江戸幕府が近代日本をダメにしたpart2 [sc](★0)
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- 2010/09/05(日) 20:59:56
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前スレ
江戸幕府が近代日本をダメにした
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1281770369/l50
今回は科学的な見解を頼む
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- 2010/09/07(火) 22:07:46
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つか当時機動艦隊っていえるほど空母持ってたの日本とアメリカだけじゃん
ソビエト陸軍国だしイギリス海軍もアレだしドイツ海軍は(ry
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- 2010/09/07(火) 22:20:28
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>>44
インド人はまぎれもなくコーカソイドですがイギリスが手加減してくれました?
インド人は黒人と同等の扱いだよ 彼らの肌は黒い
東アジア系と白人との混血は中央アジアの人間のような容姿になるだろ
実際、かの地は古来からアジア系と白人との混血が進んでいる
日本も白人と混血すればあのような容姿になるだろう
そうなれば無用な白人コンプレックスから解放される
白人からも人種差別されない
いいことづくめではないか!
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- 50
- 2010/09/07(火) 22:53:46
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>>9
>>そもそも輸出できる物なんて絹と漆器陶器とあとは浮世絵と刀剣が少々だろ
>>金銀売ったらバカ中のバカだし
ネタですか?
江戸時代初期の主要な輸入品は絹でしょ
輸出品は金銀
それが江戸末期には生糸が主要な輸出品に
戦前の日本経済なんて生糸無しには考えられないだろ
江戸時代がなければ、鎖国がなければどうなっていたか・・
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- 2010/09/08(水) 00:58:42
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>>44
アイルランドやスコットランドにたいするイングランドの仕打ちかんがえろや。
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- 2010/09/08(水) 01:18:44
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スラブ人やユダヤ人にたいするヒトラーの仕打ちかんがえろや。
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- 53
- 2010/09/08(水) 01:32:50
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ガリア人やケルト人にたいするローマの仕打ちかんがえろや。
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- 54
- 2010/09/08(水) 02:07:33
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>>1
江戸初期はどうでもいいや
だが、すくなくとも田沼意次のときに開国していればな
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- 2010/09/08(水) 02:24:30
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>>50
読解力がないな
たとえば鎖国せずに自由貿易したって売れるものなんてその程度
金銀が国外に駄々漏れしたら近代化どころか植民地化だって言ってるんだよ
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- 2010/09/08(水) 02:49:11
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最近反日日本人団体がアイヌ担ぎ上げてビョウドウと珍権を叫ぶ活動始めたななんとかしろ
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- 2010/09/08(水) 06:40:28
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江戸時代は金銀流出を抑えるために
色々な物の国産化が進んだ時代だからな
高価な輸入漢方薬を国産しようとした本草学の勃興とかが良い例
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- 58
- 2010/09/08(水) 07:24:59
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少なくとも開国が100年は遅かったとは言える。
18世紀中盤なら、十分開国して大丈夫。
逆に19世紀になってからでは遅かった。
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- 2010/09/08(水) 07:27:23
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>>54
確かに、その時期に開国していると良かったな。
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- 2010/09/08(水) 07:31:04
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>>32
鎖国が長すぎて近代国家を作り損ねたんだよ。
教育にしてもそう。
未だに近代的では無い所が多い。
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- 61
- 2010/09/08(水) 07:41:29
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人格形成という話とも少し違うと思う。
幕末は幕府側も反幕府側もかなり過激になっていたし、
現実離れした主張をしてる人も少なくなかった。
明治時代に色々上手く行っていた所は、
幕末の大小の紛争で現実主義的な能力が向上したというのも大きいだろう。
まあ、そういう紛争があれば良いってものじゃ無いが。
あとはそういうものとは別に、
確かに思想哲学でまともな事を言っている人もいるが、
それこそ、そういう人が目指したのが近代的なものであって、
そこを否定するのは、あまり意味が無い。
ただ、多数派を占めたのはそういう人では無かった。
昭和期の負の側面は決して近代的では無いよ。
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- 2010/09/08(水) 08:13:01
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金銀流出は史実でも1860年には収束してるし、
いつまでも流出し続ける訳じゃ無い。
そういう経済問題は開国すればいつかは起きる事だけど、
いつまでも鎖国していたら、結局経済力の差は圧倒的になる。
それにそういう問題はいつまでも続く事でも無い。
開国するなら、経済力の差が少ない時期ほど問題解決の時間も早く済むだろう。
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- 63
- 2010/09/08(水) 08:48:56
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幕末の場合は金の流出だな。
訂正。
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- 64
- 2010/09/08(水) 08:54:10
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貿易の不均衡に関して言えば、
不平等条約で無ければ、関税等で何とか出来る。
これもあの時期に開国した事が原因と言えると思う。
経済力の差が少ない時期の開国なら、
あるいは、外交を学んだり近代的であれば、
不平等条約にはならなかったと思う。
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- 65
- 2010/09/08(水) 09:28:52
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ガラパゴス化していいことなんてなんもないからな
そりゃ独自の文化とか発展するかもしれんけど
技術的・科学的にはいいことなし
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- 66
- 2010/09/08(水) 11:21:03
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開国の100年前あたりは積極的に外国の技術入手してたんだよな
白河公が寛政の改革するまでは…
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- 67
- 2010/09/08(水) 13:00:50
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科学技術の面ばかりに目が行きがちだけど
江戸幕府の体制は、後に近代的な「日本人」という国民を作る上で
かなり+に作用している
例えば、参勤交代は上方・江戸の文化を地方に伝搬させて
結果として文化的な統一性を作り上げているようにね
欧米以外でいち早く近代国家の体制をつくり上げることが出来たのは
江戸時代のお陰
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- 2010/09/08(水) 13:23:06
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>>47
>ついその前、朝鮮に出兵した前政権が大失敗したばかりなのに
べつに家康の時に出兵しろとは言ってない。
50年〜100年後に進出してもおかしくないだろw
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- 2010/09/08(水) 13:30:03
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貧しい朝鮮なんて無視して肥沃な東南アジアにいけよ
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- 2010/09/08(水) 13:55:58
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ジョン万や長州5じゃないが海外視察、海外留学をもうちょっと積極的に行っていれば近代化はもっと早かったかもね
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- 2010/09/08(水) 14:32:21
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>>70
鎖国中の江戸幕府がどれほど海外情報の収集に熱心だったか理解してないだろ
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- 2010/09/08(水) 14:40:46
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収集する「だけ」で何の対策もやってない。 黒船なんかまさにそう。
半世紀なんちゃせんかったんだからね。
幕閣首脳陣は海外経験つますとか
現地事情をみてこらすようにしておけばよかったのに。
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- 2010/09/08(水) 16:17:37
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幕府がものすご〜く熱心に収集した海外情報より
漂流漁師たった一人の情報のほうが遥かに役に立つとは
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- 2010/09/08(水) 16:37:51
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>>72
水野忠邦はペリー来航前から外国からの脅威を感じて
海防体制を構築しようとしてたわけだが
まぁ水野はあまりに急激にやろうとしたので、危機感を共有していない反対派につぶされたが
後を引き継いだ阿部正弘はもうちょっと巧妙で、幕府外の同志と連携を取りつつ機が熟するまで待っていた
そこにペリーがやってきたので、これを利用して一気に幕政改革、外様を引き込んで海防をやろうとした
阿部が途中で死ななければ大分状況は変わっていただろうね
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- 2010/09/08(水) 17:15:00
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たられば話ばかりで現実をみろよ。
ペリーがくるまで何もしなかった。 オランダからも来るぞーといわれていたというのに
高を括っていた 今回も帆船だろうし、よゆうじゃん そういう甘えがあったのだろう。
ペリーがきて1年後くるよ!となっても何もしなかった俺らの一存では決められないと
寝言までほざきだした おまえら征夷大将軍麾下の幕府じゃねえか
260年余り日本に君臨しておいていまさら国防どうしたらいいかわからないとか
アホ過ぎて話にならない。 いっぺんしんでこいや
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- 2010/09/08(水) 17:22:33
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大体幕府は情報集めていたと言うが、蒸気船が世界のかきあつめても50隻もないとは知らなかった時点でアウアウもの。
過去ログでもいわれているが、祖法祖法という以前にせめて幕閣クラスの官僚レベルぐらいは海外遊学させておけよ。
黒船がきてからあわてていってもおそいっつーの。 アメリカの虚勢みぬけなかった時点ですでに情報戦にまけているじゃねえか。
なんつうか、もう交渉以前に勝負ついてしまっているよね。 アホもいいところ オランダから海外事情聞いているから余裕とか
ほざいてるけど、オランダの情報自体もバイアスかかっているからね。ポルドガルしめだしたり、イギリスが再開しようとすると
妨害するわ将軍にあること無いこと吹きこむわで あくまであちらの国益でうごいているからね。
現に日米和親条約結ぶと他国と同じように即座に不平等条約おれらにもやれよとほざくしな チャンネル1つしかない時点で
アホとちゃうかと。
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- 2010/09/08(水) 17:23:08
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>>75
いや、だからペリー来航の意味なんて幕府内では勢力争いの道具でしかなかったんだってば
大騒ぎしたのも、現状の幕府では対応できないから改革しようという連中の演出もあった訳で
計算外だったのは、水戸が調子に乗りすぎたのと朝廷がマジになって騒ぎ始めたこと
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- 2010/09/08(水) 17:32:16
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江戸を封鎖されたら、100万都市の物流は速攻で干上がるがどうするんだ。
勢力争いというが、実力で廃止できず武力攻勢受けたあとだとさらに条件が悪化するぞ。
内向きのことばかり考えているようだが、実際に軍事的圧力が掛かっている。
1年後の不平等条約時に米の行動をみた欧米各国が一斉に同様の条約締結を
求めてきているのだから、開国しないままであれば各地で武力攻勢に出ていたであろう。
実際琉球や対馬などは米やロシアがねらっており、対馬は実際に半年間租借を要求され
乱暴狼藉甚だしく、イギリスの仲介で漸く引き下がったぐらい。
世界中でロシアとイギリスがグレートゲーム展開していた背景がなければロシアは引き下がらず
対馬占領ぐらいしていただろう。
日本はあくまでも運が良かったに過ぎない。
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- 2010/09/08(水) 17:36:26
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そもそも、蒸気船を実力で排除できない現実を、「幕閣の勢力争いの結果」と脳内返還したところで、現実は変わらないよ。
井伊が安政の大獄下してとにかくペリーにかえって頂く以外にどうしょうもなかったんだから。
攘夷攘夷といっている奴らが俺らが異人殺す!といったところで黒船は帰らんよ。 それが当時の日本の現実だよ。
現実を直視し給え。
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- 2010/09/08(水) 17:36:53
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てゆか海外に留学しても結局なにも学んでなかったってのがこないだまで総理大臣やってなかった?
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- 2010/09/08(水) 17:41:50
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>>80
古来から大陸や俺達の故郷朝鮮半島から多くの文化、技術を学んできたそれが律令体制などに反映させてきた事実を忘れてはいけない。
幕閣の阿呆どもがアヘン戦争下の清の様子でも目の当たりにしていたら、認識変わっていたろう。
あーこれは異国船打払令なんかだしても日本に来るの時間の問題だ(実際きていたし)と理解出来ていたろう。
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- 82
- 2010/09/08(水) 18:30:57
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>井伊が安政の大獄下してとにかくペリーにかえって頂く以外にどうしょうもなかったんだから
君が歴史に疎いのは良くわかった
今すぐ年表をチェックだ
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- 83
- 2010/09/08(水) 18:46:14
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要は幕閣の勢力争い説はコップの中の嵐にすぎず、外国の圧力は日本の事情とは無関係にやってくるもの。
備えあれば憂いなしというが備えがなかったのだから不平等条約を結ばざるを得なかった。
半世紀近く何もしてなかったのだから正しく怠慢以外の何者でもないということ。これファイナルアンサーだから。
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- 84
- 2010/09/08(水) 19:25:50
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不平等なんて認識は明治に入ってからの物
治外法権なんて、幕府と藩の間の関係を外国にも援用しただけにすぎん
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- 2010/09/08(水) 20:13:12
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当時は不平等との認識もなく、むしろ平等かそれ以上と思って喜んで条約結んじゃったのかバカ幕府は
明治政府は大変だったねえ
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- 86
- 2010/09/08(水) 20:20:04
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組織が腐るときは上から腐る
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- 2010/09/08(水) 20:49:35
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黒船が来てそのあまりのギャップに驚いたから「追いつき追い越せ」で近代化したんであって、
中途半端に技術があったら、清みたいに「夷荻なんかどうでもいい」となって、
気が付いたらもう手遅れになってたかも。
ところで、朝鮮って日本にいわれるまで鎖国してたんだよね?
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- 88
- 2010/09/08(水) 21:06:28
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言われてもしてた
で、西郷がペリーの真似でもやろうとしたのが征韓論の始まり
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- 89
- 2010/09/08(水) 21:28:45
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九州には豊臣時代の遠征の記憶が遠く残ってたんじゃないのかな
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- 90
- 2010/09/08(水) 21:28:55
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>19や>38で資料が出ているように、アヘン戦争よりずっと前の1806年の日露紛争の時点で
200年以上前の戦国時代の大砲を持ち出して抗戦し大敗したのが現実。
江戸幕府の国際情勢への認識はこの程度。
その後、この教訓にもかかわらず碌な対策も無いままペリーの蒸気船が江戸に迫って始めて
日本の惨めな現実を思い知ったのである。
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- 92
- 2010/09/08(水) 21:49:50
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高島秋帆が研究していた洋式砲術を幕府が採用したのが
アヘン戦争直後の1841年の事
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- 2010/09/08(水) 21:56:34
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>>91
うわっ馬鹿くせえ
しょうもない返しの見本だな
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- 2010/09/08(水) 21:59:40
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1806年の日露紛争はロシア側が目的を達成してないから
日本大敗というのは誇張が過ぎるな
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- 95
- 2010/09/08(水) 22:25:15
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幕末の開港後、日本はこれといった輸出産品がなく、生糸と茶が2大輸出産品であった(及び海産物)。
お茶の輸出市場は米国が中心であった。「明治時代をつうじて、製茶輸出のおよそ80%以上がアメリカ合衆国に、
10%前後がカナダに輸出されていた。」(角山1980)
英国は、18世紀初頭には緑茶消費の方が多かったが、この頃はすでに紅茶消費が主流であり、
日本の緑茶は好まれなかった。ちなみに英国への紅茶輸入の仕出国は中国が主であったが、
1823年のアッサム種の発見以降、インド・セイロンでのプランテーション経営が進展した結果、
日本と同様に小農経営中心の中国のシェアは縮小しつつあり、1887年には中国紅茶は半数を下回るに至っている。
米国は英国の東インド会社の茶の専売や茶税に抵抗したボストン・ティー・パーティから
独立戦争がはじまった経緯もあって、茶よりコーヒーを好んでいた。お茶にしても紅茶ではなかった。
米国では「ティといえば緑茶のことで、緑茶に砂糖とミルクを入れて飲んでいた」(角山1980)。
緑茶は貧民階級の飲物だったらしい。
「日本茶ハ神経ヲ刺衝スルコト強キガタメ...北米合衆国及カナダノ伐木者ハ日本茶ヲ消費スル巨擘タリ」
(25年中カナダ貿易景況)。
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- 2010/09/08(水) 22:34:04
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>>95
だ・か・ら 一言で言えば
そういった事は幕府が情報弱者&一切対策しなかっただったからでしょ?
つまり明治になって情報・対策がしっかりしてきて一気に文明が開化した。
後、50年早ければもっと日本は以下ry
あげておく
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- 97
- 2010/09/08(水) 23:20:26
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50年前といえば欧州はナポレオン戦役まっただ中か
そのころ開国したって近代・帝国主義というモデルがまだ固まってない時代だから
日本は近代化の必要性を感じずに幕藩体制がそのまま続いただろうな
当然史実以上の海外進出も無い
日本が近代化を必要としたのは、西欧との接触が早い遅いじゃなくて
世界情勢の必然があってのことだから、結局の所たいして変わらない
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- 2010/09/08(水) 23:22:18
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>>95
売るものが無いなら、人を売ればいいじゃないか
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- 2010/09/08(水) 23:28:24
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>>97
>そのころ開国したって近代・帝国主義というモデルがまだ固まってない時代だから
歴史をもっと勉強しろw
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