facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

  • 1
  • まゆしぃKoO
  • 2015/01/07(水) 18:40:41.97
【玉手箱22】神秘の宝石騎士団
     r、
     | l   ____
  ,-‐-、-,l、'´___`゙¨ヾ、、
  l X !_|」)   _\\_l l
  j  Y゙ ノr'´ ̄  .\\| ト、
  [二二ニ7______[_`トュ'l l
  _!     |_,.--───-、_`¨‐- 、
 (_|    i/  ノ‐レ-、/|  `ヽ、 ヽ           
.   |     } / | ,,.=、レ' !_/| / _ノ            
   !    | l |." ヒノ  'lj`レ' ̄             
.  /|     .l「i-ッ"    、 ''l |            
  ,!-l     ヽ、 ヾ__ ー , イ | 
//ノト、 ! l {| ヾ `、)ー'´レヘノ,r==、           
  { ハ_ー - /) |  ヾy<}ー-/´ノ、|!      
  |ヾ、ヾ、 ヾ',、!、   二--'´   〉、
 _/) {| ヽ、  '、,>、  ̄ ̄   _/ _'z
 |_}  ヾ,,_ , ',    `~ヽ、,_,_ノニ=~ ヽ            
/ノ     ~"=;_'、        〈/.λ   〉           
|!         !、 ,      〉'´   /   ◎協賛と支援:本家 神秘の宝石騎士団さん   
          〉=======|ヾ_/             
            /        !ヘ)       本家宝石(宝石91さん)のURL
          /   / |       |'         http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1416210219/l50
前スレ  【玉手箱21】神秘の宝石騎士団
 (open2ch)
前々スレ 【玉手箱20】神秘の宝石騎士団
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1419817782/l50

ここまで見た
  • 50
  •  
  • 2016/06/13(月) 01:30:10.46
>49の続き

そして、子供は子供なりに愛を見つけようとして、
歪んだ方法で、仕事をするようになり、
歪んだ方法で、遊びをするようになってしまった。

問題行動を起こす子供、大人は、
その人の親に、
わが子に適切な形で愛をそそぐ知恵にかけていた。
問題を起こす子供は、その親にも、問題がある。――正しい愛のそそぎ方の知識不足、知恵不足――

親が満足するような仕事しかしてこなかった。
親が満足するような遊びしかしてこなかった。

尊い学びは、
親も子供も満足する仕事を共にすること。
親も子供も満足する遊びを共にすること。

問題のある親も、反面教師としてなら、学びの教材になるけど。
この場合は、子供のほうが人格が高くなくてはいけない。
頼るものが親しかいない幼少のころに、それは、かなり難しいことだろう。

祈りましょう。
その人達が、自分の未熟さに気づけますように。改善できますように。

ここまで見た
  • 51
  •  
  • 2016/06/13(月) 01:31:10.70
>50の続き

完璧な親もいない。完璧な子供もいない。
お互いの不完全性と弱さを受け入れ、少しずつ直し、
恵まれてる面、感謝の面に幸せに気づきましょう。いくつあるかな?元気で居てくれてありがとう。学びあいをしてくれて、ありがとう。 ありがたい、ありがたい。

ここまで見た
  • 52
  •  
  • 2016/08/08(月) 16:32:42.14
とある施設で19人殺傷事件は何を教えてくれているのか。

愛情の不足です。
これは、私の推理ですが、
彼の言葉から察して、
「障害者なんて○○しちゃえばいい」
私は、こう、思います。

彼は幼少のころ、両親から、本当なら、自分にそそがれるはずの愛情が、
障がい者が居ることによって、
両親の愛情がそちらにそそがれてしまった。
彼の視点から見れば、
両親から本来なら自分にそそがれるはずの愛情を、
障がい者がいることで、そちらのほうへ流れていってしまった。横取りされてしまった。
というふうに、映ったのではないでしょうか。

彼の起こしたことは、満たされなかった幼少期の抑圧された欲求不満が
噴き出してしまったのではないでしょうか。

自分にそそがれるはずだった愛情を、
その妨げになっているであろうと感じるもの、障がい者を取り除くことで、自分にそそがれる本来の形に
戻そうとしたのかもしれません。
自分にそそがれてくる愛情を取り戻したかったのかもしれません。

