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  • 2015/03/26(木) 07:10:11.91
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  • 2018/09/27(木) 19:57:37.98
柔道の世界選手権第7日、注目の男子100キロ超級はリオ五輪銀メダルの原沢久喜(26)が銅メダル、初出場の暴走王ジュニア・小川雄勢
(22=明大)は3回戦敗退。最強王者テディ・リネール(29=フランス)の不在で世界一奪回のチャンスだったが、世界の壁にまたもはね返された。
かつて“日本のお家芸”と呼ばれた最重量級に復活の日は来るのだろうか。大会前から厳しい予想をしていた、北京五輪金メダルで格闘家の
石井慧(31)のジャッジは――。
重量級は予想通りでしたね。柔道に「ロト」があったら、僕は確実に当てていたでしょう。
(小川)雄勢君は反則負けですけど、代表でそれはやったらダメという負け方でしたね。お父さんの柔道をもう少し勉強したほうがいいかな。
小川(直也)先輩は雄勢君みたいに「奥」を取るんじゃなくて「奥エリ」を取る柔道だったんです。それで、組み手がうまい。大外刈り(STO)という
技もあった。雄勢君にはプレッシャーをかけられる技がないんで、それを身につける必要はあるでしょう。それと、やっぱり体力かな。とりあえず
(ウエートトレの)ベンチプレス、スクワット、デッドリフト、このビッグ3をやったほうがいいんじゃないかなと。
原沢君は繊細さを試合に出してしまいましたね。緊張していたのかな〜という気がします。まあ、山下泰裕先生の後、重量級で優勝した人はみなさん、
180センチそこそこなんですよ。100キロ超級で僕の前に五輪で優勝したのは100キロ級から(階級を)上げた鈴木桂治先輩(アテネ五輪)です。
桂治先輩みたいに組み手がうまい選手が出てこないと。外国行って石投げたら190センチ、2メートルぐらいの男にガンガン当たるくらい、
大きいやつはいっぱいいますからね。デカい練習相手もいっぱいいるから、そういう柔道に慣れているんです。だから、180センチそこそこで動けて、
組み手がうまい選手がいいかもしれない。そういう意味では今回、代表には選ばれませんでしたが、王子谷(剛志)選手(旭化成)が面白いんじゃないかと。
でも、重量級で可能性がないというわけではありません。十分あるし、強い重量級も育ってきています。長い目で見てもらいたいと思いますね。万が一、
東京五輪で重量級が勝てなくても…重量級で勝てない期間が長くなるほど、僕は偉そうなこと言ってられるんでありがたいです!

【柔道世界選手権】小川雄勢と原沢にまたも世界の壁
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/1138279/

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  • 2018/10/12(金) 15:46:58.80


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  • 2018/10/23(火) 22:12:10.03
柔道男子で1992年バルセロナ五輪銀メダルの小川直也氏(50)の長男、小川雄勢(22)=明大4年=が来春の大学卒業後に実業団の強豪、パーク24へ進むことが22日、
分かった。9月の世界選手権(バクー)男子100キロ超級代表にも選ばれた“サラブレッド”は同チームの吉田秀彦総監督(49)のもと、2020年東京五輪に向けて
邁進(まいしん)する。
柔道男子で最重量級の期待の星、雄勢が新たなステージに進む。2年後に向けてパーク24で研鑽(けんさん)を積むことを決断した。
パーク24は1992年バルセロナ五輪男子78キロ級金メダル、吉田秀彦氏(49)が総監督を務める。同五輪男子95キロ超級銀メダルの父・直也氏とは現役時代、
全日本選手権で対決。総合格闘技時代も含めてしのぎを削ってきた間柄だ。
複数の関係者の話を総合すると、多くの強豪実業団から誘いを受けていた雄勢は、五輪2大会連続銅メダルの海老沼匡(28)ら実績も豊富な選手が多く所属し、
より柔道に専念できる練習環境を重視。年月を経て、父のライバルに教えを請う形となった。
初出場した9月の世界選手権は3回戦敗退。不運の反則負けだった。試合後、雄勢は「この経験を無駄にしたくない。東京五輪まで2年あるので頑張りたい」と話した。
前日21日の全日本学生体重別団体優勝大会では明大の代表の1人として出場してベスト8。「大学で育ててもらったのが大きい」と感謝した。
次戦は11月23日開幕のグランドスラム大阪(大阪市中央体育館)。最重量級にはリオデジャネイロ五輪銀メダルの原沢久喜(26)ら強敵がそろう。明大卒業後の進路が
“内定”して、「勝たなきゃいけない」と一層気を引き締める雄勢。東京五輪を狙うスター候補が、地盤を固めて一気に駆け上がる。

小川Jr.雄勢、パーク24へ/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20181023/jud18102305030001-n1.html

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  • 2018/11/14(水) 22:30:50.37
もっさりしてるよな

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  • 2018/11/22(木) 13:17:32.58
23日(金)に開幕する柔道グランドスラム2018<大阪・丸善インテックアリーナ大阪 11月23日〜25日>。男子100kg超級に出場する小川雄勢(=22・明治大)。
父は世界王者に4度輝くの小川直也氏。去年の柔道グランドスラムでは、リオデジャネイロ五輪金メダリスト(100kg級)のクルパレク(チェコ)に14分に及ぶ延長戦の末、
金メダルを勝ち獲った。しかし、今年9月に行われた世界選手権では3回戦でまさかの反則の判定で敗れた。
世界選手権を振り返って
なかなか世界で勝つというのは難しいな、と思いました。ただ、強いだけでは勝てない。まだまだ強くなれるところはあるのではないか、と思いました。今は技のパターンを
増やしながら投げる勝ち方を練習しています。
今回の柔道グランドスラムには、2016年リオデジャネイロ五輪・銀メダリストの原沢久喜(26)、2016年グランドスラム東京・金メダリストの王子谷剛志(=26 旭化成)が出場
両選手に対して
技術も高いし、僕の方がまだまだ若い。見習う部分がたくさんあります。毎回ふたりと試合をする度に僕の方が吸収していることが大きいのかなと感じています。ふたりに
勝つことで世界への道が開けるのかなと思います
今年の柔道グランドスラムへの意気込み
来年の世界選手権に向けて、そして2020年の東京オリンピックに向けてとても大事な試合になります。僕自身も2017年のグランドスラムを東京でチャンスを掴み、
ひとつのきっかけを作ることができました。決勝戦では苦しい展開でもしっかり勝ちきることができたというのは僕の中ですごい自信になりました。自信がついたことで、
今年の世界選手権に出るっていうところまで行けたのかなと思います。今年も頑張って、きっかけを掴めれば、と思います。
柔道人生の目標
“柔道をやるからには一番になりたい”というのが目標。その一番になるという証明するのはオリンピックの舞台だと思います。東京だからというよりも、オリンピックの舞台で
優勝したい、というのが僕の目標です。
世界選手権後の会見では悔しさから涙を浮かべる場面もあった。今年の柔道グランドスラムではこの敗戦を糧にして負けられない戦いに挑む。

暴走王Jr 男子100kg超級・小川雄勢「1番になりたい」五輪の舞台で優勝するために
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181121-00010002-tvtokyos-fight

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  • 2018/11/25(日) 23:36:22.56
オリンピックどころじゃないだろう

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  • 2018/11/26(月) 00:12:59.84
男子100キロ超級で世界選手権代表の原沢久喜(26)、小川雄勢(22)=明大=がともに2回戦で姿を消した。
元世界王者の直也氏を父に持つ小川は、昨年のGS東京決勝で破ったリオ五輪100キロ級金メダルのルカシュ・クルパレク(チェコ)と対戦したが、
試合中に相手の隅返しを耐えた際に左太ももを痛めた。「ブチッと音が鳴って、変な違和感があった」。それでも「どうしても勝ちたかった」と試合を続けたが、
延長でともえ投げを食らい、一本負け。「優勝という目標を掲げて達成できなかったので、悔いが残る。試合中に想定外のことが起きた時に対応しなきゃいけないし、
そういう力も足りない」と唇をかんだ。
原沢はモンゴル選手に残り43秒で技ありを奪われ、そこから猛攻を仕掛けたが、及ばなかった。リオ五輪銀メダリストは「日本人が4人出場するということで
代表争いがかなり変わってくる大事な大会だと思っていた。優勝したかったけど、このような結果に終わってしまってすごく残念な気持ちです」と厳しい表情だった。

世界選手権代表の小川雄勢、原沢久喜が2回戦敗退 小川は左太もも負傷「ブチッと音が鳴った」
https://www.hochi.co.jp/sports/etc/20181125-OHT1T50093.html

