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  • 2009/08/02(日) 08:09:55
突然ですが、酔っ払いの戯言。
朝っぱらから飲んでるんじゃない!と突っ込まないように

今時の「危険は全て排除」と言う学校の教育は間違ってる。
本来は、危険にどう対処するか、どう付き合っていくかを教えなければならないと思う。

刃物を例としてあげると、
現在の小学校の多くは、刃物の持ち込み禁止、若しくは学校預かりになっている。
何の説明も無く禁止された子供達はどう思うだろう?
最近の刃物を使った殺傷事件の報道と結びつけて、刃物=凶器と認識しないだろうか?
「刃物を凶器にするのは人間の狂気」と、私は言っている。
本来、刃物は利器であるが、扱いを間違えれば自分や他人を傷つけてしまう事もある。
これを、ただ危ないと言う理由だけで取り上げてしまってもいいのだろうか?
正しい取り扱いを教えるのが本当ではないだろうか?

正しい使い方を知らなければ、当然間違った使い方も知るはずが無い。
間違った使い方をしている事に気付かないのである。

今時の子供達の中で、刃物を正しく扱えるのは一割にも満たないと言う。
刃物を渡す時、柄を相手に向けて渡せる子供がどれくらい居るだろう?
これは、相手を危険にさらさない、不快にさせない、受け取りやすくする、といった気遣い(マナー)でもある。
ただ取り上げるのでは、こういったことも学ぶ事は出来ない。

私は、自分の娘にはよく研いだ包丁を使わせている。それこそ髭が剃れる位切れる包丁を。
初めは指を切るんじゃないかと怖くて目を離せなかったが、数年経った今は心配要らないほど上手に使っている。
刃を他人に向ける等は絶対にしない。
扱いを間違えれば危険だということをしっかり理解しているからだろう。

学校の教師は、何か問題が起こることを恐れているのだろうけど、集団生活では必ず問題は発生する。
大事なのは、問題の原因に成り得るものをただ排除する事ではなく、
問題が起こりそうな時、または起こってしまった時の対処である。
何故ダメなのか、何故こうなったのか、どうすれば起きなかったのかを教えなければならない。
教えるといっても、教師の理屈だけ並べるのではいけない。
子供達に考えさせ、答えに導いてあげなければならない。
こうして学び、育って行くのである。
最近の教師の多くはこれが出来ないのだと思う。
だから初めから原因になりそうなものを排除しようとする。

子供達を叱り(怒るではない)、褒め、導いてあげられる「先生」は絶滅してしまったのだろうか?
もう単なる公務員として教科書の内容だけを教え、受験に合格させる為だけの教師しか居なくなってしまったのだろうか?

各家庭で教えなければならない事もあるが、集団生活の中でしか学べない事も沢山ある。


教師の方々、子供達に心から「先生」と呼ばれる人になってください。
勿論私たち親も頑張ります。

長々と失礼しました。




追伸
ところで、今日の岩手日日の一関・両磐の記事に載っていたのですが、弥栄小学校で世代間交流として、
児童と地元のお年寄りが竹製の水鉄砲や竹とんぼ、輪ゴム鉄砲等を作って触れ合ったそうですが、
こういった行事はすごく良いと思います。
人生の先輩であるお年寄り(こう言っては失礼かもしれませんが)は、知識も経験も豊富で、
子供のみならず教師の方々も学べる事がたくさんあるのではないでしょうか。

ここまで見た

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