江戸幕府が近代日本をダメにしたpart2 [sc](★0)
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- 2010/09/05(日) 20:59:56
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前スレ
江戸幕府が近代日本をダメにした
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1281770369/l50
今回は科学的な見解を頼む
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- 2010/09/08(水) 14:32:21
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>>70
鎖国中の江戸幕府がどれほど海外情報の収集に熱心だったか理解してないだろ
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- 2010/09/08(水) 14:40:46
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収集する「だけ」で何の対策もやってない。 黒船なんかまさにそう。
半世紀なんちゃせんかったんだからね。
幕閣首脳陣は海外経験つますとか
現地事情をみてこらすようにしておけばよかったのに。
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- 73
- 2010/09/08(水) 16:17:37
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幕府がものすご〜く熱心に収集した海外情報より
漂流漁師たった一人の情報のほうが遥かに役に立つとは
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- 2010/09/08(水) 16:37:51
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>>72
水野忠邦はペリー来航前から外国からの脅威を感じて
海防体制を構築しようとしてたわけだが
まぁ水野はあまりに急激にやろうとしたので、危機感を共有していない反対派につぶされたが
後を引き継いだ阿部正弘はもうちょっと巧妙で、幕府外の同志と連携を取りつつ機が熟するまで待っていた
そこにペリーがやってきたので、これを利用して一気に幕政改革、外様を引き込んで海防をやろうとした
阿部が途中で死ななければ大分状況は変わっていただろうね
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- 75
- 2010/09/08(水) 17:15:00
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たられば話ばかりで現実をみろよ。
ペリーがくるまで何もしなかった。 オランダからも来るぞーといわれていたというのに
高を括っていた 今回も帆船だろうし、よゆうじゃん そういう甘えがあったのだろう。
ペリーがきて1年後くるよ!となっても何もしなかった俺らの一存では決められないと
寝言までほざきだした おまえら征夷大将軍麾下の幕府じゃねえか
260年余り日本に君臨しておいていまさら国防どうしたらいいかわからないとか
アホ過ぎて話にならない。 いっぺんしんでこいや
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- 76
- 2010/09/08(水) 17:22:33
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大体幕府は情報集めていたと言うが、蒸気船が世界のかきあつめても50隻もないとは知らなかった時点でアウアウもの。
過去ログでもいわれているが、祖法祖法という以前にせめて幕閣クラスの官僚レベルぐらいは海外遊学させておけよ。
黒船がきてからあわてていってもおそいっつーの。 アメリカの虚勢みぬけなかった時点ですでに情報戦にまけているじゃねえか。
なんつうか、もう交渉以前に勝負ついてしまっているよね。 アホもいいところ オランダから海外事情聞いているから余裕とか
ほざいてるけど、オランダの情報自体もバイアスかかっているからね。ポルドガルしめだしたり、イギリスが再開しようとすると
妨害するわ将軍にあること無いこと吹きこむわで あくまであちらの国益でうごいているからね。
現に日米和親条約結ぶと他国と同じように即座に不平等条約おれらにもやれよとほざくしな チャンネル1つしかない時点で
アホとちゃうかと。
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- 77
- 2010/09/08(水) 17:23:08
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>>75
いや、だからペリー来航の意味なんて幕府内では勢力争いの道具でしかなかったんだってば
大騒ぎしたのも、現状の幕府では対応できないから改革しようという連中の演出もあった訳で
計算外だったのは、水戸が調子に乗りすぎたのと朝廷がマジになって騒ぎ始めたこと
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- 78
- 2010/09/08(水) 17:32:16
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江戸を封鎖されたら、100万都市の物流は速攻で干上がるがどうするんだ。
勢力争いというが、実力で廃止できず武力攻勢受けたあとだとさらに条件が悪化するぞ。
内向きのことばかり考えているようだが、実際に軍事的圧力が掛かっている。
1年後の不平等条約時に米の行動をみた欧米各国が一斉に同様の条約締結を
求めてきているのだから、開国しないままであれば各地で武力攻勢に出ていたであろう。
実際琉球や対馬などは米やロシアがねらっており、対馬は実際に半年間租借を要求され
乱暴狼藉甚だしく、イギリスの仲介で漸く引き下がったぐらい。
世界中でロシアとイギリスがグレートゲーム展開していた背景がなければロシアは引き下がらず
対馬占領ぐらいしていただろう。
日本はあくまでも運が良かったに過ぎない。
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- 79
- 2010/09/08(水) 17:36:26
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そもそも、蒸気船を実力で排除できない現実を、「幕閣の勢力争いの結果」と脳内返還したところで、現実は変わらないよ。
井伊が安政の大獄下してとにかくペリーにかえって頂く以外にどうしょうもなかったんだから。
攘夷攘夷といっている奴らが俺らが異人殺す!といったところで黒船は帰らんよ。 それが当時の日本の現実だよ。
現実を直視し給え。
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- 2010/09/08(水) 17:36:53
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てゆか海外に留学しても結局なにも学んでなかったってのがこないだまで総理大臣やってなかった?
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- 2010/09/08(水) 17:41:50
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>>80
古来から大陸や俺達の故郷朝鮮半島から多くの文化、技術を学んできたそれが律令体制などに反映させてきた事実を忘れてはいけない。
幕閣の阿呆どもがアヘン戦争下の清の様子でも目の当たりにしていたら、認識変わっていたろう。
あーこれは異国船打払令なんかだしても日本に来るの時間の問題だ(実際きていたし)と理解出来ていたろう。
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- 82
- 2010/09/08(水) 18:30:57
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>井伊が安政の大獄下してとにかくペリーにかえって頂く以外にどうしょうもなかったんだから
君が歴史に疎いのは良くわかった
今すぐ年表をチェックだ
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- 83
- 2010/09/08(水) 18:46:14
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要は幕閣の勢力争い説はコップの中の嵐にすぎず、外国の圧力は日本の事情とは無関係にやってくるもの。
備えあれば憂いなしというが備えがなかったのだから不平等条約を結ばざるを得なかった。
半世紀近く何もしてなかったのだから正しく怠慢以外の何者でもないということ。これファイナルアンサーだから。
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- 84
- 2010/09/08(水) 19:25:50
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不平等なんて認識は明治に入ってからの物
治外法権なんて、幕府と藩の間の関係を外国にも援用しただけにすぎん
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- 85
- 2010/09/08(水) 20:13:12
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当時は不平等との認識もなく、むしろ平等かそれ以上と思って喜んで条約結んじゃったのかバカ幕府は
明治政府は大変だったねえ
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- 2010/09/08(水) 20:20:04
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組織が腐るときは上から腐る
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- 2010/09/08(水) 20:49:35
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黒船が来てそのあまりのギャップに驚いたから「追いつき追い越せ」で近代化したんであって、
中途半端に技術があったら、清みたいに「夷荻なんかどうでもいい」となって、
気が付いたらもう手遅れになってたかも。
ところで、朝鮮って日本にいわれるまで鎖国してたんだよね?
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- 88
- 2010/09/08(水) 21:06:28
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言われてもしてた
で、西郷がペリーの真似でもやろうとしたのが征韓論の始まり
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- 2010/09/08(水) 21:28:45
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九州には豊臣時代の遠征の記憶が遠く残ってたんじゃないのかな
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- 2010/09/08(水) 21:28:55
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>19や>38で資料が出ているように、アヘン戦争よりずっと前の1806年の日露紛争の時点で
200年以上前の戦国時代の大砲を持ち出して抗戦し大敗したのが現実。
江戸幕府の国際情勢への認識はこの程度。
その後、この教訓にもかかわらず碌な対策も無いままペリーの蒸気船が江戸に迫って始めて
日本の惨めな現実を思い知ったのである。
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- 92
- 2010/09/08(水) 21:49:50
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高島秋帆が研究していた洋式砲術を幕府が採用したのが
アヘン戦争直後の1841年の事
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- 2010/09/08(水) 21:56:34
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>>91
うわっ馬鹿くせえ
しょうもない返しの見本だな
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- 94
- 2010/09/08(水) 21:59:40
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1806年の日露紛争はロシア側が目的を達成してないから
日本大敗というのは誇張が過ぎるな
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- 95
- 2010/09/08(水) 22:25:15
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幕末の開港後、日本はこれといった輸出産品がなく、生糸と茶が2大輸出産品であった(及び海産物)。
お茶の輸出市場は米国が中心であった。「明治時代をつうじて、製茶輸出のおよそ80%以上がアメリカ合衆国に、
10%前後がカナダに輸出されていた。」(角山1980)
英国は、18世紀初頭には緑茶消費の方が多かったが、この頃はすでに紅茶消費が主流であり、
日本の緑茶は好まれなかった。ちなみに英国への紅茶輸入の仕出国は中国が主であったが、
1823年のアッサム種の発見以降、インド・セイロンでのプランテーション経営が進展した結果、
日本と同様に小農経営中心の中国のシェアは縮小しつつあり、1887年には中国紅茶は半数を下回るに至っている。
米国は英国の東インド会社の茶の専売や茶税に抵抗したボストン・ティー・パーティから
独立戦争がはじまった経緯もあって、茶よりコーヒーを好んでいた。お茶にしても紅茶ではなかった。
米国では「ティといえば緑茶のことで、緑茶に砂糖とミルクを入れて飲んでいた」(角山1980)。
緑茶は貧民階級の飲物だったらしい。
「日本茶ハ神経ヲ刺衝スルコト強キガタメ...北米合衆国及カナダノ伐木者ハ日本茶ヲ消費スル巨擘タリ」
(25年中カナダ貿易景況)。
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- 2010/09/08(水) 22:34:04
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>>95
だ・か・ら 一言で言えば
そういった事は幕府が情報弱者&一切対策しなかっただったからでしょ?
つまり明治になって情報・対策がしっかりしてきて一気に文明が開化した。
後、50年早ければもっと日本は以下ry
あげておく
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- 2010/09/08(水) 23:20:26
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50年前といえば欧州はナポレオン戦役まっただ中か
そのころ開国したって近代・帝国主義というモデルがまだ固まってない時代だから
日本は近代化の必要性を感じずに幕藩体制がそのまま続いただろうな
当然史実以上の海外進出も無い
日本が近代化を必要としたのは、西欧との接触が早い遅いじゃなくて
世界情勢の必然があってのことだから、結局の所たいして変わらない
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- 98
- 2010/09/08(水) 23:22:18
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>>95
売るものが無いなら、人を売ればいいじゃないか
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- 2010/09/08(水) 23:28:24
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>>97
>そのころ開国したって近代・帝国主義というモデルがまだ固まってない時代だから
歴史をもっと勉強しろw
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- 100
- 2010/09/08(水) 23:34:26
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>>99
近代国家は生まれてはいたけど、当時はまだそれが唯一の正解だったわけじゃないぞ
ナポレオン戦役やその後のウィーン体制など曲折を経てそれに収斂されただけで
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- 101
- 2010/09/08(水) 23:42:14
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>>100
少なくとも1700年代(17世紀後半)からはいろいろあると思われ
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- 102
- 2010/09/08(水) 23:46:34
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>>98
人買い伊平次乙
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- 103
- 2010/09/08(水) 23:48:58
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>>100
は?
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- 104
- 2010/09/08(水) 23:52:09
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ウェストファリアシステム&世界システムに史実より上手く適応するにはどうすれば良かったのか
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- 105
- 2010/09/08(水) 23:54:42
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>>104
それには、まず日本がウェストファリア体制に入らなければならない必要性がいつ生まれるかを考えないとな
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- 106
- 2010/09/09(木) 00:04:45
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史実では幕府末期に不平等条約を結ばされたわけで、
その前に開国の誘いがあったオランダと平等条約を結び
その後で諸国と国交を樹立するのはどうでしょうか?
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- 107
- 2010/09/09(木) 11:19:05
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黒船来航時の政策に異議を唱えて外国に好き勝手される下地である内戦を始めたのは
攘夷だの倒幕だのと時勢をまったく読めてないことをのたまった薩長だろ
大政奉還の時点で薩長が手を引いて協力体制を組めてれば不平等条約是正なんて30年は早まった
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- 108
- 2010/09/09(木) 12:07:39
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薩長のせいで軍国主義になった
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- 109
- 2010/09/09(木) 13:16:16
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>>108
軍国主義は薩長の力が衰えて
賊軍だった連中が陸軍を牛耳ったからだろ
薩長の頃は陸海軍→政治家への転身コースがちゃんとあったから
政治の軍に対する優越が保たれていた
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- 110
- 2010/09/09(木) 13:53:09
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黒船来航までに幕府が国防をちゃんとし、外国に好き勝手される下地である
不平等条約を結ばなければ攘夷、内戦、倒幕も起きなかったろうに
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- 111
- 2010/09/09(木) 14:59:48
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攘夷は、不平等条約じゃなくても外国人を国内に入れる条約なら朝廷が騒いで止められない
結局、一番鎖国にこだわったのは朝廷というオチ
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- 112
- 2010/09/09(木) 19:07:59
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だから攘夷にこだわった孝明天皇は薩摩に○されたろ。
操りやすい幼帝にかえて威信達成 予定通りだな大久保! おお西郷!
とそういうことだろ・・・・・。
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- 113
- 2010/09/09(木) 21:36:52
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つまり、大室寅之祐万歳と
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- 114
- 2010/09/10(金) 09:55:55
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>>110
下関戦争、薩英戦争を仕掛けて大敗を喫した
一番外国をナメてかかってたのは薩長
私が間違ってました幕府が正しいとなると思うけど
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- 115
- 2010/09/10(金) 14:33:35
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>>114
薩長「私が間違ってました! イギリスが正しい。武器売ってちょ」
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- 2010/09/10(金) 16:36:22
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琉球はずっと開国してたんだよね?位置的にも南蛮船が来やすいのに、
どうして南蛮と交易しなかったんだろ?鉄砲も日本からの伝来だし。
ちなみに、現在では信じ難いことですが、琉球の大交易時代、
中国へのもっとも重要な輸出品は馬でした。当時、琉球は馬の産地で、
一度に数十頭の馬が中国むけに輸出されてました。
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- 2010/09/10(金) 17:45:50
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>>111
結局、一番鎖国にこだわったのは朝廷というオチ
朝廷の欧米人に対する認識って赤鬼だから
そんな魑魅魍魎が日本に来たら食われるとか真剣に信じてたんだよな
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- 2010/09/10(金) 17:48:20
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ちなみに咸臨丸で欧米に行った幕府の人間は欧米人はなんと醜いのだ!ってなこと日記に書いてる
今のように白人をやたらありがたる日本からは信じられないが
当時の日本人にとっては白人は醜かったんだよね
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- 2010/09/10(金) 17:59:20
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このような白人に対する事実誤認が太平洋戦争の鬼畜米英という言葉に表れたような気がする
白人を鬼として打ち払う敵と認識したのがすべての不幸の始まり
むしろ白人と積極的に交じり合っていたらどうだったろうか?
フィリピンのように混血が増えて、英語が公用語になっていたのだろうか?
っていうか、はっきり言って現在の日本の状況はフィリピンとなにが違うというのか
義務教育で英語を教え、米軍基地は国内に駐留、アメリカに対する憧憬がやたら強い
遅かれ早かれこうなるんだったら早い段階でアメリカを受け入れるべきだった
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- 2010/09/10(金) 18:24:50
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>>119
森有礼乙
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- 2010/09/10(金) 19:25:44
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アメリカに対する憧憬って実際のところ大したもんじゃないからな
バリバリアメリカに移民したり留学したりしてるのは日本以外のアジアの方が大石
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- 122
- 2010/09/10(金) 19:26:35
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>>119
アメリカに移住したら?
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