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  • 604
  •  
  • 2009/01/07(水) 11:10:35
本当かどうかわからないが、某市議会議員は昔、牛頸では、
牛のとさつ場(殺す)があって、トサツで働く人が多くそれでそのような地名に
なったといっておられました。

ほぉ〜納得ですね〜

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  • 605
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  • 2009/01/07(水) 11:27:22
とさつ場があったって説、私がひらのちゅうがく時代にセンセから
聞いたのは地形が牛が横たわった形状に似ているって説もあるって。

>牛頚の由来

ここまで見た
  • 606
  •  
  • 2009/01/07(水) 12:39:46
>>603
精神的に病んでるんですね!同情しますw

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  • 607
  •  
  • 2009/01/07(水) 13:57:54
日本全国にウシクビという地名は
新潟県に二箇所(牛頸・ウシガクビ/牛首・ウシガクビ)
石川県に二箇所(牛首・ウシクビ)
と大野城市の五箇所しかない。
いずれも日本海をへだてて朝鮮半島に相対しており、朝鮮半島から対馬海峡を横断する
という位置にある。
『日本書紀』に
素戔鳴尊が新羅国に降到(アマクダ)りまして曽尸茂梨(ソシモリ)の処に居します
とあるが、素戔鳴尊は牛頭天王とも呼ばれており曽尸茂梨は古代朝鮮語の普通名詞で王
都の地の意味であり、
牛(ソ)の(シ)頭(モリ)ともなる事から、江原道春川にある牛頭山のことだという
金達寿氏の説もある。
現在は、牛頸と書いているが、享保三年(一七一八)の平野神社再建の時の棟礼には御
笠郡牛頭村、明治十七年の内務省の地名索引にも御笠郡牛頭村と書かれている。

そしてここには、六世紀から八世紀にかけて、渡来系技術集団である今来の才伎によっ
てもたらされた数百基の須恵器窯跡群が現在し、牛頸千軒七ケ寺の言葉が残されている
ように一大窯業地として一つの大村落を形成していた所である。
さらに、平野神社の祝詩『平野祭』の中には〜天皇(スメラ)が御命に座せ、今木より
仕へまつり来れる〜とあり、隣接して春日市惣利(ソウリ=ソウル)があること等から
この渡来系技術集団が故国の地名牛頭(ソモリ)を伴ってきたのが、日本語となりウシ
クビとなったのではないかとも考えられる。

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  • 608
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  • 2009/01/07(水) 14:14:04
607>
へぇ〜

勉強になります!

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  • 609
  • 名無しでよかろうもん
  • 2009/01/07(水) 15:13:51
>>607
なるほど…

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  • 610
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  • 2009/01/07(水) 18:40:53
このスレ、たっめっにっなるね〜!

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  • 611
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  • 2009/01/07(水) 20:21:51
>>598,604
それが本当なら、大野城は筑紫野、那珂川なみに同和問題があるはずだけどね。
しかし実際は春日、大野城は福岡市近郊では珍しく極めて少ないんだよ。同和対策特別事業が指定されたことが無いんだから。

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  • 612
  •  
  • 2009/01/07(水) 20:58:40
小林よしのりが牛頸だってホント?

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  • 613
  •  
  • 2009/01/07(水) 22:30:57
牛頸 >607追記

頭→頸→首と変化したが何れも頭(かしら)の意味。
何気なく使っている首相、首都、首席、首領の首(クビ)は頭(カシラ)の意味
戦国時代の首実検、首を差し出すという首の意味も、実際には頭をさしている。

牛という漢字には、大きい、立派、という意味がある。

したがって、牛頸=牛首=牛頭は大きく立派な頭、即ち首都、集落の中心の意味となる。
「牛頸千軒七ケ寺」の言葉が残されていることからも、牛頸は渡来人集落の中心・首都であったと考えられている。

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  • 614
  •  
  • 2009/01/07(水) 22:45:49
牛頸の地名は貝原益軒編纂の『筑前国続風土記』によれば、
平野神社付近(現在の牛頸地区)から見える西の山の形に由来するとされるが、

縄文時代の地理状況に由来するとする説
(当時付近には海岸線が存在した、ゆえに『入江』を表すアイヌ語の『ウシ』からというもの)、

6世紀頃から8世紀頃にかけてのこの地の渡来人村の名に由来するという説
(現在の朝鮮半島にあたる地域からの渡来人が故郷の関連名(牛頭)を
村の名としてこれが転訛したというもの)、

