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  • RareBear77
  • 2013/07/22(月) 06:30:35
>>744
証拠保全で残します。
担当は神奈川板ですので、そちらの管理人に連絡をいたします。

>>745-748
ヲダズナ!

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  • 2013/07/27(土) 05:31:31
ウーマンズウォーがトラウマ。
あれの再放送中にきやがった。
市内なのに家半壊。ぶっちゃけ天井落ちて庭にヒビ
断崖絶壁みたいなとこだから、普通に恐かった。
半壊より全壊に近かったな…。

その日はあくてんこうで、吹雪やがるし最悪だった。

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  • 2013/08/05(月) 12:31:54
知人は家族失ったが保険金がたくさん入って都内の高級マンション買った。

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  • 2013/09/02(月) 09:11:54
今日のあまちゃん、始まってすぐに
3月11日
ときいて、反射的にちゃんねる変えてしまった
自分は北東北内陸住、実害は食器ぐらいだったんだが
気にしてないようで、
実は精神的ダメージは大きかったんだな
すごく憂鬱になってしまった
吐き出しごめん

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  • 2013/09/02(月) 20:09:00
>>754
頑張ってください いつかは忘れる?いや感情が薄くなると思うよ
ネットの誹謗中傷気にするな

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  • 2013/09/02(月) 20:14:05
ありがとう
元気出すよ

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  • 2013/11/21(木) 15:07:34
大震災の時、宮城県内でも沿岸部ではなかったけれど、
自宅は長時間とんでもなく激しく揺れ、カウンターキッチンに
設置していた食器棚が揺れのピークに一気に前倒しになり、
扉が勢い良く観音開きになって、シャーーーーー!!!っという
音を立てて、食器の95パーセントが破損しました。

電話も花瓶も棚から「落ちる」というよりも、軽く6畳間の端から
端まで吹っ飛び、揺れがおさまってから状況確認をすると、
全室家具も大きくずれ動いていたり、本棚は前倒し、パソコンも
プリンターも揺れた方向に吹っ飛んでいました。

撃沈しました。

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  • 2013/11/21(木) 19:34:42
3.11・・・

福島県郡山市。
当時、市内のビル11階にある会社で仕事してました。
立っていることも移動することもできない驚異的な揺れ。
ここで死ぬんだ。。家族にもう会えないんだ、子供たちは大丈夫?母は?義母は?旦那は?
なんにも感謝できずに死ぬんだ。。。
ビルはどういう風に崩壊していくんだろう?痛いのかな?
絶望的な気持ちで「神様ーーーーーーーーーーーー!!助けて!!」と何度も叫びました。

揺れが収まり事務所からみんなで脱出しようとしたその瞬間、天井からキラキラ七色に光るガラスのかけらがたくさん落ちてきました。
「ああ、後でガラス掃除しなきゃ・・」と、そんな状況で思っていました。

あの時の恐ろしさは今でもトラウマで、震度2くらいでも心臓がドキドキして咄嗟に逃げる体制になっています。
しかし、一番恐ろしいと思ったのは、名古屋の本社上層部からやっと繋がった電話で(支社長が受けた)、
「事務所のお金は大丈夫なの!?明日から全員片付けしてよ!」でした。
救援物資も何もなく、2年半たった今でも役員は福島に来ていません。
放射能が恐いからだそうです。

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  • 2013/11/21(木) 19:38:04
>>759です。

ちなみにキラキラ光るガラスは、次の日はありませんでした。
天井に穴があいた形跡もないし、誰も見ていないと・・。
錯覚だったんでしょうか。。

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@宮城県 仙台市

ちょうど一度目の休憩が終わり、さて臨戦態勢に入ろうかとスタンバイした瞬間にケツの下の辺りに軽い揺れを感じた。これが去ったら仕事開始と決めおさまるのを待った。
隣では同僚がすでにクライアントと通信し始めている。
揺れてるのに根性見せてるなぁ…
そう感心したその時!
ドォーーーーーーーーンッ!
と突き上げる揺れが来た。
同僚は『キャーーーッ!』と悲鳴を上げて吹っ飛ばされた!いくら地震大国宮城っこであれど人が吹っ飛ばされるなんて揺れは初めてだった。
あわててデスクの下に隠れる。 せっかく隠れたのに縮こまった自分が弾む。 立っていられない、かと言ってまともに座ってもいられない。弾みながらただただ揺れのおさまりを待つだけだった。

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揺れがおさまり8階にあるオフィスから脱出。
脱出するときPCの電源は落ちていたのに電話の着信可能のランプだけ赤く光ってたのがとても印象的だった。
資料もぶっ飛んでいた。
階下へ降りる時、階段の壁面にぼっかりデカイ穴が空いてる。そもそも築年数もハンパないビル故に前々からヒビだのが入ってて 大丈夫なんだろか?と思っていた矢先だった。

とりあえず外に避難した全員が自分の愛する人々へ電話メールし始める。
だが、繋がるためしがない。
点呼の後 今日は仕事にならんねとその場解散になった。
同僚たちと別れて
2ブロック先の弟の勤務する店に向かった。

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普通に歩いているつもりでもリズムは完全におかしくなってた。
街は少しずつ壊れてた。 身長よりデカイ ポールクロックも あんな重いのに横倒しになってた。
いつもいく弟の店が見つからない… 何度も往復するけど見つからない…何分探しただろう?狼狽しきってる 自分の目の前に 見慣れたアイツの頭が見えた。
☆(゜o(○=(;ο;)oオィッ!
生きてた!
お互いの会社の惨状を語ったあと、アイツはまだ残ると言うので やつを残して中心街を脱出することに…
ところが バスは目の前まで来て『回送』と電光を変えるのだ。
交通機関など信じられん。そう思って片道徒歩1時間の家路を歩いて帰ることにした。

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歩けども 歩けども 進んでいる気がしない。

その内、雪がブリザードのように襲う。
軽いホワイトアウト…前後不覚。心なしか後ろからくる車のライトが行く手を指し示してくれた。
貨物線路の上を通る大きな陸橋、そこを越えなければ家には着けない。新しく建て直した陸橋が落ちてやしないか心配だった。
雪で視界を阻まれる中でその影がそっと姿を見せた。
あぁ 落ちてない。大丈夫だ!
そこを登りながら今度は自分のホームタウンが、ひいては家が潰れていないか…家に一人でいる母は大丈夫なのか…不安にかられた。
周りを見れば ビルの部分倒壊やGSがめちゃくちゃになってるのが目につき悲しくなった。

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なんとか家までたどり着く。
潰れていなかった。玄関前まで来たら母が出てきた。
よかったと胸を撫で下ろすと今度は兄が様子見に来たが今一度会社に戻ったと聞いた。
何やってんの!道路なんて今走れる状態じゃないよ!(-""-;)
案の定 小一時間もして戻ってきた。

今日は家の中は無理だな。一台に全員で集まって居よう。
狭い軽の車で眠れない夜を過ごした。

ご飯 食べてない。

ラジオからは馴染みの地区が、自分が遊んだ町の数々が壊滅だって流してる。
壊滅ってなんだ?
みんな居なくなったのか?(-""-;)

そして、ラジオはさらに 相方が住むあの町の名前まで壊滅と言った。
一気にゾワッとなった。
あいつんち…携帯…繋がらない…
寒さなのか?なんなのか?震えが起きて止まらなくなった。

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  • 2014/02/20(木) 11:25:54
>>768
お疲れさん
続きあったら書いてね、見てるから

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今日はPCから打ち込む。
車生活はだいたい2日間ぐらい
余震の間隔が開くようになってから家に入った。
ぐぢゃぐぢゃだろうな と覚悟して入ったのだが 大まかなところは母と兄が様子見の時に戻したりしていてくれた。
家に入って こまごまとしたものを片つけるという日々が始まった。
自分のものを片つけながらいつの間にか相方のくれたものばかりを集めて
一つの袋にまとめていた。
なんとなくそれを肌身離さずいようと思った。
「絶対生きてる。」と信じている心の裏側に「でも、もしいなくなってたら。。。?」
そういう風に問いかけてくる自分もいる。自問自答。
結局 最後には 「いや 生きてるだろう!絶対生きてる!」と言い聞かせるようなところにたどり着く。
ゴハンは弟の店にあったものを持ってきてもらって凌いだ。
個人家庭避難だったから支援品なんて届くわけもない。
日々の食糧や必需品を調達しなければならなく、
家族で翻弄した。
兄と弟が外に出た。
「お前は危ないから家に居ろ。母さん手伝え」
そう言われて 自分は家に残った。

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兄と弟が調達に出て 一番感動だったのは
近所の某有名チェーン店のカレー屋さんの店長さんが地震当初に作ってたカレーを分けてくれたという。
「他言無用」と言われたらしい。
それを家族4人分もらってきたのだ。
なんとなく まだほんにゃり温かく 電気もきてないからレンジなんか使えなかったのに
その薄ぼんやりとした温かいご飯を何日かぶりに食べれたことに感謝した。

逆にひでーなぁって奴も来た。
仙台から数十キロ離れた別の町から米を売りに来た農家だと言う一団。
「僕らの町はもう全然被害薄かったんで、お米を安く分けられればと。」
そう言って30kgほどの米を格安で売りつけていた。
だが、実はその町は前年の宮城岩手内陸地震で大被害を受けている。
「僕んちもオール電化ですけどもう復旧してます。」
話が怪しかったのだが 何処の店も開いてないし米だっていつ手に入るか解らないから買った。
母は「家まで運んでくれて好青年だわぁ」とか言っていたが 
自分にとったら薄ら怪しくて仕方なかった。
米の袋を開けてびっくり。
なんと 30kg 全部くず米。。。
片方で神のような行いをする方もいればこういうハイエナもいるんだなと改めて認識した。

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日々のそんな生活をする中で自分は相方の行方を探していた。
ツイッターで呼びかけてみたり様々やってみたがどれも空振り。
兄は数日後くらいには会社に詰めていた。
兄のほうも相方の行方を仕事をしながらだけど捜してくれていた。
ふと、そんなことをやりながら
「あれ?もしかすると●市役所職員のあいつなら避難者リストなんか持ってるんじゃないか?」
相方の住む町の中心都市の市役所に友人が1名いることに気が付いて早速連絡を入れてみた。

持っていた。リスト持っていた。 送ってくれたんだけどPC用のデーターでガラケーの自分では開けなく
今度は沖縄の友達に依頼してガラケー用に変換してもらった。
その変換してくれた友達は丁寧に相方の名前があるか確認をしてくれて
何番目に載ってたよ とメッセージも添えてくれた。

「生きてた。。。」
先に泣いたのは母だった。 自分はなんだろう すぐに涙でなかった。
生きてるって 当たり前だろ?って思ってたのかな?いや 違うな
別の次元に心が飛んだのかも。。。
兄から電話
「あったぞ!!」と言われる前に
「にいちゃん!! 生きてた あいつ生きてる!!!」
そう伝えた瞬間 涙が溢れて止まらなくなった。
涙が止まらなくなったところで 奇跡はまた起こる。
その瞬間 電気が復旧したのだ。
震災から 10日ほど立っていた。

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  • たか
  • 2014/02/26(水) 16:29:29
感動!
http://www.youtube.com/watch?v=z7VyneWwzno


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  • 王様
  • 2014/03/01(土) 08:13:40
アメリカ合衆国西部のネバダ州南部にラスベガスのケミカル・インベンター
このミサイルラスベガス・ビッグマグナムをリビアのカダフィ大佐を倒してやる

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  • 775
  •  
  • 2014/03/03(月) 20:30:22
東日本大震災3周年追悼式
http://jdgs.jp/4bereaved/3.11_memorial_services.html

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  • 原発の実際
  • 2014/03/13(木) 05:00:42
福島原発周辺には危険な放射能がまだ残ってます
その中で暮らすなんてとんでもない
子供たちに甲状腺がんが増えてます!!
Youtubeで詳しく説明してます。
18歳未満のお子さんを持つお母さんたち
是非見てください
https://www.youtube.com/watch?v=5ovcwhAlo04


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  • 2014/04/12(土) 15:55:19
あの日は停電になって、テレビもPCもまったくダメ。
1000円で買ったラジオが唯一の情報源でした。

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  • まいね
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  • 783
  •  
  • 2014/04/25(金) 09:42:13
あの日以降
ガソリン半分になったら満タン
携帯 常に充電器に差し込む
懐中電灯は枕

って心がけたけど なんか 4年もたつと
グダグダに戻ってる

ちゃんとしなきゃ

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  •  
  • 2014/05/17(土) 02:04:06
iPhone4買ったのこの頃やわ

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  • ゆいら
  • 2014/05/21(水) 20:21:07
東日本大震災の当日 すぐには 気がつかなかった。
インターネットをやっていて 画面に『地震があった』と 出ていた。
地震のことには 気がついたけど 津波のことまでは なかなか
気がつかなかった。大変なことだと やっと気がついた。

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  • 786
  • ゆいら
  • 2014/05/21(水) 20:26:30
東日本大震災に なかなか 気がつかなかった ゆいらです。
中国地方に住んでいます。 日本の津波 原発事故は 
うまれて初めて知りました。もう あってほしくないですね。

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  •  
  • 2014/05/22(木) 21:46:41
天災は忘れた頃にやってくる.

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  • まいな
  • 2014/06/21(土) 20:42:53
東日本大震災の当日 私は インターネットを
やっていて 大変なことになっていることに
なかなか 気がつかなかったです。
インターネットの画面に 『地震があった』と
出ていたのですが 地震だけの被害だと 思って
津波が発生していることに なかなか
気がつかなかったです。津波のことに
本当に気が つかなかったです。
『地震が無かったら 津波も 福島の原発事故も無かったのに
津波で 家などが流されることも無かったのに
津波で 亡くなることもなかったのに 悪いのは
地震だ。地震が発生したから 津波と原発事故が
あったんだ。』と思いました。

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  • 789
  •  
  • 2014/07/17(木) 21:17:53
やはりこれではダメだ。ガザの人々は毎年 東日本大震災の追悼行事をしてくれていたのだ。安倍政権はイスラエルに武器を輸出する。とてつもない恥ずかしさで眩暈がした。

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  • 790
  •  
  • 2014/07/17(木) 21:35:06
大熊町は翌日の12日の朝は
まるで戦争映画のごとくだったな
町職員と町民はパニック
自衛隊と警察は来たけど降りてきた全員は
防護服に身を包み避難指示も町職員も事前知らせずに
唐突に役場にあるテレビからの情報

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  • まいね
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  • 792
  •  
  • 2014/08/17(日) 02:25:27
震災でストレス解消に通院するほどいじめられたわ!
義実家から!夫は空気マザコン長男教。
嫁は家族じゃないんだと。これも震災の真実。 津波と火災で全部なくしたけど、みんな無事でよかった〜、と心底喜んだ自分、バカ。

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  • 2014/08/17(日) 02:28:25
↑因みに気仙沼での話。今でも、義実家だけは
復興がんばれ、とは思えない。

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  •  
  • 2014/08/17(日) 17:07:57
フジテレビ系で平日の9時50分からやってる「ノンストップ!」でよーく話題になるが、自分の血筋じゃない嫁の事を家族扱いしないのはどこにでもあるよ。
あなたのトコが特段異常ってな訳じゃない。

まあ、「そーゆー家に嫁いでしまったんだ…orz」位に諦めるしかないさ。


貴女に子供さんがいるかどうかはあれだが、自分が姑の立場になった時に自分がそういう立ち居振る舞いをしないようにしてあげな。

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  • 2014/09/16(火) 19:15:33
ちょっと気持ちが良くなくて寝ていたら、突然誰かが体をゆっさゆっさ揺らしてきたので誰だ!!
と起きたら地震だった。周期の長くて大きな揺れがずっと続いた。
揺れが収まってからテレビをつけようとしたら停電で見えなかった。
いつも枕もとで聞いていたラジオが唯一の情報源だった。
第三級ハム持ってても開局してないから役に立たない。

夜どこも電気の無い真っ暗闇をたぶん初めて経験した。夜8時45分頃電気が回復してテレビをつけて
津波の映像見てしばらくしてその大きさに気が付いた。
最初は畑の畝の間をひたひたと流れているように見えていたのが実はビニールハウスを飲み込んでいたのだと気が付いたからだ。
ボランティアとして駆けつけたかったけど、地元の市の社福は釘を踏み抜かないよう鉄板入りの安全靴を履かなければ行ってはいけないというので行けなかった。

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  • 2014/10/25(土) 03:15:24
@郡山
保育所で働いていました。
子供達は午睡中だったのですぐにふとんをあたまのほうまでかぶせて
起きて大泣きする子供には必死に笑顔で手遊びなどしてなだめつつ
先生たちみんなで子供達におおいかぶさって
揺れが収まるのを待ちました。
いっこうに揺れが収まらず保育所が倒れるかと思いました。
外へ避難させた方がいいんじゃないかな〜と思いつつ窓の外に目をやると
いきなりの猛吹雪。すごく恐ろしくなりました。
すぐに止んだけど、あれなんだったんでしょうか?
大きな揺れが収まった時点で子供達を所内の安全な場所に避難させて
順次お迎え待ち。
迎えの父母たちが来るたび子供といっしょに泣きそうになった。
本当にみんな無事でよかった〜と。
子供達が全員帰ったところで職員も家路へ
シーンと静まり返った暗い町中をとぼとぼ歩いて帰りました。
携帯も繋がらなかったので家が壊れてないことを祈りつつ。。
家に着くと父と母が元気に出てきてくれたのですごくほっとしました。

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  • 2014/11/08(土) 18:50:24
>>505
そんなモン誰も興味ねーってんだよ馬鹿が

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  • 2014/12/05(金) 17:51:17
@石巻
当時は母親の経営するデイサービスで勤務してたよ。
利用者は10名で職員が俺含めて5名。

「ズゴーン!」って地面が割れるような音とともに激しい揺れ

利用者の安全確保して外を出たらサイレンと煙が上がってた。
母親はスゴい対応が早くて水がでるうちにって風呂場に水を貯めて
色々と対応してた。

自分はというと片親で婆さんに育てられてきた婆ちゃん大好き人間で
母親に会社の事は任せて車で5分くらいの実家へ行った。
大好きな婆ちゃんは無事で津波もこず、足の不自由な隣のおばあちゃんが
閉じ込められてたので助けて、カーラジオを付けて情報収集。

・仙台の海岸に何百体と遺体が上がった
・仙台港で津波の予測高さ10m

とか言うてるの聞いて、
近所の人とまさかーーーなんて言いながら話をしてた。
家、婆ちゃんは無事だったので会社に戻る。
婆さんは近所の脚悪い婆さんもいるので自宅にいることになった。

会社について間もなくして、「外から津波が来たぞぞおおおおお」
って声がして、会社から実家の方を見ると津波が
「しまった」と思って、止める母親の静止を振り切って
急いで水に濡れまいと雨合羽をきて車を会社に置き、津波がきてる実家の方へ
(雨合羽を着た事、実家に帰ろうとした事が災難になります)
文才なくてごめん

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  • 2014/12/05(金) 18:09:20
で雨合羽・長靴装着して実家へ
実家にいくまでにすでに津波はきてて
最初は膝くらいまでだった。

大通りとなる道路は流れの早い川みたいになってて、
大の大人が普通に転ぶような勢い
そこを横断し津波に逆らうように実家へ

水の冷たさは冷静さを取り戻すまで感じなかった。

石巻は合板などが盛んで、伐採した丸太が流れ、
車は浮いてガンガン家にぶつかったりした。
この辺りで雨合羽をきていることに後悔。
とくにズボンはビニール製で中に水が入ると水が抜けず
動きづらかった。

たまたま津波に逆らって帰ってると、
前方にボンネットの上にのって流されてる仲の悪かった友人がいた。
(車は浮いてるけど足はつく)

友人は家に子供がおり帰らないといけないということで、
友人の家と実家も近く一緒に津波を逆走するように前に。
というか道路の塀にくっつくように前に進んで行った。

フリック回転寿司
フリックラーニング
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