facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


  • 1
  •  
  • 2014/10/26(日) 13:41:54
潮干狩り

何か落ちてるかも
ここまで見た
  • 50
  •  
  • 2014/12/17(水) 19:23:28
100個の素数のうちの2つを選らんで掛け合わせた数の
可能な個数は・・・・4950個・・かな?

約50倍

素数を探すのって大変らしい
ここまで見た
  • 51
  •  
  • 2014/12/17(水) 20:16:06
このコンピュータ全盛期の現代で
いったいいくつぐらいの素数が発見されているのだろう
数が大きくなると、だんだんと少なくなっていく感じがあるから
まあ数万個ぐらいかなとググッて調べてみたが、よく分からず
しかしどうやら全く見通しが甘かったか
直感はあてにならんな

素数はそのものは原理的に無限の数だけあるのだが
現在発見されている素数のうちその最大のものは
その桁数が1700万桁ぐらいのものらしい

どうやら素数定理というのがあるらしく、それを信用するなら
2からその数までの間に存在する素数の個数は桁数で数桁減るだけ
つまり個数の桁もほぼ1700万桁?
そんなにあるのかよ

でもひょっとすると、そのうち全部が発見されているわけではないのかな・・・
いやしかし素数なんて小さいところから探していかないと、ある大きな数が
素数なのかどうか分かりませんよね

数学者って大変だな
ここまで見た
  • 52
  •  
  • 2014/12/18(木) 20:09:36
寒いときには肉を食うのが良いらしい
冷え性に利くとか

ためしてガッテン
ここまで見た
  • 53
  •  
  • 2014/12/18(木) 20:44:32
偽薬と論理

プラセボ効果というのがありますが、これはまあ
鰯の頭も信心、薬は利くと思って飲むから利く
そんな話だと思います

逆偽薬効果というのもあるようです
下条信輔氏のサブリミナル・マインドから紹介しますと

全く薬効の無い同じ偽薬を二つの不眠症グループに処方します
一方の能書きは「心身をリラックスさせます」であり
もう一方の能書きは「興奮してドキドキするかもしれません」としてあります

結果としては、興奮するかもしれませんと言われたグループの方が
早くに眠ることができたそうです

自分の心も体も、そうそう思い通りにはならないもの
という事実とともに
いかに合理的に見えても、同じ理屈が無条件に成り立つわけでもない
そのような教訓でもあるようです
やってみないと分からんわけです
ここまで見た
  • 54
  •  
  • 2014/12/21(日) 19:15:03
小保方さんも悪意はなかったと思うのです
ここまで見た
  • 55
  •  
  • 2014/12/21(日) 19:47:23
水の記憶

新潮文庫の『代替医療解剖』にホメオパシーについての話があって
それを読むと、今回のSTAP細胞の大騒ぎに重なって見え
なんだかおかしな気分になります

ホメオパシーなんて耳慣れない言葉ですが
たんに私が情報弱者なだけですかね

簡単に説明すると、たとえば抗体反応を引き起こすアレルゲンを
極限まで水で希釈して、もはやアレルゲンの分子が一つも残っていない
もはや全くのただの水である“溶液”が尚、抗体反応を起こす能力を
十分に残している
そういった研究結果が、“世界最高の権威を持つ科学雑誌”である
かの「ネイチャー」に1988年、掲載されたことがあるそうです

もはや有効成分など残っていないはずの水が何かを覚えている
ただの水なのではない
個人的にはロマンチックな話だと思います

この後の顛末は、いろいろ調べられて今回の騒動と似たような
経過を辿ります
ロマンだけでは科学で飯は食えないようです
ここまで見た
  • 56
  •  
  • 2014/12/22(月) 22:17:03
言葉と暗号

たしか山崎豊子さんの「二つの祖国」だったか
時代は第二次世界大戦前夜から開戦へ、そして終戦
日系アメリカ移民家族の物語
主人公である長男は、開戦に際してアメリカ軍に従軍し
弟の次男は日本に帰って日本軍の兵隊になる
そんな話なんですけど

この主人公の長男が解読困難な日本軍の暗号を解読する場面があります(思い違いかもしれない
この暗号はどうやら薩摩弁で音声により送られていて、アメリカ人には解析できないらしい
エニグマすら解読したアメリカ軍が本当かよと訝しくも思われますが
物語的には、とにかくそういうことになってます

