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  • 2010/09/13(月) 15:40:56
mixi(mixiディアカテゴリ密閉性の高い議論が可能)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3508030


インターネットワイドショー掲示板(30000レス以上可能DAT落ちなし規制なし)
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=tv&tn=0861&rn=1000

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  • 2013/06/30(日) 16:41:02.57
言い忘れたが雪門老師は水上勉と同じく京都市相国寺の出である。
話は前後するが西田幾多郎の通った四高についてどうしても語っておきたい。明治政府による1886年
教育令の改正により帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令が公布され、それに伴い石川県専門学
校が第四高等中学校と改称され、官立に移管された。このことは西田幾多郎の生涯に大きな影響を与える
ことになる。正直私もよく理解しているとはいいがたいのであるが(笑)、それまでの加賀藩の経営から
官立になり校風ががらりと変わった。加賀藩は藩主が学問好きであったことも幸いして自由で学問がさか
んなところであった(おそらく地方では最高レベル)が官立になり上の者は明治政府から派遣された薩摩
藩や長州藩の人材で占められたためがちがちの官僚制が学校を支配した。そもそも四高とは明治政府が自
分達に役に立つ役人を育成するためにつくられた学校であったから政府の考えを吹聴したし、それでなく
ても加賀藩は幕府側についていた過去があったので明治政府から派遣された者が相当いばっていたらしい。
以上のことが主たる原因で反抗的な不良(笑)西田幾多郎は1889年には「行状点欠少」で落第、1890年
には中途退学してしまう。

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  • 2013/06/30(日) 16:41:37.25
ここで四高時代の西田幾多郎君の友達を紹介しておこう(笑)。
鈴木貞太郎君(大拙)(1870〜1966)
説明は不要だろう。1889年に医者である父親が亡くなり学業を続けることができなくなる。学校をやめて、
小学校の英語教師になる。後学問への思いやみがたく東京専門学校(現早稲田大学)に入学。同時に宗教へ
の憧憬が高まり鎌倉円覚寺に参禅する。前にも書いたとおり当時静かな「禅」ブームがあり円覚寺には実業
家から夏目漱石までいろいろな人が集まった。最初に師事した今北洪川禅師はすぐに亡くなったためつづく
法嗣の釈宗演禅師に師事した。のち釈宗演に「禅」を学び仏教を研究しに来ていたベアトリス・レインと結
婚する。寺で恋愛してもいいのか(笑)鈴木君!

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  • 2013/06/30(日) 16:42:55.63
松本文三郎君(1869〜1944)
西田君の一級上。国立国会図書館のデータでは(1865〜1944)とある。余談ながらこの時代の人達の
生年はいいかげんである(笑)。森鴎外(1862〜1922)はたしか年齢をいつわって東京帝国大学に入
学している。青年期の2〜3年の学力差は大きくいかに秀才のほまれ高い森林太郎君でも成績はトップ
クラスにはなれなかった。上位数名になると国費で外国留学できたのだ。なんとしてでも外国留学をし
たかった森林太郎君は陸軍からの誘いを受けてプロイセンへ留学をはたす。彼が金髪美人好きかどうか
私は知らない(笑)。

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  • 2013/06/30(日) 16:43:51.85
調べてみると松本文三郎君はインド哲学・仏教学者と書かれてい る。京都帝国大学教授、東方文化研究
所所長ともある。私がよくも知らないのになぜ紋切り型の履歴を 羅列したかというと、四高時代西田君
は藤岡作太郎君、金田良吉君そして松本文三郎君と「我尊会」と いうグループをつくり回覧雑誌をつく
っていたからだ。だから一級上といえどもよく知っていたという べきであろう。幼いころに母親をなく
していらい宗教的なものに関心が強かった、西田君の言葉でいえ ば「弱年にして既に超世間的で深く人
生問題について考えていた」鈴木君とともにインド思想や仏教に ついての知識量は西田君をはるかに超
えていたはずだ。(鈴木君は本気でインドに行きたいと考えてい た。アメリカにいった理由のひとつも
アメリカ経由でインドにいけるかもしれないと考えたからだ。) 西田君からみると、もし仏教学につい
て学んでいってもこのふたりにかなうわけないだろうと考えざる をえないし、むしろいろいろ教えても
らっていたことだろう。「私は多くの友を持ち、多くの人に交っ たが、君(鈴木君のこと)の如きは稀
である。君は最も豪さうでなくて、最も豪い人かも知れない。私 は思想上、君に負ふ所が多い。」鈴木
大拙著「禅と日本文化」序から引用。もともと西田君は数学者に なりたいと考えていた。失礼ながら、
>>67>>69では比較する人が暗黙の内に仏教学者が前提されて いる。(余談だが、中村元晩年の「自
己の探求」や「論理の構造」はすごい!)間違いとまではいわな いがその点において西田君がかなうはず
がないし、本人も級友たちをさしおいてそんなつもりはなかったにちがいない。心をまっさらにして西田
の著作を読んでみたら仏教の 言葉からの引用が意外に少ないのにおどろかされるはずだ。私もお世話にな
ったが禅宗の本というのは「不立文字」といいながら禅語の解説がやたら多い(笑)。私が>>61で「西
田は人が思うほど禅者で はない」といったのはその意味である。

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  • 2013/11/27(水) 15:12:49.97
結構面白かった

https://i.imgur.com/f6gqIfZ.jpg


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  • 2013/12/02(月) 00:16:09.64
>26 名前:考える名無しさん [sage] :2010/10/23(土) 13:51:18 0
>>25
うんまあ、そういうと>>12に戻るんだが、今さらそんな哲学自体が必要とされてないでしょ。
哲学が力を持っていた時代ならともかく。
このごろは「日本人の心」「仏の心」みたいなワードは商業的にウケやすいから、
うまく時流に乗せて『疲れを癒す、強くなる!日本人に響く西田幾多郎の言葉』みたいな新書出せば
頭の弱いサラリーマンには売れるかも知れないけどさ。



こういう謎の優越感に浸れるのは哲学のメリットだな。

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  • 2013/12/16(月) 17:02:37.03
西田幾多郎は禅寺へ行くたびに、修行僧にどうやって性処理しているのかと
しつこく聞きまくっていたらしい。

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  • 2013/12/16(月) 17:17:14.91
>>233
「謎の優越感」というと、上の文では「頭の弱いサラリーマンには売れるかも知れないけどさ」
とか、「商業的にウケやすいから」あたりかな?で、俺は頭が強くて商業的にウケる物なんてハナにもかけないよ!
なんて思ってるって事だね?

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  • 2013/12/16(月) 22:58:24.03
西田幾多郎は、ウィリアム・ジェ−ムズと同じように「純粋経験論」を基底とした
思考展開をしているが、西田幾多郎はプラグマティズム理論をどう捉えていたのであろうか。

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  • 2013/12/19(木) 22:22:37.87
「物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない」

ってどういう意味?

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  • 2014/01/01(水) 18:47:03.58
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/nagasawa/post-273.html
空海が見えなかった西田幾多郎・鈴木大拙

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  • 2014/02/17(月) 10:07:10.57
働くとは傍を楽にするという意味があるから、自己を持っていては働けないためである

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  • 2014/03/08(土) 02:02:18.80
これはひどい

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  • 2014/04/24(木) 16:40:50.57
そろそろ熊野純彦訳西田幾多郎が出てもおかしくないなw

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  • 2014/06/11(水) 15:06:03.01
西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」とは、「多」と、「一」との“矛盾的自己同一”と述べている。
この「絶対矛盾的自己同一」と、ヘ−ゲルの「弁証法」とは、どの様に連関しているのでしょうか?

