上代特殊仮名遣い 二音目 [sc](★0)
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- 1
- 2012/06/23(土) 20:31:32.19
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前スレ:上代特殊仮名遣い
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1305988303/
立てた
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- 890
- 2014/05/01(木) 15:54:54.21
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>>847
台湾諸語は一度大陸に渡ってから台湾に戻ってきたので日本とフィリピンは周圏的分布になった…なんて考えるのは無理あるか
>>851
往々にしておもろの語彙が沖縄よりも先島や奄美に残ってたりするけどね
おもろさうし自体にも奄美関連の歌が若干あって、奄美出身者から採録された可能性も捨てきれない
>>856
ハ行転呼しないのは「大」やごく少数の語に限られた例で、琉球のどの方言でもほとんどの語彙で転呼するのが一般的では?
>ア行エとヤ行エの区別の保存、イ・エ・オとヰ・ヱ・ヲの区別の保存など、
これは違例も少しあるんだよね(得る→ji:juN、終はる→?uwajuN、など)
というか9世紀じゃ畿内でもそれらの変化が始まったばかりで早すぎないか?
>>861
「落ちる」については、別の上二段動詞「出来る」*dekeruもあるからそこまで古いと断定していいのかどうか
上二段動詞は九州諸方言で多様な形で現れるんでそちらも絡めて考える必要があるかもしれない
>>876-878
うーん、それは気づかなかった!
>>886
本当にeは存在しないのか?漢字音の再構次第でどうとも言えそうだけど
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- 891
- 2014/05/01(木) 16:05:23.44
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つーか邪馬台国まで絡めちゃうと、場合によっては、
畿内というか瀬戸内以東の方言と西南九州方言の分岐を考えて、
さらにそれと琉球祖語の分岐との後先まで考えなきゃいけないかもしれないな
しかし問題を難しくしてるのは、おそらく琉球方言が歴史上常に、または断続的にかなり長い間
九州やその他本土の方言と接触していたであろうことだよね
何が祖語由来で何が何時の借用やらわかったもんじゃないし
近現代に起きた琉球方言と本土標準語の接触によるウチナーヤマトグチの誕生のようなプロセスが
実は琉球列島や故地たる九州で過去に何回も起きていたかもしれない
あと思ったんだけど、上代東国〜伊豆諸島〜八丈島の方言と琉球祖語って有史以降のどこかで接触してないかな?
海流的に流れ着きやすいみたいだしどっちも為朝伝説がある
八丈方言の論文見てたら「一つ」を「テツ」というようなんだが、これ琉球と共通だ
古琉球で「木」を「け」というのも東国から伊豆経由の流れの可能性が考えられるかも?
琉球でタ行四段動詞の禁止形が「持つな」=「ムトゥナ」<*motonaのように*-toに遡りうる形なのも
上代東国や八丈の連体形と関係あるんだろうか?
肝心な八丈の禁止形がわからないのでアレだが
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- 892
- 2014/05/01(木) 16:28:37.44
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>>891
王朝国家時代の道による区分の南海道を思い起こさせるな。
紀州根来の津田算長が種子島と交易して鉄砲をいちはやく入手したという伝承も想起させるし、
紀州の熊野灘周りの交易船が船に流された時、八丈島によって水や食料を補給したという慣行もある。
実際に、そうした場合に八丈島に流された宇喜多秀家が福島正則が江戸に運ぶ酒をおねだりして一樽恵んでもらったという話もある。
海路があるなら、東北の北前船の寄港地が上方方言と類似して、内陸部の東北方言と隔絶してるという現象もある。
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- 893
- 2014/05/01(木) 16:35:25.31
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「てつ」だったら「ひとつ」に対して崩れた「ひてつ」という異形が各地に勢力が弱いながらあっただけじゃないの。
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- 894
- 2014/05/01(木) 16:41:25.10
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ここは言語学板なんだから「邪馬台国はどこか」は単なる板違い。
そういう話を始めると無知低脳キチガイが雪崩れ込んできてスレがゴミだらけになる。
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- 895
- 2014/05/01(木) 16:53:35.33
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>>893
「ひてつ」と「ひとつ」とくれば、「けけれ」と「こころ」の万葉集の東国方言とぴったりあってしまう。
崩れた異形と言い難い。
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- 896
- 390
- 2014/05/01(木) 22:19:14.38
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なんか雰囲気でペラール(元ネタは服部四郎?)説が広く受け入れられつつあるけど、大丈夫か。
今のところ根拠として提示されてるデータは昼/蒜と馬/海の対立だけだぞ。
ペラールや>>539は八丈方言や、その祖先の上代東国方言の動詞・形容詞連体形に
*e、*oが残ってるっていうけど、琉球諸語の連体系にはそういう名残ないじゃん。
ていうか動詞連体形のだいたいが-juruじゃん。
日本語の祖語にAN祖語がそのまま相当することに懐疑的だったんで、
俺としては自分の説を補強する*e、*oはありがたいんだけど
さすがにこれだけで判定するのは乱暴っぽいなぁ・・・
ちなみに3世紀あたりの日本語にeがなさそうってのは森博達が調査した結果じゃなかったっけ。
一方o1は奈良時代よりも多く、Co1Co1っていう並びも存在しているんで、
>>886のいうとおりeだけ怪しい。
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- 897
- 2014/05/01(木) 22:35:01.08
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言語学大辞典かセレクションの琉球諸方言のとこ後で見とこっと(メモ)
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- 898
- 2014/05/01(木) 22:38:46.57
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正直、南西諸島の言語が日本語族になったのは、源平合戦以降もしくは南北朝以降だと思う。
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- 899
- 2014/05/02(金) 00:22:14.16
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馬と海の対立が例に出されてるけど、umi(海)って日琉祖語に遡れるほど古い言葉なの?
海のより古い形ってwataだと思うんだが
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- 900
- 2014/05/02(金) 01:44:54.00
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>>896の話の前提として、沖縄の首里方言の動詞の活用の体系を簡単に書いておく。
動詞に本土とおおよそ同じ活用形、すなわち
未然、連用、終止、連体、已然、仮定形と、若干例外的な形である下略形という形がある。
そしてこれはkaka(-n 書かない 未然)のように、動詞本体のみによる形(かりに本活用と呼ぶ)と、
本土の「おる」対応する成分-junが連用形(kachi-)についたものに由来する形(かりに-jun活用と呼ぶ)の
二つの系列がある。本活用と-jun活用が全部の活用形にあって計14個なのかというとそうではなくて、
本活用が欠けているところに-jun活用が補助的に用いられる。
未然形はkaka- 連用形はkachi- 終止形はkachi-jum、連体形はkachi-juru
仮定形はkakee(<kaki-ja <kaki-wa <kaki-ba) 命令系はkaki
そして-junはもともと独立の動詞なのでそれぞれ本活用と同じ-jura,-juri-などの形も可能で、
その場合「〜している」という意味になる。
本来進行を表していた「〜よる」が、終止・連体形の穴埋めになっているわけだ。
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- 901
- 名無し
- 2014/05/02(金) 02:01:14.74
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柴崎勇太(開智高校、明治大学)は穢多。
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- 902
- 2014/05/02(金) 02:26:09.04
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・-junは進行の意味を持っていて、本土の西日本の「連用形+おる」と酷似していること
・本土の「連用形+おる」は「おる」が(生物の)存在動詞として一般化した中世の成立とみられること
・活用の体系に部分的に-junを持つ語形が入りこんでいること
からして、
琉球でも中世には本土と大体同じ体系を持っていたが、時代が降って終止形と連体形の機能の欠けが生じ、
それを補って進行態を引っ張ってきたために、進行態の系列が動詞の活用にくみこまれ、本土と差が広がった
というシナリオが考えられる。琉球諸方言には上代的な要素と中世的な要素が並存しているが、
動詞はその中世的な要素の代表であって、上代以前の話には使えない。
ちなみに形容詞は、語幹+sa(-さ)+-an(本土「ある」に対応する)による-san/-shanの語尾を持っていて、
本土の連用形「-く」以外の形(ク活用由来のものは-ku、シク活用由来のものは-shiku。
シク活用由来のものは-shi-sa > -ssha >-shaとなって-shanという語尾を持つ)は滅んでいる。
形態の変化は新しいほうが複雑であるよりも古いほうが複雑のことが比較的多いという経験則からして、
連用形以外の語形が琉球で発達する前に-saを使う形が成立したという解釈は不利だろう。形容詞の体系も新しい。
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- 903
- 2014/05/02(金) 03:12:53.82
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>>899
ワタが古くウミが新しいという関係とは限らないぞ。
ワタとウミが同義語として用いられる → ウミの使用頻度が増加する → それによってワタだけ古風な語と思われるようになる → ワタがほとんど滅ぶ
→ 古風な語を残しやすい歌でワタ-を持つ語が運よく残る
というのかもしれん。たとえば中国語の前置詞将と把は、同じ用法で長い間それほど差がなく用いられたが、現代では把が普通で将が古語になってしまっている。
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- 905
- 2014/05/02(金) 18:03:10.02
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口語では本活用の終止形・連体形が「連用形+おる」に取って代わられているが
文語、特に韻文(琉歌)では頻繁に使われるよ。
口語でも禁止形やごく限られた助詞を伴う場合に使われる。
形容詞のサ語尾は九州の一部に見られる「サ詠嘆法」との関連が考えられる。
まあそんなに古い物ではないのは確かだろう。
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- 906
- 2014/05/02(金) 23:31:46.67
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昼と蒜、馬と海しかデータだしてないけど、ちょっと気になることがある。
馬と海だけがペラール説の根拠なら、これは馬と海だけの特殊事情で、
日琉祖語の話ではないかもしれん。
それこそ、きつねがけつねになったような、感じで、上舌化の影響で、
ウミはオミにって流れはありうる。
というか、問題はウマなんだよな。これ、日琉祖語なんかじゃないと思うんだ。
だって、馬は日本にもともといない動物だし、これの語源は漢語のマーだろ。和語にウマはなかった。
平安期まで、日本語のウには強い鼻音が掛かっていたと大野が言ってたけど、
だから、ンマがウマになったわけで、比較的に新しい時代の言葉。
これで、日琉祖語が上代語のウがウとオに分かれるという立証にはできんよ。
もし、馬と海だけが根拠なら。ペラール説ってどこまで信用できるんだ?ってとこを検証するのが先だよ、
AN祖語と日本語の検証の前に日琉祖語を検証すべしってのは正論だけど、
その前に、ペラール説の検証だよ。
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- 907
- 2014/05/03(土) 03:04:17.07
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南は首里方言でンマヌファ(午の方)
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- 908
- 390
- 2014/05/03(土) 05:53:08.74
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ごめん、気になって897の
>3世紀あたりの日本語にeがなさそう
ってのを裏取りしようとしたんだけど、
しらべたらそれっぽいのがいくつかあった。
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/31704456.html
ここにまとまってるけど、
候補として挙げられそうなのは415とかにもあげた「難升米」の「米mai」(韻目「齊」)e2
あと「柄渠觚」の「柄piang」(韻目「映」)e1
どっちも人名っぽいし、はたして音韻として二重母音でなくきちんと/e/になってるのか?という疑問はあるけど、
一応上げておいた。
その一方で、i2の候補っぽいのは鬼・惟など複数みつかるんで、やっぱi2の方が成立は古いっぽい。
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- 909
- 2014/05/03(土) 10:30:22.67
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>>906
ペラールのこっちの論文では馬/海のほかに向かう/麦、百足/婿、臼/薬を挙げている。
http://www.academia.edu/4260621/Ryukyuan_perspectives_on_the_proto-Japonic_vowel_system
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- 910
- 2014/05/03(土) 10:35:10.04
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薩摩甑島の方言で「海」をオーミ、オミンナカなどと言う
ttp://hotarugaikegengokenkyuuzyo.web.fc2.com/vocabulary_Koshiki_Islands.xls
(漁業語彙の210)
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- 911
- 2014/05/03(土) 16:40:13.37
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英語かぁ
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- 912
- 2014/05/03(土) 17:01:21.85
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英語なら文句言うなよ、村山とか、ロシア語のポリワーノフ論文読んでたんだぞ
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- 913
- 2014/05/03(土) 20:56:34.99
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日本語で書いてくれてもいいんじゃないかっていう気持ちもわからんでもないけどな。
日本語と琉球諸語を比較した論文なら、読む人は日本語できない人とか想定できないしな。
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- 915
- 2014/05/04(日) 11:24:03.45
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そういえば、「日」も古琉球時代のかな文献でしばしば「へ」と書かれているが、
日琉祖語では*peなんだろうか?
たとえば、真珠湊碑文(1522年)の
ttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:522Ppy4p0NUJ:kaihousyoukoku.k.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421658+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
>四月九日きのとのとりのへに
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- 916
- 2014/05/04(日) 14:04:29.83
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昼がピルで蒜がペルなら、日はピになるんじゃないかなぁ。
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- 917
- 2014/05/04(日) 14:37:12.20
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>>908
奈良時代にも二重母音のままだったe2が魏志倭人伝で二重母音なのは自然だけど、同じようにe1も二重母音で表記されている
だから3世紀にはまだe1も無かったと思うんだよね
上代特殊仮名遣いはかなり新しい形で、8母音体系は4〜5世紀に誕生して8世紀には既に崩壊しかけていたかなり不安定で短い期間だけ存在した形だったんだと思う
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- 918
- 2014/05/05(月) 10:22:12.80
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>>879
そこは
>「類」と「系列」の所属語彙の違いを仮に無視するとしても、
というところで説明している。
かつては、琉球諸語の「系列」と、本土の「類」の所属語彙の違いを無視して、
二拍名詞なら琉球祖語のA系列が本土の一類・二類、B系列が三類、C系列が四類・五類に相当するように扱われることが多かった。
そうすると、琉球諸語でA/B/Cという区別を保持しているものは、本土だと1・2/3/4・5という外輪東京式と同じ区別の仕方になるし、
A/B・CというようにB系列とC系列が合流している方言は、本土だと1・2/3・4・5という西南九州二型式と同様の区別に相当する。
A・B/Cという合流の仕方なら、1・2・3/4・5という形に近く、博多方言に近い合流の仕方ということになる。
>>863は
>アクセントに関しては、どうみても西南九州アクセントのただの延長で、
と書いているが、仮に上記のように「類」と「系列」の違いを無視しても、外輪東京式相当や博多相当の区別がある以上、その説明はできない。
ところで、松森の系列論で指摘されているように、本土の一類・二類と琉球諸語のA系列はかなりよく対応するとしても、
B・C系列と三・四・五類の間には相当大きな所属語彙のズレがあり、三類だがC系列という語彙もいくつか存在するし、
四類・五類はB系列とC系列にほぼ半々に分かれて所属している。
そう考えると、ペラールのように
>「1・2/3/4・5の外輪式アクセントを示す方言が琉球列島に一つもない」
というのも全く正しい説明で、1・2/3/4・5という区別そのものを持った方言は琉球諸語には一つも無い。
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- 919
- 2014/05/05(月) 17:35:03.37
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>>829
質問スレがないんだけど?
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- 920
- 390
- 2014/05/05(月) 18:07:20.33
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おう、情報整理ありがとう。要は>>863に意見がいいたくて、例をあげただけで説明自体は不完全だったってこと?
説明自体はペラールのが正しいんだな?
アクセントの方は本筋から外れそうだけどちょっと面白いから考えてみた
多少大雑把だけど、2拍名詞のアクセントを分類すると
(1)日流祖形 1/2/3/4B/4C/5B/5C
(2)琉球諸語 12/34B5B/4C5C
(3)京阪式 1/23/4B4C/5B5C
(4)東京式 12/3/4B5B4C5C
(5)2式 12/34B5B4C5C
(6)1式 1234B5B4C5C
こんな風に別れるってことかな。
>>863では「西南九州アクセントのただの延長」って書いてるけど、上をざっと眺めると逆に
琉球諸語から西南九州式アクセントが派生した可能性だってあるわけだな。
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- 921
- 2014/05/05(月) 18:54:03.60
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1/2/3/4B/4C/5B/5C
の具体的な音高は何を想定しているんだ?
拍ごとに高低のどちらかが割り振られてそのパターンで類が分かれるとすると、
高高、高低、低低、低高、低(高低)で、もうパターンありえなくないか?
4B が(低高)高、4Cが低高で、5Bが(低高)低、5Cが低(高低)みたいにするのか?
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- 922
- 2014/05/05(月) 19:45:48.40
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とりあえずペラール説には2つ疑問があるんだけど
・琉球祖語のアクセントが院政京都アクセント(及びそこから遡れる上代平城京アクセント)に先行するという根拠は何?
・琉球諸語では狭母音化によりo→u,e→iという変化が本土方言からの分岐後に起きたと考えるのが定説だけど、これによる影響をペラール説では取り除けてるの?
アクセントは琉球諸語独自の変化の可能性も当然あるけど、ここまで琉球諸語のアクセントが院政京都アクセントに先行する根拠は全く示されてないよね
これを示してくれなきゃ話にならない
母音に関しては琉球諸語で狭母音化が起きたならば、その影響でiとuが本土方言と多重対応を示すのはある意味当然
事実、ペラール説の内容はそのeとoに関するものだし
例に出された多重対応が狭母音化による後代のものではないという根拠と、狭母音化に因らないiとuの多重対応があるのかを示してほしい
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- 923
- 2014/05/05(月) 20:26:34.28
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>>921
今はアクセントにその痕跡が残っているかもしれないってだけで
その日流祖形の区別も高低アクセントだったとする必要あるの?
ストレスだろうが有声無声だろうが母音の長短だろうが末尾子音の有無だろうが
なんでもよくね?
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- 924
- 2014/05/05(月) 20:45:56.11
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>>923
いやアクセント以外の要素が原因が区分が生じたってのもかまわないけども、
母音の長短や末尾子音の有無なんてうさんくさいものを立てようという気がしないのよな俺。
信憑性の低めの仮説をなりたたせるためにさらに信憑性の低いシナリオを必要とするわけだろ?
それよりはアクセントの合流の線がいきましょうってことよ。
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- 925
- 390
- 2014/05/05(月) 20:54:59.20
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>>922
俺もあんま詳しくないけど、今現在の理解で回答
> ・琉球祖語のアクセントが院政京都アクセント(及びそこから遡れる上代平城京アクセント)に先行するという根拠は何?
琉球諸語のアクセント区別である「系列」が、院政期京都アクセントである「類」と一部異なるアクセントになっているため。
>>920に示したとおり、3/4/5類に相当するアクセントが、それぞれバラバラにB系列・C系列にマッチするそうな
(具体例載ってるサイトないのでよくわからん・・・)
3類がC系列にマッチするのはレアケースなんで、二次変化の可能性もあるが、
4類・5類がB系列C系列に別れる法則が明らかになってないんで、素直に(このスレで何度か出てる比較言語学の王道で)解析すると
昔4B/4C/5B/5Cという区分があり、日琉分岐の際に別々に合流したっていうのが今回の説の流れ。
>・琉球諸語では狭母音化によりo→u,e→iという変化が本土方言からの分岐後に起きたと考えるのが定説だけど、これによる影響をペラール説では取り除けてるの?
本土方言でuに相当するものがuとNに別れるっていう話じゃなかったっけ
琉球諸語/本土方言
*u N/u
*o u/u
みたいな?>>922で上げている狭母音化は、琉球諸語/本土方言が u/oで対応する形なんで、別の現象だと思う
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- 927
- 2014/05/06(火) 06:26:06.50
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>>925
書き方が悪かった
狭母音化でoがuに、eがiに変化したら、玉突き的に元からあったuとiがそれぞれ別の母音になってもおかしくないじゃん
例えば、英語の大母音推移は2つの母音(iとu)の発音が変化したのをきっかけに玉突き的な変化によって起きてる
だから琉球諸語でも同じように狭母音化が起きた時に元からあったiとuの発音が変化して、それがペラール説の根拠であるiとuの上代語との多重対応の原因になってる可能性があるよね
その可能性をペラール説では取り除けてるのかを聞きたい
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- 928
- 2014/05/06(火) 07:33:40.99
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>>927
さすがにそのぐらいのことは考慮されてるよ。
琉球諸語の基本について知らない人も多いみたいなので、ここで振り返ってみたい。
日本語族のうち琉球語派は、大きく北奄美語群と南奄美語群に分かれる。
北奄美語群は奄美語、国頭語、沖縄語に、南奄美語群は宮古語、八重山語、与那国語に分けられる。
琉球諸語のうち首里・那覇方言を含む沖縄語が圧倒的に有名なため、「琉球諸語は3母音」と思っている人が多い。
確かに国頭語、沖縄語、与那国語では、イ段とエ段の母音が /i/ に、ウ段とオ段の母音が /u/ に合流している。
しかし、奄美語、宮古語、八重山語では、イ段とエ段の母音が区別されていて、短母音に関しては4母音が基本となっている。
奄美語ではイ段が前舌の /i/ でエ段が中舌の /ï/ となっている。
一方、宮古語、八重山語では、逆にエ段が前舌の /i/ で、イ段は摩擦の強い舌先母音 /ɿ/ となる。
/ɿ/ は特に宮古語で摩擦が強く、/s/ や /z/ のように振る舞うこともあるが、八重山語では方言により /i/ に変化していることもある。
一方で、ウ段とオ段は母音としては全ての方言で /u/ に合流している。
奄美語では一部に /o/ が対応することがあるが、前後の環境により、一度 /u/ に合流したものの一部が /o/ に変化したとも言われている。
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- 929
- 2014/05/06(火) 07:53:32.77
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琉球諸語では、イ段とウ段に対応する音節は子音側に変化が見られることも多い。
特に奄美語と国頭語では、イ段とウ段に対応する音節の子音に咽頭化が見られる方言が多い。
また閉音節が許容される方言(加計呂麻方言や宮古方言など)では、イ段やウ段の母音が脱落して閉音節になっていることもある。
例えば「き・ぎ」に対応する音節は沖縄語では子音が口蓋化して「チ・ジ」のようになっているし、与那国語では「ティ・ディ」になっている。
「に・ぬ」に対応する音節は撥音化して「ン」に変化していることが多いし、/-m/ という閉音節がある宮古語では「み・む」がその元であることが多い。
一方で、エ段とオ段に対応する音節は、母音が変化する一方で、子音は原型を保っている場合が多い。
半狭母音の狭母音化が起きたとき、イ段とウ段がエ段とオ段との区別を保とうとして、玉突き上に変化を起こしたと思われる。
全ての音節が変化を起こしたわけではなく、イ段とエ段、ウ段とオ段のそれぞれ一部が合流してしまっている場合ももちろんあるが、
ある方言だけを見ても元がどちらか判別できる場合は結構多いし、琉球諸語を突き合わせれば祖語でどちらだったかは基本的に分かる。
上記のことを考慮しつつ、現代琉球諸語の祖語の母音体系を再構すると、基本的には中古日本語と同様の5母音になるが、
本土方言では /i/ なのに琉球祖語では /*e/ になったり、本土方言では /u/ なのに琉球祖語では /*o/ になるものが一部にある。
それがペラール説の根拠になっている。
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- 930
- 2014/05/06(火) 10:25:49.34
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>>928
方言周圏論みたいな感じだな。
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- 931
- 2014/05/06(火) 10:28:14.86
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>>925
日本語の「類」と、琉球語の「系列」対応の具体例
一拍名詞
一類 - A系列 毛・血・帆・実
二類 - A系列 名・葉・日
三類 - B系列 木・酢・手・荷・根・火・穂・目・湯
五類 - B系列 歯
二拍名詞
一類 - A系列 飴・蟻・烏賊・魚・牛・上・風・釜・傷・釘・口・鍬・腰・酒・下・裾・袖・鷹・筒・鳥・西・布・箱・鼻・羽・髭・筆・星・右・水・虫・森・枝・嫁
二類 - A系列 痣・石・歌・音・紙・牙・旅・橋・旗・人・冬・胸
三類 - A系列 実(さね)
三類 - B系列 犬・芋・色・馬・亀・草・雲・米・島・汁・脛・綱・角・面・波・糠・花・豆・耳・山・斧
三類 - C系列 瓶・蚤・浜・骨
四類 - B系列 板・瓜・傘・肩・角・鎌・汁・他・味噌・蓑・麦・藁
四類 - C系列 息・糸・臼・海・中・針・船・箆・末
五類 - B系列 雨・腿・夜
五類 - C系列 影・声・足袋・露・鍋・前・桶
三拍名詞
一類 - A系列 踊り・飾り・鰹・竈・鎖・毛虫・桜・印・畳・隣・寝言・鼻血・祭り・六日・涎・夫
一類 - B系列 車
一類 - C系列 昔
二類 - A系列 二人・三つ・六つ・八つ・四つ
三類 - A系列 黄金・力
四類 - B系列 戦・鏡・暦・俵・袴
四類 - C系列 扇・刀・瓦・昨日・言葉・白髪・硯・筵
五類 - B系列 油・五つ・命・胡瓜・涙・枕
五類 - C系列 蜻蛉・従兄弟・親子・襷・情け・柱
六類 - C系列 兎・鰻・虱・裸
七類 - C系列 蚕・薬・鯨・盥・畑・一つ・一人
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- 932
- 2014/05/06(火) 18:35:00.20
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命(ヌチ)涙(ナダ)みたいに琉球方言で拍数が少なくなってる語って
アクセントを考える場合は他の語と一緒でもおkなの?
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- 933
- 2014/05/06(火) 19:22:26.39
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>>932
琉球諸語において、上古・中古日本語や現代共通語と比較して
音韻変化の結果拍数が増えたり減ったりしている語はたくさんあるが、
「系列」は原則として保存される。
例えば三拍のC系列の語が音韻変化で二拍になっていても、その方言における二拍のC系列のアクセントで現れる。
逆に二拍のB系列の語が三拍に伸びていても、三拍のC系列語として現れる。
中古日本語の「高起/低起」の区別と、西南九州二型式の「A型/B型」の区別が、拍数が違っても保存されているのと似ている。
琉球諸語のアクセントは、三型式アクセントの振る舞いに近いと言えるかもしれない。
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- 935
- 2014/05/06(火) 20:49:26.63
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>>920
>琉球諸語から西南九州式アクセントが派生した可能性だってあるわけだな。
そこはペラール説の「琉球祖語は9〜11世紀まで九州に在地した」って部分と繋がってくんのかね
どうしても根拠が薄弱なんでまともな学問の俎上に載せがたいんだけど
やっぱりミッシングリンクは隼人なんだと思うよ
隼人語は日本語族であり
琉球祖語とは隼人語であり
九州のいくつかの方言の基層もまた隼人語である
(9〜11世紀まで下るなら「末期隼人語」「ポスト隼人語」と言うべきか)
隼人というピースを入れるとパズルがぴったりはまるんだよね
さらにもっと妄想で補完すると
言語年代学で日琉分岐が紀元前後とか出るのは
弥生化した縄文人=西北九州弥生人の話す「クレオール弥生語(仮)」の成立した年代
西北九州弥生人→狗奴国→熊襲→隼人→貴海国→グスク文化=琉球王国 と時代が下るにつれ南へ遷移した
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- 937
- 2014/05/06(火) 22:31:37.53
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そこはいろいろと政治的にも微妙な問題だが
琉球諸語で日本本土を「大和」、日本本土人を「大和人」に対応する語で言うところがキモだと思うんだよ
少なくとも明治までは「大和」の埒外にあると自認していたということ
そもそも熊襲や隼人が厳密な意味でどこまで「異民族」だったのかもわからない
皇室までもが正史において南九州の出自で隼人と同祖だと自ら表明しているくらいだ
大和国家成立の時に統一されずそのまま数百年残った同族の分派だったかもしれない
今となっては歴史の闇の中だが、畿内日本語とさほど変わらない言語(方言)を喋ってた可能性もあるんじゃ?
まあいくら言っても妄想の域を出ないけどねw
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- 938
- 2014/05/06(火) 23:19:18.84
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ヤマトンチュ、ヤマトって言い方はどれぐらい古いのかな?
日本が対外的にヤマトって言ってた頃から、日本に変更する前に、
琉球諸語で日本の謂いとしてヤマトが言われてたのか、
もっと新しい時代のような気もするんだけど。
平安期には、日本の対外呼称は日本になってると思うんだが。
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- 939
- 2014/05/06(火) 23:24:17.14
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途中で書き込みしちゃったけど、続き、
都市国家ローマが領域国家ローマを表すし、
漢中地方から中国統一した漢王朝が漢という領域国家になったけど、
三輪山の東の狭い地域の大和が盆地全体の地域名に、日本列島全体の領域国家名に成長したのなら、
それが対外呼称として使われた時期って、かなり短期間だよね、復古的に江戸時代に大和って言う言葉が、
また国学者が使いだすけど。
比較的、新しい時代の言葉だと思うんだよね、ヤマト、ヤマトンチュって
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