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  • 61
  •  
  • 2011/03/16(水) 22:50:40.79
もし西田哲学に可能性があるとしたら生命論だと思う。西田は人が思うほど禅者ではない。後の京都学
派の人がつくったイメージがあまりにも大きすぎる。例えば彼が師事した雪門老師は西田に印可を与え
ていないはずだ。又下村寅太郎の回想によれば京都に住むようになってからの先生はほとんど座禅をさ
れなかったといっている。このことは真の禅者であったら不自然なことだ。むしろ彼の何人かの弟子の
ほうが本当の意味で禅者であったといってもよい。西田の関心は別のところにあったと私はみている。

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