を図る教科も必要だろう。


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  • 100
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  • 2009/10/10(土) 10:21:24
>>99
小中高で、芸術教育は必要ないってのが、今の風潮じゃないの?

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  • 101
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  • 2009/10/15(木) 19:24:36
現代国語の授業はためになった
短歌をやってはいけない―――結核になる
私小説をやってはいけない――自殺しちゃう  など

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  • 102
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  • 2009/10/17(土) 11:23:04
>>97 >>99

スレタイからは想像してなかった深い内容に感動したんでカキコ
といっても俺はまだ社会に出てない若造なんですけど

やっぱり現代文の授業は入試問題と文学とで分けたほうがいい気がするなぁ

浪人して予備校行ったときの現代文の授業はすげータメになったけど
それは大学入試問題を解くのにタメになったってだけで
高校んときのただ教師が好きなことくっちゃべってる授業もそれなりに楽しかったし背景知識とかはタメになった
特に『こころ』の授業は読まず嫌いしてた夏目漱石も読めることがわかって
近代文学作品を読むことへの抵抗が多少減ったよ
まぁ、どっちも教師によるとは思うけど

というか、日本語って面白くて奥深い言語なんじゃないかって俺は思ってる(他言語をあまり知らないだけかもしれないが)
オノマトペとか小学校でやったけど、留学生がイミフイミフって言うほど奥深いみたいだし
理系なのに新聞のコラムとかによくある日本語研究系の文をつい読んでしまうのは俺だけではない・・・はず?

まぁ要は、日本語の美しさや面白さを教える現代文と
論理を使って論説文を読解したり、逆に他人に説明したりする訓練をする現代文とを完全に分けて教えれば
今のなんだかよくわからないフワフワした授業よりためになるんじゃないかって

正直、センターとか二次の小説なんてテクニックでしか解けない。当たり前だけど自分の感情は殺して読まないといけない
俺はそれが芸術に対して解釈を強要されてるみたいに感じ、現代文の小説の授業が大嫌いだった
でもそれは、すべてが現代文で一括りにされていたからであって、
受験小説の読み方と芸術鑑賞的な小説の読み方(そんなもん人それぞれだろうが)をちゃんと別物扱いして、
「お前がそう思っても、入試問題解くときは書いてないこと想像しちゃだめなの!だから対応箇所とかを絞ってみて、置き換え可能な選択肢をry」
みたいに、きちんと『問題を解くためのテクニック』として授業すれば真面目に受ける奴も増えるはず。受験に直結するわけだし・・・

ってずーっと思ってました。浪人してる間に考えてたことをこのスレで再考できてよかったです。スレ主と多数のマジレスに感謝

長レスですみませんm(_ _)m

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  • 103
  •  
  • 2009/10/17(土) 15:25:10
現場の先生方に聞きたいんだけど、

高校あるいは義務教育における国語って
やっぱり鑑賞に重きを置くべき、あるいは置きたいと思って授業をしているんですか?
自分の昔読んだ志賀直哉の感動を伝えたい(←俺はこいつ嫌いw)とか。
国語教師になりたいと思った理由で皆さんよくおっしゃいますよね。

また、入試問題の個別具体的解法(=答えの導き方)を学校授業で行うのは
邪道だとお考えですか?

ご意見をお聞かせ願えれば幸いです。一部外者より

ここまで見た
  • 104
  •  
  • 2009/10/17(土) 22:24:56
>>102
大学入ってからも「教科としての」現文について考えてるなんてすごいね。理系かな?
君のような人が本当は現文教師になるべきなんだが、まずは学業がんばれよ。

俺の↑にレスつくまで(つくのか?w)俺の見解でも述べておくよ。
>自分の感情は殺して読まないといけない
君の考えはある意味は当たっているかもしれない。でも俺は思うんだが、
君や諸氏の言うところの「文学鑑賞」って、やっぱり自分の好き勝手で読んで
自己流解釈を加えてはいけないんじゃないかな。
鑑賞のベースになるのは何をおいてもまず「正しく読む」これに尽きると思う。
誰が読んでもここまでは異論がない。そこまでは誰でも踏まえるべき。
どこまでがこの文章の正しい読みなのか?はあるが、悪文じゃなければある程度は定まると思う。
で…その上で揺らぐ部分が「鑑賞」の領域になると思うんだ(抽象的ですまそ)。
ある程度読みの不正確さが許容されるのは小学までじゃないかな。
この読みはありえないぞ!なんて言ってたら、子供は文章嫌いになっちゃうからね。
中学以降は徐々に正しさを加えていって、高校では前述の読みが出来るのがベストだね。

