公明党がイラク戦争に賛成した時点で学会の嘘に [sc](★0)
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- 385
- 2014/03/11(火) 16:22:58.35
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素朴な疑問なんだけど
アンチはなんでイラクとフセイン擁護しているのですか
イラク戦争前から親イラク、親フセインだったの?
イスラム教なんですか?
戦争は確かに良くないし、アメリカは好きじゃないけど
イラク側に落ち度はなかったと言うのですか
フセインのどこが良いんですか
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- 386
- 2014/03/11(火) 18:00:26.71
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>>385
イラク民衆を擁護してるのであって、別にイラクやフセインを支持してるわけじゃないだろ。
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- 389
- 2014/03/11(火) 20:47:37.62
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大乗非仏説さん、もしくはノーマンさん
>創価学会が公明党のイラク戦争への参加を容認した、、、
君は何をやってきたのか
質問ばっかりして相変わらず自分は答えない?
自分の事を先に語って何回も言ってるんだけど
具体的に言ってね、口先だけの評論家さんなんですか?
こっちが答えるのはそれからでも遅くないでしょ
さあ貴方が答えてくださいね
一度くらい自分が何を行動してきたのか言って
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- 390
- 2014/03/11(火) 21:02:30.32
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大乗非仏説さん、もしくはノーマンさん
この人は根本的な事が判ってない気がする
自分の事は語れないし
この人から現実に行動する雰囲気をまったく
感じないのは私だけなのか、、、
イラク戦争を持ち出せば鬼の首をとったようにはしゃいでる。
それもイラク国民代表みたいにね。君はイラク人なの?
ここまで偉そうに知識人ぶって語っている
ここまで語るにはそれなりのバックボーンがあるはず普通ならね
貴方が、自分が何を行動してきたのかを
語ってくださいって言ってるんですよ。イラクへの思いもね
そうすれば私もイラク戦争の事、自分の思いをしっかり語りますよ!
さあ逃げるな!語ってください!
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- 392
- 2014/03/11(火) 21:22:39.04
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>>390
市井の庶民には、悲惨な戦争、残酷な戦争に愚直に異議を唱えることしか出来ない。
が、それで充分だろ。
幹部に指導されるがまま、戦争に賛成した政党に唯々諾々と従う信者よりずっとましだよw
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- 393
- 2014/03/11(火) 21:41:33.58
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【春田の蛙】
浄土真宗門徒を名乗る創価学会工作員
在日参政権支持派の在日韓国人
東村山事件関連では創価学会擁護に徹しており、
逆にアンチを罵倒する始末である
かなり重度の統合失調症患者でもある。
【資料屋】
アンチに成り済ました現役創価学会員
(2008年1月のブログにて自供している)
統合失調症などの精神病により薬物漬けになった在日韓国人
端末機を数台使用して自演をしている
「T.R」「かわうそ○号」「ノーマン」「大乗非仏説」などで書き込みをしている
更に相手を数人に見せかけた名無し自演で叩く癖がある
同じ在日学会員の春田の蛙や山椒島の擁護などでその手段を使う。
最近は自分で自分の自演擁護が多い。
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- 395
- 2014/03/11(火) 21:55:54.73
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実
1963年、カセム政権は倒れ、後釜にアーリフが大統領、
バクルが首相に就く。バクルはハイラッラーと親交厚い
バース党幹部である。
このクーデター直後、サダムはエジプトから帰還し、
新政権の中央農民局に就任する。しかし、裏ではバース
党の突撃隊とでもいうべき国家警備隊の創設に着手し、
共産党員狩りを始める。
緑色の腕章をつけ、自動小銃で武装した国家警備隊は
過激に共産主義を弾圧し、約5000人の共産党員が殺害
されたと言われる。
バクルは反帝国主義、反ユダヤ主義を掲げ、共産主義
やユダヤ系イラク人を弾圧した。残忍な公開処刑や拷問
が人知れず行われるようになった。サダムの指揮する
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- 396
- 2014/03/11(火) 21:56:41.76
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実2
ジハーズ・ハニーンやコミッサール(政治統制委員会)
などの秘密警察、秘密保安部隊が暗躍した。
サダムはこれらの組織の運用や構造、執行機関をスター
リンの共産党を手本にした。サダムは強硬な反共主義者
だったが、権力を握ってゆく過程をスターリンから学ん
でいたのである。すなわち、ヒエラルキー、規律、秘密
である。
1970年、革命指導評議会が国権の最高機関であると、
バース党による新憲法で規定された。RCCの副議長は
サダムである。そして事実上、イラクはバース党の一党
独裁が決定したも同然だった。
次にサダムが目指したのは、バース党の政敵抹殺、
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- 397
- 2014/03/11(火) 21:57:25.78
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実3
すなわち他の政党の消滅であった。
血生臭い粛清が吹き荒れた。バース党に敵対するものは
もちろん、ユダヤ人、共産主義者、クルド人、シーア派、
そしてサダムの権力を脅かすと目された者たち。これら
の多くは拷問にかけられ、処刑された。
一切の容赦はなかった。網の目のようにはり巡らされた
監視の目は、いかなる政敵をも見つけ出すことができた。
これはサダムの才能だった。サダムは数多くの諜報部や
秘密警察を掌握し、政敵を葬った。これらの弾圧に共産
党やシーア派勢力は反政府活動を激化したが、サダムの
治安部隊の前では流血の量が増すだけであった。
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- 398
- 2014/03/12(水) 00:00:47.25
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実4
国家内務治安局アムン・アル・アンム…王制のころから
存在する国内治安局。
党諜報局ムハーバラート…治安部門の中でも最も強力な部隊。
軍諜報部イスティフバラート…軍隊を監視し、国外の反体
制派の暗殺などを請け負う。
政治統制委員会コミッサール…軍隊の監視。サダムの言うこと以外は聞かない。
※これらの治安部門のトップにはサダムの信頼できる血族や親族を据えた。
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- 399
- 2014/03/12(水) 00:13:31.89
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実5
大量破壊兵器
イラクをその手に握ったサダムが目指すは世界だった。
アラブ民族主義を掲げ、中東でアメリカやソ連に負けない超大国
になることが目標だった。その為には軍事力の増強、特に核兵器、
生物化学兵器保有が絶対条件だった。資金は豊富にあった。
石油はイラクを世界有数の金持ち大国にしていた。
農薬の名目でサダムはアメリカのファウルダー社のエンジニアを
バグダッドへ招待し、技術援助を受けた。また東ドイツのライプ
チヒ毒薬研究所の職員と掛け合い、技術援助を受け、着々と化学
兵器開発に成功しようとしていた。
また核兵器も原子力発電の名目で各国から技術援助を受けた。
特に盟友フランスはそれに積極的で、石油大国のイラクが原発を
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- 400
- 2014/03/12(水) 00:22:42.62
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実6
持とうとする矛盾を全く無視した。1956年にディモナ研究炉を
イスラエルに売ったのもフランスだった。そして今度はまた
イスラエルの宿敵、イラクにタンムーズ原子炉を売ったのである。
目的はシンプルに金だった。
またアメリカもマンハッタン計画(広島、長崎型原爆の開発計画)の
詳細な資料一式をイラクに寄贈したのである。こうして大国の援助
を受けイラクを核兵器を持つ一歩手前まで行くのである。しかし、
実際はイスラエルの対外諜報機関モサドの妨害や再処理施設の
未完成によって、核兵器を持つことはできなかったとされている。
フセイン大統領
1979年7月、遂にサダムはイラク共和国大統領に就任した。
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- 401
- 2014/03/12(水) 06:42:22.23
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>>394
あなたはイラク戦争に賛成したのは公明党であって、創価は公明党を支援している関係上、間接責任を負うだけとの見解か?
つまり創価としてはイラク戦争に賛成した事実はなく、単に公明のイラク戦争賛成を黙認しただけという見解なのか?
言いかえればイラク戦争に責任を負うのはもっぱら公明党と公明党支持者ないし公明党に投票した有権者であって創価ではないと?
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- 404
- 2014/03/12(水) 09:24:04.84
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実7
バクルは表向き体調の悪化を理由に退陣したが、現実にはサダムに
脅されてのことだった。形骸と化したバクルに抗う術はなかった。
そしてその後サダムに暗殺された。サダムにとってバクルは恩師だ
ったが、このような形で報いたのである。
理由は根強くバクルを大統領に復帰する声があったからである。
サダムはバクルもバクルを支持する者も容赦なく消しさった。
これだけでなく、サダムが大統領就任後は全国規模で粛清が吹き荒
れた。政治家も、官僚も軍人も国民もちょっとでもサダムのやり方
に疑問を持った者は例外なく消された。かつては懇意にしていたも
のも親戚も例外ではなかった。
サダムに逆らえる者は誰一人としていなかった。逆らおうとする前
に治安部隊がその者を見つけ出し、拷問にかけ殺した。
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- 405
- 2014/03/12(水) 09:27:04.68
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実8
 しかし理解しがたいことだがサダムは国民に圧倒的な人気があった。
と言うよりほとんど畏怖の念に近かった。間違いなくイラクにおける
神とはアッラーではなくサダムだった。サダムはどうやれば国民から
人気が出るか熟知していた。
その見本はナチスのヒトラー以外ありえなかった。
党はテレビやラジオを通じて大規模なプロパガンダを絶え間なく行い、
大きな効果をあげていた。
イラクにおける一党独裁は、もはやサダムの個人崇拝へと変わっていた。
第6次中東戦争が勃発、パレスチナ解放機構を殲滅すべく不死身のイスラ
エル軍が侵攻を開始した。そこでサダムは「PLOを援助するためひとまず
停戦しよう」とイランに持ちかけた。イランにとってもイラクにとっても
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- 406
- 2014/03/12(水) 12:06:40.68
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実9
イスラエルは憎っくき宿敵だった。しかしホメイニはあくまで停戦を拒否。
停戦が不可能と知ったサダムに残された手段は生物化学兵器しかなかった。
サダムが原爆を完成させていれば間違いなく使用しただろう。
長引く戦争で国民の不満は膨張していた。しかもこれを機にサダムを暗殺
しようとする者が耐えなかった。それぐらいサダムは追い詰められていた。
しかし、サダムの治安部隊は戦時中でも何ら変わることなく任務を遂行していた。
幸か不幸か原爆開発計画はイスラエルの度重なる妨害によって頓挫していた。
しかし、生物化学兵器の研究はほぼ完了していた。その研究にあるドイツ
企業が深く関わったとされている。1983年にはタブンやVXガスなどの
神経ガスが大量に生産され、備蓄されていった。
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- 407
- 2014/03/12(水) 12:09:07.44
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実10
1984年、イラン軍の頑強な抵抗にサダムの我慢も限界を超えた。
毒ガスを遂に使ったのである。ソ連製、フランス製、ドイツ製の
ヘリから密閉容器を投下したのである。
防護服などあるわけのないイラン兵は黄色い液体を体中から噴出させ、
皮膚をただれさせながら苦しんで死んだ。
国連の調査団によってタブンとVXガスが使用されたと報告された。
タブンはナチスが開発した毒ガスで、ヒトラーでさえ使わなかった代物である。
国際社会は驚愕したが、イラクへの援助をやめることはなかった。事実
上黙認した。イランとその狂信的な革命警備隊の悪名は世界に知れ渡って
いた。西側諸国にとってはイラクはイランのイスラム革命を食い止める
防波堤になるだけでなく、ソ連を牽制する存在にすらなりえた。しかも
