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  • 2011/07/20(水) 23:59:13.91
ニーチェ保守主義とは、いうなれば民族主義とニヒリズムによって
永劫回帰=永続維新を実現するという保守思想の考えである。





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  • 2011/07/21(木) 00:56:36.04
国家が有機物であるという基本的な志向としてはバーク保守主義と
共通するが、ニーチェ保守主義の違う所は永劫回帰によって日本列島
の内だけに留まらない事である。
すなわち拡大型の保守主義=ナチズムであり、民族主義である。
また我々は日本という枠組みに決して縛られる事はない。
その根源にある民族に回帰する事で新しい枠組みを経るのである。
ただし、三島由紀夫の考えはこうした中川氏的な思考に近いものだ。
日本人は日本人であるという姿勢を断固として続けて守ろうとする人である。
だが三島の抱えていた思想と言うのは明らかにニーチェ的な哲学=仏教や
陽明学から来るのであり、それゆえにバーク的保守主義でありながらも
ニヒリズムを備えた非保守主義的な要素が見られるのである。
それが彼の夢見た「次世代維新」であった。

中川八洋(筑波大学名誉教授)
http://homepage3.nifty.com/yukoku/
http://homepage3.nifty.com/yukoku/yukoku.html
>国家の生命源が宿る、祖先からの伝統と慣習の、その保守と堅持なく
>して、自由はもちろんのこと、倫理道徳は棲息しえず、倫理道徳なく
>して精強な軍隊も国家護持の精神も培いえず、ここに、沖縄から樺太
>・国後・択捉に至る日本列島に苔むす、二千年に及ぶ祖先の墓石が発
>する声を指針として、子孫への義務でもある、祖国日本の魂をさらに
>研ぎ澄まされた命満ちるものにすべく、真正の日本国民の一部にすぎ
>ない我々もまた、“剣を抜く知の集団”―「真正保守の会」―を設立
>し、その微力を国家と子孫に捧げることにしたい。そして、「真正保
>守の会」は切磋琢磨、その精神と知を不断に向上させるべく、『保守
>主義』を発行し、祖国安寧の智を結集することにしたい。

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  • 2011/07/21(木) 01:20:00.76
そして、かのアドルフ・ヒトラー総統は反対的にゲルマンのルーツである
アーリア民族という思想を活用することで従来のいわゆる保守主義とは
違う全く新しい革新的保守主義を展開したのである。
これにより当時のドイツ人は従来のゲルマンの殻を破り本来あるべき
ゲルマンのアーリア的な姿を見出そうとしたのである。
つまり革新の保守主義である。


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  • 2011/07/21(木) 10:44:34.24
■■■三島由紀夫の檄文■■■
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1294972132/

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俺様はニーチェ進歩主義ですよねー!?♪。

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  • 2011/07/22(金) 15:26:54.37
戦後の頽廃は、すでに戦時中銃後に兆してゐたのだ。戦後のあのもろもろの価値の顛倒は、
卑怯者の平和主義は、尻の穴より臭い民主主義は、祖国の敗北を喜ぶユダヤ人どもの陰謀は、
共産主義者どもの下劣なたくらみは、悉くその日に兆してゐたのだ。ああ、金色の
ヴァルハラの広場に、ヴァルキュリーたちによつて運ばれた、気高い戦場の勇士たちの
亡骸は、ひとたび霊に目ざめるや、祖国ドイツのこの有様をのぞみ見て、いかに万斛の涙を
流したことであらう。楯の格天井、鎧の椅子は、卓上の焔に照り映えて、悲嘆の響きを
鏘然(さうぜん)と高鳴らせたことであらう。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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僕はニーチェ発展主義ですよねー!?♪。

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  • 2011/07/23(土) 17:00:17.89
Up

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私はニーチェ救済主義ですよねー!?♪。

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  • 2011/07/25(月) 11:57:43.15
もう貧血症の、屁理屈屋の教授連は一切要らん。銃一つ持てないほど非力だから、我身
可愛さにヒステリックな平和主義の叫びをあげる、きんたまを置き忘れたインテリは一切要らん。
少年に向つて亡国の教へを垂れ、祖国の歴史を否定し歪曲する非国民教師どもは一切要らん。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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  • 2011/07/25(月) 15:54:20.68
ノルウェーの事件が凄い事になったな。
ヨーロッパ始まったかもしれない。

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  • 2011/07/26(火) 09:46:41.88
レーム:…俺は、お前が腐敗と反動の後釜を継ぐのには反対だぞ。折角俺たちの力で一新した
この新らしいドイツを裏切つて、買弁資本家やユンカー一族、保守派の老いぼれ政治家や
老いぼれ将軍、将校クラブで俺を鼻であしらつた貴族出身の無能な士官たち、革命や
民衆のことを一度も考へたことのないあの様子ぶつたプロシア国軍の白手袋たち、朝から
ビールとじやがいものおくびをしてゐる布袋腹のブルジョアども、官僚といふあの
マニキュアをした宦官ども、……あんな連中の上にのつかつて、あんな連中にへいこらしながら、
シーソオ・ゲームに憂身をやつして、お前が大統領になるなら反対だぞ。断乎として反対だぞ。
俺が腕づくででも止めてみせる。

ヒットラー:エルンスト!

レーム:きけ。俺はお前に大統領になつてほしいと思つてゐる。心からさう思つてゐる。
しかし、それには力を協せて、この腐つた土地の上のごみ掃除をやつてのけてからだ。
軍部が何だ。口だけではおどしをきかせるが、軍服の中身はからつぽの、あんな金ぴかの
案山子(かかし)のどこが怖い。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」

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ニーチェを超越して見せる!?♪。

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  • 2011/07/29(金) 22:46:18.15
クルップ:雨になつたやうだ。

ヒットラー:大した雨ではない。妙なことだ。私が演説をしたあとではきつと雨になる。

クルップ:君の演説が雲を呼ぶのだらう。

ヒットラー:雨が広場を黒く濡らした途端に、どのベンチからも人影が消えてしまつた。
何といふ無趣味ながらんとした広場だらう。人つ子一人ゐない。ついさつきまでここを
群衆が埋めて、とどろく歓声と拍手で熱してゐたとはとても思へない。演説のあとの
広場といふものは、発作のあとの狂人の空白のまどろみのやうだ。どこまで行つても
人間は人間を傷つける。どんな権力の衣にも縫目があつてそこから虱が入る。クルップさん、
絶対に誰からも傷つけられない、どこにも縫目も綻びもない、白い母衣(ほろ)のやうな
権力はないものですかね。

クルップ:なければ君が誂へたらよい。

ヒットラー:あなたがその仕立屋になつてくれませんか。

クルップ:それには寸法をとらなくてはね。
ヒットラー:どうでした?

クルップ:残念ながら、まだちと寸法が足りないやうだ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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私はニーチェ進化主義者ですよねー!?♪。

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  • 2011/07/31(日) 10:01:05.98
クルップ:仕立屋といふのは慎重なもんだよ、アドルフ。仕払つてもらふ宛てがなければ、
おいそれと着物も仕立てられない。仕立ててあげたいのは山々だが、寸が足りなくては
芸術的満足が得られない。それに仕立ててあげたものを、快適に着てもらはなくては
つまらない。ゆるやかに、楽々と、まるで着てゐるかゐないか本人にもわからぬやうな、
そんな着方をしてもらはなくては。……私は窮屈なチョッキは上げたくない。狂人に
狭窄衣を着せるのとはちがふんだから。

ヒットラー:もし私が狂人だとしたら……

クルップ:私も何度かさういふ経験を持つてゐる。自分を狂人だと思はなければとても
耐へられぬ、いや、理解すらできない瞬間にぶつかる場合は……

ヒットラー:さういふ場合は?

クルップ:自分ではない他人をみんな狂人だと思へばよいのだ。



ヒットラー:クルップさん、ひとつ私に狂人用の窮屈なチョッキを誂へてくれませんか、
両手を拘束されて人を傷つけることはできないが、又決して人から傷つけられることもないやうな……

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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  • 2011/07/31(日) 13:05:09.37
大月本帝国の者ですが。

大日本帝国を倒すため伺いました。

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  • 2011/08/01(月) 12:51:17.15
帰ってくれ。

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  • 2011/08/05(金) 11:13:57.56
レーム:…生れ落ちてから薬や医者には縁のない、永遠の若い鋼の体、このレーム大尉の
体が病気になるつて?

ヒットラー:だから……

レーム:誰がそんなことを信ずるものか。俺を傷つけることができるのは弾丸だけさ。
といふよりは俺の体の鋼鉄が、いつか俺を裏切つて、同じ仲間の鉄の小さな固まりを、
俺の体内へおびき寄せるとき。さうだ、鉄と鉄とが睦み合ふために、引寄せ合つて
接吻するとき、そのときだけだ、俺が倒れるのは。しかしそのときも、俺が息を引取るのは
ベッドの上ではない。

ヒットラー:さうだな、勇敢なエルンスト、いくら大臣になつても、お前はベッドの上で
死ぬやうな男ではない。しかし、ともあれ、お前は仮病を使つて、声明書と共にその旨を
発表するのだ。一、二ヶ月の療養ののち、再起と共に突撃隊を以前よりも精鋭な軍隊に
叩き上げると約束するのだ。

レーム:しかし誰がそれを信じる。

ヒットラー:信じられないからこそ、隊員みんなは信じるだらう。つまり、こいつは、
よほど已むを得ない事情だといふことを。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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  • 2011/08/05(金) 11:15:24.50
レーム:…書類を喰つて生きのびた年寄の山羊どもが、首を長くしてお前の餌を待つてゐる。
お前はサインをのたくつて日々をすごす。剣を揮ふ腕の力は見捨てられたままになつてゐる。
権力とは何だ。力とは何だ。それはただサインをする蒼ざめた指さきの細い細い筋肉の
運動にすぎなくなつたのだ。

ヒットラー:それ以上は言はなくてもわかつてゐる。

レーム:だから、友よ、だから言ふのだ。お前の権力がその指さきの運動にではなく、
遠くからお前の一挙一動を憧れの眼差で見戍つて、素破といふときはためらひなく命を
投げ出す覚悟の若者たちの、逞しい腕の筋肉にあることを忘れるな。どんなに行政機構の
森深く踏み迷つても、最後に枝葉を伐つて活路を見出すには、夜明けの色の静脈と共に
敏感に隆起する力瘤だけがたよりなのだ。どんな時代にならうと、権力のもつとも深い
実質は若者の筋肉だ。それを忘れるな。少なくともそれをお前のためにだけ保存し、
お前のためにだけ使はうとしてゐる一人の友のゐることを忘れるな。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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  • 2011/08/09(火) 00:22:05.56
ヒットラー:レームが羊ですつて? あいつがきいたらどんなに怒るか。

クルップ:羊でなくても、レーム君が抱いてゐるのは群の思想さ。さうではないかね。
しかしレーム君と別れたあとの、君の暗い額にひらめいたのは、羊でもなければ牧羊犬でもない。
それこそ嵐そのもの、さう言つては持ち上げすぎなら、暗くはためく嵐の予兆そのもの
だつたのだ。峯々を稲妻の紫に染め、世界を震撼させ、人々の活きた魂を電流をとほして
一瞬のうちに、黒い一握の灰に変へてしまふ、あの嵐の兆そのものだつた。君はおそらく
自分ではさう感じはしなかつたらう。

ヒットラー:あのとき、私は怖れてゐた。迷つてゐた。悲しんでゐた。それだけです。

クルップ:人間の感情を持つてゐることを、いくら総理大臣だつて恥ぢるには及ばない。
ただ、人間の感情の振幅を無限に拡大すれば、それは自然の感情になり、つひには摂理になる。
これは歴史を見ても、ごくごくわづかな数の人間だけにできたことだ。

ヒットラー:人間の歴史ではね。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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  • 2011/08/10(水) 20:27:39.22
シュトラッサー:…歌はもうあの鋭い清らかな悲鳴と共通な特質を失つてしまつたのです。
死者の目に映る遠い青空は、変革の幻であつたのに、今、青空は洗濯の盥の水にちりぢりに
砕けてしまつた。あらゆる煙草は、耐へがたい訣別の甘いしみとほるやうな味をなくして
しまつた。
(中略)
どこかで遠い昔に嗅ぎ馴れた腐敗の匂ひ、落葉のなかで、猟犬が置き忘れた獲物の鳥が
腐つてゆくときの、森の縞目の日光をかすかに濁らすやうな独特な匂ひ。いたるところで、
その腐敗の匂ひが、人々の指先の感覚を、癩病やみのやうに鈍麻させてゆく。かつて
闇のなかで道しるべの火のやうに敏感に方角を知らせた指は、今では小切手に署名をするのと、
女の体をこじあけるのにしか使はれなくなつた。脱落、脱落、目に見えない透明な日々の脱落、
この感覚を、レーム君、君だつてつぶさに味はつて来た筈だ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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  • 2011/08/10(水) 20:29:11.47
シュトラッサー:もう一度革命をやらなければならぬ、と君が考へてゐることを私は知つてゐる。
ところで、私も、もう一度革命をやらなければならぬ、と考へてゐる。二人で話し合ふ
話題には、事欠かぬ筈ぢやないか。

レーム:しかし、方法がちがふ。目的もちがふ。

シュトラッサー:鏡をのぞいてみるやうに、君の右は私の左だ。しかし私の右は君の左だ。
だから却つて鏡を打ち破れば、われわれはぴつたり合ふかもしれないのだ。


シュトラッサー:君はすでに病気になつたのだらう、さつきも言つてゐたやうに。
信頼といふ病気にかかつたのだ。

レーム:殺されるのか、処刑されるのか。

シュトラッサー:おそらくその両方だらう。君は拷問に耐へる自信があるか?

レーム:誰があんたをそんなひどい目に会はさうといふんだね、心配性の弱虫君。言つて
ごらん、そいつの名を言ふのが怖いのかね。言つただけで呪ひがかかるとでもいふのかね。

シュトラッサー:アドルフ・ヒットラー。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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私はニーチェ創造主義者ですよねー!?♪。

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  • 2011/08/13(土) 09:20:35.61
レーム:…友愛、同志愛、戦友愛、それらもろもろの気高い男らしい神々の特質だ。
これなしには現実も崩壊する。従つて政治も崩壊する。アドルフと俺とは、現実を
成立たせるこの根本のところでつながつてゐるんだ。おそらくあんたの卑しい頭では
わかるまい。
われわれの住むこの地表はなるほど固い。森があり、谷があり、岩石に覆はれてゐる。
しかしこの緑なす大地の底へ下りてゆけば、地熱は高まり、地球の核をなす熱い
岩漿(マグマ)が煮え立つてゐる。この岩漿こそ、あらゆる力と精神の源泉であり、この
灼熱した不定形なものこそ、あらゆる形をして形たらしめる、形の内側の焔なのだ。
雪花石膏(アラバスター)のやうに白い美しい人間の肉体も、内側にその焔を分ち持ち、
焔を透かして見せることによつてはじめて美しい。シュトラッサー君、この岩漿こそ、
世界を動かし、戦士たちに勇気を与へ、死を賭した行動へ促し、栄光へのあこがれで
若者の心を充たし、すべて雄々しい戦ふ者の血をたぎらせる力の根源なのだ。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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  • 2011/08/14(日) 10:03:07.27
  記
1.日時:  8月24日(水)18:30〜20:30(受付開始は18:00)
2.会場:  中野サンプラザ8F研修室 六番研修室
       (JR中野駅北口徒歩1分)
3.テ−マ: 三島由紀夫と「わが友ヒトラ−」
4.講師:  後藤修一氏 (当会会員、ドイツ現代史研究家)
5.内容:  後藤修一氏はドイツ現代史とくにナチス・ドイツの研究家として著名であり、氏が高校生であった昭和44年に初演された三島由紀夫の戯曲「わが友ヒトラ−」の
時代考証に携わって以来、今年公演された蜷川幸雄演出版にいたるまでずっと本戯曲とかかわってこられました。
生前の三島由紀夫氏との交流からこの戯曲とのかかわり、そして本作品の時代背景である1930年代のナチスによる権力掌握期など後藤氏の専門知識を駆使して縦横に語って頂くものです。
必ずや興味あるお話が伺えるものと期待されます。また参加者からの質問、意見等歓迎。
6.会場分担金: お一人千円
7.その他: 尚、例会終了後懇親会を予定しております。(会費お一人三千円程度)


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  • 2011/08/15(月) 02:36:04.97
いまの中国(共産党及び国民党)や朝鮮の軍隊をみてあれは
アメリカ式やロシア式の軍隊だとおもうが、それらは結局
日本がちょうど昭和に習おうとした当時最先端のヨーロッパ式軍隊の流れを組むわけです。
昭和維新が叶わず日本だけが軍事再編に失敗したという歴史事実があり
陸軍の軍事再編論者たちは二次大戦にドイツに学ぼうと言う
226の意志を継ぐべくナチスに賛同した訳でした。
問題は近衛がどう考えて居たのかという点で
かれがやれナチスシンパだ、やれマルキストだのと言われてきましたが
ようするに陸軍に圧されたか、あるいは自分に責任が来るのを怖れたかなにかで
陸軍と関東軍の軍指導者に政権が渡っていった訳です。

しかし皮肉なのは226が成功していたらあの様な戦争には突っ込まなかったということだ。
要するに226を防いでしまったことで、内部でフラストレーションがたまり
それが良からぬタイミングで面に出た。
そして、そうした思想というか歴史のいきさつ、統括を
三島由紀夫の存在事態が証明しているわけです。
しかし昭和天皇の玉音放送がそうであったようにあのまま
戦争を続ければ日本はおろか世界文明が戦争により破壊され
天皇の終戦の御聖断はまさに

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  • 2011/08/15(月) 16:00:13.26
ヒットラー:…いつかあなたは言はれましたね。自分自身を嵐と感じることができるか
どうか、つて。それは何故自分が嵐なのかを知ることです。なぜ自分がかくも憤り、なぜ
かくも暗く、なぜかくも雨風を内に含んで猛り、なぜかくも偉大であるかを知ることです。
それだけでは十分ではない。なぜかくも自分が破壊を事とし、朽ちた巨木を倒すと共に
小麦畑を豊饒にし、ユダヤ人どものネオンサインにやつれ果てた若者の顔を、稲妻の閃光で
神のやうに蘇らせ、すべてのドイツ人に悲劇の感情をしたたかに味はせようとするのかを。
……それが私の運命なのです。


ヒットラー:あの銃声が、クルップさん、ドイツ人がドイツ人を射つ最後の銃声です。……
これで万事片附きました。

クルップ:さうだな。今やわれわれは安心して君にすべてを託することができる。
アドルフ、よくやつたよ。君は左を斬り、返す刀で右を斬つたのだ。

ヒットラー:さうです。政治は中道を行かなければなりません。

三島由紀夫「わが友ヒットラー」より

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  • 2011/08/19(金) 19:44:37.00
私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。共産主義の粛清のほうが
数が多いだけ、始末が悪い。暗殺のほうは少ないから、シーザーの昔から、殺されたのは一人で、六十万人が
一人に暗殺されたなんて話は聞いたことがない。これは虐殺であります。
(中略)
たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも
嘘がつける。やはり身辺が危険だと思うと、人間というものは多少は緊張して、(中略)真面目な話をするのです。
人間というものは刀を突きつけられると、よし、おれは死んでもいってやるのだ、「板垣死すとも自由は死せず」
という文句が残る。しかし口だけでいくらいっていても、別に血が出るわけでもない、痛くもないから、お互いに
遠吠えする。民主主義の中には偽善というものがいつもひたひたと地下水のように身をひそめている。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より

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  • 2011/08/19(金) 19:46:04.39
大体政治の本当の顔というのは、人間が全身的にぶつかり合い、相手の立場、相手の思想、相手のあらゆるものを
抹殺するか、あるいは自分が抹殺されるか、人間の決闘の場であります。それが言論を通じて徐々に徐々に
高められてきたのが政治の姿であります。しかしこの言論の底には血がにじんでいる。そして、それを忘れた言論は
すぐ偽善と嘘に堕することは、日本の立派な国会を御覧になれば、よくわかる。
(中略)日本ではこうやって言論が自由自在に生きている。確かに美しい風景ではあるけれども、何か身を
賭けた言論、身体を賭けた言論というものが少ない。自分一人で、一千万人を相手にしても退かないという言論の
力が感じられない。何でも自分一人じゃ弱いと思うから、何万人でデモをやらなければならない。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より

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  • 2011/08/19(金) 19:46:55.09
私が一番好きな話は、多少ファナティックな話になるけれども、満州でロシア軍が入ってきたときに――私はそれを
実際にいた人から聞いたのでありますが――在留邦人が一ヵ所に集められて、いよいよこれから武装解除という
ような形になってしまって、大部分の軍人はおとなしく武器を引き渡そうとした。その時一人の中尉がやにわに
日本刀を抜いて、何万、何十万というロシア軍の中へ一人でワーッといって斬り込んで行って、たちまち
殴り殺されたという話であります。
私は、言論と日本刀というものは同じもので、何千万人相手にしても、俺一人だというのが言論だと思うのです。
一人の人間を大勢で寄ってたかってぶち壊すのは、言論ではなくて、そういうものを暴力という。つまり一人の
日本刀の言論だ。(中略)そして、日本で言論と称されているものは、あれは暴力。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より

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  • 2011/08/19(金) 19:47:29.82
初めから妥協を考えるような決意というものは本物の決意ではないのです。例えば戦争をしておっても、誰も
妥協を考えてやるのではないのです。勝つことが目的であって、最終目的に対して、十とれるところが八だとか、
八とれるつもりがまあ五だろうというのが妥協であります。初めから五を考えると、二しかとれません。そして
妥協ということは大人の知恵で、全然妥協しない戦いというものはないわけですが、ものの考え方というものは
私は順序があると思う。


民主主義は妥協が原則だといいますが、相対的な理論の闘争の中で、自分がそれをある程度本当に信じて
邁進する人間がいなければ、いまの自民党と社会党みたいなことになっちゃう。そして国会解散期には、あっちに
流れたり、こっちに流れたりという状態になっちゃう。それが一番妥協の醜い形だと私は思います。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より

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  • 2011/08/20(土) 14:18:52.67
>>2
中川八洋はぜんぜん違うだろ
自著の」「日本を害する思想家」にニーチェいれてるくらいだぞw

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  • 2011/08/21(日) 20:02:16.61
>>33
中川はニーチェ嫌いだが考えはなぜかニーチェ的だよw
昔好きだったんじゃないの?