彼のことを気の狂った恐ろしい人と言う目で捉えないでください。
彼の抱えているカルマを見つめてください。
彼もまた、障がいを抱えている一人である、と。
彼は、カルマの浄化の道を、
物質的に近道を選んだことで、
カルマの浄化には、実は、遠回りを加えてしまった。
物質的遠回りが、実は、カルマの浄化には近道であることを知らぬがゆえ。

もっと、彼が幼少のころ、(親が他の道に愛情をそそいでいたがゆえに)親の代わりになる人が、
無条件の父なる愛情、母なる愛情をそそいであげていればよかったのかもしれません。

ここまで見た
  • 53
  •  
  • 2016/08/08(月) 16:34:47.99
>52の続き

大人になる過程で、そういう人と出会えていることに、
本人が気づければよかった。
天使はいつでも、どこでも、
あなたの成長を願い、見守っているのですから。

また、あなたも誰かを救っているかもしれない、
天使である、ということにも、
気づいてほしかった。
天使は、そんなことしない、と、誓いを立てていればよかった。
私は二度と同じ過ちをしない、という強く誓う。

波長が低くなっているときというのは、
(あのような事件を起こしてしまいかねないような心境のときというのは、)
信念のバランスが、偏っているときです。

たとえば、
私は、自分が文化、文明のある人間だと思っています。
だから野生の力(知恵)は、野蛮で、文化人とは、相容れない、遠ざけるべき存在だと思っています。
だけど、本当はそうじゃないと、気づけました。
野生の力(知恵)と、文明、文化の力(知恵)は、相互に、
お互いの短所を、お互いの長所で、
補い合い、助け合い、支え合っている、関わり会っているものであると。陰陽道のマークのように。

これは、障がい者の力(知恵)、健常者の力(知恵)と、置き換えても良いことなのではないでしょうか。
大人の力(知恵)と、子供の力(知恵)とも。
男の力(知恵)と、女の力(知恵)とも。
文明だから、賢い、良い、快適、
野生だから、バカ、悪い、汚らしい、
という価値観はマガイモノである、と。
気づければよかった。
本当は、どちらも、必要なものなのです。

遠ざけようとするもの、忌み嫌うものは、
ぼくの足りないものを補おうとしてくれてるんだね、
ありがとう、と言うべき。

忌み嫌うものとは、一度、自分が、その色に染まってみるといいのです。
全身全霊で、その忌み嫌うものを、受け入れてみるのです。
そして、その人の過ちのカルマは、私が代わって浄化してあげようと思うのです。

ここまで見た
  • 54
  •  
  • 2016/08/08(月) 16:36:56.53
>53の続き

そうすれば、わかるはず。
お互いの短所を、お互いの長所で、支えあえる可能性のある関係であること。
たとえば、障がい者の短所は、健常者の長所が支え、
健常者の短所は、障がい者の長所が支えてくれているんだよ、と。

健常者が、障がい者を支えてる面ばかりにフォーカスを当てるけど、
実は、そんな健常者も、障がい者のいるおかげで、支えてもらっている面もあるんだよ、気づければよかった。

支えてる、というのは、一方通行ではなくて、
支えられている、ことでもあるんだよ。
自分が支えているシーンばかり記憶に残すのではなく、
自分も支えてもらっているシーンも記憶に残すようにすると良いんです。
南無阿弥陀仏。
自分は人に支えてもらった覚えはない、という人は、
内観が足りません。
想像力が足りません。
あなたがここまで大きく育ったことも、
誰かの、何かに支えられて大きくなった、
何よりの証拠ではないですか。
どんなことにも、感謝をしましょう。幸せ。幸せ。南無観世音菩薩。

今のあなただから、できるようになったこと、
たくさんあるでしょう。
支えられていたから、できるようになったんですよ。

自分が人に支えられてるシーン、
自分が人を支えてるシーン、
自覚のあるところばかり見ないで、
自覚のないところをも、見てください。
自覚のないところをどう見ろと?
想像力を働かせるのです。
南無妙法蓮華経。

ここまで見た
  • 55
  •  
  • 2016/08/08(月) 16:38:04.06
>54の続き

彼の価値観の偏りを、
代わりに浄化してあげあれる人が、身近にいればよかった。
障がい者だから、弱い、迷惑、邪魔、悪いもの、
健常者だから、強い、優れている、役立つ、良いもの、
ではなく、
どちらにも、短所があり、どちらにも長所があるんだよ。と。
迷惑を掛け合っているのは、お互い様なんだよ。
助け合って生きているのは、お互い様なんだよ。と。

○○だから悪い。
○○だから良い。
という価値観は、偏っている価値観だよ。と。
あなたに足りないものを補うために、バランスをとってくれているんだよ。と、
気づくクセをつけられると良い。

ここまで見た
  • 56
  •  
  • 2016/08/13(土) 00:51:21.73
見栄っ張りの続きは自分で作れる

見栄っ張りには、
真実に繋がるものと、
偽りに繋がるものがある。

前者は、良い見栄っ張り。
後者は、悪い見栄っ張り。

真実の見栄っ張りは、先に宣言してしまう。
その宣言に追いつくように自分が努力する。
最初は見栄っ張りで言っていたことだけど、
後々、努力を積み重ねることで、見栄っ張りを真実にしてしまうこと。
本当に言った通りにしてしまうこと。これは素晴らしい、はなまる。

偽りに繋がる見栄っ張りは、知ったかぶり。
けれど
知ったかぶりをしてしまう人の家庭事情を想像してみよう。
親の悪徳が感染していること。
その人も苦しんでいる。
その人の親も苦しんでいる。苦しんでいることにさえ気づけていない場合もある。

親は気づいているけど子が気づいていないパターン。
子は気づいているけど親が気づいていないパターン。
親も子も気づいていないパターン。

悪徳を直したくても、なかなか直せない、
人の弱さ。

正義の矛先を、人に向けている人は、
自分はどうなんだ、と、省みることも大切。

そういう人が目の前に居るということは、
自分にもそういう面があるということ。

ここまで見た
  • 57
  •  
  • 2016/08/13(土) 00:53:04.00
>56の続き

人の分のカルマをも、自分のカルマの浄化のお手伝いをしてくれていると思い、
代わって、引き受けよう、
人の分も、浄化しよう、と、
思うこと、実践していくことが、
自分が神と繋がっていく一つの方法でもあるのです。
南無阿弥陀仏。

言ってることが難しくてわからないって?
すべて起こっていることは、前世で自分の蒔いたカルマが引き寄せていること。
自分で選らんだ学びの教材であるということです。
自分の弱さを克服するため。
南無阿弥陀仏。

同じ見栄っ張りでも、
偽りになることより、
真実に繋がる見栄っ張りをしよう。
協調のない人が居られたら、
自分が、その人の分も協調しようとする。
南無阿弥陀仏。

人のせいにしない。
すべて感謝。
ありがとうございます。

ここまで見た
  • 58
  •  
  • 2016/09/06(火) 00:50:32.49
優位欲求からくる自尊心が偽物のプライドと言われる所以。

勝ち続けなきゃいけないことになる。

優越感に浸れていないと、
自尊心を保てないというのは、
本当はプライドが低いこと。
本当の意味でプライドが高いということは、
どんな自分にも自尊心(自律心・自立心・自己愛)を保っていられること。
自律していられる幅が広いということ。
自分の神と調和していられるポイントを外れることが少ないということ。

人間の人生が仮に95年だとして、その間、
勝ち続けることが可能だろうか?

どんな悪人にも、
慈悲の目は、どうしても必要です。

優越感にしか自尊心を保てないということは、
自律していられる自己愛の幅が、一点そこにしかないということ。
優越感から少しでも外れたら自律自己愛が崩壊するということ。
それは、自尊心プライドが低いから。
勝ち続けている自分しか許すことができない。
その幻想のアイデンティティにしがみつき続けている。
しかし、これはその人だけの問題ではない。
人類で解決していかなきゃならない問題です。
どんな人にも、愚かな振る舞いをしていた時代もあったのですから。
自分を愛することに、ショウガイがある人を、
正しく自分を愛する方法自己愛へ導いてあげたいのです。

ここまで見た
  • 59
  •  
  • 2016/09/06(火) 00:52:23.15
>58の続き

高い自尊心とは、
勝った自分にも、負けた自分にも、
悔しい自分にも、泣いた自分にも、
悲しい自分にも、笑った自分にも、
怒った自分にも、無の自分にも、葛藤の自分にも、痛い自分にも、
楽しい自分にも、どんな自分にも、許し愛し、認め、
自律と自己愛が保てること。

情けは人のためならず。

一人一人が正しい自分の愛し方を知らないまま
大人になってしまわないように
祈りましょう。

勝つことだけが価値という風潮は強迫観念になる。
勝っても勝たなくても、どちらも価値。
下積みする努力がすべて自己愛自尊心宝物。

ここまで見た
  • 60
  •  
  • 2016/10/05(水) 14:02:56.01
その学び、ありがとういただきます――それは、周りの人をどんな人でも天使に変える言葉

どんなに腹を立てても、
こちらから言いたいことが何があっても、
相手の言い分を尊重する。

「ありがとう、いただきます」と言おう。
「カルマの浄化のお手伝い、ありがとう」と思おう。
なぜなら、
対立する意見は、かつて、自分が前世でやってきた振る舞いが
現世で自分に返ってきていることだから。

「ありがとう、いただきます、世の中いろんな意見があるね。」
なぜなら
対立する意見に自分の意見のほうが勝っているから相手を負かして
自分を通そうとすると、相手のことを敵に見ることになるから。
敵になってる以上相手を叩きのめさないと気がすまないという、
邪な心が顔をだすから。それを傲慢と言う。
傲慢は穢れ。
魂の目的は生かされてるうちに、どれだけ魂の純度を上げられたか。
どれだけ負のカルマを浄化し、善のカルマを積んでこられたか。
まずは、自分の傲慢さという欠点に気づき、
相手を変えようとする傲慢さから卒業しなければならない。
変わっていけるのは、いつだって自分のほう。

ひとつは、見方を変えること。
今までは、自分の主観で物事を感じ取っていた感情を、
相手の感情で感じ取ってみる。相手の主観に立ってみる。
自分の感情は一旦忘れて、
相手主観での物事のとらえ方を想像してみるのです。
そうすると、相手が癒して欲しい、わかって欲しい、ツボ、ポイントがわかってくる。
対立的戦いをしないですむようになる。
勝つことが目的の戦いではなく、

調和と理解が目的の、聖なる戦いをするようになってくる。
痛みが伴うのは、仕方ないこと。
傷ついた経験をするのも、仕方ないこと。
自分の受けた痛みと同じ痛みをお返しとか、
倍返しとか、やっていると、
負のカルマを浄化するどころか、
新たに積んでしまうことになるので気をつけましょう。
痛みには感謝と懺悔で向き合うのです。
感謝するのは、「あなたはここが魂の修行が不足しているから、補ったほうがいいですよ」と、
自分の欠点を教えてくれていることだから。
懺悔するのは、自分もかつてどこかの前世で許さないマシーンと化し、
人に痛みを与えていたわがままな振る舞いが自分に返ってきていることだから。

ここまで見た
  • 61
  •  
  • 2016/10/05(水) 14:03:59.75
>60の続き

その学び、「ありがとういただきます」謙虚に受け取る。
「奉仕させていただきます。ありがとう」
「善のカルマを積ませてくれて、ありがとうございます。」
「負のカルマの浄化のお手伝いしてくれて、ありがとう。」
どんなお役目でも、
「ありがとう、いただきます。」
「忍んで愛します。」
南無妙法蓮華経。
南無観世音菩薩。
南無阿弥陀仏。
南無大勢至菩薩。

花咲け未来。
向上欲のある魂が、霊界から現世での生き抜く人達を見ていれば、
転生してきたくても、
まだ待たされてる向上したくてたまらない魂からの視点にすれば、
もしかしたら、現世での苦しんで行動している人の
その感情、苦しみの最中の行動でさえも、うらやましいと思われてるかもしれない。

それくらい、人間として転生してこられたのは、
未熟な魂を向上させるチャンス、大きな恵みをいただいている、
稀有なことなんだと思えてくる。
あの魂はなんて恵まれてるんだろう。
魂を向上させられるチャンスに。
霊界の魂からすれば、
現世の魂が感じている苦難も、
恵みなんだろう、と思えてきます。

今まで苦しいと思っていただけの感情も行動も、
このように視点が変われば、見え方も感じ方も換わってくる。
だから、どんなことも、
「ありがとう、いただきます。」
「ありがとう、いただきます。」
苦難は魂の食べ物。
喜び、悲しみ、怒り、楽しさ、生きぬく過程全部
魂の食べ物。

そうすれば、相手と自分とで基準点がちがうことに気づくはず。
相手の基準点を尊重してあげるのです。
そうすれば、人の基準点は十人十色であると新たなる価値観で物事をとらえることができる。
そうすれば、一方的に自分の価値観のほうが勝っているという、押し付ける戦いごともなくなる。
この世で一番小さくもあり、一番大きくもあるもの、
それは愛。

ここまで見た
  • 62
  •  
  • 2016/10/05(水) 14:04:39.24
>61の続き

ぼくたちの背中には
天使の翼がある。
それは内緒。

ありがとう、いただきます。

ここまで見た
  • 63
  •  
  • 2016/11/05(土) 00:55:45.29
弱さは素直さ

弱さを否定することが本当の弱さ

困ったときに助けてくださいと言えるのは、
弱さだけど、恥だけど、素直さがある。

困ったときに助けてくださいと言えず、
心を暴走させるのは、
弱い自分を受け入れていないから。
自分の弱さを自分で否定することが
本当の弱さ、本当の恥じ。

心が暴走するのは、
過去や未来のことをあれこれ考えているから。
心を静めるために、心を空っぽにするのが良い。

恥を忍んで助けてくださいと言えるのは
弱さだけど素直さがある。
素直さがある弱さは、少しだけ強さです。愛です。

素直さのない弱さは可哀想です。闇です。

どうか素直に。
南無阿弥陀仏。

ここまで見た
  • 64
  •  
  • 2017/04/29(土) 11:53:29.96
わが子を屈折させないために母親に求められる性質

子供がやったことに対して、母親が無反応、無感動でいるのが一番良くない。
そういう接し方をしていると、(子供の)母親に認めてもらいたい。褒めてもらいたい
という欲求が育まれない。
小さな幸せにも感謝、感動する感受性と言い替えてもいい。

子供のやったことをけなすのも良くなーい。

親は、自分が認めてもらったことのないことに関しては子供にも認めることができない。
親が嫉妬しているのです。
親の未成熟な自己愛には、子供が成熟した愛を送るしかない。

母親がどんなにお節介をしてきても、
ありがとうと受け入れるのです。
「お母さんありがとう、おかげで助かりました。」

母親がどんなに認めてくれなく、褒めてくれなくても、
子供が母親を認め褒めるのです。
「お母さんは機転が利いて素晴らしい人です。」

もし、子供のほうにもそんな知恵がないというのなら、
何とかして母親が感動する心。小さな幸せに反応する感受性を培ってくださらないでしょうか。

子供のしたことに感動し反応してあげることはできないことなのでしょうか。

ここまで見た
  • 65
  •  
  • 2017/04/29(土) 11:54:41.08
>64の続き

小さな幸せに感動する感謝する感受性を子供と共に育んでいくことはできないことなのでしょうか。
感動を表現する。

もし、子供のやったことに無反応、無感動でいることを母親がしていたら、
子供が14歳になったときどんなことをしてしまうか。
どんなに努力しても頑張っても認めてくれないのか、褒めてもらえないのかと言って、
屈折した自己愛を表現してしまう。
もう、あんなできごと、起きて欲しくないですよね。
家族の問題は家族だけのことではなく、人類の問題です。
南無阿弥陀仏。

「お母さんはそんなに気張らなくてもよくやっています。いつもありがとう」
「私が代わりに気張ってお母さんの負担を軽くします。」
母親が感謝と感動を表現することを忘れたうちの家族は、
代わりに、嫉妬、欲求不満、怒りを表現してしまう。
「恐がらなくてもいいよ。恐がってもいいよ。私がその感情すべて受け止めてあげるから。」
南無阿弥陀仏。
ブルーゴールドの光。

ここまで見た
性格上の改めるべき癖は、10代、20代のうちに直したほうが良い。

30過ぎてから直すと苦労する。
努力すれば必ず直る。
40、50、60、直すのが遅くなるほど苦労するんじゃないかなあ。手遅れなんてことはない。

お金を稼ぐようになるまでに、
克服しなきゃならないコンプレックスがある。

恥ずかしがりや。
臆病。
マイナス思考。
傲慢なプライド。
少しずつでいい。
人間すぐに変われるものじゃない。
だけど、少しなら変われる。
それが努力であり、成長、進化です。

風の刃が、持ち続けていると良くない岩みたいなプライドを、削ってくれた。

大切なのは、変わる勇気に全力の努力を出すこと。
内側に神の光を感じること。
天使の羽が舞い降りたと感じたら、疑うことなくつかむこと。
なんども、はずれをひくけど、いつかは、あたりをひくときがくる。
自分が悪いことを認めること。
 自分は悪くない!
 自分は正しい!
という、驕りの正義感が、すべての悪意の源であると、わかること。
争いの種になる正義感なんて、明け渡してしまえ
いい風の流れは、
自分の努力で創造していけると、神や仏を信じること。

お絵かきランド
フリックゾンビ
ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード