鈴鹿市を語ろうvol.89 [machi](★0)
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- 207
- 2013/12/08(日) 12:39:52
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>>205
あの場所はやるんかなぁ
賭けやな
たしかにコンフォートホテルとかの宿泊客はいくやろけど
やっぱ駅前ロータリーから見えるとこにないとキツイんちゃうかな?
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- 208
- 2013/12/08(日) 18:25:02
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鈴鹿に住んで8年経つけど、住みやすくて良いところだと思う。
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- 209
- 2013/12/08(日) 19:27:33
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しかし、23号の暴走族何とかしてほしい
一昨日の夜中は本当にうるさかった
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- 210
- 2013/12/08(日) 20:42:50
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ところで、吉沢自動車って営業してるのですか?
店の中に人がいるのを見たことがありません
もちろん、お客様が入っているのも見たことがありません
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- 211
- 2013/12/08(日) 21:16:48
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>>210
入ったことあるよ
怖いお兄さんがいました笑
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- 212
- 2013/12/08(日) 21:41:12
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今は分かりませんが、昔は本当に怖い人たちのお店でしてね。
相応しい車で行かないと、証明さえ点けてくれないとか。
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- 213
- 2013/12/08(日) 21:56:50
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倒産したときいたことがありますが・・
営業しているのですね
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- 214
- 2013/12/09(月) 06:11:26
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最近は床上浸水とかその他洪水とか山崩など無くて。
滅多な事じゃこりゃ困った、って事が無くて住みよい。
人的な事は別ね。
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- 215
- 2013/12/09(月) 07:47:01
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>>214
そんな事が鈴鹿に有りました?
白子でも床上なんて、そうは無かったと思うけど。
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- 216
- 2013/12/09(月) 08:53:50
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水害といえば、鈴鹿川水系でしょ
昔は相当ひどかったらしいぞ
逆に白子の話は聞いたことがないな
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- 217
- 2013/12/09(月) 08:56:01
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周りがたんぼばっかりだった所を造成して速攻で家建てたようなのは新しい所でも水没してたりするよ
玉垣の方やら安塚の方やら。床上も所々あった気がする
最近どんどん元田んぼが住宅地に変わっていってるから低い場所って分かりにくいかもね。
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- 218
- 2013/12/09(月) 09:02:55
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低いか高いかもあるけど、田んぼの遊水機能がなくなって降った雨が一気に水路に行くことで、
水路がオーバーフローするのが大きい。
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- 219
- 2013/12/09(月) 14:28:35
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>>216
白子は津波で全滅。
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- 220
- 2013/12/09(月) 14:31:15
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鈴鹿市って江戸時代まで神戸藩と紀州藩白子領で分断されてたんだね。
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- 221
- 2013/12/09(月) 14:51:06
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>>220
神戸藩は紀州藩ではなかったの?
伊勢藩?
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- 222
- 2013/12/09(月) 14:56:55
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神戸藩は独立した小さな藩。
神戸藩(かんべはん)は伊勢国河曲郡周辺を領有した藩。
藩庁は神戸城(三重県鈴鹿市神戸)。
御三家の紀州が白子を欲しがったのは物流拠点だからだろうね。
『白子から出港する千石船は紀州徳川家の旗印を掲げて江戸に入港することが許されたからである』
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- 223
- 2013/12/09(月) 15:11:22
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>>222
白子は家康を逃がした功績から、伊賀から服部家を連れて来て直轄地にし
後に紀州徳川家の領地に成ったんじゃなかった?
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- 224
- 2013/12/09(月) 18:42:24
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よくご存じで
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- 225
- 2013/12/09(月) 19:53:09
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江戸時代の鈴鹿市域の区割りはどうなってたんだろうね
たしか石薬師も天領だったというのは聞いたが
国府ってのはいつの時代に伊勢の国府だったんだろう?
今はええ感じの全くの田舎だが
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- 226
- 2013/12/09(月) 20:08:41
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昔は鈴鹿より亀山の方が格上やったらしいな
亀山の方が交通の要所だったし
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- 227
- 2013/12/09(月) 20:28:47
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格てなんやねん?(笑)
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- 228
- 2013/12/09(月) 20:40:21
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国府町は
伊勢国の国司が居る国府があったとこだし
国分町は、伊勢国の国分寺があった。
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- 229
- 2013/12/09(月) 22:54:06
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はよ帰りたい
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- 230
- 2013/12/10(火) 01:44:32
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>>210
営業してます。昔に比べて売れそうな車が並んでます。
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- 231
- 2013/12/10(火) 06:25:07
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>>228
伊勢の国府は広瀬だ
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- 232
- 2013/12/10(火) 06:56:39
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>>230
今のフェラーリのデザインは好みじゃないわ
買えないけどね
昔のフェラーリが好きだった
ランボルギーニも昔のデザインの方が好き
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- 233
- 2013/12/10(火) 12:22:02
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>>212
今も変化なく、怖いヒト居ますw
気弱な人やと、入りにくいかも。
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- 234
- 2013/12/10(火) 12:27:31
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吉澤自動車の金髪娘の看板
もうやらんのやね(笑)
昔はあれを見ると
ああ、鈴鹿市内に入ったんやな
と思いながら
23号線を通ったものだけど
できれば復活して欲しい(冗談)
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- 235
- 2013/12/10(火) 12:51:37
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半分すき家に貸したの?
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- 236
- 2013/12/10(火) 18:30:02
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>>231
伊勢の国府は鈴鹿市内あちこち転々としたということを聞いた
鈴鹿市内を転々としたというのも変な話だが(# ゚Д゚)
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- 237
- 2013/12/10(火) 18:38:29
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>>235
貸したの?
とられたんじゃなくて?
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- 238
- 2013/12/10(火) 19:29:27
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> 伊勢の国府は鈴鹿市内あちこち転々
武士階級が台頭して北畠家の代あたりには形骸化して
国司はただの肩書きになったんだよな。
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- 239
- 2013/12/10(火) 20:25:50
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歴史とか難しい話しはやめようよ
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- 240
- うー
- 2013/12/10(火) 20:38:14
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エースで警察がいっぱいいたけど何かあったんですか?
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- 241
- 2013/12/10(火) 22:40:47
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帰りに久々にエースに寄ってこうかと思ったけど平田方面から右車線を走ってたんでやめたんだよね その直後にサイレン鳴らした覆面とすれ違ったんだよね。何があったんだろね〜エース。
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- 242
- 2013/12/11(水) 00:42:06
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ぱねー
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- 243
- 2013/12/11(水) 06:02:58
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あんまりエース行く人いないんだ〜。
野次馬根性で知りたい!
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- 244
- 2013/12/11(水) 19:31:17
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>>238
でも国府が鈴鹿にあったっていうのはええんとちゃうやろか?
加佐登にはヤマトタケルが亡くなってから白鳥になり大和に飛んでいったという伝説があるが地元ではそう語り継がれているの?
あるいは、それ見た爺ちゃんとか?
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- 245
- 2013/12/11(水) 19:38:42
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> ヤマトタケルが亡くなってから
神話=おとぎ話・ファンタジー。
実際、ヤマトタケルという人物が居たかどうか定かではない。
発掘して人骨だ出たという話もないしな・・・
ただ古墳自体大規模だからこの地域に勢力を張った豪族の墓だろうね。
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- 246
- 2013/12/11(水) 23:22:32
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歴史の話しはお腹いっぱい
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- 247
- 2013/12/11(水) 23:30:14
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>>246
>歴史とか難しい話しはやめようよ
> 歴史の話しはお腹いっぱい
そうかw『消化』できないかw?頭と胃でw
ただ色んな知識や話題に精通することはプラスになるかどうかは
場面、状況によってわからんが少なくともマイナスにはならないけどねw
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- 248
- 2013/12/11(水) 23:47:44
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歴史の話は面白いし、スレチじゃないから是非続けてもらいたい。
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- 249
- 2013/12/11(水) 23:48:37
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鈴鹿に国府があっても、伊勢国は伊勢神宮の荘園だらけだから、
伊勢神宮の支配地に影響及ばず、国衙領を支配していただけなんだよね。
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- 250
- 2013/12/12(木) 00:00:07
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僕も嫌いじゃないんだよ
亀山と鈴鹿、どっちが偉い人を輩出してますか?
