【紅芋キロロ】読谷村について語ろう!【返還地がいっぱい】残波4号瓶目 [machi](★0)
-
- 432
- 2009/09/13(日) 12:31:07
-
>>431
嘉手納町の字制から行政区化した経緯は寄留民の多さから始まったそうです。
嘉手納町はご存じの通り、嘉手納基地に居住地を取られてしまい、
残った狭い地域に土地を借りて住む人が多くなりました。
その中で行政業務に支障が来すようになり、行政区割り(1区〜)を行い、
区長に薄給ですが支払う形式にして、その区の規模は給料を支払える規模毎に
区切ったそうです。
その中で住民規模の変化があり、現在の形の原型として再編(東区〜)されて
今となっています。
読谷村で基地に取られて消滅した所は牧原を筆頭にですが数少ないと思われ、
基本的には昔からの居住区が今の流れに繋がっていると思います。
(広さや規模の変化はあるでしょうが)
私は思うに、行政区として昔から使われている楚辺やら伊良皆などの
古来ゆかしき名前は残すべきと思っています。当然区域もね。
地域の名前は歴史そのものです。今まで培ってきた伝統文化の根底に
あるモノで大切にすべき事柄だと思っています。
行政参加を進めることは大切ですが、その前に無くしてはならないことが
あると思います。
行政参加を勧めるために区域変更や名称変更など愚の骨頂だと思います。
今の形の中で、その他組と区別する流れを断ち切って、
お互いが手を取り合って利益を共有できる形に持って行くことが
大切だと思います。
それに即効性は無いと思います。
しかし、根気強く活動を続けていくべき事柄だと思います。
他の意見のように、区費もボランティア参加も拒否できていいね。とか、
その他組と区別されている。などとお互いがお互いの立場で反目するの
ではなく、お互い隣近所に住むモノとして住む街をいかにいい街にするか?
との視点に立って手を取り合うという共通項をお互い持つべきだと思います。
ただその中で字有資産の管理方法などには知恵を出さないと話は進み辛いと
思いますので行政の協力が不可欠だと思います。
このページを共有する
おすすめワード