PTA会費で教員に手当てを支給 その3 [machi](★0)
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- 487
- 2013/03/03(日) 15:55:53
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>>484-486
体罰については明治期から今日まで、一貫して法律で禁止されている。
にも関わらず、あんたは体罰を擁護している。
学校教育費の私費補填については、国・地方の財政状況によって法律が常に変化し
時代や地域によって「どこまでが受益者負担なのか」の価値基準が異なっている。
にも関わらず、あんたは、刹那的・独善的価値観で断罪にまわる。
はたして詭弁を弄しているのはどちらだろうか。
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- 488
- 2013/03/03(日) 16:22:29
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>>486
>「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」が昭和46年にしたのであれば、
>あなたの論調からして、それ以降は「私費会計からの内緒の補填」は止めるはずだが。
>続いていたのであれば問題ですね。
的外れだと思いますよ。
昭和46年以前は、教職員に残業代が払われていた。(たとえそれが私費からの補填という形であっても。)
昭和46年の法律改正により残業代を払うことが違法になった。
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- 489
- 2013/03/03(日) 16:34:15
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>>486
昭和46年以前は、勤務時間外の課外補習に対して時間外手当が存在していた。
法改正により時間外手当が無くなった。
そんななかで、進学校が課外補習を維持するために何をするだろうか。
課外補習が校長の業務命令を離れ、保護者からの委任による課外講座と名目を変更する。
時間外手当も、「補習手当・補講手当」と名目を変え、受益者負担として私費会計からの
支出となる。
そう推測するのが50代の大人として妥当だと思いますよ。
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- 490
- 2013/03/03(日) 16:54:23
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>>487 いわゆる「体罰」を擁護するのではない。
私は >>379 で
>「体罰」をどう捉えるか「児童懲戒権の限界の解釈について」を読んでみれば、
複雑であることが解るはずだが、体罰=身体への有形力の行使 と捉えてしまうと何も出来ない。
と書いており、
>身体への有形力の行使は教育的配慮の下で認められるべきだと思う。もちろん、「暴行」はいかんが。
と意思表明をしている。
文科省の言うところの「体罰」とは「有形力の行使」のことを言うようだが、私は「有形力の行使」については
教育的配慮がある場合を想定し是認しているのである。
ちなみに、「大人しくなった」中学生を警察に突き出す行為は学校の外部へ教育責任を転嫁した
「有形力の行使」であり、教育的配慮の無い、集団暴行に近い行為だと考えている。
「受益者負担」の価値基準について、受益者負担の考え方が広まった時点で、ほぼ全国共通の価値基準
になっている。
少なくとも学校教育に関する私費負担経費については、「個人に帰属する」ことが条件であり、
寄付や寄贈は「主体的なものであること」が絶対条件である。
団体会計からの”無断流用”や”加入を拒めない団体の会費からの寄付・寄贈”を認めるものではない。
それを拡大解釈し、偽り、黙認するのは行政の都合が背景にある。
納税者を愚弄する行為であり、公務員の行為として受容出来ない。
あなたの言うように「地域が認めている」のであれば、地方自治法に則り、条例等で分担金を定めれば良い
だけのことではないのか?