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  • 2018/12/04(火) 14:16:14.01
スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに
活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。
第19回は、1992年バルセロナ五輪柔道男子95キロ超級銀メダリストで元総合格闘家の小川直也さん。物心ついたころから近くの剣道教室に通い、水泳も習い、小学校の
ときにはリトルリーグに入団。小学6年生のころには身長170センチ近くあったそうです。しかし、恵まれた体格にも関わらず、スポーツでは怒られることが多かったそう。
その理由は……?
「体を絞れ」と言われ続けた少年時代
小さいころの習い事を教えてください。
幼稚園に入る前、物心ついたころから剣道を習っていました。実家の近くに剣道場があったので遊びに行ったらそのまま入っていたという形です。スイミングスクールにも
行っていましたね。公害病が問題になっていた時代だったので、体を丈夫にするためにと親が行かせていました。
小学3年生からはリトルリーグにも入りました。当時は、野球が国民的スポーツで毎日テレビをつければ巨人戦を放映していた時代。親父が野球好きで連れて
行かれたんです。親の方針が、勉強よりもスポーツ。何があってもまず体が丈夫なほうがいいという考え方でした。
剣道、野球、水泳、どれもよくできましたか。
剣道の試合ではそこそこ勝ってはいましたけど、安定した勝利はできず、飛び抜けた存在ではありませんでした。小さいころから背の順はいつも一番後ろ。防具も
子ども用サイズだと入らないので大人用。それくらい体が大きかったせいか、竹刀がよく当たると逆に怒られました。「剣道はそういうものではない」と。自分としては
もどかしい部分がありましたね。
野球も大リーグのホームランバッターの真似をすると「フライを打つな」「軽く当てて転がすバッティングをしろ」と怒られた。いわゆる日本らしい野球指導ですよね。
水泳でも「もっと痩せろ」とよく言われていました。身長から単純に100を引いた数を適正体重としていた時代だから、すべての競技で「もう少し体を絞らないと動けない」
「太っているからだめだ」と言われてばかり。型にはめようとする指導も合わなかった。
何年生まで続けましたか?
剣道は中学3年生まで。水泳も中学に入るまで続けていました。野球は中学で野球部に入って続けていました。守備は外野がラクかなと思ってやっていたら
外野もけっこうきつい。ボケッと突っ立っていると「カバーに行け」とか。
そういえば、小学5年生まで書道も習っていました。字がうまくなるようにと親がやらせていたけれど、まったく身につかなかった。自分ではよく書けたと思っても、
女の子たちがみんなうまくて。僕には無理だなと。「気持ちにブレがある」と言われても、どうやったら気持ちと字が一体化するのか、子どもにはわからなかったですね。
親御さんはスポーツを熱心に応援していましたか。
僕の世代は親が試合を見に来ることはあんまりなかったですよ。うちの親は仕事もあったし、家に帰って「今日、試合どうだった?」「負けちゃった」と話す程度。
「勉強よりスポーツ」の親でしたが、「勉強しろ」ともほどほど言われていました。塾にも小学生のころから週1で行っていましたし、中学でも受験のために塾に通っていました。
そのころの将来の夢は?
F1レーサーです。車が好きでミニカーをいっぱい持っていて、とにかく車に乗りたかった。でも、小学6年生のときに、モーターショーに行ってレーシングカーの運転席に
座れる機会があったんですが、ケツが入らなかった。そのころすでに身長が170cm近くあって、体が大きかったので。それでレーサーにはなれないことがわかった。悔しかったですね。
中学のときは、夢はなかった。特に目標なくみんなとゲームセンターに行ったり釣りに行ったり。当時プロレスブームだったのでプロレスはいつも見ていましたが、プロレスラーに
なりたいとまでは思わなかったですね。ただ、おもしろいなという程度。
柔道との出会いは?
高校、厳密に言えば中学3年生の終わりです。高校入試(私立八王子高校)の面接で、恩師となる小野実先生に出会ったことがきっかけです。もともとはラグビー部がある
都立高校が第一志望でした。ドラマ「スクールウォーズ」を見て「俺に向いているかな」と思って。
面接って普通はその学校を志望した理由なんかを話すじゃないですか。そういうことを暗記して行ったのに、いきなり「キミ、いい体してるね」から始まって、「キミは柔道に
興味ないか」「100メートルは何秒で走れるの?」とか終始そういう話。

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  • 2018/12/04(火) 14:17:02.82
こっちはマニュアルにない質問ばかりでテンパって、とにかくいい印象を持たれたいと調子のいいことばかり言うじゃないですか。それが始まりです。
柔道との出会いは?
高校、厳密に言えば中学3年生の終わりです。高校入試(私立八王子高校)の面接で、恩師となる小野実先生に出会ったことがきっかけです。もともとはラグビー部がある
都立高校が第一志望でした。ドラマ「スクールウォーズ」を見て「俺に向いているかな」と思って。
面接って普通はその学校を志望した理由なんかを話すじゃないですか。そういうことを暗記して行ったのに、いきなり「キミ、いい体してるね」から始まって、「キミは柔道に
興味ないか」「100メートルは何秒で走れるの?」とか終始そういう話。こっちはマニュアルにない質問ばかりでテンパって、とにかくいい印象を持たれたいと調子のいいこと
ばかり言うじゃないですか。それが始まりです。
運命の出会いですね。
後から聞いた話によると、前日の筆記試験で「すごく体の大きなやつが受けてたぞ」と先生たちの間で話題になって、小野先生がわざわざ受験番号を調べて自分が面接を
担当したいと頼んだそうです。
その後、都立高校の試験が終わったころに小野先生から電話が来て、熱心なスカウトを受けました。それまでほめられたことがなく、「体が大きいことはダメだ」という中で
育ってきたでしょう。なのに、「柔道はその体と体力を生かせる」「君は柔道に向いている」とほめられたことがうれしかったんでしょうね。そこまで言うなら柔道をやって
みようかな、と。小野先生は自宅の1階に道場を設けて指導していたので、そこに通い始めました。1983年3月6日のことです。
進学先の変更について親御さんはなんと言いましたか。
第一志望の都立高校も合格したんですが、親は僕の選択にまかせてくれました。ただ「柔道部にちょっと入ってみて、やっぱり厳しいからやめるというのはナシね。
高校3年間、一生懸命がんばりなさい」と。競技の厳しさは剣道やリトルリーグで経験があるので大丈夫だと思いました。中学校の先生は気の迷いじゃないかと思って
いたみたいです。高校の柔道部なんて小さいころから柔道を習っている子ばかりですから、確かに当時は大冒険でしたね。
入部してみたら案の定、僕だけですよ、受け身から始めたのは。最初の3ヶ月間はひたすら受け身の練習。それだけ。でもうれしかったですね。部員は大きい人ばかりで
みんなよく食う。それが心地よかった。今までは「もっと体を絞れ」ばかりだったけど、「どんどん食え食え」に変わった。だから柔道を好きになれたということもあったでしょうね。
僕だけ初心者という焦りはありませんでした。剣道で対人競技は慣れていたので「同じ武道だし、こんなやつらに負けない」と思ってましたね。最初はよく投げられていましたが。
剣道の経験が柔道に生かされたということでしょうか。
そうですね。剣道も素足。板の上が畳の上に変わっただけ。足さばき、正座、あいさつの仕方、精神的なもの。ベースは似たようなものが多かったのですぐになじめました。
剣道の経験がなかったら柔道は厳しかったかもしれないですね。
野球の経験も活きました。一年中足並みそろえて走らされて、体力はついていたんです。球拾いなどで体幹が鍛えられたことも役に立ったと思います。何かしらこれまで
経験のあるスポーツとの共通部分を探して、柔道に当てはめていきました。
高校から始めて、みるみるうちに活躍。それは才能があったからなのでは?
才能というより、自分の体格、体力を活かせた競技が柔道だったのだと思います。それに、剣道はワンミスでも負けてしまうけれど、柔道は少し転んでも挽回できるので、
気持ちも楽でした。
当時は、柔道家になろうなんて考えていません。後先のことは考えずに目先のことに一生懸命、周りについていくのに必死。とにかく高校卒業するまでがんばろうというだけ。
その先の計算はまったくありませんでした。高校3年生のときにたまたま全国大会(金鷲旗全国高等学校柔道大会ベスト16)まで行けたのはうれしかったですね。
オリンピックへの夢も全然ないですよ。自分が小学生のとき、日本がオリンピックに出場しなくて(1979年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を受け、多くの国が
1980年のモスクワ五輪をボイコット)、8年間オリンピックがなかったんです。だから、オリンピックがすごいというイメージも特にありませんでした。

中学まで剣道と野球。型にはまることが大嫌いな大柄少年でした。柔道家・小川直也(前編)
https://melos.media/children/34669/

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  • 2018/12/04(火) 14:17:25.03
sl

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  • 2018/12/05(水) 20:31:05.19
バルセロナ五輪の銀メダリストと、“美魔女”夫人。「リアル・美女と野獣」とでも言うべき2人が、逢瀬を重ねていた。舞台となったのは、埼玉の焼き肉店や横浜中華街、
そして主が不在の豪邸――。
速報騒動から5年「佐村河内」独占告白 “表に出るのは、もう二度とごめんです”
掲載の写真は10月下旬に撮影された。サングラスをかけてはいるが、運転席に座る男が、あの小川直也(50)であることがわかるはずだ。隣に座るのは、
元維新の党代表・松野頼久氏(58)の夫人である。
実はこの場所は、都内の高級住宅街に建つ松野氏の自宅前。後ろに見えるのが、約200平方メートル、地上3階、地下1階のその豪邸だ。この日、白の
GT-Rで登場した小川は、家の前で夫人と待ち合わせ。備え付けの駐車スペースにクルマを置くと、写真のようにこれまた白い松野家のフェラーリに乗り替え、
2人は揃って横浜中華街へ繰り出していった。
11月上旬にも、小川はこの豪邸を訪問している。この時は夫人が運転する白いベンツで、22時に揃って“帰宅”。そのまま家の中へ消えて行った。再び小川が
姿を現したのは、日付が変わった2時間半後のこと。変装のつもりなのか、やはりサングラスを掛けて去って行った。
「ここのところ、直也が自分の妻以外の女性、松野元官房副長官の奥さんに『はまって』いて、周りは心配しています」
と声を潜めるのは、ある関係者。2人は今年に入ってから出会い、急激に接近していったという。
「週刊新潮」2018年12月13日号
柔道家、そしてプロレスラーとして活躍してきた小川は、大学生の時に知り合った5歳下の妻と結婚。長男の雄勢(22)が、東京五輪の日本代表候補として
注目を集めている。
一方の松野夫人は、再婚同士で結婚した頼久氏との間に2女をもうけ、次女はミス日本グランプリにも輝いている。昨年の衆院選でバッジを失った頼久氏とは
「事実上の別居状態のようです」(松野氏の知人)という噂も飛び交うが、ともあれ小川と松野夫人の関係は……。
週刊新潮の取材に対し、小川は、
「いや、デートはしていないです。はい、はい。彼女は友だちなんで……」
と答える。一方の松野夫人側は、なぜか長女が代わって「ふたり(小川と松野夫人)は共通の趣味があってよく会っているんです。友人として」と語った。
だが上記の密会以外にも、松野夫人は神奈川県茅ヶ崎市の“小川宅”で一夜を過ごしてもいる。12月6日発売の週刊新潮で本件を詳しく報じると共に、現在、
デイリー新潮で2人の逢瀬を収めた動画を配信中である。

夫不在の自宅に招き入れ… 「小川直也」と「松野頼久」美人妻が重ねた“密会”
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/12051700/

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  • 2018/12/05(水) 23:57:04.86
ハッスルしすぎたな

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  • 2018/12/06(木) 15:22:19.97
柔道の元世界王者でプロレスラーとしても活躍した小川直也氏(50)と、松野頼久元官房副長官(58)の美人妻が「焼き肉デート」や深夜の密会をしていたと
6日発売の「週刊新潮」が報じた。
同誌によると、11月上旬の深夜、渋谷区松濤にある松野氏の豪邸に、小川氏と松野氏の妻とみられる女性が入っていく様子が目撃された。頼久氏は不在だったという。
2人は直前に埼玉県内の焼き肉店で食事をしていたとされる。
小川氏は明大在学中の1987年、柔道世界選手権無差別級で優勝。92年のバルセロナ五輪柔道95キロ超級で銀メダルを獲得した。その後プロレスラーに転身。
テレビのバラエティー番組にも出演し、「ハッスル」ポーズが人気になった。現在は神奈川県茅ケ崎市の「小川道場」で後進の育成にあたっている。
松野氏は、日本新党、新進党、民主党などで衆院議員を6期務めた。2009年に鳩山由紀夫内閣の官房副長官、維新の党代表や民進党国対委員長などを歴任したが、
17年10月の衆院選で希望の党から出馬し落選した。
松野氏の妻について永田町関係者は「美人でハキハキして人当たりがいい。誰もが振り向くきれいな人という印象だ。ただ、松野氏との離婚は時間の問題といわれている」
と語る。次女は16年ミス日本のグランプリで、タレントとしても活動している。
松野氏の長女は週刊新潮の取材に、2人の関係を「共通の趣味があってよく会っているんです」と述べ、3人で食事をしたり、小川氏の家に泊まったこともあると話している。
小川氏は同誌に、松野氏の妻とは友人関係だとしている。
夕刊フジは小川氏の事務所にメールで問い合わせたが、6日朝時点で返事はなかった。

夜の“ハッスル”決めた!? 小川直也に松野元官房副長官の美人妻と密会疑惑 「週刊新潮」報道
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/181206/soc1812060012-n1.html

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  • 2018/12/08(土) 13:56:34.93
小川直也とW不倫報道の松野頼久“美人妻”、永田町で悪評轟く“女性秘書イビリ”
https://biz-journal.jp/2018/12/post_25848.html

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  • 2018/12/11(火) 16:22:16.33
スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後の
プレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。
剣道や野球に励んでいた小中学校時代を経て、高校入学とほぼ同時に柔道を始めた小川直也さん。剣道や野球の経験はどのように生かされたのでしょうか?
2人の息子はバレエ教室に通っていました
柔道のスタートが高校からというのはかなり遅いほうだと思います。
子どもらしい子どもでしたからね。小中学生のころは遊んで塾にも行って、のほほんとしていました。のほほんとした期間が長かったからこそ、15歳で柔道を
始めてからオリンピックにたどり着いて28歳で辞めるまで、ものすごく濃く凝縮できたのかもしれないですね。
僕は詰め込まれるのは無理な性格なので、小さいころからやりすぎていたら、大人になるころには疲れちゃっていたと思う。でも、自分が詰め込まれても
真剣になれるものに出会えてなかったからふらふらしていたのかもしれない。なぜか柔道だけは詰め込まれてもできた。柔道だけは「俺に合っている」と
思いながらやっていましたね。
子どもが習い事に夢中になれないと気になっている親御さんの励みになりますね。
親御さんたちは自分の子どもに多くを求めてしまいがち。自分の子どもなんだから自分以上のことは求めないくらいの心構えのほうがいいんじゃないですか。
僕は息子たちが小学校のころは押し込むことはまったくしませんでした。自分が押し込まれると嫌だったから。
息子さんにはどんな習い事をさせましたか。
何かしら体を動かしたほうがいいとは思っていたので、長男(柔道男子100キロ超級日本代表の小川雄勢選手)は2歳半から駅前のクラシックバレエ教室に通っていました。
スイミングスクールにも行かせていましたね。5歳下の次男は、兄貴についてやはり物心つく前からバレエと水泳を習っていました。2人とも、てっきりバレエの道に進むのだと
思っていました。
柔道を習わせたいとは思わなかった?
思いませんでした。そのころは柔道を辞めてプロレスに行った人間でしたから。子どもたちには自分が柔道をしていたことは話していませんでした。2004年から参加した
ハッスルは1週間に2回3回巡業があり家を不在にすることが多かったので、妻にまかせていたということもあります。
長男が小学3年生くらいのときに、たまたま母校(明治大学)の道場にトレーニングに一緒に連れて行ったんですよ。それが子どもたちが柔道を知ったきっかけです。
クラシックバレエは女の子の生徒が約300人、男の子は10人くらいしかいない。女の子の世界です。長男は、男ばかりの道場が珍しくて魅力を感じたんでしょうね。
そのころは僕に似て体が大きくなってきて、バレエでは「痩せろ、痩せろ」と言われていたというのもあると思う。
それで急に柔道に興味を持って、勝手に図書館で同期の古賀稔彦の書いた本を借りてきた。読んだら僕が出てきてびっくりしていました。開けてはいけない箱を
開けてしまったという感じです(笑)。
そして息子さんご本人が柔道を始めたいと。
はい。それから一緒にいろんな道場を回ったんです。でもちょっと違った。子どものうちは柔道が好きになるように、伸び伸びと習わせたいと思っていたけれど、近くの
道場はどこも「ああしないといけない、こうしないといけない」。試合も勝利至上主義。そりゃ、トップ選手になれば勝ちにこだわって当たり前だけど、始めたばかりの
子どもたちにそれ必要ですか。
これは違うな、と思って、自分の子どもだし僕が教えるか、ということでつくったのがこの道場(小川道場/神奈川県茅ヶ崎市)です。周りにあちこち道場があって
ライバル意識を持つのもよくないだろうと思って、この辺りはほかに道場がないんで、伸び伸びやらせています。実際に始めたのは長男が小学4年生になるころ、
次男は幼稚園に入る前からですね。
バレエの経験は活きましたか。
バレエの体幹の鍛えられ方はハンパない。長男は僕に体型が似ていると言われるけど、下半身の柔らかさ、体幹の強さは僕以上にあり、柔道を始めてからも
軸がぶれることがない。なにせバレエ教室に男の子が少なかったので、発表会では女の子よりも出番が多い。最初から最後まで出ずっぱり。練習もかなりハードでした。
スポーツは何よりケガをしないことが大切。そのためには地道な練習するしかない。今思えば、バレエで地道に鍛えられたことが柔道に活かされていると思います。

