【3.11あの日】〜東日本大震災〜体験記録Vol.1【絆の足跡】 [machi](★0)
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- ゆきんこ
- 2012/02/26(日) 18:21:56
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各自治体 追悼式典関連
http://blog.livedoor.jp/hukkogannen2012/
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- ゆきんこ
- 2012/02/26(日) 19:15:03
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仙台近郊内陸部
会社がメチャクチャで足の踏み場もなくなり、鍵も閉まらない事務所を無理矢理
閉鎖して自宅に向けて出発したものの、普段20分の道が5時間以上かかった。
家についたのは日が変わった頃だったけど、奇跡的に自宅は食器や置物等の
落下も殆どなく、拍子抜けしたのが印象的だった。
ライフラインは全滅だったものの、反射式ストーブで作った鍋で息をついた。
翌日からはとにかく毎日給水と食料確保に走り回った。
幸い翌日から待ち時間最大20分で3日後からは待ち時間・制限なしだった給水所や
ホームタンクで備蓄していた灯油、複数の車にガソリン満タンだったために
GSの行列とは無縁だったり、米や麺も大量に備蓄していたので苦労はしなかった。
しかし4/7の余震で家屋にかなりの被害が出て、帳尻が合ってしまった感が・・・
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- ゆきんこ
- 2012/02/26(日) 20:56:52
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ROMっておりましたが、青鹿さん、いつも乙でありまする!
機微のわかる、お優しい方ですね・・・
そのうち私もあの日を語ってみたいと思います。
そのときはよろしくおながいしますね!!
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まいね
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まいね
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- 青鹿φ
- 2012/02/27(月) 19:52:31
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>>305
かたや地震特約ですし、、。
風による高潮ならいいが津波は免責になる、と聞いた覚えが、、、。
>>306,308
>ちょうどでこぼこ道
揺れは感じたけれど恐怖はなかった、、、とすれば未舗装の砂利道だったのかな?
普段快適な生活ほど有事に不便を味わうような。
農家やってれば軽油など常備してそうですね。
>>309
参考にさせてもらいます。
>>310
4/7の南より震源のほうが310さん家では強かったんですね。
反射式ストーブは鍋・やかんをかけれるのがいい。
カップ麺もだけど普通の麺類備蓄も大事、と思いました。
>>311
ROM歓迎です。
こちらこそよろしくお願いしますね。
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- ゆきんこ
- 2012/02/27(月) 21:49:12
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岩手、内陸。
その時は会社でした。
地震速報が携帯からなり響き、同僚と話していたところ、いままでにない揺れ。
外に避難したあとは不安がる女性達に対し気丈に振る舞ってはいましたが、
ワンセグで確認した大津波警報に、
沿岸にすむ片想いの子のことで
不安で一杯でした。
停電の中、ラジオから告知される被害者を聞いた数日。
彼女の生存を知らされたとき、初めて涙が止まりました。
本来は逆なのかもしれませんが。
不安で泣くなど初めてでした。
その後、
彼女の一番にはなれず、辛い状況に全然頼りになれませんでしたが、
いまでも大好きです。幸せを祈っています。
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- ゆきんこ
- 2012/02/27(月) 22:21:20
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当時臨月の妊婦で、福島の双葉郡から出産のために
宮城県の実家に里帰り中。
昼寝をしていたらすごい揺れに見舞われる。
実家は屋根瓦が盛大に落ちて壁に亀裂が入り食器が多数割れたものの
水・食料の備蓄があったので避難所には行かずにすみました。
それからラジオ等で情報収集しつつ、
せめて水が出るまでは出産したくない!と寝転んで安静な生活を送ろうと誓う。
寝転んで窓から沿岸方面を眺めていると津波被害の航空写真を
撮影しているであろう飛行機がぐるぐると弧を描きながら飛んでいるのが
印象的でした。
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- ゆきんこ
- 2012/02/27(月) 22:24:16
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しかし5日程経ったら陣痛が。
病院に行ったらまだ水が普通で食事もほんのわずか。
トイレすら使いない状況で、一泊で退院でした。
さらに病院の入り口には
「原子力発電所の方から来た方は放射能汚染の可能性があるため
しかるべき場所で測定して場合によっては除染してから立ち入れ」
的な張り紙が…
これって医療機関なのに風評被害を助長してるよな〜、と
感じつつも、自分の持つ母子手帳の市町村名が周囲の人に
見られないように微妙に気をつかいました。
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- ゆきんこ
- 2012/02/27(月) 22:28:11
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結局水道が使えるようになったのが
出産後1週間近く経ってからだったので
その間赤ちゃんは産湯にも入れられず体をお湯で拭くだけでしたが
かぶれたりすることもなく、元気に育ってくれました。
その後双葉郡の家には戻れず、一時帰宅も乳飲み子がいるからと
夫にだけ行ってもらったのでかなり気になっています…
何よりも連絡先を聞いていなくて散り散りになってしまった人が
たくさんいるのが辛い。。。
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- 青鹿
- 2012/02/29(水) 20:17:58
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西暦が4で割り切れれば閏年、
しかし、100で割り切れれば平年、さらに400で割り切れれば閏年、、なそうで今年は1日儲かりました。
>>315
気になることがあると落ち着かなく深刻な事を考えてしまう、
のは誰も同じじゃないでしょうか。
うーーん、行動に移した、、、結果なのね。
>>316-318
不自由な状況での出産、、過敏にならざるを得ぬ変化の中で、、
無事の出産、おめでとう!
病院とはいえ独立ライフラインを設けてない所、ほとんど機能しなかったのでは?
住所のことまで気を遣ったんですね。
>>319
日本列島の形成を帰納すればどこでも起きますね。
>>322-324
先がわかってるのに作付けしなければならない、という現実ですか?
後手々々に回る役人かな。
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- 2012/02/29(水) 21:37:52
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ここに書くと特定されるから詳しくは書きませんが。
出来ることはいままでにないほどしました。
直後から自負できるほど体に負担かけて。
けど、妥協なくお互いに思いあ
う関係になるのは、
そういった努力だけじゃないんですよ。
ただ、震災後にあった際に約束した、精一杯生きる事、一生忘れません
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まいね
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- ゆきんこ
- 2012/02/29(水) 22:49:01
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地震発生時、パチンコをしていて、大当たりが四回の確変当たり中に外に避難した。
戻ってきたら大当たりが六回になっていたorz
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- ゆきんこ
- 2012/03/01(木) 00:07:25
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>>328
三陸はるか沖地震の時は、それで(ほぼ唯一の)死人が出たから…
パチンコ屋の構造とか考えても、地震の時は逃げるのが一番ですぜ
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- ゆきんこ
- 2012/03/01(木) 03:12:03
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@仙台市宮城野区
読んで、当日の記憶があるうちにまとめようとおもいました。
11日当日。次の日からの会社の50周年の式典のため、東京に行く予定。
出張で、何の準備もしてなかったし、それようにネットで買ったスーツケースも届いている予定だったので、昼には切り上げて家に向う。
2時40分頃家に帰ると、佐川の不在伝票が何枚か入っていて、電話をかける。
佐川のドライバーと話し出したら、急に揺れ出して、最初は立ってられる位だったが、とんでもない縦揺れに。とっさに片手でテレビを押さえ、佐川に掛け直します!と伝え、電話を切る。
テレビもついていて、地震です、津波がどうのこうのと言っていた気もするが、停電になり何も聞こえなくなる。
その間もパソコン、プリンター、棚、キッキンがガラガラと全て倒れ、ただただテレビを押さえながら見ているだけだった。
揺れが収まり、外を見ると何人かが道路に出ていた。向かいにある瓦屋根の家の瓦が崩れていた。
まず盛岡に里帰りしている妻に電話をと思い、携帯を探す。足の踏み場がなくなった床から携帯を見つけ電話するも繋がらず。メールも何もダメ。
その時はこんな大事になるとは思わず、このぐちゃぐちゃな部屋で明日の準備するの大変だな。
新幹線動くのかな?
位にしか思ってなかった。
取り敢えず、電話繋がらないから会社に行くかと思い、ブレーカー落として会社に。向かう途中で、家が崩れていたり、道に穴が空いてたりした。45号に出る交差点の信号がついてなかったので迂回。
会社に着くと、事務さんが1人で車に乗ってナビのテレビを観ていた。
津波がきてるらしいと聞く。
事務さんと二人で会社に入ると社内は停電で薄暗く、棚が倒れ、ストーブ上のタライが落ち水浸し。
セコムのピーピーという音だけが聞こえる。
何から手をつければいいか分からず、唖然。
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- ゆきんこ
- 2012/03/01(木) 03:15:07
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事務さんの車に乗り、テレビを見ていた。太平洋側は津波警報で真っ赤。
荒浜で津波というアナウンサー。
何分一緒にいたかわからないが、事務さんも家が心配だからと松島に帰宅。1人になる。
待てば誰か来るだろうと、車で待つことに。疲れていたので少し寝たり、電気ついたか確認しに家に帰ったりする。お腹も空いたので、食糧確保しようと空いているお店を探す。近くのファミマに人が並んでいたので、車を停め列に並ぶ。もちろん電気はついてない。たまにつく非常用?防犯用の電気と、おそらく強盗が入った時用の赤色灯が回っていた。
20分位並んだか。中には弁当などはほぼ無く、お菓子やカロリーメイト、コーヒー、飲み物を買う。
3000円位か。これで数日はしのげると思った。当日はコンビニもほぼ閉まっていた。電卓叩きながら計算していた。
ありがたかった。
公衆電話で妻にかけるも繋がらない。矢巾の実家もダメ。盛岡も停電だったと後で知る。
会社に行くも誰も帰って来た様子はない。
少し時差はあるがメールが送受信出来るようになり、連絡が取れた。妻、矢巾の実家みんな無事とわかり一安心。
その後、21時位か。後輩が石巻から帰ってきた。流れてくる大木を車で避けながら危機一髪だった模様。
会社内に入って中をみる。
車の中でさっき買ったお菓子とジュースを分ける。
先輩が郡山から帰って来る。ひたすら四号線で8時間かかったとのこと。会社に非常用の乾パンと、水があるということでそれを分ける。
その夜は後輩の家にお世話になる事。もちろん停電。夜は寒かった。
朝ゆっくり起きて家に帰る。
家に帰るも電気はダメ。昨日出た水も出なくなっていた。取り敢えず布団に入り寝直す。携帯は圏外。
起きてカメラを持って会社へ。誰か来た様子はない。屋根に登ってみる。仙台港の方から何かが燃えている火が見える。写真を撮る。仙台港のアウトレット方面に行ってみると、産業道路は段差がひどく、徐行でなければ通れない。アウトレットは流された車がいっぱい。2m位の木の上に車がある。写真を撮るのをためらうがシャッターを押す。多賀城市方面に向かうが、片側二車線を行き交う状況。道路は泥でひどい。先に行くと、バスやトラックが横転し先に行けない。引き返す。
家には居たくなかったので、近くの公衆電話が近くにある駐車場で待機。数十分に一度電話をかけにいくが、一向に繋がらない。
そのうち夜になる。辺りは真っ暗。前の家には少し明かりが。ロウソクか、懐中電灯か。
孤独すぎて淋しくなる。
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- ゆきんこ
- 2012/03/01(木) 03:22:58
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仙台駅の方面に行ってみる。駅前は電気がついている。携帯を見ると電波がある。仙台港付近がはいらなかった模様。
妻に電話し、盛岡に帰る旨伝える。盛岡に向けて出発する。
23時位だった記憶。
四号線は以外にスムーズ。というか車はいない。道路は所々ひどい。
信号ついている所もあれば、ついてない所もあった。ほぼノーストップで向かう。
朝方矢巾の実家に着く。5時頃か。
両親起きていて、電気がついている。久々の灯りと、あったかいコタツ。あったかいおにぎりとお茶、味噌汁がとても美味しかった。矢巾まで来たことを妻に伝え、少し休む。
仙台に戻るにもガソリンが無く帰れない。盛岡の営業所に自転車で通勤。
ガソリンは辛かった。ボアコート着込み、夜が明ける前から何回並んだか。
当日は辛かったが、今思えば自分なんていい方だ。
自宅の隣りと、会社の隣りは仮設住宅になった。毎日見る光景だ。
仮設が無くなれば忘れるわけではないが、
家が失くなり、家族が亡くなった人もいるだろう。
忘れてはいけない。
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- ゆきんこ
- 2012/03/02(金) 22:12:00
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ひたすらに
戻らぬ一人
待つ家族
おかずは今日も
五人分つくるよ
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- ゆきんこ
- 2012/03/03(土) 21:28:13
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@岩手
津波で職場も家も流され父親も犠牲になって亡くなった。
バカ正直に相続手続きしたら義援金や生活支援金はもちろん自分の預金もほとんど国にとられて文無し。
相続した土地も行政から暗黙の建築制限かけられて使えず仕事もはじめられない。
年末には止まってた住民税の請求書…。
どう考えても被災者喰いものにしてるとしか思えない。
申告の延期とか頼んだけど税務署は一切聞く耳もたずに納付しろ!の一点張り。
相続手続きとか放置してる人多いと思うけどやるとバカみるぞ!
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- ゆきんこ
- 2012/03/04(日) 01:39:30
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あと1週間で、1年。早いものですね。
私と母、兄は、もう少しで出かけようと準備をしていました。
その時に地震が来ました。
母は、ドアが閉まらないように踏ん張っていました。
私は、少し障害のある兄を守ろうとテーブルの下に一緒入りました。
周りは全く見えませんでした。どのくらい揺れていたかもわかりませんでした。
夜は、何回も余震が来る上家の中も整理できなかったので
車の中で過ごしました。夜の星は綺麗で、私たちを励ましているようでした。
津波の被害を知ったのは数日後新聞ででした。
載っていた写真は非現実的すぎて、全く信じられなかった。
地震のエネルギーを電気等のエネルギーに変換できる装置ができたらいいなぁ
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- RareBear77
- 2012/03/05(月) 07:29:58
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>>351-354
震災後の税に関する話題は、大震災スレで語ってください。
これの元となった書き込みは「本人の体験」だと思いますので残します。
体験、それに対する感情は人それぞれ、十人十色っすよ。
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