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  • 396
  • ツつソツづ」ツづァツつウツづア
  • 2013/02/09 21:34:08
>>395
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ツ個セツづ?つスツ篠鳴偲?ツづ個づ按つ「ツ「ツ揚ツつーツ堕ォツ偲ヲツづィツ」ツづ?古ォツ鳴つ可サツつウツづ按つ「ツづ? >>388 ツづ個「ツつアツづェツづ債づ?つ、ツづヲツ?ツ」ツづ可督堋つヲツづ?づ仰(笙・ツハツーツトツマツーツクツ)

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  • 397
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  • 2013/02/09(土) 21:37:36
>そんな君が、こと体罰については教師を「全人的人格者」のように扱い、肉体的
 懲戒権を法によって保証しようとするのは解せない話だ。
書いていないことを、さも書いたように論ずるとは、解せない話だ。

そんなことよりも >>388 の「これはどうよ?」に答えてね。

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  • 398
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  • 2013/02/10(日) 10:23:03
>>395
>君は教員に対する猜疑心は人一倍強かったはずだ。

懐疑心なんて・・・。
私の頃の先生方は、皆さん素晴らしい方々でした。
特に、高校の御師には、年1回はお会いし感謝の気持ちを示します。

もちろん、中学までは「体罰」を受けたこともあります。
自分が悪いことをしたから、です。

そんなことよりも >>388 の「これはどうよ?」に答えてね。

>>384 亀スマソ。
>教育というのは制度なので、需要と供給というような市場原理的な考えにはそぐわない。

「ゼロ校時講習」は「教育」? それとも「商売」?

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  • 399
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  • 2013/02/10(日) 10:52:59


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  • 400
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  • 2013/02/10(日) 14:28:27
>>388
検索して見ると、「荒れる学校」は昭和40年代〜50年代がピークだった。

私が中学生に上がった頃は端境期にあったていたように思う。
2つ上の3年生には、眼光鋭く暴力団構成員になったものもいる。
卒業式には、生徒指導の教師を呼び出し、暴行。翌日、その教師は腫れ上がった顔で
授業をしていた。

そんな荒れた生徒が数名いて、傍若無人に振る舞えば「荒廃した学校」になる。
荒れた生徒を制圧するため、学校の秩序を維持するため、校長は屈強な男性教師を
生徒指導に指名し、体罰権の行使を奨励した。又、高齢の校長自身も空手の有段者で
あり、校則違反の生徒を見つけ出しては、懲戒していた。

空手の有段者であるため、グーでは殴らず、5本の指を硬くして頭を叩いていた。
私も、学生帽を被っていなかったので一回やられた。

今思えば、当時は少年犯罪発生件数のピーク。
そういう世相の中、犯罪に手を染める少年の暴虐・暴力から学校の秩序を守る為に、
教師集団が体罰権で対抗した側面が大きかったのかも知れない。

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  • 401
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  • 2013/02/10(日) 14:36:08
>>388
前述の通り、私が中学時代には非常に荒廃した上級生がいた。
しかし、そんな上級生だったが在学中・授業中に教師に殴りかかったという話は
聞いたことがない。卒業式を待って、学校と縁が切れるのを待って殴った。
それが彼ら流の仁義だったのかもしれない。

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  • 402
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  • 2013/02/10(日) 14:45:45
>>388
そんな世相の中、方々で「荒れる中学校」が存在する中でも、他市のある中学校は
荒れている事で有名だった。
その後「大分良くなった。全然大丈夫。」と聞いた時期もあれば、「又、大分荒れているようだ」
と聞いた時期もある。

売春街が近くにあり、暴力団構成員も多数すんでいるその土地は、荒れやすい要件が
あるのかもしれない。

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  • 403
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  • 2013/02/10(日) 15:00:36
>>388
「学校が荒廃する」とは、入学した生徒の中に、少数の荒廃した日々を送ってきた
生徒がおり、その生徒が暴虐無人に振る舞い、学校の秩序が崩壊ていく状態である。
数人の生徒によって、数百人の生徒が有形無形の不利益をこうむっている状態である。

前回、新聞に載った生徒が通っていたのは「荒れやすい事で有名な学校」ではないか
と思っている。

逮捕時の警察発表は
「学校が荒れ、クラスメートもおびえていた。今後を考えると、強制捜査で臨むしかない
と考えた」としている。

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  • 404
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  • 2013/02/10(日) 15:13:00
>>388
逮捕当時、学校側は「少年の行動が学校の指導の限界を超えている」と言っている。
又、その後の後追い記事で「件の生徒は、過去にかなりの問題行動を起こしていた」とある。
その問題行動が、イジメなのか、暴行なのか、恐喝・カツアゲなのか詳しく述べないのは
生徒の人権を配慮してのことだろう。

その生徒が授業時間中に教師に暴行を加えようとしたのは事実であり、目撃証言もあるなか
胸ぐらを掴んだ時点で「暴行罪」は成立している。「器物破損」で当日釈放は温情と考える
べきだろう。

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  • 405
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  • 2013/02/10(日) 15:31:23
>>388
学校内への警察介入は慎重を期すべきであることはいうまでも無い。
マスコミ報道が、生徒の人権に配慮して詳細を記さぬ為、実情が分からない。

今回の警察介入が
「多数の生徒の教育権を守るための妥当な判断」だったのか
「学校教育権の放棄」だったのか判断できるのは、情報を持つその中学の保護者である。

学校の判断が妥当だと思うのなら、保護者も協力して学校荒廃を防いでいけば良い。

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  • 406
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  • 2013/02/10(日) 15:57:33
>>398
>私の頃の先生方は、皆さん素晴らしい方々でした。

私は、そのおべんちゃらにサムイボが発生した。

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  • 407
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  • 2013/02/10(日) 18:08:17
>>398
生徒の能力を標準偏差で分類し
5…7%
4…24%
3…38%
2…24%
1…7%
としたように、教師の資質にも同様な分類が出来る。
これは統計学的に当たり前の話である。

「昔の先生は皆素晴らしい方々だった」というのは、一種のおとぎ話である。
もし君の出会った先生が、皆すばらしい先生だったというのなら、
「それは素晴らしい。きっと私立の厳格な学校のご出身でしょうね。」というしかない。

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  • 408
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  • 2013/02/10(日) 18:24:38
>>398
>特に、高校の御師には、年1回はお会いし感謝の気持ちを示します。

これは皮肉でなくうらやましい話だ。

しかし付け加えておく。
義家氏が恩師と仰ぐ安達俊子先生は「その人柄・言葉」によって義家氏に影響を
与えた。たぶん君も同様なはずだ。

体罰や喧嘩は、年月が経つにつれて「昔の思い出」として懐かしむことはできる。
しかし、義家氏は言葉によって自らに影響を与えた安藤先生を恩師として仰いでいる。

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  • 409
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  • 2013/02/10(日) 18:34:55
昔の先生が素晴らしかったかどうかよく分かりませんがこんな話しがあります
かつて「アララギ」という歌会機関誌があり中高の国語教師が多数入会して活動の中枢でもあったそうです
職業上の興味や自己啓発意識もありアララギを支えていたようですが、
昭和50年代頃から教師の参加が激減し活動も徐々に萎んでしまい平成9年頃に90年の歴史を閉じてしまいました
古の教師がよく勉強していた証左の一つではあるかと思います

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  • 410
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  • 2013/02/10(日) 18:49:10
いや、むしろその事実からは、国語教師になる人の傾向を読み取るべきだと思う。

児童生徒学生時代から文学に耽美、傾倒し自らが文芸界の一員であることを望んでいた。
彼らにとっては、国語教師であることは仮の姿であり、文芸界の美の中に価値を
見いだしていた人々かもしれません。

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  • 411
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  • 2013/02/10(日) 18:52:26
>>403-405
>胸ぐらを掴んだ時点で「暴行罪」は成立している。
本県では、かつて「子ども理解のための指導・支援カルテ」が勝手に導入されたが、個人情報保護条例の主旨に反しおり、
さらには学校側が一方的に勝手に書いたもので問題が多い、などとの指摘を受け廃止された歴史がある。
現在では、一部改善され「支援記録簿」などと名前を変え再運用されている。
この行為は「支援カルテ」や「支援記録簿」で言うところの「問題行動」であり、
支援を必要とする行為である。

暴行罪が成立したから警察に突き出す、では「教育」は成り立たない。
成り立つと言うのであれば、今後、体罰教師は生徒や保護者から直接警察へ通報されるであろう。

集団化教育の中で孤立した当該少年は、かなりのストレスにさらされていたであろう。
「伝えられないもどかしさ」「自分のことを理解し受け入れてくれる人がいない寂しさ」「心の安らぎのない不安定な状態」
この状態は「すぐに“噛み付く”など、まるで獣の状態だった」とされるサリバン先生と出会うヘレンケラーそのもの。
サリバン先生がどの様にヘレンケラーと接したか、は書くまでもあるまい。

「あと追い記事」などは知らないが、本県のマスゴミの報道はどれも学校・警察の“言い訳”としか捉えられない。
少なくとも当該少年は「大人しくなっていた」のに警察に突き出した。
どのような児童・生徒にも「教育を受ける権利」があるのであり、学校側は基本的に生徒を選択することは出来ない。
本件事案は学校教育現場で起きた「警察」という第三者による不良生徒への「行き過ぎた体罰」であり「恫喝」である。
“教育を警察に任せた”のであり、学校による“教育の放棄"である。警察のコメントが全てを語っている。
国民から信託を受けた教育公務員であるのであれば、「責務」を全うすべきであった。

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  • 412
  •  
  • 2013/02/10(日) 19:21:36

「生徒の能力」「教師の資質」を数値で評価するようなことをするから、今の世の中おかしくなるのだよ。
私の言いたいことは「人として如何に生きるか」を教える、という点で素晴らしかった、ということ。
後段で自分で書いている通りで、分かっているではないか。

「アララギ」の話でもあるように、「職業上の興味」や「自己啓発意識」を
「文芸界の美の中に価値を見いだしていた人々」と断ずるところなど、

現代の先生同様、相手と真っ直ぐ向き合えない性格なのね。

「古の教師がよく勉強していた証左の一つ」、と、私も思います。

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  • 413
  • 車輪
  • 2013/02/10(日) 20:04:43
>>407
なぜ相対評価の話を出すのか分からんw

ここまで見た
  • 414
  • アマリリス
  • 2013/02/10(日) 20:12:58
昔の教師がよく勉強していた様には見えなかった
たぶんそうゆう教師は少なかったのでは
何か酒ばかり飲んでいた様な気がする
それに賢い生徒が少なかったように思えたバカ丸出し
私は女子でありながら頭を数回殴られたデリカシーが全くなかった  
今でも腹が立つ

ここまで見た
  • 415
  •  
  • 2013/02/10(日) 20:44:32
大学卒業してまた短大入学して小学校の教員免許取得して小学校教員目指すのが多くなっているようだね。
やはり公務員なりたいということか?

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  • 416
  •  
  • 2013/02/10(日) 21:49:43
>>414
「昔の教師」の「昔」って、いつごろのこと?

「私の頃」って、「昔」なの?
「アララギ」派全盛?の頃は、確かに「昔」だと思うけど・・・。

ちなみに、「私の頃」もそのような感じだった、と思います。

ここまで見た
  • 417
  •  
  • 2013/02/10(日) 21:50:47
自身が、教育関係者だった頃、程度の昔とか。

ここまで見た
  • 418
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  • 2013/02/11(月) 10:47:21
>>412
>現代の先生同様、相手と真っ直ぐ向き合えない性格なのね。

私は過去の実体験と向き合い、演繹しこの説を導き出している。
「昔の先生はみなすばらしい」という過去を美化した論調は、おとぎ話としては
おもしろい。しかし、「昔の先生はすばらしく」「今の先生は相手と真っ直ぐ向き合えない」と
いう年寄りの郷愁と美化は「百害あって一利なし」である。

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  • 419
  •  
  • 2013/02/11(月) 11:18:27
>>412
高校時代,「君たちは馬鹿である。君たちと接するのが私には非常に苦痛である」
と一時間語り続けた男性国語教師がいた。

その時クラスには、「君たちは馬鹿だ」と言われた反発は少なかった。
逆にその教師が職責から離れ、独特のキャラクターを思う存分披瀝するその姿に
興味を引かれていた。

後から伝わった話では、過去に自殺未遂をしたことがあったらしい。
教師の職責を離れ、ニヒリズムとデカダンスに満ちたその一時間の授業は
太宰治の私小説を読んでいるようで、皆、その物語に引き込まれていた。

ここまで見た
  • 420
  •  
  • 2013/02/11(月) 11:25:48
教員とそのOB達、そして公務員が週末に書き込むこのスレの本来のタイトルは今どうなってるの?
関係ないなら新しくスレ立ち上げたら?

ここまで見た
  • 421
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  • 2013/02/11(月) 13:29:08
ちょっと美化し過ぎたな。

その教員のキャラクターに興味が向いたのは確かだ。「君たちは馬鹿である」と
いう言葉を意に介さぬ生徒も確かにいた。

しかし私の場合は「何をぬかしている。この太宰治崩れが。」と反発心の方が強かったな。

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  • 422
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  • 2013/02/11(月) 16:42:07
>412
高校時代、上記の教師とは別の男性国語教師。

教科書を朗読する声が柔らかで聞きやすく、好きな先生だった。
時に苛立つこともあったが、概ね柔和と厳格を兼ね備えたような授業進行だった。

「文学青年だったんだろうな」と思わせる作品への敬意を感じられる朗読と穏やかな
語り口。なかなか、良い雰囲気の先生だった。

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  • 423
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  • 2013/02/11(月) 18:41:32
日教組   沖教祖   

怖い怖い

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  • 424
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  • 2013/02/11(月) 21:45:04
>私は過去の実体験と向き合い、演繹しこの説を導き出している。
人のことはどうでも良い、自己中、ってこと?

怖い怖い

>>420
私は公務員でも教員でも、教員OBOGでもないケロ、週末に余力が出るのヨ。

スレ外れスマソ。
でも、「PTA会費で教員に手当を支給」は教育公務員の暴走。

文科の「兼職兼業届けの手続き」という”奇策”で誤魔化したが・・・。
現在の教育行政は如何に独善的で暴走状態にあるか、ということを「体罰問題」と
「少し暴れた中学生を警察に突き出した」という事実で示したかっただけ。

教育行政はここの住人同様、質問に答えない。
ゼロ問題も”質問に応えない”から問題が拡がった。

ここまで見た
  • 425
  •  
  • 2013/02/11(月) 23:49:44
沖縄タイムスは平成24年12月22日[29面]において「PTA費から教員報酬」との題で続報を流した。
文科省調査を受けた報道だが、記事中『文科省は「兼職の届け出があれば認められるので適正に手続きしてほしい」
ともとめている。』とした。
「学校経費でPTAが負担したのは・・・沖縄ではスクールカウンセラーの人権費、コピー機や清掃用モップのリース代
などに使われていた。」そうだ。

幼・小・中で後者修繕費の負担などの地財法違反があるのに、高校では無いとは・・・

うそばっかり。

ここまで見た
  • 426
  •  
  • 2013/02/12(火) 11:39:09
>>424
>ここの住人同様、質問に答えない。

独善的正義を振り回しているあんたには理解出来ないのかも知れないが、
あんたの教育行政に向けての質問に、ここの住人が答える立場にあるはずがない。

又、あんたの俺に向けての質問にたいしては、間を開けてほとんど答えている。
懇切丁寧に。
もし、あんたが俺向けに質問して答えてない項目があるのなら、それは
『また独善的検察官役になりきって詰問してやがる』と呆れているか、
『同意見だがこいつと一緒と思われるのは嫌だ』と思っているかのどっちかだから
心配するな。

ここまで見た
  • 427
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  • 2013/02/16(土) 09:57:42
>>426
やっぱ、向き合えない自己中なのね。

>あんたの教育行政に向けての質問に、ここの住人が答える立場にあるはずがない。
仮にオイラが「教育行政に向けた」質問をしたのであれば、「ここの住人が答える立場にない」ことは
誰でも解ること。もちろんオイラも。

>又、あんたの俺に向けての質問にたいしては、間を開けてほとんど答えている。
懇切丁寧に。
”論点ズラし”が”懇切丁寧”となるは思わなかった。

>心配するな。
あまり心配していないが、大人の”思考停止”を残念に思う次第。

例えば >>425 で挙げた記事。
文科省の役人が地方公務員法の範疇に入る部分について『認められるので』などと言及するはずがない。
さらには、沖縄の事例は他府県と比べ軽微であったかの如く書き連ねている。
これは”ある意思”を持った記事であり問題があると思われるが、思考停止状態にあると
”気がつく”どころかそのまま受け入れてしまう。

かつて、沖縄の総意は『自分たちが創る』と豪語した新聞記者がいたそうだが、解るような気がする。

こうしてPTAは教育公務員体制下に組み入れられ、教育公務員にとって都合のいい団体として飼われていったのだね。

ここまで見た
  • 428
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  • 2013/02/17(日) 14:01:17
>都合のいい団体として飼われていったのだね。

相変わらず、極左か極右の青年のような過激表現で独善的正義感を振り回している。

ここまで見た
  • 429
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  • 2013/02/17(日) 14:03:17
『日本におけるPTAの概要
 アメリカと日本のPTAの最も大きな違いは、アメリカのPTAが必要とされて自発的に作り上げられたものであるのに対し[1]、日本のPTAは第二次世界大戦後に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の提案で半強制的に導入された点である[2]。そのため、日本ではPTA活動を自由意志ではなく、義務や強制で奉仕活動をさせられているという意識が強い[3]。』

ここまで見た
  • 430
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  • 2013/02/17(日) 14:24:48
ウキペディアのこの解説は多分合っているだろう。

しかし、「公教育経費の保護者負担」は日本にPTAが創設されたために生じたのではない。
これは戦前からの話である。

そこらへんを考慮しないと、sannin29191.nirai.ne.jp のような独善的正義感が
生まれてくる。

ここまで見た
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  • 2013/02/17(日) 14:27:00
『精華小学校に限らず、昔の小学校の建設費用はは寄付金で賄われ
そのため、地域ごとの貧富の差が校舎や学校設備にはっきりと表れた。
昭和四年に建てられた鉄筋コンクリートの精華小学校舎の建築費は
同時代に再建された大阪城天守閣よりも高額だったと言う。』

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  • 2013/02/17(日) 15:06:53
ある篤志家の子供(といっても現在八十代だが)から聞いたことがある。

その篤志家曰く
「じゅんさとぅしんしーやどぅしさーんけーどー」
=「警察官と先生とは友達にならないほうがいい」と言っていたらしい。

戦前は、学校建設・維持運営費の私費負担比率は現在よりも大分高かったのだろう。
備品購入やなんだかんだを地域住民の寄付に依存していたのではないかと思う。

その篤志家は度重なる寄付依頼を苦々しく感じつつ寄付を続けた。
しかしその後に来るのはは、多少の感謝の言葉と礼状一枚。

「じゅんさとぅしんしーやどぅしさーんけーどー」は現代にも通じるかもしれない。

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  • 2013/02/17(日) 15:16:23
昭和40年代でも、地域住民の寄付金依存は続いていた。

実例で言うと、小学校時代の体育館建設。
建設費は公費だが、内部備品などは寄付頼り。たしか寄付依頼の文書を持って帰った
覚えがある。

舞台の幕代数十万。これも篤志家による寄付での購入だった。
幕の角に「○○建設寄贈」の文字が縫われていた。

ここまで見た
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  • 2013/02/17(日) 16:09:11
日本の教育費に占める私費負担割合が高いのは>>240でも示されている。

「我が国は,国民全体としては教育のために国際比較で平均程度の支出をしているものの,
 その多くは家計などの私費負担によって支えられており,それに比して公財政支出が少ない
 という実情がうかがえます。」

又、OECDの報告でも示されている。
「・教育への公財政支出は少ない
日本の公財政教育支出は、GDP比でも、一般政府総支出に占める割合でも、他のOECD諸国と比べてかなり低い。』

「・教育支出は私費に大きく依存
日本の教育支出に占める私費負担の割合は31.9%(09年)。チリ、韓国に続く3番目に高い数字で、OECD平均(16%)の2倍近い。しかもこの数字には、学習塾をはじめとする学校外の教育にかかる家計負担は含まれていない。日本ではとりわけ就学前教育(OECD平均の18.3%に対して日本は55%)と高等教育(大学や専門学校など)段階(OECDの平均30%に対して日本は64.7%)の私費負担が重い。」

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  • 435
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  • 2013/02/17(日) 16:42:53
>>427
検索して見ると、PTA全国協議会のサイトに戦前からの詳しい流れがあった。
ht
tp://www.nippon-pta.or.jp/ayumi/thesis/chapter2_1_1.html

(1)安易な学校後援会の衣替え
極めて短い期間内に、全国津々浦々の学校にPTAが組織されることになったが、それが可能だったのは、ほとんどの学校に戦前から運営されてきた親の会があったからであり、それらがPTAの直接の母体になったからであった。

わが国では、アメリカでPTA運動が始まった年の翌年の明治32年(1989)には、すでに、東京市に最初の学校後援会が結成されていた。
その後、多くの学校に、後援会、奨学会、父兄会、父母会、母婦会、母の会などの名称による団体が作られた。
表向きは教育の振興を目的としていたが、実態的には学校に対する物的援助(公費の補填)が主な役割だった。

当時、こうした旧組識の「発展的解消」により、PTAの結成を図るということが盛んに言われたが、結局は単に名称がPTAと変わっただけで、その内実はほとんど旧組識と異ならないというのも少なくなかった。
先の昭和23年の文部省調査報告でも、
「旧来のものをPTAに切り替えたもので、真にPTAであるものは極く少なく、おおむね後援会的性格を払拭できないで、単なる看板のぬり替えに過ぎないものが多い。」
とされている。

ここまで見た
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  • 2013/02/17(日) 16:54:45
>>427
君は以前、「昔の教師はみなすばらしかった」と書いていた。

君の頭の中では、「昔の学校はPTA会費の流用は少なく、先生方も時間外は無給で
働いていた」となっているのかもしれない。

しかし実際は、過去にさかのぼれば遡るほど保護者会の会費は、学校への物的援助と
して使われ、教職員への時間外手当として支払われていたのである。

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  • 2013/02/17(日) 17:45:16
>>436
>しかし実際は、過去にさかのぼれば遡るほど保護者会の会費は、学校への物的援助として使われ、
 教職員への時間外手当として支払われていたのである。

実に”都合の良い”お説、ですね。
まず、戦前の教育、特に明治初期の教育は私学に頼っており、当然、私費負担。
ところが、
「官公庁に対する寄附金等の抑制について」(昭和23年1月30日閣議決定)
地方財政法(昭和二十三年七月七日法律第百九号)
という流れで、過度の寄付、特に「月額幾ら」として徴収される寄付を禁止する流れとなっている。
これは「地方財政の健全化」を目的としており、平成19年には「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」
が制定されるなど現在まで”流れ”は続いている。
”お説”の通りだと違法状態が単に続いていることとなる。

次に >>240 の 「家計負担の現状と教育投資の水準(平成21年度文部科学白書)」における教育費とは、
[幼稚園〜高等学校の教育費は文部科学省「平成20年度子どもの学習費調査結果」に基づいて作成(単位:円)]
[大学の教育費については独立行政法人日本学生支援機構「平成20年度学生生活調査報告」に基づいて作成]
などとあるように行政の持つべき教育費に対する私費負担を示したものではない。

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  • 2013/02/17(日) 17:57:28
>>437
>君の頭の中では、「昔の学校はPTA会費の流用は少なく、先生方も時間外は無給で働いていた」
 となっているのかもしれない。

私が”昔”とする昭和30年代は多くの者がまだまだ貧しく、PTA会費も月額300円程度のものだった、と記憶する。
当然、袋集金であり、また、未納者も多かった。
そのような状況で、現代のような”行き過ぎた支援”など、有り得ない。

ちなみに、現代の当地のPTA会費は小学校で月額1,000円程度まで上がっており、
その3〜5割程度は学校支援金となる「特別会計」と「周年行事積立金」である。
「特別会計」の口座管理は校長に委嘱されていることが多い。

他府県の事例を見ても、PTA会費は月額300円程度であり、過度な支援は”建前上は”行われていない
こととなっている。

過度な支援が無いことは、PTAに関する文科省からの通知やPTA参考規約などを見れば明らかである。

当地では、これら事実が「隠蔽されているのでは」と思うくらい過度な支援が当たり前のように行われている。

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  • 2013/02/17(日) 17:59:50
>>436
>「先生方も時間外は無給で働いていた」

えっ?
今は「時間外手当」出るの?

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  • 440
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  • 2013/02/17(日) 20:05:49
以下は文科省が発した(正確には「小学校「父母と先生の会」(PTA)第二次参考規約
昭和29年2月4日 文部省父母と先生の会分科審議会)の「小学校「父母と先生の会」(PTA)第二次参考規約」
第4条第4項「公教育費を充実することに努める。」の備考からの抜粋である。

「公教育費とは、ひとり義務教育に限らず、およそ児童青少年の教育に係わりを持つすべての家庭教育ならびに
 社会教育の公的な教育費を意味する。
 これを確立することが、国民全体の責任であることは、憲法や教育基本法の明示するところであるが、
 特にPTAが「教育を本旨とする民主団体」としてこのことを目的にかかげるのは、じつに貧困な教育財政の
 現実の要請である。公教育費が確立すればするほど、PTAの学校後援会的な望ましからざる性格は払拭され、
 ひいては、PTAの活動がもっぱら児童・青少年の福祉増進にむけられるようになってくる。(親約第四条の四)」

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  • 2013/02/17(日) 20:16:40
他方、PTAの行う「社会教育」について、「社会教育法」第2条(社会教育の定義)では、
『この法律で「社会教育」とは、学校教育法 (昭和二十二年法律第二十六号)に基き、学校の教育課程として行われる
教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む。)
をいう。』
とされている。

つまり、社会教育法に定められる社会教育関係団体であるPTAは、「学校教育とは別の教育活動」と定義されており、
PTAの言う「公教育費の充実」とは「社会教育の公的な教育費の確立」を求めることにある。

何度も言っているが、「ゼロ校時講座」は法的には「私益」であって「公益」とは言えず、これを支援することは社会教育とはならない。
言い換えると、PTA活動で優先的に使用を許される”公共施設の無償使用の根拠”が無くなるということ。
つまり、ゼロ校時講座は住民監査請求の対象となり得る、ということだ。

逆に、「公益であり無償使用の対象」と判断されるのであれば、ゼロ校時は公費にて運営されるのが相当、ということになるのではないのか。

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  • 2013/02/17(日) 20:36:12
なるほど分からん、金持ちの子供は公立学校でも優遇されて、高い教育を受けることが出来る!ということですか?

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  • 2013/02/17(日) 20:42:07
>>442
なるほど(言いたいことが)分かった、そうゆうこと!ということだと思う。

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  • 2013/02/17(日) 20:44:57
444

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  • 2013/02/18(月) 01:17:43
このスレには、高校生を子に持つ親はどれぐらいいるの?
あまりにも、学校や教職員にアンチな輩が多い気がするんだが。

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  • 446
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  • 2013/02/20(水) 01:58:12
直情的且つ短絡的正義感で糾弾することは、ある種の爽快感は得られるかもしれない。

フリック回転寿司
フリックラーニング
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