公明党がイラク戦争に賛成した時点で学会の嘘に [sc](★0)
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- 2014/03/13(木) 10:01:29.11
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ウダイ・サッダーム・フセイン(悪魔”と呼ばれたウダイ)4
が配置されたが、審判の機転により、試合は引き分けで終わった。
戦時中で、同世代の若者が戦場で戦っているにも関わらず、ウダイは
バグダードの高級ナイトクラブで酒と女に溺れていた。サッダームの命
令で一兵士としてイラク陸軍に入隊したが、軍当局の計らいで、危険な
前線からは遠ざけられ、ほとんど軍の任務には参加しなかった。
ウダイが前線に行くところ必ず、イラク軍参謀総長のアブドゥル=ジャ
ッバール・シャンシャール大将が同行した。ある時、サッダームとウダ
イが、イラン軍との最前線に現れた。
サッダームはウダイにイラン軍を攻撃せよと命じ、シャンシャール大将
の説得も空しくウダイは戦闘ヘリで飛び立ち、イラン軍とおぼしき一群
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- 2014/03/13(木) 10:02:06.41
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ウダイ・サッダーム・フセイン(悪魔”と呼ばれたウダイ)5
を攻撃した。後に判明したところでは、ウダイがミサイルで攻撃した一
群はイラン軍では無く、味方であるはずのイラク軍の部隊であった。
そのような失態は伏せられ、バアス党のプロパガンダ機関は、ウダイが
前線で勇敢に戦い、イラン軍を撃退したという旨の写真、記事を発表し
続けた。
1986年、サッダームはウダイを政界進出と青年層の掌握、スポーツ外交
を通じて、後継者として世界に認知させるために、青年省の傘下にある
イラク・オリンピック委員会長に任命した。
ウダイは翌年に青年省を廃省し、オリンピック委員会が同省の権限を引
き継いだ。巨大な権力と地位の足がかりを手に入れた、しかし、ある事
件によりすべての権力を失うことになる。
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- 2014/03/13(木) 10:02:38.46
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ウダイ・サッダーム・フセイン(悪魔”と呼ばれたウダイ)6
殺人
1988年8月、エジプトのホスニー・ムバーラク大統領夫人スーザーン・ム
バーラクがイラクを訪問。スーザーンとサージダ・ハイラッラーは意気
投合し、二人はこの夜、迎賓館で眠りについた。迎賓館のすぐ近くには、
豪華なゲストハウスがあり、そこではサッダームの信任厚い侍従長のカ
ーミル・ハンナ・ジョジョが仲間と共にイラン・イラク戦争終結を祝う
宴会を開いていた。
ウダイは別のゲストハウスに住んでいたが、サージダとスーザーンが宴
会での大音量の音楽と、酔った勢いで銃を空に向けて発砲した音で起き
てしまうと、護衛の一人に静かにするようにと伝令させたが、宴会の騒
ぎは収まらず、個人秘書のザファール・ムハンマド・ジャービルや護衛
と共に騒ぎを止めに出かけた。
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