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  • 1
  •  
  • 2012/06/23(土) 20:31:32.19
前スレ:上代特殊仮名遣い
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1305988303/

立てた

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  • 856
  •  
  • 2014/04/28(月) 22:22:03.07
>>854
「9世紀近辺に持っていかざるをえない」「みんな悩んでる」って、そんなこと本当に言えるだろうか?
9世紀説を支持してる人ってほとんど見たことがないが…

ハ行転呼は結局「語中での有声化」「語中での摩擦の弱化」というごく普遍的な音韻変化の組み合わせ。
よくある音韻変化が共通に見られるとしても、「共通改新」と捉えて何の問題もない。
ハ行のp音の保存、ア行エとヤ行エの区別の保存、イ・エ・オとヰ・ヱ・ヲの区別の保存など、
これらは9世紀よりも前に分岐したと考えないと説明できない。

例えばゲルマン祖語の *īsą は英語でもドイツ語でも /aɪs/ になっているけど、
これをもって英語とドイツ語の分岐は17世紀以降だとは言えないし、
北京語でも広東語でもいわゆる尖団の区別が失われて合流しているけど、
それをもって北京語と広東語の分岐は清代以降だとは言えない。

さらに言うなら、ハ行転呼に限ったって、琉球諸語では「大」(おほ)を「ウプ」「ウフ」のような語形で残している方言が多いという事実がある。
円唇母音 /o/ に挟まれた環境では /p/ がハ行転呼を受けずに残った例と見られる。9世紀以降の分岐とするとこの説明は難しい。

あと、根拠としてはだいぶ弱くなるが、言語年代学的な推定でも琉球諸語と日本語との分岐は9世紀よりかなり古い結果になることが多い。
誤差も大きいから何とも言えないけど、一般的に考えても、分岐から1000年強にしては基礎語彙の違いが大きすぎる。

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  • 857
  •  
  • 2014/04/28(月) 23:21:30.26
だで、9じゃ無くて7世紀だら?

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  • 858
  • 390
  • 2014/04/29(火) 07:47:37.64
>>856
「9世紀近辺に持っていかざるを得ない」のは「ハ行転呼音だけ素直に観察すると」だよな。
他の言語事実をみるとそうとも限らないし、俺も9世紀に分岐は遅すぎだとおもうぜ。

ちなみにじゃあいつ分岐したかについては、まだ定説になるような結論は出てないんじゃない?

俺としては3〜5世紀の間、日本語に末尾子音や語頭の濁音が完全に消えたあたりだと思う。
(3世紀あたりには難升米[nansimai]やら投馬[duma]などの発音が残っていた)

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  • 859
  •  
  • 2014/04/29(火) 16:34:59.02
琉球方言の分岐は少なくとも8母音体系が崩壊した後だと考えるのが定説だったと思うんだけど違うの?
だから9世紀頃って言ったんだけど
遅いものだと、11世紀〜12世紀頃の分岐とする説もあるよね

いずれにせよ、上の資料だけでは説を肯定するにも否定するにもあまりにも簡潔すぎる
あれだけじゃ「こういう説もあるんだ」としか言いようがないし、独自の解釈でもいいからもう少し深く説明してほしい

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  • 860
  •  
  • 2014/04/29(火) 18:24:07.75
>>897
横レススマソが広東語は尖団の区別は失われてないんだが(´・ω・`)

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  • 861
  •  
  • 2014/04/29(火) 22:00:05.18
>>859
琉球諸語では日琉祖語の*uiと*əi(上代日本語ではいずれもイ乙類になった)の区別がかなり明確に保存されているから、上代日本語よりも古い時代に分岐したのは間違いない
ペラールの論文にあるように、波照間方言では*ki、*kui、*kəiが相互に区別されていたりする
八母音体系が完全に崩壊した後に分岐したあとに分岐したなら、こんな現象はあり得ない。

波照間方言を抜きにすれば琉球諸語は確かに5母音体系の祖語に遡れるように見えるが、
それでも日琉祖語の*uiが琉球祖語の*iに、日琉祖語の*əiが琉球祖語の*eに対応している
例えば「木」は琉球祖語で*keとなるように見えるがこれは*kəiだからだし、「落ちる」は*oteruのように見えるがこれは*ətəiruだからだと考えられる。

ハ行にp音を保存しているのも本土の中央語では9世紀前期には失われていた特徴だし、オとヲの区別も10世紀前期には失われた特徴。
11〜12世紀なんて推定はほとんど見たことがないし、間違っても定説ではあり得ない。
確かにその時期に入ったと推定できる借用語などはあるが、こういう場合は古いほうが分岐年代で、新しいほうは共通改新や借用と見なすべき。

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  • 862
  •  
  • 2014/04/30(水) 01:05:22.16
上代日本語で短母音化した二重母音の区別が残っているだけなら、それは別にAN語との関係で問題ではないよね。
二重母音の6母音なら、整合的に4母音説に取り込める。

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  • 863
  • 699
  • 2014/04/30(水) 01:24:30.42
ちょっとだけ交通整理。

ペラール説の「恐るべき」キモは、すでに指摘されているけど、
日琉祖語の想定母音「6」が、内的構成の「大野4」に「先行する」と考えていること。
つまり、6→4→8(7)→5となる。論旨が短すぎるが、大野4自体は、否定されていない。
844の批判が鋭く的確であって、大野4自体と、「ANが4であること」は、
たとえ大野自身が勝手に妄想(?)していたという事実があったとしても、論理的に別の話。

ペラールは、大野の内的再構に【先行する】問題を、比較言語学的に論じている話で、示唆するところは大きい。
大野の再構で閉じてしまった議論を、再び開かせる意義がある。
従来の他の説が、大野の先(プレ大野)を見通していた可能性もあるからだ。
俺は山口説に注意を喚起してみた(丸投げだけどさw)けど、服部説なども含めて、
従来、「大野4&8‐森7モデル」に駆逐されたとされた各説についても、再考すべき価値はあると思う。


なお、俺は琉球方言の分岐年代に関しては、「こだわるべきではない」と思っている。
切り込み方を変えると、全く異なる年代が出てくるのが琉球方言。
アクセントに関しては、どうみても西南九州アクセントのただの延長で、論理的には14世紀以降という数字すら出てくる。
俺自身は、松森ABC説は、緩やかながら傾向を持っている以上、二次変化と理解しているので、
現在の近畿以上の古形は、アクセントについては無いと理解している。
にも関わらず、ペラールはここでも平安末京都の5+αに、当然のものとして、そのままABCを「足し上げる」ので、
それで、「方法論的インフレ説」と言ったのさ。

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  • 864
  •  
  • 2014/04/30(水) 06:50:56.26
>>863
>アクセントに関しては、どうみても西南九州アクセントのただの延長で、論理的には14世紀以降という数字すら出てくる。
>俺自身は、松森ABC説は、緩やかながら傾向を持っている以上、二次変化と理解しているので、
>現在の近畿以上の古形は、アクセントについては無いと理解している。

いやいやいやいやいや、そんなむちゃくちゃな…

松森説は明らかに琉球祖語に日本祖語とは別のアクセント区分があったことを示しているし、
日本祖語と琉球祖語で別の区分が再構できる以上、それを組み合わせた日琉祖語には
さらに別の区分が再構できると考えるのは比較言語学的に至極真っ当だろう

日本祖語の「類」と琉球祖語の「系列」の違いが、アクセントの中に閉じる問題か(例えば長母音と関係があるなど)という問題はあるが、
この2つの違いは、歴史時代以前の、日本語のアクセントや音韻を探る重要な鍵になりうる情報だろう。

「二次変化」というのは、例えば外輪東京式に対する北奥羽式などで見られるように、
明確な条件によって祖形からの変化が説明できるような場合に用いるべき。
日本祖語の「類」から琉球祖語の「系列」を説明しようとしても、その「二次変化」の条件は説明できない。

二拍名詞四類・五類のどの語がB系列で、どの語がC系列になるか、日本祖語をいくら眺めてもその情報は出てこない。
そうである以上、日琉祖語には何らかの別の区分を立てるのが比較言語学的な常道だろう。
繰り返しになるが、規則も立てられないのに「二次変化」などの説明に逃げるべきではない。

アクセントの問題は、音韻の問題(特に上代特殊仮名遣を含む母音の問題)と決して無関係ではないと考えられるから、
そこで「西南九州アクセントのただの延長」などとおかしな理解をしているようでは困る。

ここまで見た
  • 865
  •  
  • 2014/04/30(水) 06:58:20.21
一応念の為に補足しておくと(これは単なる書き間違いと思うが)
「類」と「系列」の所属語彙の違いを仮に無視するとしても、
琉球祖語に立てられるのは、二拍名詞で1・2/3・4・5の「西南九州二型式」に近いアクセントではなく、
1・2/3/4・5の「外輪東京式」に近いアクセント。

二拍名詞に3つの型を区別する、外輪東京式に近いアクセントは、
徳之島、沖永良部島、沖縄本島北部、那覇、久米島、与那国島など各地に分布しており、
各方言で明確な対応が見られる。

ここまで見た
  • 866
  •  
  • 2014/04/30(水) 08:09:50.28
大野4に先行して、ペラール6があるとするなら、
大野4は上代語と琉球諸語分岐語ということになるのかな?
大野4〜上代8(森二重母音含む)〜現代5という流れを見ると、
中舌母音や二重母音が形成されては、前舌母音や後舌母音に合流して消えていくというのを繰り返していて、
そういった中舌母音や二重母音が大野4以前にあったのが、ペラール6の正体と考えればいいのかな。
てっとり早く理解するなら。

ここまで見た
  • 867
  •  
  • 2014/04/30(水) 08:10:42.60
867
二行目訂正
大野4は上代語と琉球諸語の分岐後ということになるのかな?

ここまで見た
  • 868
  •  
  • 2014/04/30(水) 11:55:50.22
6-4-8母音をへたって、5母音化以後は大体安定して1000年以上続いてるのに
その前の日本語どんだけ母音変わってんだよと思うね。

ここまで見た
  • 869
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  • 2014/04/30(水) 12:15:29.27
a, i, u, e, o の5母音体系が特別に安定だから、それにいったん到達した言語はしばらく安定した状態を保ちやすいというだけで、
それ以前には激しい変化があっても別に不思議じゃないと思うよ。

例えばスペイン語はここ数百年目立った母音変化が無いようだけど、
英語、フランス語、朝鮮語などの母音変化はめまぐるしい。

ここまで見た
  • 870
  •  
  • 2014/04/30(水) 12:32:47.08
俺は5母音が安定してるから、1000年も安定してるとは思わないなぁ。
やっぱり、中舌母音は不安定なんだよ、だから、生まれては前舌母音や後舌母音に合流しちゃう。
けど、そんな不安定な中舌母音や二重母音も、普通に前舌母音や後舌母音の連続の中で生まれちゃう。
そこで、1000年の安定を作ったのは、日本語がモーラ言語になったからじゃないかな。
直観的な考えで、なんの根拠もないけど

ここまで見た
  • 871
  •  
  • 2014/04/30(水) 13:28:14.58
本州だけでも5母音ではなくなった方言が山ほどあるからモーラは関係無さそう。

ここまで見た
  • 872
  •  
  • 2014/04/30(水) 14:13:33.32
>>804
遅レスですが、作ってみました。
美味しかったです。

ここまで見た
  • 873
  • 390
  • 2014/04/30(水) 15:52:41.42
いや室町時代に6母音体系になってるし、特別5母音で安定してるわけじゃないよ

ここまで見た
  • 874
  •  
  • 2014/04/30(水) 18:03:08.42
長母音に限って言えば、アウの融合で開音のオーが発生して、17世紀に消滅するまでの3〜4世紀ほどは6母音体系だったね。
短母音は変化しなかったけど、連母音の発生と融合による長母音の発生、長母音の合流というのはそれなりの変化とも言える。

ここまで見た
  • 875
  •  
  • 2014/04/30(水) 19:59:30.56
>>874
そこなんだよね、短母音は変化しなかったけど、連母音の発生と融合による長母音の発生と合流って、
俺が直観的に日本語がモーラ言語だったからだと思うんだよね。
イウって発音はユーになるし、ウイはウイだし、エオはエオで、オエはオエだけど、
これ、モーラの縛りなくて、英語みたいなストレスアクセントで、ストレスとストレスが等間隔になってリズムの等時性があると、
ストレスとストレスの間のストレスが来ない部分が長いと早口言葉みたいになるし、弱いアクセントしかないからはっきり発音しない弱形になるし、
そういうモーラがない環境が、中舌母音や二重母音を生み出しやすいんじゃないかって思うんだよね、根拠なしに直観だけど。
けど、しっかりモーラあれば、短母音が連続しても、中舌母音は生み出されない、それが、まがりなりにも安定的な1000年を産んだんじゃないかなって思う。

ここまで見た
  • 876
  • 699
  • 2014/04/30(水) 20:06:59.55
>>864-866
批判はご尤も。現在の通説からすれば、そういう批判が来るのが当然でしょう。
ちょっと踏み込み過ぎましたかね。アクセント論に関しては、
私がちょっと風変わりな独自の説を持っているので、うっかり踏み込み過ぎました。
古い説の筆致でごまかそうと思ったけれど、ごまかしきれなかったw

