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どうも。自己愛サイト管理人のyuuです。
質問あったらどうぞ。

俺にはもう時間がない。必要とされる情報を効率的にサイトに反映していきたいと思いこのスレを立てた。
スレの趣旨やルールは必要とあらば逐次書いていこうと思う。

ホームページ
自己愛性パーソナリティ障害と向き合う ―人を尊敬し愛するために―
http://www.geocities.jp/moraharajikoai/

ここまで見た
  • 50
  •  
  • 2012/01/09(月) 22:26:51.96
>>45
>だとしたら、等身大のあなたで良いのだ、というメッセージを送ってやれば
自己愛から回復するのではないかと思うのだが…どうでしょう

これは自己愛本人が追いつめられて、「変わる!」っていう意志をもたない限り、ちょっと難しい。
今まで人生を規定していた誇大的な理想は全部捨てなきゃいけないから。
強迫観念をはずさなきゃいけない。

これはやっぱり、治療環境じゃないと、できないと思う。

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>>47
回り道は一番の近道ですよ。
きつい言い方には、その感情を読み取るのではなく
要点だけ押さえればいいのですから。私は気にしません。

>>48
私は男なんですけれど、自身が母親になっていたので、
同性愛的思考に陥ってましたよ。
それに気付いた時人を好きになることが、
他人を求めることが解りました。
ある女性が頭の中に出てきたので、面白おかったですよ。

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自分が他人を愛していいのか、その人ににつり合わないのではないか
という不安はありました。
愛の存在は知っていて、他の家族にある微笑ましい一面に愛を感じることはありました。

ここまで見た
  • 53
  •  
  • 2012/01/09(月) 22:41:31.04
>>51
本当に色んな人がいるね。
回り道は確かにそうですね。

人を好きになる(求める)ことと、愛することとは違うけれど、
好きにはなったということ?

なるほどそちらですか…
その同性愛の仕組みと NPD の関係はよく説明されてるけど、
それですか?

なんか不思議だ。

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付き合っている人がNPDかもしれません
NPDについて調べていたらスレ主さんの
ホムペに辿り着きました

もう別れようというとこまできていますが、
最後NPDの可能性のある彼と向き合って
みようと思います

どこか生きづらそうな彼の未来のためにも
その可能性を伝えてみようと思います

そのためには、まず自分がNPDについて
深く理解しなくてはなりませんね
でないと、相手に解ってもらうことなんて
できない

ま、頑張っても解ってくれないかもしれないし
怒りしか残らないかもしれないけど、頭の片隅に
でも入れば、いつか、また行き詰ったとき
思い出して何か変わるかもしれないから


スレ主さんのホムペ参考になります

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  • 55
  •  
  • 2012/01/09(月) 22:47:53.12
>>52
確かに愛の存在を外から見て理解はできるけれど、あなたの中にはありますか?
つり合わないというのは、レベルがつり合わないということか、
それとも「ありのままの自分を知られたら絶対に幻滅される、拒否されるにちがいない」
という確信めいたものゆえに最初からつりあわないことにしているのかどちらですか?

何かちょっとなんとなくわかったような気がしないでもない。

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>>53
同性愛とNPDの仕組みについては軽くしか読んでいませんが、
私の場合と同じ過程かと思います。
ただ、私は同性愛の性的接触に嫌悪していたので、
自身が何者なのかハッキリしませんでした。
今は、好きになることがどんな人なのかが解った状態なので
人と会うことから始めなければなりません。

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>>55
客観視した時、微笑みが自分に向けられれば、
どんな形であれそれは愛と呼べるものと私は思っています。
愛を語ったことがないのでそれしか言いようがありませんが。ごめんなさい。

つりあわないと考えるのは、何もない私に付き合う人があるのなら
それは相手が可哀そうになるから。自己肯定感がないということです。

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  • 58
  •  
  • 2012/01/09(月) 23:06:08.63
>>54
読んでくれてどうもありがとう。
参考になったならすごく嬉しい。

彼氏が NPD かもしれないということだけど、
おっしゃる通り、伝えてみても怒りしか残らない結果に終わるかもしれない。
向き合うことは大変だし、あなたが傷つくかもしれない。

だけど、それは相手の心には、必ず残ると思うんだ。ソースは俺。
NPD は中々変わる事はできないけれど、だけど真剣に言われた言葉って、
すごく響くし、心の片隅に間違いなく残ってる。

頑張るのもいいけれど、無理はしないで下さいね。
あと、ありがとう。


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  • 59
  •  
  • 2012/01/09(月) 23:17:54.99
>>56
ということはおっしゃる通り母親になってたんですね。
かつて愛されなかった自分を対象と置き換えて接する事を通して、
男性である自分自身を愛していたと。
ただ自分とは違うから、難しいです。

愛というのは色んな規定ができると思うけれど、
私がいっているのは感情のことです。
多分この感情がわかれば、「あっこれが愛なんだ」ってすぐにわかると思う。

逆に言えば、そういったものを体験したことがないと、
愛という者がどういうものかわからないということになる。
「愛」という感情、わかりますか?

自己肯定感がない…ありのままの自分は無価値だということだよね。

これじゃ多分俺は参考にならないなあ(´・ω・`)


ここまで見た
  • 60
  •  
  • 2012/01/09(月) 23:23:35.77
>>36
何度も読んでみたけど、私の家よりもすごくタイトなんだと思う。
後これはなんとなくだけど、多分自覚してからはすごくよくなったんじゃないかな。
それがセルフエスティームのおかげなのかな。

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横から申し訳ない

>>42
>「自己愛の傷は早期幼児期の障害であり、癒すには母性的、成長促進的なものが必要である。」(p197)

>ひとつは成長するために理想の母親を求め続けるというのがある。

>>49
>自分を成長させてくれる内的なものも求めている。

自己愛の問題と離れるかもしれないし、個人個人で異なるものだろうけれど、
「成長」ってどういうことを指すんだろう
どういう状態/状況/相手を「成長させてくれている」と感じるのだろう

ここまで見た
  • 62
  •  
  • 2012/01/10(火) 01:47:53.20
>>61
いえいえようこそ。
これはむしろ自己愛性人格障害の核心です。
これには前提がいるから、まずは以下を読んで下さい。

>彼らは両親から明確な虐待を受けた人ではない。両親の愛情が乏しい人でもない。比較的整った家庭で育ち、両親の社会的地位も高い人が多い。
両親像は様々であるが、父親が自己愛性パーソナリティ障害傾向をもち、母親の共感性が乏しいというパターンが比較的多いように思う。

多くの患者は「母は自分がいくら間違っても絶対に『悪かった』とか『ごめんね』といいませんでした。必ず『だって…』と自分を正当化する。
『それはあなたのためよ』ともいう。それで結局私が悪いということになってしまうんです」ということをいう。
思いやることの乏しさと共感性の乏しさと、不安のレベルが高いことなど、自己の防衛が頻繁に発動される例である。

多くの家族は結果主義である。「いつも結果を求められていました。95点をとると、『なぜあと5点とれなかったの』と叱られるんです。
私はいつも完璧でなくてはいけなかったんです」「グズグズいわずに結果を出せというのが父の口癖でした」

養育の早期切り上げも多くの症例でみられる。すなわち、子どもを早く自立させ、輝かしい子どもになってほしいという親の自己愛の対象にされているのである。
彼らは甘やかされているが、甘えを体験していない(「甘えるという言葉はわかるけど、それがどういうものかさっぱりイメージがわきません」という)。
親の子どもに対する期待は大きい。親が実現できなかった欲望、得られなかった欲望という、親自身の欲望の照射を受けて養育されているのである。
それは無意識下に行われるので、親も子どもも気がつかないまま進行するのである。そこに無条件の愛の欠落がある。


ここまで見た
  • 63
  •  
  • 2012/01/10(火) 01:48:56.32
分析が進むと、彼らは「両親は自分に計算や打算が働いている」「確かに大切に育てられたとは思うけど、自分は無条件には愛されない。
自分が認められるには条件がいる。それが何かはわからないけど」と語る。「自分は生まれてきたくなかったのに、
親が勝手に生んだのだから責任をとってほしい」「生まれてきてごめんなさいという感覚がいつもある」という。
こうした無価値感、自己不信感、愛されていることの疑惑は兄弟に対する嫉妬と羨望の感情と併存している。

生のシステムとして幼い子どもは母親を鏡として使い、親の顔をみてその喜ぶ顔をみようとする。
期待に応えようとする行動自体はおそらく合目的的な行動であり、この行動によって子どもは学習し、適応を獲得していくのである。
母親も自分を頼りにして愛情に反応する子どもを必要とする。もし親の自己愛が病理的あれば、
子どのそうした無力を利用して自己愛を満足させる道具として使い、あるいは自己の不全感や
「果たせなかった欲望」という自己愛の傷つきを子どもに照射して「輝かしい子どもという期待」をもって養育に当たるだろう。
そこに「自分は無条件には愛されない」という強力な幻想を生み出す基盤を用意させる。
兄弟葛藤はいっそう事態を促進させる。すなわち愛の独占が一方的に奪われるのであり、嫉妬と羨望のルーツはそこからも生じる。(中略)

無条件には愛されないという強力な幻想をもつ子どもは、愛されない、
愛される価値がないという無力感と無価値感を防衛するために万能的な自己を発展させる道を選ぶ。
「僕はみんなから仰ぎみられるような存在になって、母が初めて自分の偉大さに気づいて改心し自分のところに戻ってくることを幼いときに夢想していました」
「自分は天才だから母親の愛情なんていらないと思っていました」と語る文脈は誇大的自己が愛されない、
自分を愛せないことの防衛であることを物語る。たとえてみると、彼らは食べたいごちそうを前に母親から


ここまで見た
  • 64
  •  
  • 2012/01/10(火) 01:49:19.25
「これは全部あなたのじゃないの! 先に食べないで」と叱られた子どもがすねて「僕、いらないよ」と席を立つ姿に似ている。
愛を拒否するのは幼い子どもの意地(自尊心)であろう。ある患者は「自分は子どものころに何か引き合わない取引をしたように感じる。
多分、甘えることと引き替えに、誇りを手に入れるような」と語っている。
愛と甘えを断念した子どもが次の発達段階で獲得するのは自尊心という切符である。裏には自己不信が印刷されている。

現代の親はいくつかの幻想に支配されている。たとえば、子どもを早く自立させなければならない、
親は子どもの自由を奪ってはならない(自己決定権は子どもにゆだねる)、
好きな道で才能を伸ばさせたいなどである。そのほか高い教育を施さないと将来幸せにはならない、
その道でリーダーシップをとれる人間にしたい、人気のある子どもにしたいなど、親の欲望もある。
それらは彼らの確たる信念であり、強迫的ともいってよい観念であり、彼らに疑う余地もないような自明なこと、
社会の共通価値基準だと信じている。しかし子どものある時期は親の存在を必要とし、
親に依存し、保護される必要があるのである。幼児期における世界への参入には親のサポートを必要とするものである。
そして子どもの正常な向上心の発達には手応えのある大人との出会いを必要とする。
手応えのある大人とは優しくて、強くて、わかってくれる大人であり、この3つの要素の一つでも欠いた大人は手応えのある大人とはいえない。
優しくて物わかりがよいけど力強さが欠ける大人、強いが、優しくない大人は大勢いる。
そうした手応えのある大人との出会いを通じて子どもたちは自分たちの幼児的万能感を譲り渡すことができ、自分もそうした大人になろうと、
向上心を発達させていく。治療では誇大的自己を映し出す立派な鏡として治療者を利用する
理想化転移・鏡像転移が治療推進に大きな力をもつが、治療者が手応えのある大人である役割を引き受けることの治療的意味もそこにある。

市橋秀夫 自己愛と人格 より一部抜粋 http://www.geocities.jp/moraharajikoai/thesis.narcissism.html


ここまで見た
  • 65
  •  
  • 2012/01/10(火) 01:50:00.31
NPD は子ども時代を積み残したまま次の段階に進んでしまっているから、
自分の中に「内なる子ども」ができてしまう。
その子どもは何故大人になれなかったかというと、上にあるように、「無条件の愛」を経験していないからなんだ。
それを貰えずには子どもは次の発達段階にはいけない。そこに心理的「欠損」が生じる。その無条件の愛というののが、いわば「理想の母親」が与えてくれるものなんだ。
NPD は治療環境において、そういった過去に貰えなかった理想の母親が与えてくれるようなものを求める(自己愛転移)。
これが、いわゆる育て直しの過程と言われるものです。
そういったものが与えられて、自分に「ありのままの自分でもだいじょうぶなんだ。愛される価値があるんだ」という感覚が育まれてくると、
次第にそれがなくても生きていけるようになる(変容性内在化)。そうして、欠損が修復されて理想の母親を希求しなくてもよくなる。
すなわち、自分を受け止めて評価してくれるような人がいなくても、等身大の自分を信頼してありのままに生きていけるようになる。
こんな感じです。

>どういう状態

母性にあふれた、外見的も含めた理想的な異性に自己開示をできた状態

>状況

極端なことを言えば、2歳児のような自分をありのままに愛してくれる状態(※ タイムリミットは失望するまで)

>「成長させてくれている」と感じる

理想的な異性にありのままの自分をさらけだしても、嫌いにならずに愛してくれている時

参考になれば嬉しい。

ここまで見た
  • 66
  • 61
  • 2012/01/10(火) 18:38:10.43
どうもありがとう。長文大変でしたよね、申し訳ない
とてもよく理解できました
自己愛には迷惑をかけられてもどこかかわいそうに思ってしまう自分がいたんですが
やはりそう思わせるだけの背景があるんですね

>>65
>>どういう状態
>母性にあふれた、外見的も含めた理想的な異性に自己開示をできた状態
>>状況
>極端なことを言えば、2歳児のような自分をありのままに愛してくれる状態
>>「成長させてくれている」と感じる
>理想的な異性にありのままの自分をさらけだしても、嫌いにならずに愛してくれている時

こういう相手を見つけられたとして、それでも

>(※ タイムリミットは失望するまで)
>>49
>必ず、「失望」するから。だから新しい相手を求め続ける、そのサイクルが延々と続いてしまうんだ。

なんですねぇ…失望してからのリカバリーはあるのかな

ここに相手からの恋愛感情が絡むと共依存も誘発しやすそうですね
特に、見捨てられ不安のあるボーダータイプが相手だとズルズルいきそうだ

ここまで見た
>>59
私は愛を知らないかもしれませんね。
感情が湧きにくいタイプですし。

母親になっていたのは、自己主張しすぎる祖母から
母を守りたかったからなんです。
私が母と同じようになれば、家族が円満になるから。

ここまで見た
  • 68
  •  
  • 2012/01/10(火) 22:01:36.92
>>66
わかってくれたなら良かった。

見捨てられ不安を持っている人とだったらずるずるいくと思いますよ。
結構そういう組み合わせの人達は多いんだと思う。

失望してからのリカバリーは…難しいと思います。
私は無理でした。心がピクリとも動かない。何も感じない。怒りの対象でしかなくなりました。
スマソ…

多分それを正すとなると、治療をうけて、新しい自分で過去を再体験して、
少しずつ評価を変えていくしかないんだとと思います。
それはすごく時間がかかることだし、ちょっとわからない。

そう評価できる人が増えるといいんですけどね。

ここまで見た
  • 69
  •  
  • 2012/01/10(火) 22:06:58.32
>>67
多分「愛をわからない」と言う人は、わからないんだと思います。
だけどきちんと治療できれば、その過程で愛がどういうものかわかるようになるんだと思います。
多分それが得られたら、もう終結は近いと思います。

感情がわきにくいのは、私もそうでしたよ。
偽りの自分をつくっていくから、本当の自分がわからなくなる。
それが、家族を円満にするためにあなたがつくりあげた自分じゃないですか?
自分もそうでしたし(本当の自分は殺した)どれが本当の自分かわかるまで時間がかかりました。
2歳の自分が本当の自分でした。

ここまで見た
自己愛なんて、そもそも他人に失望なんて偉そうできる立場の人間じゃねーのにな
支えてやろうなんて思うことないぞ
リカバリーは効かないとかな
何様なんだよって話で

他人がドンドン離れて行くのは自業自得なんだから
ほっときゃいい

ここまで見た
>>70
同意

ここまで見た
  • 72
  •  
  • 2012/01/11(水) 20:11:35.62
それが普通の人の感覚なので、そうやって離れた方がいいと思いますよ。
それが一番傷を負わない方法ですし、自分の健康が一番だと思います。

ここまで見た
  • 73
  •  
  • 2012/01/11(水) 20:21:16.51
以前自分がここで書いた同性愛に関する記述は、フロイトの考えたもので、
経験的・臨床的蓄積に乏しいものでした。というか、そういう箇所は本にはほとんど書かれていないし、
自分には当てはまらないことなので、意識してなかったです。

ただ、今はコフートの「自己の分析」を読んでいますが、同性愛に関する自己心理学的見解及び、
アプローチがp64〜詳しく書かれていました。

それによると、なぜ NPD が性愛化するかというと、緊張を緩和するために、
自己愛的内的平衡を保つ為に、理想的・誇大的・万能的男性と同一化することで、
内的不安や緊張を防衛しているそうです(超おおまかに書いた)。
だから多分対人恐怖型の人がそういう傾向が強いらしいです。

私にはそういったものが全くないのでサイトにはまとめていないので(わからないから)、
ご参考までに。

ここまで見た
>>73
同性愛的思考の話になると、私かな。
恐らくはその誇大感がもたらすものとして、
人の体形を重視するタイプがその同性愛の基軸になっていると思いました。
均整のとれた肉体を求めるタイプがそうであるとされていませんか?
でも、同時に自らも同じ均整のとれた肉体を持つことでモテようとする、そんな人もいます。
オネエ系と呼ばれる人の心理しか私には解らないので、これにて。

ここまで見た
岡野 憲一郎著:恥と自己愛の精神分析―対人恐怖から差別論まで
これを注文しました。再版はなく、中古でしか現在入手できないようです。

2ちゃんねるの過去スレで自己愛潜在型のスレッドがあったようですね。
自己愛性人格障害 過剰警戒型part5
このスレの>>2-5に診断テストがありましたが、
私はそれにも引っかからず、対人恐怖症に分類されてしまいましたよ。
自己愛の亜型が私なのかもしれません。

ここまで見た
  • 76
  •  
  • 2012/01/14(土) 02:12:14.74
>>74
そうですね、美しい肉体の追求については書かれてます。
2丁目にいる方の中には自己愛の病理を抱えている人もいるんでしょうか。
ですが私が同性愛に関する自己愛の病理を考えて浮かんでくるのは三島由紀夫とかなので、
ちょっとイメージが違うんですよね。

岡野憲一郎さんのものは論文を読んでわかった気になっているので読んでませんw
おすすめできる内容だったら、そう言って下さるとありがたいです。読んでみますので/)`・ω・´)

過剰警戒型のスレッドはざっと読んだことがありますが、昔からマジメに悩んでる人もやっぱりいるんですね。
その頃の住人で、今の本人スレにもいる人とかもいるのかな?こればっかりはわかりませんが…
自己愛スレには長くて数年いても、自分なりの生き方を見つけて、みな卒業していくんだろうなーと思います。


ここまで見た
本家サイトの更新、ありがとうございます。

率直にお聞きしてしまいますが、ご自身に多大な影響を与えた
最後の彼女さんと、治療に区切りがついた時点で
もう一度お付き合いし直したい、という希望は持っていらっしゃるのでしょうか。
件の彼女さんに対する思いは、大層深いものに見受けられましたので...
不躾なご質問ですみません。

ここまで見た
  • 78
  •  
  • 2012/01/15(日) 23:34:32.15
>>77
もう一度つきあいたいという希望というか期待は少しならありますけど、
どちらかというと、自分と一緒になって欲しいというより、とにかく幸せになって欲しいです。
彼女は私と別れた後新しい彼氏が出来て、その男性と長くつきあってますし、
性格もすごく良いらしいので、多分幸せになれるんじゃないかと思うんですよね。
治療を受けてから彼女と話もしましたが、もう二人の中で区切りはついてるんです。

本当に幸せにさえなってくれたら本望です。

いや本当にどうしようもないスレなんで何も気にしないで下さいwww

ここまで見た
  • 79
  •  
  • 2012/01/15(日) 23:44:52.58
彼女を理想化してたんですよ俺は。
それは治療記録の頃でさえそうかもしれない。
人を愛するというのは本当に難しい。。。


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理想化していた女性から罵倒されたらどう思いますか

ここまで見た
  • 81
  •  
  • 2012/01/16(月) 00:37:50.85
んー理想化しきってたら普通の人と同じような反応をすると思うよ。落ち込むとか。
ただ、理想的対象として追い求めている段階だったら、失望に転じて、幻滅すると思う。
相手が理想的な人じゃないと愛せないというのは事実なんだけど、
それよりもニュアンスとしては、理想的な相手じゃないと「自分が苦しくて耐えられないから愛せない」んだ。
だから対象を主体的に選別しているというよりは、感情によってそう行動せざるを得ないという感じだと思う。

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そのばとうが

ここまで見た
すまん

その罵倒の内容が完全に正しくても
自己反省には至らないんだよね、当然



ここまで見た
  • 84
  • 優しい名無しさん
  • 2012/01/16(月) 22:13:19.35
はじめまして。精神分析学に関係した人々の更新見ました。
カーンバーグの境界性パーソナリティ構造の欄に「強いストレスを受けると一過性に
現実認識が混乱し、精神病的状態を呈することがある」とありましたが、NPDでは
「自己愛憤怒」がそれにあたるのでは?と思ったのですが・・・どうでしょう。

ここまで見た
  • 85
  •  
  • 2012/01/17(火) 02:16:35.83
>>83
直した方がいい指摘なら自己反省に至ることもあるだろうけど、
自己愛性人格障害そのものに関してだと、治療にまではすぐには至らないと思う。
二人の関係性次第だと思う。

ここまで見た
  • 86
  •  
  • 2012/01/17(火) 02:20:44.10
>>84
はじめまして。
思い返してみると、追いつめられた自己愛者の言い分だとかを考えると、
自己愛憤怒に当たる事もあるかもしれません。
ただ、境界性人格構造は自己愛性より機能性の低い境界性とかシゾイドだとかを含む概念なので、
そういうタイプの人の妄想とか幻聴、幻覚だとかを精神病状態と言っているんだと思います。
ただ、自己愛憤怒の極度の怒りは半端ではないので、外から見ると
精神異常者にしかみえないこともあるかもしれません。


ここまで見た
  • 87
  •  
  • 2012/01/17(火) 02:27:03.06
自己愛憤怒は一つには万能感を傷つけられたときの怒りで、
もう一つは見捨てられることへの怒りです。

「(自己愛憤怒と見捨てられ)
最も幼い子どもでも、憤怒を通して養育者を近くに呼び寄せている。ボウルビーは、
近さとふれあいに対する欲求の満足が不断に剥奪されると、徐々に「機能不全」の怒りが発展してくる、
という。このような怒りになると、子どもがもともと目指していたことを通り越して、
ふたつの矛盾した信号が同時に発せられてしまう。「私に近寄らないで、あなたなんか嫌い」という信号と、
「近くに来て、あなたが必要なの」という信号である。この意味で、自己愛憤怒は見捨てられ行動のひとつと言えよう。
実際、自己愛憤怒は見捨てられを表しているとともに、それを防衛することも目指している。」
(p148) 自己愛障害の臨床 カトリン・アスパー

身近にいても爆発的怒りをあらわにするし、かといって離れていくときにも怒ったりします。
大変なんです本当に…


ここまで見た
いや、大変な思いするのはあなたじゃなくて周囲だから
そこを間違っちゃダメでしょ

自己愛憤怒そのものが引鉄になって、見捨てられることがあるとおもうけど
それって、憤怒が去ったあとで冷静に反省出来たりする?

ここまで見た
  • 89
  •  
  • 2012/01/17(火) 02:42:53.36
そういう意味で言ったわけじゃないですよ。

冷静に反省することもあると思います。
ただ NPD は本当に外罰的、他責的な思考に陥っているので、
反省しないことの方が多いと思いますよ。

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ピグではピアニスト クラシックが大好き 出会い厨
この方は繊細で声も素敵、だけど自己愛かも

ここまで見た
ひとつ気になったことを書くけど、
>>1に対して>>88は投影してない?

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>>91
意味がわからないんだが

ここまで見た
そうですか。意味がわかりませんでしたか。
申し訳ありません。
わたしはこれで伝わると思ったのですが。

ここまで見た
84です。自己愛憤怒について詳しくありがとうございました。理解出来た気がします。
相手(強いストレスを受けた状態)の豹変、投げやりな口調、分裂して行く話・・・今でも鮮明に覚えています。
しかし、約半年後に何も無かったかのように連絡してきたときに思ったこと。
自己愛憤怒により興奮して吐き出していた言葉の内容を本人は覚えているのでしょうか?疑問です。




ここまで見た
  • 95
  •  
  • 2012/01/17(火) 21:55:04.95
>>94
ああなるほど。
多分ですけど、万能感を傷つけられたときの「怒り」は自己愛憤怒ですけど、
それ以外の性質は部分対象関係、妄想・分裂ポジション、躁的防衛というものだと思いますよ。

>相手(強いストレスを受けた状態)の豹変、投げやりな口調、分裂して行く話・・・今でも鮮明に覚えています。
>自己愛憤怒により興奮して吐き出していた言葉の内容を本人は覚えているのでしょうか?

これは多分 NPD の人の立場から見たら、あなたとは違った現実として体験されていると思います。
つまり、自分は悪くない、もしくは自分も悪いけど、あなたも悪いという感じだと思います。
それは「反省できない」っていうことなんですけど、半年後に何もなかったように連絡してきたということは、
人を傷つけたことの重みは理解できていないと思います。えっと、吐いた言葉の内容は覚えていても、
その重さは理解できていないと思いますよ。
人の心の痛みがわからない人間なんです。喜怒哀楽の「哀」の感情を、「怒」でかき消してしまうので。

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>>95
>喜怒哀楽の「哀」の感情を、「怒」でかき消してしまうので。

これ、とてもわかりやすいです。

ここまで見た
94です。すぐにお答えを下さり、ありがとうございます。相手の強いストレスを受けた理由は
確かに万能感の傷つきでした。自分はサンドバック状態(言葉です)になるのは嫌で離れました。
連絡が来たとき、今思えば自分は母親役だったので、代わりの母親約が見つからないのだろうと
思いました。もう会うことはないです。58の「NPDは中々変わることは出来ないけれど、
だけど真剣に言われた言葉ってすごく響くし心の片隅に間違いなく残ってる」
これを見た時、もちろん相手に響かなかったかもしれないけど・・・伝えたいこと言えたことに後悔がなくなった。
ありがとう。

ここまで見た
  • 98
  •  
  • 2012/01/17(火) 23:21:45.58
>>96
ありがとう。
その言い回しは、被害者の人に教えてもらったんだ。「哀」の感情がないってこと。
NPD は人の心の痛みをわからないのはもちろんだけど、
何でわからないかというと、実は自分の心の痛みすらわからないからなんだ。
いいようによっては、「心が傷つかない」と言えると思う。
いや、傷つきを否認しているといった方がいいね。

実際悲しむことは辛い事だし、他者に弱い面をみせることにもなる。
それは心の中に辛くて痛い、抑うつ的な感情を留めおかないといけないということなんだけど、
子どもはこういった傷つきを万能的・誇大的な、爽快感、征服感、勝利感といった躁的な
ハイな感情で覆い隠してしまう。つまり「怒」に近い感情だ。
だから、NPD は自分の心が傷ついたことを否認して生きて生きた人たちと言えると思う。
この機制は他者に対しても動いてしまう。人に暴言を吐いても、
「まあどうせ大丈夫だろ」「誰だって聖人なわけじゃないし」「あいつも悪い部分もあるだろ」etc…
そうやって自己を正当化して、更に傷つけてもよいという感情を作ってしまう。
このスパイラルなんだと思う。

NPD 自分の心の痛みを否認してきたから、人の心の痛みも否認してしまう。
それは痛覚を持たない子どもが、時に自己と他者を深く傷つけてしまう姿に似ていると思う。
傷つけたということがわからないんだ。
だから、反省しない。心の痛みという懲罰的反省機構がないから、どこまでも人を傷つけてしまう。
ちょっとずつでも変わる事ができればいいんだけどね。

ここまで見た
  • 99
  •  
  • 2012/01/17(火) 23:27:00.19
>>97
母親役は大変だよね。
相手がどうなるかはわからないけれど、
人生で行き詰まったときに心に浮かぶ、反芻する言葉ってあると思う。
無駄じゃなくなればいいんだけどね。
これからご自身がしっかり立てれば、きっと人と健康な関係でいられると思います。

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  • 100
  •  
  • 2012/01/17(火) 23:29:58.42
100(σ゚∀゚)σゲッツ!!

お絵かきランド
フリックラーニング
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