【西田幾多郎】京都学派総合スレッド【森哲郎】 [sc](★0)
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- 2010/09/13(月) 15:40:56
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mixi(mixiディアカテゴリ密閉性の高い議論が可能)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3508030
インターネットワイドショー掲示板(30000レス以上可能DAT落ちなし規制なし)
http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=tv&tn=0861&rn=1000
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- 2012/07/14(土) 18:11:03.70
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>>200
西田幾多郎は、見る自分(主観的領域)と、見られる外界(客観的領域)が、
自己の内側に自己同一的に存在すると、述べているが、主観的な自己と、外界(客観的存在)と
言う全く相反する存在が自己の内で、対立と調和を繰り返していると、捉えた方が論理として
自然であると思う。
自己の内側にすべての世界があると言う捉え方は、主観的領域内で、すべての問題解決を図って
行こうとする事であり、 外界世界(客観的領域)の問題(事象)は、自己世界では客観的実体ではなく
観念(精神的なもの)として取り込まれるのみである。
従って、主観的問題そして客観的問題を現実的に解決する為には、二元論を肯定し、自己世界(主観的領域)と
外界世界(客観的領域)を実存的に捉えた問題解決が必要と思う。
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- 2012/07/15(日) 00:27:17.08
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行為的直観だよ
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- 2012/07/27(金) 18:44:16.67
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自分は長年神経症を患っていた。最初は森田正馬を信奉していたけど、
自分の無意識が症状のレベルとして、形を持ったものとして現れてくるにつれて、
関心は森田を離れ、村上春樹の長編小説(「ダンス・ダンス・ダンス」、
「ねじまき鳥クロニクル」、「国境の南、太陽の西」、「海辺のカフカ」など)
に移っていった。そこで、河合隼雄「ユング心理学と仏教」に出会い、
「自分の体験が、見てきた世界が、ここに少なからず書かれている」と感じた。
そこで、西田幾多郎「善の研究」に出会った。この本に書かれてあるすべての
内容を理解、共感することはとてもできなかったけど、とても共感できる部分も
多々あった。こんなに熱心に本を読んだのは、初めてと言ってよかったかもしれない。
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- 2012/08/06(月) 23:28:58.90
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哲学者の上山春平氏が死去
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date1&k=2012080600561
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- 2012/08/07(火) 00:19:54.24
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むしろ自己の外側に自己があると言っているのが西田。
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- 2012/09/13(木) 20:18:33.96
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>>206
「むしろ自己の外側に自己があると言ってるのが西田」と述べているが、
「絶対矛盾的自己同一」と矛盾するのではないかと思う。
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- 2012/09/13(木) 20:57:36.66
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主客合一、主客未分じゃよwww
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- ドンフライgo
- 2012/09/26(水) 00:25:09.92
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西田幾多郎と鈴木大拙とエーリッヒフロムとマイケルサンデルの本読めば、少しは賢くなれるかな?
西田哲学で大歳卓麻を救ってやってくれ。
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- 2012/10/10(水) 23:35:45.31
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上田閑照の本を少しずつ読んでる。
けっこう面白い。
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- 2012/10/20(土) 20:15:00.89
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私とは何か
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- 2012/12/26(水) 19:34:24.90
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三木清の「パスカルと親鸞」は読みやすいのだけれど、中途半端。
やはり西谷啓治さんの道元の著作はじっくり読ませてくれる。
さらに文章的にこなれていると思えるのは上田さん。
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- 名無しさん
- 2013/01/11(金) 20:46:24.64
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大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
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- 2013/01/25(金) 21:54:16.60