ちょっとスレチになりますが、琉球方言のアクセント論について、私の見解を簡単に述べようと思います。
まだまだ練られておらず、みなさんどころか、藤井も含めて叩かれるような面がありますが、
その点は分かっておりますので、ご容赦ください。考える種としての試論の試論として。

理解の鍵は、平安京都アクセントを記した類義抄自体の、「類番号の配列」にあります。
これ、なんとなく並べているのではありません。
L・高起類が先、低起類が後。
M・下がり目・上がり目が遅いほうが先、早い(語頭に近い)ほうが後。
ポイントは、Mの法則にあります。2音節名詞の表と、3音節名詞の表と、
松森ABCと類義抄アクセントの類を対応させた表を、少し眺めてみてください。あることに気づきませんか?

「類番号が大きいほど、C系に偏る(類番号が小さいほど、B系に偏る)」のです。

そして、3音節名詞6類7類に至っては、C系列一択になります。3音節で混乱しているのは4類5類だけ。

ここまで見た
  • 877
  • 699
  • 2014/04/30(水) 20:19:09.80
3拍6・7類(C一択)を、4・5類(BC混在)と分けるものは?と問われれば、
これは、アクセント史に関する理解があれば、次から次へと出てくるでしょう。

甲種で言えば、67類は「平安来の下がり目を保存している」とも言えますし、「平安来の純正低起類」ともいえる。
反対に、45類は、いわゆる「せり上がり現象」を経て、「低起から高起への鞍替え」がおきている。

他にもいろんな見方が可能です。乙種外輪に関する古典的通説で言えば、
外輪において、理論上「頭高型になる」のが67類。「起伏型になる」のが45類。
なお、外輪の場合は123類(A系列)は、「平板型」で統一されます。

ただ、この原則は2音節名詞では当てはまらない。
しかし、3音節名詞をひな形として見ると、
2音節名詞においても、よく似た「傾斜」が見られる。2音節3類はB系に偏り、5類はC系に偏る。
そして、3音節4類も、統計有意とまでは言えないけど、5類よりはB系よりになる。
おそらく、鍵は、低平類(低起平板類=2拍3類、3拍4類)の、通時的動向であるように見える。

ここで気づくのは、西南九州と琉球方言では、低平類を無標にする傾向が強く、代わりに高平類を有標にする傾向が強い、
まとまったものとしては、全国でも珍しい方言である、ということ。
西南九州2型が、広い範囲でこのmarkの逆転が見られることと、松森の系列論は、同系統ではないか?

ここまで見た
  • 878
  • 699
  • 2014/04/30(水) 20:27:45.36
立論自体が、まだ議論の体をなしていないことは明らかですが、少なくとも次のことは言えるだろう。
松森ABC系列論は、従来の本土アクセントの「類」の諸相と、非常に強い相関を持っていて、
単純に、「祖アクセントにおいて、未知の区別を保存しているものと考える」ことは、難しいのではないか。
ペラールよろしく、
日琉祖語の2音節名詞は、
「1 2 3B 3C 4B 4C 5B 5C (+6 7 8 9)の、8類(例外も含め12類)が存在したのです」
というのは、作業仮説としてはあり得ても、
これが本筋ではないと思うんだ。作業仮説としては非常に有益なんだけどね。
これが、私の言うところの「方法論としてのインフレ論」ということ。

以上が、さらっと書いた864の真意です。
ご批判は甘んじて受けます。

ここまで見た
  • 879
  • 390
  • 2014/05/01(木) 07:24:36.60
>>865
アクセントはあんま詳しくないから変な突っ込みかもしれないけど、

> 琉球祖語に立てられるのは、二拍名詞で1・2/3・4・5の「西南九州二型式」に近いアクセントではなく、
> 1・2/3/4・5の「外輪東京式」に近いアクセント。

先のペラールのpdf見ると
「1・2/3/4・5の外輪式アクセントを示す方言が琉球列島に一つもない」なんて書いてない?
むしろ琉球諸語で確立できるのは1・2/3・4・5/4・5(3類がB系列に割当たるのは例外っぽい)

それぞれ概略しか見たことないからどっちが正しいのかさっぱり判断付かないけど、
どれ信用したらいいのコレ

ここまで見た
  • 880
  • 390
  • 2014/05/01(木) 07:40:44.55
あと、本土日本語のアクセントの類って、最大さかのぼれるのは11世紀末(類聚名義抄成立付近)でしょ?
ってことはアクセントの問題だけを突き詰めたところで、日琉分岐は一番遅くて11世紀あたりまで設定することが可能じゃん。

つーわけで、>>863には琉球方言の分岐年代を「こだわるべきではない」と書いてるけど、
こと上代特殊仮名遣いをメインテーマとして考える場合、むしろアクセントの問題の方が「こだわるべきではない」問題のように思える。

俺としてはアクセントより琉球諸語におけるi2の2つの割り当ての方が気になるわー。
>>821あたりで指摘されてるけど、iui・o1i・o2iの組み合わせは素直にi2になったものばかりでは
ないような片鱗を見せてるし、
琉球語への対応を詳しく見ると何か見えてくるかもしれない

ここまで見た
  • 881
  •  
  • 2014/05/01(木) 09:37:06.92
873ですが、
朝になったらおでこと頬っぺたと鼻にニキビできてました。
心当たりは>>804だけです、ニキビが出やすい料理だと思われます。
お気をつけ下さい。

ここまで見た
  • 882
  •  
  • 2014/05/01(木) 12:30:23.01
>>878
その仮説の安直な反論として「2音節の名詞に8つもパターンを設けるのは
弁別のための余剰が大きすぎて不自然」が考えられる。
単音節言語ならともかく、2音節ならアクセントの区別がなくとも同音異義語はかなり回避できるのに、
そのうえ8種のアクセントを使い分ける意味があるのか。
本土方言が5母音+アルファで共通しているのに対してアクセントはかなりまちまちであることからして、
母音の音価と音素数よりもアクセントのほうがより変化しやすいと考える。
8アクセントができても本土琉球の分岐の前にすぐ崩壊したと思うね。

ここまで見た
  • 883
  •  
  • 2014/05/01(木) 12:48:04.37
>>736がやっちゃったんじゃないかな。
>奈良時代の彦(piko)に対応する狗奴国語の発音が卑狗(piek?u)なのがo1とuの弁別をややこしくしてるんだろうけど
これって、ペラールさんのいう、ウとオが上代の奈良方言で合流しちゃったんじゃね?
って話とパラレルだよね?魏志倭人伝時代が日琉祖語の6母音と、整合が取れてるよねってなると、
邪馬台国畿内説が崩壊して、邪馬台国は九州方言で採取されて、それが日琉祖語でしたっていう話を補強するよね。

ここまで見た
  • 884
  •  
  • 2014/05/01(木) 13:07:32.42
上古漢語の発音も分かっていないのに
仮定の上に仮定を乗せすぎた話は避けるべきだと思う。

ここまで見た
  • 885
  •  
  • 2014/05/01(木) 13:42:19.11
邪馬台国畿内説だと、邪馬台国は大和で狗奴国は三遠式土器の三河や遠州を想定する。
しかし、邪馬台国九州説だと、邪馬台国は北九州で狗奴国は南九州を想定してる。
で、ペラールさんは、オがウとオに分かれるといってるとなると、
狗奴国のピクは、琉球祖語と上代日本語の対応と合致するよねって想定しても問題はないでしょ。
というか、東遷説を補強するよね、これって。

ここまで見た
  • 886
  •  
  • 2014/05/01(木) 13:48:38.76
アクセントに関しては、>>880の指摘の通り琉球諸語のそれが上代日本語に先行するとは限らないんじゃないの?
院政京都アクセントと上代日本語の漢字の声調はほぼ一致するから日本語のアクセントは奈良時代にまでは遡れるけど、奈良時代の平城京アクセントより琉球祖語アクセントが古いとは限らないじゃん


>>861
ありがとう
改めてリンク先も読んでみたけど、琉球諸語の分岐は恐らく上代以前で間違いないね

ところで、リンク先ではki(木)の琉球祖語をkeって再構されてるけど、それならeが日琉祖語に遡る根拠が無くない?
琉球祖語にeが存在したことは認めるけど、それなら本土方言と違って琉球諸語ではo2iがeに変化したと考えればeの起源を説明できる
上でも書いたように上代日本語でもto2no2+i1ri1=でto2ne2ri1になった例があるし、むしろこの母音融合は自然
リンク先では昼と蒜の区別が根拠に挙げられてるけど、これも琉球祖語でアクセントが変化した際に同音異義語の発生を避けるために変化したとも考えられる
この説の最大の焦点はeの起源だと思うんだけど、そのeについての例がリンク先ではこの2つしか挙げられてないから何とも


>>883
まず、畿内説は考古学で既に事実上の定説になってるから言語学的なアプローチでそれを覆すのは無理がある

というか百歩譲って魏志倭人伝の日本語が九州方言だとしても、それが日琉祖語だとするのは無理でしょ
魏志倭人伝の日本語には明らかにeが存在しない

ここまで見た
  • 887
  •  
  • 2014/05/01(木) 14:17:07.99
>>886
考古学上の問題は、ここの言語学板で論議でしても仕方ないからせんが、鐙問題があるし、東遷説なら、一世代で北九州勢力が吉備勢力と結合して畿内制圧したという仮定と矛盾しない。
そもそも、機内各地の戦国時代でいう掘りを持った集落が掘りを放棄した年代との合致もできる。
それ以前には、狼煙の昨日をもった高地性集落が、東遷時期を境にして、放棄されているという事実もある。
考古学的に北九州説が成り立たないというのは、発掘がニュータウン建設に伴う工事が多い奈良盆地の特殊事情を我田引鉄した畿内説のプロパガンダと言える。
まぁ、それはいい、この言語板でそれは言わない。
北九州に大野4勢力、南九州にペラール6勢力があったとすればいい。
そうすれば、邪馬台国のヒコが狗奴国のピクになってる説明はつく、これは、邪馬台国九州説の反撃の狼煙だよ。
気分的に、進撃の巨人だよ、エレンになった気分だよ、言語学は周辺分野でちゃんと勉強してないけど、この板をチェックしててよかった。
本腰いれて、ちょっとやる気になってる、囚われた屈辱は、反撃の嚆矢だって感じだよ。

ここまで見た
  • 888
  •  
  • 2014/05/01(木) 14:24:25.44
つまり、魏志倭人伝にエがないのは、それは大野4がエをないって言ってたののと無人しない。北九州だ。
けど、コがクなってる、狗奴国でクになるなら、それはペラール6を示唆してるっていうこだってことだよ。
三遠が狗奴国なら、ペラール6母音的なものが沖縄から発見されたっていうのは、
畿内説にとっては、致命傷になるよね、ちょっと、一時的にだけど、言語学に本腰いれるわ。
救われるかもしれん、おれ

ここまで見た
  • 889
  •  
  • 2014/05/01(木) 15:10:52.79
スレ伸びてるから何か来たかと思ったらまともな議論で良かったw
まあ践むべき順序としては>>843の言う通りだよね
ペラールの、祖語にe*とo*を建てて日本祖語でi*、u*と合流したと考える説は検討する価値あると思う
つーか前に>>539-540でそれっぽいことを言ってみたんだが案の定サクッと却下されたw

ここまで見た
  • 890
  •  
  • 2014/05/01(木) 15:54:54.21
>>847
台湾諸語は一度大陸に渡ってから台湾に戻ってきたので日本とフィリピンは周圏的分布になった…なんて考えるのは無理あるか
>>851
往々にしておもろの語彙が沖縄よりも先島や奄美に残ってたりするけどね
おもろさうし自体にも奄美関連の歌が若干あって、奄美出身者から採録された可能性も捨てきれない
>>856
ハ行転呼しないのは「大」やごく少数の語に限られた例で、琉球のどの方言でもほとんどの語彙で転呼するのが一般的では?
>ア行エとヤ行エの区別の保存、イ・エ・オとヰ・ヱ・ヲの区別の保存など、
これは違例も少しあるんだよね(得る→ji:juN、終はる→?uwajuN、など)
というか9世紀じゃ畿内でもそれらの変化が始まったばかりで早すぎないか?
>>861
「落ちる」については、別の上二段動詞「出来る」*dekeruもあるからそこまで古いと断定していいのかどうか
上二段動詞は九州諸方言で多様な形で現れるんでそちらも絡めて考える必要があるかもしれない
>>876-878
うーん、それは気づかなかった!
>>886
本当にeは存在しないのか?漢字音の再構次第でどうとも言えそうだけど

ここまで見た
  • 891
  •  
  • 2014/05/01(木) 16:05:23.44
つーか邪馬台国まで絡めちゃうと、場合によっては、
畿内というか瀬戸内以東の方言と西南九州方言の分岐を考えて、
さらにそれと琉球祖語の分岐との後先まで考えなきゃいけないかもしれないな

しかし問題を難しくしてるのは、おそらく琉球方言が歴史上常に、または断続的にかなり長い間
九州やその他本土の方言と接触していたであろうことだよね
何が祖語由来で何が何時の借用やらわかったもんじゃないし
近現代に起きた琉球方言と本土標準語の接触によるウチナーヤマトグチの誕生のようなプロセスが
実は琉球列島や故地たる九州で過去に何回も起きていたかもしれない

あと思ったんだけど、上代東国〜伊豆諸島〜八丈島の方言と琉球祖語って有史以降のどこかで接触してないかな?
海流的に流れ着きやすいみたいだしどっちも為朝伝説がある
八丈方言の論文見てたら「一つ」を「テツ」というようなんだが、これ琉球と共通だ
古琉球で「木」を「け」というのも東国から伊豆経由の流れの可能性が考えられるかも?
琉球でタ行四段動詞の禁止形が「持つな」=「ムトゥナ」<*motonaのように*-toに遡りうる形なのも
上代東国や八丈の連体形と関係あるんだろうか?
肝心な八丈の禁止形がわからないのでアレだが

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  • 892
  •  
  • 2014/05/01(木) 16:28:37.44
>>891
王朝国家時代の道による区分の南海道を思い起こさせるな。
紀州根来の津田算長が種子島と交易して鉄砲をいちはやく入手したという伝承も想起させるし、
紀州の熊野灘周りの交易船が船に流された時、八丈島によって水や食料を補給したという慣行もある。
実際に、そうした場合に八丈島に流された宇喜多秀家が福島正則が江戸に運ぶ酒をおねだりして一樽恵んでもらったという話もある。
海路があるなら、東北の北前船の寄港地が上方方言と類似して、内陸部の東北方言と隔絶してるという現象もある。

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  • 893
  •  
  • 2014/05/01(木) 16:35:25.31
「てつ」だったら「ひとつ」に対して崩れた「ひてつ」という異形が各地に勢力が弱いながらあっただけじゃないの。

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  • 894
  •  
  • 2014/05/01(木) 16:41:25.10
ここは言語学板なんだから「邪馬台国はどこか」は単なる板違い。
そういう話を始めると無知低脳キチガイが雪崩れ込んできてスレがゴミだらけになる。

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  • 895
  •  
  • 2014/05/01(木) 16:53:35.33
>>893
「ひてつ」と「ひとつ」とくれば、「けけれ」と「こころ」の万葉集の東国方言とぴったりあってしまう。
崩れた異形と言い難い。

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  • 896
  • 390
  • 2014/05/01(木) 22:19:14.38
なんか雰囲気でペラール(元ネタは服部四郎?)説が広く受け入れられつつあるけど、大丈夫か。
今のところ根拠として提示されてるデータは昼/蒜と馬/海の対立だけだぞ。

ペラールや>>539は八丈方言や、その祖先の上代東国方言の動詞・形容詞連体形に
*e、*oが残ってるっていうけど、琉球諸語の連体系にはそういう名残ないじゃん。
ていうか動詞連体形のだいたいが-juruじゃん。

日本語の祖語にAN祖語がそのまま相当することに懐疑的だったんで、
俺としては自分の説を補強する*e、*oはありがたいんだけど
さすがにこれだけで判定するのは乱暴っぽいなぁ・・・

ちなみに3世紀あたりの日本語にeがなさそうってのは森博達が調査した結果じゃなかったっけ。
一方o1は奈良時代よりも多く、Co1Co1っていう並びも存在しているんで、
>>886のいうとおりeだけ怪しい。

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  • 897
  •  
  • 2014/05/01(木) 22:35:01.08
言語学大辞典かセレクションの琉球諸方言のとこ後で見とこっと(メモ)

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  • 898
  •  
  • 2014/05/01(木) 22:38:46.57
正直、南西諸島の言語が日本語族になったのは、源平合戦以降もしくは南北朝以降だと思う。

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  • 899
  •  
  • 2014/05/02(金) 00:22:14.16
馬と海の対立が例に出されてるけど、umi(海)って日琉祖語に遡れるほど古い言葉なの?
海のより古い形ってwataだと思うんだが

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  • 900
  •  
  • 2014/05/02(金) 01:44:54.00
>>896の話の前提として、沖縄の首里方言の動詞の活用の体系を簡単に書いておく。

