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  • 1
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  • 2006/03/20(月) 13:49:00
教えてください。よろしくお願いします。

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  • 107
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  • 2006/11/30(木) 04:02:03
8歳の娘が自分の部屋で友達と遊んでいたときの会話を盗み聞き。
友「ねえ知ってる?サンタさんって親なんだよ!」
娘「…」
友「だってあたし見たもん。お父さんが外に行くって行ったら玄関にプレゼントあったんだよ」
娘「…へぇー。そうだよね!知ってるよ!!」

案の定娘と二人で風呂に入ってるとき
娘「知ってた?サンタさんって親なんだよ(ニヤニヤ」
私「ほおー。親って誰」
娘「(指差して)お母さん」
私「へえ。アタシがサンタさんなんだ?なんで?」
娘「…友達が言ってたから」

今ではすっかり疑惑が晴れて、北国のサンタさんからプレゼントをワクテカしてる娘です。

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  • 108
  •  
  • 2006/11/30(木) 04:31:34
1歳9ヶ月の娘
BSおかいつのチョコランタンでネズミが死んでいるのを観て号泣。
ガタラットが「死んでいる」というセリフを言う度に
私を叩きながら崩れ落ちるように号泣。

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  • 109
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  • 2006/11/30(木) 06:00:53
>>99に感動 二人を同じだけ愛するっていう自信がなくて、一人っ子がいいなぁなんて思ってたけど兄弟っていいですね。
なんかやっと逢えた子だから、思い入れが強くて…二人、三人て同じふうに愛せるのか私の中ですごく疑問と葛藤。
子供は大好きな@5ヶ月半♀新米母でした。
チラ裏スマソ 良スレあげ

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  • 110
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  • 2006/11/30(木) 06:20:26
>>109
>二人を同じだけ愛するっていう自信がなくて、
>一人っ子がいいなぁなんて思ってたけど

一人っ子スレでもその手の意見をよく見るけれど
平等なんて普通の人間には、と言うか動物には無理

どうしたって小さな子供のほうが可愛い。
それは本能だからしょうがない。

だからあえて上の子に愛情を注ぐようにする
愛情を注いでいる振りだって良い。

そして、上の子が下の子供を愛するように育てるのが大事
>>99なんてそれが上手くいっている典型だと思う。

三人兄弟やそれ以上なら真ん中の子に気を使うのを忘れずに

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  • 111
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  • 2006/11/30(木) 11:36:59
二歳の息子。いつでも「抱っこ!」とせがんでくる。忙しい時も「抱っこ!ウエーン」と泣きながらせがんでくる。
最近は「手が離せないからダメ!」「もうすぐお兄ちゃんになるんだからダメ!」と突き放したりする事もしばしば。
昨日の夜ぬいぐるみを「抱っこ!」と言って抱きしめてた。
かと思うと座ってる私の所に来て「抱っこ!」とぎゅっと抱きしめて頭をナデナデしてくれた。
小さい体で精一杯抱っこしてくれてありがとう。これからはもっともっと抱っこしてあげるよ

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  • 112
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  • 2006/11/30(木) 15:18:27
>>109
>>99の話を見て感動するあんたは
きっと2人,3人でも同じように愛せるよ。


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  • 113
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  • 2006/12/09(土) 22:41:37
30人31脚全国大会感動しました

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  • 114
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  • 2006/12/09(土) 23:29:50
2才の娘のいたずらに事々く手をやいていた時。
思いきり叱ったらしばらく大泣きしていた娘。
「〇〇(子供の名前)、こんなに怒るママ嫌いでしょ?」と言うと「ママは〇〇の宝物」と泣きながら言ってくれた。
それを聞いていた私達夫婦。互いの顔をみたら、二人とも泣いていた。

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  • 115
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  • 2006/12/09(土) 23:50:31
>>110 >>112 レスありがと。涙が出ちゃうよ…。
2度逢えなくてやっと逢えた娘@もうすぐ6ヶ月でね…。同じ子が三度私の所に来てくれたのか、皆違う子なのかわからない。でもやっと願いが叶ったから、その分思い入れが強くて。
子供はすごく大好きだけど、娘と同じように次の子も愛せるかなって不安なんだ…。自信がなくて。
私なんかに神様が授けてくれるなら4年くらいたったら欲しいなぁなんて考えたりもするんだけど…。やっと逢えた、逢わせてもらえたのに、二人、三人欲しいなんて贅沢で欲張りかなって。
まだ話せないけど精一杯笑いかけてくれる宝物を大事にしなくちゃいけないですよね。
チラ裏スマソ

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  • 116
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  • 2006/12/17(日) 23:05:33
いつも、怒られてばっかりの次男@小4と二人で遊園地に行った。
ニコニコげらげらと実に子供らしくわがままも見せながら楽しそうだった。
激しいジェットコースターに何回もつきあったせいか、私がダウンして吐いてしまったときに
「お母さん大丈夫???」とすごく心配してトイレの前でずっと待ってた。
久しぶりにたくさんの笑顔と成長ぶりを見せてくれた次男へ・・・ありがとう!
また、行こうね。

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  • 117
  •  
  • 2006/12/21(木) 23:50:40
ageるという愛国心を垣間見せる俺。

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  • 118
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  • 2006/12/22(金) 00:29:41
「お母さん 死なないで」何の話しかと、そばにいた6才の息子を見ると涙を流しながら私を見上げている また、何かアニメでそういう話しでもしていたのかと抱き上げて話を聞こうにも、すでに号泣モード。
 まいったな、と考えるにふと思い出した事がある。 11月の頭に私は、親友をなくした。その電話を受けた時、そばに居たのが彼だった。
切れた電話を握り締め泣いた。傍らにあった椅子にしがみつくように声もあげていただろう。ただ、泣いていた。            つづく

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  • 119
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  • 2006/12/22(金) 00:32:44
>115
私も思ってましたよ。
数年不妊治療して、体外受精でやっと授かった一人娘。
しかも流産経験もあったので、なおさら思い入れも強くて。
これ以上に愛情をかけられる自信がなくて、勝手に一人っ子決定だな・・・
と思ってました。
なのでもう治療も打ち切り・・・と思っていたら第二子を自然妊娠。
妊娠中も不安でしたが、産んでみるとなんとかわいい事か。
どんな過程で来てくれた子でも我が子は我が子なんだなぁと実感しました。
>>115さんは上の子ちゃんをそんなに愛せるんだから、大丈夫ですよ!

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  • 120
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  • 2006/12/22(金) 00:52:31
 友人の葬儀に出席するためには、家を一晩空けなければならなかった。
上の二人は、お父さんが出掛けた後、それぞれに学校にいけばいいのだが、幼稚園はそうはいかず、実家に預ける事になった。
 前の晩彼に「明日は、一人でお泊りにいってね。お母ちゃんの大事なお友達が遠くへ行ってしまうので、さよならを言いに行きたいの。
お友達の家は遠いから何があっても帰れないの。  だけど、次の日には必ず帰ってくるから、いい子で持っててね。」
 そう、言い聞かせて私は出掛けた。
 辛く、哀しい葬儀を終えぼろぼろになって帰ってきた。  つづく      ながくてごめんなさい。

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  • 121
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  • 2006/12/22(金) 01:15:59
 それでも、家に帰ったら泣く訳にはいかず、お留守番ありがとうと一人一人抱き締めた。
母親が一晩いない上に、兄弟ばらばらと言うのが初めてだった彼らは、それぞれに不安に夜を過ごしたようで、一緒にお風呂に入り寝る頃になって、落ち着いた
 あれから、ひと月以上経ったはずなのに、何があったのかな?何で“死”という言葉が?       抱き締めながら、考えていると中一の兄が塾から帰って来てちびすけの泣いている訳を聞いた。
 「何だか急に、お母さん死なないでって泣くの」

 「そっか、ちびすけもそんなこと考える様になったのか〜。にいににも、せんのことがあったな〜。」
 なんて言いながら、私の腕の中からちびすけを抱き上げ、話しだしました。


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  • 122
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  • 2006/12/22(金) 01:32:43
 「お父さんのおとうさんは一緒に住んでいるじいじで元気でしょ。
 お母さんのお父さんとお母さんも元気で遊んでくれるでしょ。
だから、にいにやちびすけがお父さんになってもお父さんとお母さんは元気でいてくれるの。一緒に住んでいられるよ。だから、心配しないの。」
 
 座って抱きながら、弟に話をする兄、それをうん、うんと納得する弟。

 なんだか、ドラマの様だけど、家のソファーで本当にあった幸せな時間でした
 長文ですみません

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  • 123
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  • 2006/12/22(金) 01:36:01
>>120-122

素敵な話をありがとう!!
心が暖まったところで寝るとしよう♪

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  • 124
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  • 2006/12/22(金) 08:35:37
赤サンがまだ生後20日位の頃、
うまくおっぱいをあげられなくて、
毎回反っくり返ってギャン泣きする我が子に、
いつもはミルクを足して対応してたんだけど、
その日はうまくいかない焦りと、不安で涙が止まらなくなってしまい、
『ごめんね…おっぱいあげられなくてごめんね…
こんなお母さんじゃ〇〇クンもいやになっちゃうよね…』
と我が子と一緒に泣いた。
ふと気がつくと、赤サンは泣き止んで、私の顔をじっと見つめていた。
そして目が会うと『フニャ』と笑って、おっぱいをまた飲み始めそのまま眠ってしまった。
たまたまタイミングが合っただけかも知れないけど、
赤サンに『カアチャン泣かないで』と慰めて貰ったと勝手に思ってる。

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  • 125
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  • 2006/12/22(金) 08:37:58
話の種提供
S玉県K谷市H陽中の頃に1983卒の
某西山家系禎孝、某上野家系泰和、
某国井家系学、某茂木家系栄二、
某福田家系進一某東田家系模久とその他複数は
弱者にいじめがバレたら親族に危害を与えると脅迫し、
えたひにんと呼び、遺書や奴隷契約書を書かせ、
殴る蹴る汚すを繰り返し、金銭も恐喝していた。
こういう類は親族ともども不幸とは無縁の
社会的信用を得たお金持ちの生活をしている


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  • 126
  • あげーん
  • 2006/12/23(土) 09:51:36
あげーん

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  • 127
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  • 2006/12/25(月) 00:16:51
あげ〜

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  • 128
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  • 2006/12/26(火) 09:39:43
酒乱けのある旦那はたまたま私に殴る、蹴る。
息子が3才の時身を持って助けてくれた、何て叫んだか解からないが
後から怖かった〜って。嬉しかった・・・
今はもう高校生、私は一生忘れない、3才のまま。
旦那は息子が中学の時すで喧嘩で負けました、いまだにくやしがってる。



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  • 129
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  • 2007/01/04(木) 23:45:16
今日の日テレ7男2女大家族感動しますた
1/8(月)の日テレ初めてのお使いも感動すると思ふ

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  • 130
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  • 2007/01/06(土) 01:07:34
12月26日
小4の息子がお風呂の中で「大人にもクリスマスが来る」と急に言い出した。何で?と思いながらお風呂から上がると、テーブルの上に、シワシワの赤リボン、ノートで作ったカードに「母さんへ サンタより」と、チョコクッキーが置いてあった。

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  • 131
  •  
  • 2007/01/06(土) 09:06:12
>>119
ありがとう。
>>130 うちの娘もそんな子になったらいいな。

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  • 132
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  • 2007/01/07(日) 01:24:58
長男がちょっとづつ話せるようになった3歳ぐらいの頃、
長男が急に話し始めたことがあります。
「ママが大好きで、ママの子供になりたいと神様に言ったら
良いよって言ってくれて、パパが居なかったけど
それでもママの所に来たくて、ママに優しくしてあげたくて来たんだよ。」と。
私はできちゃった結婚で妊娠がわかったときはまだ結婚してませんでした。
だからパパが居ないと言ったのだと思います。
私はそれを聞いて声をあげて泣きました。
子供は理由なく、ただ、大好きと思ったから私のところに来てくれたんだ。
心から私を好きでいてくれる人がいる。誰よりも私を必要としてくれる人が
いる。両親を亡くし、私は独りぼっちだ…私の事を一番心配してくれる人なんていないと
すごく寂しい思いをしていた私は、この子の一言で救われました。
そして、2番目の子が生まれ、その子が話しはじめた時、夫婦喧嘩で泣いていた私に、
「神様がね、ママに優しくしてあげるようにって言ってくれたんだよ。
ママに優しくしてあげる為に生まれてきたんだからね。
○○がついてるから大丈夫だよ。」と言ってくれました。
私は何かの宗教に入ってるわけではありませんが、神様がいるんだと思いました。
そして、子供は親を助けるために生まれてくるんだ。
その人が大好きだから生まれてくるんだと確信しています。
今でこそ何も話してくれませんが、この小さいながらも
一生懸命話してくれたことを私は一生忘れません。
長くなってすみませんでした。

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  • 133
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  • 2007/01/07(日) 13:32:27
いい話だね。子供さんたちもきっと幸せなんだろうな。
よく、生まれる前に順番待ちで後ろに誰か居たか子供に聞いてみる〜なんてあるけど
子供が天使論はあるんだね。

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  • 134
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  • 2007/01/09(火) 00:23:51
良スレage


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  • 135
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  • 2007/01/09(火) 06:09:04
つわりがひどくて貧血を起こしてしまった時、家にはもうすぐ二歳の息子しかいなかった。
布団を指差しあっちと言い布団に入ったら隣に座り胸の辺りをなぜなぜしてくれてた。
そして居間にあったペットボトルのお茶持ってきてニッコリ。
偶然だったのかは分からないがうれしかった。
甘えっ子でいつも私にべったりだけど立派に成長しているんだな。


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  • 136
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  • 2007/01/09(火) 23:04:03
良スレあげ。

ちょっとスレチたけど、ついでに私のチラ裏。
私は六歳の時実母と生き別れた。母親は私を置いて姉を連れて出て行った為
母は私を愛してくれなかったんだと恨んだ。
今私には一人娘が居る、毎日寝顔を見ながら思う。
こんなに愛しくて大切なわが子を置いて行くには何か訳があったんだろうな。
あの時眠ってた私を置いて行く時母がどんな気持ちだったかと思うといつも泣けてくる。
子供を愛していない親なんて居ないってよく言うけど本当だった。
お母さん、私もかわいい娘を授かったよ。見せてあげたいです。

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  • 137
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  • 2007/01/10(水) 19:47:00
わが子が年長だった頃の話。
朝から子どもに口やかましく言いながら支度をさせていて、
子どもも口答えして、軽く言い合いをしていた。
主人はメンヘルで休職中で朝寝していて、寝室の隣のリビングで
ごちゃごちゃやっていたから、「うるさいっ。眠れないだろう」
って怒鳴られてしまった。。。
情けない話ですが、普通のパパさんは出勤している時間だと思うと
私はメソメソ泣いてしまい、それを見た息子が、私の顔を覗き込み
「お母さん、そんな顔してたらみんな(幼稚園バスのママ達だと思う)に
笑われるよ。ボクがいるから、大丈夫だから。ねっ笑って。」って
言ってくれた。
もう3年もたつけど、多分一生忘れないと思う。
肝心の夫は、結局退職してしまい、もうすぐ再就職が決まりそう。
うまくいくといいな。。

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  • 138
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  • 2007/01/11(木) 08:44:33
旦那は他人だけど子供とは血が繋がってることに
子供のささいな言葉や行動に日々感じて感動することがある。
>>137旦那さん、仕事うまくいくといいね。


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  • 139
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  • 2007/01/11(木) 08:53:27
132
はうちの姑みたいだ〜うざ〜

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  • 140
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  • 2007/01/11(木) 10:43:23
なんでうざいかな?普通に>132さんの話は感動して泣けたんだけど…?

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  • 141
  • 137
  • 2007/01/11(木) 23:44:09
>132
私も感動して泣けたよ。
うちの子も、大家族番組のド迫力母さんをテレビで見てたときに
「ボクはあんなお母さんはイヤだった。お空から見てたからわかった。
このお母さんがいいなぁって思って、生まれてきたんだよ。」って
言ってたことがあった。当時5歳で、正直事実とは思わなかったけど
そんな風に言ってくれたことが、とてもとても嬉しかった。
>138
レスありがとう。主人は明日から新しい職場で働き始めます。
子どものためにも頑張って欲しいものです。


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  • 142
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  • 2007/01/12(金) 18:33:29
一人遊びに夢中になっていた11ヶ月娘。
私がテレビを見て泣いていると、最近やっと歩ける様になった恐々した足取りで背中に寄ってきて、両手で背中をポンポンと叩いてくれた。
また泣いたよ…


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  • 143
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  • 2007/01/12(金) 21:34:31
12月の話ですが…。
年長娘の幼稚園で餅つき大会がありました。
未就園の下の子も連れて行くつもりでいたのですが、
ちょうどその少し前からおたふく風邪に。
私は幼稚園のPTA会長をしているので、前日準備や
当日も朝早くから行かなければならず、
やむなく息子を近くの義母に預けた。
前日準備のときは、私が帰って来てもたいして何もなかったんだけど、
当日の餅つきを終えて帰ってきたら、
「お母さん、遅かったーー!!」
ってギャン泣き。
その息子がなんとも愛おしくて、たまらなかった。
2日も預けられて、私から離れて不安だったんだなあと。
ちょっと育児に煮詰まってて、こんな母親で子供たちがかわいそうだなあと
思っていた時期だったから、本当に嬉しかった。
あの息子を見たら、これからも頑張れると思った。
そんな私は>>66

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  • 144
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  • 2007/01/21(日) 03:45:56
6歳の娘がいます。
昨年の夏に第二子を妊娠しましたが
10月に流産してしまいました。
あまりに突然だった為、手術の日まで実感がなく
夢なんじゃないかと思っていました。
手術が終わって次の日
娘が熱心にお絵かきをしてました。
いつもは飽きてすぐやめてしまうのに。
出来上がると私の所に駆け寄ってきて
「これ!赤ちゃんにかいたよ!」と。
見ると拙い字で
「あかちゃんまたきてね」
言葉が出なかった。
涙が溢れて仕方なかった。
子供の前だというのに大泣きしてました。
この子を産んで本当に良かったと
心から娘に感謝をしながら、抱きしめて泣きました。
本当に嬉しかった。
私の子供になってくれてありがとう。
生まれ変わっても
ママはまたあなたを産みたいと思うよ。

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  • 145
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  • 2007/01/21(日) 03:54:05
。・゚・(ノД`)・゚・。ウワァァン
いい娘さんですね…。

ここまで見た
  • 146
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  • 2007/01/25(木) 19:48:59
宋文洲:捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと
http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz07q1/523557/

 1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。
赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。
最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。

 「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。

 独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買うお金もないため、赤ちゃんはお粥で大きく育てられました。
病気がちな体は心配の種でしたが、聡明で近所からとてもかわいがられたのは、お父さんの救いでした。

 女の子は5歳になると、自ら進んで家事を手伝うようになりました。
洗濯、炊飯、草刈りと、小さな体を一生懸命に動かして、お父さんを手伝いました。
ほかの子と違ってお母さんがいない少女は、お父さんと2人で家をきり盛りしました。

ここまで見た
  • 147
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  • 2007/01/25(木) 19:50:58
●突然押し寄せた不幸
 小学校に入ってからも、少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした。
習った歌をお披露目したり、学校での出来事を話したりと、お父さんを楽しませました。
そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。

 2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらない状態になりました。
足にも赤い斑点が出たため、お父さんと病院に行くと、医者に告げられた病名は「急性白血病」でした。

 目の前が真っ暗になりながら、お父さんは親戚と友人の元に出向き、借りられるだけのお金を借りました。
しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円です。
中国よりずっと裕福な日本でも、庶民にとっては大金になるような治療費を、中国の農民がどうにかできるはずもありません。
集めたお金は焼け石に水でした。

 かわいい我が子の治療費を集められない心労からか、日々痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。
「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。
もういいから、退院させてください」と。

ここまで見た
  • 148
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  • 2007/01/25(木) 19:53:15
●自ら治療を放棄すると退院
 お父さんは少女に背を向けて、溢れ出た涙を隠しました。
長い沈黙の後、「父さんは家を売るから、大丈夫だよ」と言いました。それを聞いて、女の子も泣き出しました。
「もう人に聞いたの。お家を売っても1万元しかならないのでしょ。治療費は30万元ですよね」と。

 6月18日、少女が読み書きできないお父さんに代わって病院に「私は娘への治療を放棄する」との書類を提出しました。
彼女はまだ8歳でした。幼い子につらい思いをさせてしまったことを知ったお父さんは、病院の隅で泣き崩れました。
そして娘を救うことのできない自分を恨み、運命の理不尽に怒りを覚えました。

 娘は生まれてまもなく実の父母に捨てられたうえに、貧乏な自分と1日も豊かな生活を経験したことがありません。
8歳になっても靴下さえ履いたことがありません。
それでなくてもつらい人生を歩まなくてはいけなかったのに、さらに追い打ちをかけて病に苦しめられるとは。

 退院して家に戻った少女は、入院する前と同じように家事をし、自分で体を洗います。
お父さんに、自分は勤勉で、かわいく、そして綺麗好きな娘として記憶に残してほしい。
そう願いながら、1つだけお父さんに甘えました。

 新しい服を買ってもらい、お父さんと一緒に写真を撮ってもらったのです。それもお父さんを思ってのこと。
「これで、いつでも私のことを思い出してもらえる」と。

ここまで見た
  • 149
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  • 2007/01/25(木) 19:54:21

●70万元の寄付が集まり、治療を再開
 ささいな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気は心臓に及び始め、ついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました。
苦痛から、学校に向かう小道を、1人カバンを背負って立ち尽くすこともありました。そんな時には、目は涙で溢れていました。

 少女の死が近づいたころ、ある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました。
少女の話はたちまち中国全土に伝わり、人々は彼女のことで悲しみ、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。
女の子の命はもう一度希望の火が灯され、彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました。

 化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。
ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。

ここまで見た
  • 150
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  • 2007/01/25(木) 19:54:54

●訪れた運命の日
 2カ月の化学治療の間に、何度も生死をさまよいましたが、腕のよい医師の力もあって、一時は完全回復の期待も生まれました。
しかし、…。やはり化学治療は、病が進行し衰弱していた少女の体には、無理を強いていたのです。

 化学治療の合併症が起き、8月20日、女の子は昏睡状態に陥りました。朦朧とした意識の中で彼女は自分の余命を感じます。
翌日、看病に来た新聞記者に女の子が遺書を渡しました。
3枚もの遺書は彼女の死後の願いと人々への感謝の言葉で埋め尽くされています。
8月22日、病魔に苦しめられた女の子は静かに逝きました。

 少女のお父さんは冷たい娘をいつまでも抱きしめ涙を流しました。
インターネット上も涙に溢れかえり、彼女の死のニュースには無数の人々がコメントを寄せました。
8月26日、葬式は小雨の中で執り行われました。少女を見送りに来た人にあふれ、斎場の外まで人で埋まりました。

 女の子の墓標の正面には彼女の微笑んでいる写真があります。写真の下部に「私は生きていました。
お父さんのいい子でした」とあります。
墓標の後ろには女の子の生涯が綴られてありますが、その文面の最後は
「お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる」と結ばれています。


ここまで見た
  • 151
  •  
  • 2007/01/25(木) 19:57:08
●殺人は微増にとどまるが…
 紹介した話は、僕が中国で旅している間に偶然に耳にしたものです。
詳細に興味を持つ方はどうぞ僕のブログ(http://bsou.seesaa.net/article/31943569.html)をご覧ください。

 セレブの奥さんが夫を、医師を目指す兄が妹を、バラバラ殺人する事件が相次いで報道されたり、息子が父親のしつけに耐えられなくなり、母親と幼い兄弟を放火殺人してしまったり、とここ最近、家族同士の殺人事件のニュースを聞かない日がないくらい増えています。

 家族同士の殺人事件は、今に始まったことではありませんが、どうも最近はこれまで以上に凄惨になり、数も増えている気がします。

 2006年版の警察白書によれば、刑法犯で警察が被害届を受理した件数(認知件数)は2001年度に273万5000件だったのが、2005年度には226万9000件と減り、殺人事件は同じく1340件が1392件と微増、放火は2006件が1904件と減っています。
検挙件数で見ると、殺人は1261件が1345件と、これも増えてはいますが、目立って増えているわけではありません。

 白書の統計の中で、家族間の殺人がどのようになっているのか分からないので、凄惨な家族殺人が増えているというのは単なる印象論なのですが、どうも現代の日本は、家族の絆や生命の重みを大事にする気持ちが、薄まりつつあるのではないかと感じます。

ここまで見た
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  • 2007/01/25(木) 19:58:04
●カネや国に頼る前に、必要なこと
 もちろん勘違いだとは思いますが、そう感じるのは「カネ」さえかければ的な議論が先行し、何をするにしても基本である人の気持ちが置き去りにされているようだからです。
例えば、現在、安倍内閣が掲げている教育再生や少子化対策などの是正の議論の中では、必ずといっていいほど、国が対策を講じず、必要な予算をつけなかったから「学校が荒廃した」「子供を産めない夫婦が増えている」というものがあります。

 カネがないからダメになった、という意見に、僕は素直に賛成できません。紹介した中国の少女の家庭は貧乏だったけれども、少女を優しい思いやりのある子供に育てました。
お金はなかったですが、少女には夢があり、家族愛が育まれました。

 この少女が生きた四川省の農村部では、1人当たりの年間現金収入は1000元(約1万4000円)も届かないと聞いています。
ですから治療費の30万元というのは、年間収入が500万円の人が15億円の治療費を負担するようなものです。

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  • 2007/01/25(木) 20:08:31
神さまは立派な人ほど、直ぐに自分の傍に置きたがる。
素敵な人ほど…

。・゚・(ノД`)・゚・。ウワァァン


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  • 2007/01/25(木) 20:12:35
●思いやる心がない社会の寒さ
 少女の話がまたたくまに中国全土に広がったのは、中国も最近の経済発展でカネがすべてという退廃した空気が充満し、そして日本をはるかに凌ぐ格差社会の実態があるからだと思います。
少女の話からお金よりも大事にしなくてはならないものがある、いくらお金があっても得られないモノがあるのだということに気づかされ、それがなんの見返りもない寄付という形になったのだと思います。

 お金は、あることに越したことはありません。予算もそうです。
教育再生、格差社会の是正に限らず、どんな改革を実行するのにも、予算は少ないより多い方がましです。
しかし、お金をかければ、必ずいい結果が出るものでもありません。

 学校が荒れているのは、教育予算の規模も関係しているかもしれませんが、僕には家族が、人を思いやる心を子供に与え、教えていないことに根本の原因があると思えます。
もちろん家族だけが人を思いやる心を教えるものではありません。家族が教えられなくても、教師、地域、仲間が代わりを務めることもあるでしょう。

 暖冬の中、寒々しい話をたびたび聞くにつけ、心のぬくもりについて考えてみました。

※作者のブログ。http://bsou.seesaa.net/article/31943569.html


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  • 2007/01/27(土) 01:13:49
ほう・・・

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  • 2007/02/06(火) 15:03:53
268 :名無しの心子知らず :2007/01/22(月) 14:09:10 ID:kniPEtpZ
7ヶ月前に妻が他界して初めての、娘の4歳の誕生日。
今日は休みを取って朝から娘と二人妻の墓参りに出かけてきた。
妻の死後しばらくはあんなに「ままにあいたい」「ままかえってこないの」と毎日泣いていた娘が、
先週あたりからぱったりと泣かなくなった。
さっき墓前で「4歳になったからね、もうおねえさんだから泣かないよ、ばあばと約束したんだ」
と私に打ち明けてくれた。
そして、小高い丘の上にある墓地から空に向かって「ままーっ!いつでも帰ってきてねぇ!!」
と叫んだ。
けなげな姿が涙でゆがんだ。

いま、隣で昼寝している娘の寝顔を見ながらパソコンにむかっている。
もともとここをのぞいていたのは妻のほうで、入院中によくみていたようだ。
「私も何か書き込もうかな」
そう笑っていた数日後に亡くなった。
それから、半年以上が過ぎ、今日ふとここを思い出したのだ。

妻よ、きみと俺の愛する娘は今日4歳になったよ。
日々とても愛らしい子どもに成長している。
だから心配しないで見守っていて欲しい。

269 :名無しの心子知らず :2007/01/22(月) 14:30:57 ID:znBokZk2
お誕生日おめ


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  • 2007/02/11(日) 13:00:43
天国からも2ch見れるかな、
見れたらいいね

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  • 2007/02/17(土) 01:17:57
勘当

フリックラーニング
フリック回転寿司
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