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  • 2014/06/11(水) 15:59:50.50
>>242
一行目があいまいすぎて二行目の質問が意味を成していない。

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  • 2014/06/15(日) 01:22:31.55
西田の講演とか読め。

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  • 2014/07/26(土) 03:40:22.71
善の研究

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  • 2014/09/29(月) 11:43:36.79
とにかく注釈が大量に必要なひとだな

ようは難しい。
青空文庫でよめるが、よくわからん、あのへたくそな文章をだれか翻訳してくれ、、、、

思想は深淵ぽいのに、文章がへた。

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  • 2014/09/29(月) 13:48:47.34
>そろそろ熊野純彦訳西田幾多郎が出てもおかしくないなw

そんな無駄なことにエネルギーを費やすくらいなら、
熊野純彦は自分で存在論の主著を執筆すべきだろう。

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  • 2014/09/29(月) 14:47:20.30
西田幾多郎の「善の研究」に対抗して、熊野純彦には是非、「偽善の研究」を著してもらいたい。

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  • 絶対弁証法ってなに?こいつ馬鹿?↓
  • 2014/09/29(月) 20:44:39.10
「似ていますが、少し違うのです。ヘーゲル弁証法は、
対立する二つの観念が止揚される(両者の意味を含みながらそれらを
統合する新しい観念となっていく)ことによって、
観念が一つ上の次元に上がっていくような過程的弁証法です。
正-反-合と表現されることがありますね。例えば、無-有-成などの弁証法が有名です。分かりますか?」

「はい。分かります」

「次に、絶対矛盾的自己同一の場合は、対立する二つの観念が、
対立すると同時に同一の観念でもあることを示します。その認識の全体像が一つの新しい観念というか
認識を創っているのです。分かりますか?」

「つまり、ヘーゲル弁証法のように、新しい考え方に発展するのではなくて、そのまま異なると同時に同じだという両方をそのまま肯定する考え方なのですね」

「そうです。絶対弁証法ともいい、
異即同、同即異というように絶対的に現在を肯定する考えなのです。
・・・私の任を超えて少し話すぎました」

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  • 2014/09/29(月) 21:41:45.51
ヘーゲルの弁証法は矛盾を克服

西田の弁証法は矛盾を包摂したままなんじゃないのか?

だれかかしこいやつ教えてくれ?

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  • 理趣経
  • 2014/09/29(月) 22:36:14.77
絶対弁証法なんてただの仏教のぱくりだろ

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  • 2014/09/30(火) 03:57:24.61
>>251
ヘーゲルは矛盾するものを切り分けそれぞれに本質があると言ったが、
西田は矛盾こそ一の本質であると言った。

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  • 2014/09/30(火) 11:04:03.85
>西田は矛盾こそ一の本質であると言った。

それだと禅問答にとどまってしまうね。
矛盾するものにも、切り分けたそれぞれにも本質がある。

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  • 2014/09/30(火) 11:12:37.67
ヘーゲルと西田の弁証法を組み合わせたら、論理にならんだろ

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  • 2014/09/30(火) 11:19:58.07
すると、その論理が間違っている可能性があるね

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  • 2014/09/30(火) 14:50:15.61
>>254
禅問答をばかにすんな

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  • 2014/09/30(火) 19:24:38.66
>>250
「絶対矛盾的自己同一」とは、対立する二つの観念が、対立すると同時に
同一の観念であることを示しますが、その認識の全体像が西田哲学特有の新しい
哲学概念を現している。

ここで、問題点が提起される。 それは、主観と客観、或いは、有と無の同一(=融合)が、
絶対的に自己の領野に於いて肯定されますが、具体的にどのような「思考過程」で、異即同そして
同即異が、可能となるのかが示されていない。

例えば、現象学の創始者であるフッサ−ルは、「純粋精神(構成的内在)」に至る為の「思考過程」を
“エポケ−”を使用して具体的な思考手順を示している。
難解な西田哲学を理解するうえにも、具体的な思考手順は最も必要なものの一つであると思う。

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  • 259
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  • 2014/09/30(火) 19:58:38.38
矛盾そのものにも本質があるだろうけど、矛盾のないものにも本質はあるだろう。
矛盾のないものと矛盾の関係にも本質があるのではないか。

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  • 2014/09/30(火) 20:36:09.40
>>259
「矛盾のないもの」と、「矛盾」の関係にも“本質”がある。
私も、その通りと考えている。問題は、西田哲学に於いて、
「矛盾のないもの」と「矛盾」が“同一化(=融合化)”するところにある。
この両者が「融合化」する思考過程の手順が、西田哲学で示されているのだろうか。

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  • 261
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  • 2014/09/30(火) 21:39:57.27
フッサールなんかと、巨人西田を比較するとはwwwwww

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  • 2014/09/30(火) 23:01:00.81
西田哲学の基底となっているのは「純粋経験」であり、この「純粋経験」の概念から
論理展開を進めている。この「純粋経験」に至るには、現象学的思考よって実践される。
つまり、「形式論理思考」から「純粋経験」へ至ることはできない。西田幾多郎はウィリアム・ジェイムズの
「純粋経験」の影響を大きく受けているが、ウィリアム・ジェイムズは当時のヨ−ロッパに於ける現象学的な
流れ(マッハ等)を吸収している。そして、このマッハの影響を受けているのがフッサ−ルであり、すべてが関連
しているのである。

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  • 263
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  • 2014/09/30(火) 23:06:53.29
↓インターネットワイドショー掲示板に乱入する禁書厨を批判して欲しい↓
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/tv/index.html
↑インターネットワイドショー掲示板に割り込む禁書厨を非難して欲しい↑
必ずデジモンを無条件で全部擁護して欲しい
絶対にデジモンを無条件で全部擁護して欲しい
確実にデジモンを無条件で全部擁護して欲しい
100%デジモンを無条件で全部擁護して欲しい
十割デジモンを無条件で全部擁護して欲しい

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  • 264
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  • 2014/09/30(火) 23:49:11.50
フッサールは浅い
西田はもっと深い
仏教的といっていい

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  • 265
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  • 2014/10/01(水) 17:53:26.72
フェリペ二世はポルトガルの王までやっていた


まあ屑だな。

ああいう戦国時代の王とか

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  • 2014/10/02(木) 00:25:26.63
大蔵商事
創価学会
こういうカルトがなくならないと、仏教の価値が下がる

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  • 267
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  • 2014/10/30(木) 11:21:41.10
僕は音楽で神秘体験をしているので、西田幾多郎に共感します。

いま注目しているのは西田の影響を受けた根井康之です。

根井康之は21世紀を代表する思想家になるかもしれません。



東西の形而上学の統合による「世界哲学」としての絶対無の形而上学の形成

http://www.geocities.jp/neieiko/ron/ron3.html

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  • 2014/10/30(木) 11:33:53.05
最後の部分を抜粋しました。

この諸科学と形而上学が統合された統一的・全体的な知を一人ひとりの個人が、
わがものとして獲得することにより、科学的知識と技術的意志によって
その生を制御される諸個人が、感覚的世界から超感覚的世界へ翻転し、
その最深層の次元に於いて、究極的実在と合一し、<本来的自己>を実現するとともに、
再び感覚的世界に還帰し、生活の全領域において生ずる諸問題を根底的に解決することが可能となる。

それによって、科学的知識と技術的意志によって制御された猪個人の生は、
その自己閉鎖性を克服し、他のすべての個物・個人と創造的エネルギー・生命によって
一つに結びつけられた全実在界大の自己=<本来的自己>を実現するための外的条件となるのである。
それが、一人ひとりの個人が自己のうちに貫流・充満する同一の創造的エネルギー・生命が、
他のすべての個物・個人のうちにも貫流・充満しており、
それによって自己が他のすべての個物・個人と一つに結びつけられている
――という一体観に歓喜を覚えるという、生の究極目的を実現するということにほかない。

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  • 2014/10/30(木) 13:18:00.38
あなたの潜在能力を引き出します!
http://www.senzainouryoku-lab.com/

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  • 2014/11/04(火) 13:04:01.19
新プラトン主義を復活させよう。

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  • 2015/06/22(月) 15:44:09.77
物事を『ある』とみるか『なる』とみるかで叙述は変わるよな。

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  • S、イマムラ
  • 2015/06/22(月) 16:19:58.33
c点論者

「文献学」の英才は別に成って、昼寝していて下さい。
サイト「c点による時空論 改訂版」の熟読者に、お伝えします。

?絶対矛盾的 → 「有」と「無」 と考えたい。
?自己同一  → 「有」=「無」 とこれは矛盾である。
?科学では、「矛盾の否定」が大原則。
?絶対矛盾的自己同一   →   科学では「ナイ」。
?これは   「哲学」でもない。 哲学でも矛盾は許されない。
?これは   「本質論」である。 何故なら、矛盾が許されている。

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  • S、イマムラ
  • 2015/06/22(月) 16:40:20.98
c点論者

?「哲学」は、有る時代、ある場所、有る集団(民族、国民など)に
  おいて、合理的論理正しい了解可能な「観念」から、論理正しく
  連合した「観念連合」により、至った「真理」は、「哲学的真理」
  と言える。
?「哲学」は「永遠の真理」では無く、哲学は「変化」する。つまり、
 哲学の出発「観念」が、時代、場所、集団などの変化に「応じて変化」
 するからで有る。
?西田哲学の「本質」は「信ずる者ノミに許される」
 よった、「本質論」と言うべきである。
 「権威ある学者」や「文献」を根拠に、その正当性を言うべきでは無い。

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  • 274
  • S、イマムラ
  • 2015/06/22(月) 16:43:46.73
c点論者

「本質論」については
    サイト「c点による時空論 改訂版」を熟読されたい。

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  • 275
  • S、イマムラ
  • 2015/06/22(月) 16:54:33.67
c点論者

 西田哲学を「間違い」と言うのでは無い。
 これは、「本質論」としては、優れた「思索」である。

 「c点」と「絶対矛盾的自己同一」とは、非常に類似した「観念」
 である。c点論も「本質論」である。

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  • 276
  • S、イマムラ
  • 2015/06/23(火) 07:13:32.50
c点論者

?「絶対矛盾的自己同一」が、「有」=「無」  と言う矛盾
?「色即是空」は、c点論者には、 やはり、 「有」=「無(空)」
  なる矛盾
  竜樹や唯識派によれば、  「有」も含めて、総てが「無」
  これは、矛盾では無くて、「認識主体」も、「認識対象」も、そして
  「認識行為」も無い。しかし、科学でも無く、哲学でも無く、
  ナンセンス。だが、「信ずる者ノミ許される真理」
  「矛盾」が許される「本質論」にほぼ同一。
?西田哲学も竜樹の「空」理論も、科学や哲学で無く、「本質論」
?同様に「華厳経」も、「本質論」。科学では無い。
 華厳経宇宙が「量子力学」に類似?すると言うがあるが、華厳経宇宙
 には「流動する時間が無い」。この成立した古代インドには、科学の
 「プランク時間」など無く、「本質論」を「科学」に結びつける試論
 は、認められ無い。

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  • 277
  • S、イマムラ
  • 2015/06/23(火) 07:26:20.58
c点論者

?ここでc点論(本質論)は、「仏教が本質論」であると言う理由で
「仏教を否定する者では無い」。
?蛇足ながら、「日本仏教」は、これまで西田哲学に関連して論じた
 「絶対自力」(主として禅)の信仰のみでは、無い。ただ、「教養
 仏教」として、多くのフアンが居るのは認めざるを得ません。

お絵かきランド
フリック回転寿司
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