【3.11あの日】〜東日本大震災〜体験記録Vol.1【絆の足跡】 [machi](★0)
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- 2012/04/11(水) 10:59:07
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>>508 続きです
翌朝は5時に目が覚めた。
食べ物や情報を求めて、近くの公民館に夫がいくと、暖かなおにぎりを家族分もらって帰ってきた。うちは非常用の調理器がなくオール電化だったため、暖かい食事は本当に有難いものだった。海苔と塩のおにぎり、空腹だった子供達はあっという間に食べ切ってしまった。
公民館で得てきた情報は、
国道は混んでいて移動が難しいだろうという事と公民館の非常用貯水池が半分ダメになったということ、近所のコンビニは開いていたが多分もう品物はないだろうということ。
たくさんのアレルギーがあり、食べ物が限られた娘たちを考えるとここでこのまま避難生活は難しいと判断。北上して岩手に行くことに。
その旨を区長さんに伝え、残っていた塩や海苔、砂糖、米を渡し、「気をつけて」と送り出されて岩手へ向かう。
途中、動いている信号があったがほとんどが止まっていた。そのために4号線はほぼハイウエイ状態。信号が動かない場所では車が混雑、国道に入りにくい状態。道中、ガソリンスタンドでも混雑していた。
所々、アスファルトは盛り上がっていたり、酷いところは段差があったり。早々に補修もされた場所もあった。
ガソリンスタンド渋滞を除けば、予想より移動はスムースに思えた。
移動中、一関付近で高速と並走している箇所で何台も消防車が走っているのを見た。埼玉、千葉…たくさん。
ワンセグでは、気仙沼の火災や津波で水浸しの宮城沿岸の地域が映っていた。
岩手、水沢金ヶ崎あたりになると車が少なく感じられた。ガソリンスタンドやコンビニ、大型量販店には車や人は見たけれど宮城県県北より少ない感じだったのは片側二車線だったから?
実家には昼過ぎについた。
停電して暗かったけれど、田舎も田舎なので当面の米や野菜の蓄えはあって、ガスも電気とは別につないだガスコンロがあって調理は大丈夫だったという。
祖母が早速、暖かな味噌汁や作り置きのおかず、なぜか赤飯を作っていたので娘たちは大喜びで食べた。長男は、食べながら地震怖かった、と身振り手振りで祖母に話していた。
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