facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

  • 1
  •  
  • 2015/01/05(月) 22:42:26.29
 戦闘・非戦闘あらゆる原因による日本の陸海軍機の損失は、開戦当初の月平均約500機から、
1944年後半に月2000機以上に上昇した。戦争の過程における総損失機数は50000機の多きに昇ったが、
その40%弱が戦闘損失で、残りの60%強が訓練、輸送その他の非戦闘損失だった。
 したがって、日本は戦争中ほとんどどの月でも、その航空部隊の数字上の機数を増すことができた。
数字上の戦力は戦争勃発時の戦術機2625機から、降伏時の戦術機5000機に加え、カミカゼ機5400機にまで上昇した。
 搭乗員総数は戦争勃発時の約12000名から降伏時の35000名強に増加した。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs09.html

 1944年10月から沖縄作戦終了まで、日本は2550機のカミカゼを飛ばし、うち475機18.6%が有効で、
確実に命中あるいは至近弾効果となった。空母12隻、戦艦15隻、16隻の軽空母・護衛空母を含むあらゆる艦種
の軍艦が損害を受けた。しかし、沈没した一隻の護衛空母より大きい艦はなかった。およそ45隻が沈没したが、
その多くは駆逐艦だった。日本は大型艦を沈めたという膨張された主張に彼等自身騙され、大型艦を沈める
にはより重量のある爆発弾頭が必要であるという技術者達の忠告を無視した。アメリカが被った実際の被害
は深刻であり、大きな心配をもたらした。のべ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、
九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた。日本がより大きなパワーで集中的な攻撃を持続し得たなら、
我々の戦略計画を撤回若しくは変更させ得たかもしれない。
 降伏時、日本は本土にカミカゼ攻撃用として利用可能な9000以上の航空機を有し、少なくとも5000機は我々が
計画していた侵攻に抵抗するために自殺攻撃用の装備をすでに備えつけていた。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs10.html

チャーチルがドイツ分割占領に対する考えを、突然、変更したのも、夥しい血が流されたこうした作戦の
さなかであった。チャーチルはソ連にドイツの中央部を分け与えるように線引きされたローズベルトの
占領計画案を以前は拒否していたにもかかわらず、今度は自分の計画を変更して、強引に仮協定に調印した。
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/199803/08.pdf

イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が
もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。
しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ
紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254

戦力の編成と犠牲者に関する統計が、アメリカのこうした戦略的選択を反映している。転出や部隊再建が
なされたことを考慮に入れると、太平洋戦争において連合国が対戦し、壊滅せしめた日本陸軍の師団の数
はわずか 28 個にとどまり、その半数は、フィリピンに配備され戦ったものであった。連合国の地上部隊は、
アメリカ陸軍 21 個師団と6つの海兵師団、オーストラリアあるいはニュージーランド軍の7個師団から
なるものであった。ビルマで戦い、インド、アフリカおよび英国の師団で編成された第十四軍も、
最終的には日本の 12 個師団と対峙し、その大半を破った。この他、日本軍は当時アジア北部にはおよそ 50、
本土に 50、そのほかフォルモサ島(台湾)に7、東南アジアに 12 の師団を派遣したが、1945 年 8 月の
ソビエト連邦の短い軍事行動を除き、連合国は日本陸軍とは殆ど交戦していないと言える。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2007/forum_j2007_05.pdf

ナルィシキン議長は、ナチス・ドイツの同盟国だった軍国主義・日本に対する勝利は基本的に、
ソ連軍による関東軍壊滅によって確保されたため、軍事的視点から見て、日本の平和な都市・長崎
と広島への原爆投下は一切説明のつかないものであると指摘した。
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/

沖縄戦に参加したアメリカ人やイギリス人は、「ひどい不公正だと感じた」と言い、空でも陸でも
「自殺攻撃」してくる日本人をみるたびに、「なんでこいつらは親玉のドイツ軍が降伏したっていうのに、
まだ戦争をやりたがるんだ」と考えたもののようだった。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/

ここまで見た
  • 667
  •  
  • 2018/01/13(土) 09:53:23.39
>>666
>末期の日本の戦略目的は
>連合軍に出血を強要し、講和条件の緩和等、戦後政策を日本に有利に導く事だった。
その目的に特攻ほど合致せず有利にならない作戦はないのですが、なにか?
ちょっと考えてごらんよ。
有利にするにはこれ以上戦闘を続ければ
いまだ健在な敵戦力によって想定以上の出血が予想される場合、
講和条件の緩和などを考えるのはおわかりでしょ?
でも特攻はなにをどうしようが機数以上の出血を相手に強要することができないので
なんと出血を強要するために必須の追撃段階においてすら同じだけの味方の損害を必要とする。

要はね特攻の方がキルレシオが高いような時点で
すでに何をやっても敗北が決定しているのに
あたかも講和条件が緩和できるなんて目的を達成できる有効な作戦とかいうのが間違いなんだよ。
当たり前でしょ、相手に躊躇わせるには切り札を手元に置いておかねばならないのに
それを使い捨てにして何発か多く当たったとか喜んでも
相手からしてみればノーガードになってて攻撃を躊躇う理由がないんだから。

まあ、そもそも沖縄戦後期には特攻対策が完成しちゃって
小機数による奇襲が大戦力による飽和攻撃くらいしか
肝心のキルレシオwもおはなしにならなくなってたんだがな

ここまで見た
  • 668
  •  
  • 2018/01/13(土) 09:56:10.58
>>667
>アメリカ軍の公式記録等を調査したROBIN L. RIELLY著『KAMIKAZE ATTACKS of WORLD WAR II』では
特攻によるアメリカ軍の戦死者6,805名負傷者9,923名合計16,728名
Steven J Zaloga著『Kamikaze: Japanese Special Attack Weapons 1944-45』では戦死者7,000名超と集計している。
他にイギリス軍、オーストラリア軍、オランダ軍でも数百名の死傷者が出ている。
連合軍全体では、戦死者12,260名 負傷者33,769名に達したという推計もある。

特攻作戦は、特攻隊の犠牲を遥かに上回る被害を連合軍に与えていた。
連合軍が圧倒的に航空優勢を握っている戦争末期に
これだけの成果をあげているのだから
通常攻撃とは比べ物にならないほど効率的だったのは否定しようが無いんだよね。

フリック回転寿司
フリックゾンビ
ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード