facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

  • 863
  •  
  • 2014/04/30(水) 01:24:30.42
ちょっとだけ交通整理。

ペラール説の「恐るべき」キモは、すでに指摘されているけど、
日琉祖語の想定母音「6」が、内的構成の「大野4」に「先行する」と考えていること。
つまり、6→4→8(7)→5となる。論旨が短すぎるが、大野4自体は、否定されていない。
844の批判が鋭く的確であって、大野4自体と、「ANが4であること」は、
たとえ大野自身が勝手に妄想(?)していたという事実があったとしても、論理的に別の話。

ペラールは、大野の内的再構に【先行する】問題を、比較言語学的に論じている話で、示唆するところは大きい。
大野の再構で閉じてしまった議論を、再び開かせる意義がある。
従来の他の説が、大野の先(プレ大野)を見通していた可能性もあるからだ。
俺は山口説に注意を喚起してみた(丸投げだけどさw)けど、服部説なども含めて、
従来、「大野4&8‐森7モデル」に駆逐されたとされた各説についても、再考すべき価値はあると思う。


なお、俺は琉球方言の分岐年代に関しては、「こだわるべきではない」と思っている。
切り込み方を変えると、全く異なる年代が出てくるのが琉球方言。
アクセントに関しては、どうみても西南九州アクセントのただの延長で、論理的には14世紀以降という数字すら出てくる。
俺自身は、松森ABC説は、緩やかながら傾向を持っている以上、二次変化と理解しているので、
現在の近畿以上の古形は、アクセントについては無いと理解している。
にも関わらず、ペラールはここでも平安末京都の5+αに、当然のものとして、そのままABCを「足し上げる」ので、
それで、「方法論的インフレ説」と言ったのさ。

ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード