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  • 2016/07/30(土) 23:05:13
>>265
どういう知らべ方をされたかは知りませんが、電化=蒸気機関車運用終了じゃないんです。
総武本線での運行が終了したのは、昭和44年の9月末。
そのころでも、ほとんどの列車はディーゼルカーかディーゼル機関車牽引列車になっていて、
蒸気機関車牽引の列車は日に数本になっていた。

旭市に機関車が寄贈されたのは昭和46年6月。

49年10月も、一部の列車が電車化された時期であって、完全に電車に一本化されたのは、
翌50年3月のダイヤ改正時。(山陽新幹線の博多開業と同時)
(この移行時期には、ディーゼルかーの転属が始まって、急行犬吠号に通勤用の長椅子の列車が組み込まれたり、
めちゃめちゃな編成になっていました。)
このときの改正で大半の急行「犬吠」が電車特急のしおさいに格上げして誕生している。
(成田線回りはこのときは電車化されたが急行のまま〈鹿島線に特急あやめ・急行鹿島は誕生したが>57年に房総急行全廃の時に特急化されている)

2004年の旭市市制執行50年誌や、「銚子・旭・八日市場の100年」(だったと思う)のような郷土史の本に、
日付記載入りで、最終運転日の様子や寄贈式、電化完成式典の写真が載っていたはず。

ここまで見た

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