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- 491
- 2013/03/03(日) 17:15:40
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>>489
>そう推測するのが50代の大人として妥当だと思いますよ。
『教育現場は、児童・生徒が生活する場であり、児童・生徒が接する教育現場の教職員には
他の一般の公務員に求められる職業倫理以上の倫理規範が課せられていると考えるべきである。
とりわけ、教員は、児童・生徒を教え育む担い手であり、児童・生徒の学習はもとより
人間形成にも重要な役割を担っている。』
以上は「平成23年度大阪市包括外部監査結果報告について」より”教員不祥事”について言及した
部分からの引用である。
本件事案は「内緒で」という行為に重大な問題があると指摘しており、なぜ”内緒にせざるを得なかったのか”
、その背景を明らかにしてきたつもりだ。
これが”大人の努め”であろう。
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- 492
- 2013/03/03(日) 17:21:50
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>>489
>そんななかで、進学校が課外補習を維持するために何をするだろうか。
>課外補習が校長の業務命令を離れ、保護者からの委任による課外講座と名目を変更する。
>時間外手当も、「補習手当・補講手当」と名目を変え、受益者負担として私費会計からの
>支出となる。
この手続きが保護者や議会へ説明の下で行われていたのなら、問題とする理由は少なくなる。
この手続きをしなかったことが問題なのであり、それが如何なる理由の下で許されたのか
考える必要があるのではないか。
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- 493
- 2013/03/03(日) 18:31:20
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今回の考察は日本本土の場合であることを忘れていた。
復帰以前の沖縄について考察した論文があった。
ht
tp://daigakuin.soka.ac.jp/assets/files/pdf/major/19_kyoiku7.pdf
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- 494
- 2013/03/03(日) 18:35:23
-
『教育税については、大多数の市町村長が反対したが、教育関係者は戦前の
教員俸給遅払いの苦い経験から自主独立の財政権の確立に賛成であった。』
『(米国民政府マコーミック教育部長は)
第一に、教育の民主化と地方分権を強調し、レイマン・コントロール(民衆統制)によって官僚独善の弊をなくすこと。第二に、教育財政の独立なくしては教育行政の独立は期せられないため、教育税は必要であること。第三に、琉球教育法の内容は、現行の日本法に準じているが、沖縄の戦後事情を考慮して変更した所もあること。』
『このようにして、琉球政府設立の前に、米民政府は、1952(昭和27)年2月28日に布令66号によって、教育行政制度の基本となる「琉球教育法」を公布した。』
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- 495
- 2013/03/03(日) 18:42:45
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『1952年7月1日から実施された教育税であるが、1954年の教育税の徴収率は、71.51%と市町村税よりも上回っている。さらに、1956年、58年、59年においても教育税の徴収率はいずれも市町村税よりも高くなっている。これは、1956年頃から教育長会が市町村会と組んで129、文教局や教職員会、PTA連合会、婦人連合会などに呼びかけ、マスコミの協力も得て「教育税完納運動」のPRに努め、全琉的な一大運動として推進されたことによるものと考えられる』
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- 496
- 2013/03/03(日) 18:44:59
-
『一方、文教局では、「これまで、PTA学校後援会や部落会が、いろいろの名義で負担していた公金を住民全部が公平に分担して教育税を独立させるのであるから、その分市町村民税は少なくなる。従って増税にはならない」として、教育行政の一般行政からの独立のために住民の啓発に努めていた134。』
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- 497
- 2013/03/03(日) 18:49:16
-
短時間では読めないな。今日は帰る事とする。
>>492
分析よろしく。
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- 498
- 2013/03/03(日) 21:56:55
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>>497
草加の論文ははじめて読むが、内容は、
『制度創設から廃止までの経過と教育税制度をめぐる諸問題について論じるものとする。』
とあり、結びの部分で
『教育税だけで、教育費を賄っていたというわけではないが(政府支出金、市町村教育費負担金、分担金及び負担金、
使用料及び手数料、諸収入など168)、教育予算に関わる権限の行使を法的に認められていたということは、
教育計画の立案・実行にとって適切な働きを有するだけでなく、長期的な教育の計画も可能にするものである。』
としながらも
『本研究においては、教育税の実際について詳細に分析することができなかった。』
としており、「歴史は繰り返す」という警告と受け取った。
実際、当初反対していた屋良氏もPTAなどを動員して徴収率の向上に努めたようで、
なるほど「繰り返す」のだなぁ〜、との感想だ。
反対はポーズ。逆に”持ちかけた”のではないか、との疑いも残る。
そういえば、戦後の政治は屋良氏も喜屋武氏も、大城氏も教育関係の出。
当時から”教育関係者の暴走”はあったのだね。
暴走との論拠は都市部の徴収率が当初は低かった、ということ。
都市部では集団化教育に時間がかかったのでせう。
で、何が言いたいの?
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- 499
- 2013/03/04(月) 10:30:42
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そろそろなのだが、小学校の教員が異動する際の、何とか費を生徒一人当たり
500円毎年徴収されます。
ヤンキー先生議員にメールしたのですが、返信なし
こんなものですか?
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- 500
- 2013/03/04(月) 21:45:02
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>>498
そ錯乱しているとしか思えない、滅裂なレスポンスだ。
「お大事に」としかいいようがない。
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- 501
- 中野ひとし
- 2013/03/04(月) 23:25:18
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確定申告の時季です。早朝講座を行っている教員は、報酬を2770円で申告するのか?1000円なのか?1000円なら県教育委員会の指導に反することになるし、PTA会員保護者を騙すことになる。
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- 502
- 2013/03/05(火) 01:01:02
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>>500訂正
×そ錯乱したのか、あんた。
○錯乱しているのか、君。レスポンスが支離滅裂だぞ。
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- 503
- 2013/03/05(火) 06:37:29
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>>502
この論文、課税効果は細部まで検証できていないが、問題点はかなり具体的に示しているぞ。
なぜ細部まで検証できなかったのでせう?
読んで解ったのが、教育基本法などは殆ど日本の法律条文と同じであった、ということ。
注釈80番。
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- 504
- 2013/03/05(火) 17:49:51
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>>503
君の屋良朝苗や喜屋武真栄等、教員上がりにたいする2ちゃんねる脳的怨嗟は
十分理解した。
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- 505
- 2013/03/05(火) 17:53:13
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>>503
ht
tp://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/010/0804/01002100804003a.html
『第010回国会 文部委員会 第3号
昭和二十六年二月十日(土曜日)
○長野委員長 次に、公立学校の教育公務員と地方公共団体の議員との兼職についての臨時措置に関する法律案を議題といたします。
公立学校の教育公務員で、地方公共団体の議員を兼ねております者は、昨年六月三十日現在で、府県会百二十七名、市町村会二千三百五十一名に達しております。』
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- 506
- 2013/03/05(火) 17:57:58
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>>505
歴史の連続性について考えてみる。
現在では、教職員と地方議会議員の兼職は考えられない。現在では多分法律違反だろう。
しかし、戦前は校長先生と地方議会議員の兼職は常識の範囲だった。
聞いた話だが、戦前、私の住む地方でも校長先生が地方議会議員を兼ねていた。
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- 507
- 2013/03/05(火) 19:11:32
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>>505
戦前の教職員の位置づけは現在と大分違う。
地域の指導者的存在だったのだろう。
戦後、法律が変わったからと言ってその位置づけが急変するはずもない。
時代の感性は、戦後も継続性を持ち続けていた。
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- 508
- 2013/03/05(火) 19:19:42
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西銘順治は屋良朝苗の教え子である。
「まさか、屋良朝苗先生が革新に担がれて知事になるとは思わなかった。」という
感想を述べている。
屋良朝苗は屋良は、1952 年の1 月19 日の第3 回校長会において次のように演説したそうだ。
『平和会議及其の他の機会に明らかにされた事は我等の主権は日本に残存しやが
て国際状勢が安定すれば我等の願望はかなえられて祖国日本に復帰する事が出来
るという事であります。この事は我々にいろいろの示唆を与えるもので、我々の
教育方針も教育的施策も日本復帰を前提として考えられなければならないという
ことであります。教育は現在に即して考えなければならないということは大切な事とは思うが、
しかし沖縄の現在は一時的な仮りの相であって天意天道に即する安定永遠の相は
近い将来に我々の前に現われるのであります。一方我々の教育は一時的目前的の
ものでなく将来につながるもの故に必ず将来からの規制を受けねばなりません。
したがつて教育の原理精神は自ら拠るべき所は決定して居るのであります。即ち
我々の主権の残存し近い将来同一行政下に戻る日本本土と軌を一にする教育こそ
我々の進むべき教育の道であると思います。而して我々の若い世代に日本人的資
質個性を十分発揮せしめつつ世界文化への貢献し得る様、教育を進め悔を千載に
残さない様にしなければならないと信ずるものであります。ここに私は教育者の
不退転の決意と信念を要請するものであります。
(『琉球史料第三集教育編』,1958, p120-121)』
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- 509
- 2013/03/05(火) 19:25:22
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この演説からも分かるように、戦前と変わらず屋良朝苗の祖国に対する思いは非常に強い。
又、屋良朝苗回顧録には次の文がある。
『私たちは、毎年暮れになると、米民政府に正月の学校などでの日の丸掲揚許可を
申請した。三十四年、ブース高等弁務官は、「国旗は行政権のシンボルだ。したがっ
て、星条旗を立てさせてよいのだが、それをしないのはせめてもの慈悲だ」といっ
た。私は、「日の丸は民族のシンボルだ。沖縄には日本の潜在主権があるのだから立
ててもよいはずだ」と反論した。(p49)』
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- 510
- 2013/03/05(火) 19:26:47
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『米軍の英語教育の執念は、沖縄を半永久的に支配し続けようとの意図のあらわれ
といえるだろう。私たちも、英語の重要性は承知していた。しかし、日本国民とし
ての教育を守り、復帰に備えて教育制度は本土と同じにしておく、との線は譲れな
かった。(p51) 』
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- 511
- 2013/03/05(火) 19:28:11
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『(「日本国民として」の文言が入った)教育四法は一月十日公布された。私の今日
までの運動の中で、このときが、主席当選の際にもまし、いまもって最もうれしい
できごとである。この「日本国民として」のくだりが、その後の復帰運動にとって
大きな支えとなった。(p55)』
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- 512
- 2013/03/05(火) 19:34:27
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もし戦争がなかったら、屋良朝苗は昔ながらの保守的校長先生として暮らしていただろう。
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- 513
- 2013/03/05(火) 19:37:00
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>>503
昭和30年代に義務教育を受けた、現在50代の男性のあんた。
日本国民としての教育四法の元、ぬくぬくと義務教育を受けて現在まで齢をかさねてきたはずなのに
それを「暴走」等と位置づけるあんた。
2ちゃんねる脳にも程がある。
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- 514
- 2013/03/05(火) 22:30:44
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>暴走との論拠は都市部の徴収率が当初は低かった、ということ。
>都市部では集団化教育に時間がかかったのでせう。
アホかと言いたい。
参照として戦前農村部の「学事奨励会」についての記述を貼り付ける。
『 「(読谷山村は)他の地方に較べると(教員数も)割り合いに多い。だから随分努力さへすれば、教授の成績を挙ぐることはさう困難なことではない。
児童の出席歩合も概して好い方である。三校の中 渡慶次校の児童が割合に出席が宜い 仝校は別に出席の督促もしないのだが他校に比して宜いと云ふのは 学事奨励会の会員が督促するからである。それは各字に設置してあって 区長 学務委員 字の有志者等が主になって居る。其れで学校より毎月の出席歩合を各字に配布すると 区長学務委員字の有志等は学校に集合し 其の歩合で以て各字の優劣を比較し 一〇〇分の九以下になると制裁を加へる それが毎月一回開かれる さうして相互に競争せしむるのであるから別に督促などを要せない 集合すると什麼(じゅうま)なことをやるかと云へば 先づ出席歩合の劣等な字の有志父兄は 優等なる字の有志父兄に向って御辞儀をし 謝辞の意を表せしむる だから勢ひ競争の姿となって大変に宜いことである 読谷山は面積も広いし 人口も多い処で 且つ土地が豊饒であるから産業にも乏しくない。其れに教育も盛んになって居るのだから奨来有望の地であろう」(「琉球新報」・明治四五年六月四日)』
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- 515
- 2013/03/05(火) 22:40:18
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戦前、農村部においては「学事奨励会」活動が活発であった。
農村部では「学問してなんになる。男はハルサー。女はジョウシチャー。」という
考え方が根強くあった。
そんな農村部で就学率・出席率を上げるため、字単位の学事奨励会が結成され、
現在では考えられない手法で競わせ、就学率・出席率を高めていった。
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- 516
- 2013/03/05(火) 22:45:44
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戦後においても、各字単位の学事奨励会活動が機能していたのは想像に難くない。
現代においてさえ、年一回、児童生徒達にノートや鉛筆を送る会として名残を
とどめている。
農村部で教育税の納付率が高かったのは、戦前からの字共同体の活動による所が
大きいと推察するのが妥当だ。
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- 517
- 2013/03/05(火) 22:46:05
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日本 ヨイ 國 キヨイ 國 世界ニ 一ツノ 神ノ 國 日本 ヨイ 國 強イ 國 世界ニ カガヤク エライ 國
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- 518
- 2013/03/05(火) 22:49:49
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日本ノ国ハ、世界中デ一番タフトイ国デアル
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- 519
- 2013/03/05(火) 22:51:59
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檀蜜最強
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- 520
- 2013/03/05(火) 22:54:31
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中韓にとって、犬は、ごはんの友?
tp://www.youtube.com/watch?v=RmRrce7tc0s
tp://www.youtube.com/watch?v=oLWwtXs1kFA
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- 521
- 2013/03/05(火) 23:01:30
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>暴走との論拠は都市部の徴収率が当初は低かった、ということ。
>都市部では集団化教育に時間がかかったのでせう。
はたして都市部では
「市町村税の徴収立は高かったが、教育税の徴収立は低かった。」のだろうか。
常識的に考えてそんなことはあり得ない。市町村税と教育税の徴収立は連動していた
はずだ。
それを、「集団化教育により、教育税の徴収立が上がった」などと考えるのは
頭の悪い変人である。
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- 522
- 2013/03/05(火) 23:04:11
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こんなことを言っても世界は何ひとつ変わらないのである。
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- 523
- 2013/03/05(火) 23:14:37
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國旗國歌も満足に教へられないやうな反日売國亡國の徒が教師をやつてゐるのが問題。
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- 524
- 2013/03/05(火) 23:17:39
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週刊現代見てるヤッが居るなw
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- 525
- 2013/03/05(火) 23:51:16
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尖閣有事の際に、率先武器を取つて侵略軍と闘ふ若者を育てるのが、教育の目的である
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- 526
- 2013/03/05(火) 23:58:02
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侵略軍と闘ひ斃れし者は靖国神社に祀られ軍神様になるのである
靖国神社に御参りするのは日本人の義務である
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- 527
- 2013/03/06(水) 06:49:59
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教員が再び暴走するかは、中野氏が >>501 でご指摘の通り、今後検証する必要がある。
>>499 氏のメールが事実なら、いずれ動くであろう。今は全国からの情報が殺到しているはずだから。
>>504
>教員上がりにたいする2ちゃんねる脳的怨嗟は十分理解した。
始めは反対していた屋良氏だったが、
「布令第66号(琉球教育法)が公布された年の4月、教育税担当職員として・・・教育税に関する法律の立案に
着手するように上司から命じられた。・・・このことによって教育税法は成立しなかったが、税法として検討
するための準備が為されていたというのは驚くべきことである。」
準備万端の担当者に促されたのであろう。が、問題が多く廃止に至った。
「本研究においては、教育税の実際について詳細に分析することができなかった。」
新しいことをやる場合、効果の測定は必ず行う。説明責任があるからな。
ところが、詳細に分析する資料は残っていない。
これはどうゆうこと?
集団化教育について。
農村部は「ムラ社会」。ご説明を聞くまでもない。
徴収率を上げるために「PTA」や「婦人会」などが動員されたのだろ?
集団化教育は教育の手法であり、PTAなんぞは「集団化教育」の”賜物”であることは明白。
で、こんな論文見せて、何が言いたいの?
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- 528
- 2013/03/06(水) 18:22:37
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>>514
>其れで学校より毎月の出席歩合を各字に配布すると 区長学務委員字の有志等は学校に集合し
>其の歩合で以て各字の優劣を比較し 一〇〇分の九以下になると制裁を加へる
>それが毎月一回開かれる さうして相互に競争せしむるのであるから別に督促などを要せない
「制裁を加える」…「ムラ社会」恐るべし。
PTAも「ムラ社会」。参加しないと子どもになにをされるか分からない。
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- 529
- 2013/03/07(木) 05:48:16
-
法的に未整備のままで徴収された「教育税」。
そのために多くの問題が内在されており、住民の理解を十分に得られない状態となった。
当局は徴収率向上のためPTAや婦人会などを動員し、徴収率向上に努めた。
「ムラ社会」とはなりにくい、人のつながりが希薄(それぞれの意識が異なる)な都市部でも
何かしらのシガラミはある。
子どもつながり。配偶者つながり。それぞれの「ムラ社会」。
暴走は「教科書問題」「支援カルテ」「ゼロ校時問題」で引き継がれた。
これが「集団化教育」の賜物か。
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- 530
- 2013/03/07(木) 22:50:26
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>>529
君が完全な2ちゃんねる脳だということは分かった。
指摘しておくが、
『1958年度の各教育区予算のうち。政府(琉球政府)補助金83.67%、教育税9.7%であった』
とある。
君にとっては税徴収率が高いのが「集団教育の賜物」であって欲しいのだろうが、
実際は教育税は教育財政の9.7%でしかない。他の税に比べて低額であったのは
想像に難くない。
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- 531
- 2013/03/07(木) 23:08:04
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>>529
次に指摘しておく。
平成22年度で、市町村税の徴収率は全市町村85%を超えている。
ht
tp://www.jichitai-ranking.jp/rmbase.php?pt=00&nendo=2010&id=tr05&tcd=47&skbn=0&rcd=0
君の理屈では「徴収率が高い=集団化教育」なのだから、現在はもの凄い集団化教育時代だ。
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- 532
- 2013/03/07(木) 23:13:41
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>>529
君が生まれた昭和20年代は
『PTA学校後援会や部落会が、いろいろの名義で負担していた公金(会費・校納金・強制寄付金)』
により教育財政が支えられていた。
君はそれに反対していたのではないのか?
君の言い分は「公教育は私費負担を減らし、公費により賄え。」ではなかったのか?
公費とはなにか?税金のことではないのか?
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- 533
- 2013/03/07(木) 23:50:53
-
>>529
あなたは発言のブレが大きい。
戦前の私費負担・寄付については「法令の根拠がある」と擁護したくせに
戦後、法令によって定められた教育税については「教育公務員の陰謀・暴走」と妄想する。
あなたや手登根さんや老魔神さんは、思想的教条的な色眼鏡を外したほうが
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- 534
- 2013/03/08(金) 00:04:34
-
>>529
あなたの見るモノが全て赤く見えるのは、あなたが赤いサングラスをかけているから
じゃないですか。
教育費私費負担の軽減は、私を含めた保護者にとって切なる願いで有り
県内の学力レベルの底上げは、我が子を含めた全ての児童生徒の将来の為であり
延いては地域社会の為になる。
レス暴走を繰り返すよりも、
教育財政の歴史を直視し、過去から連なる現在の状況を知り、地域毎の財政状況の
違いを理解しながら、あーだこーだした方が面白いと思いますよ。
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- 535
- 車輪
- 2013/03/08(金) 01:02:35
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お前ら楽しそうだな
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- 536
- 2013/03/08(金) 06:41:06
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>>530-534
>君にとっては税徴収率が高いのが「集団教育の賜物」であって欲しいのだろうが、
実際は教育税は教育財政の9.7%でしかない。
その9.7%の予算達成の為に「徴収率向上のためPTAや婦人会などを動員し、徴収率向上に努めた。」
と >>529 にかいとるがな。
問題(例えば徴収に係る経費など)が多い、と予想される(た)教育税を見切り発車させた教育当局の行為と
それを補うため配下の任意団体を動員した行為を”暴走”と指摘しているのである。
この動員が集団化教育の典型。
集団化教育は、グループ別にポイントとなる人物を捉え、これを教育し周りに影響を加えるやり方。
PTAはいうまでもなく「子供が人質」集団。婦人会も関連性がある。
お示しの「補助金」の徴収に関し”動員”の事実がないのであれば、「補助金」予算は集団化教育とは無関係。
たかが9.7%でも、これが独自に徴収され教育財源となるのであれば、その影響は大きい。
問題が多く動員の成果が認められる故、”暴走”と指摘する。
本件流用や、かの「支援カルテ」も「教科書問題」などに見られる”暴走”は「法的根拠の有無」という点で
異なるが、「法律無視」という点で”暴走”と言える。
で、こんな論文読ませて、何が言いたかったの?
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- 537
- 2013/03/08(金) 06:47:47
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>>534
>教育費私費負担の軽減は、私を含めた保護者にとって切なる願いで有り
>県内の学力レベルの底上げは、我が子を含めた全ての児童生徒の将来の為であり
>延いては地域社会の為になる。
もちろん私の願いも同じ。
ところで、「ゼロ校時」は「私費負担の軽減」と「学力レベルの底上げ」となるの?
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- 538
- 2013/03/08(金) 18:01:36
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>>536
>何が言いたかったの?
『君は、自身が生まれ義務教育を受けてきた昭和20年代後半〜30年代後半の
教育環境を著しく誤認している。』
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