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  • 2010/09/08(水) 22:25:15

幕末の開港後、日本はこれといった輸出産品がなく、生糸と茶が2大輸出産品であった(及び海産物)。
お茶の輸出市場は米国が中心であった。「明治時代をつうじて、製茶輸出のおよそ80%以上がアメリカ合衆国に、
10%前後がカナダに輸出されていた。」(角山1980)

英国は、18世紀初頭には緑茶消費の方が多かったが、この頃はすでに紅茶消費が主流であり、
日本の緑茶は好まれなかった。ちなみに英国への紅茶輸入の仕出国は中国が主であったが、
1823年のアッサム種の発見以降、インド・セイロンでのプランテーション経営が進展した結果、
日本と同様に小農経営中心の中国のシェアは縮小しつつあり、1887年には中国紅茶は半数を下回るに至っている。

米国は英国の東インド会社の茶の専売や茶税に抵抗したボストン・ティー・パーティから
独立戦争がはじまった経緯もあって、茶よりコーヒーを好んでいた。お茶にしても紅茶ではなかった。
米国では「ティといえば緑茶のことで、緑茶に砂糖とミルクを入れて飲んでいた」(角山1980)。
緑茶は貧民階級の飲物だったらしい。
「日本茶ハ神経ヲ刺衝スルコト強キガタメ...北米合衆国及カナダノ伐木者ハ日本茶ヲ消費スル巨擘タリ」
(25年中カナダ貿易景況)。

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