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私的実践にしかならん、ただの認知科学やん
日本人は感覚に依存しすぎ
主観的な感覚なんかに基づく時点でこんな理論、ネタやら芸術やら工学やらに活用できんわな
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- 2013/01/25(金) 22:33:51.98
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これまた頭悪そうなのが
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- 2013/01/26(土) 00:25:50.79
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悟り厨の生産性の無さ
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- 2013/01/29(火) 16:16:13.22
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京都の哲学の道って、実は西田はあまり歩いてないとか聞いたけど
本当はどうなのかね
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- 2013/01/29(火) 20:39:37.50
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>>217
思索に没頭しすぎて路肩で蹲っていて警官に誰何された、という逸話があるそうだよ
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- 2013/02/21(木) 08:23:35.37
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http://lh3.googleusercontent.com/-kTDz10snpik/AAAAAAAAAAI/AAAAAAAAAAA/JIhdl1Z-wnM/s0/photo.jpg
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- 2013/03/04(月) 22:23:56.15
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http://25.media.tumblr.com/tumblr_m5p3zn11Ji1qhk1qho1_500.jpg
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- 2013/04/10(水) 23:20:57.47
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http://video.fc2.com/
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- 2013/04/20(土) 13:29:34.30
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http://tvcap.dip.jp/2013/4/20/130420-0203320157.jpg
http://tvcap.dip.jp/2013/4/20/130420-0203360197.jpg
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- 2013/06/25(火) 18:05:17.84
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(`・ω・´)
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- 2013/06/30(日) 16:38:02.90
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こんな機会でもなければ自分の意見をまとめるといったことをしないアバウトな性格なのでもう少し西
田幾多郎の生い立ちについて書いておこう(笑)。現在の石川県かほく市の大庄屋の家に生まれたもの
の放蕩親父が米の相場(現在の株取引のようなもの)で失敗しかなりの財産を失い(おそらく西田の潔
癖な性格はこのことと無関係ではない)、それを機にかほく市(鎌倉のように海が見える旧宇ノ気町)
にある資産を処分して金沢市に引っ越した。そこで学生時代をすごすことになるのだが、四高の数学教
師北条時敬という人物に最も影響を受けた。学生達のあこがれ(ヒーロー)であった東京帝国大学から
赴任した金沢出身の北条時敬(1858〜1929)は、西田幾多郎より12歳年上で、当時最先端の「数学」だ
けではなく「テニス」「ベースボール」「ワンダーフォーゲル」等のスポーツをこなす「ハイカラ(最
新流行)」な人であったらしい。だから彼が関東地方で当時流行していた「禅」に関心をもっていて自
ら実践していたのもあたりまえであった。
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- 2013/06/30(日) 16:38:36.25
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後に東北帝国大学総長まで務めることになる北条時敬は、鈴木大拙の回想によれば「なかなかの教育
家」であって自宅にも目のかけた生徒を寄宿させていたのであるが西田幾多郎もその中のひとりであ
った。だから「禅」を学ぶために北条時敬に就き従い石川県金沢市の町中から富山県高岡市西田(さ
いだと読む)にある国泰寺派総本山の国泰寺に通うことになるのも自然の流れであった。名前こそ立
派であるが何度か廃寺の危機にも直面した決して大きくはない寺である。ここで寺を再興させようと
していた和歌山県出身の雪門老師に師事することになったのが決定的であった。以前から雪門老師は
金沢市を何度も訪れておりおそらく西田幾多郎も最初は金沢で直接説教を聞いたことであったろう。
現在の常識的な感覚からいって決して歩いていける距離ではない国泰寺への道のりを週末に鈴木や西
田らは歩いて通った。
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- 2013/06/30(日) 16:39:13.16
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3年間の清国留学(中国留学)で硯匠名師に学んだ経験もある雪門老師(1850〜1915)は型破りで厳
しい人であったらしいが残念ながら私はくわしいことは知らない。(水上勉が彼の生涯について小説を
書いているとのこと。私は未読。)越中(富山県)に来たのは一説によると山岡鉄舟(1836〜1888)
の依頼によるという。鉄舟は禅がかなり好きだったようで禅宗の再興に尽力した。(雪門老師は鎌倉市
円覚寺で鉄舟の葬式を行っている)西田幾多郎は学習院教授に任命される40歳くらいまで鎌倉の建長