ここまで見た
  • 105
  •  
  • 2009/10/17(土) 22:27:06
そう考えると、教科として完全に分けてしまうのはどうかと思う。
鑑賞担当の先生が文章の読みを離れて「君の解釈は独創的だ!」ってのはあっちゃいけない。
かといって読解担当の先生が「感情を押し殺せ!」ってのもないと思うしな。
入試などに自分の文章を使われるのを嫌っている某著作権団体の作家先生方は
「正しい読みなど存在しない、あるのは個々の読者の新しい解釈だ、それによってこそ
私の作品が生きるのだ!」と思ってるかも知らんけどな。
文章ってのはまず他人に読まれる以上、ある程度の共通認識=文章のルールの範疇に
成り立っているってのを自覚して欲しい。「芸術家」としてはそこを逸脱したいんだろうがな。

俺何が言いたいんだっけ?w
だから、区別しちゃいけないってのが今の俺の見解。分けるという視点は面白いけどね。
立脚すべき立ち位置を先生方が意識してない、子供達に自分が何を伝えて
何を出来るようになって欲しいのかを明確に現場が持っていないってのが
今の日本の国語教育の問題点だと思うんだが…どうかな?
もちろん鑑賞はあっていいよ。ただそれを唯一無二の目標にしてしまっては
誰も母国語=日本語を自在に操れる事など出来なくなってしまう。
だって、解釈は全くもって読み手の自由、ってことになってしまうからね。
君はこれをYesと書いたが、俺はNoと受け取った、それは俺の独自の解釈だとか言われてみ?
コミュニケーション自体が成り立たんよね。

長々失礼。先生方、諸先輩方の意見をぜひ聞きたいな。2ちゃんだけどwww

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  • 106
  •  
  • 2009/10/18(日) 21:05:03
おれは文学作品を読む必要はないと考えてる。
むしろ、新聞の三面記事とか、どっかの会社の日報とか、借金の申し込みとか、
どっかのマニフェストとか、署名のお願いとか、ラブレターとか、
そういうモノから、事実をキッチリと読み取る、キッチリと表現するというよ
うな、「こと」に対して過不足なき表現ってのを学ぶべきだと思う。



ここまで見た
  • 107
  •  
  • 2009/10/19(月) 20:37:25
DQNが書いた文章を読んでそういうモノから、事実をキッチリ読み取る、キッチリと表現するというよ
うな、「こと」に対して過不足なき表現ってのを学ぶべきだと思う。



ここまで見た
  • 108
  •  
  • 2009/11/13(金) 17:27:45
age

ここまで見た
  • 109
  •  
  • 2009/11/14(土) 02:54:13
解答に納得いかないという現象が起こるのは確かに現代文だけだ
このあたりの解決策があればいいけど

ここまで見た
  • 110
  •  
  • 2010/02/27(土) 11:50:19
保守

ここまで見た
  • 111
  •  
  • 2010/11/20(土) 13:23:48
入試における小説

景色の描写と心情がリンクする、とかただの受験の中の決まりごとじゃないか、と思う。
全く意味が無くないか?
学校教育におけるどんな教科にも意味があると思ってるし、
現代文の授業にしても、例えば、高校で羅生門、山月記、舞姫、こころ
といった名作の解説を聞くことは非常にためになるとは思うんだけど、
入試に小説の問題出すのってどうなのか。

音楽や美術の作品を見聞きさせて、普遍的な解釈を述べよ、とか無理だよね。

あえて入試に出すなら、羅生門や舞姫の解釈を普遍的なもの(文科省あたりで解釈を決めてしまう)として教えて
それを知識問題で出す(要は学校の定期テストを全国レベルで行う)、という方が
まともだと思うんだよね。

人それぞれ解釈するから意味無い
→いや、それは感想であって、解釈は一義的に決まる
という意見があるのは知ってるけど、
でも(感想以前の)解釈もやっぱり人それぞれなんじゃないのかねえ、小説、物語の場合。

ここまで見た
  • 112
  •  
  • 2010/11/20(土) 13:27:59
あと、>>9が国語教師はみんな100点取れる、って言ってるけど、
是非とも全国的に統計取って欲しいと思う。

面白い結果になると思うよ(もちろん、国語教師は100点取れないと思う。)

国語の授業は別に今のままでいいと思ってるけどね。


ここまで見た
  • 113
  •  
  • 2010/11/20(土) 13:29:58
あまりスレ読まずに書き込んでしまったけど
>>102さんには全面的に同意しますね。

ここまで見た
  • 114
  •  
  • 2010/11/20(土) 13:40:14
>>104
>誰が読んでもここまでは異論がない。そこまでは誰でも踏まえるべき。
>どこまでがこの文章の正しい読みなのか?はあるが、悪文じゃなければある程度は定まると思う。

これもよく聞く話だよね。
ああ、そうか、って最初は思ったけど…。
じゃあ具体的な入試問題と照らし合わせたときに、ほんとにそういう問題になってんのかな?
一番槍玉に挙げられるのはセンター試験だと思うんだけど、
特に2000年以降の問題なんて、選択肢の微妙な言い回しで点数差がついてるんじゃないですかねえ。

>>102だけでなく>>97>>99にも同意します。

連続レスで消費してしまってすみませんm(_ _)m。

ここまで見た
  • 115
  •  
  • 2010/11/27(土) 00:03:55
小説(センターを中心に考えると)は、
あくまで客観的事実しか問われない。
それに文句言う奴は、自分ができないだけ。

まあそれでもセンター小説には悪い点があって
9割方はちゃんとした問題なのに
まれに悪問が出る。
すなわち「出題文中に根拠が無い問題」で
「選択肢の傷の大きさ」で正解が決まる問題が出る。
選択肢の傷の大きさに客観的基準はないし、
そんなもんはプロの予備校講師とかしか分からない。
そんな問題は不適切だし、高校生に解かせるべき問題でもない。
そういう問題を数年に1回くらい出してしまうのがセンター。
1年に1回しか作らなくて済む問題で、なぜそんなものを出題してしまうのか。

例→2001年小説の問題(「水辺」)。
娘が母親の気持ちを「直感的」にくみ取って、配管工をなじるという選択肢。
根拠はどこにもない。

そういう問題さえ排除すれば、小説を入試に取り入れることに問題は無い。

ここまで見た
  • 116
  •  
  • 2010/11/29(月) 20:05:28
論理的現代文の「論の展開の仕方」を明快に説明したり、
小説のテーマや登場人物の性格をさまざまな角度から解釈したりと、
面白い授業は出来るはずだが、教員にその力量がないような気がする。

ここまで見た
  • 117
  •  
  • 2010/12/03(金) 00:00:18
>>116
>論理的現代文の「論の展開の仕方」を明快に説明したり、

国語学専攻の先生なら余裕

ここまで見た
国語を勉強する本当の目的は「本を読んで楽しむことです」という意見をなにかの冊子で目にしたことがある。

ここまで見た
  • 119
  •  
  • 2011/01/22(土) 17:03:55
俺偏差値60ちょっとくらいだけど国語系だけは得意で偏差値75はあった
でも授業はずっと寝てたし本もあまり読まなかった
保育所くらいの時に絵本を読んでたくらい
そんな俺でも高得点だったんだから
現文の授業なんて必要ないんじゃないかと思う


ここまで見た
  • 120
  •  
  • 2011/03/05(土) 15:41:04.12
現代文

ここまで見た
  • 121
  •  
  • 2011/05/01(日) 07:54:00.92
大阪府島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されてしもうた僕が言うんやから、まちがいないで。
 僕は、ひきこもりになってしもうて、学校にも行けへんし、
仕事もでけへん。
 教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 保身のためか、生徒に迎合してロクに指導しない教師も
おるし、生徒の人権を無視する教師もおる。教師は、学力
や学歴以前に、人間性が必要や。



ここまで見た
  • 122
  •  
  • 2011/05/02(月) 09:16:43.91
だからこそ現代文の授業を通して
心の教育をせねばならん。
教師も最低「こころ」「破壊」「蟹工船」
くらいは熟読して自分なりの人間観を持たねばならん。
新訳聖書くらいは宗教に関係なく読んでおかなければならん。
西洋的思考や道徳観の根底にあるものは聖書だから
宗教に関係なく読んでおかねばならん。
本も読まない教師は糞だ。

ここまで見た
  • 123
  •  
  • 2011/05/02(月) 21:22:35.89
現代文

ここまで見た
  • 124
  •  
  • 2011/05/03(火) 09:36:13.76
>>122
>蟹工船
んなもん読ませたらサヨクになるだけだ
って、にちゃんねらーなら言うところ

>>115
>客観的事実しか問われない
ところがそうじゃないことは、石原千秋他が指摘してる。
「事実」だけでなく特定の価値感を前提としなければ、
大学入試センターが発表する「正解」にたどり着けない。
それを「事実だけ」と思うのは、出題者が(無自覚に?)前提としている価値感を、
あなたが無自覚に内面化しているから。
もちろんその価値感は社会の多くの人々によって共有されていて、
社会の安定に貢献してるんだろう。
だから大学入試で「小説」という形で思想調査をするのも必要悪かもしれない。
でもそれが特定の「価値」の問題であること、「事実」とは独立の問題であることは
自覚しとくべきだ、いやしくも高等教育を受けるようとするなら。

ここまで見た
  • 125
  •  
  • 2011/05/03(火) 10:00:50.31
社会の多数が善だと思っている価値観を前提にする出題はあっていいだろうね

ここまで見た
  • 126
  •  
  • 2011/05/03(火) 11:32:55.31
思想調査というか「官僚的な」合理的思考のセンスがあるかってことなんだけど。
国家試験や公務員試験は問題全体にそういう露骨な思想調査を仕組んでいるが、
それに比べれば理詰めで要領よく考えれば対処はできるけれども。
現代文は一般的に得点源にするのは難しいと言われるのはその辺なのかも知れない。
>>125
そんなのは幻想にすぎない。
あるとしたら上で挙げたような、「官僚的な要領の良さ」だけ。

ここまで見た
  • 127
  •  
  • 2011/05/08(日) 00:07:58.29
現役国語教師。
なんか勘違いしてる人が多いみたいだけど、現代文の授業は、作品を読むことが目的じゃない。
教科書に載ってる作品は、数学でいう練習問題と一緒。
練習問題の前後に、公式が乗ってないのが数学と違うところ。
例えば読む際に使う公式はせいぜい二種類で、それは小学校とかでやってる前提だからかも。
その二つの公式で、どこまで高度な(悪く言えばわかりにくい)文章を読めるようにするかってのが、国語の授業だから。

例えば小説なら、極単純な、場面も登場人物も少ないものから初めて、誰が出てきてどこで何をしたかを理解できればOK
そんなのできて当たり前と思うかもしれないけど、中高レベルの教科書に載ってる小説だと、それが理解できない人がガチでいる。
そういう人のための教科。

ここまで見た
  • 128
  •  
  • 2011/05/08(日) 00:18:13.67
「作者はどう思ったか」とか、「登場人物はこのとき何を考えていたか」とか問うのは愚問。
というか、正確ではない。
あくまで、書かれている文章を元に、「その文章で作者は何を言っているか」「登場人物はどういう気持ちになったと書かれているか」を問うてるわけで、こういう風に聞くのが本来正しい。

「(動物愛護の話書きながら、焼き肉のことを考えていたかもしれないし、作者が本当は何を考えていたかなんてわからないけど)
書かれている内容では、どういう意見が述べられているか」
「(二郎くんがケーキを食べたら太郎くんは泣いたって書かれてても、本当はたまたまそのタイミングで蜂に刺されただけで、それで痛くて泣いてるのかもしれないけど)
書かれている内容だけを見たら、太郎くんが泣いた原因は何が推測出来るか 」

