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  • 934
  •  
  • 2014/04/29(火) 11:51:24.50
>>918 
>>902のサッカーについては、これは予選で負けたというだけではなくて、
数十年来の初のチャンスをもうすぐ目の前にして最後の1分で逃した、という事が言葉の背景にある。

で、報道が「悲劇」としたのは語呂の問題。
「ドーハの失敗」「ドーハの凡ミス」「ドーハの惜敗」「94年WC最終予選ロスタイム失点本戦出場逃し」
という感じで状況を端的に表せるしっくりくる言葉がない。メンタリティは関係ない。

目的が世界最大のお祭りに参加する事だったから、本戦で負ける事は実力相応なので問題とならない。
それはスポーツ後進国だからという事じゃなく、スポーツに限らず分をわきまえているというだけ。

谷口の件は、彼は前世界大会で優勝しているので、優勝候補筆頭だったのが前提にあって
それが他者による接触のアクシデントでトップ争いから脱落。それが無ければ金も十分あった。
オリンピックではもちろん金を取れる可能性のある自国の代表選手を応援するわけだから
谷口を応援してた日本の視聴者はそこで悔しい思いをしいられた。
ただ谷口の第一声が「こけちゃいました」と、足を踏まれて金を逃したという悔しさを出す感じもなく
その状況で発せられる言葉として普通の人の感覚では発想できないくらい潔よかった事が心に響いて
「名言」として当時を知っている人には語られているわけ。

俺が谷口の名前を出したのは、言葉の力だけを信じて転用しても響かないのはバックグラウンドが無いから。
という事を教えるためで、ここで焦点になるのは、よりより事を学ぶなら誰を見るかではなく
人々が谷口に思い入れがあった結果、谷口の言葉に感銘をうけたという事なわけ。

ここまで見た

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