寺、円覚寺、京都の妙心寺等に熱心に参禅していくことだろう。
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- 2013/06/30(日) 16:41:02.57
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言い忘れたが雪門老師は水上勉と同じく京都市相国寺の出である。
話は前後するが西田幾多郎の通った四高についてどうしても語っておきたい。明治政府による1886年
教育令の改正により帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令が公布され、それに伴い石川県専門学
校が第四高等中学校と改称され、官立に移管された。このことは西田幾多郎の生涯に大きな影響を与える
ことになる。正直私もよく理解しているとはいいがたいのであるが(笑)、それまでの加賀藩の経営から
官立になり校風ががらりと変わった。加賀藩は藩主が学問好きであったことも幸いして自由で学問がさか
んなところであった(おそらく地方では最高レベル)が官立になり上の者は明治政府から派遣された薩摩
藩や長州藩の人材で占められたためがちがちの官僚制が学校を支配した。そもそも四高とは明治政府が自
分達に役に立つ役人を育成するためにつくられた学校であったから政府の考えを吹聴したし、それでなく
ても加賀藩は幕府側についていた過去があったので明治政府から派遣された者が相当いばっていたらしい。
以上のことが主たる原因で反抗的な不良(笑)西田幾多郎は1889年には「行状点欠少」で落第、1890年
には中途退学してしまう。
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- 2013/06/30(日) 16:41:37.25
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ここで四高時代の西田幾多郎君の友達を紹介しておこう(笑)。
鈴木貞太郎君(大拙)(1870〜1966)
説明は不要だろう。1889年に医者である父親が亡くなり学業を続けることができなくなる。学校をやめて、
小学校の英語教師になる。後学問への思いやみがたく東京専門学校(現早稲田大学)に入学。同時に宗教へ
の憧憬が高まり鎌倉円覚寺に参禅する。前にも書いたとおり当時静かな「禅」ブームがあり円覚寺には実業
家から夏目漱石までいろいろな人が集まった。最初に師事した今北洪川禅師はすぐに亡くなったためつづく
法嗣の釈宗演禅師に師事した。のち釈宗演に「禅」を学び仏教を研究しに来ていたベアトリス・レインと結
婚する。寺で恋愛してもいいのか(笑)鈴木君!
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- 2013/06/30(日) 16:42:55.63
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松本文三郎君(1869〜1944)
西田君の一級上。国立国会図書館のデータでは(1865〜1944)とある。余談ながらこの時代の人達の
生年はいいかげんである(笑)。森鴎外(1862〜1922)はたしか年齢をいつわって東京帝国大学に入
学している。青年期の2〜3年の学力差は大きくいかに秀才のほまれ高い森林太郎君でも成績はトップ
クラスにはなれなかった。上位数名になると国費で外国留学できたのだ。なんとしてでも外国留学をし
たかった森林太郎君は陸軍からの誘いを受けてプロイセンへ留学をはたす。彼が金髪美人好きかどうか
私は知らない(笑)。
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- 2013/06/30(日) 16:43:51.85
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調べてみると松本文三郎君はインド哲学・仏教学者と書かれてい る。京都帝国大学教授、東方文化研究
所所長ともある。私がよくも知らないのになぜ紋切り型の履歴を 羅列したかというと、四高時代西田君
は藤岡作太郎君、金田良吉君そして松本文三郎君と「我尊会」と いうグループをつくり回覧雑誌をつく
っていたからだ。だから一級上といえどもよく知っていたという べきであろう。幼いころに母親をなく
していらい宗教的なものに関心が強かった、西田君の言葉でいえ ば「弱年にして既に超世間的で深く人
生問題について考えていた」鈴木君とともにインド思想や仏教に ついての知識量は西田君をはるかに超
えていたはずだ。(鈴木君は本気でインドに行きたいと考えてい た。アメリカにいった理由のひとつも
アメリカ経由でインドにいけるかもしれないと考えたからだ。) 西田君からみると、もし仏教学につい
て学んでいってもこのふたりにかなうわけないだろうと考えざる をえないし、むしろいろいろ教えても
らっていたことだろう。「私は多くの友を持ち、多くの人に交っ たが、君(鈴木君のこと)の如きは稀
である。君は最も豪さうでなくて、最も豪い人かも知れない。私 は思想上、君に負ふ所が多い。」鈴木
大拙著「禅と日本文化」序から引用。もともと西田君は数学者に なりたいと考えていた。失礼ながら、
>>67や>>69では比較する人が暗黙の内に仏教学者が前提されて いる。(余談だが、中村元晩年の「自
己の探求」や「論理の構造」はすごい!)間違いとまではいわな いがその点において西田君がかなうはず
がないし、本人も級友たちをさしおいてそんなつもりはなかったにちがいない。心をまっさらにして西田
の著作を読んでみたら仏教の 言葉からの引用が意外に少ないのにおどろかされるはずだ。私もお世話にな
ったが禅宗の本というのは「不立文字」といいながら禅語の解説がやたら多い(笑)。私が>>61で「西
田は人が思うほど禅者で はない」といったのはその意味である。
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- 2013/11/27(水) 15:12:49.97
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結構面白かった
https://i.imgur.com/f6gqIfZ.jpg
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- 2013/12/16(月) 17:02:37.03
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西田幾多郎は禅寺へ行くたびに、修行僧にどうやって性処理しているのかと
しつこく聞きまくっていたらしい。
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- 2013/12/16(月) 17:17:14.91
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>>233
「謎の優越感」というと、上の文では「頭の弱いサラリーマンには売れるかも知れないけどさ」
とか、「商業的にウケやすいから」あたりかな?で、俺は頭が強くて商業的にウケる物なんてハナにもかけないよ!