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  • 2018/12/11(火) 16:22:34.84
親として勉強とスポーツの両立についてはどのように考えていますか。
うちの道場は文武両道なんです。教育委員会は最近、中学高校の部活動は週2日以上の休養日を設けるべきだと打ち出していますが、当たり前です。
休みがないと勉強する時間がないし、生活にメリハリもつかない。
現役時代、僕は率先して休みを取っていたので「あいつはあんまり練習しない」と言われていたけど、毎日練習すれば強くなるというわけではありません。
勝ったときはそういう姿勢はフィーチャーされないけど、負けると「練習が足りない」と言われるんですよね。
息子はずっと塾に通っていましたし、数学は僕も教えていました。数学が好きだったんです。学校よりも塾の数学の先生が好きだった。解き方も学校で習う方法だけ
でなくいろんな方法があると教えてくれて、「答えが一緒なら学校のやり方にこだわるな、遠回りをしないで簡単な方法を考えろ」と言ってくれた先生でした。
柔道を指導するとき、自分の子どもについ熱くなってしまうということは?
それはないですね。冷静に教えて伝わらなかったら、子どもを責めるより「自分の教え方が下手なんだ」と自分を責めるほうですね。長男は小中学生のころは飛び抜けて
勝つことはありませんでした。「小川の息子なんだからもっとできるんじゃないの」と言われたこともあったけど我慢していました。
というのも、子どもは成長の速度がさまざま。小学校で体ができあがって大人のようになる子もいれば、高校くらいでやっと完成する子もいる。早く大人になった子は
当然強いので、その子との試合を避けるために減量するなどしてクラスを無理に変える子もいる。でも、そういうことはやらせないように我慢していました。自分の子がどこで
伸びるかわかっていたから。人生のなかでどこに頂点を持っていくようにするかですよね。
少年柔道の大会などに行くと親御さんたちが躍起になって大変ですよ。みんな世界チャンピオンを目指して無理難題を言うから。まだ小学生なのに、勝てないと
「うちの子には合わない」と言う。横で聞いていて、その子はたいへんだなと思っています。習い事をするときは、自分の子をよく見ることも大事だけど、信頼できる
専門家にまかせることも大事。
今後の活動について教えてください。
東京オリンピックまでは長男をサポートしますが、それ以降は本人に任せます。一人の選手なので、自分で指導者を選べるようにもならないと。小川道場は、亡くなった
恩師・小野実先生の遺志を引き継いで作ったということもあります。柔道界を支えるべく、昔の僕みたいにふらふらしたやつを発掘して、世界に出ていける選手をたくさん
つくっていきたい。もちろん柔道で世界的な選手に育ってくれたらうれしいし、僕が剣道や野球を経験して柔道に巡り合ったように、柔道を経験したことを活かして、
その後、別の分野で世界に出ていくのもいい。そういうアドバイスができる指導者になりたいと思います。

高校から凝縮した柔道生活が送れたのは、詰め込まないで幼少期をのんびり過ごしたから。柔道家・小川直也(後編)
https://melos.media/children/34670/

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  • 2018/12/12(水) 18:19:12.21
12月6日発売の週刊新潮が報じた、柔道家の小川直也(50)と元維新の党代表・松野頼久氏(58)の夫人との密会。横浜中華街や焼肉屋、主が不在の松野氏の
自宅で逢瀬は繰り返されたほか、神奈川県茅ヶ崎にある小川の“自宅”で“お泊り”も……。2人の背後には、ある占い師の存在があった。
関係者によれば、小川と松野夫人が出逢ったのは、今年に入ってからのことだという。2人の急接近について、
「松野さんの奥さんは、高名な女性占い師に心酔していましてね。その影響を小川さんも受けているんです」
と明かすのは、松野氏の知人だ。政財界の大物がその占い師の“客”として名を連ね、あの鳩山由紀夫元総理の妻・幸(みゆき)さんの指南役としても、
知られた存在であるとか。
「民主党代表選に挑む彼に、占いではネクタイの色が良くないのでゴールドに替えるよう進言したのですが、そのメッセンジャーとなったのが松野夫人だったのです」
民主党在籍当時の頼久氏は、鳩山グループの幹事長も務めていた。そんな夫を助けるべく、夫人が占い師に“開運指南”を請うたというわけなのだ。
最近は、また別の占い師にも熱心という松野夫人。こちらは小川にも“紹介”したそうで、今年6月に表明したプロレス界からの引退については「日取りも含めて、
占いで決めたという話が業界に駆け巡った」(格闘界の事情通)という話がある。
この関係者によれば、週刊新潮の報道後、小川は携帯の電源を切り行方をくらましたそうで、今回、改めて取材を申し込もうと試みるも繋がらなかった。松野夫人
サイドからも音沙汰なしである。

「小川直也」と「松野頼久」夫人の密会 背景に「鳩山元総理」傾倒の女占い師
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/12121700/

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  • 2019/02/20(水) 23:14:33.09
柔道男子100キロ超級で18年世界選手権代表の小川雄勢(22)=明大=が20日、今年初戦となる国際大会のグランドスラム(GS)デュッセルドルフ大会(22〜24日)に
出場するため、成田空港からドイツに出発し、「もちろん優勝しか狙ってないです」と意気込んだ。
東京五輪代表争いに生き残りを懸けるために勝負の連戦に挑む。昨年は世界代表に初選出されたが、3回戦敗退に終わった。その後の大会でも結果を出すことができず、
ライバルの原沢久喜、影浦心(日本中央競馬会)にリードされる状況となっている。
背水の立場だが、今夏の世界選手権(日本武道館)代表選考につながる今大会を皮切りに、3月の全日本選手権東京都予選、GSエカテリンブルク大会(ロシア)、4月の
全日本選抜体重別選手権(福岡)、全日本選手権(日本武道館)と、2カ月間で5大会出場を予定。小川は「ハードですね」と苦笑いしつつも、「かなりの連戦になるが、
そのぶん体力強化もしてきた。初戦となる今回のドイツでいい結果を出したい」と力を込めた。
ハイスピード化の傾向にある現在の重量級の国際戦線において、組んでから技を出すまでに時間がかかるなどの課題もあるが、昨年の経験もある。「その時、
その時によって試合展開が変わってくるので、なるべく自分が主導権をとっていけるようにしたい」と、勝負所をモノにすることを誓った。

小川ジュニア、柔道五輪代表生き残りへ勝負の5連戦「ハードですね」
https://www.daily.co.jp/general/2019/02/20/0012082019.shtml

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  • 2019/02/20(水) 23:14:56.37
柔道のグランドスラム(GS)デュッセルドルフ大会(22−24日、ドイツ)に出場する日本代表が20日、成田空港から出発。昨年の世界選手権代表で、
男子100キロ超級の小川雄勢(22)=明大=は「優勝しか考えていない。試合展開が大事。先に主導権を握れるように」といいイメージを膨らませた。
小川は昨年11月に行われたGS大阪の試合中に左脚を負傷。診断結果は肉離れだった。リハビリと治療を経て、年明けから稽古を再開。今月上旬には
追い込み練習ができるまでに回復し、「順調にできている」。走り込みなどで下半身の強化にも取り組んできた。
今大会は今夏に開催される世界選手権(日本武道館)の代表選考会の一つ。1年5カ月後には東京五輪が控える。1992年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリストの
直也氏を父に持つ雄勢は「東京五輪に出るんだ、という気持ちで闘っていく」と覚悟を示した。

小川雄勢、世界選手権へ向けGS出場「優勝しか考えていない」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190220/jud19022011030001-n1.html

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  • 2019/02/20(水) 23:15:47.93
柔道のグランドスラム(GS)デュッセルドルフ大会(22?24日、ドイツ)に出場する日本代表が20日、成田空港から出発。昨年の世界選手権代表で男子
100キロ超級の小川雄勢(22=明大)は「五輪に向けて優勝しか考えていない」と力強く語った。
昨年11月のGS大阪大会で左足に肉離れを起こし2回戦で敗退。年明けから稽古を再開し、今月上旬からは走り込みなど、下半身の強化を重点的に行い
「追い込んだ練習ができた」と充実の表情だ。
GSはエカテリンブルク大会(3月15?17日、ロシア)との連戦となり、その間も東京都柔道選手権大会(3月10日、東京武道館)に出場。全日本選抜体重別選手権
(4月6?7日、福岡)を前に厳しい戦いが続くが「今年初戦のドイツでいい結果が出せるよう頑張りたい」と話した小川。「試合展開では先に主導権を取ることが大事。
気を引き締めて、自分が五輪に出るんだという気持ちで戦っていく」と表情を引き締めた。

小川雄勢「自分が五輪に出るんだという気持ち」で厳しい連戦に挑む
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/1286923/

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  • 2019/02/21(木) 22:58:19.16
柔道のグランドスラム(GS)デュッセルドルフ大会(22〜24日、ドイツ)に出場する日本代表が20日、成田空港から出発。
昨年の世界選手権代表で、男子100キロ超級の“暴走王ジュニア”小川雄勢(22=明大)は「追い込んだ練習ができた。五輪に向けて
優勝しか考えていない」と力強く語った。今後は東京都柔道選手権大会(3月10日、東京武道館)、GSエカテリンブルク大会(3月15〜17日、ロシア)、
全日本選抜体重別選手権と厳しい戦いが続くだけに「初戦のドイツでいい結果が出せるよう頑張りたい」と気合も入る。
「試合展開では先に主導権を取ることが大事。気を引き締めて、自分が五輪に出るんだという気持ちで戦っていく」。原沢久喜(26)、影浦心(23=日本中央競馬会)との
代表争いを制し、五輪切符をつかみに行く。

【柔道】小川雄勢「優勝しか考えていない」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/1287781/

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  • 2019/03/06(水) 03:02:01.61
柔道男子で昨年の世界選手権100キロ超級代表の小川雄勢(明大)が、4月からパーク24に所属することが5日、明らかになった。父直也さんは、
1992年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリスト。

小川、4月からパーク24へ=柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019030500861

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  • 2019/03/10(日) 20:51:53.91
柔道の全日本選手権(4月29日・日本武道館)、全日本女子選手権(同21日・横浜文化体育館)の予選を兼ねた東京選手権が10日、
東京・足立区の東京武道館で行われ、男子では世界選手権無差別級で3連覇を果たした小川直也氏の長男・雄勢(22)=明大4年=が4度目の
全日本選手権出場を決めた。
2回戦から登場した小川は、3試合を危なげなく勝ち進んだ。「この試合は大事だからと言い聞かせてやりました。試合としては良くないですが」。
2月のGS(グランドスラム)デュッセルドルフから帰国後もこの大会に向けて練習を重ねてきた。昨年11月のGS大阪で痛めた左太ももが
完治しておらず、この日は準々決勝以降には進まなかったものの、休む間もなく、15日からのGSエカテリンブルグ(ロシア)に向けて
日本を出発する。
「こういう連戦は初めて。ドイツの反省もあり、技を積極的に出そうと、今日の試合に臨んだ。体は動いていたというより、動かしていた」と
雄勢。直也氏は「苦しい日程の中でやりくりできないと」とあえて“試練”を歓迎する。
父は平成最初の全日本王者となった。3日前に明大政経学部の卒業通知が来て「安心した」と笑った長男は、GSデュッセルドルフを
制したリオ五輪100キロ超級銀メダリスト・原沢久喜(26)について「(デュッセルドルフでは)僕が負けた相手を破って優勝した。
(東京五輪代表争いで)少しでも差をつめて、ひっくり返せるようにしたい」と意欲を示す。4月からパーク24に入社予定で、同柔道部の
吉田秀彦総監督(49)も「後は全部勝たないと」と期待を寄せている。GSエカテリンブルグ、全日本選抜体重別(4月6、7日・福岡)で連勝し、
父から始まった平成の全日本選手権は、その長男が勝って締める。

小川雄勢、平成ラストの全日本柔道選手権で初V狙う 父から始まった平成の全日本は長男で締める
https://www.hochi.co.jp/sports/etc/20190310-OHT1T50223.html

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  • 2019/03/13(水) 13:59:22.66
男子100キロ超級で昨年世界選手権代表の小川雄勢(22)=明大=が13日、GSエカテリンブルク大会(15〜17日、ロシア)出場のため、成田空港を出発した。
国際大会では不完全燃焼の闘いが続くだけに「自分の柔道をして、その上で勝ちにいきたい」と言葉に力を込めた。
先月24日のGSデュッセルドルフ大会は5位、今月10日には全日本選手権(4月、日本武道館)の予選を兼ねた東京選手権に出場し、本戦出場を決めるなど、連戦が続く。
小川は「踏ん張りどころ。連戦できつくなることはわかっていたので、気力で頑張りたい」と覚悟を示した。
今大会は明大生として最後の大会となる。全日本選抜体重別選手権優勝や世界選手権出場など、飛躍を遂げた4年間だった。「柔道の技術力もそうだけど特に精神面。
たくさんのことを学べた。最後はスカッと勝って終わりたい」と話した。

小川雄勢、国際大会へ意欲「自分の柔道をして、その上で勝ちにいきたい」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190313/jud19031311450004-n1.html

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  • 2019/03/13(水) 18:42:34.39
柔道男子100キロ超級の小川雄勢(22)=明大=が13日、国際大会のグランドスラム(GS)エカテリンブルク大会(15〜17日、ロシア)に
成田空港から出発した。大学生として臨むラストマッチとなるだけに「最後なのでスカっと終わりたいですね」と快勝を期した。
先月のGSデュッセルドルフ大会ではライバルの原沢久喜(26)が優勝する中、自身は2敗を喫して5位に終わった。初出場した昨年の
世界選手権で3回戦敗退に終わって以降は選考大会で結果を残せず、今夏の世界選手権(日本武道館)への代表入りへは背水の立場。
東京五輪代表候補として生き残るためにも、「(今回)勝ちにいくのは大事だが、それ以上に自分の柔道をやるというテーマを持ってやりたい」と、
まずは積極性を出すことを課題に挙げた。
2月から始まり、4月の全日本選抜選手権(福岡)、全日本選手権(日本武道館)まで続く5連戦のうち、これが3戦目。3日前にも
全日本選手権東京都予選に出場したばかりとあって、「あまり疲れは抜けてない」と明かしつつも、「ここは僕にとっても一番の踏ん張り
どころなので、エカテリンブルクで頑張りたい」と覚悟を持って臨む。

柔道・小川ジュニア、代表生き残りへ背水「一番の踏ん張りどころ」GS大会出発
https://www.daily.co.jp/general/2019/03/13/0012142884.shtml

柔道のグランドスラム(GS)エカテリンブルク大会(15〜17日、ロシア)に出場する日本代表が13日、成田空港から出発した。
10日の東京都選手権で全日本選手権(4月29日、日本武道館)進出を決めたばかりの男子100キロ超級・小川雄勢(22=明大)は
「あまり疲れは抜けていないが、ここが僕にとって一番の踏ん張りどころだと思う」と力を込めた。
東京都選手権の前にはGSデュッセルドルフ大会にも出場している。連戦となっているが「大学生活最後の大会なのでいい形で終わりたい」
と話し、「大学で柔道はもちろん、精神面も含めたくさん学んで成長できた。4年の時が、試合や合宿が多くあっという間だった」と振り返った。
デュッセルドルフ大会では5位だった。「あの負け方を踏まえて、自分の柔道をやるっていうことをテーマに、その上で勝ちにいく」。昨年の
世界選手権以降、国際大会で不完全燃焼が続き、代表争いが厳しい状況にあることに関しても「なかなか自分の思った試合ができていない。
ここで自分の柔道を見つめ直して頑張りたい」と思いを語った。

小川雄勢 代表生き残りへ正念場「自分の柔道を見つめ直して頑張りたい」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/1309159/

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  • 2019/03/14(木) 19:14:29.78
柔道のグランドスラム(GS)エカテリンブルク大会(15〜17日、ロシア)に出場する日本代表が13日、成田空港から出発。
世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)、来年の東京五輪の代表争いに向け、男子100キロ超級の“暴走王ジュニア”小川雄勢
(22=明大)は「ここが僕にとって一番の踏ん張りどころだと思う」と力を込めた。
26日に大学の卒業式を迎えるが、その後も「拠点は明大に置いて練習を続ける」と言い、4月からパーク24所属となる。総監督は言わず
と知れたバルセロナ五輪78キロ級金メダルの“柔道王”吉田秀彦氏(49)だ。吉田氏は小川への指導について「実績的には五輪に出る、
出ないってところまで来ている選手。どんどん試合に勝って自信をつけてほしい」と本紙に明かした。代表争いに関しても「現状、
原沢(久喜)が抜けちゃってる。でもエカテリン、(全日本)選抜(体重別選手権=4月6〜7日、福岡)、全日本(選手権=同月29日、
日本武道館)と勝てば逆にまくれるから。開き直っていってほしい」とハッパをかけた。
小川の課題は「一本を取れる技がないこと」とされる。必殺の内股を武器に一本勝ちを量産した柔道王のもとで課題克服の期待があるのは
明らかだが、さらなる追い風は元・暴走王の父、直也氏(50)を個人的に“専属コーチ”として招き、直接指導を仰ぐこと。昨年の世界選手権以降、
国際大会で不完全燃焼が続くが、これについては小川も「心強い」と父からのマンツーマン指導で殻を破るつもりだ。
一方、柔道王と暴走王といえば、2005年大みそかに総合格闘技「PRIDE男祭り」で雌雄を決した間柄。この一戦では柔道王が暴走王の
足をへし折って決着したが、13年の時を経て今度は代表争いで崖っ縁の暴走王ジュニアを手助けする。因縁深い関係だけに、こちらも注目を
集めそうだ。

【柔道GS】小川雄勢4月から柔道王道場に所属 父・暴走王との因縁タッグ指導で五輪は?
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/1309813/

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  • 2019/03/17(日) 23:47:41.02
柔道・グランドスラム(GS)エカテリンブルク大会最終日(17日、ロシア)今夏の世界選手権(日本武道館)代表選考会の一つ。1992年バルセロナ五輪
95キロ超級銀メダルの直也氏(50)を父に持つ男子100キロ超級の小川雄勢(22)=明大=は、2回戦で地元・ロシア選手に敗れた。1年4カ月後に
控える東京五輪の代表争いにも影響する痛恨の初戦敗退となった。
小川は初選出された昨年の世界選手権以降、不完全燃焼が続き、今年2月のGSデュッセルドルフ大会でも5位に沈んだ。一方で、2016年
リオデジャネイロ五輪同級銀メダリストの原沢久喜(26)が本来の輝きを取り戻しつつある。小川は代表生き残りへ「僕にとって踏ん張りどころなので頑張りたい」
と話していたが、思うような結果は出せなかった。

小川雄勢、痛恨の初戦敗退 GSエカテリンブルク大会/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190317/jud19031719080001-n1.html

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  • 2019/03/21(木) 23:03:56.63
柔道の全国高校選手権最終日は21日、東京・日本武道館で団体戦が行われ、男子(5人制、勝ち抜き方式)には、延岡学園(宮崎)のメンバーとして、
世界柔道無差別級3連覇で1992年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリストの小川直也氏(50)の次男・剛生(ごうき、2年)が出場。2試合とも引き分けだったが、
父親譲りの前に出る積極的な柔道を見せた。
近江(滋賀)との1回戦を2人残しで制した延岡学園。小川は次鋒(じほう)で登場し、引き分けた。一昨年大会で3位になった九州の強豪校は2回戦で、優勝した
国士舘(東京)に敗れたものの、“切り込み隊長”の先鋒(せんぽう)で登場した小川ジュニアはこの試合でも引き分け。ただ、前日の81キロ級では16強に
進出するなど、個人戦初出場で宮崎県チャンピオンの力は見せられた。
「結果は2回戦敗退ですが、去年(団体戦は初戦敗退)に比べると、やれたという部分もあった。インターハイの団体戦では頑張りたい」と小川。佐藤嘉剛監督も
「国士舘戦は(斉藤立が務める)大将戦までもっていきたかった。高校総体で雪辱したい」と話し、小川については「彼の良さは前に出て攻めること。気持ちが下がる
ことはないんです。状態もだいぶ良くなりました」と期待を寄せる。
父は5連覇を含む全日本選手権7度優勝で、世界の舞台で活躍。兄・雄勢(明大4年)は東京五輪100キロ超級代表を目指している。父や兄が注目される中、
弟は生まれ育った神奈川を単身飛び出し、宮崎・延岡への“柔道留学”を選んだ。「兄と同じ道を歩んでは超えられない」という強い思いがあったという。「最初は
初めての場所で慣れるのが大変でした」と話すが「今は大丈夫です」と照れ笑い。「去年の夏と比べると、少しは前進したかなと自分でも思います」と、このとき
ばかりは力強く話した。
得意技は大内刈り。「人よりは体力があると思う」と父譲りの豊富なスタミナも持ち味だ。父・直也氏も「ウチの箱入り息子ですからね。本人がやりたいと望んだ
環境ですから。そういう意味では頑張っていると思う。前に出る気持ちを持っているので、どんどん積極的に相手を攻めてほしい」とエールを送っていた。

小川ジュニア、父譲りの積極的な柔道を披露
https://www.hochi.co.jp/sports/etc/20190321-OHT1T50156.html

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  • 2019/03/23(土) 00:41:59.53
柔道の全国高校選手権最終日は21日、東京・日本武道館で団体戦が行われ、男子(5人制、勝ち抜き方式)は決勝で国士舘(東京)が大牟田(福岡)に勝ち、
2年連続10度目の優勝。大将戦にもつれ込んだが、五輪連覇の故・斉藤仁さんの息子・立(たつる、2年)が2分25秒、鮮やかな内股で試合を決めた。
世界選手権無差別級V3の小川直也さん(50)の次男・剛生(ごうき、2年)が延岡学園(宮崎)のメンバーとして出場。2試合引き分けも、父譲りの積極的な
戦いぶりを見せた。女子(3人制)は富士学苑(山梨)が初V。
小川は、1回戦の近江(滋賀)戦は次鋒(じほう)、優勝した国士舘との2回戦では先鋒(せんぽう)で登場した。いずれも引き分けだったが、初出場だった前日の
個人戦(81キロ級)で16強に進出するなど、宮崎県同級チャンピオンの力は見せられた。
「去年(団体戦初戦敗退)に比べると、やれたという部分もあった。環境にも慣れたし、自分でも少し成長したかな」。兄・雄勢(明大4年)は東京五輪の重量級
代表候補の一人として期待されている。弟は「兄と同じ道を歩んでは超えられない」と、生まれ育った神奈川を単身飛び出し、宮崎・延岡へ“柔道留学”。得意技は
大内刈りで、父譲りの豊富なスタミナも持ち味だ。
「彼の良さは前に出て攻めること。気持ちが下がることはない」と佐藤嘉剛監督。父・直也氏は「本人がやりたいと望んだ環境で、頑張っている」と目を細めた。
夏の高校総体が次の大きな目標だ。

小川直也さん次男・剛生、高校選手権で父譲りの戦いぶり見せた
https://www.hochi.co.jp/sports/etc/20190321-OHT1T50301.html

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  • 2019/03/26(火) 15:55:24.52
柔道の男子100キロ超級で、昨年の世界選手権代表の小川雄勢(22)が26日、東京・千代田区の日本武道館で行われた明治大学の卒業式に出席した。毎年、
全日本選手権などが開催される柔道の聖地で門出の日を迎えた小川雄は「(日本武道館で)何回も試合をしたし、たくさんの思い出がある。柔道を通して、成長できた4年間
だった」と振り返った。
4月から2020年東京五輪を見据えて実業団の強豪、パーク24に進む。父で1992年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリストの直也氏(50)が、パーク24柔道部の
アドバイザーに就任することも判明。親子鷹(だか)で、さらなる成長を目指す。若きホープは「自分に厳しく、これから勝ち続けるんだという気持ちをもって取り組んでいきたい。
失敗を恐れずに挑戦していく」と覚悟を示した。

小川雄勢、父・直也氏と親子鷹で成長目指す「失敗を恐れずに挑戦していく」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190326/jud19032613030002-n1.html

来年の東京五輪柔道男子100キロ超級代表を目指す小川雄勢(22)が26日、東京・日本武道館で行われた明大の卒業式に参列した。
政経学部卒業生1159人の一人として出席。昨年3位となった全日本選手権の舞台であり、来年の東京五輪会場となる日本武道館での式を終えた小川は「ここで
たくさんの試合をしました。ああ、ここでオリンピックが開かれるんだなとは思いました」と感慨深げ。「柔道を通して、たくさんのことを教えてもらいました。成長できた4年間
だった」と大学生活を振り返った。大学OBで歌手・俳優の山下智久らから送られた卒業生へのビデオメッセージに感銘を受けた小川は「僕も難しい挑戦をしてきたと思うし、
これからも失敗を恐れずに頑張りたい」と意欲を示した。
4月1日からは実業団のパーク24入りする。社会人となって早々、同6、7日の全日本選抜体重別(福岡)、同29日の全日本選手権(日本武道館)が控えている。同社では
大学の先輩で、1992年バルセロナ五輪78キロ級金メダリストの吉田秀彦氏(49)が総監督を務めているが、父・直也氏(50)も、“個人コーチ”的な役割で、今後も雄勢
を指導を続けることになった。
「大学時代はいい成長曲線を描けたと思う。社会人になればやり方も変わってくる。2人のやりたいと思うことを話し合いながら、正解を見つけていきたい。
彼(雄勢)しかできない柔道を目指していく」と直也氏。雄勢も「自分に厳しく、これからも勝ち続けるんだという気持ちを持ってやっていく」と来年の大目標に向け、
目を輝かせていた。

小川雄勢、明大卒業式で山Pのメッセージに感動
https://hochi.news/articles/20190326-OHT1T50088.html

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  • 2019/03/26(火) 18:38:52.34
柔道の男子重量級ホープ・小川雄勢が出席した3月26日の明大卒業式を取材した。日本武道館の正面に掲げられた「明治大学卒業式」の大きな文字をバックに
写真撮影に応じた小川を見ながら、強烈な既視感に口元がゆるんでしまった。
筆者は今から29年前のこの日、同じように武道館正面の「卒業式」の横文字を背に、193センチの大型アスリートの卒業写真を撮影した。父親の直也さんだ。
柔道部員の仲間と一緒に写真に納まったが、29年の後、同じ武道館で、今度は自分の息子と一緒に筆者のカメラに笑顔を見せてくれた。
午前中に取材予定がなかったことから“助っ人”として回ってきた取材機会。図らずも父子2代の卒業式を取材する“幸運”に恵まれたわけだが、雄勢君が
ガッツポーズを取ったり、照れ笑いをするしぐさは、直也さんそっくり。29年前の様子が何度もフラッシュバックしてきた。今、自分が直也さんを撮影しているのか、
雄勢君を撮っているのか、なんて表現は大げさかもしれないが、そう思えてしまうほど、2人のシルエットは似ている。
「卒業できたことに安心しています」。囲み取材の冒頭、笑顔で話した雄勢君。確か、父親も同じようなことを言っていたような…。「社会人になって? 自分に厳しく、
これからも勝ち続けるんだという気持ちを持ってやっていく」という息子のような立派なコメントは記憶にないが…。
せっかくの機会だから、29年前と同じ質問をしてみた。「大学の4年間で一番の思い出は?」。直也さんは当時、「昨年(1989年)の全日本学生優勝大会で、
僕が引き分けて団体優勝を逃したことと、最後の試験で悪戦苦闘したこと」とやや自虐的に、ユーモアたっぷりに答えていた。雄勢君は「たくさんありますけど、
広畑(兵庫県姫路市)の新日鉄の道場で行った合宿。すごく暑くて、きつかったです」。体つきだけではなく、ユーモアを交えた楽しい会見に「やっぱり父子だなぁ」と。
「卒業、おめでとうございます」。29年前にそう伝えた相手に、意味合いの違う同じ言葉をかけることができた、うれしい1日となった。

父子2代に「卒業おめでとう」と言えた幸せ 柔道の小川雄勢が明大卒業
https://hochi.news/articles/20190326-OHT1T50137.html

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  • 2019/03/27(水) 13:25:19.66
柔道の男子100キロ超級で、昨年の世界選手権代表の小川雄勢(22)が26日、東京・日本武道館で行われた明治大学の卒業式に出席した。
1964年東京オリンピックの柔道競技会場として建設された“聖地”で式を終えた小川は「ここで何回も試合をして、たくさんの思い出がある。とても成長できた4年間だった」
と振り返った。
式では大学OBから卒業生へのビデオメッセージが送られたが、特に歌手で俳優の山下智久(33)からの「2つ選択肢があったら難しいほうを選べ」という言葉に感銘を
受けたという。「柔道を本当に真剣に続けていくのかっていうことも考えた。勝負の道なので決してこの道は甘くないと思っていたが、僕の中では難しいほうの道を選んだつもり。失敗を恐れず
挑戦していきたい」
4月からは東京五輪を見据え、バルセロナ五輪78キロ級金メダリストの吉田秀彦氏(49)が総監督を務める実業団の強豪「パーク24」入り。父で同95キロ超級銀
メダリストの直也氏(50)から“個人コーチ”を受けることも決まっており、厳しい代表争いにも「これからは学生のときのように甘くない。自分に厳しくというか、
勝ち続けるんだという気持ちを持って柔道に取り組んだ上で、自分の強みっていうものを出しながら試合をしていきたい」と意気込みを語った。

柔道・小川雄勢 明大卒業式でOB・山Pのメッセージに感動
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/1323742/

柔道男子100キロ超級で20年東京オリンピック(五輪)を目指す小川雄勢(22)が26日、東京・日本武道館で行われた明大の卒業式に出席した。「武道の聖地」で
門出の日を迎え「日本武道館で何回も試合したことが一番の思い出。柔道を通じて、人としても成長できた4年間だった」と感慨深く振り返った。4月から強豪のパーク24に進む。
この日、父で92年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダルの直也氏(50)が同社柔道部のアドバイザーに就任することが明らかになった。小川の専属コーチとして技術面や
精神面などでアドバイスを送り、二人三脚で東京五輪を狙う。小川は「学生みたいに甘くない環境になる。己に厳しく、失敗を恐れずに挑戦していく」と覚悟を示した。

小川直也氏「パーク24」柔道部アドバイザーに就任 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201903260000839.html

柔道男子100キロ超級で20年東京五輪(オリンピック)代表を目指す小川雄勢(22)が26日、東京・日本武道館で行われた明大の卒業式に出席した。
「武道の聖地」で門出の日を迎え「日本武道館で何回も試合したことが一番の思い出。柔道を通じて、人間としても成長出来た4年間だった」と振り返った。
初選出された昨夏の世界選手権以降、反則負けなどの不完全燃焼が続く。2月のグランドスラム(GS)デュッセルドルフ大会は5位に沈み、今月のGSエカテリンブルク大会は
2回戦敗退と結果が出ていない。
4月から強豪のパーク24に進み、19年世界選手権代表選考を兼ねる選抜体重別選手権(4月6〜7日、福岡国際センター)と全日本選手権(同29日、日本武道館)を控える。
東京五輪を見据える上で重要な2連戦となり「相手の対策をしっかりした上で自分の柔道を出す。世界で勝つためにはただ勝つだけではなく、自分の強みを出して試合したい」
と意気込んだ。
東京五輪の代表権を勝ち取るためには、目の前の1試合に集中して「1歩1歩前に進む」と言い、この日のネクタイの柄がたまたま「亀」で、その言葉を表しているようだった。
父で92年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダルの直也氏(50)は、長男の今後の柔道人生に関して「僕との比較、2世とかの枠ではなく、彼にしか出来ない柔道選手に
なってもらいたい」とさらなる成長を期待した。

小川直也氏の長男雄勢「1歩1歩」武道の聖地で門出 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201903260001181.html

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  • 2019/03/27(水) 13:25:36.93
柔道男子100キロ超級で来年の東京五輪出場を目指し、4月から実業団のパーク24入りする小川雄勢(22)=明大=とともに、世界選手権無差別級3連覇の
父・直也氏(50)もアドバイザー的な役割で合流することが26日、分かった。同チームは、五輪金メダリストの吉田秀彦氏(49)が総監督を務める実業団の強豪。この日、
東京・九段の日本武道館で行われた明大の卒業式に出席した雄勢は、世界を制した指導陣との“強力タッグ”で夢を実現させる。
1159人の政経学部卒業生の一人として明大を卒業した雄勢。「柔道を通して、たくさんのことを教えてもらった。成長できた4年間だった」と学生生活を振り返り、
新社会人として「自分に厳しく、これからも勝ち続けるんだという気持ちを持っていきたい」と抱負を述べた。29年前に同じ場所で明大経営学部を卒業した父・直也氏も
「雄勢はいい成長曲線を描けていると思う」と目を細めた。
来月1日からは実業団のパーク24入りするが、直也氏が実業団でも長男を指導し続けることが判明。直也氏は「個人コーチ的な役割で、父子ともどもお世話になると思う」
と明かした。
同社は「タイムズ」を代表として駐車場管理業者では日本国内最大手で、他にレンタカーやカーシェアリング事業なども行う東京証券取引所1部上場企業。柔道部は
1992年バルセロナ五輪78キロ級金メダリスト・吉田総監督のもと、ともに世界選手権3度優勝の男子60キロ級・高藤直寿(25)、同66キロ級の海老沼匡(29)らが
所属する強豪だ。
重量級の柱がいなかっただけに、雄勢が加入することでチームの幅が広がる。一方、東京五輪を目指すという大目標達成のためには、雄勢にとって直也氏の協力は
不可欠とあって、“父子鷹(おやこだか)”継続が決まった。
「社会人になれば、やり方も変わってくる。2人のやりたいと思うことを話し合いながら、正解を見つけていきたい。彼(雄勢)しかできない柔道を目指していく」と直也氏。
早速、4月には全日本選抜体重別(6、7日・福岡)、全日本選手権(29日・日本武道館)と大きな試合が続く。この日、卒業式が行われた日本武道館は、東京五輪の
柔道会場。「たくさん試合をしたここで、オリンピックが開かれるんだなと思いました」と、来年への意欲を再確認した雄勢。卒業が新たな出発点となった。

小川雄勢の専属コーチに父・直也氏…東京五輪へ“父子鷹タッグ”
https://hochi.news/articles/20190326-OHT1T50274.html

柔道で昨年の世界選手権男子100キロ超級代表の小川雄勢(22)が26日、東京・千代田区の日本武道館で行われた明大の卒業式に出席。父で1992年
バルセロナ五輪銀メダルの直也氏(50)が、4月から雄勢が所属する実業団の強豪・パーク24のアドバイザーに就任することが判明した。
雄勢は4月6、7日の全日本選抜体重別選手権(福岡国際センター)と同29日の全日本選手権(日本武道館)に出場。この2大会が8月25日開幕の世界選手権
(日本武道館)の最終選考会となる。2月のGSデュッセルドルフ大会(ドイツ)は5位、3月のGSエカテリンブルク大会(ロシア)は初戦の2回戦で敗退した。
男子最重量級は2016年リオデジャネイロ五輪銀メダルの原沢久喜(26)が君臨。好敵手の牙城を崩せるか。

小川雄勢、「世界選手権」切符かけ選考2大会出場/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190327/jud19032705010002-n1.html

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  • 2019/03/27(水) 20:42:49.72
暴走王ジュニアの未来は? 昨年の柔道世界選手権男子100キロ超級代表の小川雄勢(22)が26日、東京・日本武道館で行われた
明治大学の卒業式に出席した。柔道の“聖地”で式を終え「ここで何回も試合をして、たくさん思い出がある。成長できた4年間だった」と
振り返った。
4月からは東京五輪を見据えてバルセロナ五輪78キロ級金メダルの吉田秀彦氏(49)が総監督を務める実業団の強豪「パーク24」入り。
“個人コーチ”として同95キロ超級銀メダルの父・直也氏(50)から指導を仰ぐことも決まっている。
直也氏といえば、柔道引退後に新日本プロレスで“破壊王”故橋本真也さんと遺恨抗争を繰り広げ“暴走王”の名をほしいままにし、
総合格闘技のPRIDEでも大暴れ。ハッスルでは一大ブームを起こした。2世である小川の今後には格闘界も熱視線を送っているだけに、
プロレスラー、格闘家の道を歩む可能性はあるのだろうか。
直也氏は「オレとしては(希望は)全然ないよ。本人が希望すれば、あれだけど。でも、そんな話は聞いたことないからなあ。大変なのが
分かっているから、やりたいと思ってないんじゃない」と本紙に語った。
社会人としての初陣は全日本選抜体重別選手権(4月6〜7日、福岡国際センター)。「失敗を恐れず挑戦していきたい」という小川の
“暴走”に期待だ。

【柔道】小川雄勢 “暴走ロード”歩むのか 父・直也氏「俺としては…」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/1324057/

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  • 2019/04/09(火) 17:42:41.22
小川雄勢(男子100キロ超級の前回覇者が初戦敗退)「試合前の調整不足が大きな敗因。(代表について)今は何も考えられない。厳しいが、最後まで諦めず勝ちにいきたい」

原沢、気迫の復活 3年ぶり2度目V 男子100キロ超級
https://www.nishinippon.co.jp/nsp/judo/article/500585/

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  • 2019/04/29(月) 18:56:37.14
柔道・バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリスト、世界選手権王者で元プロレスラーの小川直也氏を父に持つ、小川雄勢(パーク24)が3回戦で尾原琢仁
(旭化成)と対戦し、相手の反則負けで準々決勝に進出した。
さらに、勝者が小川と対戦するはずだった佐藤和哉と熊代佑輔が3回戦で両者反則負けとなり、小川は準々決勝を行わず準決勝に進出することになった。
両者に2つずつ指導が出たが、決定打に欠き延長戦へ突入。小川が技をかけ、崩しきれなかったが、相手に3つ目の指導が入った。

柔道・小川雄勢 準々決勝の相手がいなくなり…一気に準決勝進出 父は直也氏
https://www.daily.co.jp/general/2019/04/29/0012286720.shtml

準決勝が行われ、柔道・バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリスト、世界選手権王者で元プロレスラーの小川直也氏を父に持つ、小川雄勢(パーク24)は
ウルフ・アロン(了徳寺学園職)と対戦し、1本負けした。
準々決勝の相手を決める3回戦で、両者反則負けがあり準々決勝は試合を行わずに準決勝に進出していた。
敗戦後、「僕の中で準決勝はウルフさんだと思っていた。それを超えられなかったのは力不足」と反省した雄勢。「勝ちたい気持ちがすごかった。僕も持っていたけど、
相手の方が強かった。少し引いてしまった」と振り返った。
前年と同じ準決勝での敗退となった。「優勝したい気持ちがあった」重要な大会だが、「進歩がないということ」と自分を戒めていた。

小川雄勢は準決勝敗退、ウルフ・アロンに1本負け 「進歩がないということ」
https://www.daily.co.jp/general/2019/04/29/0012286836.shtml

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  • 2019/04/29(月) 21:43:49.58
平成の始まりと終わりを「小川家」で制することはできなかった。父直也氏が平成元年大会から5連覇している小川雄勢は、準決勝でウルフに一本負けした。
奥襟を握られ劣勢、後がなくなった終盤に組みにいき、逆に大内刈りの餌食になった。「勝ちたい気持ちが相手のほうが強かった」と肩を落とした。

小川雄勢、平成元年から5連覇した父の前で一本負け - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201904290000759.html

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  • 2019/10/07(月) 13:43:13.91
国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」第9日は6日、茨城県笠松運動公園陸上競技場などで行われ、柔道は成年男子で昨年の世界選手権100キロ超級代表の
小川雄勢(パーク24)を擁する東京が2年ぶりに制し、女子は福岡が2連覇した。
柔道の成年男子を2年ぶりに制した東京では、100キロ超級の小川が大将として貢献した。
準々決勝からは決勝までは無理をせず、堅実に引き分け。膝の故障や体調不良などで実戦は6月以来となり「いい感覚を取り戻せた。そろそろ動きださなければ。
いい再スタートになった」と安堵の笑みを浮かべた。
元世界王者で父の直也氏が見守る前で奮闘。23歳の大器は東京五輪代表争いで厳しい状況に置かれているが「一つ一つの大会を勝つしかない」と11月の講道館杯をにらんだ。

再スタートの小川雄勢が貢献「そろそろ動きださなければ/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20191006/jud19100621040002-n1.html

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  • 2019/11/03(日) 21:36:11.11
190センチ、160キロの体を誇る斉藤は圧力をかけ続け、終始主導権を握った。3位決定戦は敗れ「いいところが何もなかった」とうなだれたが、2、3回戦では
シニア選手から大内刈りなど技で一本を奪い、1回戦敗退だった昨年から確かな成長を示した。
昨年の世界選手権代表で23歳の小川は「高校生を相手に投げられなかった自分が悪い」と硬い表情で言葉を絞り出した。

小川雄勢と斉藤立、名選手の息子が対決 小川「高校生を相手に投げられなかった」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20191103/jud19110320110007-n1.html

男子100キロ超級の敗者復活戦1回戦で、1992年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリストの小川直也氏(51)を父に持つ小川雄勢(23)=パーク24=と、
1984年ロサンゼルス、88年ソウル両五輪95キロ超級金メダリストで、2015年に54歳で亡くなった斉藤仁氏の次男、斉藤立(たつる、17)=国士舘高=の
2世対決が実現した。
2人は初対決。立ち上がりから立が大外刈りを仕掛けながら、前に出た。受ける展開になった雄勢に2分58秒、指導が与えられた。3分59秒に2回目の指導。
延長に突入し、最後は雄勢に3つめの指導が与えられ、4分37秒、雄勢が反則負けした。
雄勢は「いろいろ思うことはあるけど、それでも高校生を相手に投げられなかったのは悪い」と振り返り、立については「やっぱり強かった」と評した。
東京五輪の第1次選考会だった今大会。位置づけについて「東京五輪を目指す上で最後のチャンス、という気持ちでいた。五輪を意識してからプレッシャーもあった。
研究もされて、思うような柔道が今日もできなかった」と反省し、会場で観戦した父からは「『高校生を投げられなかったおまえが悪い』」と一言、言われたという。
一方、立は試合について「勝てるとは思わなかった。(自分が)年下で、高校生で思い切ってやろうと思った。思った以上にスタミナがきつかった」と振り返った。注目の
対決については「そんなに注目されていることは気にせず、ただ目の前の相手ということがあったので、意識はしなかった」と語った。
厳しくなった東京五輪については、「たぶんないと思う。これから一つ一つ、目の前の試合をしっかり勝っていく」と、気持ちを切り替えた。
雄勢は初戦の2回戦で佐藤貴成(近大)に1分20秒、大内刈りで一本勝ち。3回戦は松井海斗(日体大)に2分7秒、支え釣り込み足で一本勝ち。準々決勝では
熊代佑輔(ALSOK)と顔を合わせ、2分22秒、背負い投げで一本負けした。
立は初戦の2回戦で木元拓人(日大)に2分1秒、払い腰で一本勝ち。尾原?仁(旭化成)との3回戦は延長戦にもつれ、9分24秒の激闘の末、大内刈りで一本勝ち。
準々決勝は太田彪雅(東海大)と対戦し、2分40秒、内股透かしに屈した。
立は敗者復活戦1回戦で雄勢に勝ったものの、3位がかかった試合で佐藤和哉(日本製鉄)の出足払いによる技ありに涙をのんだ。

柔道2世対決は高校生の斉藤ジュニアに軍配 小川ジュニア反則負け
https://www.daily.co.jp/general/2019/11/03/0012845202.shtml

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  • 2019/11/03(日) 21:47:55.97
この日、最大の注目を集めたのは男子100キロ超級。95キロ超級で五輪2大会連続金メダリストの故・斉藤仁さんの次男・斉藤立さん(17=国士舘高)と、
バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリストの暴走王・小川直也氏(51)の長男・小川雄勢(23=パーク24)のジュニア対決だ。
順当に勝ち進めば準決勝で当たるはずだったが、2人ともに4回戦で敗退してしまう。敗者復活戦となった初対決は、互いに攻め手を欠き、じりじりとした展開。
結局、延長に入ってから斉藤が指導三つ目を奪い、小川から反則勝ちを収めた。
その後の3位決定戦では敗れ、5位に終わった斉藤は「いいところが何もなかった」とガックリ。小川戦についても「思い切ってやるだけだと思っていたが、
勝ち切れなかった」と反省しきりだった。
小川直也氏を破り、ソウル五輪代表切符を手にした斉藤仁さんに続く父子2代での勝利となったが「そこは気にしていなかった」という斉藤。この日の結果で
五輪については「ほぼなくなった」とし、2024年パリ五輪に照準を絞る意思を示した。
一方、小川も「五輪はほとんどないと思う」とポツリ。試合後に父・直也氏からは「高校生を投げれなかったお前が悪い」と言われたと明かし、うつむいた。

【講道館杯】斉藤ジュニアに敗れた小川ジュニア 父・直也氏から厳しいひと言
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1608258/

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  • 2019/11/17(日) 08:20:06.85
柔道サイト eJudo LITE | 柔道家のための総合情報サイト
https://lite.ejudo.info/

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  • 2020/01/14(火) 21:17:56.09
猪木「小川ーーーー!」

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  • 2020/02/08(土) 05:40:28.02
https://ameblo.jp/obione-the3rd/entry-12565388612.html
このブログオモロイ

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  • 2020/02/29(土) 06:51:05
柔道ニッポン康生監督の涙に異論 元暴走王・小川氏「ある意味大失態」強烈ダメ出しのワケ
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1759740/

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  • 2020/03/15(日) 19:46:18
https://i.imgur.com/hDLox17.jpg


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  • 2020/03/16(月) 06:32:14.78
小川雄勢「軟禁みたい」猛稽古で3年ぶり2度目V - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/202003150000901.html

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  • 2020/03/16(月) 06:32:30.11
柔道・小川雄勢が“父離れ”V 基礎からつくり直し再出発!大目標はあえて口にせず
https://www.daily.co.jp/general/2020/03/16/0013196311.shtml

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  • 2020/03/18(水) 06:57:22.48
【柔道】小川雄勢 再起へ父離れ
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1780059/

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  • 2020/03/18(水) 06:57:35.55
小川雄勢、7試合中6戦一本勝ちで3年ぶり2度目V パリ五輪へ「休んでいる暇はない」
https://hochi.news/amp/articles/20200315-OHT1T50310.html

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  • 2020/03/23(月) 18:39:53
元暴走王・小川直也氏が東京五輪延期を支持「平和ボケしてないで、もっと世界を見なさい」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/1786653/

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  • 2020/03/28(土) 23:46:39
【柔道】小川直也氏が「丸山VS一二三」延期に苦言
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1794411/

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  • 2020/03/30(月) 20:18:34
【柔道】小川直也氏が解説 五輪内定者の処遇が決まらないワケ
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1795962/

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