このことからも推察されることですが、まったく未知の言語をその言語内部の記号体系だけから
既知の言語に復号することは恐らく不可能です
もしそんなことが可能であるなら未解読文字なんて無いはずです
古代インダス文字も契丹文字も解読できるはず、資料は豊富なんだから
しかし解読されていない
言葉の壁というのは強力な暗号装置であるようです

解読するためには、何かしらのヒントが必要となります
それは、ある記号列が世界の何を表現しようとしているのかってことです
十分でなくてもそれらをある程度見つけることができれば、論理を頼りに
芋づる式に解読が進むようです
ちょうど杉田玄白らがターヘルアナトミアを解読したように
それもまた不思議なことです・・・・そうでもないですか
ここまで見た
  • 57
  •  
  • 2015/01/01(木) 00:49:54
真理とか証明とか

真理であるにもかかわらず証明できない
そんな命題がある
哲学を齧ると気になってしまう不完全性定理

この不完全というのは、
規約によって演繹的に構成される体系に於いて
表現され得るある命題が、体系に於ける真なる事実を表現しているのだが
しかしそれが真あることを規約からの演繹によっては証明することができない
そのような事実(とそれを表現する命題)が存在する

そんな話だと思います

しかしこの定理は、どの命題がそのような命題となるのかについて
具体的に教えることもなければ、手がかりすら与えません

実に無責任な定理です
何が分からないかは分からないけど、とにかく分からないはずだ
そんな話にも思えてきます(すいません
ここまで見た
  • 58
  •  
  • 2015/01/01(木) 01:07:59
リーマン予想なんかを扱ったテレビ番組見たりしますと
こういった未解決の問題は、実は原理的に証明不可能かもしれない
だいたい、そのようなオチがあって、こちらも「ほほー、数学こわいな」
と感じたりするわけですが
しかし果たして、不完全性定理というのは、こういった具体的な
未解決問題を解決することそのものに対して、それはもしかするとあきらめた方が
良いかもしれないよ、と、そういったことを言えるような
そのような定理であり得るのでしょうか
実に怪しいと思います(すいません
ここまで見た
  • 59
  •  
  • 2015/01/01(木) 01:41:27
先日ネットで見たテレビ番組で、不完全性定理について、
マーカス デュ・ソートイ教授が私にも分かった気にさせるような
解説をしてましたので紹介します

「“この命題”は証明不可能である」の真偽を考える。
ここで“この命題”とは、「・・」の中の表現が示す内容なのだが
さらにそれは数についての命題(ゲーデル数に置き換えるような操作を
するのかもしれない)になっている。
さて“この命題”が偽であるなら、証明可能となるはずである。
そこで証明可能な“この命題”が証明されるとすると、
“この命題”は真であることになる。
これは最初の仮定と矛盾するが、命題は真か偽かのどちらかであるので
結果として“この命題”は真である。

たしかこんな狐につままれたような話でしたけど
この説明で分かります?

真偽の区別を優先した話をするならこうですよ
どうしますか、とこちらが試されているような
なんとも脅迫的な感じがしますが(すいません
どうなんですかね
ここまで見た
  • 60
  •  
  • 2015/01/01(木) 01:44:12
あけましておめでどうございます
ここまで見た
  • 61
  •  
  • 2015/01/03(土) 19:03:10
現代数学は宇宙人に通じるのか

数学というと、論理的思考の頂点に君臨する印象がありますし
これはひょっとすると宇宙のコスモスをそのまま表現しているのかもしれない
とするなら数学は超普遍的な何ものかではないのか
そんな信仰心にも似た気持ちが私にも無いわけではないのですが
しかし実際、非常に危ういところです

いかなる努力をしようと宇宙人には自然数ですら通じないかもしれない
つまり言語を度外視した「数学の内容」に限定したとしても、それはただ
偶然的に発生し、人間だけに通じるローカルな暗号

そんな恐怖にも似た感覚を覚えることってありませんか
ここまで見た
  • 62
  •  
  • 2015/01/03(土) 19:25:45
無限を規約によって縛れるのか

ガウスが無限を畏怖し、それを数学から避けるべきだと考えていたらしい
というのは割と有名な話のようです
その地獄の蓋をカントールが掘り出してしまい、大騒ぎとなる
不完全性定理もその直系の思考系列の中にある

それは結果として人類に実り豊かな数学世界を与えたのだ
と楽観的に考えるのが普通であって、私としても現状を肯定するしかないわけです
こうなることは必然のことであったのだと、人類は自分を納得させるしかない
歴史をやり直すことはできないわけです

カントールは何をやらかしてくれたのか
「集合」「1対1対応」「対等」
人間一般にそのような概念が成立可能で、この概念を武器とすれば
無限を捉えることができるのだ
それを「発見した」ということ・・・なんでしょうか、ね
ここまで見た
  • 63
  •  
  • 2015/01/03(土) 19:52:22
カントールと無限

カントールによれば、「偶数全体の要素の個数」と「自然数全体の要素の個数」は同じであるようです
なぜなら、偶数は無限にあり、自然数も無限にある
そのような偶数をずらっと並べ、自然数をずらっと並べると、それぞれが偶数全体の集合と
自然数全体の集合となるわけですが、それぞれの集合の各要素が1対1に対応できる
1対1に対応できるなら、これは「対等である」と考えてよい
これはつまり偶数全体の要素の個数は自然数全体の要素の個数と同じである
そういうことになるのだ、まちがいなくまちがいない

このような話であるように私は理解しましたが
すでに脅迫的である感じがしませんかね
だってどう考えたって自然数の方が多いっしょ

でも「無限」を扱うとなると話が違う
規約によって縛るのだ、そう縛れるのだっ
「個数」なんていう数学的には垢まみれの言葉は概念として折り合いが悪いから
集合の話をするときは「濃度(potency,power)」って呼ぼうぜっ、と

なんだか怖くないですか
ここまで見た
  • 64
  •  
  • 2015/01/04(日) 19:43:24
カントールと対角線論法

濃度(≒要素の個数)が同じなのは整数的なものに限りません
カントールによれば、同じような理由(1対1対応が可能)によって
二次元と三次元は対等となるようです
次元が違うのに?およそ信じられないことです

じゃあ何でもかんでも対等で、濃度は自然数と同じじゃん
と思いきや自然数全体と無理数全体ではその濃度が違う
そうするための仕掛けが対角線論法
これが実に危うい

要点は、○.○○○○○○○○・・・・
という無限小数を「無限個並べたとき(←自然数全体との対応を表現する)」に、
そのどれとも異なる数をいつでも作ることができる
ゆえに、自然数全体と無理数全体の各要素は1対1には対応しない
・・・そんな話なわけですが、この説明で分かります?
これって、操作的に可能であるかどうかを優先して考えるぜ
てことですよ

ほとんどトリックというか、もはやこれは心理学ではないのか
なんて思ったり(すいません

しかしこのカントールの判断が正当、妥当であることを
宇宙人が納得するように説明できるでしょうか

どこかで別の何かと繋がる
そんな結果があるなら、あるいは・・・
ここまで見た
  • 65
  •  
  • 2015/01/12(月) 20:27:52
夢の中でぶっさいくなぶっさいくな若いねーちゃんの乳を揉んでいたのですが
絶賛もんでーるときに目覚ましにたたき起こされてしまいました
続きが気になります

何かのきざしなのでしょうか
ここまで見た
  • 66
  •  
  • 2015/01/12(月) 21:31:55
調べてみると、ドイツ軍のエニグマを解読したのは
イギリス軍だそうで
天才チューリングの考案したマシーンによって
解読できたようです

アメリカ軍ではなかった(すいません
ここまで見た
  • 67
  •  
  • 2015/01/12(月) 21:50:31
チューリングといえば
彼は「リーマン予想は偽である」と思っていたそうです
ここまで見た
  • 68
  •  
  • 2015/01/15(木) 10:54:17
リーマン予想がらみで「素数に憑かれた人たち」を
ブックオフでゲットしましたので頑張って読んでみました

労作です
高度で難しい内容を我々一般人にも理解できるように説明する
というのは大変なことです
しかしその制約があるゆえに肝心なところはすっとばさざるを得ない
それもいたしかたないのか

数学ってほんと大変
直観主義で有名なブラウェルが
人間精神を離れた数学は成立しないと言ったそうですが
数学の高度な領域について、はたして人間一般に成立し得るのか
それすら不安になります
だって、数学が確かに成立する根拠なんて無いわけです
あるのは事実として“頭の良い人”には成立しているらしい
その結果だけです
それもあやしいもんですが(すいません
ここまで見た
  • 69
  •  
  • 2015/01/15(木) 16:09:49
級数と直観

