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  • 2012/03/01(木) 03:12:03
@仙台市宮城野区
読んで、当日の記憶があるうちにまとめようとおもいました。

11日当日。次の日からの会社の50周年の式典のため、東京に行く予定。
出張で、何の準備もしてなかったし、それようにネットで買ったスーツケースも届いている予定だったので、昼には切り上げて家に向う。
2時40分頃家に帰ると、佐川の不在伝票が何枚か入っていて、電話をかける。
佐川のドライバーと話し出したら、急に揺れ出して、最初は立ってられる位だったが、とんでもない縦揺れに。とっさに片手でテレビを押さえ、佐川に掛け直します!と伝え、電話を切る。
テレビもついていて、地震です、津波がどうのこうのと言っていた気もするが、停電になり何も聞こえなくなる。
その間もパソコン、プリンター、棚、キッキンがガラガラと全て倒れ、ただただテレビを押さえながら見ているだけだった。
揺れが収まり、外を見ると何人かが道路に出ていた。向かいにある瓦屋根の家の瓦が崩れていた。
まず盛岡に里帰りしている妻に電話をと思い、携帯を探す。足の踏み場がなくなった床から携帯を見つけ電話するも繋がらず。メールも何もダメ。
その時はこんな大事になるとは思わず、このぐちゃぐちゃな部屋で明日の準備するの大変だな。
新幹線動くのかな?
位にしか思ってなかった。
取り敢えず、電話繋がらないから会社に行くかと思い、ブレーカー落として会社に。向かう途中で、家が崩れていたり、道に穴が空いてたりした。45号に出る交差点の信号がついてなかったので迂回。
会社に着くと、事務さんが1人で車に乗ってナビのテレビを観ていた。
津波がきてるらしいと聞く。
事務さんと二人で会社に入ると社内は停電で薄暗く、棚が倒れ、ストーブ上のタライが落ち水浸し。
セコムのピーピーという音だけが聞こえる。
何から手をつければいいか分からず、唖然。

ここまで見た
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  • 2012/03/01(木) 03:15:07
事務さんの車に乗り、テレビを見ていた。太平洋側は津波警報で真っ赤。
荒浜で津波というアナウンサー。
何分一緒にいたかわからないが、事務さんも家が心配だからと松島に帰宅。1人になる。
待てば誰か来るだろうと、車で待つことに。疲れていたので少し寝たり、電気ついたか確認しに家に帰ったりする。お腹も空いたので、食糧確保しようと空いているお店を探す。近くのファミマに人が並んでいたので、車を停め列に並ぶ。もちろん電気はついてない。たまにつく非常用?防犯用の電気と、おそらく強盗が入った時用の赤色灯が回っていた。
20分位並んだか。中には弁当などはほぼ無く、お菓子やカロリーメイト、コーヒー、飲み物を買う。
3000円位か。これで数日はしのげると思った。当日はコンビニもほぼ閉まっていた。電卓叩きながら計算していた。
ありがたかった。
公衆電話で妻にかけるも繋がらない。矢巾の実家もダメ。盛岡も停電だったと後で知る。
会社に行くも誰も帰って来た様子はない。
少し時差はあるがメールが送受信出来るようになり、連絡が取れた。妻、矢巾の実家みんな無事とわかり一安心。
その後、21時位か。後輩が石巻から帰ってきた。流れてくる大木を車で避けながら危機一髪だった模様。
会社内に入って中をみる。
車の中でさっき買ったお菓子とジュースを分ける。
先輩が郡山から帰って来る。ひたすら四号線で8時間かかったとのこと。会社に非常用の乾パンと、水があるということでそれを分ける。
その夜は後輩の家にお世話になる事。もちろん停電。夜は寒かった。
朝ゆっくり起きて家に帰る。
家に帰るも電気はダメ。昨日出た水も出なくなっていた。取り敢えず布団に入り寝直す。携帯は圏外。
起きてカメラを持って会社へ。誰か来た様子はない。屋根に登ってみる。仙台港の方から何かが燃えている火が見える。写真を撮る。仙台港のアウトレット方面に行ってみると、産業道路は段差がひどく、徐行でなければ通れない。アウトレットは流された車がいっぱい。2m位の木の上に車がある。写真を撮るのをためらうがシャッターを押す。多賀城市方面に向かうが、片側二車線を行き交う状況。道路は泥でひどい。先に行くと、バスやトラックが横転し先に行けない。引き返す。
家には居たくなかったので、近くの公衆電話が近くにある駐車場で待機。数十分に一度電話をかけにいくが、一向に繋がらない。
そのうち夜になる。辺りは真っ暗。前の家には少し明かりが。ロウソクか、懐中電灯か。
孤独すぎて淋しくなる。

ここまで見た
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  • 2012/03/01(木) 03:22:58
仙台駅の方面に行ってみる。駅前は電気がついている。携帯を見ると電波がある。仙台港付近がはいらなかった模様。
妻に電話し、盛岡に帰る旨伝える。盛岡に向けて出発する。
23時位だった記憶。
四号線は以外にスムーズ。というか車はいない。道路は所々ひどい。
信号ついている所もあれば、ついてない所もあった。ほぼノーストップで向かう。
朝方矢巾の実家に着く。5時頃か。
両親起きていて、電気がついている。久々の灯りと、あったかいコタツ。あったかいおにぎりとお茶、味噌汁がとても美味しかった。矢巾まで来たことを妻に伝え、少し休む。
仙台に戻るにもガソリンが無く帰れない。盛岡の営業所に自転車で通勤。
ガソリンは辛かった。ボアコート着込み、夜が明ける前から何回並んだか。
当日は辛かったが、今思えば自分なんていい方だ。
自宅の隣りと、会社の隣りは仮設住宅になった。毎日見る光景だ。
仮設が無くなれば忘れるわけではないが、
家が失くなり、家族が亡くなった人もいるだろう。
忘れてはいけない。

砂時計アラームタイマー
フリック回転寿司
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