子供に纏わる感動秘話 [sc](★0)
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- 436
- 2008/05/02(金) 00:45:26
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今妊娠9ヶ月
昼間に用事で6時間ほど出かけていたので15時からずっと寝てしまった
6時半に慌てて起きて夕飯の支度しようとリビングにいったら
6年生の長女がオニギリ作って2年生の弟に食べさせてくれてた
「たまにはオニギリだけの夕飯でもいいさ。疲れているんでよ」っと言ってくれた
旦那も娘のオニギリだけの夕飯を文句も言わずにニコニコ食べてくれた
やばいな・・・3人で打ち止めとは言わずにもっと産めそう
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- 437
- 2008/05/02(金) 15:04:19
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>>432
仕切り乙
お前も出てけ
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- 438
- 2008/05/03(土) 01:50:08
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↑
こいつキモい
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- 439
- 2008/05/03(土) 11:12:11
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オマエモナー
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- 440
- 2008/05/06(火) 01:46:53
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「娘だけは助けてくれ」
中国人留学生による福岡一家4人惨殺事件の実像
(読売新聞)http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/fos/
(以下ウィキペディア) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
あまりにも残酷なので、報道では伏せられている。
一人が最初にフロ場の奥さんをレイプ。
他の二人が室内を物色中に長男を見つけて、即頚椎を折って殺害。奥さんは風呂場の中で息が
あったんだけど、ダンナが帰ってくるまで暇つぶしに拷問した。その時、カード等の暗礁番号も聞いていた。
中国マフィアでは憎い相手の肉をこそぎ落とす、凌遅刑と呼ばれる拷問をするらしい。彼らがマフィアだとは思わないが、
順番に肉をこそぎ取って、そのとき死んだら殺したやつに罰があるという賭けをしていた。血が流れるので
風呂場で拷問していたようだ。
奥さんを最後に殺してしまったヤツが、ひなちゃんを頃す役になった。幼い女の子を頃すのはさすがに嫌だったのだ。
中国人留学生達の僅かな良心が見えるが、地獄であることに変わりは無い。しかし、地獄はこれで終わらない。
帰ってきた、ダンナさんの前で子供を盾に金を出せと脅した。なかなか金の在りかを言わないのにイライラした中国人留学生達は、
目の前でヒナちゃんを絞殺。だんなさんの、俺は死んでもいいから、ひなだけは助けてくれ、という必死の嘆願は無視した。
彼らは子供は殺して脅す方が効果的と考えたようだ。日本では、自分より、子供を優先するというのを分かっていなかったのかもしれない。
おまえもこうなるぞと言って脅したが、結局、金の在りかを言わなかったのでそのまま絞め殺したようだ
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- 441
- 2008/05/09(金) 07:22:38
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↑
ウケタ
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- 442
- 2008/05/12(月) 08:57:00
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普通に殺されたんだろ
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- 443
- 2008/05/13(火) 22:32:56
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136 :名無しの心子知らず:2008/05/12(月) 00:55:45 ID:3UNcQzkJ
年少息子
幼稚園生活がはじまって1ヶ月今だに朝は泣いているが
帰ってくるとニコニコして「今日はねー○○したんだよー」と色々教えてくれる。
私が「幼稚園楽しそうだね!明日は泣かないでいけるかな?」って聞いたら
黙って下むいて「あのねママ好きだから一緒にいたかったの、幼稚園楽しいけど
ママいなくて寂しいの」って言ってくれた。
男女どっちでも言えるけど自分で育てた子がこんな事言えるまでに
成長したのかって思うといちいち泣けてしまう。
137 :名無しの心子知らず:2008/05/12(月) 01:00:03 ID:Xrf5I1OO
年中ムスコ、母の日ガーナの箱に、
最近少しかけるようになったひらがなで、
「ママだいすきだけどおこらないで」だって。
今日はタマゴ割りのお手伝いもしてくれた。
138 :名無しの心子知らず:2008/05/12(月) 02:00:13 ID:BhuC5ErF
幼稚園の時は母の日のプレゼントを幼稚園で作ってきたけど、小学校にはそういうのがないみたいでちょっぴりさみしい
でも昨日お手紙書いてくれて、今日絵を描いてくれた…幼稚園でやれって言われたからとかじゃなくて、自分で考えてやってくれるのが凄く嬉しい
139 :名無しの心子知らず:2008/05/12(月) 09:14:10 ID:+N4czYK9
二歳息子から母の日のプレゼント貰いました!
セロハンテープでタンポポと手書きで「いつもありがとう。ずっとげんきでいてね。」と書かれたメモ用紙が貼った市販のチョコ。
旦那が仕向けてくれたんだろうけど、嬉しくって泣いちゃった(笑)
もったいなくて食べられない。ありがとう。ママの一生の宝物だよ!
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- 444
- 2008/05/17(土) 00:07:31
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泣けた
つかどこのスレ?
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- 445
- 2008/05/17(土) 01:19:17
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旦那が疲れてソファーで寝てしまったのを発見した
1歳になった娘。
取り込んだ洗濯機の中からバスタオルを持ってきて
一生懸命被せてから『ねんね、ねんね』と言いながら旦那をトントンしてた。
優しい子になってくれたのと
娘の成長が嬉しくて昼間からホロリとしてしまった。
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- 446
- 2008/05/18(日) 13:31:39
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>>444
男の子かわいいスレです。
もう1つどうじょ!
157 :名無しの心子知らず:2008/05/14(水) 20:49:01 ID:4prYsvgl
3歳息子、幼稚園で作った母の日のプレゼント。帰ってくるなり「ママ〜これどうじょ!!」
と満面の笑みでちっちゃなカーネーションにママらしき?顔が書いてあったのをくれた
ママは抱きしめながら泣いちゃったよ。今までは母親にあげる方だったけど,もらうのが
こんなに嬉しいなんて思わなかったよ。
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- 447
- 2008/05/21(水) 03:00:30
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>>391
ありがとう。なんだ気にかけてくれてる人いたのか嬉しいよ。
なんか来てないうちにスレ荒れてるね。無視してりゃ治るだろうけど。
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- 448
- 2008/05/24(土) 01:15:12
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うーん>>446はつまらん
没
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- 449
- 2008/05/24(土) 13:58:41
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多分「どうじょ」に親の贔屓目が入ってて
なにか鼻につく内容になっちゃってるんだよねw
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- 450
- 2008/05/28(水) 18:43:14
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↑
それでだ!
サンクス スッキリした
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- 451
- 2008/06/02(月) 12:06:39
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2歳の子に「生まれたときのこと覚えてる?」と聞いてみた。
上の子にも以前聞いたら全く覚えていない様子だったので、ぜんぜん期待しないで聞いたんだけど、
「しってる!!」と元気に応えてくれた。
「どうやって産まれて来たの?たいへんだった?」と聞くと
「1,2,3,4きゃぁー、1,2,3,4きゃぁー・・・」と言う。
助産師さんと私の声かな?と思った。
「○ちゃん、とっても上手に生まれてきてくれてありがとうね!」って抱きしめた。
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- 452
- 2008/06/05(木) 23:06:26
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4歳男児
初めてTDRで、エレクトリカルパレードを一緒に見ました。
息子が「ママ〜悲しくないのに涙がでるよ〜」とポロポロ泣いている。
感動して泣いてるんだと思ったら私も涙が…
旦那は不思議顔。
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- 453
- 2008/06/05(木) 23:29:37
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生んでくれてありがとう。って表現昔はなかったよね。
作為的で共感できない。
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- 454
- 2008/06/08(日) 16:26:36
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セイーリで腹が痛いため、朝からごろごろ寝ていた。
昼食後、子供たちは夫が公園に連れ出してくれたようだ。
出かける前に子供たちが「お母さんが一人だと寂しいから」
とか言ってたような気がする。
で、さっき目を覚ましたら、子供たちお気に入りの
わんわんロボット(センサーで吼える、うるせえヤツ)が
布団の上においてあった。
番犬か・・・
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- 455
- 2008/06/10(火) 01:23:52
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>>454
和んだ・・・w
お子さん達、かわいいのぅ
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- 457
- 2008/06/24(火) 00:59:08
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895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 21:23:42
うちの娘は反抗期、俺とは一切口をきかないくせに
嫁に嫌味をいい、怒鳴りつけ、挙げ句の果てには暴力までふるってた。
仕事も忙しかったし、嫁が言わないから気付かなかった。
顔にアザ作った嫁を問い詰めてはじめて気付いた。
情けなくて泣いたよ。
娘に、「これ以上母ちゃん殴るなら出て行け。
父ちゃんは母ちゃんの両親から、一生大切にするって約束で母ちゃんをもらったんだ。
母ちゃん傷付けるやつは実の娘だって絶対に許さん」と話した。
情けなくて辛くて涙ながらに一生懸命話したら、
何とか暴力はおさまった。でもそれから俺にも嫁にも口きかなくて
どうなる事かと思ったけど、その年の結婚記念日に
「レストラン予約したから行ってきな」ってボソッと言って
そのレストランのカード渡してくれた。
期間としては半年くらいだったけど本当に辛くって、
随分悩んだから、レストランでは嬉しくってほとんど味覚えてないw
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- 458
- 2008/06/24(火) 01:43:02
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>>456
ありがとう。
これ以上でしゃばったらまたにのまえになるからそろそろ自重しときますw
>>
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- 459
- 2008/06/24(火) 01:43:35
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>>457
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- 460
- 2008/06/24(火) 01:53:12
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>>457
反抗期の一言で済ませたらだめだろ。
反抗期でもそこまで親に暴力的になるなんて理由あるはず。
感動してる場合じゃない。
とコピペにマジレス。
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- 461
- 2008/06/24(火) 04:05:00
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>>454
優しさに泣けた
。・゚・(ノД`)・゚・。
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- 462
- 2008/06/24(火) 04:07:13
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>>460冷静ダナー
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- 463
- 2008/07/08(火) 02:24:27
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関東゛
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- 464
- 2008/07/17(木) 20:28:47
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育児は感情的でなくて感動的に
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- 465
- 2008/07/17(木) 20:29:29
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育児は感情的でなくて感動的に
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- 466
- 2008/07/17(木) 20:41:41
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育児は感情的ではなく官能的に
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- 467
- 2008/07/26(土) 00:13:22
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さっき、子供の部屋から目覚まし時計の音が聞こえて
何かと思ったら、眠そうな目をした子供が私のところに来て
「誕生日おめでとう」
と言いながら、ギューっと抱きついてきた。
もう、めでたくないよなー。なんて思ってたけど、すっごいうれしかった。
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- 468
- 2008/07/26(土) 10:47:54
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かわええのお。
うちの子と同じ誕生日の>>467おめでとう。
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- 469
- 2008/08/02(土) 00:24:50
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子供のやることは可愛いね〜
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- 470
- 2008/08/02(土) 23:15:37
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高熱で寝込んでいた私のところにきてトントンしながら子守歌うたってくれ、熱を下げようと氷がたくさん入った桶とタオル(じゃなくて雑巾だったけど)を持ってきてくれた4才。
冷たいのに一生懸命氷水の中でタオル絞ろうとしてて、小さな手も赤くなって…熱のせいもあるのか泣いた…
いつも母ちゃんがしてることちゃんと見てくれてるんだなと。
早く治すぞ!
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- 471
- 2008/08/10(日) 11:02:42
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>>470
そういう話って結構涙のツボだね幼い子を育てている親にとって
子供は小さい頃はよく熱出すからアイスノンとかタオルと氷をすぐ用意できるようにしていたよね。
子供も日頃のそういう親のすることをよく見ているんだ。
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- 472
- 2008/08/31(日) 10:37:55
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妻が入院して、仕事と看病で毎日が壮絶な忙しさだった時、
本当に可哀想な事をしたと思うが、小学1年と2年の息子の食事がとてもおろそかだった。
ご飯だけ炊いておき、フリカケ、海苔、たまご、納豆など、子供だけでも食べれる物をなん種類か冷蔵庫に入れておいて、どうしても遅くなる日は電話して適当に食べてもらってた。
一ヶ月もたつとお互い慣れてきて、その日も「パパ遅くなるから、先にご飯食べて」と電話して深夜1時頃帰ったら、
二人とも起きてて
「パパ、誕生日おめでとう〜」て。
「ケーキ作ったよー」て。
見たら、皿にご飯をお椀でパコッと盛ったもの二つに、ジャムをコーティング。
その上に塩辛で『パパ』と書いてあり、回りも綺麗に沢庵とミカンとチョコレートで飾ってあった。
全部、残さず食べた。
今までこんな食生活をさせていたかと。
いろいろ、いろいろ衝撃で涙が止まらなかった。
今は妻も元気で、残業しない会社に転職して毎日揃って夕飯をとってます。
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- 473
- 2008/09/22(月) 22:28:34
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ここんとこ自分、辛いことがあって無理して笑ってるんだが、
旦那に預けて出かけるとき息子に笑顔を見せて
「行ってきます」と抱きしめたら
「ママのことは○○が守るよ」と言われてしまった・・・
こんなこと言わせちゃいけないんだよね。
わかってるけど、辛いのを5歳息子に隠しきれない。
君のその一言で私がどれほど勇気をもらったか、いつか伝えたい。
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- 474
- 2008/09/22(月) 22:45:02
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>>451 ワケワカメ
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- 475
- 2008/09/30(火) 21:05:51
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533 :名無しの心子知らず:2008/09/28(日) 23:01:32 ID:Z9alHZlc
亡くなった人はお星様になるという絵本を5歳の息子に読んであげた。
読み終えた後、息子が目にいっぱい涙を溜めて「ママもお星様になっちゃうの?」って聞いてきた。
「うん。ママもお星様になるんだよ。でもずっと○○のこと見てるからね」って答えた。
でもボロボロ泣きながら「ずっとママのままでいて〜」と訴えられて、母ちゃん嬉しかった!
用事で私が1日家を開けただけでも寂しいと泣いてる息子にはちょっと酷だったかな?
母ちゃん頑張って長生きするよ!
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- 476
- 1/4
- 2008/10/01(水) 11:40:33
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長くなってしまったので、3分割します。
友人の娘さんが亡くなってから数年になる。享年6。
その4年前には奥さんが病気で亡くなっていて、男手一つで育てていた。
かなりの努力家でエリートコースに食い込んでいたようだったが、
激務と育児は兼任できないからと、あっさり中小企業に転職。
保育園だ保健所だ病院だと娘さんの都合に合わせたものだから、
収入はがた落ちで、しかも慣れない家事に四苦八苦していた。
それでも「遠足の弁当を喜んでくれた」なんてにやけていたから、
苦労している一方で楽しかったのだろう。
たまには俺が娘さんを遊園地に連れて行ったりして、
友人の時間を作ってやってはいたが、昼を過ぎると電話が来た。
密着していた分、いなくなると寂しかったに違いない。
娘さんは小学校に上がってから、デジカメが欲しいと言い出した。
収入は悪くても蓄えはあるから、安物を買うことは造作もないことだが、
友人はクリスマスのプレゼントにするつもりでダメと言ったらしい。
俺も直接聞いたことがあって、俺の中古をあげようとしたが
「欲しいと言えば簡単に手に入ると思ってしまっては困る」と断られた。
甘いだけでなく厳しい父親でもあったようだ。
その友人が、ちょうど今の時期になって体調を悪くした。
風邪をこじらせてしまったというので、娘さんにうつさないように
うちで預かることにして、友人はさっさと入院した。
娘さんはお利口にしていたが、数日して「退院した」と連絡が来た。
娘さんを帰しに行くと、まだ少しつらそうだが「もう1日寝てれば治る」と。
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- 477
- 2/4
- 2008/10/01(水) 11:42:01
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翌日。7時頃、一度起きて、娘さんに朝食を作ってやったあとに寝ていたら
10時頃 娘さんが「パパ、大丈夫? 何か飲みたいものない?」と訊くので
「コーラが飲みたいかな」と言うと「じゃ、買って来るね」と出て行ったそうだ。
歩いて5分ほどのところにコンビニがあるので特に心配もせず、
しかし、しばらくして玄関を激しく叩く音がするので出てみると、
そのコンビニの店主が青い顔をして「○○ちゃんがはねられた!」
驚いて駆けつけると、助からないのは一目瞭然だったらしい。
通夜も葬儀も放心状態で、両家の両親も遠方から駆けつけるには
時間がかかるので、及ばずながら手配はうちで手助けした。
コンビニの店主から聞いた話では、コーラを買うと「きれいに包んで
ください」と言うので「誰かに上げるの?」と訊くと「おとうさんが病気で
寝てるから、お見舞いにプレゼントする」と。感心して、結露で濡れないように
保温材なんかを巻いてきれいな包装紙で包んでやりながら、
レジ置きのチロルチョコを2つオマケするとニコニコ笑って「ありがとう」と。
そのまま店を出て、姿がみえなくなってすぐにドーンという衝撃音がしたと。
ちなみに、暴走車の信号無視が原因だったらしい。
葬儀が終わっても友人は放心したままで、ずっと一人で家に閉じこもっていた。
親戚筋は職業柄それぞれに忙しく、両親が泊り込むこともなかった。
妻が心配して食事を持って行ったりしたが、ほとんど手はつけなかった。
会社はもちろん事情を知っていて、休職扱いにしてくれていたようだ。
四十九日の前日、活を入れるつもりで俺と妻で乗り込んで、
とりあえず無理やり風呂に行かせて、その間に家の中を掃除した。
風呂から出た友人に「とにかく明日は四十九日で、形見分けもあるから、
遺品の整理をしよう」と言うと、しぶしぶながら動き出した。
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- 3/4
- 2008/10/01(水) 11:43:20
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遺品といっても子どものことだから、そんな高価な物はない。
衣服は妻が売れる物と売れない物に分けていた。
もちろん親戚筋で欲しい人がいない時のための処置だ。
そうすると、残るのは娘さんの机ということになる。
教科書や本の類、学用品、小物、と分けていって、
取っておきたい物は後で友人自身に選ばせることにした。
一区切りついたところで、妻がお茶と菓子を持ってきたので
休憩しながら四十九日の段取りなどを話し出した。
話しながら、分け終わった遺品を見るともなく眺めていると、
1冊のノートが目に入った。うちには子どもがいないこともあって、
ふと『娘さんはどんな勉強をしていたんだろう』と興味がわいて
手にとって見ると、学習長ではなく自由帳だった。
不恰好に膨れた自由帳の中は・・・。
単にページに絵を書き込んだものでなく、ていねいにも、
長方形に切った他の紙に絵を描いたものが、1ページに2枚ぐらいずつ貼ってある。
その絵も、友人の寝顔だったり、娘さんが遊んでいるところだったり、
弁当だったり、友人と娘さんのツーショットだったり。
貼られた絵の横や下には日付とともに「ねてるパパ」とか「なわとび10かいできたよ」とか
「パパがおべんとうつくてくれた。へんだけどおいしかった」などのキャプション。
そう、デジカメを欲しがっていた娘さんらしい、アルバム風の絵日記だったのだ。
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- 479
- 4/4
- 2008/10/01(水) 11:46:28
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「おい・・・、これ・・・」と友人に手渡すと、うつろな目で眺めていたが、
中を開いた途端に表情が変わった。ゆっくりゆっくりページをめくりながら、
食い入るように見つめながら、次第に涙がボロボロとこぼれていた。
妻に「何?」と訊かれて答えながら、俺も涙を流していた。
読み終わった友人が両手で顔を覆って大泣きしていると、
床に置かれた自由帳を拾って読み始めた妻が、嗚咽を漏らし始めた。
3人揃ってわんわん泣いてしまって、後の始末は出来なかった。
四十九日を終えた友人はその後、ほどなくして仕事に行くようになり、
そこの社長の勧めもあって、半年後に元の会社に復帰した。
元の会社でも辞めた事情はわかっていたので、そのままの地位ではなかったが
即戦力は確かなこともあって、かなり優遇してもらったそうだ。
そうして三回忌を終えてから、実家のある地方の支店に異動願いを出し、
年度替りとともに昇進という形で去っていった。
付き合いは消えたわけじゃないからメールや電話で連絡を取り合っているのだが、
気になる女性がいるらしい。ようやく傷が癒えかけたようだ。
それでも、親としての傷はいかばかりのものかと思う。
家族でもない俺が、あの自由帳を思い出すたびに泣けてくるのだから。
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- 480
- 2008/10/05(日) 17:49:11
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>>479
四十九日だからと言って遺品の整理を強要するおまえに腹が立つ
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- 481
- 2008/10/05(日) 18:03:33
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>480
いや、強要とは思わなかったけど・・
なんとか動かそう、と思った口実でしょうよ。
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- 482
- 2008/10/05(日) 23:50:58
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>>481
つうか476はネタだと思うよ。
普通に考えて、亡くなった娘さんの遺品を四十九日だからといって
他人が率先してどうのこうのする筋合いじゃない。
そもそも形見分けに不慮に事故で亡くなった女の子の使っていた品を
分けるような事はしないし(んなものを貰ってくれと言われても正直引くぞ)
よしんば、子供の遺品(しかも衣料品)を売ろうって発想がもう2ちゃん脳かとw
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- 483
- 2008/10/06(月) 21:36:41
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うん。
服を売れる物と売れない物に分けた
てのに激しくモニョった‥あといくら状態のいいブランド服だとしても
交通事故で亡くなった娘さんの服を親戚で貰う人もいないだろうに‥
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- 484
- 2008/10/19(日) 07:44:12
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501:名無しさん@お腹いっぱい。 10/15(水) 23:17
ある日、Aさんが死んだ。脳溢血だった。 職場で突然倒れそのまま逝ってしまった。
友達はいわゆるシングルマザーで家族は60を過ぎた御両親だけ
私達も悲しみにくれる間も殆ど無く、葬儀の準備の手伝い、関係者への連絡などで忙殺されていた。
その間、彼はずっとジュウレンジャーの絵本を何度も何度も読んでいた。
通夜が始まりしばらく経った頃、彼が居ない事に気付いた。
私と手の空いた者が付近を探した。
しばらく探していると友達Bさんから着信
小さな公園で見つけたとの事。
急いで駆けつけるとBさんは公園の入口で、どういうワケかうずくまって泣いていた。
フッ…と公園の中を見ると彼が居た。暗い街灯の下、
「…お母さん、お母さん…お母さん…」
と泣きながら必死にポケットを叩いてた。
周りには宝物が散らばっていた。
恥ずかしながら20代女、その子慰める前に しばらくの間 泣き崩れてしまいました。
声を殺して抱きしめる事しか出来なかった。
いつの間にか集まってたみんなも泣いていた。
あの日は全てが悲しくて仕方がなかった。
あれから二年
もうポケットは叩く事は無くなった。
代わりに
「ぐらふぃっくあーてぃすとになんねん(`・ω・´)三3ムフー!!」
が口癖になった。
最近、ずっと絵を描いてるのはソレだったのか。
どうやらBさんが 「お母さんの夢やったんよ」 と教えたらしい。その話を聞いた瞬間、また泣いてしまった。
子供の言葉で、何だかこっちの方が救われた気がしたんです。
少し画家と混同しているみたいだけど、頑張れ!
君には5人のお母さんがついてるぞ!
その日までちゃんとAさんの分まで全力で見守ってるからね。
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- 485
- 2008/10/19(日) 22:28:06
-
私も子を亡くしたことがある。
といってもお腹の中で亡くなった、まだ見ぬ子だったのだが。
とつき十日、動きを感じてきただけの我が子でも、
死産後最初の半年は周りが見えないまま過ごした。
遺骨を抱えて泣くのはしょっちゅう。
用意していたベビー服とか、
他人が触ろうとしたならブチキレてただろうな。
姑さんが仏壇にミルク供えようとしたことでさえ、
「あんたの仕事じゃない!母親の私がすることだ!」ってキレてた。
子を亡くすとそれくらい、狂ってしまう。
だから>>476は、ネタだよね^^
感動というか、神の存在をなんとなく感じたのは
亡くした子のあとにできた子の、
医者に告げられた予定日が
亡くした子の命日だったんだよね。
結局早めに生まれたからその子の命日と
下の子の誕生日は、かぶらなかったんだけど。
あんまり人に話してないから秘話なんだよね。
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