っていうのを聞いてるわけで。
だからここを理解してないと、「登場人物の気持ちなんてわかるわけないだろ、現代文わけわからん」となってしまう。

まぁ、「登場人物の気持ちになって考えよう」とか教える教師も悪いんだけど

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  • 129
  •  
  • 2011/05/08(日) 00:19:19.02
連投になっちゃったけど、読解って多分思ってるよりシステマチックで、本来的には論理的に説明できるものだよ。

ここまで見た
  • 130
  •  
  • 2011/05/08(日) 00:26:43.30
>>99
ちと違う。
例えば、色使いに特色のある名画を見て、素晴らしい作品です。この色使いに感動するのが正解です、とするのは、現代文の授業として間違い。

その名画を見て、何がどのように描かれているか、どういうところが他と違うのかを、正しく理解するのが、現代文の授業。

だから、芸術鑑賞というより、本来は技術論に近い。

ここまで見た
  • 131
  •  
  • 2011/05/08(日) 00:33:36.19
>>103
そういう教師は最悪というのが、最近の国語教育の風潮。
教科書の内容を教えても意味がない(数学で、例題丸暗記しても無意味だよね)。
教科書を使って読解の仕方を教えるのが目的(例題はあくまで問題を解けるようにするための練習問題)。

もちろん小説は好きだから、生徒も自分の好きな作品を気に入ってくれたら嬉しい。だけどそれは教師としてじゃなく、単なる小説好きとしての意見。

例えば俺が志賀を好きだったとして、志賀の小説の特徴や方法論、内容をしっかり理解した上で、志賀なんてクソつまらん、と言う生徒がいたとしても、俺は最高の成績をつける。
読み解けるかどうかを問題にしているわけであって、好きになったり感動したりするのは、道徳とかそういう分野の話でしょ。

ここまで見た
  • 132
  •  
  • 2011/05/08(日) 00:49:29.94
あと、入試問題の話が出てるけど、上で書いたように、設問を言葉通りに捉えると、かえって間違う時がある。
客観的、あるいは一般的、社会通念的に見て、答えよ、というのが省略されてるような問題が、時々出るから。

まぁ、そういうところも試しているのかもしれないけどね。
ただ、「言葉を正しく読む書く聞く話すこと」を教える教科で、そういう「暗黙の了解的な、空気を読んで答える能力」みたいなのを試すのは、違う気がするけどなぁ。

例としては不適切だけど、アスペの子でも優秀なら数学で100点とれるように、現代文でも100点とれるような問題にするべき。
だけど実際は、問題文の方が曖昧すぎて、読解力はあっても設問を正確に捉えすぎて、かえって答えられないみたいなのがあるから困る。

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  • 133
  •  
  • 2011/07/28(木) 00:56:39.95
「ルサンチマン」を「嫉妬」、
「コンプレックス」を「劣等(感)」、
と訳すのは誤訳なのだが……。


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  • 134
  •  
  • 2011/08/15(月) 02:46:15.05

「コンプレックス」を「劣等(感)」、
 

というのは誤訳じゃない
辞書にはのってる
無論文脈次第

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  • 135
  •  
  • 2011/09/25(日) 08:03:28.39
「辞書に載ってるから正しい」という考えがいかにも教師的。

コンプレックス 抑圧された自我 だから
自分が意識していないこと指す。本来はね。
インフェリオリティ・コンプレックスで劣等感となる。

本人が自覚していて、他方面の精神活動に悪影響与えていない場合は
インフェリオリティ・コンプレックスとは言わない。

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  • 136
  •  
  • 2012/01/05(木) 02:05:54.54
自分は生徒の側だけど現代文の教え方って難しいと思う
正直小説とかそれぞれの読み解き方や感じ方があるから授業の解説の仕方もそれに共感できる子は理解できると思うし、そうでない子は理解できないと思うし

たしかに予備校とかの講師は解説は上手いかもしれないけど何か違う気がするかな

自分は現代文は得意だからどんな先生でも教え方でも理解できるけれど

フリックラーニング
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