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  • 2011/08/22(月) 09:37:36.49
そうかねえ、保守主義というかほとんど自由主義にしかみえんな
屋山太郎みたいなもんで

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  • 2011/08/22(月) 23:57:15.23
ところで私は、暗殺者が必ずあとですぐに自殺するという日本の伝統はやはり武士(さむらい)の道だと思っている。
本当はこれをやらなきゃいけない。(中略)
私は人間というものは全部平等だと思う。(中略)
人間が一対一で決闘する場合には、えらい人も、一市民もない。そこに民主主義の原理があるのだと私は考える。
だから、政治というものはいずれにしろ激突だ。そして激突で一人の人間が一人の人間を許すか、許さないか、
ギリギリ決着のところだ。それが暗殺という形をとったのは不幸なことではあるけれども、その政治原理の中に
そういうものが自ずから含まれている。もしそうでなければ、諸君が選挙の投票場へ行って投ずる一票に何の
意味がありますか。諸君が投ずる一票が一ト粒の砂粒だったら、何になりますか。あれは諸君がたとい無名で
あっても、あるいは社会的な地位がなくても、その一票があなたの全身的な政治的行為であって、その集積が
民主主義をなしている。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より

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  • 2011/08/22(月) 23:57:49.05
(政治家も、)一投票者も、政治的意見において本当に一対一で、人間的に一対一だという考えが含まれなければ、
民主主義は成立しない。だから暗殺というのはアクシデントではあるけれども、民主主義に暗殺はつきものだと
私がいったのは、そこなのです。
ところが、共産主義ないし全体主義というものはそういうことをやらん。彼らは権力を握って、邪魔なやつを
粛清すればいい。全体主義は人を粛清するのに、そんな暗殺のような自分の危ないことはやりません。ニュースを
隠して、秘密警察で守り、その中で一番憎いやつをそっと殺す。犯人もわからなければ、何もわからない。


民主主義というのは非常にペシミスティックな政治思想です。(中略)
民主主義なんて甘いものじゃない。これをどうやって純粋民主主義に近づけるかなんて、いつまでたっても
無駄なんだ。人間は汚れている。汚れている中で相対的にいいものをやろうというのが民主主義なんだ。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」より

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  • 2011/08/22(月) 23:58:26.78
アメリカの民主主義はフロンティアなんかの自警団的なものが基盤にある、(中略)どんな政治体制でも歴史的な
基盤があって、徐々に形成されたものであるので、その点では日本の天皇制もまったく同じだと思います。
ですから民主主義が悪いとか、天皇制がいいとか悪いとかいう問題じゃなくて、その国その国の歴史的基盤に
立った政治体制ができていくということは当然だと思います。


国家がなくなって世界政府ができるなんという夢は、非常に情けない、哀れな夢なんです。(中略)資本主義国家も
国家が管理している部分が非常に大きくなっておりますから、実際の国家の時代という点では、国家の管理機能は
むしろ史上最高ぐらいまで達しているのではないか。これが極点に達し、崩れて、超国家ができるかどうか、
そんなことは先のことである。我々はまず国家の中に生きているという存在から問題を考えなければならんと
いうように私は思っております。ですから、国家の時代なればこそ戦争も必ずある。であるから、それに対する
防衛の問題も真剣に考えなければならんと、私はそういうように思っております。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より

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ニーチェとデカルトとサルトルをリリースして神のカードを通常召喚するよねー!?♪。

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  • 40
  •  
  • 2011/08/24(水) 03:41:18.67
アメリカの民主主義ってのは要するに大国ならではだよ。
つまり競争というか、いうなれば体のデカいマッチョな人間の
体内でひしめき合う筋肉繊維の引っ張り合い。
だから力がでるわけ。
じゃあ日本はどうかといえばひょろひょろのモヤシですな。
いい政治をやりたければ領土=筋肉が必要。
そういう事をやり続けて行かないと強い国にはなれないんですな。
かつてドイツがやろうとしたことはバラバラなヨーロッパを一つにまとめることで大国になろうとした。
そういう野心とかあって初めて強い国になれるんだけどまあ今の日本ってのはほんとにモヤシっこだね。

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  • 41
  •  
  • 2011/08/24(水) 23:18:54.18
共産社会に階級がないというのは全くの迷信であって、これは巨大なビューロクラシーの社会であります。そして
この階級制の蟻のごとき社会にならないために我々の社会が戦わなければならんというふうに私は考えるものですが、
日本の例をとってみますと、日本にどういうふうに階級があるのか、まずそれを伺いたい。たとえばアメリカなどは
民主主義社会とはいいながら、ヨーロッパよりさらに古い、さらに深い階級意識がある国です。というのは、
ヨーロッパを真似して成金が階級をつくったのですね。ですからこれはアングロ・サクソンの文化の伝統ですが、
クラブというのがありますね。みんなメンバーシップオンリーのクラブで、下のクラブの人が上のクラブを
ステイタス・シンボルとして、ステイタス・クライマーが上流のクラブへ入るためにあらゆる算段をするわけです。
(中略)そうすると自分の息子に来るお嫁さんが違ってくるのです。(中略)アメリカにはステイタス・シンボル
というものが非常にたくさんあります。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より

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  • 42
  •  
  • 2011/08/24(水) 23:19:27.56
ところが日本ではステイタス・シンボルに当たるものが私は何があるのかと聞きたい。(中略)一つの社会風俗的
現象としてのステイタス・シンボルがあるのか。キャデラックに乗っていたらブルジョアなのか。みんな会社の金で
キャデラックに乗っている、それがブルジョアなのか。あるいはゴルフクラブに入っていたらそれがブルジョアなのか。
ゴルフクラブに入って、あのキャディに、かよわい女性に重いものを背負わせて歩けばそれがブルジョアなのか。
そして日本では社会主義者も共産主義者もみんな軽井沢に別荘を持っている。(中略)私は階級差というものの
甚だしい例をヨーロッパでたくさん見てきた。(中略)
そして富の分配というのは一応マルクス主義の美名になっておりますが、これは別の方法を使ったってできるのだ。
(中略)権力の分配に至っては、共産主義社会のあのおそろしいビューロクラシーと比べると、我々はむしろ
権力の分配の公正な社会に生きていると、私はこう考えております。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より

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  • 43
  •  
  • 2011/08/24(水) 23:20:37.91
人間の考えは――全部の人間が同じ考えをするということができれば、本来民主主義なんていうものはこの地上に
成立する余地はないのです。そんなものは要らない。したがって戦争も要らないわけだ。ところがどうしても
人間というものは全部同じ考えを持ち得ない。しかも言語を共有しながら同じ言葉を持ち得ないというところで、
バベルの塔のような神話があるわけだ。これは人間観の根本的な問題です。


大体ソヴィエトへ行った人の話を聞きますと、非常にアメリカ人とよく似ているそうです。アメリカ人は別の方法で
あんなコンフォーミティな人間ができちゃった。誰に聞いても、同じような冷凍食品を食べていますから頭の中は
同じになっちゃう。しかし実に親切で、自分の身の周りのことについては気持よく話してくれる。ただ、国家・
社会の問題になると何もわからないという人間達ですね。それは確かにソヴィエトでもできつつあるでしょう。
けれども、人類全部がそうなることが人類の幸福であるかどうかというと問題はまた残りますし、本人が幸福なら
いいじゃないかということになりますと、これは人間観の相違としか思う他にない。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より

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  • 44
  •  
  • 2011/08/25(木) 00:51:26.45
三島さんのいってることはあれだね、ユダヤ陰謀論でいう「人間牧場計画」のことだ。
あるいはヒトラーの予言した「未来は神とロボットの世界」になるという話だ。
そもそもソビエトと言うのはアメリカ思想のマルクス主義版でアメリカの革新コピー。
どっちも同じ思想から来てるわけだ。

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神は死んだ邪神が誕生するよねー!?♪。

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  • 46
  •  
  • 2011/08/29(月) 09:43:18.05
>>44
なるほどね。そういえば三島は、「日本のビジネスマンがみんなユダヤ人みたいになっちゃう」とかもどっかで言ってましたね。

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  • 47
  •  
  • 2011/08/29(月) 09:48:12.43
行動には必ずリアクションがある。そのリアクションはどこからくるかというと、自分の敵からくるわけですね。
敵がなければかなわん。(中略)
大体韓国の人達はいろいろな面で反共精神が強いのだけれども、これは実際に自分の親族が殺され、あるいは
自分の親兄弟が共産主義者から酷い目に遇ったりしている。(中略)
インドネシアでは役人の中にも共産党が入っていましたから、こいつらがみんな私腹を肥やしたり、宗教を
弾圧したりして農民に嫌われちゃった。農民も何年か我慢して、いまにあの野郎どもと思っていたから、いざ
共産クーデターを起そうとしたらば、逆に鋤、鍬で殺されちゃったわけだ。この恨みというのはすごいですね。
しかし、私は別に何ら危害を受けたわけではない。ただ敵として私が選んだ。これは私独特のものですね。私は
自分の行動を起すにはどうしても敵がなきゃならんから選んだ。そこで私は何ら矛盾を感じてないわけです。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より

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  • 48
  •  
  • 2011/08/29(月) 09:49:52.17
(日本では)惨状に対する異常なヒューマニスティックな同情から革命衝動が起るということは現在ではほとんどない。
(中略)被圧迫者が傍にいるという状況は、インドでホテルの二階で食事をとっていますと、窓から街路には
飢えた乞食がいっぱい見える。かわいそうな佝瘻(くる)病の少年が痩せこけた自分の弟を腕に抱いて、
もう一方の手を伸ばしています。それを見るとこっちは御飯が食べられなくなっちゃうですね。そういう国でこそ
共産革命ないし革命の情熱が涌き起るかというと、インドの共産主義者ってみんな金持ちなんです。なぜかというと、
共産主義の文献を読むにはお金がなければならない。金をかけて大学を出なければ……。みんなオックスフォード、
ケンブリッジへ行くのです。そういう上流階級が主に共産主義者の中心になって、しかも共産主義の知事のいる県は
他の県に米を移出しない。ですからその県に、米があっても、隣の県の飢え死にを放棄する。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より

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  • 49
  •  
  • 2011/08/29(月) 09:51:29.36
我々はヒューマニスティックな愛情を何に対して持つか。ニューヨークじゃ、もう人間に同情する人がなく
なっちゃったのでみんな犬に同情している。それがアングロ・サクソン動物愛護協会というものなんです。
これは生活の余裕がなければできないことで、オールビーの「動物園物語」という芝居をご覧になった方は
わかりますが、犬を可愛がって、犬としか対話しない人間が長々と出てきます。人間というのはそういうふうに
なっちゃうものなんですね。愛情と憐れみを何に向って与えようか。その溢れるアフェクションの中からどうやって
社会革新の情熱を呼びさまそうか。人間はこういうものを考える動物だと思います。
ちょっと問題が大きくなりましたが、その中で自我というものは大きくなればなるほど本来今言ったようなものが
溢れているはずなんですが、その溢れる対象に使われない場合には、何かでそれが捩じ曲げられてぶつかって
いくことになるわけですな。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より

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  • 50
  •  
  • 2011/08/29(月) 09:52:57.66
天皇と国民を現代的感覚で結びつけようということは小泉信三がやろうとして間違っちゃったことだと思うのですよ。
小泉信三は結局天皇制を民主化しようとしてやり過ぎて週刊誌的天皇制にしちゃったわけですよ。そして結局
国民と天皇との関係を論理的につくらなかったと思うのです。というのは、ディグニティをなくすることによって
国民とつなぐという考えが間違っているということを小泉さんは死ぬまで気がつかなかった。それでアメリカから
変な女を呼んできて皇太子教育させたり、そういうふうな形でやってきたわけです。ですからその考えはまだ
宮内官僚に随分残っているから、当然天皇制というものがそういう形でうまく国民と結ばれるということについては、
私は悲観的ですね。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その二」より

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  • 51
  •  
  • 2011/08/29(月) 10:50:14.04
>>46
それ凄いわかります。
戦後日本人のステレオタイプというか、みんなスーツにメガネに
七三分けの日本人像が出来たのが凄く疑問でした。
戦争に勝った、あるいは戦争しなかったら絶対そうはならなかっただろうって。
あれ変ですよほんとに。

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  • 52
  •  
  • 2011/08/29(月) 10:59:42.65
>>1さん

ヒトラーの凄さはヒトラーが日本刀携帯してる姿を想像するとよくわかります。
そういう軍事的なカリスマって日本じゃ多分居なかったと思うんですよ。
まあヒトラーばりの屈強な帝国軍人は居たとおもいますが、
日本人ってのは良くも悪くも村社会なためかリーダーが出てこれなかったように思えます。
これからの時代はそういう存在が必要ですよ。
内閣総理の上に立ち、天皇につかえるサムライが。
かつての将軍家のような存在がね。

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邪神の攻撃で神は死んだ!?♪。

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  • 54
  •  
  • 2011/08/30(火) 16:37:33.78
>>51
見た目もそうですが、精神的にも、日本の基盤を失った根なし草になって、例えば平気で韓国サムスンに身を売るような人達や、
グローバルとか聞こえのいいことを言いながら、私財を増やすためには手段も場所も選ばない市場経済主義商人に
日本人も飲み込まれて、大和魂がなくなってしまうことを、「みんなユダヤ人になっちゃう」と三島由紀夫は予見したのでしょうね。

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  • 55
  •  
  • 2011/08/31(水) 12:51:44.36
人間は未来ということを考えると、必ず現在というものを犠牲にするか手段化するという不思議な動物だと私は
思います。未来社会がもし理想的な社会になる。その社会のために現在我々が動いているとすれば、我々は
その社会への橋であり、プロセスであり、道具なんですね。(中略)これがあらゆる未来というものに関する
思想の――私は左とか右とかいうのじゃない、未来というものを想定した思想にからむ一つの危険だと思います。
(中略)
私はいわゆる革命家、社会運動家、改良主義者、こんな人達と話します時に自分との一番の違いだと思いますものは、
私は「未来がない」という考えなんです。(中略)もちろん我々は一週間や十日のところは大体未来ということを
考えて暮しておりますが、それはもうすでに現在に繰り込まれた実務的な時間の問題で、私がいっているのは
そういうことではないことはおわかりだと思います。つまり自分の行動のモラルの根拠として、未来を置くのか、
あるいは現在ないし過去を置くのか、ここで人間の行動の様式とモラルが完全に変ってきちゃうのです。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より

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  • 56
  •  
  • 2011/08/31(水) 12:52:29.95
世間では進歩的、未来に向って、明るい未来に向って、人類の将来に向って、お手々をつないでというのが
大好きですな。(中略)ですが私はそういうミーハー受けのするスローガンにはいつも疑いの目を向ける。なぜ
私が未来がないかと申しますと、未来ということを考える暇がないほど現在の時点における自分の存在の中に、
連綿たる過去の日本の文化伝統と日本人の長い民族的蓄積とが、太古以来ずっと続いている、その一番ラストに
自分はいるんだ、自分が滅びたらもうお終いなんだ、自分は日本というものの一番の精髄をになってここにいま
立って、そこで自分は終るのだ。そういうことがなければ、ぼくは人間の最終的な誇り、日本人としての最終的な
誇りは持てないと思います。(中略)
文化というものはずっとうしろからつながってきて自分のところで途切れちゃう。そうするとこれから未来へ
つなぐには誰がやるだろうか。それは私より若い人がいるのだし、また自分がおしまいだと思っている若い人が
次々と出てくるからこそ、いつも文化というものはそうやってつながっていくのだ。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より

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  • 57
  •  
  • 2011/08/31(水) 12:53:01.57
未来を所有しているのは老人の特徴で、未来を所有しないのが青年の特徴である。(中略)
自分がどうやって死ぬかということは大体五十、六十になってくると先が見えてきちゃう。それを未来を所有する
というのです。青年は未来に対してあらゆる可能性があるように見えるかわりに、未来を何一つ所有しない。
(中略)青年が未来に対して野心を燃やし、幻影を持つのは当然のことであります。ただその場合に、最後に
自分というものが未来のためだけにいま生きて怠けているのではないのだ。明日死んでも十分な生き方をしなきゃ
ならんということが青年らしい考え方だとむしろ思うのです。「葉隠」なんかでも、日々死を心に当てて生きろと
いうことをいっておりますが、朝起きた時に今日死ぬかもしれないという気持だったらば、どれだけ人間は
全身的な表現を毎日繰り返せるかわからない。そういう表現の中にしか人間の生死観も、文化というものの力も
自分を護る決意もないのじゃないか、こんなふうなのが私の未来観であります。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より

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  • 58
  •  
  • 2011/08/31(水) 12:53:41.23
言論自由下の社会主義なんていうものを夢見ているとあぶないんだ。(中略)もし美しき社会主義を夢見れば
醜き社会主義にやられてしまうんだ。


私が共産主義を嫌いなのは美名をもって人間をたぶらかすからです。そして私は偽善というものが嫌いなんです。
共産主義は自由な未来に向って人間を唆す毒薬だと思います。


第二次大戦後に(アジアで)民族自決主義がリバイブしたのはあくまでも大東亜戦争の直接の影響だと思います。
それによってアジアの諸民族が自信を持って民族独立の道を歩き出したのだと私は信じて疑いません。


文化というものは結局マルキシズムの階級史観では絶対に解明できない。あらゆる哲学者が文化論、芸術論になると
失敗するのです。


十九世紀の主権国家の理論で私は日本の国家を規定して、その国家を守れといっているのじゃないのです。国家は
さまざまなんです。国家は我々なんです。


私は未来がないのだ。しかし私の背後には長い長い文化伝統があって私で終るのだから、おれの身には指一本
触れさせないぞという覚悟で戦うのです。そして私は勝たなきゃならない。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より

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  • 59
  •  
  • 2011/09/03(土) 19:31:39.05
これしかないという表現を体でもって選ぼうとすればことばだね。最終的に、ことばか身を投げることしかない。
それはもっとつきつめれば焼身自殺だよ。このあいだ、アメリカの国会議事堂で自殺した少年と同じだ。これは
ことばにかけると同じ重さを、からだにかけた行為だと思う。これが表現なんで、それ以外の表現は嘘なんだ。
嘘なんだけども効果はある。
アメリカ大使館の窓から旗を三つぐらい垂らせば世界中に報道され、これはたいへん象徴行為になって効果が
あるんだけれども、根底的に意味はない。意味がないんだけれども、意味があるかのごとくなっている。そして、
全学連は最終的に意味があるかのごときところで満足しているということが表現者として気に入らないんだ。
これは正義運動としての自己冒涜だよ。正義運動を正義運動たらしめる根底的なものは、最終的に自己破壊しかない。
それができないということは、もう一つの表現のところに頼っているんだ。

三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より

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  • 60
  •  
  • 2011/09/03(土) 19:32:25.06
テロリズムといわれようとなんといわれようとかまわない、ことばを刻むように行為を刻むべきだよ。彼ら
(全学連)はことばを信じないから行為を刻めないじゃないか。もっとも、それを彼らに要求するのは無理かも
しれない。というのは、教育が彼らにことばというものの最終的な意味と重さを教えなかったから。そして
それは日本の文士、へっぽこ小説家どもの責任でもある。だから、彼らはことばの軽さに慣れて、テレビ的行為を
すばらしい政治行為だと思っちゃうんだよ。


(全学連は)ファクトを信じない時代の子で、自分らのやることはファクトだと思っていない。
一定の仕組まれた政治的プログラムのなかの一つのパブリシティだと思っている。パブリシティとファクトとを
厳密に分けなければわれわれの言語信仰は崩れるわけで、そこが気に入らない。全学連は、どこにファクトがあって、
どこがパブリシティなのかぜんぜんわからないでしょう、これはある意味ではいちばん気味が悪いよ。

三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より

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  • 61
  •  
  • 2011/09/03(土) 19:33:16.23
去年、福田赳夫さんに「自民党は安保と刺しちがえてくださいよ」といったんだけど、これは自民党の歴史的
役割りだと思うんだ。戦後の国際協調主義みたいなものの最終的なもので、これを自民党がやってくれなければ
その後の日本は開けない。


中国人はものを変えることが好きでね、人間を壷の中に入れて首だけ出して育ててみたり、女の足を纏足
(てんそく)にしてみたり、デフォルメーションの趣味があるんだよ。これは伝統的なものだと思うんだ。
中国というのが非常に西洋人に近いと思うのは、自然にたいして人工というのを重んじるところね。中国人の
人間主義というのは非常に人工的なものを尊ぶ主義でしょう。作って、変えたという確信を持つことが権力意識の
獲得ですから。だから意識の変革というのをやりたくてしようがないんだよ。中国文学の専門家には悪いけど、
これは中国人の伝統的な趣味だと思うんだ。


変革といった瞬間にすぐ偽善に陥る、モラルといった瞬間にすぐ偽善が押し寄せてくる、それはほんとに怖いねえ。
全共闘諸君は若いかもしれないけど、若いなりにそういったものが垢として身についているかもしれない、
怖いねえ。

三島由紀夫
高橋和巳との対談「大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任」より



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  • 62
  •  
  • 2011/09/03(土) 21:38:10.42
全共闘の場合はどちらかというと、敗戦ショックから生まれた革新主義、事大主義かなと。
日本は世界大戦における劇的な敗戦、あるいは壮絶な亡国寸前の敗戦というのをやったから
これが実は重大な「事変」となっている。
だから自由主義者とか共産主義者がイナゴのように湧いて出てくるのはむしろ自然だと思う。
三島が死ぬまでの戦後の30年という時代は、特に日本が大きく変わり、豊かさと貧しさが
反転した時代でもあったし、ルンペンが増えた。
精神的な思想や国家観、教育なんかも戦後で大きく変わった。
そして三島の死後、バブル経済が来る事でさらに日本の「自由化」が進んだ。

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  • 63
  •  
  • 2011/09/03(土) 21:48:42.55
それと中国と西洋の類似はいくつか考えられる。

1 大陸国家であり、国土における面積の広さもヨーロッパとほぼ同じ
2 歴史が古く、文明の発信地である
3 中国語が文法的、発音的に西洋語に近いため
4 中国文明自体がヨーロッパと同じくオリエントに起因するから
5 中国は紀元前の古代から西洋と交流し貿易してきたため
6 多民族的な環境で国民が生きてきたため
7 人口が古来より多く、その競争の中でそうした価値観が育まれた

まあ個人主義は多民族的な環境によって育まれますから
中国の歴史、王朝の歴史が案外ヨーロッパみたいなのでしょうね。

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神は死んだけど未来は終わらない!?♪。

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  • 65
  •  
  • 2011/09/06(火) 14:33:22.92
>>63
中国語と英語は、主語のあとにすぐ動詞がくるから似てますね。比較的どっちも乾いた言語っていう感じも似てます。
きっと自我の思考回路が似てるんでしょう。

日本語の微妙さ、あいまいさ、情緒的な言語とは、ちょっと遠い気がします。

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  • 66
  •  
  • 2011/09/11(日) 11:58:57.92
http://hexagon.inri.client.jp/floorB1F_hss/b1fha400.html

■■三島由紀夫がヒトラーについて語った言葉
「ところでヒトラーね。彼がやったことは世界中の人が知ってる。だけど、彼がほんとは何者だったのか誰も
知っちゃいない。ナチの独裁者、第二次世界大戦の最大戦犯、アウシュヴィッツの虐殺者、悪魔……。これが
いままでのヒトラー観だけど、ほんとはそれどころじゃない。
彼のほんとの恐ろしさは別のところにある。
それは彼が、ある途方もない秘密を知っていたってことだ。人類が結局どうなるかっていう秘密だ。彼は未来を
見通す目を持っていて、それを通じて、その途方もない未来の秘密に到達しちゃった。」

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  • 67
  •  
  • 2011/09/11(日) 11:59:32.84
「だから五島君。もしきみが10年後でも20年後でも、ヒトラーのことをやる機会があったら、そこんところを
よく掘り下げてみることだ。もしきみにいくらかでも追求能力があれば、とんでもないことが見つかるぜ。
ほんとの人類の未来が見つかる。やつの見通していた世界の未来、地球と宇宙の未来、愛や死や生命の未来、
生活や産業の未来、日本と日本の周辺の未来……。
なにしろ『我が闘争』の中にさえ、やつは未来の日本や東アジアのことを、ずばり見通して書いてるくらいだから。
まだ30代かそこらで、やつはそれは鋭い洞察力を持っていたことになる。」

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  • 68
  • !ninja
  • 2011/09/11(日) 22:44:42.83
神は死んだけど現実は終わらない!?♪。

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  • 69
  •  
  • 2011/09/12(月) 17:57:49.26
ニイチェの「ツァラトゥストラ」の中には日本のことをかいてゐるやうな気のするところもありますね。
そして超人の思想の根本なぞどうも私にはインド、又ひろく東洋全体の思想への接近より、ニイチェが自ら
意識するせぬに不拘(かかはらず)、日本への大きな意味があるやうに思はれてなりません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年2月15日、東文彦への書簡より

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  • 70
  •  
  • 2011/09/14(水) 20:46:25.64
いやなことゝ申せば今度も空襲がまゐりさうですね。かうして書いてをります夜も折からの警戒警報のメガホンの
声がかまびすしい。一体どうなりますことやら。しかしアメリカのやうな劣弱下等な文化の国、あんなものに
まけてたまるかと思ひます。
――ニイチェが反理想主義であること、流石に確かな御眼と感服いたします。
ニイチェの強さが私には永遠の憧れであつても遂に私には耐へ得ない重荷の気がします。おそらくけふは
一人一人の日本人が皆ニイチェにならねばならぬ時かもしれません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月4日、東文彦への書簡より

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  • 71
  •  
  • 2011/09/16(金) 23:42:02.66
ニイチェについて、お陰さまでいろいろ新しいことを知りました。実はツァラトゥストラの登張竹風の跋文の外、
私にはニイチェに関する智識がございませんでした。ツァラトゥストラのあの超人の寂寥あれを私は平安朝の
女流たちにも感ずるのです。「古今の季節」といふエッセイのなかでその荒涼を語つたことがありますが、
ニイチェがあれら女人の深い寂寥にふれてゐたらどう思つたことでせう。ニイチェの愛した東方ではなく、
むしろニイチェ自身の苦しい影をみはしなかつたかとさへ思ひます。
「世々に残さん」をかく用意に「平家物語」を何遍も繰つてゐますが、川路柳虹氏も名文だとほめてゐられる
あの文章、又あのむしろ宇宙的な末尾の哀切さ、あれを一篇の小説としてみてみると、大原の大団円は、私には
ラディゲのドルヂェル伯の大団円などよりこのごろではずつと身近に感じられます。無常といふ思想は印度から
来たものでもそれを文学の極致にまで詩の極致にまで高めたのは日本人の営為ですね。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年4月11日、東文彦への書簡より

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  • 72
  •  
  • 2011/09/19(月) 11:20:09.11
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありませう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもつてゐますので、一しほの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、
ニイチェのやうに、愚人の海に傷ついた人でありませう。英雄の悲劇の典型ともいふべきものがみられるやうに
おもひました。かつて世界の悲劇であつたのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。
スカラ座もこはれたやうですね。米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦ふべきでありませう。
俗な精神が世界を蔽(おお)うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらひ、さげすみ、蹴とばした
気持がわかります。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和18年8月20日、東文彦への書簡より

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  • 73
  • !ninja
  • 2011/09/20(火) 06:21:01.93
僕はニーチェ霊界主義ですよねー!?♪。

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  • 74
  •  
  • 2011/09/20(火) 11:45:22.97
ヒトラーを論じるときのポイントを二つ示したい。
1. 演説の名手:ヒトラーは事前によく練習した。いきなり本番ではない。彼の演説を
聞いたドイツ共産党員によると、はじめ言葉を拾うようにぽつぽつと話す。そのうち火
を吹くような演説となる。
自分はナチスに反対であったが、自分もナチス党員であったらよかったと思うほどの
迫力と感動があったという。ヒトラーの演説はドイツの青少年に聞かせることは戦後
長く禁止されてきた。
2. 大衆社会:ナチスの台頭は、米国発の大不況で700万人が失業し、ドイツが議会
制民主主義では解決できない状態になったからである。それを見事に回復した。
だから今、日本の学者がナチスの経済政策の研究をしている。
駿河山人
http://pub.ne.jp/surugasankei/



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  • 75
  •  
  • 2011/09/20(火) 11:54:53.17
>>73
!ninja失敗してんじゃねーぞバーカww

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  • !ninja
  • 2011/09/21(水) 05:31:05.17
僕はニーチェ制作主義ですよねー!?♪。

