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  • 2012/02/22(水) 16:54:14
>>275
人が減った体育館では、なんとなくリーダー、副リーダー、炊き出し班、水汲み班ができた。

お互い会話もするようになった。


ある家族は海に近い場所で働いていた父親に連絡がつかず、あるカップルの女性は南三陸町に住むいとこと連絡がつかず不安らしかった。

旦那も実家が気仙沼にあり、旦那の前の奥さんの実家も女川にあるらしく、子供の心配をしていた。

夕方、ボロボロの男性が体育館にやってきた。
連絡がつかなかった家族の父親だった。

津波で逃げたが携帯は水没し
近くでコンビナートが爆発、炎上したので、みんなで離れたビルに泳いで難を逃れたが油まみれ。

水が引くのを待って、多賀城まで歩いてヒッチハイクで仙台駅へついたが、市内は何事もなさそうなのに自分はボロボロ…

なにがあったんだって言って座り込んでいた。


一週間くらいすると、物資も豊富になり、電気が復活し、テレビが見れるようになったり、不明者を検索するためのインターネットがひかれた。

パソコンを打てる人があまりいなかったので、頼まれて私が代わりに検索したりして過ごしていた。

ここまで見た

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