◆教育委員会、女子生徒不適切メール事件で冤罪疑惑…調査せず教師免職処分に取消判決
教え子の女子生徒に「不適切なメール」を送ったとして、都立高校の男性教諭(34歳)を懲戒免職にした東京都教育委員会の処分は、都教委の一方的な思い込みと証拠の捏造による「冤罪」「でっち上げ」だった。
ところが免職処分を取り消す判決が確定したのに、メンツをつぶされた格好の都教委は引っ込みがつかなくなったのか、停職6カ月の「再処分」を発令するなど、男性教諭に嫌がらせを続けている。
学校現場の教師や生徒たちの思いを置き去りにしたまま、都教委の「暴走」は止まらない。
都庁のデタラメは豊洲新市場だけではない。教育行政も同じだ。
◇都教委の処分は不当と判決
都教委は2014年7月、「女子生徒に性的表現を含む845通のメールを送った」などとして、男性教諭を懲戒免職処分とした。
男性教諭は「親から虐待されていた女子生徒の相談に乗り、高校生活を支えて励ますためのメールだった」と主張し、処分の取り消しを求めて提訴。
東京地裁(吉田徹裁判長)は「免職処分は裁量権を逸脱濫用している」として処分を取り消し、東京高裁(綿引万里子裁判長)も今年3月に一審判決を支持して確定した。
東京高裁の判決は、メールについて、複雑な家庭で精神的に逃げ場がない女子生徒の求めに応じるものだったと認定したほか、生徒の窮状を見かねた支援目的だったことや、女子生徒が現在も男性教諭に感謝していることにも触れるなど、一審判決の事実認定を大幅に変更した。
その上で「免職処分には女子生徒の気持ちがまったく配慮されていない」と処分を批判し、「女子生徒の窮状に乗じた不適切な行為」とする都教委の主張を退けた。
◇女子生徒は虐待されていた
女子生徒の母親は、これまでに2回離婚している。
女子生徒は最初の父親との間に生まれた子どもで、現在の父親は3番目。
母親と2番目の父親との間に男の子が1人、3番目の父親との間には3人の子どもが生まれた。
母親は育児放棄し、女子生徒は高校入学時から幼い2人の弟と妹の養育を押し付けられ、高校3年の時にはそこに0歳児の弟が加わった。
夫婦喧嘩は絶えなかったが、喧嘩をしていない時は夫婦で夜遅くまで飲み歩いた。
その間、女子生徒は当然のように弟と妹の面倒を見させられた。
そんな彼女にとって、高校は心休まる時間が過ごせる唯一の居場所だった。
ところが高校を中退して建設現場で働く義理の父親は、「高校なんか卒業しなくても俺みたいに偉くて立派になれる」と怒鳴り散らし、機嫌が悪くなると「もう学校なんて行かなくていい」と女子生徒を追い詰めたという。
複雑で厳しい家庭環境の女子生徒が、学習意欲を維持して学力向上できるようにと、正面から向き合ったのが男性教諭だった。メールでの相談に積極的に返信して励まし続けた。
精神的に不安な気持ちから女子生徒は、男性教諭の私生活に踏み込んだ質問をしたり、自分をどれくらい心配して見てくれているか確かめるメールを送ってきたりすることが、次第に多くなった。
女子生徒を落ち着かせて安定させようと、男性教諭はすべてのメールに精いっぱい返信したという。
女子生徒は、「先生にしつこいくらいメールを送って回答を求めました。私のメールに先生が親身に答えてくれなければ、高校に通い続けることはできなかったと思います」と証言する。
高校3年の2学期末、女子生徒の家庭を訪問した男性教諭に、父親は「学校をやめさせる。
家庭の問題だから放っておいてほしい」と言い放った。その翌日、父親は娘から取り上げた携帯電話のメールの内容を見て激怒し、都教委に電話したという。
女子生徒は3学期は登校できず卒業式にも出席できなかった。しかし、それまでほとんど休まずに通学していたため、無事に高校を卒業することができた。
ビジネスジャーナル 2016.10.18
http://biz-journal.jp/2016/10/post_16926.html
http://biz-journal.jp/2016/10/post_16926_2.html
http://biz-journal.jp/2016/10/post_16926_3.html
前スレ(1が立った日時:2016/10/19(水) 04:21:57.68)
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1476818517/
※>>2以降へ続きます。
で、
都教委の名前住所家族関係全部晒せよww
電凸祭りだ!!
これうちの先生だけどお前らみたいなクズとは違ってまじで尊敬出来る人だよ
怒ると怖いけど先生を嫌いな奴は周りにいない
嘆願書集めも結構集まったしこういうとこでクズのおもちゃにされんのまじ腹立つわ
相賀はこの男性教師に個人的な恨みでもあったの?
>>314
洗脳されてるだけだろ。
日本ではよくあること
>>314
ところでニートの人よ、今日は水曜日なのだが学校はどうしたのだ?
きょういくいいんかい?
バイトさせられてたわけでもなく
金かかるのに携帯とか親がもたせるか?
しかもそんな親密になるまで気づかんとか
ある意味では虐待ではあるけど
義父から殴られたり
性的虐待があったわけでもない
よくはないがこのレベルの複雑家庭はいくらでもあるだろ
なんせ教師と性的関係あればバツ
>>314
だったら都教委に電凸祭りだな
その尊敬できる先生の仇を取ってやれ
>>316
単発
この事件がニュースになった当初は女子生徒はそんな事を望んでいないだの
キチガイロリコン死ねだの罵倒の嵐で
リバタリアンだけが自由意思に基づく同意の上の性的関係に対する全く不当な干渉であり
子供達の自由と人権を侵害しており、
それ自体が本物の搾取と虐待であると正面から批判していたよね…。
>>316
裁判の証拠として実際にとりあげられていたものが
捏造だというのなら、その証拠を出すべきでないの?
>担任していた女子生徒に性的なメールを送ったなどとして、東京都教育委員会から懲戒免職処分を受けた
>男性教諭(33)が「懲戒免職は不当だ」として処分取り消しを求めた訴訟の判決で、東京地裁(吉田徹裁判長)は
>「停職処分が相当だった」とし、懲戒免職処分を取り消す判断を示した。男性教諭は「君を開発したい」など多数の
>性的メールを送っていたが、送信期間が短く自主的に送信をやめたことなどを重視した。一方、男性教諭の
>「メールは女子生徒を救うためだった」との主張については、「正当化できる理由ではない」と指弾。
この教員は何故自分だけで対処しようとしたんだ?
下心丸出しで立場を利用したと見られるのは当然だろ
教育委員会って役に立ったことあるの?
>>1
要するに、全ての子供は彼が生まれてそれ故にもはや彼の母親の身体内部に含まれなくなるや否や独立した存在であり、
可能的な成人であると言う理由で自己所有権を所有すると言う事になる。
それ故に親が彼を不具にして、拷問して殺す事により彼の身体に対して侵略を仕掛ける事は必ず不正であり侵害である。
他方で、"権利"の概念自体は誰も適切に干渉する事が出来ない個人の行動の領域を定める"消極的な"ものである。
それ故に誰も積極的な行動を行う様に誰かを強いる"権利"を持つ事は出来ない、
その場合にはその強制は、強制されている個人の身体や財産の権利を侵害する。
こうして、我々はある人は彼の財産に対する権利(言い換えれば、彼の財産が侵害されない権利)を持つと述べる事が出来るが、
我々は誰かは"生存賃金"に対する"権利"を持つと述べる事は出来ない、
それは誰かがこのような賃金を彼に提供する様に強いられると言う事を意味する、
そしてそれは強制されている人の所有権を侵害するからである。
結果として、これは、自由社会においては、誰も別の誰かの為に何かを行う為の法的義務を負わされる事は出来ないと言う事を意味する、
なぜならそれは前者の権利を侵略するからである、
そしてある人が別の人に対して持つ唯一の法的な義務はその他の人の権利を尊重する事である。
マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
彼の年齢に関わらず、我々は逃げ出す為の、そして彼を自由意思に基づいて受け入れる新しい養親を見つける為の、
或いは彼自身で自立して生きていく事を試みる為の絶対的な権利を全ての子供に認めなければならない。
親達は帰ってくる様に子供を説得する事を試みる事が出来るが、彼らを連れ戻す為に暴力を用いる事は
全く容認し得ない子供達の奴隷化であり彼らの自己所有権に対する侵略である。
マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
86453
離婚二回してもいいまた直ぐに再婚出来るから
性格はクソでも器量は凄いんだろうな
その娘も
>>7
,.r''´ ; ヽ、
,ri' 、r-‐ー―'ー-、'ヽ、
r;: r'´ ヽ ヽ
(,;_ 、 l ::::i 'i、
r'´ i' _, _,.:_:::i il!
ヾ ,r -';! '''r,.,=,、" ::rrrテ; ::lr ))
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l;::i' l:  ̄,.rt':::::::/ ` -、
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ソレナンティエ=ロゲ[Sorenantier Roget]
(1599〜1664 フランス)
>>1
自然的財産理論によれば、一度生まれた子供はその他の全ての人と同じぐらい彼自身の身体の所有者である。
これ故に、子供は物理的に侵略されない事を期待出来るだけでなく、また彼の身体の所有者として、
子供はとりわけ一度彼が物理的に彼の両親から逃げ出す事が出来る様になったならば
彼らの下から去る権利を持つ、そして彼を取り戻す為の彼らの考え得る試みを拒否する権利を持つ。
Hans-Hermann Hoppe、A Theory of Socialism and Capitalism.
Hans-Hermann Hoppeは現代のアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。
彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。
子供達が彼らの親達の家で暮らす間、親達は子供達の自己所有権を侵害しない範囲で
その家の継続的な使用に関する条件、例えば門限時間等を定める権利を持つ。
他方で子供達は彼らの親達の家を離れるか逃げ出す事への絶対的な権利を持っている、
子供達が彼らの親達の家から離れたか逃げ出したならば、その他の人の権利を侵害しない範囲で間違いを犯す権利を含む、
その他の全ての人に適用される物と全く同じ正義の原理が彼らに適用されなければならない。
ウィリアムソン・エヴァ―ス、The Law of Omissions and Neglect of Children.
ウィリアムソン・エヴァ―スは現代のアメリカ合衆国の代表的な自然法哲学者、教育学者の一人である。
彼はスタンフォード大学フーヴァー研究所とインデペンデント研究所の主任研究員である。
もし子供が大人になる唯一の方法が彼自身の意思によって親から自立し、大人としての地位を確立する事であるならば、
その時は親はこの選択を妨害する権利を持たない。従って、親は子供が彼らの家から去る事を禁止する事は出来ない。
親は子供が彼らの家に留まる限りにおいてその子供に対してその他の権利と義務を持つだけである。
親が子供の自立を妨げる事は許されない。そうする事は子供が大人になる過程を否定する事である。
...
子供との労働契約は彼の年齢、経験不足等を考慮した場合、本当に自由意思に基づいていると言えるのだろうか?
その答えは、イエスである。彼らの親の家を去り自立する事を試みる事が出来る全ての個人は
自由意思に基づく契約を結ぶ事が出来るまで十分に成熟している。彼はもはや子供ではないのである。
その反対の答えは我々が理解する様に、子供が自立して彼自身の運命を切り開き大人になる事を禁じる事である。
ウォルター・ブロック、Defending the Undefendable.
ウォルター・ブロックはアメリカ合衆国の経済学者である。
彼はルートヴィヒ・フォン・ミーゼス研究所の主任研究員であり、北米の代表的なリバタリアン指導者の一人である。
8654
>>1
全ての人は彼自身の身体に対する所有権を持つ。その他の誰も彼の身体に対する権利を持たない。
彼の身体の労働及び彼の手の作業は適切に彼のものであると言って良い。
自然が提供していた、自然のままの状態から取り除いたものが何であれ、
彼は彼の労働をそれに混ぜ合わせ、彼自身のものである何かをそれに結合し、
それを彼の財産にする、それは彼により自然のままの共有状態から取り除かれている、
それはこの労働によりその他の人々の共有の権利を排除する様なそれに付加された何かを持つ。
この労働者の議論の余地のない特性である労働の為に、
彼以外の誰も一度結び付けられたものに対する権利を持つ事は出来ない。
ジョン・ロック、Two Treatises of Government.
ジョン・ロックはイギリスの自然法哲学者、医師である。彼の自然権のアイディアは現代のリバタリアン人権理論に大きな影響を与えた。
理性が我々に伝える様に、全ての人は生まれながらにして自然的に平等であり、彼らの身体への等しい権利を持つ...
全ての人は彼自身の身体を所有する権利を持つ。彼の身体の労働と彼の手の働きは適切に彼自身の物であり、
彼以外の誰もそれを所有する権利を持たない。
そしてそれ故に、彼が何かを自然のままの共有状態から取り除いた時、彼はそれに彼の労働を混ぜ合わせ、
そしてそれを彼自身の物にする様な何かを付け加え、それによってそれを彼の財産にすると言う事になる。
...そしてもし全ての人が彼自身の身体と財産への権利を持つならば、
彼はまたそれらを防衛する権利を持つ...そして彼の身体と財産への全ての攻撃を処罰する権利を持つ。
エリシャ・ウィリアムス、The essential Rights and Liberties of Protestants.
エリシャ・ウィリアムスはアメリカ合衆国の自然法哲学者、牧師、イェール大学の四代目学長である。
89645312
>>1
全ての人々は生まれながらにして自由である、自由は彼らが創造主から受け取った贈り物であり、
彼らは同意により自由を譲渡する事は出来ない、彼らが犯罪によりそれを奪われる事はあるかもしれないが。
...そして誰も彼の子孫の人生と自由、宗教や獲得した財産を譲り渡す事は出来ない、
彼の子孫は彼自身と同じ様に生まれながらにして自由である、
そして彼の邪悪で馬鹿げた取引により束縛される事は出来ない。
ジョン・トレンチャード、Liberty proved to be the unalienable Right of all Mankind.
ジョン・トレンチャードはイギリスの法律家、著述家である。トマス・ゴードンと共に出版したケイトーの手紙によって
ロック派の自然権理論を広め、現代リバタリアン運動に大きな影響を与えた。
純粋自由の体制、つまり、リバタリアン社会は所有権原が”再配分”される事の無い社会として説明される事が出来る、
要するに、彼の身体や有形の財産の所有権がその他の誰かに妨害されたり侵害されたり干渉される事の無い社会である。
しかしこれは社会的な意味において、絶対的自由は孤立したクルーソーによってだけでなくまたどんなに複雑であるか
高度であるかに関わらずあらゆる社会の全ての人により享受される事が出来ると言う事を意味する。
なぜならもしクルーソーの様に、彼の”自然的”に所有する彼の身体と有形の財産の所有権が
その他の人々による侵害や妨害を免れているならば、全ての人は絶対的自由を享受しているからである。
そしてもちろん、自由意思に基づく交換の社会では、それぞれの人はクルーソーの様な孤立においてでなく
また文明、調和、社会性、及び彼の同胞との財産の交換を通じた巨大により大きな生産性の環境において絶対的自由を享受出来る。
従って、絶対的自由は我々が文明の出現の為に支払われなければならない代価として失われる必要はない、
人は生まれながらにして自由である、そして鎖に繋がれる事は決して必要ではない。
人は自由と豊富、自由と文明を成し遂げる事が出来る。
マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
9864513
いいなあ、俺もヤンデレJKに弱み握られたい
>>1
リバタリアン教義の自然権基盤、つまり、どのような形にせよ、現在及び過去のリバタリアンの大多数により採用されている基盤に移る事にしよう。
"自然権"は"自然法"のより大きな構造の中に組み込まれている政治的哲学の基軸である。
自然法理論は我々は複数の、実際には、膨大な数の実在物の世界で生活する、そしてそれぞれの実在物は人の理性、
彼の感覚認識と知的能力により調査される事が出来る明白な、そして具体的な特性 、つまり、区別出来る"性質"を持つと言う洞察に基づいている。
銅はある意味で他と全く別の性質と振舞いを持つ、そして鉄、塩、その他等もそうである。
それ故に人類は彼を取り巻く世界、そしてそれらの間の相互作用の方法がそうである様に明記出来る性質を持つ。
不適切な簡潔さで言えば、それぞれの無機及び有機的な実在物の活動はそれ自身の性質により、
そしてそれが接触しているその他の実在物の性質により決定される。
具体的に言うと、植物と少なくとも下等動物の振る舞いは彼らの生物学的な性質により或いは恐らく彼らの"本能"により決定される一方で、
人の性質はそれぞれの個人は行動する為に、彼自身の目的を選びそれらを成し遂げる為の彼自身の方法を用いなければならないと言うものである。
無意識的な本能を所有しないので、それぞれの人は彼自身と世界について学び、価値を選ぶ為に彼の精神を用いて、
原因と結果について学び、そして彼自身を維持し彼の人生を進める為に目的に叶う様に行動しなければならない。
人は個人としてしか考え、感じ、評価し、そして行動する事が出来ないので、彼は学び、選び、彼自身の能力を開発し、
そして知識と価値観に基づいて行動する為に自由であると言う事はそれぞれの人の生存と繁栄の為に絶対に必要になる。
これは人間の性質の欠く事のできない通り道である、そして暴力を用いる事によりこの過程を妨げる事、
そして損なう事は彼の生命及び繁栄の為の人の性質により必要である事に深く反していく。
人の学習及び選択に対する暴力的な干渉はそれ故に大いに"反人間的"である、それは人の必要の自然法を犯す。
マレー・ロスバード、For a New Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
功利主義社会哲学は最大多数の最大幸福をもたらす政策を”善い”政策と考える、
その中で、各個人はその数を構成する1として数えられる、
そして”善い”とは社会における個人の純粋に主観的な欲望の最大限の充足であると考えられる。
功利主義者は経済学者(後述参照)同様に、彼ら自身を”科学的”とか”価値自由”とか考える事を好む、
そして彼らの教義は事実上価値自由な立場を採用する事を彼らに許すと考えられている、
なぜなら彼らは恐らく彼ら自身の価値を負わせている訳ではなく、
単に住人の大部分の欲望や欲求を考えられる限り最も大きく満たす事を勧めているに過ぎないからである。
しかしこの教義は殆ど科学的でもないし価値自由でもない。第一に、なぜ”最大多数”なのか?
倫理的に言ってなぜ少数派の願いよりも多数派の願いに従う方が善いのか?
”最大多数”の一体何がそんなに良いのか?
社会の圧倒的多数の人々が赤毛の人を嫌悪し罵倒する、そして彼らを殺す事を大いに望んでいると考えて下さい、
そして更に何時の時代も赤毛の人は少数しか存在しないと考えて下さい。
我々は赤毛の人を虐殺する事は圧倒的多数派にとって”善い”事であると言わなければならないのだろうか?
そしてもしそうでないなら、なぜそうではないのか?
その時は、少なくとも、功利主義は殆ど自由と自由放任主義の根拠とするには十分ではないだろう。
マレー・ロスバード 、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
7986453
>>1
Wikipedia脳のバカの為の若干の認識論哲学の説明:
ミーゼスは合理主義哲学者により伝統的に公式化されていた制限を踏まえて経済学的命題は二つの必要条件を満たさなければならないと言及する。
第一に、それはそれらが観察に基づいた証拠から引き出されるのではないと論証する事が可能でなければならない、
なぜなら観察に基づいた証拠はそれらが偶然そうである事を明らかにする事が出来るだけだからである、
つまり、なぜ物事がそれらが現存する方法でなければならないのかを示す事はその中に何も存在しないからである。
その代わりに経済学的命題は必ず内省的な認識に、対象を知っているものとしての我々自身に関する我々の理解に基づいていると示されなければならない。
第二に、この内省的な理解は自明の本質的な公理として若干の命題を生み出さなければならない、
これはこのような公理が心理的な意味で自明でなければならないと言う意味ではない、
つまり人はそれらに関して直接的に感じていなければならないと言う意味やそれらの真理性が心理的な確信の感覚に依存すると言う意味ではない。
反対に、彼の前のカントと同じ様に、ミーゼスは例えば木の葉っぱは緑であるとか私は6フィート2インチである等の若干の観察に基づいた真実を発見する事よりも
このような公理を発見する事は通常より多く骨が折れると言う事実を強調する。
むしろ、それらを自明の本質的な公理にする事は、それらを否定する事を試みる際に、人は既にそれらの正当性を前提としていると言う理由で、
誰も自己矛盾に陥る事無しにそれらの正当性を否定する事は出来ないと言う事実である。
Hans-Hermann Hoppe,The Economics and Ethics of Private Property.
Hans-Hermann Hoppeはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。
彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。
立論は浮遊する命題から成るのではなく希少な資源の使用を必要とする行動の形式であると言う事に、
そして更にある人が命題の交換に従事する事により選好を証明するその資源は
私有財産のそれらであると言う事に注意しなければならない。
何しろ、もし自分の物理的な身体の排他的な使用を行う権利が既に前もって推定されていなかったならば、
誰も何も提案する事は出来ない、そして誰も論争的な手段により何らかの命題から説得される事は出来ない。
人は言われている事について異議を唱えるかも知れない一方で、少なくとも意見の相違が存在する事に関してはまだ同意する事が可能であると言う
命題の交換の代表的な特徴を説明するのはこの自分自身の身体に対するお互いの相互に排他的な支配の認識である。
そして同様に、このような自分自身の身体に対する所有権は先験的に正当化されると言われなければならないのは明白である。
どんな内容であれ何らかの規範を正当化する事を試みる人は誰でも単に"私はこれこれしかじかを提案する"と述べる為に
既に彼の身体に対する排他的な支配の権利を前提としなければならない。
そしてそれ故に、このような権利に異議を唱える人は誰でも、そう主張する人は既に彼が異議を唱えている
その規範自体を暗黙の内に受け入れていると言う理由で、実践的な不一致に陥る事になるだろう。
更に、もし自分の身体の他に開拓行為を通して、言い換えると、その他の誰かがそうする前にそれらを使用する事により
その他の希少資源を自分の物にする事を許されていなかったら、そしてもしこのような資源、
そしてそれらに関する排他的支配の権利が客観的で物理的な条件で定義されていなかったら、
少しの間でも立論を維持する事も自分の主張の命題の力を当てにする事も等しく不可能であるだろう。
もし誰も彼自身の身体を除いて、全く何も支配する権利を持たないとしたら、
その時は我々は皆死ぬので規範を正当化すると言う問題は単純に存在しないだろう。
なので、生きていると言う事実の為に、その他の物に対する所有権は妥当である事が前提とされなければならない。
さもなければ生きている誰も主張する事は出来ない。
Hans-Hermann Hoppe、The Ultimate Justification of the Private Property Ethic.
Hans-Hermann Hoppeはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。
彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。8645312
>>321
今時高校生の子に弟妹の養育を任せているような家庭はどこにでもないよ
>>1
リバタリアンは主観的な価値判断を客観的事実の如く絶対化している等と主張する児ポ法カルトのお前だって論法は妥当なのだろうか?:
私が提案している事は倫理学の完全に価値自由な体系である。私は完全にである意見の領域に留まっており、
そして"である"から"べき"を引き出す為の試みはどこにもない。
私の主張の構造はこれである、つまり、(a)正当化は命題の、或いは論争的な正当化である(先験的に真のである意見)、
(b)議論は私有財産倫理の承認を前提とする(先験的に真のである意見)、
(c)私有財産倫理からの逸脱は論争的に正当化される事は出来ない(先験的に真のである意見)。
それ故に全ての社会主義者倫理に対する私の反駁は純粋に認識的な物である。
ロールズやその他の社会主義者がまだこのような倫理を提唱する事が出来ると言う事は全く的外れである。
1+1は2であると言う事は誰かがそれは3であると述べる可能性を排除する事や人は1+1は3を
その土地の算術法にする事を試みない筈であると言う訳ではない。
しかしながらこれは1+1はまだ2であると言う事実に影響を与えない。
これとの厳格な類推で、私はロールズやその他の社会主義者が述べる事は何であれ虚偽であると証明する事を主張する"だけ"である、
そして全ての知的に優秀で正直な人々によりこのようなものとして理解される事が出来る。
それは無能であるか不誠実で邪悪な人がまだ存在する事が出来る、
そして真実と正義に対して勝ってさえ居る事が出来ると言う事実を変える訳ではない。
ハンス・ヘルマン・ホッペ,The Economics and Ethics of Private Property.
ハンス・ヘルマン・ホッペはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。
彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。 7865312
都教委の面子を潰したんだから処分は当たり前
民間だって社長を殴ったらクビになるだろ
>>1
もし一般に労働と個人が自由であるならば、その時は売春の自由も存在しなければならない。
売春は自由意思に基づく労働サービスの販売である、そして 政府はこのような販売を禁じたり制限する権利を持たない。
街路を歩きながらの取引のより過酷な面の多くは売春宿の違法化によりもたらされている。
長続きする売春宿は長期に渡り顧客の間の信用を育む事を願うマダムにより運営されていたので、
売春宿は高品質のサービスを提供し彼女らの"ブランドネーム"を築く為に競争していた。
売春宿の違法化はこれが常に伴う全ての危険と品質の一般的な低下と共に売春を不安定な存在である
"ブラックマーケット"に追いやっているのである。
...
暴力の使用から人々を守る事、彼らの身体や財産の暴力的な侵害から彼らを守る事が法的暴力の唯一の役割である。
しかしもし政府がポルノを違法化するとしたら、その時は政府それ自身が本物の無法者となる、
なぜならそれはポルノ媒体を製造し、販売し購入し或いは所有する人々の所有権を侵害するからである。
マレー・ロスバード、For a New Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
禁酒法が制定された時、全ての人は新しい道徳の時代の幕開けを予想した。
ビリー・サンデイは次の様に述べる、”スラムはまもなく記憶に過ぎなくなるだろう。
我々は監獄を工場にし、刑務所を貯蔵庫とトウモロコシ倉庫にするだろう。
男性は今や直立歩行し、女性は微笑み、子供達は笑うだろう。地獄は永遠に空室であるだろう。”...
現実は反対である。...
アルコールを禁止する事は単にその生産と消費を”アンダーグラウンド”に追いやり、
そしてその双方を増加させると言う予想に反する効果を持った...
多くの人々はそれが違法になったと言う理由で、今まで以上に、或いは初めて酒を飲んだ。
”人々は高い目的感覚で、あなたが今日殆ど見ない熱心な飲酒の種類で反抗的に飲んでいた。”
彼らが飲んでいた場所の一つは”潜り酒場”であった。例えば、ニューヨークのロチェスターでは、
禁酒法前の時代の500の認可された酒場は酒が違法化された時に二倍の潜り酒場に取って代わられた。
オールバニのイーグルストリートには18の潜り酒場が存在した、禁酒法前には3つの酒場しか存在しなかったのにである。...
禁酒法はまた蒸留酒を現在の麻薬の様に、遥かに強力にし、そしてアルコール依存症はより一般的になった。
禁酒法の11年後に、イギリスの著者G・K・チェスタートンは”アルコール依存症はそれが今日のアメリカを脅かしている様な厄災を脅かしていなかった。
16歳の少女達がダンスに行き、生のアルコール飲料を飲む事は普通ではなかった”と述べた。
アルコールにより誘導された死は現れ増加した。
...相当の人々がアルコール飲料を飲んでいたが、彼らは違法な代物の製造や流通に関与せず、
それらの職種は我々の歴史において最も性質が悪く暴力的な悪党に委ねられた。
犯罪率は”大騒ぎの20年代”に急上昇した、その大部分は禁酒法が関連していた。
ルエリン・ロックウェル、The Economics of Liberty収録、ローレンス・リード、Would Legalization Increase Drug Use?
ローレンス・リードはアメリカ合衆国の経済学者、Foundation For Economic Educationの代表である。
984532
まあエロメールを送っていたとしても女子生徒が納得しているなら不当処分だな
しかも既に裁判で確定して取り消された処分をもう一度行うのはあるまじきこと
教員は都教委に賠償請求まで考えた方が良い
当然、関係した都教委及び教員は法的に処分される必要がある
捏造でもなんでもない
クソ教師は都の規定に基づいて免職ではなく停職が妥当だと言ってるだけで
他のお涙頂戴部分こそ記者の捏造だ
規定より重い処分を下した都は表彰されてもいいくらいだ
>>1
法治国家の法律は強盗団の命令と何が違うのだろうか?:
世界の主要な政府の全ては消滅している政府だけでなく現在存在している政府もこの性格を持っている。
彼らは彼らの同胞の略奪、征服、及び奴隷化の為に同盟している単なる強盗の一団に過ぎない。
そして彼らが法律と呼んでいるものは彼らが彼らの組織に参加し維持する為に、
そしてその他の人を略奪し奴隷化し、そして略奪品の彼の同意した分前をお互いに確保する際に
共に行動する為に必要であると認められている様な取り決めに過ぎない。
これらの法律の全ては彼らの犯罪のより成功した遂行、そして彼らの略奪品の
より平和的な分配の為に山賊、盗賊、そして海賊がお互いに結ぶ事が
必要であると認める取り決めが持たないのと同じように真の拘束力を持たない。
ライサンダー・スプーナー、Natural Law; or The Science of Justice.
ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。
...政府は人里離れた場所で人を待ちぶせ、道端から彼に襲い掛かり、彼の頭に拳銃を当てて、彼のポケットを探る訳ではない。
しかし強盗はそれでもやはり強盗である、そしてそれは遥かに卑劣で恥知らずである。
追い剥ぎは彼の行為の責任、危険、そして罪を彼自身だけで引き受ける。
彼はあなたのお金に対する何らかの正当な請求権を持つとか、彼はあなた自身の利益の為にそれを用いる意図がある等と言う振りをしない。
彼は強盗以外の何かである等と偽らない。
彼は単なる"保護者"に過ぎない、そして彼が彼らの意思に反して人々のお金を取る事は彼ら自身を十分保護する事が出来ると感じているか
彼の奇妙な保護システムを好まない判断力の未熟な旅人達を"保護"する為に過ぎない等と公言するほどの厚かましさを獲得した事はない。
彼はこのような公言をするには分別が有り過ぎる人である。
更にあなたのお金を取ったなら、あなたが彼に望む様に彼はあなたから去っていく。
彼はあなたの正当な"主権者"である振りをして、彼があなたに提供する"保護"の為に、
あなたの意思に反してその道であなたに付いて行く事に固執しない。
彼は彼に服従し仕える事をあなたに命令する事により、これを行う事をあなたに許し、それを行う事をあなたに禁じる事により、
彼がそうする為の彼の利益や喜びを見つける度に多くのお金をあなたから奪う事により、そしてもしあなたが彼の権力に異議を唱え、
或いは彼の要求に抵抗するならば、あなたに反逆者、売国奴、国家の敵と烙印を押し、無慈悲にあなたを撃ち殺す事によりあなたを"保護"し続ける事をしない。
彼はこれらの詐欺、侮辱、そして悪事で有罪になるには余りにも紳士的過ぎる人である。
要するに、彼はあなたから強奪する事に加えて、あなたを彼の奴隷にする事を企てない。
ライサンダー・スプーナー、No Treason. No. VI. The Constitution of No Authority.
ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。9864531
>>7
高裁判事を銀座4丁目の交差点で打ち首にしてやればいいよ。
>>1
国家に対して税金を払わない事、侵略者の手の中にある、国家の財産を占有する事、
国家の命令に従わない事、或いは国家との契約を破る事は少しも不正でも不道徳でもある事は出来ない....
犯罪者との契約を破る事は不正ではない。...
適切な政治哲学の見解からは、道徳的に言って、例えば、国家から"盗む"事は
犯罪者の手の中から財産を取り除く事である、そしてそれは使用されていない
土地を開拓する代わりに、個人が社会の犯罪的部門から財産を取り除くと言う事を
除けばある意味では財産を"開拓"する事である、つまり確実に善い事である。...
それから、国家に対して嘘をつく事も、同様に一層道徳的で正当になる。
誰も強盗が自分の家に何か貴重なものが存在するかどうか尋ねた時に正直に答える事を
道徳的に要求されないのと同じ様に、誰も国家により尋ねられる同様の質問
、例えば、所得税申告書に書く時に正直に答える事を道徳的に要求される事は出来ない。
マレー・ロスバード 、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
最悪の政府の多くや大部分は最初に強制により、そして少数の人々により確立されるけれども、
多数派により支持されている時に生じると言う事は本当である。
しかしもしそうであるとしてもこの多数派は大部分は最も無知で、迷信を信じる、臆病で、
依存的で、卑屈で、堕落した人々、詐欺によって騙されている人々、誘導により堕落している人々、
権力、知能、富及び傲慢により呑まれている人々、そして政府を真に構成する少数派から構成される。
このような多数派は恐らく地球上の全ての国々の半分、或いは十中八九で発見される事が出来る。
彼らは何を証明するのか?彼らの現在の無知、奴隷状態、劣化、堕落、つまり、彼らを抑圧し、劣化させ、
堕落させている政府を支持すると言う単純な事実で最も良く描かれる様な無知、奴隷状態、劣化、堕落に
人々の大部分を零落させている政府そのものの専制と堕落以外の何も証明しない。
彼らは政府自身が正当であると言う事、或いはそれらはそれらの真の特徴を理解する人々により支持されるか、
或いは耐え忍ばれるべきであると言う事を何も証明しない。
それ故に単に政府が偶然多数派により支持されていると言う事それ自体はこのような政府が
支持されるべきか否かを知る為に証明される事が必要である様な事の何も証明する事はない。
ライサンダー・スプーナー、No Treason. No.1.
ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。98645312
都教委は、糞だな
とりあえず都教委と義父はリンチでいいんじゃね?
>都庁のデタラメは豊洲新市場だけではない。教育行政も同じだ。
マスゴミって他人の不祥事には勢いいいよね
>>1
憲法の上辺だけの支持者はその他の大部分の政府の上辺だけの支持者と同じ様に3つの分類で構成されている、
つまり、1.悪党、数が多く活動的な分類である、その人達は彼ら自身の強化や富の為に使用出来る手段を政府に見る。
2.愚か者、疑いなく大きな分類である、その人達のそれぞれは彼が彼自身の身体と彼自身の財産で行う事が出来る事を
決定する際に数百万人の中から一票を許されていると言う理由で、
そして彼はその他の人を強盗し、奴隷化し、殺害する際に同じ票を持つ事を許されていると言う理由で、
その他の人が彼自身を強盗し、奴隷化し、殺害する際に同じ票を持つ事が彼は"自由な人間"であり、
"主権者"である、これが"自由な政府"、"平等な権利の政府"、"地上で最善の政府"である等と想像する程愚かである。
3.政府の害悪に一定の審美眼を持つがどうやってそれらから抜け出せるかがわからない或いは
変化を作る仕事に真面目にそして熱心に彼ら自身を捧げるほど彼らの私的な利益を犠牲にする事を選ばない人達の分類である。
ライサンダー・スプーナー、No Treason. No. VI. The Constitution of No Authority.
ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。
文明化された人々の間で実際の運用に持ち込まれているどの試みや見せ掛けも同意によりある政府を設立している、
そして強制による服従に残りの人々を保つ為に必要であるかもしれないぐらい多くだけの実際の同意を得ていると言う
主張ほど全ての種類の恥知らずで不合理で、嘘で、厚かましい、強盗、権利侵害、専制、そして極悪の多くを
具現化した事はない。このような政府は弱者に対する強者の共謀に過ぎない。
それが同意に基づいて居ないのは地上で最悪の政府が同意に基づいて居ないのと同じである。
どんな彼らの同意の代用品が多数派によって彼らの権利が滅ぼされ、実在から消し去られる少数派に提供されるのか?
これが全てである:彼らの同意は推定される!
つまり、これらの強奪者は彼らが奴隷化した人々は彼らの生命、自由、財産の全てをそれらに対する支配を
奪う人々の手の中に譲渡する事に同意すると恩着せがましく寛大に推定する!
そしてこの彼らの同意の推定は実際の同意が与えられていない時に被害者の権利を救う為、
そして強奪者を正当化する為に十分である振りをする!
同様に追い剥ぎは旅行者が彼のお金を放棄する事に同意すると推定する事により彼自身を正当化する振りをするかもしれない。
同様に暗殺者は彼の犠牲者が彼の生命を放棄する事に同意すると推定する事により彼自身を正当化するかもしれない。
同様に動産奴隷の保持者は彼らが彼の権力と彼が彼らに実行する鞭と強盗に同意すると推定する事により彼自身を
正当化する事を試みるかもしれない。
その推定は単に少数派が奴隷である事に同意すると言う推定である。
ライサンダー・スプーナー、No Treason. No.2.
ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。
8764532
>>1
なぜ政府の権限に対する制限の弱さについて心配するのですか?特に不信がリベラルのユートピアに忍び込み始める
1960年代半ばの前の彼らの全盛においてアメリカのリベラルによりしばしば使用されたフレーズは
"民主主義国では、我々は政府ではありませんか?"である。
そのフレーズ"我々は政府である"において、便利な集合的な表現"我々"は政治生命のありのままの搾取的な現実を覆い隠す
イデオロギー的な誤魔化しを可能にした。
もし我々が本当に政府であるならば、その時は政府が個人に行う全ての事は正当であり専制ではないだけでなく、
それはまた関係している個人の部分の側の"自由意志に基づいている"。
もし政府が別の集団の為にある集団に課税する事により払われなければならない巨大な公的債務を背負っているならば、
この負担の現実は"我々は我々自身にそれを借りている"と無邪気に言う事により便利に曖昧にされる。
(しかし誰が"我々"であり誰が"我々自身"なのか?)
もし政府がある人を徴兵したなら、或いは反体制の意見の為に刑務所に彼を入れるなら、
その時は彼は"自らそれに入る"だけである、そしてそれ故にこの推論の下に何も誤りは生じていない、
そしてナチス政府により殺されたユダヤ人は殺されたのではない、彼らは"自殺を犯した"に違いない、
彼らは民主的に選ばれた政府なのだから、そしてそれ故に政府が彼らに行った全ての事は彼らの側の自由意志に基づいている。
しかし国家を大衆の情け深い自由意思に基づいた代理人としてだけ見る政府の支持者にとって
このような不自然な歪みから抜け出る方法は存在しない。
従って、"我々"は政府ではない、政府は"我々"ではないと我々は結論しなければならない。
政府は正確な意味では人々の多数派を"代表"していない、しかし例え多数派を代表していたとしても、
例えば人々の90%がその他の10%を殺害するか奴隷化する事を決定したとしても、これはまだ殺人と奴隷制である、
そして抑圧された少数派の側の自由意思に基づいた自殺や服従ではない。
犯罪は犯罪である、権利に対する攻撃は侵略である、どの位多くの市民がその抑圧に同意しているかは問題ではない。
多数派に神聖な物は何も存在しない、リンチを行う群衆もそれ自身の領域では多数派である。
マレー・ロスバード、For a New Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
98764531
>>354
不祥事を起こしたのは子供を洗脳した基地外教師だろw
>>1
ここには人々が認める事を望まない生々しい現実が存在する、つまり、我々を安全にする魔法のシステムは存在しない。
一体何が、善人が勝利するか悪人が勝利するか、抑圧の時代か自由と正義の時代かを決定するのか?
単純に、もし善人が悪人よりも多く物理的な暴力を使用するならば、正義は勝つ、
もし悪人がより多く物理的な暴力を使用するならば、悪が勝つ。
力は正義を生み出さない、しかし力は結果を生み出す。...
ここにはなぜ我々が国家に対して、...自己防衛として物理的な暴力を用いなければならないのかの理由が存在する。
もし世界への我々のメッセージが「我々は我々自身を所有する、我々は自由であるべきである、
しかし政府の警察がやって来た時、我々は従うだろう」と言う事ならば、
伝わる唯一のメッセージは「我々は従うだろう、彼らは我々の奴隷主人である、そして我々は彼らの命じる通りにするだろう」である、
だからこそ自己所有権の概念には自己防衛権の概念が必須なのである。
ラーケン・ローズ、Why Speak of Violence?
ラーケン・ローズはアメリカ合衆国のリバタリアン活動家、納税拒否者である。
政府はあなたが平和的であるかどうかを気にしない、彼らが気にする全てはあなたが服従するかどうかである。
...暴力的である事は政府の暴力が個人に対して使用される前提条件ではない、そして国家主義の歴史全体において、
決してそうではなかった。政府の暴力の唯一の前提条件は不服従である、そして全く余りにも多くの事例において、
従順な奴隷さえ政府の役人により嫌がらせを受け、襲撃され、誘拐され、或いは殺されている。
....その暴力はニューハンプシャー州やその他の場所の政府の役人が平和的な活動家や、一般大衆を抑圧する為の
より進歩した最新技術を獲得するにつれてエスカレートしていく事は確実である。
ではどうすべきなのか?酷く不人気な見解であるが、その答えは政府の役人を殺す事である。
....もし誰かが英語の再教育コースを必要とするなら、侵略は暴力の開始(先制的暴力)である、
そして不可侵原則は防衛的暴力の使用を非難しない。例え無謬の国家カルトの信者が非難したとしてもである。
私は不可侵原則を信じる。それがなぜ私が侵略者に対して防衛的な暴力を使用する事を信じるのかの理由である。
それはそう複雑な概念ではない。もし誰かが私に対して暴力を使用するなら、私はその脅威を退ける為に必要な暴力を使用する権利を持つ。
そして不可侵原則は相手が警察手帳や令状を持っているかによって例外を作る事はない。
クリストファー・キャントウェル、Concord Police, Go and Get Your Bearcat.
クリストファー・キャントウェルはアメリカ合衆国のリバタリアン活動家、作家である。
もし全ての人が彼の正当に保持する財産に対する絶対的な権利を持つならば、その時は彼はその財産を維持する為の、
つまり、暴力的な侵害に対して暴力によりそれを防衛する為の権利を持つと言う事になるだろう。
例えばロバート・ルフェーブルの様な所有権に対する彼らの信念も主張する絶対的な平和主義者は避け難い内的矛盾に陥っている、
なぜならもしある人が財産を所有しているのに攻撃に対してそれを防衛する権利を否定されるならば、
その時はその所有権の非常に重要な面が彼に否定されていると言う事は明らかだからである。
ある人はある財産に対する絶対的な権利を持つが攻撃や侵害に対してそれを防衛する権利を持たないと言う事は
彼はその財産に対する完全な権利を持つ訳ではないと言う事でもある。
更にもし全ての人が攻撃に対して彼の身体及び財産を防衛する権利を持っているならば、
その時は彼はまたこのような防衛を行う為にその他の人々を雇うか支援を受け入れる権利を持たなければならない、
つまり、彼は彼が庭師を雇うか彼の庭に対する庭師の無償サービスを受け入れる事が出来るのと同じように
防衛者を雇うか受け入れる事が出来る。
マレー・ロスバード 、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
3165978
>>314
君も開発しちゃうぞ!
東京地裁は免職処分は不当で停職処分が相当としてるから
停職処分は嫌がらせというわけでもなさそうだけど
裁判官もエロメールは不適切だけど処分が重すぎるという判断じゃないか
ピュアに恋愛感情だとしたら義父は今すぐ結婚して出ててけと厄介払い出来て全員万々歳なハッピーエンドがあるはずなんだが
そうでなかったということは色々事情あんだろ
>>347
生徒の意見で変わるなら、今回のケースのように洗脳した場合や
最悪の場合脅迫されることも考えないといけないから
それはない