リーマン予想は素数と関係があるようです
素数はまちがいなく自然数ですが、リーマン予想に出てくるゼータ関数の
変数項に入る数は自然数に限定されません
複素数まで含めた級数で表現されるもので、分野的には
解析学ということになるのでしょうか
これは「極限」を表現しているわけです

「憑かれた人たち」には極限をもって数論と等価となる理由は
書かれていません
だからどこまでももやもや感が残るのですが

極限はどこまで行っても極限であって、「完全に一致」とは違うのじゃないか
そんな「直観的違和感」は解消されない・・・ような(すいません

むかしどこぞで、実数の連続性のためには「0.999999999......=1」であることが
要請される、とか知ったかドヤ顔で書いたことがあるのですが
たしかに数を「特殊な論理」で縛ろうとするならそうするしかない
この特殊な論理を理解するのにまた特殊な直観が要るわけです
しかしある直観が別の直観と相容れない、そんなことが起こる

コンピュータに実数の連続性を理解しろ、とか言っても無理な話です
ここまで見た
  • 70
  •  
  • 2015/01/18(日) 19:26:18
「善の根拠(南直哉・著)」を勧めている人がいたので読んでみましたが
何を言いたいのかほとんど分からず
そのあと「教養としての宗教入門(中村圭志・著)」を読みました
こちらは大当たり

宗教毛嫌いしてましたが、調べてみたら案外楽しいかもしれない
なんてね
ここまで見た
  • 71
  •  
  • 2015/01/19(月) 21:18:32
仏教なんかですと「空」とかいう概念が出てくるわけです
この「空」の正体って何でしょうか
空と表現されることで人間一般に現象することを期待されるなにものか(なにごとか)
なんとなくそんな風なものを空と呼んでいるのかな
「実体など無い、すべては関係でしかない、縁起とも言うが」
わたしも、分かったような気にならないわけでもないのですが

ところで「実体が無い」ってどういうことなんでしょう
「実体が無い」と主張する人は実体とは何かが分かっているのでしょうか
たいてい、まるで分かっちゃいないわけです
分かっちゃいないのだけれど
「実体など無い」という表現そのものが強力なんです
強力な表現は論理をすっとばして感性に直撃してきます
この直撃は非常に警戒していても避けられません
上手に当たるしかないわけです
 
わたしみたいなもんの言葉にだまされたら駄目ですよ
ここまで見た
  • 72
  •  
  • 2015/01/21(水) 21:05:51
実体って

随分前のことですが、実体とは何かということについて
それはXのことだと答えた人がいました
これまで2chで見た中ではその人が一番哲学に明るい人だったような
でも“その心”は私なんかには見切れません
普通に考えるなら関数の変数項、あるいは主語となり得るもの
そういうことなんでしょうけど、本当のところはどうだったのか

少し前に「電磁場は実体化する」とか口走りましたが
その意味するところはそれとは少し趣が違っていて、その心はですね

もともとは単なる思考上のツールであったはずの「場」
物体が物体に対して遠隔作用する、その「可能性」を人間様が空間に貼り付けた
それだけの内容にしておいたはずなんです

ところがその“場の状態”、それはつまり「力(=作用)の発現可能性を意味する限りにおける“状態”」
なわけですが、その「状態」はしかし、空間上を伝播するものだということになり
さらにその伝播速度は有限だとなった
それはつまり物体からの作用が相手の物体に到達するまでに時間がかかると

ということは、「作用が相手側に伝わる前に途中で送る側の物体が無くなった」としても
相手側に及ぼす作用は変わらないと、そういう話になって、それはあんた
電磁場が思考上のツールの地位から実体へとグレードアップしなくてはおかしいだろ
そういう話になったわけですが・・・こんな説明で分かります?
これは私の妄言ではなく、わりとスタンダードな話ですので安心してください

実体とは天使の水晶玉みたいな特殊形而上学ではなく、還元されない何ものか
そのようなものが実体の地位を得る
・・・しかしこりゃ観念論ですかね・・・いやいや
ここまで見た
  • 73
  • 独りよがり
  • 2015/01/22(木) 00:38:32
人質の二人は生き生きしてますが
ここまで見た
  • 74
  •  
  • 2015/01/22(木) 19:40:06
あれが茶番だったらやるなって感じですけど
ないですかね

不謹慎ですね、すいません
ここまで見た
  • 75
  •  
  • 2015/01/25(日) 21:00:19
一昔前は、大阪の水道水は日本一まずいとか言われたもんですが
いまやペットボトルにして売りに出すぐらい品質が良いそうで
酸素プラズマでオゾン処理してから活性炭で濾過しているとか
ご苦労さまです
ここまで見た
  • 76
  •  
  • 2015/01/28(水) 19:42:44
勤めに出るようになって朝、電車に乗ったりもするわけですが
ふと、少年達が昔よりも小さいなあ、なんて感じたのです

昔は中学3年ともなると、どいつもこいつも親父よりも大きく
なったもんですが、最近のおっさんはみんなでっかいね

そんなところに時代の流れを感じてみました、すいません
ここまで見た
  • 77
  •  
  • 2015/01/29(木) 19:43:13
量子力学はその黎明期に於いては量子論と呼ばれてました
いつのまにやら論から学となったわけです
湯川秀樹が論と学について公開講義で言及しているのですが
それによればですね
論というのはそれ(論)についてあれこれ議論できるのが「論」で
学となったらもう出来ちゃってる感じ、だそうです
ちなみに物理学での「学」に対しては「力」が付く
熱力学やら統計力学やら
なぜかというと、偉大なニュートンが作ったのが「力学」だから
物理学というのは即ち力学なんだそうです
量子力学はもう出来上がっちゃって、洗練されて、教科書にもなっている
ゆえに力学と呼ぼう
そんな理屈のようですが、どんなもんでしょう

しかし相対性理論はいつまでも「論」ですね
どういうことなんでしょう

そして現象学はどうして「学」なんでしょう
ここまで見た
  • 78
  •  
  • 2015/02/01(日) 01:57:23
木田元さんが、現象学とはやり方とか体系とか
そういったものではぜんぜんなくて
方法的態度、研究対象に向かう態度のことだ
みたいなことを書いていて、うまいこと言うな
と感心したりしましたが

そういえば昔どこぞで、量子とは何かを普通に説明してやったら
「量子とは“態度”のことだよ馬鹿」と言われたことありますね
調べるとどうやら竹内薫とかいうおっさんが言ってたらしいです

強い言葉って横断的に残っていく
こわいこわい
ここまで見た
  • 79
  •  
  • 2015/02/07(土) 18:29:11
勤め人というのは会社の金で研修とか受けれたり
交通費は支給されたりしてお得な気分になりますね
会社ってわりと公共性、公平性に資する仕組みなのかな

その前にピンハネされてるとも知らずにおめでたい奴だ
そんな声も聞こえてくるわけですけど、どうなんでしょう
ここまで見た
  • 80
  •  
  • 2015/02/07(土) 18:51:40
でも日本は貧乏人に優しい国だと思いますよ
フリーで食べてるときの原稿料は年収で100万円ぐらいで
足りない分は工場労働で補っていたんです

原稿料から1割が源泉徴収されますが確定申告で全額が戻ってきて
工場で稼いだ金も100万円ぐらいなので税金は掛からず
これも還付されました
年金の支払いも免除されたし
国民保険料と市民税はただみたいに安いし
ほんとごめんなさいって感じでした
あの生活に戻りたいとは思いませんが

でもあのころは頭が冴えてた
今は・・・w
ここまで見た
  • 81
  •  
  • 2015/02/15(日) 18:46:36
現象学とか

何十年も前になりますか
そのころ哲学なんてものには大して興味も無く
理系の人間の多くが経験することだと思いますが
量子力学の洗礼を受けてその非直観的な世界に圧倒されてたわけです
いまだに量子力学が世界の何を表現しようとしているのか分かりませんが

そのころ一般教養の単位で哲学の講義を受ける機会があって
最初にいくつかの講義をはしごしたのですが、そのうちの一つが大当たりで
半年でパルメニデスからフッサールまでを概観する程度の
まあ哲学科の講義から見ればままごとみたいな内容なんでしょうけど
しかし世界が一変したような記憶があるような無いような

一切は“現象”
自然主義的な独断を留保して、そこに反省の目を向けよう

そりゃあもう衝撃的でした
フッサールの文章を読んでも何を言ってるのかさっぱり
分かりませんでしたが

最近、木田元さんの現象学についての解説を読んでみて
さすがに昔よりは分かったような気にはなりますが
やっぱりよく分かりませんね

よく分からないだけの話ですいません
ここまで見た
  • 82
  •  
  • 2015/02/15(日) 19:11:39
不可知論と「無知の知」

以前、不可知論とか懐疑論はクソだゴミだクズだと確信して
その論理的な嘘くささを突いて粉砕しようとしたことがあったのですが
それは自分の中ではある程度成功したと思っていたのです(すいません
でも他人様にはほとんど通じませんでしたので普通に失敗なんでしょう

一方、無知の知というと、何かしら謙虚な姿勢のような感じがして
まあ哲学的に悪い態度ではないよねと、ずっと思ってたわけです
しかしこれ、不可知論と大差ないですよね
いったい人間は、何を知り得ないと言うのでしょうか
もとい、何を知りたいのでしょうか
どうなったら満足なんでしょうか
満足するなんて原理的にあり得ることなのでしょうか

哲学というのは、そのことに敢えて目をつぶり
確信犯的に概念を耕して新しい世界を作って提供すれば
それが十分に哲学であるということなのでしょうか

きっとこのままで良いのでしょう
どんなに理性が厳密を求めても、結局はどこかで開き直るしかない
・・・本当かよ
ここまで見た
  • 83
  •  
  • 2015/02/15(日) 20:17:15
エントロピーとか

瓶の中に水が入っているとして
この水の体積とか温度を測る手段はあって、測定装置もあるわけですが
そのエントロピーを測るとなったら、それを直接に測る測定装置はあるのでしょうか

エントロピーというのは多分、計算でしか求まりません
極度に概念的な量なわけです(エネルギーも似たようなもんですが
しかしでは実在しない量かというと、これまた微妙な話で
エントロピーは原理的に「状態量」であることが証明されます
その意味はつまり、ある物質系が存在すれば、そのエントロピーは
物質系の履歴に依らない、そういう性質もあるわけです
その物質系がこれまでどのような状態を経てその状態になったのかに
関わりなく「今現在の状態」にエントロピーが一意的に対応する
だとすると、エントロピーはそれを計算する手段に依らずに
物質系にのみ依存して「実在する」と考えて良いような気がします
しかしその値を求めるには計算しないといけない
どうやって計算するかというと、「事実上はあり得ない“理想的な履歴”
を想定する」ことでのみ計算が可能です

エントロピーの量は実際上の履歴に依らないのだけれども
空想的な履歴に依って計算される

こんなひっくり返った話を理解しろというのは無茶な話です
科学ってしょっちゅうこんな荒技をねじ込んできます
実に暴力的です
ここまで見た
  • 84
  •  
  • 2015/02/15(日) 20:57:56
不可知論とか懐疑論の根っこにあるのは、ほんとうのところ、物自体への理性の暴走
なんかではなく、自意識の投影としての他意識の「実在性」が
懐疑論の成立を支えているのかな

恐らくこの(意識の)ようにあるのだろうけれど、それが実在することすら
知ることのできそうにないそれ(他意識)がしかしまちがいなく実在するだろう
とする信念から構成される錯綜した世界構造

その責任を「物自体」という妖怪に背負わせているとするなら
それは門違いってもんですよ

なーんて
ふとそんな戯言を
ここまで見た
  • 85
  •  
  • 2015/02/24(火) 20:20:27
確率と統計

確率を経験的に根拠づけは統計によるわけです
サイコロの特定の目が出る確率は直感的には6分の1ですが
その判断の妥当性は事象の統計を取ることで確認できます

一方で統計という手法が有効に成立することの直接的な理由は
世界が確率に支配されていることによります
そうでなければ世界に統計も確率も存在しないでしょう

ところで統計というものが世界に成立することは
様々な特性の強度の間に非常に正確な関係性を生みます
たとえばですね
サイコロのそれぞれの目の種類だけ対応する固有の色を付けておく
このサイコロを莫大な数だけ集めて振る
個々のサイコロが示す色はだいたい振る度に異なるでしょうが
しかしこれを遠くから見れば、全体はいつも同じ色に見える
直観的にはそんな気がしませんか

世の中に見かけ上、決定論的な経験世界が認められるのは
莫大な確率的事象が統計的に現象として表現されるからなんです

もちろん、さらにメタな世界を空想することができます
しかし論理を信頼する限り、どこかに適当なキリが有るように思います
ここまで見た
  • 86
  •  
  • 2015/02/27(金) 22:13:15
とあるアニメでセカンドインパクトなる用語がありますが
「セカンド・インフレーション」というのもあります

しかしこれ、パソコンで検索してもヒットしませんね
ビッグバン宇宙論で137億年前の宇宙開闢直後に起こったとされる大膨張
これを普通は「宇宙インフレーション」と呼ぶそうですが
これとは別に40億年前にも宇宙の膨張が加速したらしい
推定される観測結果がある
これを称してセカンド・インフレーションと呼ぶそうです
なんでも、生命の誕生時期と関係しているとかしないとか
夢のある話です
ここまで見た
  • 87
  •  
  • 2015/03/03(火) 17:06:19
世界をやりなおしても生命は生まれるか?

図書館に散歩に行った折りに、このような香ばしい表題の本を
見つけましたので借りて読んでみましたが
かような大問題にまともに取り組むなんてことが
そう簡単にできるはずがなく

でもまるっきりカスってわけでもありませんでしたよ
ここまで見た
  • 88
  •  
  • 2015/03/08(日) 20:59:25
情報って実際のところ何のことだろう
ここしばらくそんなことを考えていましたが
いまだ正体つかめず
ここまで見た
  • 89
  •  
  • 2015/03/08(日) 21:35:33
観察の理論負荷性は情報理論と折り合うのか

「観察の理論負荷性」それ自体を何らかの量として表現する手段が
あるならそれは可能ということになるのでしょうが、
観察の理論負荷性というのが実際のところ
「お、なるほどね」の状況で止まっている現状では
どうにもこうにも

それでも観察の理論負荷性は反駁し難いというか
捨てがたい魅力がありますね
一部の人間にとって哲学が麻薬のようである所以です
ここまで見た
  • 90
  •  
  • 2015/03/08(日) 21:48:27
うろおぼえの伝聞で恐縮ですが、そんな現代哲学を待つまでもなく、
アインシュタインは「観測内容は理論に依存する」ことを喝破し
それをボーアとハイゼンベルグに伝えた、そんな話をたしかに
どこかで読んだ記憶があるのですが、それがどこにあったのか
思い出せないし見つからない

とにかくその助言に励まされてボーアらは量子力学を推進しますが
当のアインシュタインが敵に回っちゃって、ボーアらにしてみたら
どないやねんという感じだったのかもしれません
ここまで見た
  • 91
  •  
  • 2015/03/08(日) 22:17:35
言語や常識をメタに分析しようとしますと、たいていの哲学者は
「言語化される以前の未分化な精神状態とか現象そのもの」に“たち戻って”
そこで感覚を集中させることで何かをほじりだそうとするわけです
そのやり方が間違っているとは決して言えないのですが
しかし正しいとする根拠も無い

しかも「立ち戻る」と言えば、その響きでなんとなく納得してしまいますが
「立ち戻る」という表現によって各個人に成立する価値や意義
その価値や意義に見合うだけの行為であることの根拠も、実は無い

それでもそのやり方にこだわってしまう
きっとそれには理由があるからなんでしょうが
おそろしいことです
ここまで見た
  • 92
  •  
  • 2015/03/14(土) 21:16:14
将棋の電王戦を少しだけ見てましたが
人間のプロが勝ってました

将棋なんて81マスの箱庭で、単純なルールに沿って
パチパチするだけの超限定された作業で争うゲームですのに
もはや異次元の計算能力を備えた現代のコンピュータさまがですよ
いかにプロ棋士であるとはいえ一人の人間に勝てないとか、わけ分かりません
こんな体たらくで、人工知能が遠からず人間の存在を脅かすとか
ちょっと夢見過ぎではないのか、なんて思いますが、どうなんでしょう

将棋で人間がコンピュータと張り合うことができているいる理由は
将棋で勝つための方法論が理論化されていないからのように
思います

方法論が確定している状況では、現代のコンピュータは
人間など相手にしないほどの圧倒的な能力がありますが
方法論を自分で確立できるだけの能力は原理的に無いのか
それとも経験が足らないだけなのか

経験をまさしく経験とできるだけの能力が果たしてあるのか
コンピュータが莫大な量の過去の棋譜を覚えていることが
そのデータ量に見合うだけの棋力をコンピュータが備えることに
果たして効率的に寄与しているのだろうか

なんとなくそんなことを
ここまで見た
  • 93
  •  
  • 2015/03/20(金) 20:24:10
アカギの武器は様相論理か

なんて思ったり
ここまで見た
  • 94
  •  
  • 2015/03/20(金) 20:36:25
哲学みたいなもんを掲示板で議論しますと
まるで話が噛み合わないことが多いわけですが
同床異夢と言いますか、そもそもお互いに見当外れなことを
考えているわけで

議論が心地よい空気で満たされる、そんな状況に
なったとしても、それはのんきな勘違いなのでしょう

ソクラテスクラスの達人がいればひょっとして別なんですかね
ここまで見た
  • 95
  •  
  • 2015/03/20(金) 21:19:26
合理的に考えることが自然に裏切られることが無い
だから誰もが合理的な思考を磨く

他人が「ある合理的な思考」を行うだろうことを信頼することで
その信頼される限りの合理性の範囲で、論理による勝負が可能となる
たぶんこれが「暗黙のルール」というもの

しかしそれを破って話を際限なくメタにしてしまう馬鹿がいる
もう論理によって勝負を決定することなど不能
まあ、わたしもよくやる手ですけど

あ、でも哲学なんて所詮はメタの取り合いか
センス次第ではそれが心地良いのかな
ここまで見た
  • 96
  •  
  • 2015/03/20(金) 21:33:44
アカギって奴は、相手の合理的思考の際を見切って
その裏をかくマジシャンなんでしょうけど

相手の心を利用しようとするなら、自身がその心と無縁では
それは不可能な芸当であるはずで、アカギが人間的な心から
超越した何者かとして描かれているのは、どうにも嘘くさい

恐れを知らないものが恐怖を狙い打てるでしょうか
ここまで見た
  • 97
  •  
  • 2015/03/27(金) 19:59:40
記憶喪失になったぼくが見た世界

そんな表題の本をブックオフで見つけましたので
買って読んでみました

18歳のときに交通事故で記憶を失い
そのあとの人生を一からやり直さねばならなかった青年が
事故から12年経ってから書かれた手記です

現実の生活は家族を巻き込んでの地獄だったろうことが
書かれた内容からも窺い知れますが、表現が純真というか爽やかで
詩的でもあり哲学的でもあり、楽しく読ませます
ここまで見た
  • 98
  •  
  • 2015/03/27(金) 20:19:03
「私がこの私であること」を支えているのは何だと思いますか?
魂でしょうか、それとも記憶でしょうか
わたしはちがうように思います

いまこの瞬間に開闢している意識と
いまこの瞬間のこの肉体とが繋がっていることが認識される

無条件に必要なのはそれだけです
あとは論理によってこの肉体の来歴などを理解することで
連鎖的に「了解」される

論理や理解には記憶が必要だろうがjk
と言われればそうですねハイ
ここまで見た
  • 99
  •  
  • 2015/03/27(金) 20:37:11
先述した記憶喪失の青年は、事故の前の18年間の記憶を
いまもって取り戻してはいないようです
その後の12年間の記憶だけが、彼の人格を表現するための
素材となっているわけです

記憶に無い18年間は自分ではないのか
それとも自分なのか

何を優先するかによって判断は異なってしまう
そんな感じでしょうか

どうも締まらない話ですいません
ここまで見た
  • 100
  •  
  • 2015/04/04(土) 19:44:04
現象

現象という言葉は小学生でも知っているわけで
わたしも何の不都合も無く何十年の間、日常的に使うことが
できていたわけです
ところが哲学で「現象」という言葉に出くわしますと
どうにも気持ち悪いことになってしまうわけです

現象学での現象の内容を、日常でで使うことは、まずありません
普通に現象と言えば例えば発光とか燃焼とか、モノやコト、
場合によっては人間の振る舞いなんかを表現するときに、
それを現象と呼ぶわけです
現象を「この意識」や「この感覚」と等価に扱うのは哲学ぐらいのもんです
心理学や認知科学でも、「この意識」のことは棚に上げ
すでに当たりまえのように一般化されたものとして扱っているように思えます

この哲学特有の問題意識は、何かしら大事なことなんでしょうか
つまり、「この意識」のありようについて反省の目を向けるなら
独断を避けることが可能となるのでしょうか
フリックゾンビ
フリックゾンビ
ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email