動詞に本土とおおよそ同じ活用形、すなわち
未然、連用、終止、連体、已然、仮定形と、若干例外的な形である下略形という形がある。
そしてこれはkaka(-n 書かない 未然)のように、動詞本体のみによる形(かりに本活用と呼ぶ)と、
本土の「おる」対応する成分-junが連用形(kachi-)についたものに由来する形(かりに-jun活用と呼ぶ)の
二つの系列がある。本活用と-jun活用が全部の活用形にあって計14個なのかというとそうではなくて、
本活用が欠けているところに-jun活用が補助的に用いられる。
未然形はkaka- 連用形はkachi- 終止形はkachi-jum、連体形はkachi-juru
仮定形はkakee(<kaki-ja <kaki-wa <kaki-ba) 命令系はkaki
そして-junはもともと独立の動詞なのでそれぞれ本活用と同じ-jura,-juri-などの形も可能で、
その場合「〜している」という意味になる。
本来進行を表していた「〜よる」が、終止・連体形の穴埋めになっているわけだ。

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  • 901
  • 名無し
  • 2014/05/02(金) 02:01:14.74
柴崎勇太(開智高校、明治大学)は穢多。

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  • 902
  •  
  • 2014/05/02(金) 02:26:09.04
・-junは進行の意味を持っていて、本土の西日本の「連用形+おる」と酷似していること
・本土の「連用形+おる」は「おる」が(生物の)存在動詞として一般化した中世の成立とみられること
・活用の体系に部分的に-junを持つ語形が入りこんでいること

からして、
琉球でも中世には本土と大体同じ体系を持っていたが、時代が降って終止形と連体形の機能の欠けが生じ、
それを補って進行態を引っ張ってきたために、進行態の系列が動詞の活用にくみこまれ、本土と差が広がった

というシナリオが考えられる。琉球諸方言には上代的な要素と中世的な要素が並存しているが、
動詞はその中世的な要素の代表であって、上代以前の話には使えない。

ちなみに形容詞は、語幹+sa(-さ)+-an(本土「ある」に対応する)による-san/-shanの語尾を持っていて、
本土の連用形「-く」以外の形(ク活用由来のものは-ku、シク活用由来のものは-shiku。
シク活用由来のものは-shi-sa > -ssha >-shaとなって-shanという語尾を持つ)は滅んでいる。
形態の変化は新しいほうが複雑であるよりも古いほうが複雑のことが比較的多いという経験則からして、
連用形以外の語形が琉球で発達する前に-saを使う形が成立したという解釈は不利だろう。形容詞の体系も新しい。

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  • 903
  •  
  • 2014/05/02(金) 03:12:53.82
>>899
ワタが古くウミが新しいという関係とは限らないぞ。
ワタとウミが同義語として用いられる → ウミの使用頻度が増加する → それによってワタだけ古風な語と思われるようになる → ワタがほとんど滅ぶ
→ 古風な語を残しやすい歌でワタ-を持つ語が運よく残る

というのかもしれん。たとえば中国語の前置詞将と把は、同じ用法で長い間それほど差がなく用いられたが、現代では把が普通で将が古語になってしまっている。

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  • 904
  • 390
  • 2014/05/02(金) 16:14:06.22
>>902
おー、情報整理ありがとう
要は現代の琉球諸語を比較検討しても、活用形から*eや*oは再興できないってことだよね
おもろさうしあたりを調べれば何かわかったりするもんかもしれんけど。

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  • 905
  •  
  • 2014/05/02(金) 18:03:10.02
口語では本活用の終止形・連体形が「連用形+おる」に取って代わられているが
文語、特に韻文(琉歌)では頻繁に使われるよ。
口語でも禁止形やごく限られた助詞を伴う場合に使われる。

形容詞のサ語尾は九州の一部に見られる「サ詠嘆法」との関連が考えられる。
まあそんなに古い物ではないのは確かだろう。

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  • 906
  •  
  • 2014/05/02(金) 23:31:46.67
昼と蒜、馬と海しかデータだしてないけど、ちょっと気になることがある。
馬と海だけがペラール説の根拠なら、これは馬と海だけの特殊事情で、
日琉祖語の話ではないかもしれん。
それこそ、きつねがけつねになったような、感じで、上舌化の影響で、
ウミはオミにって流れはありうる。
というか、問題はウマなんだよな。これ、日琉祖語なんかじゃないと思うんだ。
だって、馬は日本にもともといない動物だし、これの語源は漢語のマーだろ。和語にウマはなかった。
平安期まで、日本語のウには強い鼻音が掛かっていたと大野が言ってたけど、
だから、ンマがウマになったわけで、比較的に新しい時代の言葉。
これで、日琉祖語が上代語のウがウとオに分かれるという立証にはできんよ。
もし、馬と海だけが根拠なら。ペラール説ってどこまで信用できるんだ?ってとこを検証するのが先だよ、
AN祖語と日本語の検証の前に日琉祖語を検証すべしってのは正論だけど、
その前に、ペラール説の検証だよ。

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