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  • 2009/02/15(日) 03:05:10
KK対決 


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  • 2011/08/19(金) 08:30:08.83
>>390
ランス39本、バース37本だったかな
バース惜しかった
この年は各球団とも「バース敬遠→掛布で討ち取る」作戦取ってきてたからなぁ
ホーナーがシーズン当初からヤクルトにいたら三つ巴の戦いでかなり面白かっただろうなぁ

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  • 2011/08/22(月) 12:05:59.89
ロッテも暗黒期に完全突入したな。
前年はまだ落合がいたけど、
この年の4番は高沢。
アベレージヒッターだけど、落合と比べたら、長打力は・・。
リーも衰えで、完全な投手期待だったけど・・。

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  • 2011/08/31(水) 05:46:59.00
>>381
久しぶりにスレ覗いたんだが、すごい!

これは貴重な写真だな


どうもありがとうございます

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  • 2011/09/10(土) 16:04:42.31
日本シリーズ、有田がDHで出てなかったっけ?

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  • 2011/09/10(土) 16:49:35.79
この年の有田って、あんまり記憶にないなぁ

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  • 2011/09/11(日) 11:26:50.04
有田と梨田のありなしコンビ

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  • 2011/09/19(月) 23:41:35.66
>>372
88年だけは当たっている。
解説の土橋にも言われていた

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  • 2011/10/22(土) 02:42:20.80
「崩壊」

緊張感に欠けた練習風景。この年の阪神は春季キャンプからぬるま湯に浸かっているようだった。しかし2年前の日本一球団、
ここまで落ちるとは予想だにしなかった。思えば戦力補強も吉竹春樹⇔田尾安志のトレードに金銭で阪急からベテラン宮本四郎を獲得したぐらい。
この田尾獲得も当初は2年目・大野久とのトレードを画策した阪神が西武に押し切られる形で実力者の吉竹に左腕中継ぎ前田まで付けてしまい
阪神のトレードの拙さが出ていた。3月下旬には掛布飲酒運転にバースのスピード違反と立て続けに主砲の不祥事が相次いだ。

シーズンに入っても4月末から8連敗、5月にもホーナー・ショックなどもあって8連敗。この時点で蚊帳の外に追いやられた。
さらに掛布の腰痛による度重なる欠場が元で5月下旬には「並木コーチ発言問題」、6月には「竹之内事件」もありチーム内に不協和音。
バースも「バント多用で敬遠が増加する」と吉田采配にケチをつけ始めるあり様だった。最後も9月末から8連敗で借金42でフィニッシュ。
逆に最多連勝は「3」(2度)だった。月間成績でも毎月負け越し。8月の10勝11敗1分が最高という体たらく。
4/25以降一度も最下位から脱出できなかった。投のキーオ、打でバースの助っ人コンビがそれぞれ孤軍奮闘したのみで唯一の好材料は
後半戦で7勝2敗だった22歳の左腕・仲田幸司と8月以降だけで5勝を挙げた新人・猪俣隆ぐらいだった。
全日程終了後、吉田監督と三好球団常務(当時)が試合後の3回に渡っての路上会談、そして10月12日の8時間に及ぶ緊急役員会の末に
日本一監督・吉田の解任および吉田内閣の総辞職が決まった。

この年7月に本社から現場介入として3人が送り込まれたが、うち1人は球団本部広報部課長として送り込まれた南信男である。
南は前述の8時間会議でも本社に詰めかけた報道陣に都度、状況説明をするなど奔走した。その南が24年後の現在は、球団社長として
辞任の決まった監督問題でマスコミ対応に追われている。(了)
>>202

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  • 2011/10/22(土) 05:33:14.89
凄まじい弱さだったよな。
コレを知っているから、最下位でも勝率4割なら
「まぁ頑張った方なんじゃないか?」なんて感覚が身に付いてしまったw

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  • 401
  • アニマル
  • 2011/10/26(水) 22:47:18.09
ランスにゴン! ランスにゴン!

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  • 2011/10/27(木) 01:31:40.68
巨人ー広島が面白かった。



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  • 2011/10/27(木) 01:35:03.39
87は巨中だろ。

広島は弱体化が明らかでちょっと寂しかった

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  • 404
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  • 2011/10/27(木) 01:41:20.51
そっか。すまそパリーグばかり見てたので

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  • 2011/10/27(木) 03:29:54.08
ただ首位攻防といったら巨人と広島でした。試合内容は中日戦のがよかったにしても。
中日が2位だったのは8月中旬からの半月強と最後の2試合だけ。

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  • 2011/10/27(木) 05:41:02.19
>>404
見てないんなら書くなよって気もするがw
確かに俺(巨人ファン)もGCの方が印象深い試合が多い。

津田ークロマティのサヨナラHR、津田ー駒田の起死回生同点HR、
江川ー小早川のHR、桑田のプロ初HR&プロ初完封。
前半戦は超ハイレベルの首位争いだったしね。


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  • 2011/10/27(木) 12:53:07.98
>>376
「王に福を呼ぶ男」ということで福王がやたら注目された年だなw

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  • 408
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  • 2011/10/29(土) 19:20:42.07
阪神はびっくりするくらい劣化したよなあ
掛布はAクラスだった前年だって、主戦力にはなってない。
にも関わらずここまで急速に弱くなったっていうのはやはり選手の
やる気が問題だったのかな

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  • 409
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  • 2011/10/29(土) 19:32:29.74
あと、長崎が後楽園で内野フライを2度続けて捕球できなくて
シーズン中に引退したんだっけ?決意だけか。

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  • 410
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  • 2011/10/29(土) 20:01:58.13
中日は結果的に2位になっただけ。
巨人の優勝に最後まで抵抗したのは、広島だった。

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  • 411
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  • 2011/10/29(土) 20:17:48.60
この年の広島は大事な試合、肝心なところで小早川がエラーしたり、
ミスが出て負けたり、引き分けで勝ちを逃す場面が目立った。

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  • 412
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  • 2011/11/12(土) 23:41:01.69
>>408
当時を知ってるトラキチにとっちゃ阪神が暗黒時代に本格的に突入した忌まわしい年だったからなこの年は。

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  • 413
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  • 2011/11/13(日) 05:20:18.58
前半戦、勝率3割切ってたよね。

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  • 414
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  • 2011/11/13(日) 09:12:23.42
開幕前は優勝候補の一角とされてたのが今となっちゃ信じられんな・・・

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  • 2011/11/22(火) 22:11:05.31
秋山がホームラン王になった

これから何回も獲るんだろうなと思ったら最初で最後になってしまった。



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  • 2011/11/23(水) 00:35:54.64
日本一になった西武のチーム首位打者が石毛だったのだが、その打率が.269と言う驚きの低さ
2番目は秋山だったかな

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  • 417
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  • 2011/11/23(水) 03:05:09.59
>>416
実際にはそうだったけど、石毛秋山ブコ清原・・・と
並ぶメンツを見ると貧打線という感じはしなかったな。
HRはリーグトップだったみたいだね。

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  • 418
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  • 2011/11/23(水) 16:50:37.43
江川が引退を表明か・・・

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  • 2011/11/23(水) 17:03:33.84
江川引退、の下に「松本も引退」と小さく書かれた。

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  • 2011/11/23(水) 17:19:21.85
西武は石毛、清原、辻、金森と、
前年に3割前後打っていた選手の打率が軒並みダウンしてしまった。
その代わり防御率はよくなったが。

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  • 421
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  • 2011/11/23(水) 19:31:17.83
斎藤雅樹はこの年勝ち星なし。
この時期の低迷が原因で200勝に届かなかったのが返す返すも残念。

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  • 2011/11/23(水) 22:18:45.12
>>421
野手転向説が流れたのは、この頃だったかな?


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  • 423
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  • 2011/11/23(水) 22:58:56.73
巨人は日本シリーズで西武に敗北(2勝4敗)。仮に阪急とやってたとしても、勝てなかったのかな?

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  • 424
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  • 2011/11/26(土) 23:29:31.98
>>421
ほとんど二軍にいたんじゃなかった?

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  • 425
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  • 2011/11/27(日) 05:22:32.47
低迷というか、そもそも殆ど使われてなかったよね。
この年から巨人ファンになったから、
斎藤が投げてるのを見たのは翌年以降だったもん。

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  • 426
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  • 2011/11/27(日) 11:46:15.26
>>419
やくみつるはそん時の松本を江川のついでに添えられた埴輪って揶揄してたなw

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  • 427
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  • 2011/11/27(日) 12:07:59.07
斉藤がプチブレイクしたのはその翌年だっけ?
右打者の肩口からすごい曲がるカーブを投げる
サイドPを見て誰だ?と思った。

この球ってブレイクしてからはあんま投げてなかった気がする。

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  • 428
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  • 2011/11/27(日) 12:14:28.24
>>425
前年、前々年は結構投げてたよ。1985年は12勝をマークしている。
ただまだ西本、江川、加藤、槙原が主力だったので5番手あたりのピッチャーだった。


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  • 429
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  • 2011/11/27(日) 14:39:42.64
内容はどうあれ、何だかんだで二桁本塁打の掛布

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  • 430
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  • 2011/11/27(日) 17:33:52.95
宮本と斉藤は王政権下では本格化できなかった。
めぐり合わせの問題だろうが、この2人が本格化した
藤田巨人は手をつけられない強さになってもうた。

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  • 431
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  • 2011/11/29(火) 22:58:24.73
江川西本加藤のエースがほんの2,3年の間に
斉藤桑田槙原に世代交代したのは凄かったな。まあ槙原は他の二人より
早く主力として活躍してたけど

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  • 432
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  • 2011/12/01(木) 23:02:02.46
真弓 ホームラン23
バース ホームラン37
掛布 ホームラン12
岡田 ホームラン17
減ったとは言え、あんなぶっちぎり最下位になるホームラン数ではない
ピッチャーも
キーオ 猪俣 仲田
池田 工藤 伊藤 遠山
で中西に山本
やはり気の緩みだったのだろう
後は開幕戦のヤクルトの荒木の完封
あれで猛打の幻想が崩れた

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  • 2011/12/01(木) 23:20:08.88
そうそうこの年から野球見始めたから
宮本、齋藤、香田
このあたりの存在すらよくわからなかった
齋藤って投手は名鑑みると成績いいのになんで見かけないのだろうと

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  • 2011/12/03(土) 23:18:20.12
>>432
下位打線の弱さもあったんじゃないかな?
丁度86→87でラビットが廃止されたと聞くし。
阪神はその影響を一番受けたのだと思う。
阿波野が加入したにもかかわらず最下位に沈んだ近鉄にもいえる。

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  • 435
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  • 2011/12/04(日) 02:33:46.97
あの時は、阪神は吉竹と田尾をトレードして、よっさんが、田尾は二番、バントはさせまへんといって、田尾不振で自滅
キャンプもベテランは任せとったらよろしい⇒調整不足、開幕広島に三連敗(北別府大野川口)
シーズン中盤、優勝無理や、八木や若手を使おう⇒監督とコーチ不和 コーチ退団(勝てる試合をしていない)

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  • 436
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  • 2011/12/04(日) 14:58:21.83
この年は北別府が10勝14敗と不振。前年の投手部門タイトル総ナメが嘘のようだった

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  • 437
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  • 2011/12/04(日) 15:25:38.57
まあ確かに下位打線が弱かったのと、結局掛布やバースがいなくなかった穴埋めが無かった事が全て
後地味だが、佐野や長崎や弘田や柏原がものの見事に衰えた
若手の切り替えが急務状態に陥ったのも原因
来年そうなる気がするんだが

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  • 438
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  • 2011/12/04(日) 15:29:50.50
開幕戦は甲子園のヤクルト
久しぶりの地元開催で、元首位打者の田尾を獲得しピッチャーは柱の期待かかったキーオ
しかし外人特有の揺さぶりにやられ、ベテラン若松に2ホームランの完封負け
前年は何だかんだで追いついての負けだから先に期待が出来たが、余りの完敗でしかも打撃が持ち味のチームが打てないと言う最悪の開幕戦となった

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  • 439
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  • 2011/12/04(日) 22:49:13.35
この年からだったかその一年前だったかで、低めのストライクゾーンを
球一つ位低く取るようになったが、阪神はその対策を怠ったのも低迷の
原因と言われていたな。

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  • 440
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  • 2011/12/05(月) 02:19:17.03
佐野や長崎や柏原が劣ろえたんではなく、使い方が悪いと言って、吉田と並木やったか、一枝やったかが揉めて、コーチやめたんだよな
痛烈な監督批判して
田尾の失敗が、後の高橋慶や佐々木とかの獲得に繋がるから、このミスは痛いよな

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  • 441
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  • 2011/12/05(月) 03:21:40.74
「看板倒れ」

阪神はぬるま湯キャンプの影響か、開幕カードの新任・関根潤三率いるヤクルト3連戦を初戦を荒木大輔の前に5安打1得点で1−7で敗れるなど
1勝2敗で負け越し。前年の開幕4連敗同様の厳しい船出、しかもこの87年の場合は相手のヤクルトが前年ダントツ最下位だったのが拙かった。
ここから4月下旬以降は最下位まっしぐらに落ちていった阪神だったが、吉田監督が攻撃で押し切ると言った「看板」と言われていた打線は
86年から既に錆びついていた感があった。

本塁打こそトップの中日と28本差しかない140本(リーグ5位)だったがチーム打率.242はリーグ5位・大洋の.259にも遠く及ばない。
3割打者は.320のランディ・バース1人(セ12人中)で、他の主力は真弓明信がセ23位、岡田彰布が同27位、掛布雅之が同32位と大不振。
過去に猛打を誇ったカルテットも、4人合計で85年163本塁打427打点→86年101本塁打273打点→87年76本塁打235打点といったように
急激に数字を落としていった。
この年は当初二番起用していた移籍の田尾安志も期待に沿えず、5月には早くも北村照文や大野久との併用になった。
主力の打撃低下も問題だが、高齢の柏原純一、佐野仙好、長崎啓二らのパワーダウンも響き、弘田澄男の引退に吉竹春樹の放出も
自慢だったはずの打線の貧打に拍車をかけていた。

85年にはセ・トップの141を記録して主軸の猛打を引き出した犠打も87年は半減。元来少なかった盗塁もわずか40個では1試合平均3.5得点
の総得点437でも仕方がなかった。
真弓は「(85年の日本一で)あと何年かはタイガースの時代が続くと思っていたんですけどね」と言い。岡田は「86年の骨折で(四番の)
掛さん(掛布)の衰えが思ったよりも早かった」と寂しくつぶやいた。
岡田は現在オリックスの監督、真弓は11年シーズンまで3年間阪神の監督を務めた。岡田は阪神で5年間で優勝1度を含むAクラス4度も、
オリックスでは盗塁と犠打が少なく2年連続のBクラス。真弓も盗塁の少なさに加え、結果のなかなか出ないベテランへのこだわりが
強過ぎたのかチーム内外から批判を受け優勝する事なく退陣。あの頃の阪神に似た課題を前に85年のV戦士は指揮官として苦しんだ。
(了)

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  • 2011/12/06(火) 00:10:25.24
掛布 .227 12本 45点 引退した衣笠が .248 17本 48点
これが4番打ってるんだもん勝てない

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  • 443
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  • 2011/12/06(火) 02:55:39.32
「閣内不一致」

87年6月6日、事の発端は札幌円山球場で起きた。阪神は2連敗中、ここまで11勝29敗。この日も5位・大洋に2−4とリードされていたが
8回表に絶好機を迎えた。先発・新浦壽夫を攻め立て先頭の真弓にバース、岡田とクリーンアップ3人が出塁し無死満塁。
しかし六番・佐野仙好は左飛で一死、この後だった。
この日先発で出ていた新人の七番・八木裕、3年目の八番・嶋田宗彦をそのまま打たせて、結果は八木の内野ゴロの1点だけで追いつけず。
試合は3−6で敗れた。

 その夜の宿舎、吉田監督の部屋を打撃コーチ竹之内雅史が訪れた。柏原純一と田尾安志が代打で残っていながら勝負を捨てたかのように
若手にそのまま打たせたのが不満だったという訳だ。しかし吉田は、若手育成の方針はコーチ会議でチーフ打撃コーチの並木輝男にも
確認済み。話し合うなら並木も交えるべきと言って聞かなかった。竹之内はならばと並木を伴おうとしたが運悪く外出中、しかも
門限ギリギリに戻って来た。怒りが収まらない熱血漢をヘッドコーチ・土井淳が「指揮官は一人、組織の中の者として・・・」と説得。
しかしそれを振り切った竹之内は翌日の試合前に吉田に口頭で「辞めさせていただく」と告げると単独で帰阪、厳罰も覚悟の上だった。
 吉田はそれでも「意見はコーチ会議で堂々と」の持論を曲げなかった。そして会議後に反対してきた事が許せなかった。対して竹之内に
してみれば、起用されないベテランの気持ちを代弁しようという気でいたのか。しかしこの一件だけでこれだけの直接行動に出るとは思えず、
前々から吉田采配に不満を抱えていた事が窺える。この前後あたりから「一蓮托生内閣」は綻んでいった。

6月8日、吉田は球団社長の岡崎義人と竹之内の処遇について話し合いを行った。岡崎は出場停止を経ての復帰か、もしくは二軍への
配置転換を提案。だが吉田はこれを拒否、理由はどうあれ立派な職場放棄だと思ったからだ。
ただでさえ前から軋轢が生じていた吉田と岡崎。竹之内は16日に退団したものの、吉田は突然チームを去るような人間に甘い岡崎ら
フロントに一層不信感を強めた。
 吉田も非常に苦しんだ低迷の87年だったが、頑なとも言えた負けん気の強さは全く変わらなかった。藤本定義、星野仙一、岡田彰布、
そして吉田とやはり少々アクが強いと言われるぐらい個性的な監督でなければ阪神ほどの球団を優勝に導けないという事なのか。  (了)

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