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- 251
- 2013/12/12(木) 00:34:22
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>>228-231
国府町と名乗っていた場所に、国府はなかったのが真相。
国府があったのは広瀬町で、鈴鹿川の北である。
また、国分寺のあった国分町にも国府はない。
国府と国分寺は隣接して同じ場所にあるという学説があるが、
まったくのデタラメである、伊勢国をサンプルとして見れば。
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- 252
- 2013/12/12(木) 00:49:28
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戦国期に見える地名。伊勢国鈴鹿郡のうち。明応8年5月,中納言入道飛鳥井雅康は
富士遊覧の途次6日亀山に着,関民部大輔盛貞と交歓,13日国府の佐渡入道誠泰
(国府氏か)在所に至り,和歌の贈答を行っている(富士歴覧記)。国府遺構の北端,
小字長ノ城は関氏一族国府氏居城跡と伝えている。国府氏については「親元日記」
文明5年9月3日条に「長野与力者 コウト申者」と見えるほかは文献に乏しく,
「勢州軍記」などに記されているのみであるが,天正11年,織田信雄・羽柴秀吉と
神戸信孝・柴田勝家が対立した時,国府城を国府次郎四郎が守っていたと伝える。
同年2月,伊勢に進軍した秀吉は,峯・亀山・国府城を包囲,20日国府城は陥落,
城主は城を去り渡し助命されている(木村文書・近藤文書/大日料11-3)。その後
国府は信雄領となったが翌12年信雄と秀吉が対立,国府は国府氏が信雄方と
して守るも,4月次郎四郎は開城,国府氏は9代にして滅んだと「勢州軍記」は
伝えている。なお,江戸期において当地一帯を国府郷と総称することもあった
(勢国見聞集)。
角川地名辞典によると、国府なる地名は1500年頃に登場したとしている。
関氏の一族が国府氏と名乗ったことによるもの?
奈良・平安時代に国府町が国府と名乗っていなかったことは明白。
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- 253
- 2013/12/12(木) 03:20:02
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ていうか、国府のあった場所が「国府」という地名に置き換わり始めるのは、
国府自体が喪失していった中世以降の出来事でしょ、一般的に考えて。
考古学的には広瀬の国府が官庁施設として明らかに中途半端だから、
完成前にどこかへ引越したっていう解釈になってるみたいよ。
地名的に考えて最終的には国府町のあたりに落ち着いたっぽいけど、
国府町から何も出てこないから、はてさて、ってことらしい。
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- 254
- 2013/12/12(木) 06:14:35
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現在の国府町は名前だけ何処かから持ってきたのかね?
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- 255
- 2013/12/12(木) 06:39:55
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でも国府の辺りは古墳がゴロゴロしてるけど、あれは全く関係ないの?
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- 256
- 2013/12/12(木) 08:15:26
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国府という地名が室町期にできてきたというのは意外でしたなぁ
今まで伊勢の丸の内だったみたいに言いふらしていたよ(・・;)
>>250
>亀山と鈴鹿、どっちが偉い人を輩出してますか?
偉い人って見方によっていろいろだろうけど
亀山は知らんけど、鈴鹿市域からは
文学者では、山部赤人、夢窓礎石、佐佐木信綱、俺
武士では平治の乱に駆けつけた伊藤景綱くらい
以上です、ガセネタもあったかもしれんけど、あと補足どなたかキボンヌ
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- 257
- 2013/12/12(木) 08:21:55
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それと市内での、とっておきの名所旧跡ってどんなのがあるの?
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- 258
- 2013/12/12(木) 08:24:27
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>>247
これはみっともない
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