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  • 2013/11/21(木) 19:34:42
3.11・・・

福島県郡山市。
当時、市内のビル11階にある会社で仕事してました。
立っていることも移動することもできない驚異的な揺れ。
ここで死ぬんだ。。家族にもう会えないんだ、子供たちは大丈夫?母は?義母は?旦那は?
なんにも感謝できずに死ぬんだ。。。
ビルはどういう風に崩壊していくんだろう?痛いのかな?
絶望的な気持ちで「神様ーーーーーーーーーーーー!!助けて!!」と何度も叫びました。

揺れが収まり事務所からみんなで脱出しようとしたその瞬間、天井からキラキラ七色に光るガラスのかけらがたくさん落ちてきました。
「ああ、後でガラス掃除しなきゃ・・」と、そんな状況で思っていました。

あの時の恐ろしさは今でもトラウマで、震度2くらいでも心臓がドキドキして咄嗟に逃げる体制になっています。
しかし、一番恐ろしいと思ったのは、名古屋の本社上層部からやっと繋がった電話で(支社長が受けた)、
「事務所のお金は大丈夫なの!?明日から全員片付けしてよ!」でした。
救援物資も何もなく、2年半たった今でも役員は福島に来ていません。
放射能が恐いからだそうです。

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