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- 408
- 2014/03/12(水) 12:50:38.93
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ウダイ・サッダーム・フセイン(ウィキペディアより抜粋)
悪魔”と呼ばれたウダイ
ウダイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー
(1964年6月18日 - 2003年7月22日)は、イラク元大統領サッダーム
・フセインとその最初の妻サージダ・ハイラッラーの長男。クサイの兄。
新聞「アル=バービル紙」、テレビ局「アル=シャハーブ・テレビ」、ラ
ジオ局「ボイス・オブ・イラク」といった独自のメディアを設立、自ら経営
していた。以前は、サッダームの後継者と目されていた。日本国内で
の報道では「ウダイ氏」と呼ばれることが多い。
別名は「アブー・サルハーン」という。
生い立ち
ウダイは、サッダームの長男として生まれてから、両親に甘やかされて
育てられたと言われ、それが後の歪んだ人格に大きく影響したと言わ
れる。これはサッダーム自身が継父から体罰などの厳しい教育を受け
たためで、「自分の子には厳しいしつけはしたくない」という親心からだ
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- 409
- 2014/03/12(水) 12:52:23.64
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ウダイ・サッダーム・フセイン(悪魔”と呼ばれたウダイ)2
ったといわれる。
高校は、弟と共に、父の母校で、かつて母が統括していたハールフ高
校に通った。当時の同級生の回想によるとウダイは騒々しく、乱暴な
性格で手に負えない生徒だった。また、しばしば実弾入りの弾帯を巻
いて登校していたという。車に夢中だったらしく、気に入った生徒の父
母の車を見つけると護衛に命じて奪い取ったりした。
ウダイが足を骨折した時にはクラスごと1階に引っ越したと言われる。
このころには、葉巻や”女性”にも手を出していた。そんなウダイの当
時の夢は、イラクが核兵器保有国となるために核物理学者になること
だったという。そして物理学を学ぶために、アメリカの大学に留学する
はずであったが、1980年にイラン・イラク戦争開戦したため、夢は断たれた。
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- 410
- 2014/03/12(水) 12:53:49.74
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ウダイ・サッダーム・フセイン(悪魔”と呼ばれたウダイ)3
1984年、ウダイはバグダード工科大学を首席で卒業する。毎夜のよう
にナイトクラブに通っていたことを考えると怪しい成績であり、話によれば、
ウダイに高得点を付けない教師は報復として拷問を受けたり、解雇され
たりしたという。後にウダイは政治学の博士号を授与された。
ウダイは、前々からスポーツに関心を示し、自ら「アル=バアス・アッ=
リヤーズィー」(スポーツ復興の意)というスポーツ雑誌を発行していた。
とりわけサッカーに興味があり、イラン・イラク戦争中に自ら「アル=ラ
シード」というサッカークラブを創設した。このクラブでは、高い報酬や
装備、食事、兵役免除などの特典があった。
ウダイは実況解説者やサポーターも買収しており、解説者はアル=ラ
シード寄りの解説をし、審判もアル=ラシードに有利な判定を下すなど
した。学生クラブのサポーターの怒りは頂点に達しており、相手選手に
石を投げつけるなどした。不穏な事態を恐れて、試合会場には警官隊
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- 411
- 2014/03/12(水) 13:34:07.04
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>>403
この人は完全に偽善者ですよね
イラク国民に何を思い入れがあるの
あるのなら語ってくださいよ
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- 412
- 2014/03/12(水) 13:39:37.85
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こんな恐ろしい国は取り締まるの当たり前でしょ
核や、化学兵器なんて許せない!
こいつらを庇うやつが悪魔でしょ
貴方はただ学会を攻撃したいだけですよね
そんな事にイラク国民の味方みたいな正義ぶって
絶対に信用しません
他のスレでもいっぱい書き込んでるし
タダの目立ちたがりのネットウヨでしょ
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- 413
- 2014/03/12(水) 13:58:53.31
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>>407
「サダムの野望」のコピペを何故途中で止めたのか、その理由がよくわかるw
デマに踊り狂い、名もなき民衆を殺戮した公明・冬柴及び、創価学会の罪は計り知れない。
↓最後の行には、こう書かれている。
>結局大量破壊兵器は全く見つからず、アルカイダとの関係も否定された挙句、
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>サダム・フセインは新政権によって処刑された。
http://adolf45d.client.jp/gunjihuse.html
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- 414
- 2014/03/12(水) 14:36:02.34
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ついつい興奮してノーマンと大乗ちゃんが朝早くから連投してきたな(笑)
いつも二人は仲良くお出かけ(笑)仲良く睡眠(笑)仲良く学会活動(笑)
死霊屋やその他の擁護名無しも数分置きに一人を攻撃したかと思えば半月居なかったり(笑)
癖は自分が創価なのに相手を必ず創価認定するところ(笑)
しかもみんな統合失調症(笑)
さて、いよいよレジェンドTR様のお出ましか?(笑)
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- 417
- 2014/03/12(水) 19:05:48.13
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踊る宗教
子供たちが可哀想だな。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22789609
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- 418
- 2014/03/12(水) 19:15:43.42
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ネトウヨ認定てゆうか偽善者でしょ
似非イラク人
あのままイラクとフセイン親子がが暴走していったら
恐ろしいわ
貴方は自分の行動は何も語らないのね
質問大好きさん
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- 419
- 2014/03/12(水) 20:06:58.47
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>>418
>親子がが
深呼吸でもして、落ち着いて下さい。
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- 420
- 2014/03/12(水) 21:38:07.00
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実11
この戦争はイランが停戦を拒否するから続いてることは誰の目にも明らか
だった。更に更にソ連でさえイラクを支援した。イラクのあの共産主義
の弾圧でさえも、イランの共産主義弾圧に比べればカワイイものだった。
1983年にイランの反ソ運動はピークに達し、始めは不介入の立場をと
っていたソ連もこのころバグダッドを援助するようになったのである。
アメリカもテロ支援国家の疑いが強かったイラクを支援した。
このころバグダッドを訪れた現ラムズフェルト国防長官である。
一方前線では一進一退の攻防が続いた。サダムの軍事的未熟によって
イラク軍はやはり苦戦していたが、イラン側はそれ以上の犠牲を出し
ていた。しかも再びサダムによる停戦を拒否したためにテヘランが猛烈
な空爆に晒され、ホメイニもようやく停戦の意思を見せ始めた。
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- 421
- 2014/03/12(水) 21:51:54.48
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実12
1988年7月18日、遂に8年間に及んだ戦争は終結した。イラクはこの
勝利を大々的に報じた。
クウェート侵攻 湾岸戦争へ
サダムは確かに戦争に勝利した。しかし、イラクは既に破産していた。
あらゆる物資が金欠で買えなくなった。国民の生活は困窮した。裏切り
者も多数出た。サダムの用心深さは普段でもすごいものだったが、戦争
後はますますひどくなり、ほとんど国内隠遁状態だった。バグダッド市
内にはいくつも同じようなつくりの大統領宮殿が立ち並び、どこにサダ
ムがいるのか誰もわからなかった。大統領宮殿の警備隊も、今サダムが
宮殿にいるのかいないのかわからなかった。
サダムは段々奇行が目立つようになってきた。長い隠遁生活で精神的に
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- 422
- 2014/03/12(水) 21:54:06.50
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実13
相当参っていた。サダムは心からは誰も信用しなかったし、周囲の者も
サダムには恐怖以外は何も感じていなかった。このころ義理の弟を暗殺
し、それが理由で妻サジダとも離婚した。息子のウダイもとんでもない
放蕩息子で、サダムの気に障ることばかりした。対照的に次男のクサイ
は冷静で思慮深く、サダムは長男のウダイよりもクサイに目をかけるよ
うになる。
イランイラク戦争停戦からわずか2ヶ月で、クルディスタンの65箇所の
村が化学兵器による攻撃にさらされた。戦争中はイランと組み、サダム
を脅かした宿敵クルド人に決着をつけるつもりだった。
5000人が死に、難民は25万人にまで膨れ上がった。当然この虐殺に国際
的非難が多く寄せられた。
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- 423
- 2014/03/12(水) 22:15:22.37
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>>422
可哀想に・・・
イラク戦争に反対さえしていれば、堂々と胸を張って、
「私たち創価学会は、一貫して戦争に反対してきました!」
と言えたのに・・・
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- 424
- 2014/03/13(木) 00:18:23.03
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ヒントは三菱
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- 425
- 2014/03/13(木) 10:01:29.11
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ウダイ・サッダーム・フセイン(悪魔”と呼ばれたウダイ)4
が配置されたが、審判の機転により、試合は引き分けで終わった。
戦時中で、同世代の若者が戦場で戦っているにも関わらず、ウダイは
バグダードの高級ナイトクラブで酒と女に溺れていた。サッダームの命
令で一兵士としてイラク陸軍に入隊したが、軍当局の計らいで、危険な
前線からは遠ざけられ、ほとんど軍の任務には参加しなかった。
ウダイが前線に行くところ必ず、イラク軍参謀総長のアブドゥル=ジャ
ッバール・シャンシャール大将が同行した。ある時、サッダームとウダ
イが、イラン軍との最前線に現れた。
サッダームはウダイにイラン軍を攻撃せよと命じ、シャンシャール大将
の説得も空しくウダイは戦闘ヘリで飛び立ち、イラン軍とおぼしき一群
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- 426
- 2014/03/13(木) 10:02:06.41
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ウダイ・サッダーム・フセイン(悪魔”と呼ばれたウダイ)5
を攻撃した。後に判明したところでは、ウダイがミサイルで攻撃した一
群はイラン軍では無く、味方であるはずのイラク軍の部隊であった。
そのような失態は伏せられ、バアス党のプロパガンダ機関は、ウダイが
前線で勇敢に戦い、イラン軍を撃退したという旨の写真、記事を発表し
続けた。
1986年、サッダームはウダイを政界進出と青年層の掌握、スポーツ外交
を通じて、後継者として世界に認知させるために、青年省の傘下にある
イラク・オリンピック委員会長に任命した。
ウダイは翌年に青年省を廃省し、オリンピック委員会が同省の権限を引
き継いだ。巨大な権力と地位の足がかりを手に入れた、しかし、ある事
件によりすべての権力を失うことになる。
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- 427
- 2014/03/13(木) 10:02:38.46
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ウダイ・サッダーム・フセイン(悪魔”と呼ばれたウダイ)6
殺人
1988年8月、エジプトのホスニー・ムバーラク大統領夫人スーザーン・ム
バーラクがイラクを訪問。スーザーンとサージダ・ハイラッラーは意気
投合し、二人はこの夜、迎賓館で眠りについた。迎賓館のすぐ近くには、
豪華なゲストハウスがあり、そこではサッダームの信任厚い侍従長のカ
ーミル・ハンナ・ジョジョが仲間と共にイラン・イラク戦争終結を祝う
宴会を開いていた。
ウダイは別のゲストハウスに住んでいたが、サージダとスーザーンが宴
会での大音量の音楽と、酔った勢いで銃を空に向けて発砲した音で起き
てしまうと、護衛の一人に静かにするようにと伝令させたが、宴会の騒
ぎは収まらず、個人秘書のザファール・ムハンマド・ジャービルや護衛
と共に騒ぎを止めに出かけた。
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- 428
- 2014/03/13(木) 14:01:56.37
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>>425-427
アンチに厳しく破折され、言論で戦うことを放棄し、
コピペ荒らしでしか対抗手段が無くなってしまった学会員こそ哀れw
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- 429
- 2014/03/13(木) 20:58:49.81
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実14
イラクはクウェートを自国の領土であると言う考えを強く持っており、
クウェートが言うことを聞かないことにサダムは腹を立てた。事実、
オスマン帝国が崩壊するまでイラクとクウェートは同州に組み込まれ
ていた。それがオスマン帝国崩壊時に英国が勝手にイラクとクウェー
トに国境線を引いてしまったのである。このことからイラク人にとっ
てクウェートはイラクの一部であると言う強い信念があった。
更にクウェートはイラクとの国境沿いで油田を採掘していた。国境沿
いの油田はちょっと斜めに掘ればイラクの石油を採掘することになる
ので禁止になっていた。しかし、クウェートはそれを無視して掘り続
けた。しかもOPECで定められた採掘量を無視してかなりの量を違反し
て採掘していたので、原油の価格が下がり、イラクにとっても経済的
に無視できなかった。
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- 430
- 2014/03/13(木) 20:59:31.38
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実15
イラクはクウェートに盗掘の取りやめと、借金帳消しを要求し、受け
入れられない場合は戦争になると警告した。クウェートは無視した。
サウジアラビアはサダムに恐怖し、クウェートを説得し続けた。そし
てクウェートもようやく要求をのむ覚悟を決めた。しかしサダムはそ
のころには開戦の決意を固めていた。既にアメリカも説得し終えてい
た。時の米大統領ブッシュ(父)は「貴国の国境問題に米国は全く関与
しない」と事実上のゴーサインを出した。このアメリカの優柔不断が
戦争を誘発したと見る見方もある。アメリカはサダムがクウェート全
土を制圧するとは考えていなかったのだ。サダムにとって、この戦争
は国民の不満を解消し、経済再生の近道になるはずであった。
1990年8月2日、10万のイラク軍が300両の戦車を引き連れてクウェート
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- 2014/03/13(木) 21:00:59.88
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実16
に殺到した。クウェート軍1万6千は圧倒的戦力差に完全に駆逐され、
7時間で首都が占領された。クウェートの首長たちは国外へ逃亡した。
国民も3分の1は国外へ逃亡した。残ったわずかな首長たちはイラク軍
の精鋭部隊共和国親衛隊の特殊部隊によって殺害された。
サダムはこのクウェート侵攻がほとんど国際批判を浴びるとは思って
いなかった。やりすぎないようにサウジアラビアに攻め込むのもやめ
た。しかし、国際非難はすさまじく、各国がイラクとの通称を停止し、
緊張が高まった。これはサダムの大誤算だった。アメリカは確かにゴ
ーサインを出したではないか、これは一体どういうことだ。
イギリスのサッチャー政権はこの侵略をヒトラーのズテーテン地方侵
略に比して絶対融和策をとらないと断言した。国連はイラクに経済制
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- 2014/03/13(木) 21:15:38.11
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大乗非仏説さん
批判するだけでご自分は何もしてないの?
自分の行動を語ってくださいよ
ノーマンさんと一緒で、小姑のように
ソウカの揚げ足取りはどこのスレでもやってるようですが
貴方の18番OHACOは、まず質問して、その答えの揚げ足取り
ですよね。やり方がワンパ
自分からは絶対に答えない。質問も受け付けない。ひきょー!
まず自分が何をやってきたのか語ってください
さぞやご立派なことをやってるんでしょうね
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- 大乗非仏説
- 2014/03/13(木) 21:49:06.97
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もういちどお尋ねします。
公明党がイラク戦争を支持したことは正しかったのですね
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- 436
- 2014/03/13(木) 22:53:03.49
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大乗さんが卑怯?
卑怯じゃないでしょ
臆病、、、、で、姑息でしょ
大乗さんのやり方はみんな知ってるんだけど
知らないと思ってるのは自分だけ
フセイン贔屓なのは
イラク人なんですよね
親戚とかが
拷問好きですか?
どうぞ先にお答えください。時間はいっぱいありますよ
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