なんて思ってるって事だね?
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- 2013/12/16(月) 22:58:24.03
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西田幾多郎は、ウィリアム・ジェ−ムズと同じように「純粋経験論」を基底とした
思考展開をしているが、西田幾多郎はプラグマティズム理論をどう捉えていたのであろうか。
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- 2013/12/19(木) 22:22:37.87
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「物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない」
ってどういう意味?
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- 2014/01/01(水) 18:47:03.58
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http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/nagasawa/post-273.html
空海が見えなかった西田幾多郎・鈴木大拙
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- 239
- 2014/02/17(月) 10:07:10.57
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働くとは傍を楽にするという意味があるから、自己を持っていては働けないためである
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- 2014/03/08(土) 02:02:18.80
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これはひどい
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- 2014/04/24(木) 16:40:50.57
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そろそろ熊野純彦訳西田幾多郎が出てもおかしくないなw
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- 242
- 2014/06/11(水) 15:06:03.01
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西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」とは、「多」と、「一」との“矛盾的自己同一”と述べている。
この「絶対矛盾的自己同一」と、ヘ−ゲルの「弁証法」とは、どの様に連関しているのでしょうか?
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- 243
- 2014/06/11(水) 15:59:50.50
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>>242
一行目があいまいすぎて二行目の質問が意味を成していない。
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- 244
- 2014/06/15(日) 01:22:31.55
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西田の講演とか読め。
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- 245
- 2014/07/20(日) 20:06:45.01
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https://i.imgur.com/sTNnClW.jpg
https://i.imgur.com/6RcIRMv.jpg
https://i.imgur.com/zUyKZDy.jpg
https://i.imgur.com/wCgs3zE.jpg
https://i.imgur.com/EkAHCTI.jpg
https://i.imgur.com/wtts6Bz.jpg
https://i.imgur.com/DDRP6FU.jpg
https://i.imgur.com/rcENadh.jpg
https://i.imgur.com/YHTswv5.jpg
https://i.imgur.com/Y6qXQOB.jpg
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- 246
- 2014/07/26(土) 03:40:22.71
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善の研究
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- 247
- 2014/09/29(月) 11:43:36.79
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とにかく注釈が大量に必要なひとだな
ようは難しい。
青空文庫でよめるが、よくわからん、あのへたくそな文章をだれか翻訳してくれ、、、、
思想は深淵ぽいのに、文章がへた。
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- 248
- 2014/09/29(月) 13:48:47.34
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>そろそろ熊野純彦訳西田幾多郎が出てもおかしくないなw
そんな無駄なことにエネルギーを費やすくらいなら、
熊野純彦は自分で存在論の主著を執筆すべきだろう。
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- 249
- 2014/09/29(月) 14:47:20.30
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西田幾多郎の「善の研究」に対抗して、熊野純彦には是非、「偽善の研究」を著してもらいたい。
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- 絶対弁証法ってなに?こいつ馬鹿?↓
- 2014/09/29(月) 20:44:39.10
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「似ていますが、少し違うのです。ヘーゲル弁証法は、
対立する二つの観念が止揚される(両者の意味を含みながらそれらを
統合する新しい観念となっていく)ことによって、
観念が一つ上の次元に上がっていくような過程的弁証法です。
正-反-合と表現されることがありますね。例えば、無-有-成などの弁証法が有名です。分かりますか?」
「はい。分かります」
「次に、絶対矛盾的自己同一の場合は、対立する二つの観念が、
対立すると同時に同一の観念でもあることを示します。その認識の全体像が一つの新しい観念というか
認識を創っているのです。分かりますか?」
「つまり、ヘーゲル弁証法のように、新しい考え方に発展するのではなくて、そのまま異なると同時に同じだという両方をそのまま肯定する考え方なのですね」
「そうです。絶対弁証法ともいい、
異即同、同即異というように絶対的に現在を肯定する考えなのです。
・・・私の任を超えて少し話すぎました」
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