現在の牛頸とされている地区のどこかにかつて牛の首を切る場所
(いわゆる屠殺を行う場)があったことに因むとする説もある。

と各説があるみたいですね。

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  • 615
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  • 2009/01/08(木) 00:34:42
歴史的背景があっても音感が怖いので
やっぱ見直したいな。

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  • 616
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  • 2009/01/08(木) 00:51:16
>>615
牛頸の由来は>614の通り、諸説あるようですが新住民にとっては多少違和感があるみたい
牛頸神社から平野神社と呼び名が変わったのも神社側の希望でしょう
現在南ヶ丘団地と云われていますが、開発から入居当初は牛頸団地と呼ばれていたそうですね。

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  • 617
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  • 2009/01/08(木) 10:39:20
>>616
牛頸の平野神社は正暦年中(990〜994)に京都にある平野神社から
勧請され創建された時から正式名称は平野神社です。
牛頸神社は地元民による通称ですよ。

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  • 618
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  • 2009/01/08(木) 11:16:16
602 名前: 名無しでよか? 投稿日: 2009/01/07(水) 04:49:31 ID:znrigGCY [ ntfkok059147.fkok.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp ]
牛頸神社って呼ぶのは地元民で、神社側は昔から平野神社と云っていたらしいよ

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  • 619
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  • 2009/01/08(木) 12:56:04
6世紀に渡来した陶工技術集団は故郷を懐かしみ

詠史詩  左思の詩

振衣千仞岡
濯足萬里流

から、牛頸神社横にあり、平野台の宅地造成で崩された現平野台A公園にあった山を「衣振山」
牛頸山を源として中央霊園前から平野台の北側を通って牛頸側に流れる川を「足洗川」と命名したとされている
その当時に、この地区の最高峰を「牛頭山」と同義の「牛頸山」と命名した。

他の説は思いつきの域をでないもの。
牛頸の地名に誇りを持ちましょう。

注釈)
振衣千仞岡俗:千仞の高い山で俗塵を払い落とし。
濯足萬里流:俗世間で附いた足の穢れを長い川の流れで洗う。

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  • 620
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  • 2009/01/08(木) 13:19:56

>>614
同感。
「うしくび」の語感だけで嫌うのは・・・

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  • 621
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  • 2009/01/08(木) 17:01:53
>>612
牛頸の超ド田舎ぶりを描いたマンガを描いてるよ。

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  • 622
  • 名無しでよかろうもん
  • 2009/01/08(木) 17:15:43
小林よしのりが牛頸?
『おぼっちゃまくん』も書いてたんですね(゚∀゚)

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  • 623
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  • 2009/01/08(木) 17:22:35
あと、小林の父親が僧侶で牛頸ダムの近くにある寺と関係があったらしい。

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  • 624
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  • 2009/01/08(木) 17:34:53
牛の首をきるっていっても牛は江戸時代までは農村部では貴重な労働力(トラクターなどと同じ)で病気や歳をとらないと処分しないと思うがなあ。
産業として行う皮革や肉の処理なんて需要地の近くで行うもので牛頸みたいなド田舎でやってたとは思えない。

牧場はあるけど、あれはもともと下大利にあったのが(下大利の開発で30年くらい前に)移転してきたものだしな。

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  • 625
  •  
  • 2009/01/08(木) 17:49:21
牧場は太宰府市干頸です

ここまで見た
  • 626
  •  
  • 2009/01/08(木) 17:52:04
牛頸で牛の首を切ってたかどうかは知らんが、戦国時代に山賊やら落ち武者狩りをやってたのは確からしい。

先祖たちが狩った落ち武者の供養をしてる家があるよ。

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  • 627
  •  
  • 2009/01/08(木) 21:56:53
>>619
6世紀に陶工集団が渡来したというのは歴史的に全く正しくありません。
牛頸窯跡群の操業が始まる6世紀段階には、すでに須恵器製作は列島の文化として定着しており、
牛頸窯跡群に定着した陶工集団は日本人と考える方が妥当です。
おそらく、那津の官家の成立などを要因とする在地の豪族の再編に伴って、
分散していた工人達が一カ所に集められたものと考えられます。

従って、牛頸の地名と渡来系部族との関連はそれこそ想像・思いつきの域を出るものではなく、実証性はありません。
このことは、石川・新潟の牛頸関連地名に渡来系部族の色がほとんどみられないのと同じです。

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  • 628
  •  
  • 2009/01/08(木) 22:11:13
もの凄いスレになってきましたなw

ここまで見た
  • 629
  •  
  • 2009/01/08(木) 22:28:33
同感 つまんないうんちくスレになっちゃったね

ここまで見た
  • 630
  •  
  • 2009/01/08(木) 23:03:49
クソスレ!クソスレ!クソスレ!

