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  • 2021/06/12(土) 04:12:55.18
>>1
徳川秀忠の時代、宗教弾圧が本格化した。幕末勤王志士、水戸天狗党と諸生党の戦いを想起させる幼児・妊婦まで公開処刑する凄惨な虐殺劇の幕が上がる

日本において、キリスト教が実質的に禁じられるのは徳川家康の命
による1614年(慶長19年)のキリスト教禁止令以降のことになるが、
家康の禁教令は臨済宗の僧で黒衣の宰相の異名を持つ以心崇伝によっ
て起草されたが、言い回しなど基本的な部分において施薬院全宗が
起草したバテレン追放令にならっている。徳川家康は長崎と京都に
あった教会等の宗教施設を破壊、キリスト教徒は日本各地に散らば
ることになるが弾圧は徹底されなかった。

徳川秀忠は元和2年(1616年)に「二港制限令」、元和5年(1619年)に
改めて禁教令を出し、キリスト教の本格的な宗教弾圧とキリスト教徒に対
して仏教への強制改宗が行われた。キリスト教に好意的で弾圧に乗り気で
無かった京都所司代の板倉勝重に対して秀忠はキリスト教徒の火炙りを直々
に命じ、元和5年(1619年)10月6日、京都六条河原で52名が処刑される
(京都の大殉教)、この52名には4人の子供が含まれ、さらに妊婦も1人いた。
元和8年(1622年)には計55名を長崎西坂において処刑(元和の大殉教)、
中には3歳、4歳、5歳、7歳、12歳の子供が含まれていた。

島原の乱の後、寛永17年(1640年)に幕府は宗門改役を設置、寺請制度
(檀家制度)によって宗教弾圧は強化されたが、その余波として神式の
葬儀である神葬祭は禁じられ仏式が強制されるなど信仰の自由が制限され
宗教界全体に影響が及んだ。以心崇伝が関与した紫衣事件では仏教を介
して幕府が天皇よりも上に立つことを公に示すことになった[20]。

ここまで見た

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