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  • 2010/06/26(土) 09:02:22
千波湖に展示してあるD51は、もしかして全く関係のない機関車かもしれませんが、
D51651は昭和24年(1949年)に常磐線と東武線の交差する綾瀬近くの、そして、
東京拘置所近辺で、当時米軍占領下にあった日本の初代の国鉄総裁下山定則氏の自殺死体?
が発見され、その下山国鉄総裁を轢死させた機関車が、このD51651でした。その頃、
私は、学制改革により新制中学(現在の中学校)の2年生の時でした。
D51515は、年代は忘れましたが、長い貨物列車を牽き、水戸を出発、偕楽園下の急カーブ
を赤塚方面に向かっていた時、機関車が赤塚近辺に差し掛かった頃、何故か?機関車と貨物列車が
自然に切り離され、あの急勾配を水戸駅へと逆戻りしてしまいました。今では全く見当たりませんが、
当時は上りホームと下りホームへ荷物を移動させる為に、クレーンが赤塚よりのホームにありました
が、逆戻りした長い貨物車は、こクレーンに激突し折り重なりました。機関車は、赤塚駅近くに
取り残されました。その時運転していたのは、私の叔父でした。54番さんのオジーさんと私の叔父は
案外知り合いだったかもしれませんね。
ちなみに、水戸博物館で発行された「激動の昭和鉄道史」の47ページに写真が載ってますね。
あの踏切が私が毎日の様に渡った、ちょっとばかり「開かずの踏切」です。

ここまで見た

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