ここまで見た
  • 631
  •  
  • 2009/01/08(木) 23:06:31
歴史を知る上でいいスレになって来たぞ。
ついでに戦国時代もお願いしたい

ここまで見た
  • 632
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  • 2009/01/08(木) 23:16:20
603
だよな
自分で調べろよ

日本の陰謀 (1)

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  • 633
  •  
  • 2009/01/08(木) 23:34:22
まぁまぁ、よいではござらんか。

そう言えば以前、大丸パチンコの前に「筑紫?」なるそば屋がありましたな?

移転などではなく、完全になくなってしまったのでしょうか?

詳しい人はおりませんかな?

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  • 634
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  • 2009/01/09(金) 00:06:58
>>633
大丸パチンコって南ヶ丘の?今はもうないけど。

そこのむかいにあったそば屋さんはご主人が倒れたので店舗そのものも売却して廃業してしまってます。

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  • 635
  •  
  • 2009/01/09(金) 00:18:48
>>633
そうです。
一時期、息子さん(?)らしき人が店を任されていたようでした。
私の中では、「武蔵そば」以上の店だったと記憶しています、
常連さんもたくさんおられたようです。
お吸い物に柑橘を入れる手法など、実に「味」がある店でしたな。

ここまで見た
  • 636
  •  
  • 2009/01/09(金) 00:28:23
>>624
牛頸が屠殺場というのは語感から来た俗説でしょう。
私も牛頸と言う地名を聞いたときに教えられた訳でもなく勝手にそう思い込んでしまいました。
考えてみれば牛の屠殺は昔は忌み嫌われる職業だったので(書きにくいのですが、いわゆる同和問題に関係する場所)
人里離れた場所になる筈なのですが、そのような場所に由緒正しい重要な神社が同時に置かれると言うのはやはり考え
られませんね。

ここまで見た
  • 637
  •  
  • 2009/01/09(金) 00:39:08
話題をすり替えたつもりでしたが、失敗に終わったようですな。

帰納法と演繹法を思い出せば、己と答えも出てくるでしょう?

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  • 638
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  • 2009/01/09(金) 11:04:40
屠殺場で牛を殺すときに首切ったりしてるか?
それは豚の殺し方じゃね?
牛を殺すときは頭蓋骨を割るんだよ、普通は。

ここまで見た
  • 639
  • 名無しでよかろうもん
  • 2009/01/09(金) 13:43:02
まーだやってんのかよ−y( ´Д`)。oO○

ここまで見た
  • 640
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  • 2009/01/09(金) 14:44:08
なんか地域の形がうしくびに似てるんだと言ってたよ地元民

ここまで見た
  • 641
  •  
  • 2009/01/09(金) 19:14:43
天正14年(1586年)薩摩勢が筑前を攻略した際、筑紫氏の武将が「牛頸城」を守ったとの記録がある。
>>619の通り、「牛頭山」「牛頸山」と呼ばれていたと考えるのが妥当でしょう。
しかし>>607が引用している『日本書紀』の牛頭天王が牛頸に関係しているとすれば、平野神社ではなく
祇園社(八坂神社)の分霊になっていたと思われます。

ここまで見た
  • 642
  •  
  • 2009/01/09(金) 20:17:46
21朝鮮半島におけるソシモリ(牛頭、牛首)については、中国神話上の炎帝神農氏が人身牛頭の薬神・太陽神であり、素戔嗚尊が牛頭天王と称されたこと等と関係しよう(なお、少彦名神は薬神とされる)。牛頭という地名は、江原道春川の牛頭山ほか、慶尚北道の慶州・金泉、慶尚南道の陜川・居昌、江原道の原州、咸鏡南道の甲山、全羅南道の光州に合計八箇所ある、と朴成壽氏が指摘する(「牛頭山と素戔嗚」『古代海人の謎』)。氏の指摘には、いくつか興味深い点があり、それをあげておくと、
?春川の清平山南方に牛頭大村があるが、これが貊国の昔の都邑地である、
?牛頭山は最高の山、山のなかの山という意味で、具体的には白頭山(太白山)を指すが、その一名を根山、阿斯達ともいう。
 なお、太白山(太伯山)や白岳山阿斯達は、桓雄や檀君に関係深い地名であることに留意される。伽耶の安羅の付近にも牛頭山があり、これは慶尚南道の伽耶山(標高一四三〇M)のことである。このほか、『三国史記』には新羅の牛頭州(巻二)、楽浪牛頭山城(巻二十三)、『書紀』欽明十三年条に「新羅之牛頭方」の記事があり、そのうち後二者は平壌ないしソウルの付近とみられる。

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  • 643
  •  
  • 2009/01/09(金) 20:28:14
文献的にみると、系譜史料も含めて、天皇家ないしどこかの地域の君長の祖先が朝鮮半島から渡来してきたと伝えるものは、『姓氏録』の諸蕃氏族を除くと、殆どない。では、皆無かというと、そうともいえない記事が『書紀』に見える。それは、その第八段(宝剣出現)の一書第四および第五の記事であり、素戔嗚尊がその子・五十猛神を率いて新羅国に天降り、そこから舟を作って出雲に渡ったとあり、また、五十猛神が天降りの際に多くの木種を将来したが、韓地には植えずに、筑紫より始めて列島内に木種を播いたと記される。そうすると、韓地からの渡来地はむしろ筑紫であったことにもなる。素戔嗚尊の関係の地として、ソシモリやクマナリがこの記事に見えており、ソシモリが牛頭の意、クマナリが熊川・熊津であれば、朝鮮半島内にはいくつか、これに該当しそうな地名もある*21。日本でも、牛頭に通じる牛頸・牛頸山が筑前国御笠郡(現福岡県大野城市南部)にあり、同地には伽耶に源流をもつ須恵器の窯跡群(日本の三大窯跡群の一)がある。

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  • 644
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  • 2009/01/09(金) 20:48:45
ウザイ

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  • 645
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  • 2009/01/09(金) 21:30:35
急にスレが増えたなww

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  • 646
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  • 2009/01/09(金) 22:22:42
牛頸大人気w

まあなんだ。
いくら歴史と伝統のある地名といっても、やはり現代では嫌がられるのが紛れもない事実なんだ。
昔から住んでるジジババはいいかもしれんが、これからのこの地区のことを考えるとね。
大野城市は改名を真剣に考えてくれないかな。

住民投票なんてできないものかね・・・

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  • 647
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  • 2009/01/09(金) 23:03:38
ミサワホームの辺りは以前は牛首って住所だったけど・・・

ミサワホームが嫌気を感じたのか、宮野台って住所に変更になったしな。

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  • 648
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  • 2009/01/09(金) 23:16:56
飛鳥の実家って大野城だったよね〜?

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  • 649
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  • 2009/01/09(金) 23:27:50
大野北小のはず

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  • 650
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  • 2009/01/09(金) 23:57:58
http://www.geocities.jp/usikubi0455/usikubi.htm
このHPは結構詳しいのではないでしょうか?

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  • 651
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  • 2009/01/10(土) 00:16:58
地元の非常にローカルな歴史って、なかなか資料も見つからないからこうやって
知ってる人から色々教えてもらえるのは大変ありがたい。
太宰府あたりなら資料も沢山あるんだけどね。

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  • 652
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  • 2009/01/10(土) 00:52:45
>>647
ミサワは「ニュー南ヶ丘」と言う名称で分譲していた。住居表示は牛頸のまま。まあ売りずらかったのは確かかもしれない。

ミサワの持ち分が完売した後、平成2年頃市の要請で住居表示が変更になった。
宮野台は市が用意したいくつかの候補の中から住民が選んだ。

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  • 653
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  • 2009/01/10(土) 01:06:46
>>635
ご主人が倒れた後、奥さんと息子さんでやってたけど、ご主人の入院の付き添い、リハビリなどの負担が大きく
店の建物も老朽化で建替えもしなければならない状況で営業継続を断念したようです。
また跡地購入を福銀が強く要望してたので店舗売却がスムーズだったとか。

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  • 654
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  • 2009/01/10(土) 01:17:45
紫台のフェニックスのむかいにある「しげまさ」って言う焼鳥屋は以前下大利駅近くにあった「しげまさ」が移転したもの?

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  • 655
  •  
  • 2009/01/10(土) 01:44:32
>>653
そうですか。切りカブのイスなど、実に風情がありました。
小さな庭も、日本庭園を意識した造りとなっていましたな。

福銀の駐車場を見る度に、心のふるさとを失った気分になってしまいます。
ついでに言うなら、あそこの福銀は、交通渋滞の諸悪の根源です。
駐車場を増設したところで屁の突っ張りにもなっておりません。
バス通り、一方通行、幅の狭い道路など問題は山積みです。

願わくば、近くの条件のよい場所に移転してもらいたいものですな。

砂時計アラームタイマー
フリックラーニング
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