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  • 2011/09/22(木) 17:47:20.66
○ フリードリヒ・ニイチェの思想は要約するに次の一行を以て足る。
「我愛さず。愛せられず。我唯愛さしむ」

平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より

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  • 78
  • !ninja
  • 2011/09/24(土) 14:04:00.16
鳩山由紀夫に頼むよねー!?♪。

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  • 79
  •  
  • 2011/09/26(月) 06:42:46.40
ニーチェよりも江戸時代の戯曲家鶴屋南北の方が、より早期に
武家社会におけるニヒリズムを的確に描いていると思う

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  •  
  • 2011/09/27(火) 11:15:16.18
だんだんに私は文学を引き寄せるやうにしてゆきたいと思ふ。己れより乗り憑つて乗り憑りつつ清められると
云つたあり方に心ひかれる。さういふ場合の放胆さについてはもう口でいはぬはうがよいと思ふ。それは一種の
ニイチェ風な陥没であらうもしれぬが私は日本人にふさはしい手振だけをまなんでゆくほかはない。そして、
戦後の世界に於て、世界各国人が詩歌をいふとき、古今和歌集の尺度なしには語りえぬ時代がくること、それらを
私は評論としてでなく文学として物語つてゆきたい。

平岡公威(三島由紀夫)19歳「跋に代へて(『花ざかりの森』)」より

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多元宇宙実在理論は正しいですよねー。

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  • 2011/09/30(金) 16:59:12.85
日本は緑色の蛇の呪いにかかっている。日本の胸には緑色の蛇が食いついている。この呪いから逃れる道はない。

三島由紀夫
ヘンリー・スコット=ストークス宅の食事会での発言より

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  • 83
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  • 2011/10/03(月) 15:45:34.95
僕は今この時代に大見得切つて、「共産党に兜を脱がせるだけのものを持て」などゝ無理な注文は出しません。
時勢の流れの一面は明らかに彼らに利があり、彼等はそのドグマを改める由もないからです。しかし我々の任務は
共産党を「怖がらせる」に足るものを持つことです。彼等に地団太ふませ、口角泡を飛ばさせ、
「反動的だ! 貴族的だ!」と怒号させ、しかもその興奮によつて彼等自らの低さを露呈させることです。
正面切つて彼等の敵たる強さと矜持を持つことです。ひるまないことです。逃げないことです。怖れないことです。
そして彼等に心底から「怖い」と思はせることです。
(中略)貴族主義といふ言葉から説明してかゝらねばなりません。
学習院の人々に貴族主義を云ふとすこぶる誤解されやすく、それはともすれば今までの学習院をそのまゝそつくり
是認する独善主義の別語とされる惧れなしとしません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 2011/10/03(月) 15:46:07.62
(中略)
明治以来、「華族」とは政治的特権を背景にもつた政治的な名称であり、文化的意義は頗る稀薄にしかもつて
をりません。新華族が簇生(そうせい)した所以です。――貴族主義とはプロレタリア文化に対抗すると同じ
強さを以てブルジョア文化(アメリカニズム)に対抗するといふことを知つていたゞきたい。この意味で
政治的意味の貴族主義は無意味です。なぜなら世界史の趨勢はアリストクラシイの再来を絶対に希みえず、
現今までわづかに残された政治的特権も過去の特権の余映にすぎぬといふ理由が第一、もう一つは、ブルジョア文化が
今では貴族社会一般を風靡し、単に華族を集めてみても貴族主義は達成されぬといふ理由が第二です。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 85
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  • 2011/10/03(月) 15:46:45.90
――それでは文化的貴族主義とは何でせうか。それは歴史的意味と精神的意味と二つをもつてゐます。
…後者はあらゆる時代に超然とし、凡俗の政治に関らず、醇乎たる美を守るといふエリートの意識です。
(これは芸術からいふので、倫理的には道徳を守るエリートたりともある人はいふでせう)
…しかもその効果は美的標準に於て最高のものであらねばならぬ点で明らかに貴族主義的です。向上の意識、
「上部構造」の意識、フリードリヒ・ニイチェが貴族主義とよばれる所以です。
第二に、唯美主義は本質的に反時代性をもつといふ点で貴族的です。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡より

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  • 86
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  • 2011/10/03(月) 15:54:24.11
われらの外部を規制する凡ゆる社会的政治的経済的条件がたとへ最高最善理想的なものに達したとしても、
絶対的なる「美」からみればあくまでも相対的なものであり、相対的なものが絶対的なものを規制しようとする時、
それは必ず悪い効果を生じます。いかによき政治が美を擁護するにしろ、必ずその政治の中の他の因子が美を
傷つけることは、当然のことで仕方ないことです。したがってあらゆる時代に於て美を守る意識は反時代性をもち、
極派からはいつでも反動的と思はれます。すなはち、彼らのいはゆる反動的なるがゆゑに貴族主義的です。
――「中庸」といふ志那クラシックのいかにも睡つたやうなこの言葉がやうやう僕には激しい激越な意味を以て
思ひかへされて来ました。中庸を守るとは洞ヶ峠のことではありません。いはゆる微温的態度のことではありません。
元気のない聖人気取ではありません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 87
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  • 2011/10/03(月) 15:54:53.28
「中庸」の思想こそ真に青年の血を湧かせる思想なのです。それは荊棘の道です。苦難と迫害の道です。
漢籍に長ずるときく山梨院長が、戦時中の輔仁会で翻訳劇を上演しようとした僕の意図を抹殺し、戦争終るや
「モンテ・カルロの乾盃」を手もなく容認するやうな態度を、人々はいはゆる「中庸」の道だと思つてゐます。
これは思はざるの甚だしきものです。これこそいはゆる論語よみの論語知らずです。
右顧左顧して世間の機嫌をうかゞひもつとも「穏当な」道を選ぶといふ思想こそ、孔子が中庸といふ言葉で
あらはしたものと全く反対の思想です。
中庸といふこと、守るといふこと、これこそ真の長い苦しい勇気の要る道です。
このやうな時代に、美を守ることの勇気、過去の日本精神の枠、東洋文化の本質を保守するに要する勇気、
これこそ真の男らしい勇気といはねばなりません。
学習院は反動的といふ攻撃の矢面に立ち、真の美、真の文化を叫びつゞけねばなりません。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 88
  •  
  • 2011/10/04(火) 10:43:34.64
(中略)
君は大東亜戦争を何と考へてゐられますか。
僕らはあの戦争の中で育ち、その意味であの戦争を僕らは生涯(いや子孫代々)否定することはできません。
あの戦争が間違ひだつたのどうのといふことでなしに、人間の成長と形成の「過程」として否定したくもできない
一個の内面的事実なのです。我々が以て恥とすべきは戦争に協力したとか、戦争目的に盲目であつたとか、
為政者にだまされたといふことよりも、あの戦争から「我々が何も得て来なかつた」といふことではないでせうか。
何らわれらにプラスするものを得てこなかつたといふ痛切な恥ではないでせうか。この点は僕も省みて面を
赤くせぬわけにはゆきません。
しかし今日の輔仁会、といふよりはその背後にある昨今の学習院学生の気風にこれに対する反省がみられるでせうか。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より

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  • 89
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  • 2011/10/12(水) 11:24:29.19
独乙(ドイツ)敗るゝ時、忌はしくも紙上に見える無条件降伏の文字、西欧的表現の行詰りを見る思ひがいたしました。
大御戦はもとより本朝のおほみわざ、戦争と文化の問題についても日本独自の解決があるべきと存じます。
ヒトラア死して逸早い、ハムブルヒ無防備都市宣言の如き、醜態の極でありました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年5月5日、中河与一への書簡より

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  • 90
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  • 2011/10/12(水) 14:04:02.98
終戦ー謝罪外交ー村山談話の永遠回帰のほうがニーチェ保守だから。

「戦争という不快を避ける欲望」を、前提として考えればよくわかる。

こうなると、平和主義に「生命」を賭けるっていう、ほとんど
三島主義と変わらない献身的暴動が起こる。(平和のためなら尖閣も
日本も占領されたっていい)
これこそが
現代版ニーチェ保守主義だから

特攻隊だって、平和のために「献身」したんだっつの。

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  • 91
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  • 2011/10/12(水) 14:54:45.57
ヒトラーがドイツ国民をアーリア民族の優生性で、操作したのと、
ニッポンの左とメディアが日本国民を村山談話の優等性で操作してるのと、
何が違うんだ?国民の平和安定のためにという前提の欲望は変わらないのに。

手段としての優等性が正しいなら何故、中国ではノーベル平和賞が取れない?
民族の優生性、国家の優等生の考え方に差異があるからだ。平和主義者自由主義者は
国によっては国家犯罪者であり潜在的ヒトラーだからだ。
より具体的に中国はチベットのダライラマを確実にそういう目線で見ている。
簡単に言うと平和的非戦的な手段をとっても、ヒトラーにされるのが
世界の現実だ。
そういう意味で特別日本はまた、ヒトラー性をもった方向に向かってるんじゃないか?
村山談話がヒトラー性と関係ないと考えるのは違う。

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  • 92
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  • 2011/10/12(水) 17:23:11.96
>>90
それはどちらかと言うとニーチェ革新主義だな。
三島は保守主義なんだよ。
不死鳥の如く不屈に戦おうって言う。

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  • 93
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  • 2011/10/12(水) 17:31:51.73
>>91
まったく違うよ。
ニーチェのニヒリズムはいうなれば不屈なる維新主義なんだよ。





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  • 94
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  • 2011/10/13(木) 10:15:18.98
独逸(ドイツ)の悲劇はあくまで西洋古代の悲劇と相以て、運命と人との闘争の終局でありましたが、今や
我が国にはこれに類似の悲愴趣味運命観が流行してをりますことは、大いに警戒の要ありと存じます。新運命観は、
運命への抵抗乃至(ないし)闘争でもなく、運命への盲従乃至信仰でもなく、運命を汎(ひろ)く輪廻と解して、
これに対する濃まやかな愛情と親密な交遊の裡に、自己と輪廻との合歓、慇懃の甘美を極めた境地にまで、
相共に融合することであると考へます。単なる否定でも肯定でもない、かゝる主観客観を超えた魂の状態を、
貴下は兼てより「愛」と呼ばれましたが、「愛」の教は今日以後一層痛切な意味をもつでありませう。私は
今までの国学の偏狭、コスモポリティズムの軽佻を排して、真の意味の universal につながりたいと思ふやうに
なりました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年6月27日、中河与一への書簡より

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  • 95
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  • 2011/10/13(木) 10:20:19.49
昨晩は末弘厳チャンが来られ、厳チャンを囲んで話を聞く会がありました。厳チャンが嘗てヒトラーと会つた話など
傑作でした。ヒトラーがオリムピックの日本水泳代表の健闘をほめて、「日本人は魚のやうによく泳ぐ」と
お世辞を云つた、すると厳チャンは昂然と、「イヤ他国の代表が人間の如く泳がないだけだ」と云つた由。
正に逸話に残りさうな話です。更に厳チャンが、大戦後の疲弊した社会の少年がいま優秀なドイツ青年になつて
ゐることを称讃すると、ヒトラーは大変よろこんで厳チャンを抱き上げんばかりに喜んださうです。「嘗て
ヒトラーがあんなに感情を露骨にあらはした応待をしたことがない」とあとで厳チャンは侍従に云はれたさうです。
――厳チャンの言によれば、目下憲法卅一条論がさかんで、その具体的法令まで作つてゐる奴があるといふ
処士横議の有様ださうです。その政治的結果については多言を要しますまい。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年1月27日、平岡梓、倭文重への葉書より

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  • 96
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  • 2011/10/15(土) 15:02:34.67
「憂国忌」代表発起人のおひとり、西尾先生の全集刊行と講演会のお知らせです
  ◎◎

 予約受付開始!! まもなく、西尾幹二全集の刊行が始まります!
 全著作を収めた初の決定版全集!!  西尾幹二全集
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

全22巻(年4冊刊行)
―― ニーチェ研究で衝撃のデビューを果たし、日本のあり方を深く、多角的に洞察してきた「知の巨人」西尾幹二の集大成。
―― ショーペンハウアーや福田恆存の解読も踏まえ、文学評論、教育論、日本の歴史、江戸の学問論、世界史観、さらにはヨーロッパ留学から病気体験を経て、
自己の少年期までを語る自分史を通じ、自由とは何か、人生の価値とは何か、日本の根本問題とは何かを問うてきた思想家の、そのひたむきな軌跡を辿る。

第一回配本 第五巻(平成二十三年十月 刊行予定 六〇九〇円(税込)
『光と断崖──最晩年のニーチェ』 〜発狂直前のニーチェ像を立体化し、未刊行の・西尾のニーチェ・を集成する


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  • 97
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  • 2011/10/15(土) 15:03:28.64
全巻の内容
西尾幹二全集 全二十二巻(予価各巻五千八百円〜八千円 巻数順に年四冊配本予定)
@@@@@@@@@@@@@@@

第 一 巻 ヨーロッパの個人主義 平成二十四年一月刊行予定
第 二 巻 悲劇人の姿勢
第 三 巻 懐疑の精神
第 四 巻 ニーチェ
第 五 巻 光と断崖―最晩年のニーチェ 
第 六 巻 ショーペンハウアーの思想と人間像
第 七 巻 ソ連知識人との対話
第 八 巻 日本の教育 ドイツの教育  
第 九 巻 文学評論
第 十 巻 ヨーロッパとの対決
第 十一 巻 自由の悲劇
第 十二 巻 日本の孤独
第 十三 巻 全体主義の呪い
第 十四 巻 人生の価値について
第 十五 巻 わたしの昭和史
第 十六 巻 歴史を裁く愚かさ
第 十七 巻 沈黙する歴史
第 十八 巻 決定版 国民の歴史
第 十九 巻 日本の根本問題
第 二十 巻 江戸のダイナミズム
第二十一巻 危機に立つ保守
第二十二巻 戦後史観の革新



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  • 2011/10/15(土) 15:04:06.02
内容見本ご希望の方は、下記へお問い合わせ下さい。
株式会社 国書刊行会 03−5970−7421 Fax :03−5970−7427
Email:nakagawara@kokusho.co.jp


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  • 99
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  • 2011/10/15(土) 15:11:05.97
 西尾幹二全集刊行 記念講演会のご案内 ↓
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
 西尾幹二先生の全集刊行が開始されました。これを記念して氏の講演会が開催されます。ふるってご参集下さい。
 入場無料です。
       記
とき  11月19日(土曜) 午後六時開場 六時半開演
ところ 池袋「豊島公会堂」
    http://www.toshima-mirai.jp/center/a_koukai/
演題  西尾幹二「ニーチェと学問」
入場  無料
主催  ?国書刊行会(http://www.kokusho.co.jp


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  • 100
  •  
  • 2011/10/20(木) 22:19:01.44
12月14日は震災に注意だ!
広めてくれ!

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  • 101
  • 忍法帖【Lv=20,xxxPT】
  • 2011/10/21(金) 23:11:02.40
ニーチェの方が幸福の科学よりも優等生ですよねー!?♪。

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  • 102
  •  
  • 2011/10/23(日) 12:12:32.93
村上:日本人というのはどうしてこう人がいいのですかね。だまされやすいというのか。

三島:ぼくはだまされやすい云々よりも、言葉が軽視されたということがすべての間違いのもとだというふうに
思うのですけれども、たとえば戦術的にいっても、政治の基本は、言葉で「おれはあした羽田から発つ」というと、
羽田から発たなければならないというのが政治のルールと基本であって、(中略)こっちも「あした首相官邸を
占領する」といったら、その言葉は文学の言葉と本質的に同じ重さを持つべきだ。

村上:武士に二言はないと言う。

三島:それでね。ぼくら小説を書くときはそういう言葉を書くつもりで書いているのだから、そうしたら
やらなければならない。そりゃ死んでもやらなければならない。だから「十一月に死ぬぞ」といったら絶対
死ななければいけない。政治の言葉が文学の言葉と拮抗するのはその一点を措いてないのですよ。ぼくはそう
思うのですね。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 103
  •  
  • 2011/10/23(日) 12:13:02.12
それを全部戦術である、あれはああいって敵をだまかしたのだ、実は死ぬ気はなかったので、ちゃんと戦力は
温存してある、首相官邸をどうせ占領できないことはわかっているが、敵の目をくらますためにそういったのである、
などと言う。これは戦術というものの一番最低の戦術ですね。欺騙行動というのですけれども、ぼくはそれは
もう言葉がばかにされている段階だと思うのです。一度言葉をばかにしたら、あと永遠にこれをばかにしなければ
ならない。


「言霊の幸ふ」というのは、紀貫之が「猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」ですか、「古今集」の序に
ありますね。言葉が現実というものを支配しているのだ、そうして現実の人間感情というのは結局その言葉から
出て来たものでできているのだという、現実に対するアンチテーゼを立てる立て方なんですね。(中略)あの言葉は、
言葉が先であって、現実が先なんだということは一言もいってない。(中略)
しかしぼくが一歩言葉の外に出ればそこじゃ責任は完全にかかってくるという考えですね。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 104
  •  
  • 2011/10/23(日) 12:13:30.60
村上:祭りというのは天皇が中心になって米を斎き祭るというようなことですか、やはり米を食っていなければ
いけないわけですな。

三島:米は絶対食いますね。日本人はどこまでいっても食いますね。ここでパン食ってますけれど、米はとにかく
どこまでも食いますな。米が一つの象徴になったってぼくは構わないと思う。日本中に水田が全部なくなって、
宮中の陛下がおつくりになる一坪の水田になっちゃった――それでも構わない。

村上:そうすると三角寛さんの山窩の研究に出てくるような米を食わないやつがほんとうの日本人だというあれは
どうお考えですか。

三島:(中略)そういう民衆の中のちょっとした変ったものを見つけて来て、それを拡大する歴史観というのは
いろいろありますよ。八切止夫なんかそんなことばっかりいって暮している。(笑)そんなもの歯牙にかける
必要ないです。文化に関係ないです、そんなもの。そんな人間がいつ文化を創造したですか。いつ文化の高い洗練、
日本語の一番高いものをそんな人間が保証しましたか。山窩が日本語というものを保証しやしない。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 105
  •  
  • 2011/10/23(日) 12:13:53.85
村上:米をつくるということと、米を斎き祭るということと、言霊の幸ふということが合致するわけですね。

三島:そうですね。

村上:それがほんとうのネーションであるとおっしゃる?

三島:三種の神器とぼくがいうのはそれですけれども、あなたもそれ、お書きになっている。この間、石原慎太郎に
笑われちゃった。小田実と二人で、私をあざ笑っていましたよ。三種の神器だって、三島にも困ったものだ――
石原が笑ったら、小田実が共感の笑いをもって……。(笑)

村上:その点自民党と社会党も近いわけですな。

三島:いや、石原と小田実って、全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな。

村上:ともかく非常にモダンな人が多いから、三種の神器なんていうと驚いちゃうのですね。われわれは心の上では
非常に身近なんだけれども。(笑)

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 106
  • 忍法帖【Lv=22,xxxPT】
  • 2011/10/23(日) 23:21:32.83
僕は限界突破を超越するよねー!?♪。

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僕はニーチェ発行主義ですよねー。

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  • 108
  •  
  • 2011/10/25(火) 23:51:47.67
三島:ですからぼくが皇居を守るというのは、一般のやつとちょっと違うのは、宮中三殿守ればいい、宮中三殿の
ことなんですよ。文化というのは、結局それ以外に文化を最終的に守るといったって、「源氏物語絵巻」とか
国立博物館にある文化財とか、文部省の文化財保護委員会の思想とか、そういう思想は戦う思想じゃないのです。
そういう思想は絶対にどんな政治形態ができようが、これからも、大丈夫です。そういう思想は官僚の思想ですね。
ぼくはひょっとすると言論の自由を守るという思想もそっちの方じゃないかと思うのですね。下手をすると、
というのは言論の自由の問題は非常に微妙なんだけれども、文化というものの発達に、言論の自由というものが
ほんとうに栄養分になるかどうか、ときどき疑問に思うのです。(中略)

村上:結局自分が美しいと思う生き方を生きて見せるというほかに手がない。

三島:それ以外に全くないですね。ところがそのチャンスすらなくなっちゃった。(中略)

村上:なかなか腹を切るチャンスもないですし、うまく切れるかどうかむずかしい。

三島由紀夫
村上一郎との対談「尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命」より

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  • 109
  •  
  • 2011/10/26(水) 00:54:25.01
三島はやっぱ天才だな。
教養の深さが違うわ。

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ニーチェ空想主義ですよねー!?♪。

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まあ取り敢えず是非とも僕はニーチェ会議主義ですよねー。

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  • 112
  •  
  • 2011/11/01(火) 13:10:15.00
大島正満博士の「修学院の秋」といふ文章を読んだことがありますか。塩原太助の馬を舞台に観てふきだした
アメリカ少年が、秋たけなはの修学院を周遊して、ふと拾つた一葉の紅葉に、日本の秋――日本の荘厳な美の
真髄を悟るといふ美しい記録文で、今に忘れられません。
アメリカ人が六代目の鏡獅子を本当に味解しようとする努力、――と云ふより大国民としての余裕を持つてゐたら
戦争は起らなかつた。文化への不遜な態度こそ、戦争の諸でありませう。日本の高邁な文化を冒涜する国民は
必ず神の怒りにふれるのです。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年1月6日、三谷信への葉書より

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  • 113
  •  
  • 2011/11/01(火) 13:10:52.09
けふで丸五日間、丸つきり空襲がありません。不気味な不安。そのなかにも駘蕩たる春の日は窓辺まで
押しよせて来てゐます。(中略)
大学から、「肺浸潤でも何でもかまはんから出て来い」といつ呼出しがあるかわかりません。さうなつたら
さうなつた時のことです。
僕はこれから「悲劇に耐へる」というより、「悲劇を支へる」精神を錬磨してゆかなければ、と思ひます。
古代ギリシャ人にその範を仰がずとも、身近な巣林子の元禄時代は、我々に文芸復興が何であるかを、赤裸々に
教へてくれます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年3月3日、三谷信への葉書より

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  • 114
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  • 2011/11/01(火) 13:11:18.20
ルーズベルトが死にましたね、日本時間の十三日の金曜日に。新聞は良き敵将を失つて哀悼の意を表す、といふ
態度に出てゐて、結構だと思ひます。阿南大将が二年程前、アメリカの国旗をふみにじつて行進する日本軍を
写した劇映画をみて、「これでは国が危い。徳義の戦ひをやつてゐるのを忘れたのか」と嘆かれたさうですが、
この挿話をきいて、頗る阿南大将を尊敬しはじめました。軍人でかういふ立派な見識をもつてゐられることは
実にありがたいことです。今は亡き帝大国家主義憲法学の泰斗上杉慎吉博士が大正十三年に著はした「日米衝突の
必至と国民の覚悟」なる警世の大文章をよみ、その史眼の卓越、見識の高邁に深く搏たれました。(中略)
――今日偶然地下鉄新橋駅で稲田さん(今海軍中尉です)にあひました。沖縄で、特攻隊と共に敵艦へ
肉迫したのださうです。「くはしく話して下さい」と云つたら「いやだ、ネタにされるから」とにげられました。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月14日、三谷信への葉書より

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  • 2011/11/01(火) 13:12:17.37
君と共に将来は、日本の文化を背負つて立つ意気込みですが、君が御奉公をすましてかへつてこられるまでに、
僕が地固めをしておく心算です。僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅――
すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、
カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその殺傷(これは超克よりは
一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。
「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、
今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、今更、
神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月21日、三谷信への葉書より

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ニーチェ見たいな思想哲学は共感するよねー。

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  • 2011/11/08(火) 22:08:02.89
御葉書拝見。何はあれ、このやうな大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりの出来るやうな
事態を、誰が予想し得たでせう。想像するだに、時代の異常さに想ひ到らずにはゐられません。かゝる事態は、
その型式や態様の如何はしばらく措き、夙に想像し得たところでした。今は何も語りたくありません。
これから勉強もし、文学もコツコツ落着いてやつて行きたいと思ひます。自分一個のうちにだけでも、最大の
美しい秩序を築き上げたいと思ひます。戦後の文学、芸術の復興と、その秩序づけに及ばず乍ら全力をつくして
貢献したいと思ひます。(中略)
すべては時代が、我々を我々の当面の責務に追ひやります。僕は少なくとも僕の廿代を、文化的再建の努力に
捧げたいと思つています。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年8月22日、三谷信への書簡より

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  • 2011/11/09(水) 19:57:24.53
三大喜劇王は結局、日本人

http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0204/43/286_1.html

ゾルゲとヒトラーの影武者でもあった。

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  • わかんたんか
  • 2011/11/10(木) 12:14:32.56
http://www.youtube.com/watch?v=vn2OgHd99GE&sns=em

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  • 2011/11/11(金) 00:31:43.82
現代日本を見て三島由紀夫は何を思うか
言論の限界を悟り暴挙に及んだが
実に潔し
選ばれし者は命懸けで政治を行っていただきたい
この国に自決する力など無いのだから



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努力への意思。

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  • 2011/11/16(水) 12:32:43.85
私は、詩人的国文学者としての氏を、古代から近代までの古典を潺湲(せんくわん)と流れる抒情を、何ら
偏見なく儒臭なく、直下にとらへて現代へ齎しうる人と考へてゐたから、氏の怒りの対象については関知する
ところでなかつた。
氏はそのやうな人として現はれ、そのやうな人として私の眼前から去つたのである。
「予はかかる時代の人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。……然うして死ぬことが今日の自分の
文化だと知つてゐる」(「大津皇子論」)
この蓮田氏の書いた数行は、今も私の心にこびりついて離れない。死ぬことが文化だ、といふ考への、或る時代の
青年の心を襲つた稲妻のやうな美しさから、今日なほ私がのがれることができないのは、多分、自分が
そのやうにして「文化」を創る人間になり得なかつたといふ千年の憾(うら)みに拠る。
氏が二度目の応召で、事実上、小高根氏のいはゆる「賜死」の旅へ旅立つたとき、のこる私に何か大事なものを
託して行つた筈だが、不明な私は永いこと何を託されたかがわからなかつた。

三島由紀夫「『蓮田善明とその死』序文」より

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  • 2011/11/16(水) 12:34:39.08
(中略)
それがわかつてきたのは、四十歳に近く、氏の享年に徐々に近づくにつれてである。私はまづ氏が何に対して
あんなに怒つてゐたかがわかつてきた。あれは日本の知識人に対する怒りだつた。最大の「内部の敵」に対する
怒りだつた。
戦時中も現在も日本近代知識人の性格がほとんど不変なのは愕くべきことであり、その怯懦、その冷笑、
その客観主義、その根なし草的な共通心情、その不誠実、その事大主義、その抵抗の身ぶり、その独善、
その非行動性、その多弁、その食言、……それらが戦時における偽善に修飾されたとき、どのような腐敗を放ち、
どのように文化の本質を毒したか、蓮田氏はつぶさに見て、自分の少年のやうな非妥協のやさしさがとらへた
文化のために、憤りにかられてゐたのである。この騎士的な憤怒は当時の私には理解できなかつたが、戦後自ら
知識人の実態に触れるにつれ、徐々に蓮田氏の怒りは私のものになつた。そして氏の享年に近づくにつれ、
氏の死が、その死の形が何を意味したかが、突然啓示のやうに私の久しい迷蒙を照らし出したのである。

三島由紀夫「『蓮田善明とその死』序文」より

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  • 2011/11/18(金) 00:43:51.35
まことに小鳥の死はその飛翔の永生を妨げることはできない。中絶はたゞ散歩者が何気なく歩みを止めるやうに
意味のない刹那にすぎない。喪失がありありと証ししてみせるのは喪失それ自身ではなくして輝やかしい存在の
意義である。喪失はそれによつて最早単なる喪失ではなく喪失を獲得したものとして二重の喪失者となるのである。
それは再び中絶と死と別離と、すべて流転するものゝ運命をわが身に得て、欣然輪廻の行列に加はるのである。
別離が抑(そもそも)何であらうか。歴史は別離の夥しい集積であるにも不拘(かかはらず)、いつも逢着として、
生起として語られて来たではないか。会者必離とはその裏に更に生々たる喜びを隠した教へであつた。
別離はたゞ契機として、人がなほ深き場所に於て逢ひ、なほ深き地に於て行ずるために、例へていはゞ、池水が
前よりも更に深い静穏に還るやうにと刹那投ぜられた小石にすぎない。それはそれより前にあつたものゝ存在の意義を
比喩としつゝ、それより後に来るものゝ存在を築くのである。即ち別離それ自体が一層深い意味に於ける逢会であつた。
私は不朽を信ずる者である。

平岡公威(三島由紀夫)20歳「別れ」より

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  • 2011/11/20(日) 19:07:07.24
ナチスは本当に間違っていたのか?
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/war/1230918953/
石原慎太郎はナチストでした
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1292722212/
● ナチスが何故興ったのか最近理解した ●
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/eco/1197447967/
ナチスのハーケンクロイツに匹敵するのは菊の御紋
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/war/1313346443/
ナチスUFO兵器は存在したか?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1290680756/
安倍晋三元首相、中国の軍事戦略をナチスの「レーベンスラウム(生存圏)」に例える
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/1287546412/
【米国】「ローマ法王はナチス」 女優スーザン・サランドンの発言が物議[11/10/18]
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1318909193/
薩長=ナチス(121)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1284288432/
共産党は「左版ナチス」共産主義は「左版ナチズム」
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1150706558/
ナチスドイツか東ドイツどちらに住みたい?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/europa/1229662108/
中華人民共和国政権はネオナチ、領土膨張、覇権主義
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1293338335/
【ネオナチ】大日本報靖會を打倒せよ!【新風】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1220201309/
【海外】日本のネオナチについて【生活】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/world/1169613697/
2ch共産党板に巣食うネオナチを語るスレ
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1192814331/
東アジアナチ党を結成するスレpart1
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1320557293/
【平等主義の欺瞞】 人間は平等ではない
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/soc/1297932563/

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  • 2011/11/20(日) 19:07:56.57
シオニズム正当化の手段としての「ナチ・ガス室」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news5/1065335558/
ナチ残党映画を語ろう!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/kinema/1207577560/
【映画】カティンの森を見たか ナチとアカは同族
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1267543940/
【超カリスマ】 ヒトラーの究極予言 卍16
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1319201921/
ヒトラーの何が悪かったのか考察するスレ3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1284952372/
■卑劣なユダヤ人「ヒトラーは正しかった!」■
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news5/1233150524/
いまの日本にはヒトラー的存在が必要だ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/1229217615/
ヒトラーはなぜ反共なの?
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/982771624/
ヒトラーの予言が凄い件について
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/loser/1273154348/
ヒトラーは正しかった
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news5/1076455524/
ヒトラーについて楽しく語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/event/1140331634/

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  • 2011/11/21(月) 21:57:05.72
戦後のいまの世界を見ていますと、たいていのことはフィクションで片づいちゃう。(中略)思想的な激突を
やる代わりにテレビでもって討論会をやる。そんなふうに、だんだんだんだん影がうすまってくるわけですね。
そしてすべてがフィクションの世界にとけ込んでしまって、どこに生死を賭けた大事があるのかわからなくなってくる。
激突しても、これは本当に死ぬ気があるのかどうか、殺す気があるのか、あるいは殺される気があるのか
わからないところで対決する。それが現代ですね。「葉隠」は、そういうものを非常に嫌うわけですね。
そういうのは芸能に携わる人間のやることであって、(中略)武士というものはそういうものじゃなくて、
本当に死ぬということが武士なんだから、そういう点で、河原乞食なんかいくら軽蔑してもかまわないという
考えですね。現代は全河原乞食、一億河原乞食の時代で、政治家から、経済人から、芸術家から、なにから、
やはり河原乞食だと思うのですね、「葉隠」と較べれば。

三島由紀夫
相良享との対談「『葉隠』の魅力」より

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  • 2011/11/21(月) 21:57:35.81
全学連の運動というのはね、方向がどうあれ、根本は実感主義の復活ということだと思うのですね。これは
全学連のみならず、右の学生もそうなのであって、(中略)自分の成長期に、なんら実感にふれないで大人に
なっていったらどうなるだろう、すごい恐怖だと思うのですよ。われわれは、少なくとも空襲という実感が
ありましたね。それから死体がそこらにころがっているという実感がありました。中世の人間は、「方丈記」も
そうですが、そういう実感の中から初めてフィクションも出てきた。
私はインドに去年行きまして、ベナレスで、癩病の乞食がいっぱい並んでいるところを見て、なるほど弱法師と
いうのは、ここから出たんだと思ったのです。そして芸術の根源というのは、ああいうところにあって、ああいう
恐ろしい実感、あのファクトを一生懸命洗練したり、磨き上げたり、抽象化するから芸術が起こるのであって、
現代みたいにファクトがないところで、どうやって芸術をやっていくのかという危機感は、私どももっているわけです。

三島由紀夫
相良享との対談「『葉隠』の魅力」より

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  • 2011/11/21(月) 21:58:23.16
たとえば、私は人間関係は、みんな委員会になっちゃったというのです。そしてうそですね。うそでかためれば安全、
謙譲の美徳を発揮すれば安全、安全第一。そして人間関係も、とにかく世論というものをいつも顧慮しながら、
不特定多数の人間の平均的な好みに自分を会わせれば成功だし、会わせれることができなきゃ失敗。これが
現代社会ですよ。
(中略)
現代的コミュニケーション、現代的対人態度というものの中にある毒を清めたいときに、「葉隠」を読めばいいと思う。
「葉隠」をサラリーマンの心得みたいに思うことは、ずいぶん間違いだと思うのです。
ぼくは、もうちょっと人間関係ががたぴししたらいいと思うのです。人間関係全部ががたぴししないから、
集団の衝突になっちゃうのがいまの世の中だと思いますし、いまの近代社会というものの宿命だと思います。
どうも人間関係ががたぴししないで、あまり円滑にすべりすぎるから、一方では衝突が起こるのだろうと思います。

三島由紀夫
相良享との対談「『葉隠』の魅力」より

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別に何か得に無いですニーチェを超越凌駕克服するよねー。

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  • 2011/11/29(火) 10:44:10.49
乃木大将の死とともに終つた陽明学的知的環境は、大正教養主義と大正ヒューマニズムの敵に他ならなかつた。
過去の敵であるばかりではなく、未来の敵にもなつた。といふのは、大正知識人が徐々に指導者となる時代、
昭和初年にいたつて、このやうに否定され忌避され抑圧された陽明学的潮流は、地下に潜流して、過激な右翼思潮の
温床となつたために、ますます大正知識人に嫌はれる対象となり、被害者意識から大正知識人が、後輩へあへて
伝へまいとした有害な「黒い秘教」になつたのである。
一方マルクシズムは、知識層の革命的関心の、ほとんど九十パーセントを奪ひ去つた。北一輝のやうな日本的
革命思想の追究者は、孤立した星であつた。マルクシズムが陽明学にとつて代り、大正教養主義・ヒューマニズムが
朱子学にとつて代つたといふこともできるであらう。朱子学の、なかんづく、荻生徂徠のやうな外来思想の心酔者は、
大正知識人にとつてもむしろ親しみやすかつた。しかし国学と陽明学はやりきれぬ代物だつた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/11/29(火) 10:44:37.15
国学は右翼学者の、陽明学は一部の軍人や右翼政治家の専用品になつた。インテリは触れるべからざるものに
なつたのである。
今日でも、インテリが触れてはならぬと自戒してゐるいくつかの思想的タブーがあり、武士道では「葉隠」、
国学では平田(篤胤)神学、その後の正統右翼思想、したがつて天皇崇拝等々は、それに触れたが最後、
インテリ社会から村八分にされる危険があるものとされてゐる。さういふものを何か「いまはしい」ものと
考へるインテリの感覚の底には、明治の開明主義が影を落としてゐる。西欧的合理主義の移入者であり代弁者で
あるところに、自己のプライドの根拠を置いてきた明治初期の留学生の気質は、今なほ日本知識層の気質の底に
ひそんでゐる。決して西欧化に馴染まぬものは、未開なもの、アジア的なもの、蒙昧なもの、いまはしいもの、
醜いもの、卑しむべきもの、外人に見せたくないもの、として押入の奥へ片付けておく。陽明学もその一つで
あつたのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/11/29(火) 10:45:03.79
現代日本知識人は、かくて無意識のうちに朱子学的伝統を引いてゐる。すなはち、西欧化近代化の文明開化主義の
明治政府と、その劇画化としての第二次大戦後の政府との、基本方針を逸脱せぬところで、同じ次元で、これを
批判し、あるひは「教育」する立場に矜りを見つける。マルクシストさへ、近代化の方策の差といふのみで、
近代主義者には変りがないから、近代主義の先駆としての立場から、「保守的」政府を批判し、それ以上には
出ないのである。大内兵衛氏が、自民党内閣と社会党と双方に関係するのは、双方が近代主義の異腹の児で
あるといふ点で、矛盾はない。
現代日本知識人の身を置く立場や思想は、マルクシズムの神話の崩壊につれ、ますます朱子学の各分派といふ様相を
呈するであらう。私見によれば陽明学は、決してその分派に属さない。むしろ今こそそれは嘗てあつたよりも
激しい形で、提起され直さねばならない。あらゆる政治学が劇薬でありえなくなつた現在、菌にも耐性ができて、
大ていの薬では利かなくなつたのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/11/29(火) 10:46:46.05
さて今まではといへば、たとへば(中略)氏(丸山真男)はそのかなり大部の著書の中でわづかに一頁の
コメンタリーを陽明学に当ててゐるに過ぎない。氏は、陽明学をあくまで朱子学に依存する一セクトとして見、
これを簡略に説明して、朱子の「知先行後」に対して「知行合一」を主張するところの主観的、個人的哲学で
あるとなし、陽明学は朱子学の理の内包してゐた物理性をことごとく道理性のうちに解消せしめたが故に、
朱子学ほどの包括性をもたず、朱子学ほどの社会性を失つた、と説いてゐる。
しかしながら陽明学は、明治維新のやうな革命状況を準備した精神史的な諸事実の上に、強大な力を刻印してゐた。
陽明学を無視して明治維新を語ることはできない。
大体、革命を準備する哲学及びその哲学を裏づける心情は、私には、いつの場合もニヒリズムとミスティシズムの
二本の柱にあると思はれる。(中略)二十世紀のナチスの革命においては、ニイチェやハイデッカーの準備した
能動的ニヒリズムの背景のもとに、ゲルマン神話の復活を策するローゼンベルクの「二十世紀の神話」が、
ナチスのミスティシズムを形成した。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/01(木) 17:08:36.97
革命は行動である。行動は死と隣り合はせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を離れて行動の世界に
入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼むミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは
人間性の自然である。
明治維新は、私見によれば、ミスティシズムとしての国学と、能動的ニヒリズムとしての陽明学によつて準備された。
本居宣長のアポロン的な国学は、時代を経るにしたがつて平田篤胤、さらには林桜園のやうなミスティックな
神がかりの行動哲学に集約され、平田篤胤の神学は明治維新の志士達の直接の激情を培つた。
また、これと並行して、中江藤樹以来の陽明学は明治維新的思想行動のはるか先駆といはれる大塩平八郎の乱の
背景をなし、大塩の著書「洗心洞箚記」は明治維新後の最後のナショナルな反乱ともいふべき西南戦争の首領
西郷隆盛が、死に至るまで愛読した本であつた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/01(木) 17:09:20.86
また、吉田松陰の行動哲学の裏にも陽明学の思想は脈々と波打つてをり、一度アカデミックなくびきをはづされた
朱子学は、もとの朱子学が体制擁護の体系を完成するとともに、一方は異端のなまなましい血のざわめきの中へ
おりていき、まさに維新の志士の心情そのものの思想的形成にあづかるのである。
主観哲学であり、且つ道理を明らかにすることによつて善悪を超越する哲学であるこの陽明学といふ危険な思想は、
丸山氏のいふところの、まさに逆を行つて、権力擁護の朱子学、徂徠学の一分派といふ仮面に隠れながら、その実、
もつとも極端なラディカリズムと能動的ニヒリズムの極限へ向かつて進んでいつた。その「良知」とは、単に
認識の良知を意味するものではなく、「太虚」に入つて創造と行動の原動力をなすものであり、また一見、
武士的な行動原理と思はれる知行合一は、認識と行動の関係にひそむもつとも危険な消息を伝へるものであつた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/01(木) 17:09:49.93
(中略)
私はさつき、死に直面する行動がニヒリズムを養成するといふことを言つた。陽明学の時代にはニヒリズムと
いふ言葉はなかつたから、それは大塩平八郎(中斎)の中斎学派がとりわけ強調した「帰太虚」の説の中に
表はれてゐる。
「帰太虚」とは太虚に帰するの意であるが、大塩は太虚といふものこそ万物創造の源であり、また善と悪とを
良知によつて弁別し得る最後のものであり、ここに至つて人々の行動は生死を超越した正義そのものに帰着すると
主張した。彼は一つの譬喩を持ち出して、たとへば壷が毀(こは)されると壷を満たしてゐた空虚はそのまま
太虚に帰するやうなものである、といつた。壷を人間の肉体とすれば、壷の中の空虚、すなはち肉体に包まれた
思想がもし良知に至つて真の太虚に達してゐるならば、その壷すなはち肉体が毀されようと、瞬間にして永遠に
偏在する太虚に帰することができるのである。
その太虚はさつきも言つたやうに良知の極致と考へられてゐるが、現代風にいへば能動的ニヒリズムの根元と
考へてよいだらう。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/01(木) 17:10:34.70
ただ、この太虚が仏教の空観に、ともすると似てきてしまふことは、森鴎外も小説「大塩平八郎」の中でそれとなく
皮肉に指摘してゐる。仏教の空観と陽明学の太虚を比べると、万物が涅槃の中に溶け込む空と、その万物の
創造の母体であり行動の源泉である空虚とは、一見反対のやうであるが、いつたん悟達に達してまた現世へ
戻つてきて衆生済度の行動に出なければならぬと教へる大乗仏教の教へにはこの仏教の空観と陽明学の太虚を
つなぐものがおぼろげに暗示されてゐる。ベトナムにおける抗議僧の焼身自殺は大乗仏教から説明されるが、
また陽明学的な行動ともいふことができるのである。
陽明学をごく簡単に説明したものとしては、井上哲次郎博士の「王陽明の哲学の心髄骨子」といふ古い論文がある。
(中略)明代の哲学者王陽明は朱子哲学の反動としておこつた人であるが、朱子哲学が二元論であつたので、
これに対して一元論の哲学を唱導し、陸象山の思想を受けてこれに自由主義的あるひは平等主義的な傾向を与へて
陽明学を体系づけた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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ニーチェは貴重な人物!?♪。

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  • 2011/12/05(月) 11:03:54.79
(中略)
そもそも陽明学には、アポロン的な理性の持ち主には理解しがたいデモーニッシュな要素がある。ラショナリズムに
立てこもらうとする人は、この狂熱を避けて通る。
もちろん、認識と行動との一致といふことを離れて考へてみても、われわれが認識ならぬ知に達する方法としては
古人がすでに二つの道を用意してゐた。一つは、認識それ自体の機能を極限までおし進めるアポロン的な方法であり、
一つは、理性のくびきを脱して狂奔する行動に身をまかせ、そこに生ずるハイデッガーのいはゆる脱自、陶酔、
恍惚、の一種の宗教的見神的体験を通じて知に到達するといふ方法である。これは哲学の中の二つの潮流を
形づくると同時に、人間の行動様式、行動様式の表はれとしての倫理や文化などの、すべての分岐点として現はれた。
陽明学を革命の哲学だといふのは、それが革命に必要な行動性の極致をある狂熱的認識を通して把握しようとした
ものだからである。私がかう言ふのは、学問によつてではなく行動によつて今日までもつとも有名になつてゐる
大塩平八郎のことをいま思ひうかべるからだ。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/05(月) 11:04:26.39
(中略)
大塩が思ふには、われわれは天といへば青空のことだと思つてゐるが、こればかりが天ではなくて、石の間に
ひそむ空虚、あるひは生えてゐる竹の中にひそんでゐる空虚もまつたく同じ天であり、太虚の一つである。
この太虚は植物、無機物ばかりではなく、人間の肉体の中にも口や耳を通じてひそんでゐる。われわれが持つて
ゐる小さな虚も、聖人の持つてゐる虚と異なるところはない。もし、誰であつても心から欲を打ち払つて太虚に
帰すれば、天がすでにその心に宿つてゐるのである。誰でも聖人の地位に達しようと欲して達し得ないことはない。
「聖人は即ち言あるの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖人なり」
太虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入つていくほかはない。形の
あるものはすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさへ地震によつてゆすぶられる。何故なら形があるからである。
しかし、地震は太虚を動かすことはできない。これでわかるやうに心が太虚に帰するときに、初めて真の「不動」を
語ることができるのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/05(月) 11:04:50.87
すなはち、太虚は永遠不滅であり不動である。心がすでに太虚に帰するときは、いかなる行動も善悪を超脱して
真の良知に達し、天の正義と一致するのである。
その太虚とは何であるか。人の心は太虚と同じであり、心と太虚とは二つのものではない。また、心の外にある虚は、
すなはちわが心の本体である。かくて、その太虚は世界の実在である。この説は世界の実在はすなはちわれであると
いふ点で、ウパニシャッドのアートマンとはなはだ相近づいてくる。
大塩平八郎はその「洗心洞剳記」にもいふやうに、「身の死するを恨みずして心の死するを恨む」といふことを
つねに主張してゐた。この主張から大塩の過激な行動が一直線に出てきたと思はれるのである。心がすでに太虚に
帰すれば、肉体は死んでも滅びないものがある。だから、肉体の死ぬのを恐れず心の死ぬのを恐れるのである。
心が本当に死なないことを知つてゐるならば、この世に恐ろしいものは何一つない。決心が動揺することは絶対ない。
そのときわれわれは天命を知るのだ、と大塩は言つた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/06(火) 15:25:11.60
(中略)
われわれは心の死にやすい時代に生きてゐる。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると日本には、平八郎とは
反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」といふ人が無数にふえていくことが想像される。
肉体の延命は精神の延命と同一に論じられないのである。われわれの戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重の
ヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問はないのである。
社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかり
恐れてゐる人で日本中が占められてゐるならば、無事安泰であり平和である。しかし、そこに肉体の生死を
ものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が
底流することになるのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/06(火) 15:25:48.84
(中略)
大塩平八郎の死は、前にも言つたやうに天保八年三月のことであつたが、それから四十年を経た、西郷南洲の
西南の役における死に思ひ及びと、西郷の生涯が再び陽明学の不思議な反知性主義と行動主義によつて貫かれて
ゐることにわれわれは気づく。西郷の「手抄言志録」によれば、その第二十一には、死を恐れるのは生まれてから
のちに生ずる情であつて、肉体があればこそ死を恐れるの心が生じる。そして死を恐れないのは生まれる前の
性質であつて、肉体を離れるとき初めてこの死の性質をみることができる。したがつて、人は死を恐れるといふ
気持のうちに死を恐れないといふ真理を発見しなければならない。それは人間がその生前の本性に帰ることである、
といふ意味のことをいつてゐる。
現にま西郷は幕吏に追はれた親友の僧月照と共に薩摩の海に舟を浮かべ、月照が示した和歌に同感して直ちに
彼と共に相擁して海に身を投じたことがある。そのときに死んだのは月照だけで、西郷は蘇ることになるのであるが、
彼はその後一生、月照と共に死ねなかつたことを憾みに思つてゐたやうである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 145
  •  
  • 2011/12/06(火) 15:27:11.34
(中略)
この(「南洲遺訓」)文章などは、われわれの中で一人の人間の理想像が組み立てられるときに、その理想像に
同一化できるかできないかといふところに能力の有無を見てゐる点で、あたかも大塩平八郎の行動を想起させる
のである。聖人がわれわれの胸奥に住むならば、その聖人とわれわれとは同格でなければならない。甚だ傲慢な
哲学であるが、それはあたかも「葉隠」の、「われは日本一なりとの増上慢なくてはお役に立ち難し」といふやうな
自我哲学の絶頂と照応してゐる。
このやうな同一化の可能性が生じないで、ただおとなしくこれを学び、ひたすら聖人に及ばざることのみを考へて
ゐるところからは、決して行動のエネルギーは湧いてはこない。同一化とは、自分の中の空虚を巨人の中の空虚と
同一視することであり、自分の得たニヒリズムをもつと巨大なニヒリズムと同一化することである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/06(火) 15:27:44.29
そのやうな行動の、次元を絶した境地は、吉田松陰が獄中から品川弥二郎に送つた書簡の中にもうかがはれる。
松陰は一つの空虚を巨大な空虚に結びつけ、一つの小さな政治的考慮を最高の理想に結びつけて、小さな行動を
最終の理念に直結させるための跳躍の姿勢をさまざまにためした。そのとき狭い獄舎の中で松陰が試みた精神的
ジャンプは、たちまち日常生活の次元を超えて、空間と時間とを新しい次元へ飛躍させたのである。
松陰が入つていつたこのやうな心境を証明するもつとも恐ろしく、私の忘れがたい一句は、「天地の悠久に比せば
松柏も一時蠅なり」といふものだ。(中略)
そのとき松陰は、人生の短さと天地の悠久との間に何等差別をつけてゐなかつた。われわれの生存がもつてゐる
種々の困難、われわれの日々の生が担つてゐるもろもろの条件を脱却して、直ちに最小のものから最大のものに、
もつとも短いものからもつとも長いものへ一ぺんに跳躍し、同一視する観点を把握してゐた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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僕はニーチェ空想主義ですよねー。

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  • 148
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  • 2011/12/09(金) 15:22:07.62
(中略)
この陽明学はおそらく、乃木大将の死に至つて、日本の現代史の表面から消えていつたやうに思はれる。その後、
陽明学的な行動原理は学究を通じてではなくて、むしろ日本人の行動様式のメンタリティーの基本を形づくることに
なつて、ひそかに潜流し始めたものであらう。昭和の動乱の時代から今日に至るまで、日本人が企てた行動には、
西欧人が企及し得ぬ、また想像し得ぬさまざまな不思議な要素がふくまれてゐる。そしてその日本人の政治行動
自体には、完全な理性主義や主知主義に反するところの不思議な暴発状況や、無効を承知でやつた行動のいくつかの
めざましい事例がみられるのである。
何故日本人はムダを承知の政治行動をやるのであるか。しかし、もし真にニヒリズムを経過した行動ならば、
その行動の効果がムダであつてももはや驚くに足りない。陽明学的な行動原理が日本人の心の中に潜む限り、
これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ知られぬやうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起ることは
予言してもよい。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 149
  •  
  • 2011/12/09(金) 15:22:45.62
日本における革命運動は、日本的革命とは何ぞやといふ問題をひさしく閑却してきた。革命はすべて外来思想であり、
マルクシズムも亦西欧の近代化の一翼に乗つて日本に入つてきた一思想であつた。そして、日本といふアジアの
後進国家が物質文明による近代化に乗り出したときに、その近代化に随伴する一つのアンチテーゼの思想が
移入されたのは必然的であつた。そして、マルクシズムの思想の日本化のためには、苦しい血のにじむやうな
努力が要つた。
転向の問題は、一度、外来思想を人間の肉体と心情を通して濾過し、その心情の根底において思想とは何ものかを
問ふといふことによつて、日本の知識人に重要な歴史的転機を与へた。もし、あの転向の思想的体験が戦後の
革命思想に正当に貫かれてゐたならば、私は「日本的革命とは何ぞや」といふ問題が、真に展開されてゐたで
あらうと思ふ。
しかしながら、戦後のアメリカ民主主義による突如の解放によつて、革命思想の日本化肉体化といふ問題は一時
置きざりにされた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 2011/12/09(金) 15:23:10.87
即ち、それは再び啓蒙思想に復帰し、近代主義に立ち戻り、すべてを振り出しから始めるといふ新しい楽天的な、
再度の近代化西欧化の代表をつとめるやうになつたのだ。戦後、このやうな近代主義がたちまち破綻したのは
当然のなりゆきである。
その後の新左翼の勃興は、かうした混迷、矛盾を経て老朽化していつた共産党的革命思想に対するアンチテーゼで
あつたが、その後被ら自身が自分の思想の肉体化といふことについて、風土性の問題から離れざるを得ぬといふ
時代的環境に置かれていつた。すでに農地改革以後、ブルジョア革命が成就した日本で、極度の急激な工業化と共に
大衆社会化状況が生まれ、工業化、都市化の進展は農村人ロの減少をもたらし、その思想の風土性は、帰るべき
故郷を失つた状態にあつた。主に学生運動は都市から発生し、その都市化の極点における空白においてのみ、
一般の大衆の精神的空白と相わたつた。そのとき、もはや革命思想は日本的、風土的なものに還元されるべき
手がかりを失つてゐた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 151
  •  
  • 2011/12/09(金) 15:31:23.76
(中略)
七〇年は予想されたやうな波瀾も見せずに、再び占領体制下と同じやうな論理が復活するのに役立つた。いまや
自民党も共産党も同じやうな次元の議会主義政党に堕し、共に政治目標実現の最終的な不可能を知りながら、
目前の事態の処理によつて大衆社会をどちらがより多く味方に引きつけるか、といふ術策に憂き身をやつすやうに
なつた。このやうな政治行動は、すみずみまでソロバンづくの有効性によつて計量され、有効性の判断が政治行動の
メリットの唯一の基準になつた。すでに自民党がさうである如く、共産党も政権獲得のための票数の増加と、
日常活動による市民生活への浸透に目安をおいて、一刻一刻、一日一日の政治行動を、すべてこのプラクティカルな
目的に対する有効性によつて判断してゐる。
それをジャーナリズムはまた、理想主義の終焉、あるひは脱イデオロギーの時代が来たとよんでゐる。そして
工業化社会の果てに、ポスト・インダストリアル・ジェネレーション、脱工業化社会が来るといふことは、つとに
予見されたことであつたが、その予見は半ば当り半ば当らなかつた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 152
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  • 2011/12/09(金) 15:32:23.02
工業化の果てにおける精神的空白は再びまた工業化によつて埋められ、精神の飢ゑが再び飽満した食欲によつて
満たされることになつた。そして先にも言つたやうに、人は心の死、魂の死を恐れないやうになつたのである。
陽明学が示唆するものは、このやうな政治の有効性に対する精神の最終的な無効性にしか、精神の尊厳を認めまいと
するかたくなな哲学である。いつたんニヒリズムを経過した尊厳性が精神の最終的な価値であるとするならば、
もはやそこにあるのは政治的有効性にコミットすることではなく、今後の精神と政治との対立状況のもつとも
きびしい地点に身をおくことでなければならない。そのときわれわれは、新しい功利的な革命思想の反対側に
ゐるのである。陽明学はもともと支那に発した哲学であるが、以上にも述べたやうに日本の行動家の魂の中で
いつたん完全に濾過され日本化されて風土化を完成した哲学である。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 153
  •  
  • 2011/12/09(金) 15:36:16.66
もし革命思想がよみがへるとすれば、このやうな日本人のメンタリティの奥底に重りをおろした思想から
出発するより他はない。一方、国学のファナティックなミスティシズムが現代に蘇ることがはなはだむづかしいと
するならば、陽明学がその中にもつてゐる論理性と思想的骨格は、これから先の革新思想の一つの新しい芽生えを
用意するかもしれない。
われわれの近代史は、その近代化の厖大な波の陰に、多くの挫折と悲劇的な意欲を葬つてきた。われわれは西洋に
対して戦ふといふときに何をもとにして戦ふかを、つひに知らなかつた。そして西欧化に最終的に順応したもの
だけが、日本の近代における覇者となつたのである。明治政府自体が西欧化による西欧に対する勝利といふ理念を
掲げたときに、その実力による最終証明となつたものは日露戦争であつたから、その後の日本は西欧的な戦争を
戦ふことによつて西欧に打ち勝つといふ固定観念に向かつて進んで、第二次大戦の破局に際会した。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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  • 154
  •  
  • 2011/12/09(金) 15:36:40.33
一方目ざめたアジアは、アジア独特の思考によりベトナムや中共で西欧化に対するしたたかな抵抗の作戦を展開した。
それらはもちろん、地理的な条件やさまざまな風土的な条件の恵みによることはもちろんであるが、日本が
貿易立国によつて進まねばならない島国といふ特性を有しながらも、アジアの一環に属することによつて西欧化に
対する最後の抵抗を試みるならば、それは精神による抵抗でなければならないはずである。
精神の抵抗は反体制運動であると否とを問はず、日本の中に浸潤してゐる西欧化の弊害を革正することによつてしか、
最終的に成就されない道である。そのとき革新思想がどのやうな形で西欧化に妥協するかによつて、無限にその
政治的有効性の方向に引きずられていくことは、戦後の歴史が無惨に証明した如くである。われわれはこの
陽明学といふ忘れられた行動哲学にかへることによつて、もう一度、精神と政治の対立状況における精神の
闘ひの方法を、深く探究しなほす必要があるのではあるまいか。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

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鳩山由紀夫の思想哲学主義主張ですよねー。

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  • 156
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  • 2011/12/12(月) 11:06:43.54
時間による超国家性は無窮の国に於ては国家性に外ならない。世界文学が時間で結ばれると真の国粋文学に一致する。
かゝる「時」の上の宣長の思想は本然的に血統となり血脈となり系譜となるものである。弁証法的思想史と
全く異つた思想を日本に於て宣明したところに宣長の世界的偉大がある。

平岡公威(三島由紀夫)19歳「無題(『作文補遺』)」より


だんだんに私は文学を引き寄せるやうにしてゆきたいと思ふ。己れより乗り憑つて乗り憑りつつ清められると
云つたあり方に心ひかれる。さういふ場合の放胆さについてはもう口でいはぬはうがよいと思ふ。それは一種の
ニイチェ風な陥没であらうもしれぬが私は日本人にふさはしい手振だけをまなんでゆくほかはない。そして、
戦後の世界に於て、世界各国人が詩歌をいふとき、古今和歌集の尺度なしには語りえぬ時代がくること、それらを
私は評論としてでなく文学として物語つてゆきたい。

平岡公威(三島由紀夫)19歳「跋に代へて(『花ざかりの森』)」より

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別に何か永劫回帰=無限の進化と考えるニーチェ発展主義の方が大好きですよねー。

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  • 158
  • 愛国者に逆らう者に天誅を
  • 2011/12/15(木) 23:52:39.55
我々愛国者達で日本を日本に戻そうじゃないか

日本は永遠に我々愛国者のものなんだから

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愛国者=友愛。

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  • 2011/12/20(火) 17:33:34.46
「米人鏖殺」

米人よ地上を去れ。汝らの義務である。米人よ跡をも止めぬ者たれ。汝らの光栄ある使命はそれである。
米人よ滅びよ。尽(ことごと)く死ね。もはや躊躇すな。汝の剣は汝自身の血もてのみ衂(ちぬ)れ。米人よ
残らず死ね。米人よ再びこの地上へ来るな。米人よ死ね。――汝らの存在は私にとり不快である。目通り叶はぬ。
死ね。日輪の前にもおびえぬ群盲よ。死ね。私は日の方へ顔をむけるものゝ額に慎しみの代りに憎悪がある故踏む。
汝の額を踏む。いかなる大砂漠をも恐れげもなく蹴立てゝきた不遜な隊商が、懸橋なき断崖の上へ来て何とした。
墜落せよ。飛べ。寸時たりとも輝やける中空に在る光栄に喜死せよ。
臭い。涜らはしい。傍へ寄るな。退れ。汝の息が花園に近づく時花はみな剣をかざす。汝の息は清流のうちなる
魚をも腐らす。汝、蠅の母なる者よ。去れ。見苦しい。去れ。犬の犬。豚の豚。汚物を食とする卑賎猥雑な
バビロンの末よ。汝を鋤いて地を肥やし、汝の屍に毒だみの花咲かせん。屍は毀(こぼ)たれて踏み躙(にじ)られし
蟹の如けん。青き脳髄を地へは垂らすな。

平岡公威(三島由紀夫)戦時中(推定)の手記

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鳩山由紀夫はニーチェを何時でも永遠に友愛しているですよねー。
鳩山由紀夫はニーチェも知っているですよねー。

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  • 2011/12/22(木) 14:18:08.36
最近東京空港で、米国務長官を襲つて未遂に終つた一青年のことが報道された。日本のあらゆる新聞がこの
青年について罵詈ざんばうを浴せ、袋叩きにし、足蹴にせんばかりの勢ひであつた。(中略)
私はテロリズムやこの青年の表白に無条件に賛成するのではない。ただあらゆる新聞が無名の一青年をこれほど
口をそろへて罵倒し、判で捺したやうな全く同じヒステリカルな反応を示したといふことに興味を持つたのである。
左派系の新聞も中立系の新聞も右派系の新聞も同時に全く同じヒステリー症状を呈した。かういふヒステリー症状は、
ふつう何かを大いそぎで隠すときの症候行為である。この怒り、この罵倒の下に、かれらは何を隠さうと
したのであらうか。
日本は西欧的文明国と西欧から思はれたい一心でこの百年をすごしてきたが、この無理なポーズからは何度も
ボロが出た。最大のボロは第二次世界対戦で出し切つたと考へられたが、戦後の日本は工業的先進国の列に入つて、
もうボロを出す心配はなく、外国人には外務官僚を通じて茶道や華道の平和愛好文化こそ日本文化であると
宣伝してゐればよかつた。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

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  • 2011/12/22(木) 14:18:40.04
昭和三十六年、私がパリにゐたとき、たまたま日本で浅沼稲次郎の暗殺事件が起つた。浅沼氏は右翼の十七歳の
少年山口二矢によつて短剣で刺殺され、少年は直後獄中で自殺した。このとき丁度パリのムーラン・ルージュでは
Revue Japonais といふ日本人のレビューが上演されてをり、その一景に、日本の短剣の乱闘場面があつた。
在仏日本大使館は誤解をおそれて、大あわてで、その景のカットをレビュー団に勧告したのである。
誤解をおそれる、とは、ある場合は、正解をおそれるといふことの隠蔽である。私がいつも思ひ出すのは、
今から九十年前、明治九年に起つた神風連の事件で、これは今にいたるもファナティックな非合理な事件として
インテリの間に評判がわるく、外国人に知られなくない一種の恥と考へられてゐる。
約百名の元サムラヒの頑固な保守派のショービニストが起した叛乱であるが、彼らはあらゆる西洋的なものを憎み、
明治の新政府を西欧化の見本として敵視した。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

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  •  
  • 2011/12/22(木) 14:19:05.71
電線の下を通るときは、西洋の魔法で頭がけがれると云つて、頭上に白扇をかざして通り、あらゆる西欧化に
反抗した末、新政府が廃刀令を施行して、武士の魂である刀をとりあげるに及び、すでにその地方に配置された
西欧化された近代的日本軍隊の兵営を、百名が日本刀と槍のみで襲ひ、結果は西洋製の小銃で撃ち倒され、
敗残の同志は悉く切腹して果てたのである。
トインビーの「西欧とアジア」に、十九世紀のアジアにとつては、西欧化に屈服してこれを受け入れることによつて
西欧に対抗するか、これに反抗して亡びるか、二つの道しかなかつたと記されてゐる。正にその通りで、一つの
例外もない。日本は西欧化近代化を自ら受け入れることによつて、近代的統一国家を作つたが、その際起つた
もつとも目ざましい純粋な反抗はこの神風連の乱のみであつた。他の叛乱は、もつと政治的色彩が濃厚であり、
このやうに純思想的文化的叛乱ではない。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

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  • 165
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  • 2011/12/22(木) 14:19:35.19
日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。それについて
探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、黄禍論を固執するはうを
選ぶだらう。しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついて
ゐるのである。エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。……日本はその足早な、無理な近代化の歩みと
共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して示さうと努力して来たのであつた。そして日本の近代ほど、
光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。私の四十年の歴史の中でも、
前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、戦後の二十年は、平和主義の下で、
あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

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  • 166
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  • 2011/12/22(木) 14:20:00.70
そこではいつも支配者側の偽善が大衆一般にしみ込み、抑圧されたものは何ら突破口を見出さなかつた。そして、
失はれた文化の全体性が、均衛をとりもどさうとするときには、必ず非合理な、ほとんど狂的な事件が起るのであつた。
これを人々は、火山のマグマが、割れ目から噴火するやうに、日本のナショナリズムの底流が、関歇的に
奔出するのだと見てゐる。ところが、東京空港の一青年のやうに見易い過激行動は、この言葉で片附けられるとしても、
あらゆる国際主義的仮面の下に、ナショナリズムが左右両翼から利用され、引張り凧になつてゐることは、
気づかれない。反ヴィエトナム戦争の運動は、左翼側がこのナショナリズムに最大限に訴へ、そして成功した事例で
あつた。それはアナロジーとしてのナショナリズムだが、戦争がはじまるまで、日本国民のほとんどは、
ヴィエトナムがどこにあるかさへ知らなかつたのである。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

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  • 167
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  • 2011/12/22(木) 14:31:02.24
ナショナリズムがかくも盛大に政治的に利用されてゐる結果、人々は、それが根本的には文化の問題であることに
気づかない。九十年前、近代的武器を装備した近代的兵営へ、日本刀だけで斬り込んだ百人のサムラヒたちは、
そのやうな無謀な行動と、当然の敗北とが、或る固有の精神の存在証明として必要だ、といふことを知つてゐた
のである。これはきはめて難解な思想であるが、文化の全体性が犯されるといふ日本の近代化の中にひそむ危険の、
最初の過激な予言になつた。われわれが現在感じてゐる日本文化の危機的状況は、当時の日本人の漠とした予感の中に
あつたものの、みごとな開花であり結実なのであつた。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

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  • 2011/12/26(月) 14:20:48.26
まあ、私も喜劇の部類で残念ですけれども、悲劇にはなりそうもない。
(中略)
失敗した悲劇役者というのが僕じゃないかしら。一生懸命泣かせようと思って出てきても、みんな大笑いする。


僕は、単細胞のせいかもしれないけれど、革命というものはイデオロギーの問題でもなんでもない、ただ爆弾持って
駈け出すことだと思っているんです。維新というのも、ただ日本刀持って駈け出すことだと思っている。駈けるのには、
百メートルを十六秒以下でなければ駈けるとは言えない。そのためには、ふとっていちゃ絶対だめですよ。
アメリカとベトコンの戦争は、やせたやつがふとったやつを悩ませたというだけの話ですよ。ベトコンはやせて
いるから駈けられる。アメリカ人はあの体していちゃ崖やなんか駈け昇れない。どうして日本のインテリというのは、
ふとるようになっちゃったんでしょう。これは僕は重大問題だと思っているんですよ。つまり肉体と精神との
関係において。

三島由紀夫
石川淳との対談「破裂のために集中する」より

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ニーチェの思想哲学思考解釈のニヒリズムの虚無主義を受け入れるじゃん。

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  • 2012/01/03(火) 16:12:31.61
安保体制はそれ一つで孤立してゐる問題ではなく、わかり切つたことですが、新憲法とワンセットになつてゐて、
どうしても切り離せないやうにできてゐて今も続いてゐる。このワンセット関係、換言すれば、シャムの双生児の
やうにおなかまでつながつてゐて頭が二つといふ状況を十分把握しておかないと、安保、憲法は論じられないと
思つてゐる。安保は新憲法における欠陥、すなはち安全保障についての無力を補填するといふ形でできてゐる。
アメリカの本音としては日本を属国にしておきたいけれども、まあ日本が強くならない程度の憲法ぐらゐは
与へておかうと考へたわけですね。さういふ背景を考へると、安保、さらに沖縄の問題が派生的な二次的な
問題だといふことがはつきりしてくる。
私が諸君に、目前の変転する事象に惑はされることなく、根本的なことだけを考へてくれと言ふのは、憲法が
このままでは、日本の防衛問題も最終的な解決はつかない、日本が本当に姿勢を正して本来の姿に戻るには、
このままではだめだと思ふからであります。

三島由紀夫「『孤立』ノススメ 三、安保、新憲法はシャムの双生児であるといふことについて」より

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ニーチェは始解して卍解して虚化して完現術を使うじゃん。

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  • 2012/01/06(金) 11:55:33.45
このやうな日本の生温い状況が、現在および将来にどのやうな意味を持つてゐるかを探つてみれば、これは
安保以前、安保以後の問題ではなく、精神の問題であると考へられる。精神といふと、またいつもの精神主義かと
いはれるかもしれないが、われわれの決意としては、吉田松陰の「汝は功業をなせ、我は忠義をなす」との信念で
行くほかないと思つてゐる。「功業」といふのは、自分が大政治家として権力を握らなければ役立たない。
そしてその権力を背景として自分の考へたことを実現していくことが「功業」の意味で、それはいづれは大勲位の
勲章をもらつて、うまくすると国葬にまでしてもらへるみちです。
しかし、「忠義」は枯野に野垂れ死にするみちです。何の効果もなく、人のわらふところになるかもしれず、
その瞬間瞬間には、全く狂人の行ひとしか見えないやうなことになるかもしれないわけです。

三島由紀夫「『孤立』ノススメ 六、松陰は狂はなければならなかつたといふことについて」より

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  • 2012/01/06(金) 11:56:06.51
吉田松陰が「狂」といふことを盛んに言ひ出したのは晩年ですが、やはり松陰の時代にも、全てをシニカルに見て
わらひ飛ばすやうな江戸末期の民衆の世界があつたわけで、とにかく毎日が楽しければよく、明日のことなど
考へる必要がないではないか、お国なんかどうなつてもよいといふやうな民衆の心理的基調があつた。さういふ
基本的メンタリティがあつたわけです。さういふ状況の中で、松陰は、孤立して狂つてゐるのではないかと
疑はれるほど精神が先鋭化していくのを自覚したに違ひない。そして、松陰が異常に孤立した、自分一人しかゐない、
自分が狂人だと思つた段階から明治維新は動き出したわけです。

三島由紀夫「『孤立』ノススメ 六、松陰は狂はなければならなかつたといふことについて」より

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  • 2012/01/06(金) 11:56:33.58
私は、諸君がこれを肚の中に一人一人持つてもらひたいと思ふ。左翼の大衆運動といふものは、大衆を動かさ
なければどうにもならないので、まづ大衆を巻き込んで、彼らの大きな力で状況を変へていく、といふのが
基本的な立場ですね。赤軍派の場合は例外と言へるかもしれないが、左翼は一般にさうですね。ところが
われわれの立場は、孤立を恐れない、孤立でほかにみちなく、助けてくれる身方もゐない、さうなつた状況から、
初めて何かが始まるのです。いはば絶望からの出発といふのが特色だと思はれる。いはゆる能動的虚無、さういつた
絶望感を胸の中で噛みしめたことのない人間は、松陰の忠義のみちを行くことはできない。かりにも世間を
甘く考へて、世間の支持を期待したり、大衆をあてにするやうな思想の磨き方ではどうにもならないところまで
来てゐることを自覚して欲しい。

三島由紀夫「『孤立』ノススメ 七、絶望から思想を磨くといふことについて」より

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サイエンスニーチェファンタジーフィクションスペースオペラじゃん。

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  • 2012/01/08(日) 10:58:12.19
三島由紀夫事件について語り合おう
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1323037072/

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鳩山由紀夫も素晴らしい人間じゃん。

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  • 2012/01/08(日) 23:32:59.90
119:公共放送名無しさん:2012/01/08(日) 22:28:21.63 ID:B8HKK4lG
NHK(ふれあい放送センター)の佐々○とか言う男の担当者は凄いよ。
平清盛で(王家)と言う表現が出て来たので、気になってクレーム入れたら、、
(オカシイのはアンタでしょ?)とか抜かしてやがったよ。WWW 
ついでに受信料不払いと告げると(どうぞご自由に払わなくて構わないです…)、
(いやなら見なくて結構です)だと、大したもんだよ犬HKの佐○木君はWWWW



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  • 2012/01/12(木) 14:00:47.88
自主独立の問題一つとつても、戦前の「自主独立」の日本が、軍縮会議以来、いや三国干渉以来、絶えず列強の
干渉によつて軍縮に対するチェックを受け、それによつて国内世論が、沸騰してきたことを考へると、日本のやうな
地理的要衡の、一定の経済力と一定の軍事力しか持ちえない小国が、条約下にあらうがあるまいが、国際同盟の
参加国であらうがあるまいが、外力の影響によつて左右されるのは宿命的だと思はなければならない。
(中略)
抵抗とは遊戯ではない。完全無防備の抵抗といふものがもしありうるならば、その最有力な例をとり上げて
指摘するならともかく、それが成功するかしないかの時点で、それを無防備的抵抗の良きお手本とすることは、
それ自体が国家を否定し、民族の自立を否定する思想であると言はなければならない。

三島由紀夫「自由と権力の状況」より

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  • 2012/01/12(木) 14:01:11.91
(中略)
無益な武力的抵抗によつて、国家主権を奪はれるくらゐなら、流血の惨を避け、秩序を保つて表面的に妥協を
受け入れ、国家の存立をはかつたはうがよい、といふならば、非武装抵抗の利点は、一つは血を流さないですんだ、
といふことと、一つは国家の主権が曲りなりにも保たれたといふことでなければならない。
しかし、それはあくまで「非武装抵抗」の利点であつて、「非武装」の利点ではない。非武装(チェコは事実上
非武装国家ではなかつたが)それ自体は、強大な武力に対して何らの利点を持ちえないことは明らかである。
武力抵抗の反対概念は、非武装そのものではなく、非武装抵抗といふことであらう。

三島由紀夫「自由と権力の状況」より

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  • 181
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  • 2012/01/12(木) 14:01:40.55
そして非武装抵抗の存立条件は、国民の結集した否(ノン)にしかなく、又、陰に陽にサボタージュその他で
抵抗する他はないが、次に来る段階は、非武装抵抗ですら血を流さずには有効性は発揮しえぬ、といふ段階であり、
又、国家の主権が曲りなりにも保たれても、その国家権力の実質的な主導権を奪はれるといふ状況をすでに
容認するならば、そのあとで、実質的な主導権を奪ひ返さうといふ抵抗は、抵抗の最初の論理的根拠を欠くことになる。
なぜなら、われわれが抵抗の手段の選択を迫られたとき、その一方(すなわち非武装)によつて、論理的に
一貫するならば、敵をすでに受け入れた己れの状況に対する抵抗とは、われわれ自身に対する抵抗に他ならなく
なつてしまひ、抵抗の論理は自らの身を喰ふものになるからであり、つひには抵抗それ自体が成立たなくなる
からである。そのとき、われわれは、非武装抵抗の利点が一つもない地点に立つてをり、「非武装抵抗」と
「非武装」とは同義語になり、つひには敗北主義の同義語になるのである。

三島由紀夫「自由と権力の状況」より

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  • 2012/01/13(金) 23:58:10.09
 こういった↑行動と認識の同一性、有効性無視の行動、を見て我々も三島に見習え!とばかりに
頑張った左翼がその後軍事に乗りだし、軍隊を目指して訓練までやり、果てに仲間をリンチ、殺害
に及んだのが革命左派、赤軍の合併とその末に起こった連合赤軍事件ですね。
 三島さんの思想は当時の政治思想のラジカリズムを象徴的に表していると思う。しかしこうい
った思想が共同性を獲得したらどういうことになるか。三島さんは想像しなかったんではないか
。日本陸軍が僕は好きだと彼は言ってたが、その陰湿性と精神主義の不毛についてはさほど知らず
にいた感がある。謂わば美化したものしかない。戦争体験者が当時の日本人にはまだ多かったろ
うし、そういった戦争体験者からみて三島さんの話は軍隊美化に走ってリアルでないと思われた
ろう。若い自衛隊員が聞かなかったからクーデターが失敗したと彼は思ったかもしれないが、そ
れだけではなかろう。三島さんの話が軍隊経験者からどう見えたか、彼は実際にはさほど聞いて
なかったんではと思う。
 ハイデガーの脱‐自とか持ち出し、そこは先見の明があるが、それがハイデガーのナチ加担と同
じく、民族の実体性と結合されており、当のハイデガーは1930年代後半にはその誤りに気付き、
存在の空洞を民族への同一視で充填することの愚を指摘している。そこで民族とは現存在の別名
に変わる。

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  • 2012/01/14(土) 09:37:38.10
ホッブズ、バーク、またはニーチェなどが欧米人が言うところの右翼・保守の源流だが
その右翼・保守は左翼の平等思想に対して自由を突きつける右翼・保守であり
日本における死を覚悟した愛国心は次元が違う
欧米の右翼左翼はどこまでいっても俗的であり
日本人の愛国心は単純に右翼・保守にカテゴリーされるものではない
愛国とは腹を切って死ぬことだと三島作品は教えてくれる

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  • 2012/01/14(土) 15:36:46.12
●○●○●○●○●○●○【自我の世紀/BBC/2002年】●○●○●○●○●○●○●○●○●○

 ハピネスマシーン1/4 http://www.youtube.com/watch?v=sLK3C_e4mWY

 ハピネスマシーン2/4 http://www.youtube.com/watch?v=HFucNO8f0jw

 ハピネスマシーン3/4 http://www.youtube.com/watch?v=euBLPvdMHyY

 ハピネスマシーン4/4 http://www.youtube.com/watch?v=w6Fv5hmEPfE

    合意の捏造1/4 http://www.youtube.com/watch?v=ncVdjWL-plA

    合意の捏造2/4 http://www.youtube.com/watch?v=IIvc0FEB2K0

    合意の捏造3/4 http://www.youtube.com/watch?v=MiQXiKyCPsA

    合意の捏造4/4 http://www.youtube.com/watch?v=pKFCWi16U0Q

頭脳警察を粉砕せよ1/4 http://www.youtube.com/watch?v=NclcVRhupRQ

頭脳警察を粉砕せよ2/4 http://www.youtube.com/watch?v=tTrFkDGpQXk

頭脳警察を粉砕せよ3/4 http://www.youtube.com/watch?v=r_PjwFDRh44

頭脳警察を粉砕せよ4/4 http://www.youtube.com/watch?v=pO8EwiagOmk



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○

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  • 2012/01/17(火) 16:49:16.11
もし暴力肯定が戦争肯定につながるといふ市民主義的な思考に従ふならば、三派全学連の存在理由は全く
認められないことにならう。その点では私は国家といふものの暴力を肯定してもそれが直ちに無前提に戦争を
肯定することにはならないといふ立場に立つものであるが、この立場に真に対立するものが次のやうな毛沢東の
言葉なのである。すなはち「われわれの目的は地上に戦争を絶滅することである。しかし、その唯一の方法は
戦争である」これが毛沢東の独特な論理であつて、この論理がすなはち右に述べたやうな暴力肯定の論理と
ちやうど反極に立つものである。すなはちそれは平和主義の旗じるしのもとに戦争を肯定した思想なのである。
私は戦後、平和主義の美名がいつもその裏でただ一つの正しい戦争、すなはち人民戦争を肯定する論理に
つながることをあやぶんできたが、これが私が平和主義といふものに対する大きな憎悪をいだいてきた一つの
理由である。

三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より

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  • 2012/01/17(火) 16:49:43.05
そして、私の暴力肯定は当然国家肯定につながるのであるから、平和主義の仮面のもとにおける人民戦争の肯定が
国家超克を目的とするかのごとき欺瞞に対しては闘はざるを得ない。国家超克はいはゆる共産主義諸国の理論的
前提であるにもかかはらず、現実の証明するとほり共産主義諸国も国家主義的暴力の行使を少しも遠慮しない
からである。
くりかへして言ふが、私は暴力肯定が国家肯定につながることが論理的であると信ずる者であり、一方、
国家超克の思想は、無原則、無前提の暴力否定からのみ理論構成されると信ずる者である。(中略)
しかし「人民戦争のみが正しい暴力である」(このことは、「中共の持つ核兵器のみが平和のための正しい
核兵器である」といふ没論理をただちに招来する)といふ思想は、それほど新しい思想であらうか。それは又、
古くからある十字軍の思想であり、その根本的性格は「道義的暴力」といふことであるが、道義的主張はどんな
立場からも発せられうるものである。

三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より

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  • 2012/01/17(火) 16:50:16.94
かくてあらゆる道義が相対化されるときに、被圧制、被圧迫の立場のみが、道義的源泉であるとすれば、その
自由と解放は、たちまち道義的源泉を涸(か)らすことになるのは自明である。道義の問題を別としても、暴力に
質的差異をみとめること、正義の暴力と不正義の暴力をみとめることは、軍隊と警察の力のみを正義の力とみとめ、
その他の力をすべて暴力視する近代国家の論理と、どこかで似て来るのである。かくて毛沢東の論理は、結局、
国家の論理に帰結する、と私は考へる。
私はかりにも力を行使しながら、愛される力、支持される力であらうとする考へ方を好まない。この考へ方は、
責任観念を没却させるからである。責任を真に自己においてとらうとするとき、悪鬼羅刹となつて、世人の
憎悪の的になることも辞さぬ覚悟がなくてはならぬ。それなしに道義の変革が成功したためしはないのである。
自分がいつも正しい、といふのは女の論理ではあるまいか。

三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より

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  • 2012/01/17(火) 16:51:01.31
(中略)
彼らは今なほ「朕はタラフク食ってるぞ。ナンジ人民飢えて死ね」といふやうな、古くさい左翼風の下品な
きまり文句のとりこになつてゐた。そして彼らは、目に見える天皇像があまりにも週刊誌に毒され、マス・
コミュニケーションに毒されてゐる、その毒された媒体を通してしかこれを評価し得ないことも明らかである。
彼らはその根本について少しも疑つてみようともせず、また、マス・コミュニケーションに耐へながら存続して
ゐる天皇といふものが、何ゆゑこのやうな新しいマス・コミュニケーションと極度の言論の自由の中で存立し得て
ゐるかといふ、歴史的意味や時間の連続性の問題についてもよく考へてゐないことが察知された。(中略)
天皇といふものが現実の社会体制や政治体制のザインに対してゾルレンとしての価値を持つことによつて、いつも
その社会のゾルレンとしての要素に対して刺激的な力になり、その刺激的な力が変革を促して天皇の名における
革命を成就させるといふことを納得させようとしたがうまくいかなかつた。

三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より

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  • 2012/01/17(火) 16:51:29.61
天皇は、いまそこにをられる現実所与の存在としての天皇なしには観念的なゾルレンとしての天皇もあり得ない、
(その逆もしかり)、といふふしぎな二重構造を持つてゐる。すなはち、天皇は私が古事記について述べたやうな
神人分離の時代からその二重性格を帯びてをられたのであつた。この天皇の二重構造が何を意味するかといふと、
現実所与の存在としての天皇をいかに否定しても、ゾルレンとしての、観念的な、理想的な天皇像といふものは
歴史と伝統によつて存続し得るし、またその観念的、連続的な天皇をいかに否定しても、そこにまた現在のやうな
現実所与の存在としてのザインとしての天皇が残るといふことの相互の繰り返しを日本の歴史が繰り返してきたと
私は考へる。そして現在われわれの前にあるのはゾルレンの要素の甚だ稀薄な天皇制なのであるが、私はこの
ゾルレンの要素の復活によつて初めて天皇が革新の原理になり得るといふことを主張してゐるのである。

三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より

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  • 2012/01/19(木) 06:06:08.88
ttp://fphoto.livedoor.biz/0903/joker_e08.jpg

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別に寧ろ何かまあ取り敢えずニーチェは斬新だよね。

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  • 2012/01/26(木) 22:27:18.43
日本とは何か、といふ最終的な答へは、左右の疑似ナショナリズムが完全に剥離したあとでなければ出ないだらう。
安保賛成も反共も、それ自体では、日本精神と何のかかはりもないことは、沖縄即時奪還も米軍基地反対も、
それ自体では、日本精神とかかはりのない点で同じである。そしてまたそのすべてが、どこかで日本的心情と馴れ合ひ、
ナショナリズムを錦の御旗にしてゐる点でも同格である。「反共」の一語をとつても、私はニューヨークで、
トロツキスト転向者の、祖国喪失者の反共屋をたくさん見たのである。私は自民党の生きる道は、真の
リベラリズムと国際連合中心の国際協調主義への復帰であり、先進工業国における共産党の生きる道は、
すつきりしたインターナショナリズムへの復帰しかないと考へる。真にナショナルなものは、そのいづれにも
本質的に欠けてゐるのである。
真にナショナルなものとは何か。それは現状維持の秩序派にも、現状破壊の変革派にも、どちらにも与(くみ)しない
ものだと思はれる。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

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  • 2012/01/26(木) 22:28:40.74
現状維持といふのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊といふのは、つねに飢ゑ渇いた貧しい思想である。
自己の権力ないし体制を維持しようとするのも、破壊してこれに取つて代らうとするのも、同じ権力意志の
ちがつたあらはれにすぎぬ。権力意志を止揚した地点で、秩序と変革の双方にかかはり、文化にとつてもつとも
大切な秩序と、政治にとつてもつとも緊要な変革とを、つねに内包し保証したナショナルな歴史的表象として、
われわれは「天皇」を持つてゐる。実は「天皇」しか持つてゐないのである。中共の「文化」大革命に決定的に
欠けてゐる要因はこれであり、かれらは高度な文化の母胎として必要な秩序を、強引な権力主義的な政治的秩序で
代行するといふ、方法上の誤りを犯した。文化に積極的にかかはらうとしない自由主義諸国は、この誤りを
犯す心配はない代りに、文化の衰弱と死に直面し、共産主義諸国は、正に文化と政治を接着し、文化に積極的に
かかはらうとする姿勢において、すでに文化を殺してゐる。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

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  • 2012/01/26(木) 22:29:56.90
(中略)
最近私は一人の学生にこんな質問をした。
「君がもし、米軍基地闘争で日本人学生が米兵に殺される現場に居合はせたらどうするか?」
青年はしばらく考へたのち答へたが、それは透徹した答へであつた。
「ただちに米兵を殺し、自分はその場で自決します」
これはきはめて比喩的な問答であるから、そのつもりできいてもらひたい。
この簡潔な答へは、複雑な論理の組合せから成立つてゐる。すなはち、第一に、彼が米兵を殺すのは、日本人としての
ナショナルな衝動からである。第二に、しかし、彼は、いかにナショナルな衝動による殺人といへども、殺人の責任は
直ちに自ら引受けて、自刃すべきだ、と考へる。これは法と秩序を重んずる人間的倫理による決断である。
第三に、この自刃は、拒否による自己証明の意味を持つてゐる。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

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  • 2012/01/26(木) 22:30:49.00
なぜなら、基地反対闘争に参加してゐる群衆は、まづ彼の殺人に喝采し、かれらのイデオロギーの勝利を叫び、
彼の殺人行為をかれらのイデオロギーに包みこまうとするであらう。しかし彼はただちに自刃することによつて、
自分は全学連学生の思想に共鳴して米兵を殺したのではなく、日本人としてさうしたのだ、といふことを、
かれら群衆の保護を拒否しつつ、自己証明するのである。第四に、この自刃は、包括的な命名判断
(ベネンヌンクスウルタイル)を成立させる。すなはちその場のデモの群衆すべてを、ただの日本人として包括し、
かれらを日本人と名付ける他はないものへと転換させるであらうからである。
いかに比喩とはいひながら、私は過激な比喩を使ひすぎたであらうか。しかし私が、精神の戦ひにのみ剣を使ふとは
さういふ意味である。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より

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ニーチェのニヒリズムの虚無主義の時代は終わったよね。

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  • 2012/02/02(木) 23:03:46.71
日本近代知識人は、最初からナショナルな基盤から自分を切り離す傾向にあつたから、根底的にデラシネ
(根なし草)であり、大学アカデミズムや出版資本に寄生し、一方ではその無用性に自立の根拠を置きながら、
一方では失はれた有用性に心ひそかに憧憬を寄せてゐる。そこに知識人の複雑なコンプレックスがあり、こんなに
扱ひにくい人種はちよつと想像もできない。
知識人の自立を尊重するふりをしながら、その大衆操作の有用性をうまく利用し、かたがた彼らの有用性への
ひそかな憧れをみたしてやつた点では、政府よりも左翼のはうが何十倍も巧みであつた。戦後の知識人の役割が、
九割方、左翼の利用するところとなつたのは周知の事実であり、それなりに効果をあげたのである。
大学問題の勃発は、しかし、このやうな安定した進歩的知識人の天国に打撃を与へた。彼らの足もとに火がつき、
周章狼狽なすところを知らず、有用性の幻想は破壊されつつ、無用性の自立もすでに白昼夢となつた。進歩的知識人は
瓦礫と化した。

三島由紀夫「新知識人論」より

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  • 2012/02/02(木) 23:04:13.94
(中略)
私はここでまたしても日本知識人が自己欺瞞に陥るくらゐなら、死んだはうがよからう、と嘲笑はれてゐる声を
きかなければ、知識人の資格はないと思つてゐる。知識人の唯一の長所は自意識であり、自分の滑稽さぐらゐは
弁へてゐなくてはならぬからである。
大学問題は、命を賭けて守れぬやうな思想は思想と呼ぶに値しないといふ、人間と思想とのもつとも重要な
「関係」に目をひらかせた。これは戦後もつとも軽視されてゐた問題であつた。(中略)
知識人はもはや国家有用の材ではありえないし、いはんや反国家有用の材でもありえない、といふ悲惨な現状を
直視して、そこから出発しないことには何もはじまらない。あらゆる有用性有効性の幻想をきつぱり捨て、
「いや、君だつて役に立つんだよ」
といふ甘言に一切耳を貸さず、有用性へのノスタルジアも己惚れも捨てなければならない。と同時に、無用性の
永遠の嘆き節からも訣別せねばならない。

三島由紀夫「新知識人論」より

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  • 199
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  • 2012/02/02(木) 23:05:11.33
機動隊導入によつてやつと救はれながら、大学立法反対の面子を捨てかねてゐる、あの教授連の自己冒涜の轍を
踏んではならない。それはもう知識人としてでなく、人間としてダメになつた人たちなのだ。
知識人の任務は、そのデラシネ性を払拭して、日本にとつてもつとも本質的もつとも根本的な「大義」が何かを
問ひつめてゐればよいのである。安保賛成や反対は足下に踏み破り、有用性と無用性を乗りこえた地点で、
ただ精神のもつとも純粋、正義のもつとも正しいものを開顕しようと日夜励んでゐればよいのである。権力も
反権力も見失つてゐる、日本にとつてもつとも大切なものを凝視してゐればよいのである。暗夜に一点の蝋燭の火を
見詰めてゐればよいのである。断固として動かないものを内に秘めて、動揺する日本の、中軸に端座してゐれば
よいのである。私はこの端座の姿勢が、日本の近代知識人にもつとも欠けてゐたものであると思ふ。

三島由紀夫「新知識人論」より

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  • 200
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  • 2012/02/04(土) 02:15:56.63
三島はミケランジェロの最後の審判に描かれたギリシャ神話のアポロンの如く勇敢であり
かつ三島の死を嘆いたイタリア人かフランス人かが言ってたように
旧来のイエスキリスト(救世主イエス)の自己犠牲を思わせる決断を決行したのである。
まさにミシマ・キリストと呼ぶに相応しい。

私は最近こう思う、三島は実は「S級戦犯」であると。
彼はあの靖国にまつられた戦犯を英雄として語り継がせる命を帯びて死んだのだと。
彼は靖国もとい東京裁判こそが日本のアメリカに対する復讐の始まりであると訴えたのだ。
私は三島を「名誉英霊」と呼びたい。

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  • 2012/02/04(土) 11:35:49.44
なにが?

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  • 202
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  • 2012/02/04(土) 13:16:31.47
訂正
×アポロンの如く
◎アポロンのように描かれたイエスの如く

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僕はニーチェのニヒリズムを乗り越えるよね。

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  • 204
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  • 2012/02/09(木) 09:48:22.45
私が同志的結合といふことについて日頃考へてゐることは、自分の同志が目前で死ぬやうな事態が起つたとしても、
その死骸に縋(すが)つて泣く事ではなく、法廷においてさへ、彼は自分の知らない他人であると、証言出来る
ことであると思ふ。それは「非情の連帯」といふやうな精神の緊張を持続することによつてのみ可能である。
しかし、私はなにも死を以つてのみ同志あるひは同志愛の象徴とは考へない。また死を以つてのみ革命的な行動の
精華、成就とも考へるものではない。ただ真に内発的な激怒や行動だけが、ある目的のもとになされた行為の
有効性を持つのであるといふ考へ方だけは、私にとつて変ることのないものである。
死が自己の戦術、行動のなかで、ある目標を達するための手段として有効に行使されるのも、革命を意識するものに
とつては、けだし当然のことである。自らの行動によつてもたらされたところの最高の瞬間に、つまり、
劇的最高潮に、効果的に死が行使出来る保証があるならば、それは犬死ではない。

三島由紀夫「わが同志観」より

ここまで見た
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  • 2012/02/09(木) 09:49:34.96
(中略)
「われわれ」といふ集団の感覚の次元で行動し、同志的結合を持続する時、個人はすでに、超個人的契機を
掴んでゐることが前提になる。その超個人的契機とは、神のやうな個人に直結した形である場合と同時に、神と
個人とを繋ぐコミュニティのイメージが必要となつてくるのである。そこには、もはやニュートラルな心情は
崩壊してゐるのである。
人間は、このやうなコミュニティを媒介としてしか、つまり伝統的共同体を形づくるところの超個人的なもの――
絶対的な存在に接近することが出来ないといふ、逆説的な精神構造を持つてゐる。その個人的契機は、多様であるが、
その内的原因を探れば、遠く、古い価値と、それに繋がるところのコミュニティの投影が必ずある。この投影こそが、
内側の人間を外側の人間へ弾き出す力になるのである。
さう考へてゆくと、「われわれ」は危険ではあるが、誘惑に導く美しさが見えてきはしないか。この危険な誘ひに
私の興味は募る。しかしそれは、悲壮な自己陶酔と紙一重でなくて果して何であらうか。

三島由紀夫「わが同志観」より

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  • 206
  •  
  • 2012/02/09(木) 09:50:40.24
私は、いやしくも盟約を交はして事を起す同志であれば、動機の深浅、運動経歴のキャリア、性格の相違等を、
ことさら問題にしようとは思はない。男と男が誓ひ、行動を起さうとする集団が、栄辱をそれぞれ等分するのは
当然である。
つまり、日常的な同志愛から出発しながら、いかにして、最終目的のために、目前の甘美な同志愛に耐へ抜く心の
強さを得られるか。同志的決起へと至る極限状況は、ある面において、倫理的憤激の最終的な責任を、自己に負ふか、
他者に負はせるか、といふ方向へ引き裂かれて行かざるを得ない。究極的に、自己に負ふとすれば、自刃があり、
他者に負はせるとすれば、制度自体の破壊に行きつくしかない。
そのやうなクオリティを見分ける判断力は、人間の弱さと強さとの問題でもある。

三島由紀夫「わが同志観」より

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ニーチェの重点は大好きですね。

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  • 208
  •  
  • 2012/02/18(土) 10:07:12.79
ベケットでね、「ゴドーを待ちながら」ね、僕はゴドーが来ないというのはけしからんと思う。それは二十世紀文学の
悪い一面だよ。ゴドーが来ない。これはいやしくも芝居でゴドーが来ないというのはなにごとだと、僕は怒るのだ。


メトーデをだんだんマスターから教わって、マスターピースを作ってマスターになるのだよね。だけどそれは、
西洋の歴史はメトーデの伝承の歴史だね。日本はそうではない。秘伝だろう。秘伝というのは、じつは伝という
言葉のなかにはメトーデは絶対にないと思う。いわば日本の伝統の形というのは、ずっと結晶体が並んでいるような
ものだ。横にずっと流れていくものは、なんにもないのだ。そうして個体というのは、伝承される、至上の観念に
到達するための過渡的なものであるというふうに、考えていいのだろうと思う。

三島由紀夫
安部公房との対談「二十世紀の文学」より

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  • 209
  •  
  • 2012/02/18(土) 10:07:40.73
そうするとだね、僕という人間が生きているのは、なんのためかというと、僕は伝承するために生きている。
どうやって伝承したらいいかというと、僕は伝承すべき至上理念に向って無意識に成長する。無意識に、しかし
たえず訓練して成長する。僕が最高度に達したときになにかをつかむ。そうして僕は死んじゃう。次にあらわれて
くるやつは、まだなんにもわからないわけだ。それが訓練し、鍛錬し、教わる。教わっても、メトーデは
教わらないのだから、結局、お尻を叩かれ、一所懸命ただ訓練するほかない。なんにもメトーデがないところで
模索して、最後に、死ぬ前にパッとつかむ。パッとつかんだもの自体は、歴史全体に見ると、結晶体の上の
一点から、ずっとつながっているかも知れないが、しかし絶対流れていない。

三島由紀夫
安部公房との対談「二十世紀の文学」より

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ニーチェの思想哲学の性で死後の世界の認識に疑問が発生したよ。

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  • 211
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  • 2012/02/22(水) 20:44:10.72
彼その人は実に愛すべき人で、誠実の点では彼におよぶ者はありません。
こんな人がキリスト教の最大の敵とならざるを得なかったということが、
そのままキリスト教国の実状を物語るものであり、これこそ悲しむべき点です。
--内村鑑三 (1917年3月6日 米国サラトガ D・Cベルにあてた手紙)




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  • 212
  •  
  • 2012/02/23(木) 16:21:07.48
……たしかに二・二六事件の挫折によつて、何か偉大な神が死んだのだつた。当時十一歳の少年であつた私には、
それはおぼろげに感じられただけだつたが、二十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折の神の死の
怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、密接につながつてゐるらしいのを感じた。(中略)
それをニ・ニ六事件の陰画とすれば、少年時代から私のうちに育まれた陽画は、蹶起将校たちの英雄的形姿であつた。
その純粋無垢、その勇敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型に叶つてをり、かれらの挫折と死とが、
かれらを言葉の真の意味におけるヒーローにしてゐた。
(中略)
その雪の日、少年たちは取り残され、閑却され、無視されてゐた。少年たちが参加すべきどんな行為もなく、
大人たちに護られて、ただ遠い血と硝煙の匂ひに、感じ易い鼻をぴくつかせてゐた。悲劇の起つた邸の庭の、
一匹の仔犬のやうに。

三島由紀夫「二・二六事件と私」より

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  • 213
  •  
  • 2012/02/23(木) 16:21:39.35
(中略)かくも永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱を雪ぎ、その復権を試みようと
いふ思ひは、たしかに私の裡に底流してゐた。しかし、その糸を手繰つてゆくと、私はどうしても天皇の
「人間宣言」に引つかからざるをえなかつた。
昭和の歴史は敗戦によつて完全に前期後期に分けられたが、そこを連続して生きてきた私には、自分の連続性の
根拠と、論理的一貫性の根拠を、どうしても探り出さなければならない欲求が生まれてきてゐた。これは文士たると
否とを問はず、生の自然な欲求と思はれる。そのとき、どうしても引つかかるのは、「象徴」として天皇を
規定した新憲法よりも、天皇御自身の、この「人間宣言」であり、この疑問はおのづから、二・二六事件まで、
一すぢの影を投げ、影を辿つて「英霊の声」を書かずにはゐられない地点へ、私自身を追ひ込んだ。自ら「美学」と
称するのも滑稽だが、私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤がわだかまつてゐることを
知らねばならなかつた。それをいつまでも回避してゐるわけには行かぬのである。

三島由紀夫「二・二六事件と私」より

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ニーチェの考え方は以外にも偉大ですの。

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  • 215
  •  
  • 2012/02/25(土) 16:34:38.41
ニ・ニ六事件を肯定するか否定するか、といふ質問をされたら、私は躊躇なく肯定する立場に立つ者であることは、
前々から明らかにしてゐるが、その判断は、日本の知識人においては、象徴的な意味を持つてゐる。すなはち、
自由主義者も社会民主主義者も社会主義者も、いや、国家社会主義者ですら、「ニ・ニ六事件の否定」といふところに、
自分たちの免罪符を求めてゐるからである。この事件を肯定したら、まことに厄介なことになるのだ。現在只今の
政治事象についてすら、孤立した判断を下しつづけなければならぬ役割を負ふからである。
もつとも通俗的普遍的なニ・ニ六事件観は、今にいたるまで、次のやうなジャーナリストの一行に要約される。
「ニ・ニ六事件によつて軍部ファッショへの道がひらかれ、日本は暗い谷間の時代に入りました」

三島由紀夫「二・二六事件について」より

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  • 216
  •  
  • 2012/02/25(土) 16:35:06.52
二・二六事件は昭和史上最大の政治事件であるのみでない。昭和史上最大の「精神と政治の衝突」事件であつた
のである。そして精神が敗れ、政治理念が勝つた。幕末以来つづいてきた「政治における精神的なるもの」の底流は、
ここに最もラディカルな昂揚を示し、そして根絶やしにされたのである。
勝つたのは、一時的に西欧的立憲君主政体であり、つづいて、これを利用した国家社会主義(多くの転向者を
含むところの)と軍国主義とのアマルガムであつた。私は皇道派と統制派の対立などといふ、言ひ古されたことを
言つてゐるのではない。血みどろの日本主義の刀折れ矢尽きた最期が、私の目に映る二・二六事件の姿であり、
北一輝の死は、このつひにコミットしえなかつた絶対否定主義の思想家の、巻添へにされた、アイロニカルな死に
すぎなかつた。

三島由紀夫「二・二六事件について」より

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  • 217
  •  
  • 2012/02/25(土) 16:35:41.99
二・二六事件を非難する者は、怨み深い戦時軍閥への怒りを、二・二六事件なるスケイプ・ゴートへ向けてゐるのだ。
軍縮会議以来の軟弱な外交政策の責任者、英米崇拝者であり天皇の信頼を一身に受けてゐた腰抜け自由主義者
幣原喜重郎の罪過は忘れられてゐる。この人こそ、昭和史上最大の「弱者の悪」を演じた人である。又、
世界恐慌以来の金融政策・経済政策の相次ぐ失敗と破綻は看過されてゐる。誰がその責任をとつたのか。政党政治は
腐敗し、選挙干渉は常態であり、農村は疲弊し、貧富の差は甚だしく、一人として、一死以て国を救はうとする
大勇の政治家はなかつた。
戦争に負けるまで、さういふ政治家が一人もあらはれなかつたことこそ、二・二六事件の正しさを裏書きしてゐる。
青年が正義感を爆発させなかつたらどうかしてゐる。
しかも、戦後に発掘された資料が明らかにしたところであるが、このやうな青年のやむにやまれぬ魂の奔騰、
正義感の爆発は、つひに、国の最高の正義の容認するところとならなかつた。魂の交流はむざんに絶たれた。

三島由紀夫「二・二六事件について」より

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  • 218
  •  
  • 2012/02/25(土) 16:36:16.49
もつとも悲劇的なのは、この断絶が、死にいたるまで、青年将校たちに知られなかつたことである。そして
この錯誤悲劇のトラーギッシュ・イロニーは、奉勅命令下達問題において頂点に達する。奉勅命令は握りつぶされて
ゐたのだつた。
二・二六事件は、戦術的に幾多のあやまりを犯してゐる。その最大のあやまりは、宮城包囲を敢へてしなかつた
ことである。北一輝がもし参加してゐたら、あくまでこれを敢行させたであらうし、左翼の革命理論から云へば、
これはほとんど信じがたいほどの幼稚なあやまりである。しかしここにこそ、女子供を一人も殺さなかつた義軍の、
もろい清純な美しさが溢れてゐる。この「あやまり」によつて、二・二六事件はいつまでも美しく、その精神的価値を
永遠に歴史に刻印してゐる。皮肉なことに、戦後二・二六事件の受刑者を大赦したのは、天皇ではなくて、
この事件を民主主義的改革と認めた米占領軍であつた。

三島由紀夫「二・二六事件について」より

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  • 219
  •  
  • 2012/02/25(土) 22:19:29.51
昭和天皇の226の述懐かナニかって読んだけど

どれだっけ?過去10年以内

知ってる人教えて

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ニーチェはSF作家ですの!?♪。

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  • 221
  •  
  • 2012/03/10(土) 23:48:34.52
あげ

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酸性投票を上げるよ。

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  • 223
  •  
  • 2012/03/21(水) 22:31:30.91
戦後日本の歴史が一つとぎれてしまつた。そのとぎれたところに自衛隊の問題があり、警察の問題があり、また
いろいろ複雑な言ふにいはれない、日本人として誠に情けない状態があらゆる面に発生してきました。(中略)
大体戦後の民主主義といふものは、アメリカといふ成金の新しい国から来たものでありますから、アメリカは
アメリカとしての歴史はもちろん持つてはをりますが、彼らが大切にしてゐる古い歴史といふのはせいぜい
十八世紀です。アメリカに行くと、これは非常に古い家である、十八世紀だなどとよくいはれる。彼らはどんなに
さぐつて見ても十八世紀以前に遡つてアメリカの歴史を語ることができない。それより古い頃にはインディアンが
ゐたんで、インディアンの方がよつぽど歴史上における誇りもあるし、自信もあるはずです。これが白人に
駆逐されてしまつた。白人であるアメリカ人といふものは、人の家にどかどか入つて来て、平和に暮らしてゐた人間を
追ひ散らして、新しい国を建てた。それが移民の国アメリカです。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 224
  •  
  • 2012/03/21(水) 22:32:02.43
さういふ国の人に、日本のやうな古い歴史、文化を持つた国の伝統と連続性の力といふものは判らない。彼らに
どう説明して聞かしても判らない。それは無理はないです。何となれば彼らの感覚にはそんな古い歴史といふものが
ないのですから……古いといふと十八世紀を思つてゐる人間にいくらいつても判らない。判つて貰はうとすることが
所詮無理なんでせう。
まあ、日本がアメリカに占領されたといふことは国の運命で仕方がないかも知れませんけれども、一番根本なところが
彼らに判らなかつたことは日本にとつても不幸だつたのでせう。それはわれわれだけが判つてゐるのであつて、
国といふものは、永遠に連続性がなければ本当の国ではないと思ひます。そしてとに角今は空間といふものが
ここに広がつてゐる。この空間に対して時間があるわけです。
今のこの世界の情勢といふものはハッキリいひますと「空間と時間」との戦ひだと思ひます。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 225
  •  
  • 2012/03/21(水) 22:33:50.58
(中略)(大国は)空間を何とかして自分達のものに確保していかうと思つて、いろいろ、まあ核兵器を持つたり、
あるひは代理戦争といふやうな形によつて辺境で戦争をしながら、相争つてゐる状態です。しかしながらその
国際的な争ひは、あくまで空間をとり合つてゐるわけです。
ところがこの地球上の空間を占めてゐる国の中にも一方では反戦、自由、平和といつてゐる人達がをります。
この人達は歴史や伝統などといふものはいらんのだ。歴史や伝統があるから、この空間の方々に国といふものが
出来て、その国同士が喧嘩をしなければならんのだ。われわれは世界中一つの人類としての一員ではないか。
われわれは国などといふものは全部やめて、「自由とフリーセックスと、そして楽しい平和の時代を造るんだ」と
叫んでゐる。彼らには時間といふ観念がない。空間でもつて完全に空間をとらうといふ考へ方においては、
彼らもまた彼らの敵と同じなのです。それでは、今日の人類を一体何が繋いできたのかといふことを論議し、
つきつめてゆくと、結局最後には「時間」の問題に突き当たらざるを得ない。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 226
  •  
  • 2012/03/21(水) 22:34:19.04
ところが今はどこの国でも、また国の内外においても全然かへりみてゐない。時間の問題を考へた人間は、段々
駄目になつていく傾向さへある。例へば、ローマカトリック、これは段々信ずる人はゐなくなるのではないかと
いはれてゐる。天皇制、これもみんなフラフラになつて駄目になつちやふのではないかと心ある人は心配する。
何故か? それは時間の連続性に対する人々の自覚が足りなくなつてゐるからです。
世界は今この大国間の争ひにしろ、平和運動にしろ、ベ平連にしろ、何にしろ、結局は空間といふもので争つて
ゐるけれどもこれはまあ表面的な考へ方です。ところが人間といふものは決してそれだけではない。これは人間の
非常に不思議なところで、私は最初に、「人間はパンのみで生きるものではない」と申しましたが、人間は
空間のみで生きるものでもないのです。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 227
  •  
  • 2012/03/21(水) 22:34:54.69
それが証拠には、私は最近ソビエト旅行をして先月帰つて来た人から昨日聞いた話ですが、今ソビエトで一番の
悪口は何だと思ひますか。ソビエトで人を罵倒する一番きたない言葉、それをいはれただけで人が怒り心頭に
発する言葉は何だと思ひますか……私はロシア語を知りませんから、ロシア語ではいへませんが、「非愛国者だ」と
いふことださうです。さうすると一体これはどういふことなのかと不思議になります。その伝統を破壊し、連続性を
破壊してゐる共産圏においてすら、現在は歴史の連続性といふものを信じなければ「愛国」といふ観念は出て
来てないことに気付き、その観念のないところには共産国家といへどもその存立は危ぶまれるといふことを
気付いたに違ひない。ですからこの「縦の軸」すなはち「時間」はその中にかくされてゐるんで、如何に人類が
現在の平和をかち得たとしても、このかくされてゐる「縦の軸」がなければ平和は維持できない。それが現在の
国家像であると考へられていいんです。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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  • 228
  •  
  • 2012/03/21(水) 22:40:04.02
ことに日本では敗戦の結果、この「縦の軸」といふのが非常に軽んじられてきてしまつた。日本は、この縦の軸などは
どうでもいいんだが、経済が繁栄すればよろしい、そして未来社会に向つて、日本といふ国なんか無くなつても良い。
みんな楽しくのんびり暮して戦争もやらず、外国が入つて来たら、手を挙げて降参すればいいんだ。日本の
連続なんかどうなつてもいいんではないか、歴史や文化などはいらんではないか、滅びるものは全部滅びても
良いではないか、と考へる向きが非常に強い。さういふ考へでは将来日本人の幸せといふものは、全く考へられないと
いふことを、この一事をもつてしても、共産国家が既に明白に証明してゐると私は思ひます。
(中略)
自由だ、平和だといつてゐる共産主義国家が、国家意思を持つてゐて、日本のやうな、佐藤首相が自らの手で
国家を守るといつてゐるこの国に、国家意思がないとは一体どういふことだらうか。
さういふことになるのは今の日本の根本が危ふくなつてゐるからです。根本はここにあるのです。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より

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ニーチェよりもオカルティストの方が最強ですよ。

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  • 230
  •  
  • 2012/03/25(日) 03:09:32.09
三島由紀夫から今の日本を見る http://www.youtube.com/watch?v=6ngJ0ceZW64&sns=em

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  • 231
  • !ninja
  • 2012/04/06(金) 12:58:08.36
ニーチェに似ているのはデビドラモンだよ。

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  • 232
  •  
  • 2012/04/12(木) 09:45:44.72
2006年3月14日

親愛なるコシミズさん、こちらは秘密のユダヤ人同盟である。
私たちは私たちの活動に関して、あなたが持つ知識の公開を差し止め、
廃止することを要求する。
あなたのウェブサイトの公開内容が、
当方のトップシークレットに関わる危険な情報源となっていると、
私たちの当局の多くが指摘している。
そしてもしあなたが高位の政治家や、
その他の隠れユダヤ人についての情報を取り下げない場合は、
あなたに対して行動を起こすであろう。
しかしながら、あなたの卓越した解析能力は、
あなたの周囲の人物を凌駕するものであり、我々を驚かせた。
恐らくあなたにとってこちら側に寝返り、
CJAのために働くことは悪くないアイデアだろう。
そうすればあなたは、
ロックフェラーやヒトラーのような贅沢な生活を送ることができる。
あなたはもうご承知のことと思うが、アドルフ・ヒトラーは隠れユダヤ人であり、
Uボートで南米へ逃亡し、二人の子供を作った。
フリードリヒとオルガは、現CJAの高官である。
迅速に行動することを要求する。
当方のエージェントは追跡を避けるためメールアドレスを毎週変更している。

デービッド・ホールドシュタイン・CJAエージェント(ユダヤ非公然同盟)

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  • 233
  •  
  • 2012/04/12(木) 09:46:18.39
あなたが我々の主要工作員の正体を発見してしまったことには、実に驚いたし、
大イスラエル帝国を建設しようとする我々の計画を発見したことには特に驚かされた。
貴殿はよくやった。

大イスラエル帝国の建設の共同作業は、すでに5000年に渡って発動されている。
それらは中止することができないものである。

アウシュビッツのガス室で死んだユダヤ人は3万人だけだという比況は間違っている。
教信的な陰謀論をもった反ユダヤ主義者の多くが、
600万の死者というシオニストの事実を作り出したのだ。

ホロコーストは我々にとっての敵を世界から一掃するために、
ユダヤ人が実行したものだ。
そして同時に我々に対する共感を得るためのものだった。
私はこの事実を貴殿に伝えることによって、
貴殿が我々のすることに対して、誤解を持たないようにしておきたいのだ。
覚えておけ。
我々は数百万人を殺した。
我々がさらにもう一人殺したところで、誰も気づきやしない。

http://www.youtube.com/watch?v=2WovRBGdkdM


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ニーチェVSニートVSニュートン。

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  • 235
  •  
  • 2012/05/03(木) 14:31:22.54
我が闘争を読んでいるが、実に共感せざるえない内容であった。
ヒトラーは善であり、悪いなどというのは日本が悪かったと言うのと同じである。
ただ、白人主義や極度な排他主義に関しては良くなかった。
>>233
ユダヤ人が日本の明治維新の成功を羨んだという話がある。
つまり日本は偉大な大日本帝国を建設したからである。
同じようにこれはナチスドイツの新ゲルマン帝国建設とも同じであったし
戦後の中国や朝鮮の国家建設も同様だ。
またその最たる成功例はアメリカに他ならないだろう。

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  • 236
  •  
  • 2012/05/03(木) 14:34:09.89
現在のイスラエルはそれを実現させる目的で武力を誇示して
パレスチナを排他してるのであるからまったく皮肉な話だ。

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  • 237
  •  
  • 2012/05/03(木) 14:42:18.38
それから我が闘争を読んでわかったが、30すぎてからの三島は
我が闘争の影響を大いに受け行動した。
三島は和製ヒトラーに成りたかったのだ。
楯の会は言わば和製ナチ党であったわけである。
しかし、三島はあくまでも民兵運動・思想活動に留めたのである。
三島がもしナチ党のように躍進し楯の会から楯の党と
してなっていたら、これはもっと違う形で現在の日本に影響を与えていただろう。

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ニーチェは善人だよ。

ここまで見た
  • 239
  •  
  • 2012/05/03(木) 21:32:13.19
ユロ円らららららららららら

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楽観的にニーチェを考えて欲しいですよ。

ここまで見た
  • 241
  •  
  • 2012/05/12(土) 10:40:25.14
「そして大破局が起こる。近未来に起こる。
しかし救いのイエス・キリストなんか来ない。別の救世主が来る。
そのとき人類を救うのは人類を超えるもの……彼らと彼女たちが、
新しい世界、新しい宗教を創る。」(ヒトラー予言)
http://hexagon.inri.client.jp/floorB1F_hss/b1fha400.html

 |
 |ヒトラーの予言がいよいよ実現しそうです
 ↓

「人類を背後から導く聖同胞団の首長マイトレーヤが、
弟子である覚者方の一団を引き連れて世界に公に姿を現す決心をなされた」と。
http://noumin.seesaa.net/article/95667187.html

マイトレーヤと覚者方の一団は、人類に道を示すために、
我々の神性が正しく顕現することのできる状態を創造するよう鼓舞し導くためにやって来られた。
(『マイトレーヤの使命・第2巻』より)

「大宣言の日」はメディアによってあらかじめ告知されるでしょう。
人々は決められた時間にテレビのチャンネルを合わせ、
それまでにはよく知られるようになっているマイトレーヤの顔を見るでしょう。
(『大いなる接近』より)
http://sharejapan.org/sinews/magazines/si5n7k/04zpzf/im48ez

ここまで見た
  • 242
  •  
  • 2012/06/01(金) 10:43:43.51
天地の混沌がわかたれてのちも懸橋はひとつ残つた。さうしてその懸橋は永くつづいて日本民族の上に永遠に
跨(またが)つてゐる。これが神(かん)ながらの道である。こと程さ様に神ながらの道は、日本人の
「いのち」の力が必然的に齎(もたら)した「まこと」の展開である。(中略)
神ながらの道に於ては神の世界への進出は、飛躍を伴はぬのである。そして地上の発展そのものがすでに神の
世界への「向上」となつてゐるのである。かるが故に「神ながらの道」は地上と高天原との懸橋であり得るのである。
神ながらの道の根本理念であるところの「まことごゝろ」は人間本然のものでありながら日本人に於て最も
顕著に見られる。それは豊葦原之邦(とよあしはらのくに)の創造の精神である。この「土」の創造は一点の
私心もない純粋な「まことごゝろ」を以てなされた。

平岡公威(三島由紀夫)16歳「惟神(かんながら)之道」より


ここまで見た
  • 243
  •  
  • 2012/06/01(金) 10:44:13.32
「まことごゝろ」は又、古事記を貫ぬき万葉を貫ぬく精神である。鏡――天照大神(あまてらすおほみかみ)に
依つて象徴せられた精神である。すべての向上の土台たり得べき、強固にして美くしい「信ずる心」であり
「道を践(ふ)む心」である。虚心のうちにあはされた澎湃(はうはい)たる積極的なる心である。かゝる
積極と消極との融合がかもしだしたたぐひない「まことごゝろ」は、又わが国独特の愛国主義をつくり出した。
それは「忠」であつた。忠は積極のきはまりの白熱した宗教的心情であると同時に、虚心に通ずる消極の
きはまりであつた。
かゝる「忠」の精神が「神ながらの道」をよびだし、又「神ながらの道」が忠をよびだすのである。かくて
神ながらの道はすべての道のうちで最も雄大な、且つ最も純粋な宗教思想であり国家精神であつて、かくの如く
宗教と国家との合一した例は、わが国に於てはじめて見られるのである。

平岡公威(三島由紀夫)16歳「惟神(かんながら)之道」より


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ニーチェの超人をも凌駕した存在が江原啓之だよ。

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  • 245
  • 新回帰 ◆XB7AjTRRiE
  • 2012/06/14(木) 10:39:07.49
アドルフは北欧神話のオーディンに憑かれたという話がある。
オーディンは戦の神で日本でいうスサノオや大国主神みたいなもんだ。
偶然にも「オーディン」は応神(オージン)にも通じる。
源頼朝が応神を祀って八幡を信仰したように三島にも
そうした武人の神に憑かれたのかもしれないなぁ。

ここまで見た
  • 246
  •  
  • 2012/06/17(日) 21:56:10.10


三島由紀夫は肉体改造と称してあれこれやったよね。

薬物使用の形跡はなかったのかな?




ここまで見た
  • 247
  •  
  • 2012/07/06(金) 16:45:42.58
>>246
ないです。

ここまで見た
  • 248
  • ◆uJTwg2na76
  • 2012/07/06(金) 17:26:16.71
どなたか塩谷豊という人物をご存じありませんか?
どんな情報でも結構です
どうかよろしくお願いいたします


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  • 249
  •  
  • 2012/07/20(金) 17:44:14.71
知りませんねえ

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  • 250
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  • 2012/08/02(木) 20:41:30.25
あなたはもうご承知のことと思うがアドルフ・ヒトラーは隠れユダヤ人であり、
Uボートで南米へ逃亡し、二人の子供を作った。
フリードリヒとオルガは現CJAの高官である、迅速に行動することを要求する。
当方のエージェントは追跡を避けるためメールアドレスを毎週変更している。
大イスラエル帝国の建設の共同作業はすでに、5000年に渡って発動されている。
それらは中止することができないものである、覚えておけ、我々は数百万人を殺した。
我々がさらにもう一人殺したところで、誰も気づきやしない。
デービッド・ホールドシュタイン・CJAエージェント(ユダヤ非公然同盟)
http://www.youtube.com/watch?v=2WovRBGdkdM


あんたね、こっち側に寝返ればいい生活保障するよと書いてあった英語で、本当に。
あなたは極めて優秀な人間であると、したがってこれはいい提案だと思うんだけど。
こっち側に寝返らないか、そうすればロックフェラーやブッシュのような、
安楽な生活を保障できると書いてあった、で普通の人はあらよっと乗り移るんだろうけど、
私の場合はすぐさまそのメールを貼り付けた、ネットにね。
そして公開することによって彼らが手を出せないようにした。
http://www.youtube.com/watch?v=Jf8mdHnskmE


そしてロックフェラーを長とするユダヤ権力は、大イスラエルを建設すると言ってるんです。
これ全部同じことなんです、みんな結局おかしなこと言ってるけども大イスラエル計画というのは、
翻訳すればニューワールドオーダーなわけです、みんな同じことなんですよ。
だから一緒になってるんです、みんな同じ目的なんです、言い方を変えてるだけなんです。
地上天国=NWOなんです、NWO=相対革命=金日成主義なんです。
つまり北朝鮮とニューヨークのユダヤ権力と統一教会と創価学会は、
要するに同じ目的のために協力してるんです、ここに物凄く汚い癒着関係がある。
http://www.youtube.com/watch?v=GOw-iDuRrD8


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  • 251
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  • 2012/08/02(木) 20:43:13.93
「我々の活動についてお前が調べたことは全部ネットから消せ、と書いてあります。
我々の幹部の多くがあなたのウェブサイトが非常に危険な情報を開示していると、
我々の極秘活動について触れているというところを指摘していると。」

・・・正しいことをやっていたんですね、リチ○ード・コ○ミズは。

「もし私がこういった情報をネットから取り下げなければ、我々は行動を起こすであろう。」

・・・と言ってますね、どういうことかと言うと、
私が実は今アメリカやヨーロッパの指導者といわれている人たちが実は隠れユダヤ人であると、
いうようなことをネットではっきりと英語で書いているわけですね。
でこれに対して早いところこれを消さないと行動を起こすよと、要するにぶっ殺すよということです。

「我々は貴殿の想像力の力に大変びっくりした。
恐らく貴殿は我々の側に寝返って我々のために働くべきである。
そうすれば貴殿はロックフェラーやヒットラーのような豪華な人生を送ることができるであろう。
もうすでに貴殿は知っているとは思うがアドルフ・ヒットラーは隠れユダヤ人であり、
戦後、南アメリカにUボートで逃れ、そして子どもを二人作った。
一人はフリードリヒであり一人はオルガである。彼らは現在CJAの高官である。」

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  • 252
  • 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
  • 2012/08/10(金) 03:50:30.75
ニーチェは素晴らしい物凄い価値基準の評価点が有るよ。

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  • 253
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  • 2012/08/18(土) 10:11:51.82
楯の会会員たりし諸君へ

諸君の中には創立当初から終始一貫行動を共にしてくれた者も、僅々九ヶ月の附合の若い五期生もゐる。しかし
私の気持としては、経歴の深浅にかかはらず、一身同体の同志として、年齡の差を超えて、同じ理想に邁進して
きたつもりである。たびたび、諸君の志をきびしい言葉でためしたやうに、小生の脳裡にある夢は、楯の会全員が
一丸となつて、義のために起ち、会の思想を実現することであつた。それこそ小生の人生最大の夢であつた。
日本を日本の真姿に返すために、楯の会はその総力を結集して事に当るべきであつた。
このために、諸君はよく激しい訓練に文句も言はずに耐へてくれた。今時の青年で、諸君のやうに、純粋な目標を
据ゑて、肉体的辛苦に耐へ抜いた者が、他にあらうとは思はれない。革命青年たちの空理空論を排し、われわれは
不言実行を旨として、武の道にはげんできた。時いたらば、楯の会の真価は全国民の目前に証明される筈であつた。

三島由紀夫
昭和45年11月、楯の会会員への遺言「楯の会会員たりし諸君へ」より(倉持清への書簡に同封)

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  • 254
  •  
  • 2012/08/18(土) 10:14:00.48
しかるに、時利あらず、われわれが、われわれの思想のために、全員あげて行動する機会は失はれた。日本は
みかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、手をこまぬいてゐなければ
ならなかつた。もつともわれわれの行動が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかつたのである。
このやむかたない痛憤を、少数者の行動を以て代表しようとしたとき、犠牲を最小限に止めるためには、諸君に
何も知らせぬ、といふ方法しか残されてゐなかつた。(中略)
日本が堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の錬成を受けた、最後の日本の若者である。
諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ。
私は諸君に、男子たるの自負を教へようと、それのみ考へてきた。一度楯の会に属したものは、日本男児といふ
言葉が何を意味するか、終生忘れないでほしい、と念願した。青春に於て得たものこそ終生の宝である。決して
これを放棄してはならない。

三島由紀夫
昭和45年11月、楯の会会員への遺言「楯の会会員たりし諸君へ」より(倉持清への書簡に同封)

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  • 255
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  • 2012/08/27(月) 16:54:22.21
私は進歩主義者ではないから、次のやうに考へてゐる。
精神をきたへることも、肉体をきたへることも、人間の古い伝統の中の神へ近づくことであり、
失はれた完全な理想的な人間を目ざすことであり、それをうながすものは、人間の心の中にある
「古代の完全性」への郷愁である、と。
精神的にも高く、肉体的にも美しかつた、古典期の調和的人間像から、われわれはあまりにも
かけはなれてしまひ、社会にはめこまれた、小さな卑しい、バラバラの歯車になつてしまつた。
ここから人間を取りもどすには、ただはふつておいて、心に念じてゐるだけでできるものではない。
苦しい思ひをしなければならぬ。人間の精神も肉体も、ただ、温泉につかつて、ぼんやりして
ゐるやうにはできてゐない。鉄砲でも、刀でも、しよつちゆう手入れをしてゐなければ、さびて
使ひものにならなくなる。精神も肉体も、たえず練磨して、たえずみがき上げてゐなければならぬ。
これは当り前のことなのだが、この当り前のことが忘れられてゐる。若いうちに、つらいことに
耐へた経験を持つことほど、人生にとつて宝はないと思ふ。軍隊のやうな強制のない現在、
一人一人の自発的な意志が、一人一人の未来を決定するにちがひない。

三島由紀夫「きたへる――その意義」より


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  • 256
  •  
  • 2012/09/13(木) 23:07:40.51


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  • 257
  • 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5)
  • 2012/10/06(土) 16:05:22.35
当然僕はニーチェの超人をも超越したよ。

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  • 258
  •  
  • 2012/11/24(土) 14:33:39.21
 三島由紀夫氏没後四十二年『憂国忌』の御案内
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ことしの「憂国忌」は日曜日にですので、下記三本の講演を予定しております。万障お繰り合わせの上、ご出席いただければ幸いです。
謹白
              記
とき    十一月二十五日(日曜) 午後二時(一時開場)
 ところ   星陵会館ホール(東京メトロ「国会議事堂前」か「永田町」)
 http://ticket-search.pia.jp/pia/venue/venue_access_map.do?venueCd=SRYO

 プログラム                      総合司会  佐波優子
         開会の辞               松本徹(三島文学館館長)
<記念講演第一部>
「三島由紀夫とワグナー 芸術と政治的思想、あるいは愛と死」
 在独作家 川口・マーン惠美
    「三島由紀夫が下田に来た夏」       横山郁代
                          (休憩十分)

 <記念講演第二部>
「『三島は、日本です!』(モーリス・ベジャール)―世界に向けて発せられたその死と美のメッセージ」     竹本忠雄
       「海ゆかば」                  全員起立斉唱
       「閉会の辞」             冨岡幸一郎(鎌倉文学館館長)

会場分担金 おひとり 二千円(学生千円)

         代表発起人 井尻千男、入江隆則、遠藤浩一、桶谷秀昭、佐伯彰一
竹本忠雄、中村彰彦、西尾幹二、細江英公、松本徹、村松英子
            ○◎○◎○
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  三島由紀夫研究会 HP URL http://mishima.xii.jp/
      メール  yukokuki@mishima.xii.jp

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  • 259
  •  
  • 2012/11/27(火) 15:47:39.21
しかしこの映画はいかにナチスに多くを負つてゐることであらう。ナチスがあつたおかげで、われわれは
あらゆる悪をナチスに押しつけ、われわれの描くありとあらゆる破倫・非行・悪徳・罪・暴力の幻をナチスに
投影することができるのである。この巨大なスケイプ・ゴートを、現代の映画演出家がはふつておくわけはない。
悪を描く免罪符としてのナチスの効用に隠れて、自分の悪の嗜慾をほしいままに追究することができるのだ。

三島由紀夫「性的変質から政治的変質へ――ヴィスコンティ『地獄に堕ちた勇者ども』をめぐつて」より

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  • 260
  •  
  • 2012/12/07(金) 14:05:03.94
Q――70年代に外国から労働移民がはひつてくる、と思ひますか。
三島:労働移民の結果として必然的に発生する人種問題は非常に深刻なものであるから実現しないだらう。
人種的偏見は、ある動物が異種の動物に対して警戒心を起すといふ本能的なものである。たまたま近世の
日本では人種混交といふ事態がなかつたため「日本人に人種差別はない」などといはれてゐるが、これは
真赤なウソである。仮に黒人が日本にはひつてゐたら、今ごろは米国どころではない深刻な問題になつて
ゐるだらう。

Q――70年代にコンピューターをにくむ人がふえる、と思ひますか。
三島:コンピューターの存在自体が人間の精神と知性に対する侮辱である。つくられるべきものでなかつた、
といふ意味で原水爆と同じ性格を持つてゐる。
データ処理についての能力は認める。しかし、それを操作する人間の精神が強じんでない以上、ドレイ化
するのは目に見えてゐる。さういふ意味でコンピューターをにくむ人は今でもゐる。これからはさらにいつそう
ふえ続けるだらう。
三島由紀夫「日本・70年代の予測」より

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  • 261
  • 超回帰 ◆XB7AjTRRiE
  • 2012/12/18(火) 17:01:31.48
三島は日本の戦後きっての英雄だよ。
未来の若き日本人と大東亜戦争の伝説を結ぶのは三島の武士道精神しかない。
三島由紀夫って人は、言うなれば孤高の帝国主義者だ。
日本人が将来自分達の存続のためにその身と命を賭けて前向きに生きる事を希望した。
例えば三島はその闘争心について強い相手に対して精鋭を組み、立ち向かい相討ちでも殺す事を説いた。
例えば相手がどんなに強く恐ろしい奴であっても最後は相討ちで敵の首をはねる。
そして自分も相手にはねられる。
そして、その極みがあの大東亜戦争であったと。
勝利には二つあり、巨大な敵に対して本当に勝つこともあるが極限の戦いをして名誉ある敗北を成す事。
なぜならそれは時間がたつにつれて人々により信仰され復活し真の栄光となる(讃えられる)からだ。
こんど、テレビ東京の恒例年明けドラマで白虎隊をやるがあれもその類の一つだ。
そしてそれは次の革命や維新の動機へとつながる。

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  • 262
  • 超回帰 ◆XB7AjTRRiE
  • 2012/12/18(火) 17:13:38.36
そして先の大戦において名誉ある敗戦を得たのは日本とドイツだけであったという事実。
これから先、この2国がどう関わっていくか気になるところだ。
願わくば日本と手を取り新しい秩序を作ってほしいと思う。
日本は天皇制を廃止、あるいは女系天皇制をして民族主義的な将軍国として朝鮮や台湾を属国にし、
ドイツは皇家を蘇らせて再びオーストリアなどを属国とした大ドイツ帝国になる事をな。

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  • 263
  •  
  • 2012/12/21(金) 10:35:51.22
これは、あの冗長で自己宣伝にみちた「わが闘争」よりも、はるかに危険、はるかに有毒、はるかに真実、
はるかに「人間的な」(!)本である。ヒトラーの仮面をひんむかうとした著者の意図は、却つてヒトラーその人の
狂的天才の本質を輝かしく呈示する。ユダヤ人はドイツ人と「大変似てゐる」からこそ敵視したヒトラーの告白を
ききたまへ。

三島由紀夫「ヘルマン・ラウシュニング著 船戸満之訳『永遠なるヒトラー』推薦文」より

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  • 264
  •  
  • 2013/03/12(火) 22:23:03.14


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三島は超人になりたかったわけではない。
アマテラスオオミカミが超人になりえなかったことを鑑みて、
悲観したからでもない。
人間でありたかったゆえに、永遠回帰を望んだ。
以上。

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  • 266
  •  
  • 2013/05/23(木) 02:08:25.25
従軍慰安婦の正当性を述べられた橋下さんを支持して女性専用車両を廃止させよう!

京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像
こちらがその瞬間です
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi

男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください

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  • 267
  • 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5)
  • 2013/05/25(土) 16:51:27.95
勿論全部歓迎するよ。

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  • 268
  •  
  • 2013/05/27(月) 11:32:49.92
2013.4.4 西尾幹二 河野談話見直し会見ダイジェスト
http://www.youtube.com/watch?v=LY2by2641mI


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  • 269
  • 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5)
  • 2013/05/28(火) 06:20:27.15
勿論人生を全部肯定するよ。

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  • 270
  • 弧高の鬼才@宇宙定数 ◆zD.tvziESg
  • 2013/06/01(土) 00:07:31.86
おまえら、兆ワロス

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  • 271
  • 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5)
  • 2013/06/16(日) 20:50:32.70
勿論ニーチェの哲学は人生の役に立つよ。

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  • 272
  •  
  • 2013/06/19(水) 18:41:00.94
符牒、符丁、符帳(ふちょう)とは、作業者同士で使用される言葉、
また売買の場や顧客が近くにいる現場などで使われる独特な言葉の事。



接客や作業をしている時に、価格・品質・指示などについて、符牒を使用する事によって客に知られずに必要なコミュニケーションを行うが、「


○○ネタ」のように一般の人が使用したり流用する事もある。

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  • 273
  •  
  • 2013/06/22(土) 17:43:51.06
1.
おおい【覆い】

幌(ほろ) 包み 上包み 上覆い 上張り 敷布(しきふ) カバー 〈荷台の〉シート 〈ベッドの〉シーツ 被覆 掩蓋(えんがい) 掩蔽(えんぺい) 遮蔽(しゃへい) 

2.
おおう【覆う】

手で顔を覆う ▼【被う】 白布で被う かぶせる ▼【掩う】 目を掩う 耳を掩う ふさぐ ▼【蔽う】 (見せない) 真相を蔽う さまたげる ⇒つつむ【包む】 

3.
くつがえす【覆す】

〈茶碗・花瓶−を〉反(かえ)す 引っ繰り返す でんぐり返す 転倒 転覆 ▽打ち倒す 滅ぼす 打倒 ⇒ほろぼす【滅ぼす・亡ぼす】  

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  • 274
  • 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5)
  • 2013/06/22(土) 21:16:39.91
勿論ニーチェの考え方に感動するよ。

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  • 275
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  • 276
  • 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5)
当然ニーチェの思想は物凄く素晴らしいだろ
確かにニーチェの哲学は魅力的だろ

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  • 277
  •  
  • 2013/09/28(土) 09:25:59.43
「小田急線の新宿駅と南新宿駅の間にある歩道橋に貼ってありました。
新宿の高層ビルが狙われている可能性があります。」そういう解釈もできるかもしれません。
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/008/181/20/N000/000/010/138024642600486059226.jpg
2013年日本テロに向けて、三橋の背後の降伏の化学が動き出すので、目立つ活動を控える?
三橋貴明が逃走か?[ 三橋貴明後援会のホームページが消えた
http://mitsuhashi-takaaki.jp/wordpress/
後援会費や寄付金はどこ行った?
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/121130/2414050019.pdf
スイスのロレックスの腕時計を身につけ、下北沢の高級マンションに住む三橋こと本名中村貴司
http://richard(輿水)koshimizu.at.webry.info/201309/article_129.html

【西田昌司】アベノミクス、的はずれな批判より実体経済の議論を[桜H25/6/5]
国債は破綻すると言われてるけども絶対に破綻するはずがなくて
自国建て通貨で国債発行して破綻しようと思っても破綻できない
日銀がですね最終的に引き受ければできるわけですからまったく問題ない
http://www.youtube.com/watch?v=77yG9dxQunA


日本破綻論!三橋貴明vs池田信夫vs高橋洋一vsジェームス・スキナー動画
池田信夫「その外債だったら危ないけど国内から借りたら大丈夫って話がよくありますけど
それはまったくナンセンスな話で海外の欧米の銀行なんかからむと
大事件になるから大騒ぎになるだけで実はほとんどの財政破綻は国内で起こってる」
http://www.youtube.com/watch?v=c_x_4gpPXN8


財務省の「日本が財政破綻した場合、国債はどうなりますか」の回答がいつの間にか変わってる!
Before「国債は政府が責任を持って償還いたしますので、ご安心ください」
After  「国の円滑な資金調達が困難になり、政府の様々な支払いに支障が生じるおそれがあります」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-722.html

日本国債崩壊   130123
彼らはアベノミクスの柱であるインフレ目標と大規模な財政出動が日本国債の暴落を引き起こすと予測。
バス氏「日本はついにルビコン川を越えその時が来た。崩壊は間違いない。」
http://www.youtube.com/watch?v=lsR15NhrMfU


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  • 278
  •  
  • 2014/02/11(火) 11:01:45.52
保守

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  • 279
  •  
  • 2014/04/02(水) 12:46:08.35
宗教から歴史、政治経済、天皇、自衛隊まであらゆる情報の宝庫!

本日の講義は『大日本帝国は生きている 自衛隊が皇軍になる日』です。

日本の軍は天皇陛下の軍隊でなければならない!

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/

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  • 280
  •  
  • 2014/09/15(月) 03:45:33.98
必ずニーチェは大原則だろ
絶対にニーチェは大原則だろ
確実にニーチェは大原則だろ
100%ニーチェは大原則だろ
十割ニーチェは大原則だろ

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  • 281
  • 超回帰 ◆XB7AjTRRiE
  • 2014/12/05(金) 02:20:11.18
>>25>>186>>225


スゴいな…「核」というキーワードで検索して出て来たバラバラのレスだが、
そこには一貫性がありまるで同じ文章であるかのよう。
イスラム国が核を持ったとの事で、そーいや三島は「核兵器が日本以外の国で使われるまでが日本再軍備の勝負」とか言ってたなと思い久しぶりにスレを覗いたが…。
目的の話は無かったにしろ代わりに興味深い話が検索できたよw

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  • 282
  • 超回帰 ◆XB7AjTRRiE
  • 2014/12/09(火) 01:19:10.50
日本とドイツに共通するのは「大国になれたかもしれない歴史をもっていたのに成れなかった」という事である。
そして軍は一度動いたら止まらないのであるからアメリカは日本に戦争ふっかけてまんまと勝ち戦をした。
安倍さんはこないだの記者クラブの会見で「あの戦争が回避できたものかは歴史家の方々が答えを出すべき」だと言ってたが、
日本が大国に成りたい軍事欲を逆手に勝てない相手に立ち向かって葉隠的な死ぬ意味を見つけた戦争だったかもしれない。

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  • 283
  •  
  • 2015/08/04(火) 09:57:39.86
>>282
日本とドイツそれとイタリアに共通するものは、
いわゆる帝国主義に遅れて参加したということであろう。
これは、中学校か高校の教師が言っていたように思うが、
ドイツとイタリアと日本は、いわゆる近代国家としてスタートしたのが、
1860年代から1870年代だったということである。
ドイツ統一は、1871年。
イタリア統一は、イタリア王国が1861年。
日本は、1868年1月3日王政復古のクーデター政権樹立。

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  • 284
  •  
  • 2015/08/15(土) 10:43:54.81
ところかまわず眠りこける人が激増 社会崩壊の前兆か?
http://ameblo.jp/kaito000777/entry-12031605335.html

他の国々のように、日本もさらに多くの原子力発電所を作ろうとしています。
多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。
人々は、放射の影響で不必要に死んでいます。汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。
ahjzfl-1/04zpzf/n0gkne
安全な原子力エネルギーをつくることはできません。ですから、人々はますます増大する原子炉の使用に反対しなければならないのは明らかです。
それはわれわれの免疫組織を破壊し、あらゆる種類の病気に対する抵抗力を弱め、ずっと昔に征服された病気が今また復活しはじめています。
magazines/si5n7k/04zpzf/tdgsoh

マイトレーヤは、世界中の核分裂による原子力発電所を直ちに閉鎖することを助言されます。
人間が生きるための呼吸そのものが脅かされている−−彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じである。
33116k/yitdsf/u198z0
マイトレーヤが公に話し始めるとき、彼はこのことについて話されるでしょう。
彼は質問に答えて、世界中で何十基もの原子力発電所を建設する計画は破棄されなければならないと非常に明確に言われるでしょう。
magazines/ahjzfl-1/pzytyf/vk7zly

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  • 285
  • 超回帰 ◆XB7AjTRRiE
  • 2016/06/16(木) 11:59:52.32
これからの将来、日本が「龍」を復活させる機運が高まりそれを選択するならば
三島は否定される運命にあるだろう。
しかしそれは三島としては本望であるはずだ。
三島もまた龍になったのだから。
頭を落とすとはつまりそういう事。

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  • 286
  •  
  • 2016/11/10(木) 09:41:04.32
115 : 名無しさんの主張 : 投稿日:2012/03/07(水) 21:43:50.53 ID:???
日本人は海外の倫理観・善悪観を屁理屈で否定する。
その上で「善悪なんて考えずとにかく上に従え」式の道徳教育をする。
右翼はそういう教育の強化を主張し、左翼は道徳教育の撤廃を主張する。
まともな人間が生まれるわけがないね。

116 : 名無しさんの主張 : 投稿日:2012/03/07(水) 21:48:33.93 ID:???
>>115
欧米で倫理観だの善悪観なんて教えている証拠あんのか?w

117 : 名無しさんの主張 : 投稿日:2012/03/07(水) 21:54:34.18 ID:???
>>116
証拠も何もそのくらい常識だし前スレでも話題になっていたと思うが

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1130970306
ドイツでは学校教育の一環として、道徳の授業がキリスト教(トルコ人等のイスラム教徒はコーランの授業、
ユダヤ人はタルムード、日本人のような何でも良いような仏教徒はキリスト教の授業)と言う科目があり、
そこで聖書を読みながら何が生活の中で大切なのかを学びますから一般的な言い方をすれば家族の生活を大切にしています。

139 : 名無しさんの主張 : 2012/03/07(水) 23:51:38.92 ID:???
ニーチェの反キリスト教哲学を盲目的に受け入れて、
世界は弱肉強食・優勝劣敗(自然淘汰)だと言い張った結果、
暴走したのがナチスドイツ。
その反省の結果生まれたのが>>117のドイツの道徳教育。

キリスト教についての教養も、そういう歴史の教養も無いくせに
「神は死んだ」と聞いて「カッケー!」と興奮してる
幼児的ニーチェファンが多いのが日本。
マルクスの「宗教は阿片だ」も大好き。

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  • 2016/11/10(木) 09:41:37.34
154 : AntiNietzsche : 2012/03/08(木) 01:18:47.26 ID:???
> ニーチェの反キリスト教哲学を盲目的に受け入れて、
> 世界は弱肉強食・優勝劣敗(自然淘汰)だと言い張った結果、
> 暴走したのがナチスドイツ。

私も同じ考えです。
フランス革命を思想的に準備したのがルソーだとしたら、
ナチズムを思想的基盤を用意したのはニーチェだと思っています。
何しろ、『弱者と出来損ないは滅ぶべし』と叫ぶ人ですから。
これをリアルに実行したのがナチスの優性思想でしょう。
(変態ルソーもどうかと思いますが…)

日本のニーチェ信徒も好きになれません。
「ルサンチマン」なんてニーチェ由来の言葉を極めて俗な仕方で使っている人が多い。

ショーペンハウアーかニーチェかと言われたら、
迷わずショーペンハウアーを取りますね。

502:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 11:18:40.35 ID:l0/ESA32
ニーチェ関係の本が去年からいろいろ出ているけど、
日本人にそんなに好まれる哲学者なのかな?
俺は哲学関係に疎いんで良く分からないが、ひょっとして
「自分の力で這い上がれ、信じられるのは結局自分だけ」みたいな考え方が
意外とピッタリなのかもしれんね。

生活保護の不正受給問題の時に一番悪いのは不正受給者なのにも拘らず
制度そのものを激しく憎む人間が多かったり、イラクの人質事件の時に
自己責任を叫ぶ声が全国で上がったりした件を考えても、日本人って根っこでは
新自由主義的というか、アナーキーなものを心底欲しているように感じられた。

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  • 2016/11/10(木) 09:42:12.05
507:名無しさんの主張:2012/04/27(金) 06:38:40.70 ID:???
日本人が弱者を踏み付ける理由は明らかなんだけどね。

人間を、その人物が善を追求しているか悪に流されているか
という善悪観でジャッジする意欲も能力も昔から皆無で、
強いか弱いかという優劣でしか判断しないからだよ。
優劣で判断すれば、ホームレスのような「劣った」弱者は価値がないとされる。
障害者を助けるどころか逆にガス室で処分したナチスドイツと一緒。

なぜナチスドイツがそうなったかというとニーチェ思想が悪用されたから。

「善悪なんてキリスト教がでっち上げた幻想だ!」
「世の中は弱肉強食の永遠の繰り返しだから重要なのは力なんだ!」
「強者を認めないのは弱者の恨みだ!」

悪く解釈するとこういう思想が流行して、ナチスドイツが
それを採用したから、障害者は不用品として処分されたわけ。

ドイツ人は深く反省して、戦後はペット一匹殺さない博愛主義者に
大変身したわけだけど、それはニーチェ思想を否定して、
善悪で物事を考えるように思想転換したのが理由。
共感性が地の底から世界トップレベルに突然変異で急上昇したわけではないよ。

日本人は昔からニーチェ主義者な上に、こんな本まで
熱心に読んで狂喜しているのだから救いようがない。
       ↓
http://www.amazon.co.jp/dp/4062723123
ニーチェの言いたいことの本質は、きっと日本人には至極当然のことがあると思える。


そりゃそうだろうw

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  • 2016/11/10(木) 09:42:45.04
486:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 00:53:10.00 ID:???
哲学や倫理の内容も録に知らないくせに漫画やアニメの受け売りで
やれ正義の反対は別の正義、だの
愚民は正義に守られるほどの価値があるのか、だの
恥ずかしいセリフを真顔で抜かすのが日本人

490:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 02:21:44.74 ID:???
>>486
同感
引用好きの割に、その引用が適切かどうかを気にしてないから言葉遊びになってしまってるように思える事が多い

492:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 03:10:34.33 ID:???
>>490
しかも引用元が決まってニーチェ風ニヒリズムというワンパターンっぷり
それに倣ってやたらと相対主義的物言いを好むが、
二元論の相対化は二元論の肯定という基本中の基本も理解できない(「知らない」のでなく「理解できない」)ので
自分の発言が欠陥や自己矛盾を孕んでることに全く気付かないという猿っぷり

493:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 04:34:47.65 ID:???
思考力がないから上下、優劣、勝ち負けのような二分法思考しか出来ないんだよね

494:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 05:00:41.10 ID:???
>>493
二分思考自体は人間の本質的な思考法であって、それ自体は普通のことなんだよね
492でも言ったけど、二分概念の相対化は別の二分概念を持ってこないと不可能なんだ
だから一つの二分概念を他の二分概念で相対化し、それによって生まれた二分概念をまた相対化・・・・
って具合でどんどん思考を深めて行くのが真っ当な頭の使い方なわけだけど、
日本人は所持してる二分概念のレパートリーが少なすぎるからそれができない
それと同時に、二分概念の相対化が二分概念を肯定していることも理解できない

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  • 2016/11/10(木) 09:43:18.81
495:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 07:45:22.99 ID:???
> 二分概念の相対化が二分概念を肯定している
ここについてもう少し詳しく

497:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 09:24:40.60 ID:???
例えば「正義/悪」という相克した概念を「この世に正義も悪もない」(※1)と相対化してみたとしよう
すると相対化したのと同時に「※1は真/※1は偽」という二分概念が生まれてしまうわけ
つまり(※1)を唱える人間は「※1は真」という考え方を絶対視してるということだ
何かを相対化するには何かを絶対視せざるをえないという矛盾が存在する

こんなもん大昔から指摘されてるけどアホな日本人はこの自己矛盾に気付かない
自分が「正義も悪もないけど、そう考えてる俺は絶対正しいよ」という傲慢な物言いをしていることに気付かない

500:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 10:18:29.52 ID:b8p0Gk/Z
>>493
そういう考えを「はっきりしている考え」と錯覚している

501:名無しさんの主張:2012/11/11(日) 10:43:15.06 ID:???
>>497
説明頼んだ人とは別人だけど凄く面白かった。感謝します。

> 自分が「正義も悪もないけど、そう考えてる俺は絶対正しいよ」という傲慢な物言いをしていることに気付かない
今までも、俺は妙に断定的だったり傲慢な物言いをする人には常に違和感を持っていたが、
貴方のようにはっきりとは誤りだと説明できなかったので目から鱗が落ちた。

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  • 2016/11/10(木) 09:43:54.81
「正否(right/wrong)」と「善悪(good/bad)」とを区別するのは、西洋では古来からお馴染みの発想です。
たとえばジョン・ロールズの『正義論』は両者の区別を前提にした「正義」についての議論です。
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/jk/jk18/right.html
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/priority.html

日本人は両者の区別に感情論が入って区別できなくなる傾向が強いようです。
(自分の意見が「正しい」ことを否定されれば「自分が悪人」扱いされたと思い込む)
よってそれ以上議論ができなくなります。

ある意見が正しいか正しくないかは真理や状況に応じて、すなわち
人間とは別個に存在する客観的基準に照らして判断すべき問題です。
ある意見が善か悪かは、個人の価値観や幸福感、あるいは社会規範といった主観的基準に照らして判断すべき問題です。

そして正義とはまさに「公正」の問題であり、前者にあてはまるべき客観的基準にかかわる問題であるということ。
これが理解できないために日本人の多くは「正義」の本質を理解できず、それを体現するための
「法」「ルール」の価値基準を恣意的に主観化・相対化してしまうことになります。

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  • 2017/11/24(金) 18:32:50.24
保守

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  • 2018/05/15(火) 17:19:44.24
人種政策さえなければ国家社会主義は素晴らしい国家体制なんだけどな
急勾配累進課税、資産税、最高所得制限などで富裕層狙い撃ち、消費税反対、
法人税増、企業利潤税(内部留保などできない)、
特にヒトラーを含め責任ある立場の人々が嫌ったのは投資で利益を上げる人々
投機利益税・配当制限(配当利益の65%が税金で国庫へいく)
「何の苦労・労力もなしに、このような形の収入」には再三反対していた。
労働者階級の味方であったことは疑いない。反ユダヤだけで支持を維持できるはずがない。

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  • 2018/05/28(月) 00:16:01.48
NHK教育を見て55277倍賢く暴君 ネロ
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/liveetv/1527430171/

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  • 芋田治虫
  • 2019/10/19(土) 21:29:25.27
https://nico.ms/sm10953011
https://nico.ms/sm8983831
↑事実上ナチスの残虐な暴政の犠牲者であり、被害者である、ヒトラーユーゲントと国民突撃隊、第二世界時のドイツの一般市民、挙句の果てには罪の無いナチスの末裔たちまで、
テロリスト扱いする奴こそが真のテロリストであり、イスラエルこそが真のテロ国家。
そもそも、イスラエルの公務員は全員テロリスト。
だいたい「ナチスのものをなくせ」というだけでなく「ナチスっぽいものもなくせ」というなら、まずイスラエルのものをなくせ。
ハイルモーゼ\(^o^)

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  • 2022/05/03(火) 07:41:04.51
【悲報】ロシア・ラブロフ外相「ヒトラーにユダヤ人の血が流れている」と発言してイスラエルが大激怒

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  • 2023/08/16(水) 13:13:36.56
( ´゚д゚`)エー

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  • 2024/11/14(木) 14:44:36.18
ニーチェの12支観たら理想と性格一致は理想主義、それが生活と対になると出た

フリックゾンビ
フリックラーニング
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