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- 1
- 2011/05/23(月) 12:15:05.80
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文学における批評や理論について意見や情報を交換するスレッド。
記号学、テクスト論、ナラトロジー、精神分析批評、受容理論、マルクス主義批評
ニュー・クリティシズム、ヌーヴェル・クリティック、テマティック批評、新歴史主義、認知論
などなど。
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- 872
- 2014/03/24(月) 20:45:27.92
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文学は、物理空間と文学空間の境界を横断あるいは往復することで発生する。
哲学は文学の内部にあり、文学によって文学空間に生成されたものを扱う。
境界に発生する文学は魔法である。共感魔法であり、フレイザーが類感魔法と感染魔法にわけ、それをロマーン・ヤーコブソンがメタファーとメトニミーと読み解き、類似と接触を二項対立にしてしまったが、それは行きすぎであった。
この魔法は、単純にいえば言葉とか言語のことだ。
「文学とは『魔法』」である
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- 873
- ヘノモチン
- 2014/03/24(月) 20:47:17.28
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訂正
{ヘキサグラム}{メルカバー}{メタトロン} 〜 {ヘキサグラム}
(ヘキサグラム立方体)・{メルカバー}(マカバ)・{メタトロン}
(メタトロン立方体)
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- 874
- 2014/03/24(月) 20:58:49.90
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文学という魔法を言葉とか言語に求める場合、それの魔法はプログラムと等価になり、文学理論≡プログラム理論になる。
どちらかがもう一方の一種などではなく、合同となる。きわめて暴論ではあるが……この宇宙が計算機である以上、その中にあるものはすべてがプログラム理論で……
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- 875
- 2014/03/24(月) 21:53:29.59
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ケイゾクってドラマでカラスを絞め殺してたけど
あれはヤタガラスを殺すって意味なんだろうな。
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- 876
- 2014/03/24(月) 21:57:06.83
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>>875
それならおもしろそうだね。
ケイゾクって見たことないけど。
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- 877
- 2014/03/24(月) 22:40:48.45
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>>876
SPEC?とかいうドラマが始まる前からヤタガラスだと思ってたよ。
エライでしょ(笑)
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- 878
- 2014/03/24(月) 22:42:14.23
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>>877
なにがエライの?
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- 879
- 2014/03/24(月) 23:06:31.27
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>>878
SPECってドラマはケイゾクの種明かしみたいな部分があるらしいんだけど
そこでカラスがヤタガラスを表してるのがわかる、みたいなことがネットに書いてあったから。
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- 880
- 2014/03/25(火) 00:07:50.77
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>>879
まあ、どっちも見ていない僕がとやかく言うわけにはいかないねw
ところで、ヤタガラスを殺すのにはどんな意味があるの?
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- 881
- 2014/03/25(火) 00:33:51.60
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>>880
2ちゃんねる知を集合すると
神道にもやはり顕教と密教があって、密教である裏神道では、上下賀茂神社を
頂点とするヤタガラスにより、理論化された儀式が行われてるけど、
すでに金属疲労を起こしてるんだと思うのよね。それを革新したいんだろうよ。
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- 882
- 2014/03/25(火) 12:24:52.61
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>>881
ふんふん、なるほど。
そうすると、ヤタガラスというのは防犯ガラスと防火ガラスの強さを併せ持った最強ガラス、ということだね?
それなら金属疲労じゃなくて素材の劣化とでも言うべきかな?
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- 883
- ヘノモチン
- 2014/03/25(火) 18:48:28.43
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881さん >すでに金属疲労を起こしてるんだと思うのよね。それを革新し
たいんだろうよ。
ヤタガラスというものが存在していたとして、彼らだって自分達を革新したい
とは思っていないでしょう。
今までやってきたことを、ただやるだけじゃないですか。
だいいち、革新する時間のゆとりが、もうないでしょ。
誰だって、自分のことだけを考えてコツコツ行動するだけです手一杯ですよ。
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- 884
- 2014/03/25(火) 21:20:35.64
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境界を横断あるいは往復することで文学が生まれる。
行って戻ってくるのは物語の基本。同じ場所に戻ってきたとき何かを得て成長(あるいは反成長するかも)する。
場所は同じでも何かが違う。あるいは、場所は違うが同じ状態。
物語論は文学を生み出す運動がそのまま形になっているのかもしれない。
語るとは騙る(フィクション)ことでもあり、象る(かたどる、キャラクターや物語、モノやコトをかたどる)ことでもある。
横断するということで思い出されるのはスペンサー=ブラウンの形式の法則か
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- 885
- 2014/03/25(火) 23:19:30.36
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境界を越えて戻ってこない文学もある。カルト宗教などがそれだ。
それにひっかってしまうと精神的にheat death、肉体的にcold deathに到る。
戻ってこない文学は危険だ。
戻ってきたからといってもそれが必ずステージアップになるわけではない。そこを間違えると疑似科学やマルクス主義に陥る
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- 886
- 2014/03/25(火) 23:24:26.29
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マルキストの大文学者なんて腐るほどいるけど
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- 887
- 2014/03/26(水) 00:06:10.11
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そういえば昨日ケイゾクの映画やってた。観ませんでしたが
観た人いらっしゃったかしらん。
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- 888
- 2014/03/26(水) 00:50:55.34
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鈍ってやる…
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- 889
- 2014/03/26(水) 13:07:59.20
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>>887
ケイゾクって面白いの?
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- 890
- ヘノモチン
- 2014/03/26(水) 18:50:31.44
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872さん >それをロマーン・ヤーコブソンがメタファとメトノミーで読み解き
類似と接触と読みとき二項対立としてしまったが、それは行き過ぎであった。
ボードレールの詩を、ヤーコブソンと人類学者のL=ストロースが構造分析した
ものは有名で僕も読みました。ヤーコブソンの構造言語学で書いている内容は
難しくてよく判らなかったのですけれども、L=ストロースの分析は、ありゃ?
本当にそうなってるみたいだと感じました。
L=ストロースは、『神話論理』4部作等でも、構造分析を行っていますが{性
交の逆さまをすべきところで、間違えて逆さまに性交してしまうおばあさん}
等の神話項が扱われていて、文学的に読んでもおもしろいと思います。
L=ストロースの構造分析が適用出来るものは、神話でも限られると思いますが、
L=ストロースが扱っている南北アメリカ先住民族の神話にも、やはり、エジプト
や、ユダヤ・キリスト教典にも頻出するオリオン・ブレアデス・シリウス等の
星辰信仰に関わる話が出てくるのが趣味深いです。
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- 891
- 2014/03/26(水) 22:32:39.69
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星を読むのも文学なんだろうなぁ。
なんでケイゾクの話になってるのかわからんけど、ケイゾクは全部DVDに焼いてある。
ヤタガラスはカラステングやカルラと同じものなのか? 山伏・修験道などを追ってみるとユダヤ臭がする。
大仏開眼のころの歴史のきなくささ。百済王と金山の問題。それらも文学として文学理論を使って解き明かすなら意味はある。
星の文学、火の文学、風の文学、etc. 境界と往復の文学理論は、もしかしたら文化人類学のほう近い?
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- 892
- 2014/03/28(金) 01:06:31.46
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文学の中にある物理や数学は余分な情報を熱として捨てている。
それを受け止めるのが文学の役割。文学はなんらかの熱力学的構造を持っている。
捨てられたものを浄化する。知識・学問としてエントロピーの上限を広げたり、余分なものを捨てたり再生したりスッキリさせるのが文学の役割。
謎解きや起源神話のようなものでエントロピーの安定をはかる
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- 893
- 2014/03/29(土) 02:55:06.66
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(読み取られるなにものかは必須として)基本的に「読み手」が主要なものであって、それだけで「文学」が成立すると思う。
「表出」されない文学。それもアリなのか?
「文学」は確かに成立するが個人的なものであり一子相伝すらままならないw
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- 894
- ヘノモチン
- 2014/03/29(土) 18:24:34.27
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近代の小説で{しつこい女}の主人公という場合には、情感豊かな女性イメージ
で簡単に括られてしまうことが多いです。
{しつこい女}は、L=ストロースが『神話論理』で取り上げている南北先住イ
ンディオ神話では{しがみつく女}(月に張り付いた蛙)に該当しますが、そ
の逆も存在しているようです。
「 同時に、別の神話的形象の論理的機能と意味的位置を、正確に定めること
ができた。これは{しがみつき女}と鏡像的な存在であり、しばしば{女では
なく男}で{離れているのにくっついている}という性質を持っている。しか
し相手とのこういう近ずき方は現実にありうるし、うっとうしさが消えるわけ
でもない。このような人物として、異常に長いぺニスを持った男というのを考
えることができる。この男はどんなに離れていても、その長いペニスを使って
目的を達することができる。つまり、相手にしがみついているわけではないの
に、相手の体にくっついていることができるのである。」
(『パロール・ドネ』L=ストロース著 ページ78より)
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- 895
- 2014/03/29(土) 18:26:13.58
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レヴィ=ストロース読み込んでもクソネトウヨになってしまうとはなんか虚しいよな
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- 896
- 2014/03/29(土) 19:34:10.99
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文学が境界の横断によって神や価値観を生み出せることはわかった。
その境界には「身体」というデバイスがある。
「身体」(行為・動作など付随するものはたくさんある)抜きに「文学」を語ることができるのか?
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- 897
- 2014/03/29(土) 19:35:56.32
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「文字」は身体と完全には重なり合わないだろ
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- 898
- 2014/03/29(土) 21:06:50.71
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文学あるいは文学理論の対象を、徹底的に読み手側に立った読者論からみるならば、読むことが可能なものすべてが文学として扱えるはず。
読むという行為は身体を通したものであり、たとえ読者内部で内部にあるものを読むとした場合でも仮想的な身体に依存しているのではないかと
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- 899
- 2014/03/29(土) 21:08:55.96
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言語にこだわらないと映像や音楽との差異が生きない
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- 900
- 2014/03/29(土) 21:27:07.17
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文字ではなくあくまでも「言語」ね。
身体なくして「言語」は語れないのではないかと。
(身体を通して)境界を横断するということが(思考言語を含めた)言語の成り立ちではないかなと思い始めたわけ。
映像言語に関する本はたくさんあるし、音楽言語の本も読んだことはある。
実際に目の前でアフリカの人が太鼓たたくのを聞いたとき、身体性と言語性を感じた。
言語とは身体の拡張なのかも
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- 901
- 2014/03/29(土) 21:38:04.24
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そういうのは文学論じゃないね
だから文字と述べたわけだ
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- 902
- 2014/03/29(土) 21:49:00.15
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文学論じゃなくて文学理論だから「書かれたもの」という呪縛からのがれて「読み出されたもの」が対象になる。
そうなると文字などなくても文学は成り立つw
言語に縛られると言語論になっちゃうので、そっちにいきすぎてもいけない。
言語をメディアそのものだと考えてしまえばマクルーハンの人間拡張の原理にいっちまうw
そういうわけで(文学理論としての)強力な読者理論を探していたのに読者論や読書論はあるのに読者理論はみつからなかった
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- 903
- 2014/03/29(土) 21:58:17.02
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身体論は筋が悪いと思うわ
音楽や美術の場合も作品の構造を述べないと「受容者の思い入れが全て」になる
そうすると適当な認知科学でOKになるだろう
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- 904
- 2014/03/29(土) 22:28:16.39
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身体と境界と構造は同じものから発生しているのかもしれない。
まあ、ミニマムな文学、文学として成り立ちうる最低限のものはなにか、と考えたとき、身体という境界が必要かと。
これを「身体」と語ることで余計なものがついてまわるようなら、「境界」に戻したほうがよいかなとも思うけど、境界だけでは作用が説明できない。
単なる区別・区切りではなく、境界の両側に作用するものとしての「身体」か、とかなんとかオールスター感謝祭をみながらだらだらと書いていてもしょうがない。
ここは境界すらも捨ててしまって、単に「写像」としてしまおう。
目的は文学理論そのものではなくて、ミニマムな文学を考えて、それを(人工)文学機械として実装することですしw
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- 905
- 2014/03/29(土) 22:36:15.65
-
そういうのは認知科学の領分だろう
作品の構造に則した理論じゃないのなら、美学(自然美も含めた感受性の理論)とは言えても芸術理論とはいえない
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- 906
- 2014/03/29(土) 22:53:56.87
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なるほど、だんだんわかってきました。
文学を考えたとき、作品・作者の側にテーマすら必須ではない。
作品に構造が必要だとするのは文学批評理論だと思います。
ミニマムな文学を考えるとき、その部分は最初に捨ててましたw
文学批評批評理論も文学理論なので、その見地からバッサリと
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- 907
- 2014/03/29(土) 23:09:26.08
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エコクリティズムとか読めば
自然を観察してても問題なさそうだろ、その理論だと
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- 908
- 2014/03/29(土) 23:46:49.63
-
そこに(自然の作者としての)神を見出してしまうことが(人間の行為としての)文学の起源かもしれません。
というか、そこに「しか」文学の起源を見出すことはできないのではないかと
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- 909
- 2014/03/30(日) 00:51:27.78
-
哲学書を読んだほうが良いレベル
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- 910
- 2014/03/30(日) 01:06:06.57
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>>908
とりあえず、折口信夫を読んでみたらどう?
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- 911
- 2014/03/30(日) 14:27:59.70
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哲学も民俗学も文化人類学も文学空間の内部にあるという考えですので。
物理や数学は文学空間内部で抽象化へ向かい、それにともない具体的な情報を熱として放出する。
情報が失われると熱になるというのはファインマンを参照。
その放出された熱を処理するのが文学の役割。精神活動そのものを生命のようなものとみたとき、それを維持する基本的な部分。
まあ、文学理論をアリストテレスあたりにまで遡ればそのような結論に達するとw
「文学」(の機能?)を実装するのが目的だから。脱構築しようとしているわけでもないし
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- 912
- 2014/03/30(日) 15:03:13.64
-
文学が精神活動を維持するためのものならば、文学は報酬回路を刺激して快楽物質を生むような効果を持っているべき。
呼吸や排便によっても快楽物質が得られる。文学も快楽物質が得られるものであるべき。
ただし、報酬回路がどのようにして形成されるのか/されたのかはわかっていないし、万全な方式でもない。
文学が報酬回路をむやみに刺激しても本来の目的に合っているのかどうかもわからない。
とりあえず実装してたしかめてみようとw
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- 914
- ヘノモチン
- 2014/03/30(日) 20:00:56.05
-
898・900・902・904さんが取り上げている身体性については、音楽家の高橋悠治
さんが同じことを指摘しています。
しかし、難しい (^^;
{取り付く島もない}と言われる高橋悠治さんの書くものみたいに難しい。
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- 915
- ヘノモチン
- 2014/03/30(日) 20:04:09.64
-
914の訂正
高橋悠治 〜 天才・高橋悠治
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- 916
- 2014/03/30(日) 20:21:17.40
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グダグダゆってんな。事実で正しいことを証明しろ。
じゃあその文学理論とやらで下手でも小説が書けるもんなら書いてみな。
書けたら甘酒進上、認めてやるよ。w
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- 917
- 2014/03/30(日) 22:35:23.31
-
高橋悠治ってのは知らなかった。音楽の理論書もたくさん調べてみたけど彼にはたどりつかなかった。
音楽も文学も、その根本的なところに身体性がある。ブートストラップとしての身体性。それは形而上(文学空間)と形而下(物理空間)の境界にある。
小説ではなくて文学機械で証明しようとしているけど、まあ今年の4月1日には間に合いそうがないので来年w
石川忠司の現代小説のレッスンに、中村光夫が
「近代文学がやってきたことは人間解放の文学であったが、文学者ではなく敗戦によって実現されてしまい、文学者にはやることがなくなった」
とかいうようなことをいったと書かれていた。
文学がその程度のものであるのなら消えてしまへと思ふw
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- 918
- 2014/03/31(月) 03:07:24.34
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ちょろっと青空文庫にある高橋悠治を読んでみたけど、とくに難しいところはなかったぞ?
読み方が違うんじゃないかと思う。
(語りによって象られた)形式や言葉の意味ではなく語られていることの構造が読めないと理解できないのかもしれない
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- 919
- 2014/03/31(月) 09:29:24.36
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つまり作品の構造分析はいらないと豪語する常駐君が間違い
身体論は結局「私の身体大好き」なナルシスの鏡を作ってしまうことに終わりがちなんだね
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- 920
- 2014/03/31(月) 16:17:42.40
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>>919
そんなマジレスしなくてもw
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- 921
- 2014/03/31(月) 16:20:15.02
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小馬鹿にしてあしらうの嫌いだからマジレス主義
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- 922
- 2014/03/31(月) 18:08:45.97
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>>921
まじめなんだね。
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- 923
- ヘノモチン
- 2014/03/31(月) 19:51:39.30
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918さん >ちょろっと青空文庫にある高橋悠治を読んでみたけど、とくに
難しいところはなかったぞ?
あなた、悠治さんの書くものを感覚的にわかるというのはすごいですよ。
>(語りによって象られた)形式や言葉の意味ではなく語られていることの
構造が読めないと理解できないのかもしれない。
悠治さんの書くものは昔から難しいかったけど、最近のものは表現がより簡素
なだけに、よけいに難しいんです。
まだ、難しい説明でもあるほうが、理解が容易いんですよ。
それで、後で、こんな凄いことを語っていたのかと気がつくことが多いんです。
昔、悠治さんが、カフカを劇にして音楽の振り付けをしましたが、あれも凄かったです。
{高橋悠治ショック}って言葉があるくらいですからね。
僕は、悠治さんとは考えが少し違いますが、尊敬していますよ。
悠治さんに、また、文学作品を取り上げてもらいたいですね。
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