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  • 2014/10/26(日) 13:41:54
潮干狩り

何か落ちてるかも
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  • 2015/02/15(日) 18:46:36
現象学とか

何十年も前になりますか
そのころ哲学なんてものには大して興味も無く
理系の人間の多くが経験することだと思いますが
量子力学の洗礼を受けてその非直観的な世界に圧倒されてたわけです
いまだに量子力学が世界の何を表現しようとしているのか分かりませんが

そのころ一般教養の単位で哲学の講義を受ける機会があって
最初にいくつかの講義をはしごしたのですが、そのうちの一つが大当たりで
半年でパルメニデスからフッサールまでを概観する程度の
まあ哲学科の講義から見ればままごとみたいな内容なんでしょうけど
しかし世界が一変したような記憶があるような無いような

一切は“現象”
自然主義的な独断を留保して、そこに反省の目を向けよう

そりゃあもう衝撃的でした
フッサールの文章を読んでも何を言ってるのかさっぱり
分かりませんでしたが

最近、木田元さんの現象学についての解説を読んでみて
さすがに昔よりは分かったような気にはなりますが
やっぱりよく分かりませんね

よく分からないだけの話ですいません
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  • 2015/02/15(日) 19:11:39
不可知論と「無知の知」

以前、不可知論とか懐疑論はクソだゴミだクズだと確信して
その論理的な嘘くささを突いて粉砕しようとしたことがあったのですが
それは自分の中ではある程度成功したと思っていたのです(すいません
でも他人様にはほとんど通じませんでしたので普通に失敗なんでしょう

一方、無知の知というと、何かしら謙虚な姿勢のような感じがして
まあ哲学的に悪い態度ではないよねと、ずっと思ってたわけです
しかしこれ、不可知論と大差ないですよね
いったい人間は、何を知り得ないと言うのでしょうか
もとい、何を知りたいのでしょうか
どうなったら満足なんでしょうか
満足するなんて原理的にあり得ることなのでしょうか

哲学というのは、そのことに敢えて目をつぶり
確信犯的に概念を耕して新しい世界を作って提供すれば
それが十分に哲学であるということなのでしょうか

きっとこのままで良いのでしょう
どんなに理性が厳密を求めても、結局はどこかで開き直るしかない
・・・本当かよ
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  • 2015/02/15(日) 20:17:15
エントロピーとか

瓶の中に水が入っているとして
この水の体積とか温度を測る手段はあって、測定装置もあるわけですが
そのエントロピーを測るとなったら、それを直接に測る測定装置はあるのでしょうか

エントロピーというのは多分、計算でしか求まりません
極度に概念的な量なわけです(エネルギーも似たようなもんですが
しかしでは実在しない量かというと、これまた微妙な話で
エントロピーは原理的に「状態量」であることが証明されます
その意味はつまり、ある物質系が存在すれば、そのエントロピーは
物質系の履歴に依らない、そういう性質もあるわけです
その物質系がこれまでどのような状態を経てその状態になったのかに
関わりなく「今現在の状態」にエントロピーが一意的に対応する
だとすると、エントロピーはそれを計算する手段に依らずに
物質系にのみ依存して「実在する」と考えて良いような気がします
しかしその値を求めるには計算しないといけない
どうやって計算するかというと、「事実上はあり得ない“理想的な履歴”
を想定する」ことでのみ計算が可能です

エントロピーの量は実際上の履歴に依らないのだけれども
空想的な履歴に依って計算される

こんなひっくり返った話を理解しろというのは無茶な話です
科学ってしょっちゅうこんな荒技をねじ込んできます
実に暴力的です
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  • 2015/02/15(日) 20:57:56
不可知論とか懐疑論の根っこにあるのは、ほんとうのところ、物自体への理性の暴走
なんかではなく、自意識の投影としての他意識の「実在性」が
懐疑論の成立を支えているのかな

恐らくこの(意識の)ようにあるのだろうけれど、それが実在することすら
知ることのできそうにないそれ(他意識)がしかしまちがいなく実在するだろう
とする信念から構成される錯綜した世界構造

その責任を「物自体」という妖怪に背負わせているとするなら
それは門違いってもんですよ

なーんて
ふとそんな戯言を
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  • 2015/02/24(火) 20:20:27
確率と統計

確率を経験的に根拠づけは統計によるわけです
サイコロの特定の目が出る確率は直感的には6分の1ですが
その判断の妥当性は事象の統計を取ることで確認できます

一方で統計という手法が有効に成立することの直接的な理由は
世界が確率に支配されていることによります
そうでなければ世界に統計も確率も存在しないでしょう

ところで統計というものが世界に成立することは
様々な特性の強度の間に非常に正確な関係性を生みます
たとえばですね
サイコロのそれぞれの目の種類だけ対応する固有の色を付けておく
このサイコロを莫大な数だけ集めて振る
個々のサイコロが示す色はだいたい振る度に異なるでしょうが
しかしこれを遠くから見れば、全体はいつも同じ色に見える
直観的にはそんな気がしませんか

世の中に見かけ上、決定論的な経験世界が認められるのは
莫大な確率的事象が統計的に現象として表現されるからなんです

もちろん、さらにメタな世界を空想することができます
しかし論理を信頼する限り、どこかに適当なキリが有るように思います
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  • 2015/02/27(金) 22:13:15
とあるアニメでセカンドインパクトなる用語がありますが
「セカンド・インフレーション」というのもあります

しかしこれ、パソコンで検索してもヒットしませんね
ビッグバン宇宙論で137億年前の宇宙開闢直後に起こったとされる大膨張
これを普通は「宇宙インフレーション」と呼ぶそうですが
これとは別に40億年前にも宇宙の膨張が加速したらしい
推定される観測結果がある
これを称してセカンド・インフレーションと呼ぶそうです
なんでも、生命の誕生時期と関係しているとかしないとか
夢のある話です
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  • 2015/03/03(火) 17:06:19
世界をやりなおしても生命は生まれるか?

図書館に散歩に行った折りに、このような香ばしい表題の本を
見つけましたので借りて読んでみましたが
かような大問題にまともに取り組むなんてことが
そう簡単にできるはずがなく

でもまるっきりカスってわけでもありませんでしたよ
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  • 2015/03/08(日) 20:59:25
情報って実際のところ何のことだろう
ここしばらくそんなことを考えていましたが
いまだ正体つかめず
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  • 2015/03/08(日) 21:35:33
観察の理論負荷性は情報理論と折り合うのか

「観察の理論負荷性」それ自体を何らかの量として表現する手段が
あるならそれは可能ということになるのでしょうが、
観察の理論負荷性というのが実際のところ
「お、なるほどね」の状況で止まっている現状では
どうにもこうにも

それでも観察の理論負荷性は反駁し難いというか
捨てがたい魅力がありますね
一部の人間にとって哲学が麻薬のようである所以です
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  • 2015/03/08(日) 21:48:27
うろおぼえの伝聞で恐縮ですが、そんな現代哲学を待つまでもなく、
アインシュタインは「観測内容は理論に依存する」ことを喝破し
それをボーアとハイゼンベルグに伝えた、そんな話をたしかに
どこかで読んだ記憶があるのですが、それがどこにあったのか
思い出せないし見つからない

とにかくその助言に励まされてボーアらは量子力学を推進しますが
当のアインシュタインが敵に回っちゃって、ボーアらにしてみたら
どないやねんという感じだったのかもしれません
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  • 2015/03/08(日) 22:17:35
言語や常識をメタに分析しようとしますと、たいていの哲学者は
「言語化される以前の未分化な精神状態とか現象そのもの」に“たち戻って”
そこで感覚を集中させることで何かをほじりだそうとするわけです
そのやり方が間違っているとは決して言えないのですが
しかし正しいとする根拠も無い

しかも「立ち戻る」と言えば、その響きでなんとなく納得してしまいますが
「立ち戻る」という表現によって各個人に成立する価値や意義
その価値や意義に見合うだけの行為であることの根拠も、実は無い

それでもそのやり方にこだわってしまう
きっとそれには理由があるからなんでしょうが
おそろしいことです
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  • 2015/03/14(土) 21:16:14
将棋の電王戦を少しだけ見てましたが
人間のプロが勝ってました

将棋なんて81マスの箱庭で、単純なルールに沿って
パチパチするだけの超限定された作業で争うゲームですのに
もはや異次元の計算能力を備えた現代のコンピュータさまがですよ
いかにプロ棋士であるとはいえ一人の人間に勝てないとか、わけ分かりません
こんな体たらくで、人工知能が遠からず人間の存在を脅かすとか
ちょっと夢見過ぎではないのか、なんて思いますが、どうなんでしょう

将棋で人間がコンピュータと張り合うことができているいる理由は
将棋で勝つための方法論が理論化されていないからのように
思います

方法論が確定している状況では、現代のコンピュータは
人間など相手にしないほどの圧倒的な能力がありますが
方法論を自分で確立できるだけの能力は原理的に無いのか
それとも経験が足らないだけなのか

経験をまさしく経験とできるだけの能力が果たしてあるのか
コンピュータが莫大な量の過去の棋譜を覚えていることが
そのデータ量に見合うだけの棋力をコンピュータが備えることに
果たして効率的に寄与しているのだろうか

なんとなくそんなことを
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  • 2015/03/20(金) 20:24:10
アカギの武器は様相論理か

なんて思ったり
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  • 2015/03/20(金) 20:36:25
哲学みたいなもんを掲示板で議論しますと
まるで話が噛み合わないことが多いわけですが
同床異夢と言いますか、そもそもお互いに見当外れなことを
考えているわけで

議論が心地よい空気で満たされる、そんな状況に
なったとしても、それはのんきな勘違いなのでしょう

ソクラテスクラスの達人がいればひょっとして別なんですかね
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  • 2015/03/20(金) 21:19:26
合理的に考えることが自然に裏切られることが無い
だから誰もが合理的な思考を磨く

他人が「ある合理的な思考」を行うだろうことを信頼することで
その信頼される限りの合理性の範囲で、論理による勝負が可能となる
たぶんこれが「暗黙のルール」というもの

しかしそれを破って話を際限なくメタにしてしまう馬鹿がいる
もう論理によって勝負を決定することなど不能
まあ、わたしもよくやる手ですけど

あ、でも哲学なんて所詮はメタの取り合いか
センス次第ではそれが心地良いのかな
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  • 2015/03/20(金) 21:33:44
アカギって奴は、相手の合理的思考の際を見切って
その裏をかくマジシャンなんでしょうけど

相手の心を利用しようとするなら、自身がその心と無縁では
それは不可能な芸当であるはずで、アカギが人間的な心から
超越した何者かとして描かれているのは、どうにも嘘くさい

恐れを知らないものが恐怖を狙い打てるでしょうか
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  • 2015/03/27(金) 19:59:40
記憶喪失になったぼくが見た世界

そんな表題の本をブックオフで見つけましたので
買って読んでみました

18歳のときに交通事故で記憶を失い
そのあとの人生を一からやり直さねばならなかった青年が
事故から12年経ってから書かれた手記です

現実の生活は家族を巻き込んでの地獄だったろうことが
書かれた内容からも窺い知れますが、表現が純真というか爽やかで
詩的でもあり哲学的でもあり、楽しく読ませます
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  • 2015/03/27(金) 20:19:03
「私がこの私であること」を支えているのは何だと思いますか?
魂でしょうか、それとも記憶でしょうか
わたしはちがうように思います

いまこの瞬間に開闢している意識と
いまこの瞬間のこの肉体とが繋がっていることが認識される

無条件に必要なのはそれだけです
あとは論理によってこの肉体の来歴などを理解することで
連鎖的に「了解」される

論理や理解には記憶が必要だろうがjk
と言われればそうですねハイ
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  • 2015/03/27(金) 20:37:11
先述した記憶喪失の青年は、事故の前の18年間の記憶を
いまもって取り戻してはいないようです
その後の12年間の記憶だけが、彼の人格を表現するための
素材となっているわけです

記憶に無い18年間は自分ではないのか
それとも自分なのか

何を優先するかによって判断は異なってしまう
そんな感じでしょうか

どうも締まらない話ですいません
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  • 2015/04/04(土) 19:44:04
現象

現象という言葉は小学生でも知っているわけで
わたしも何の不都合も無く何十年の間、日常的に使うことが
できていたわけです
ところが哲学で「現象」という言葉に出くわしますと
どうにも気持ち悪いことになってしまうわけです

現象学での現象の内容を、日常でで使うことは、まずありません
普通に現象と言えば例えば発光とか燃焼とか、モノやコト、
場合によっては人間の振る舞いなんかを表現するときに、
それを現象と呼ぶわけです
現象を「この意識」や「この感覚」と等価に扱うのは哲学ぐらいのもんです
心理学や認知科学でも、「この意識」のことは棚に上げ
すでに当たりまえのように一般化されたものとして扱っているように思えます

この哲学特有の問題意識は、何かしら大事なことなんでしょうか
つまり、「この意識」のありようについて反省の目を向けるなら
独断を避けることが可能となるのでしょうか
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  • 2015/04/04(土) 20:08:20
あなたが理解する一切は意識現象でしかない、とか説いても
大半の子供はなんのこっちゃ分かりません
つまり哲学の問題意識というのは、発達段階あるいは
経験値に依存しているように思えますが、それでも
大抵の人が不思議にもそのうち分かるようになります

しかしそのような問題意識が発生しないとしても
生存のために不利になるとか、そんなことは恐らくありません

ひょっとすると大きな勘違いというか、数千年に渡る巧妙なペテン
空前の夢物語、とんだ茶番

そうであって欲しいような欲しくないような
もしそうであっても、暇になれば潮干狩りをするのですが
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  • 2015/04/11(土) 19:22:44
四月には人事異動なんかがあったりします
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  • 2015/04/11(土) 19:26:50
慣れた職場から離れるのは寂しい気もしますが
根が飽き性なので、ちょうど良かったか
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  • 2015/04/11(土) 19:28:20
どうも頭が回りませんので
つぶやくことしかできません
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  • 2015/05/06(水) 23:15:03
動かない機械は動かない
動く機械は動く

動く理由は、動かない理由が無いことに尽きる
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  • 2015/05/11(月) 18:10:50
仕事休みの良い天気でしたので
久しぶりに親父の墓参りなんかに行ってみましたが
その帰り道、若くて純朴そうな女性がいきなり横から
「すいません」と言ってきたので、根が親切な私は
つい立ち止まってしまいもした(薩摩ふう

話を聞くと、果物を買ってくれってー話で
見ると何だかへんてこりんな、グレープフルーツかこれ
断るのも面倒になり、相手の笑顔に負けて1個買ってしまいました
値段は210円でおました

帰って調べたら、最近流行りのキャッチセールスらしいです
地道なのか狡猾なのかよく分からん不思議な商売があるもんです

いま食ってみましたが、思いの外、なかなかいける
ちょっとうれしい誤算
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  • 2015/05/17(日) 17:36:41
「カラスは黒い」は帰納なのか

ヒュームとかいうおっさんが2ch界隈では大人気で
たぶんカントとウィトゲンシュタインの次ぐらいに名前が
よく出ているように思います
私は不勉強で、この人の書いた物を読んだことはありませんが
普通に言われてるのは、帰納を否定した人として有名なのだそうで

帰納なんてのは錯覚に過ぎない
今日まで太陽は昇ったが、明日は昇らないかもしれない
明日太陽が昇ることの論理的な必然性はない

ですとさ

しかし明日、太陽が昇るような世界こそが論理を保証している
とは考えなかったのでしょうかね
これは「自然の斉一性によれば」ぐらいの生ぬるい話ではないわけです

「明日、太陽が昇る」という“落書き”が記号として成立する、
つまり論理を媒介として言語として機能する、そのために
明日も太陽が昇る“ような”世界が、そもそも前提なのです

なぜなら、「帰納を否定する」という底の浅いトリックを信用するならば
「明日、太陽が昇る」という落書きが、明日になったら
「今日は、太陽が昇らない」という意味になることも否定できないからです

哲学に限りませんが、自己破壊的な格言が世の中には受けるようです
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  • 2015/05/18(月) 18:26:32
デカルト、無用にして不確実  (by パスカル)

怖え・・・
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  • 2015/06/03(水) 19:01:41
最近なんだか貧しい上昇志向に囚われてしまって
こんなことじゃ駄目ですね
もっとおおらかに生きたい
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  • 2015/06/03(水) 19:08:53
以前に2chでエネルギー保存則について討論めいたことを
した記憶があるのですが、人によって「エネルギー」についての
認識の違いが著しく、まるで話が噛み合わないわけです

最近、省エネルギー法を勉強する機会があって、
省エネ法に於ける“エネルギー”の定義には太陽光や地熱は含まれないそうです
ウランも風力発電も含まれません

エネルギー、自由すぎる
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  • 2015/06/12(金) 19:08:50
分析的判断と総合的判断

数学の証明は全てトートロジーだ、などとまことしやかに言われ
“教養人”に於いて、それは常識となっているかのようです
何年か前に2chで、幾何学の定理はトートロジーなどではありえない
とぶっちゃけたら、鼻で笑われました

最近たまにカントなんぞをちら読みしたりすることもあって
この大先生が「数学の諸命題は分析的ではない」なんて書いておりまして
少しばかり心強く感じているわけです
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  • 2015/06/12(金) 19:27:44
幾何学の諸定理がトートロジーではない
そう私が判断した理由はですね
幾何学の公理は平面そのものではない、ということなんですが
何が言いたいか伝わりますかね・・・

幾何学では、図形を平面上で自由に移動させたり回転させたりして
それは「当該の目的に関して前提状況と同等である」ことを認めていく
そういった手続きを次々と続けることで証明したい事態にまで
状況を移していくわけです

もっと簡単に説明しますと
平面上で、角度とか線分を含む図形を移動させるのですが
移動させてしまったらもう元の図形ではないわけです
しかしそれは、当該の目的に対しては平面上で等価に移動させることができる
平面にはそのような性質がある
そのことは、公理には含まれていないわけです
公理以前の、世界のあり方そのもの
観念論的には、世界の捉え方そのもの
その背景情報が、証明の各段階に於いて暗黙的に加わることでこそ
証明という作業は可能となるだろう

そんな風に考えたわけです

こんな説明で納得する奴はおらんわな・・・w
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  • 2015/06/12(金) 20:01:19
分析的判断といいますと
前提の中に結論の情報が含まれているような
そういった種類の証明を真だとする
そのような判断であるのだと思います

それはたとえば、
私は男子校の生徒である→ゆえに私は男である
のようなことでしょう
(まぁ、これも無条件に真だとも言えんか)

しかし三平方の定理が公理に含まれているかと言えば
とてもそんなことは言えない

カントは「7+5=12」という例によって、7と5という概念と
その和という概念だけからは、12という概念は導けない
そんなことを書いています
たぶんカントは、数式の背景にある、この計算を可能とする
情報の源泉を見たのでしょう
そこから引き出される情報は、ア・プリオリな総合的判断によるものだ、と

なかなかやるな、カントくん
と感心したわけですが・・・

しかしどうやらこの洞察も近代数学では落ち目というか、「違う」と判断されて
部屋の隅に追いやられ、消えていく運命であるようです
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  • 2015/07/01(水) 19:41:17
世間様に遅れること2年、「舟を編む」なんかを読んでみました

国語事典を作る人々を巡るお話ですが
ほのぼのとして、まあまあ面白かったかな
しかし最近の作家さんは、楽しく読ませるのが
みんな上手いですね
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  • 裏表のある素敵な人@拓の月◆
  • 2015/08/16(日) 21:07:59
こんなところに良スレが
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  • 2015/08/20(木) 21:03:22
そう言われても何も出てこないわけだがな

からっぽで
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  • 2015/08/20(木) 21:12:06
そもそも哲学というのは何なのでしょう
その本当のところは分からないのですが
実際やっていることは「勝ち負け」です
では何を求めての勝負なのか
真理?  いやぁ。。
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  • 2015/08/20(木) 21:30:05
何年か前は、どこまで思考に潜れるか、みたいなことに情熱があったのです
そこにはだれも見たことのない世界の仕組みがある

だけどそれを拾ってきても、やっぱり誰にもそれは見えない
誰にも見えないということは、真理ではないということ
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  • 2015/08/20(木) 21:37:24
世界最強の頭脳を持つ二人の哲学者が討論をやっている
その内容は周りの誰にも理解できない
しかし当人同士では話が通じている様子
このとき果たして、彼らは意味のあることをやっているのでしょうか

それとも、「彼ら二人だけにしか理解できない」という事態は
そもそも起こりえないのでしょうか
真理には、それだけの力が保証されているのでしょうか
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  • 2015/08/20(木) 22:11:31
~世界に真理が無くても言葉は成立するか~

わたしは、「何が真理か」については分からなくても世界が成立している以上、
真理が存在することは自明だろう、と素朴に思っていたのです
そうとしか思えないわけです

そうでなければ、混沌が混沌のまま、世界と真理がそれとして
その都度、偶然に現れることになる
ばかばかしすぎる

だが待て
真理も世界も所詮は言葉でしかないのだから
言葉が成立する限りのことでしかない、そのことに、真理による保証が
果たして必要だろうか
そもそも、その真理には内容を与えることができないではないか
そのような宙に浮いた話は、わたしが最も毛嫌いし、攻撃してきたことのはず

それとも、内容が無いことは、意味のあることなのか
つまり内容を説明できない言葉は、実際には運用され
力を持ち、人の振る舞いを制御できる、
ひょっとすると、そのようなことがそもそも世界なのではないのか
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  • 2015/08/29(土) 01:00:05
ウィトゲンシュタイン vs ポパー

そんな題名の本を読みました
怪獣どうしが戦ったらどっちが強いんだ
そういう話が世間に受ける
これはまちがいない
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  • 2015/08/29(土) 01:32:00
わたしはウィトゲンシュタインのことはあまり知りませんが
ポパーはもっと知らない

にもかかわらず私の思考傾向が、明らかにウィトゲンシュタインの
影響下にあるだろうことは、自覚的に感じることができます
それは、脳科学とか認知科学やらが、ウィトゲンシュタインのアイデアを
取り込んでおり、それが科学的な常識となり、空気となり、
どしろうとの私の思考にも影響してくるからです

ウィトゲンシュタインのアイデアとは、「言語ゲーム」という
“言葉を発明したこと”に尽きます
この人より先に、似たような境地を捉えていた人はいたのでしょうけど
言語ゲームというネーミングと、その概念を巡っての彼の思考が
抜群にセンス良いわけです

一方で「論理哲学論考」が現代の学術に対して影響を与えているとは
とうてい感じられません
あの本の内容というか、
「ウィトゲンシュタインが伝えたかったウィトゲンシュタインの見えたもの」
が分かるひとは、たぶん世の中にいないでしょう
ここまで見た
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  • 2015/08/29(土) 01:44:14
ちなみに、>>121で紹介した本は、わたしのような「事情に疎い輩」なら
買って損はないかもしれませんが、ひりひりするような思考の激突を
期待しても、まったく肩すかしをくらいますので
ここまで見た
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  • 2015/11/05(木) 16:11:51
今年の国家資格は全敗

もう人生に残された時間は少ないってのに
しょうがないですねぇ
ここまで見た
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  • 2015/11/05(木) 20:05:54
ちょっと哲学ごっこでもしようかと思ったが
なんかもう無理ですね

説明というのは、どれだけのことが可能なのでしょうね
たとえば、足し算引き算の話から、まさに説明だけの力によって
微分方程式までの話を積み上げて理解させることが可能でしょうか

できるわけがない
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  • 2016/08/27(土) 17:47:26
まぐれでエネルギー管理士に通りそうです
しかしもう仕事休みたいね
旅に出ようかしら
ここまで見た
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  • 2016/08/27(土) 17:56:18
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

最近はほとんど本を読まないのですが
以前から気になっていたテーマでしたので
思わず買ってしまいました。

“見るのに目は必要でない”

そうですよね、やっぱり。
ここまで見た
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  • 2016/09/11(日) 04:57:23
サイモン・シンの暗号解読には、いろいろ面白い話が書いてありますが
そこで紹介されている解読作業というものは結局のところ
未知の記号羅列を既知の言語記号に対照させていく
全てそのような作業です
つまり暗号が意味を持つためには、言葉という活動が意味を表現している
ということが前提なのです

では言葉が意味を表現するのはどうしてなのでしょうか
記号の配列パターンそのものには、意味を生み出す作用などありません
しかし記号とその配列パターンが結果として、犬でも猫でもない我々の前に限り、
論理を照らし出し、論理を通して世界が見えるのです

ところが論理そのものの成り立ちは言葉では説明されません
「論理は主観や慣習の産物である」などという念仏は単に、
「納得しやすい思いつき」に過ぎませんし、何も言っていないのと
同じことです
なぜなら、その主観や慣習が「何であるか」どころか、それらが
論理の源泉であるためには「どのようであるべきか」すら全く分からないのです
そもそも何かを説明するためには無条件に論理を使うしかないからです

論理とはいったいなにごとなのでしょうか
概念成立の活動一般でしょうか、カテゴリー機能でしょうか
もし論理がそのようなものとしてしか説明できないのであれば、
論理によって宇宙人に何かを説明することは、不可能です

論理を普遍とするための機械、つまりそれ自身が意味であるような
そんなおもちゃが要るでしょう
ばかばかしいと思いますか?
しかし人間も、おもちゃみたいなものですよ
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  • 2016/09/18(日) 18:57:04
~現在という“現象”は、どうして観測されないのか~

「客観的な現在」つまり「物理的な現在」というようなものが
果たしてあるのでしょうか
少なくない数の科学者が、「現在とは意識が作りだしたものだ」とか
「脳が作り出す“今”という虚構だ」とか、無責任に言い放ちますが
では、どのような物理的過程によって脳あるいは意識が今を作り出すのか
と問われたら、まともに答えられる人は世界中に一人もいません
驚くべきことです

物理的過程には時制がありません
物理で扱う「ある時刻t」が一秒前なのか100年前なのか、そして今なのか
そんなことは問題にしないのです
物理は現在とは何であるかについて、見事に無視します

一方で、「今しか無いよ」と言い出す哲学愛好家も少なからず存在します
過去は実在しないし、時間は観念が作りだした虚構である、というわけです
彼らの言う「いま」とは何のことでしょうか?
所与としての「いまここ」?
そりゃあまあ、そうなんでしょうけど、それは何一つ説明しないのです
つまり、「現在だけがある」ことを認めない人に対しては、一切の説得能力が無いのです
彼らにできることは「分かってないなあ」という寂しげな遠吠えだけです
「いや分かってますよ」という反論は、彼らの心には届きません
なぜなら、そこに論理が働く仕掛けが無いからです
現在中心主義を主張するなら、過去という“虚構”がどうやって構成されるのか
示さねばならないはずですが、それを試みたところで無能をさらけ出すだけです
それが怖いので、誰もやろうとはしないのです

私は、現在を覗くことができるでしょうか
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  • 2016/10/01(土) 20:46:33
パラドクスは論理によるものであり
自然には矛盾もパラドクスも無い

・・・などと、どうして独断できるのか
根拠不明ですね

むしろ矛盾とパラドクスを研究することで
自然の本質も見えてくるはず
そう考えるのが“自然”です

なぜなら、我々は、論理がどうしてこのようにあるのかすら
知らないからです
フリックゾンビ
フリック回転寿司
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