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  • 93
  •  
  • 2014/09/23(火) 15:30:20
>>92
大国主系の国津神が武蔵野にやって来る以前から氷川社が別の神を祀って存在していなかったとも限らないし、
実際アラハバキ(地主神)はいまでも氷川神社に祀られているし、判らないね。
判っているのは氷川社のごく近くに縄文遺跡があること。

平安期から中山道が整備されて現在地へ移転するまでは、足立が原の鬼婆伝説のある大黒院の地に東光寺があった。
東光寺のある場所には時の権力者から虐げられた被差別集落があると言われていて(埼玉古墳時代の主、笠原氏の居た鴻巣笠原にも東光寺がある)、
足立が原の鬼婆伝説も、そうした朝廷から虐げられた見沼の旧製k力の首領を懲服したことに因んでるのかもしれん(妄想)。

過去に足立が原の鬼婆伝説の発祥の地論争があったが、氷川神社の社家を務める西角井家の
「大宮の地を鬼の出る蛮地であったとすることは望ましくない」という意見により鬼婆伝説の発祥の地は大宮説は放棄され、発祥の他は他の地域へ譲られた。

ここまで見た

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