【3.11あの日】〜東日本大震災〜体験記録Vol.1【絆の足跡】 [machi](★0)
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- ゆきんこ
- 2012/04/11(水) 13:36:44
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>>509 続きです。長々すみません。
実家では、弟たちの勤め先の話を聞いた。
上の弟の勤め先では、釣り上げていた材料が落ちてきたらしい。けが人はなく、電気が使えないうちは休業らしかった。
下の弟の勤め先は食品加工で、やはり電気がないと仕事ができないので、しばらく休業となった。
上の弟のお嫁さんは、勤め先から出たあとに職場の天井が落ちたといっていた。
妹は4月から仙台の専門学校に行くことになっていたが、この状況で読めなくなってしまっていた。
母は、揺れのあと、職場の冷蔵庫が止まったので残り材料すべてを炊き出しにして、その後は震災支援のくる人の炊き出しに加わっていた。
夫は、岩手について翌日、出張先に連絡を取るため、自宅に戻る。
祖母が赤飯をたくさん詰めたパック
を4つ、おにぎりにドリンク剤を20本持たせて送り出した。
***
先日、
実家に帰省したら赤飯を作って食べさせてくれた祖母。
食べた夫は「地震の時を思い出す」と、呟きながら食べていました。
あのあともいろいろとありましたが
3月11日12日のできごとは忘れられません。
p.s.
12日は親友の誕生でした。彼女も元気です。地震直後電話がつながった時、「明日、誕生日どころじゃないね」と、言っていたのが何故か頭に残ってます。
今年も祝い忘れててごめんなさい。
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/04/13(金) 19:58:41
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ばあさんは
必至で、んんWWW
大切なおばあちゃんだな
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- ゆきんこ
- 2012/04/14(土) 09:45:23
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作業現場を抱える職場にいた時に地震発生
ライフライン寸断で現場はあえなく停止するも
現場職員の懸命の復旧作業で1週間で部分再開
普段ダラダラしている現場職員が頼もしく見えた
一方で
普段から重度の精神疾患が疑われていた
事務方の管理職が暴走
現場復旧に関する職場の会議に一切参加せず
全て独断で勝手な行動を開始
上司の厳重な注意も黙殺し
混乱している職場に更なるマイナスの要素を撒き散らした
本人はこれで
自身は職場でただひとりの役立つ人間だと信じて疑わず行動
交通遮断の中苦労して職場に出てきた職員に対し
遊びに来る奴は邪魔だからとっとと帰れと延々と罵倒
ある意味地震以上の戦慄を覚えた
有事の備えというのは組織の人事にも当てはまると痛感した
それと
普段からおかしい人は決して有事に役立つことはなく
むしろ普段以上に狂うということも思い知らされた
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- ゆきんこ
- 2012/04/14(土) 20:19:53
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ハロワにて地震遭遇
次は俺の番だと番号札持って座ってたら強い揺れ
机の下に潜れとの職員の言葉があったが机が無いので諦める
目の前で若い女が怯えていた
それを見ていた俺は半笑いしてたと思う
いまだに無職
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まいね
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/04/15(日) 09:30:50
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高田マイヤの屋上にいたけど親子が流されてるのはきつかった
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- ゆきんこ
- 2012/04/15(日) 13:46:11
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一生忘れられない光景だな
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/04/17(火) 23:38:43
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自衛隊の皆さんが救世主に見えた
実際そうだったけどね
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- ゆきんこ
- 2012/04/18(水) 08:51:01
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自衛隊のジープに乗って大浴場へ行った。
助手の隊員さんが歌うたって踊ってくれて
車内を和ませてくれた。ありがとう
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- ゆきんこ
- 2012/04/18(水) 21:04:04
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いやあひどかったなああのとき@大槌
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まいね
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まいね
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まいね
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まいね
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/04/21(土) 14:36:58
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>>514 同意
普段から真面目な人は、より真面目になったし、
普段からいい加減な人は、よりいい加減になった。
余震があるたび、連絡が取れなくなってサボってる奴いて困った。
こっちは安否確認出来なければ探しに行かないといけない。
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/04/24(火) 11:56:01
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遅いレスですが
>>213
> 訓練高揚のためにも避けては通れぬ疑問であろうけれども、、。
> 「忘れた頃の災害」に遭って逃げ遅れた人に非はないと考える。
非難するような書き方になってた。ごめん。
そういうつもりはなかった。
逃げなかったのを責めるんじゃなくて、逃げてくれなくてくやしい、って気持ちなんだ。
友人が亡くなった後、友人が無事だった夢を見て
「俺はバカだなぁ、葬式なんかしちゃったよ!早くみんなに生きてたって知らせなきゃ!」
ってはしゃいで、目を覚ました後落ち込んだりしたもので。
馬鹿な夢を見た。
けど、夢を見られるだけ幸せなのかも、と思ったりもする。
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- ゆきんこ
- 2012/04/24(火) 21:36:10
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>友人が亡くなった後、友人が無事だった夢を見て
同じような夢を何度か見たよ。
うなされて「早く逃げろっ!」って叫んで目が醒めるんだわ。
震災から一年、無意識に気持ちを精一杯張り詰めて耐えてきたらしい。。心が疲れてる。
正直疲れた。休みたい。
PTSDなんだろうね。
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まいね
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/04/25(水) 06:07:43
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@宮城県石巻市(旧北上川東岸)
仕事が夜勤なので、自宅の茶の間にて遅い昼食を取った直後に地震に遭遇。
不気味な地鳴り(初期微動)の後、激しく長い揺れが起こる。
とっさに母親(70代)の上に覆いかぶさり「大丈夫、大丈夫」と話しかけながら揺れが収まるのを待った。
やっと収まってきたと思ったら、更に大きな揺れがやってきたので最悪の事態が頭をよぎる。
何とか揺れが収まり一安心した所で、とりあえず家の被害状況を確認してみようと外に出た所、
防災無線から「大津波警報」の放送が聞こえてくる。
すでに他界している父から、昭和35年の「チリ地震津波」の時は道路が濡れた程度で被害はなかったが、
津波が北上川を遡上して家の前まで到達したがと聞かされていたので、一応避難する事を即決。
家の中の母親に状況の説明と、片付けは後回しにして避難所に行って警報が解除されるまで待機する事を伝え、
(あくまでも津波の被害はないという前提だったので)貴重品等は持たずに防寒着を羽織っただけという
身軽な格好で家を出る。
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- 2012/04/25(水) 07:22:35
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続き(かなり長くなりそうです。よろしかったらお付き合いください)
幸いな事に自宅から数分の所に避難所が2ヶ所あり(しかも国道を挟んで向かい合わせ)
畳敷きの部屋がある市立の幼稚園兼保育所が併設されている福祉会館へ行ったところ、
会館の前で館長さんが「6メートルの津波が予想されているので二階建ての当館では対応できません。
向かいの小学校(四階建て)の三階以上に避難してください。」と指示をしていたので、それに従い小学校へ向かう。
小学校で先生に三階の教室に案内されると結構な人数が既に避難しており、ラジオから被害情報が流れていた。
ラジオの持ち主から岩手県に津波が到達した事(高さ等はこの時点では不明)を教えてもらい、同じ教室にいた
近所の方々と情報交換をしながら200メートルほど先の北上川を眺めていた。
(川岸からの道路が向かいの幼稚園の園庭前まで続いており、小学校から直視できる)
地震からおよそ1時間が経過したあたりで川岸から「波」というより「浸水」という表現がふさわしいくらい穏やかに
水が溢れてきた。「どこまで到達するかな?」と、あくまでも津波の被害はないだろうという前提で気軽に眺めていたが
浸水が止まる気配は全くなく、幼稚園の園庭と国道を越えて遂に小学校の校庭まで流れこんできた。
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- 2012/04/25(水) 08:29:27
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その3
「ちょっとこれはまずいんじゃない?」と思ったのも束の間、目の前の国道では渋滞で動けなくなっていた車が浮き上がり、
人を乗せたまま次々と流れていった。誰も車から降りようとはしてなかった。
幼稚園の隣にある消防団の車庫前で待機していた消防車も流れていく。消防団員は目の前の歩道橋に登って無事のようだった。
水位は更に上昇し、3分も経たないうちに小学校の一階部分は完全に水没した。(後に計測したら約3.5メートルでした)
遂に一部の家も流され始め、船も国道に流れて来ているのだが自分の心は現実を受け入れる事ができず
リアルな特撮映画をながめているかのごとく、何も考えられない、考えてもいない状態がしばらく続いた。(と思う)
その後、多少の変動はあるものの、水位が安定してきたので「命の危険はなくなったかな?」と考え始める。
そこで初めて我に返り「我が家は?」と視線を自宅へ移した。(自宅は消防団車庫の裏)
自宅は二階部分しか見えないが動いている様子はなく「とりあえず建っているけど中はダメだな」と思った。
とりあえずは水が引かないと、どうにもならないことだけは理解できた。
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- ゆきんこ
- 2012/04/27(金) 02:36:55
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そいで?
水が引いてからはどうしたの?
家の中の様子は?
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/04/27(金) 18:31:05
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あの時は、山の中で炭作っている人、最強だと思いながら生活していた。
津波はこないし、湧き水飲んで、暖かい。そして米を野菜作っていれば
怖いものなしだって。そういうことを何度も思いながら
長いスーパーの列に並んだ。
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- ゆきんこ
- 2012/05/02(水) 17:09:08
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石油ストーブで米を炊いた
親父には驚いた
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- ゆきんこ
- 2012/05/05(土) 17:54:51
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こんなのあった
震災復興 応援ソング 【さくら咲け】 http://www.youtube.com/watch?v=pYLGGLeOfok
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- ゆきんこ
- 2012/05/12(土) 19:57:23
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一人暮らしのアパート住まいで地震くる一年前に古い反射式ストーブからヒーターに買い換えて古い反射式を家電店で引き取ってもらうつもりでいた
微妙に歳喰った店員に引き取り頼んだら「学生の一人暮らしなら壊れてない限り役に立つ事もあるよ」と言われて何となく持ってたそれが地震で停電してた時にとても重宝した
後で聞くと「冬にガス止められた時の命綱」的に言ったらしいんだがあの時に周りの住民達と暖かい食事をとれたのはあの店員のおかげだと思う
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/05/13(日) 22:18:14
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>>557
私は50ですが、微妙に歳くった?
つうのはオレら世代の事でしょうかW
その店員は、単純に「モノを大切にしろ(←感謝を忘れるな)」
って言ってたんだろな
たぶん
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